●宵闇に誘蛾灯は点るのか
件の高校。1号棟の屋上にたどり着いた撃退士6人。
扉の向こうにいるはずの敵に存在を悟られぬよう、静かに屋上へと出る。
周囲は暗闇。水の貯蔵タンクと思われる物陰から、息をひそめて相手の様子を伺った。
敵の全長、おそらく2メートルから3メートル。翅を広げればもう少し大きいかもしれない。だが、
「……あの程度の大きさなのは、不幸中の幸いか。電波塔に繭張って出てこられるくらいだと、撃退士より怪獣が必要だ……」
佐倉 哲平(
ja0650)が小さな声で呟く。唇に人差し指を当て、仁良井 叶伊(
ja0618)が囁いた。
「とにかく、まず光源の準備を進めましょう。敵の能力がわからない以上、あまり無茶せず堅実に行きたいですしね……」
物陰に隠れたまま、持ち込んだ白いシーツを広げはじめる叶伊。
クレア(
ja0781)と風雪 和奏(
ja0866)が、暗闇の中、極力気配を消してロープを張っていく。
ここまで首尾は上々に思えた。……だが、
「あとは……ランタンを設置して、シーツを――」
哲平が言いかけた、そのとき。
屋上の一角で翅を休めていた大きな影が、ぴくりと触覚を蠢かせる。
「……!」
驚き、動揺で肩が震える。
誰かの足が。暗闇の中で、積み上げられたランタンにひっかかってしまう。
ガシャン、とコンクリートの足元に、集められた道具が散乱する。
一体誰が。
否、誰が落とさずとも結果は同じだ。今は犯人探しなどしている場合ではない。
咄嗟に身を翻し、光源を拾いあげ、明かりを灯す。向き直る。
はじめて敵の全体像が明らかになる。想像よりも大きい。そして、……禍々しい。
触覚をこちらに向けた昆虫の姿は――あたかも意思を持ち、獲物を狙う、猛獣のように眼光鋭く。
闇夜に燈る電球の灯。それらの光に吸い寄せられるように、触覚を向けて。
『ァァァァァ……!』
バサ、と風を切る大きな羽音。同時に撃退士たちの身を、突風が襲う。
「しまった、気づかれた……っ!?」
敵を引きつけるために用意した、誘蛾灯の罠――。
しかし完全に準備が整うことのないまま、戦いの火蓋は切って落とされる。
(……気づかれた? いや、違う)
(きっと、こいつは最初から気づいていたんだ……!)
俄かには信じがたい。蛾にそんな知性があるわけなどない。視力があるわけなどない。
だが思い直す。
敵は蛾であり――しかし、それ以前に、天魔の者なのだ。
(くそ、見くびりすぎたか……!?)
光に反応することを利用して……2号棟におびき寄せれば、危なげなく敵を包囲できたのだろうか。
しかし後悔しても遅い。
始まりを告げる鐘の如く、暗闇の空に響く。崩壊の、羽音が。
●光、夜空を駆け巡る
焦燥の中で各人がランタンに明かりを灯すまで、およそ2秒。
だがその2秒が、文字通り明暗を分けた。
一歩、敵に遅れを取る。屋上の中央へ移動した敵の意識は、すでに明かりとは別の場所へ向けられていた。
「危ない!」
ストローのように伸びた口から、光線のようなものが吐き出される。
その先には――攻撃を受けることを想定していなかったのだろう、隙だらけの和奏がいる。
「――っ」
敵の一撃がかすめる。高校だからと選んで着用したブレザーの腕に、ざっくりと裂け目が生じた。
数センチずれていれば腕ごと持っていかれただろう。冷たいものが背筋を伝う。
「和奏!」
(いくらおれが飼育部とはいえ、さすがに虫は専門外さー! 動線を塞がずにフォローか……っ、チバル!)
与那覇 アリサ(
ja0057)が、すかさず和奏と敵の間に入る。
「予定外の展開だけど、なんくるないさー? ここから本気でいくだけだぞ!」
攻撃の妨げにならないよう、縦の位置をわずかにずらしながら。
(うーん……相手が獣なら、もっとうまく気を引く方法も思いつくけど……っ。さすがにこれが限界なんだぞ……!)
だが不安とは裏腹に、ランタンを提げた彼女の素早い動きは、敵の注意をうまく引きつける。
突然現れた赤い髪の少女。その存在は、蛾の注意を引くのに十分だったようだ。
「アリサさんありがとーっ!」
生まれた一瞬の隙に、和奏は敵の射程から抜けるため、すっと後ろへ飛びすさる。
「あーびっくりしたぁ……、やっぱ油断は禁物だねっ」
つぶやきながら照準を敵へ合わせると、続けざまに引き金を引く。
無尽の光が輝く弾丸となり、銃口から次々に発射される。
敵の翅に次々開く無数の風穴。だが、その程度で飛行能力が失われるわけではない。
「……ちぇっ、効果はイマイチかぁ」
リボルバーをくるりと回転させ、和奏が呟く。
もう一度照準を合わせ、――泣きのもう一発。敵の薄い翅を撃ち抜いた。
「こっちにも居るよ!」
逆側の端へ退がり、ピストルを構えた鳴上悠(
ja3452)が、ディアボロに揺さぶりをかける。
「かかって来な、相手してやるッ!」
大声で宣言し、和奏が狙ったのとは逆側の翅を撃ち落としにかかる。
だが敵も素早い。ひらりと身をかわし、的確だったはずの悠の射撃を、かすめる程度に抑えた。
●戦略的撤退
「くそ……想像以上に素早いな」
唇を噛む悠の肩を叩き、哲平が前に躍り出る。
「……遠くから狙うのが難しいなら、やはり囲むしかないな……」
「そうですね。やはり作戦通り、包囲してみましょう」
叶伊がトンファーを構え、頷いた。
狙うは翅。撃墜し、逃げられなくなったところを叩ければ最善。
そう判断して翅を集中的に狙う。
「……こっちで倒すつもりでかかるぞ。元より、手を抜いて無事で済む相手じゃない……」
ツーハンデッドソードを抜き放ち、哲平が敵の横へと回り込んだ。
「わかってるさ!」
武器を打刀に持ち替え、地を蹴る悠。
蛾の羽音で、向こう側に声が届かない。
しかし事前に作戦の確認は済んでいる。アリサとクレアも構え、跳躍する。
撃退士たちは、四方から挟み撃つ形で一斉攻撃を仕掛ける。
「喰らえっ!」
数の利を活かして、雨のごとく次々に浴びせられる攻撃――
こうなれば、知能の低い蟲型ディアボロが退路として認識できる道は、一つしかない。
「上だ……!」
予想はしていたが、傷ついた翅で高く飛び上がれるものではないだろうと、たかをくくっていたのが災いした。
だが敵は、決死の様相で天高く飛躍する。まるで最後の力を振り絞るかのように。
「絶対に逃さないっ!」
クレアが食らいつく。トンファーの打撃が翅を切り裂くが、敵は辛くも撃退士たちの手から逃れ出た。
「まさか撤退するつもりか……!?」
「待て! くそっ!」
ふらふらと不安定に飛びゆく敵に、なんとか追いすがる。
まずい。このまま逃げられては……。背筋を冷たいものが伝う。
……だが。
「……いや、焦るな」
誰よりも冷静に、哲平がつぶやく。
指差す先には、2号棟。
明り取りのために設置を指示していた、2号棟側の灯りが点ったのだ。
それに吸い寄せられるように――空を舞う魔の者は、2号棟のほうへと向かっていく。
そちらに、撃退士の仲間が待機しているとも知らずに。
「追うぞ!」
和奏と悠が追う。続いてアリサと哲平が。
「……そっちに行ったよ。うん……こっちからも追尾するけど、迎撃お願いね」
クレアがそう告げ、通話を切る。
そして同時に、地を蹴った。
●迎撃準備
屋上に張られた布の影から、オペラグラスを覗き込むセーラー服姿の美少女が1人。
「忍法屋上隠れの術、なんだもんねっ!」
ジャパニーズニンジャを敬愛する犬乃 さんぽ(
ja1272)である。
間違った日本の知識を信じ込んでいる彼女……いや、彼。
日本の由緒正しき戦闘服――だと彼は思っている――セーラー服に身を包み、長い金髪をポニーテールにまとめている。
手にはツーハンデッドソードと、鋼鉄製のヨーヨー。
遊びのようで、本人は至って真面目なので何とも言えない不思議な絵面になっていた。
「ボクのニンジャアイは誤魔化せないよっ? あいつ逃げようとしてるよ、こっちの灯りも点けなきゃ!」
その言葉に、同じく2号棟側で待機していた金鞍馬頭鬼(
ja2735)が反応する。
「本当か?」
はっきり言って報酬目当てで、危険な依頼を引き受けた馬頭鬼。
天魔の登場に、恐れとも期待ともつかない複雑な感情を抱いて、持ち込んだトンファーを握る。
「……ようやく来たか」
獅童 絃也(
ja0694)もやおら腰をあげ、敵の陽動のため、ランタンに手を伸ばした。
「よし……それじゃ」
「スイッチ――」
「オン!」
3人で一斉に、ランタンの明かりを灯す。同時に、〆垣 侘助(
ja4323)のスマートフォンへ連絡が入った。
「……クレア、さん?」
『そっちに行ったよ』
「そうか。連絡、感謝する」
『うん……こっちからも追尾するけど、迎撃お願いね』
「……了解した」
無表情のまま、通話を終える侘助。
(植物たちの為にも……害虫は……、駆除しなければ)
「来るぞ」
険しい表情のまま、小さく呟き身構える。
思惑はそれぞれだろうと、連携は万全。敵は弱っている。死角はない。
後は目標を遂げるために――全力でぶつかるだけだ。
「そうか……では、予定通り迎撃することにしよう。行くぞ」
絃也がおもむろに眼鏡を外す。表情が変わる。学生のそれから、撃退士としてのそれへ――。
●2号棟の攻防
もはやボロボロの翅。それでも懸命に、敵から逃れようとする蛾。
しかし行先で待ち受けるのは、武装した撃退士たちの姿だ。
「行くよっ!」
まず、飛び出したのはさんぽだった。
蛾との距離を見計らい、自分の射程に敵が突入してきたところで、纏っていた布を払い姿を現す。
スクロールを口にくわえたまま両手で印を結び、ほとんどレースのようになった、相手の翅めがけて光の玉を放つ。
「落ちろっ、忍法光刃閃光シュリケーン!」
飛び出す光球は、まさに彼が得意とするヨーヨーのように、敵の身を穿っていく。
(父様の国の平和を守る為に来たんだ……それにボク、正義のニンジャでヨーヨーチャンピオンだもん!)
負けるわけにはいかない。チャンピオンの名にかけても。
さんぽとほぼ同時に、侘助も武器を取る。
翅をもがれ、2号棟の屋上に転がり落ちてくるディアボロへ向け、苦無を投擲する。
刃の形をした無尽の光が、相手の身体を刻む。
『――ギィィイイッ!』
天を揺るがすような、高い声。衝撃を伴う音波に鼓膜が揺れる。しかし、撃退士たちが怯むことはない。
地を転がる芋虫と化した、ディアボロだったもの。這いずるように、フェンスを乗り越え外へ逃れようとするが――
「金鞍、たたみ込むぞ!」
絃也が吼え、地を蹴る。鉤爪をつけた腕を振りかざし、わずかに残った翅の残骸を散らした。
「……言われなくてもやるよ!」
馬頭鬼が跳躍した。すかさず敵へ駆け寄り、トンファーを叩き込む。
実戦は初めてだろうが、やることは一つ。分かっている。狙うは急所。
的確な一撃で触覚を薙ぎ払い、敵の方向感覚を奪い取った。
悲鳴をあげ、敵の胴体が痙攣しはじめる。
「……どうやら勝敗は決したようだな」
爪を振り、絃也はまとわりつくような蟲の体液をふるい落とす。
彼の視線の先には、追いついた1号棟の面々の姿があった。
「――とどめを差したい奴はいるか?」
いないなら、俺が倒してしまうからな。そんなニュアンスを、言外に含めて呟いた。
●任務完了
「まあ……周辺の一般人に被害は出なかったし、建物もさほど損傷していない。及第点でしょうかね」
苦笑いを浮かべ、叶伊が呟く。
「逃げられそうになったり、怪我したりが無ければもっと良かったんですが」
辛くも敵は撃破したが、完全なる目論見通りとはいかなかった。
「すまん……」
眉間にしわを寄せて呟いたのは哲平だ。
体力に余裕があるからと、敵を追いかけて廊下上を走ったのはいいが、案の定足を滑らせたのだ。
慌てて受身を取ったため手足を擦りむく程度で済んだのだが……。
「まあ、大した怪我じゃなくて良かった。この程度なら、少し休んで帰れば大丈夫そうだしね」
「……ああ、そうだな」
幸い、向こうからの攻撃をまともに被った者はいなかった。
かすり傷や打ち身のようなものがほとんどで、一番ひどいものでさえ、既に出血は止まっている。
久遠ヶ原に帰還するまでには、きっとすべて癒えてしまうだろう。
「でもさ、もう少し骨がある敵かと思ってた! 2号棟についた途端にノックアウトとか、拍子抜けだよ〜。
一番安全な位置にいる分、一番ダメージ源にならなきゃいけないのが魔法使いの基本なのにさ?
結局ぜんぜん攻撃当ててないよー!?」
指でくるくると銃を回しながら不満げに和奏が言えば、
「本当本当。せっかく、久しぶりに狩りができると思ったのに」
賛同するように、クレアが唇を尖らせる。
「ううう、暴れ足りないんだぞーっ! あとお腹もすいたんだぞー!」
アリサが頬を膨らませた。
「……ま、メシでも食いに行くか」
「そうだねー」
誰かの提案に、誰かが賛成する。
流れに乗れずにコッソリその場を去る者もあり。他人にメシ代をたかろうとする者あり。
(……一応倒したし、報酬は出るよな? さて、何買うかなー……)
表面上は周囲に合わせつつ、そんな算段をする馬頭鬼の姿もある。
そんな彼らの些細なやりとりも、この地に平和が戻ってきた証なのだ。
「お疲れさま。2号棟の点灯タイミングばっちりだったね」
「そうかな? でも1号棟でちゃんと削ってくれたから、狙い通りになったんだと思うよ?」
和やかに談笑する悠とさんぽ。
「あ、そうだ。さんぽちゃんは、ご飯行く?」
微笑み、問いかける悠。
「あぁでも他の女の子が行くか確認してからのほうが……」
「え? なんで? ボク、女の子いなくてもいいよ?」
「……え?」
食い違う見解。首を傾げる二人の傍を、哲平が呆れ顔で通り過ぎていく。
「……鳴上。……犬乃は、男だ……」
「え? ……ええええええええええええ!? 嘘だぁぁぁああ!」
誰からともなく笑いが零れる。
崩壊の羽音は、もう聞こえない。