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十月某日、長崎。
約束は今日中。最終の飛行機で戻るとして、遅くとも日暮れ迄には調査を終え地図の場所へ向かわねば。
だが絞りきれぬ。少しでも多く回れるよう現場までは個別行動と決め、到着と同時に方々へ散った。
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この件には裏がある。
柘植 悠葵(
ja1540)は、真先に匿された真実の存在に気づいていた。拭いきれぬ違和感。家庭事情や過去を問えど濁し続ける依頼人。
疑念が確信に変わったのは、件の地方紙を確認した時だ。
(やっぱり――たかが一市民の自殺で、地方紙とはいえ大きな記事が載る訳ないよな)
紙面に踊る文字はどれも憶測混じり。ゴシップ誌のような論調で面白おかしく報じている。
『悲劇の連鎖止まらず…生存者の元高校性、自殺か X病院事件』
彼らの周囲で起こった不可解な連続事件。何者かの思惑によって操作されたとしか思えない不審な死や失踪。
(昼ドラみたいだな。いいね、…愉しくなりそうだ)
日常は退屈、だからこそ他者の非日常を覗きたい。
その悦楽は対岸の火事を眺める行為に似て、ひどく、駆り立てる。黒く暗い好奇心を。
依頼人は口を閉ざしたままだ。隠された真実は、そんなに不名誉な事なのか。
例えば未成年での望まない妊娠…今時分さ程珍しい事ではない気もするが、片田舎の年寄りが同じ感想を抱くかまでは分からない。
とりあえず近所の噂でも集めてみるしかないと、動き出す。
(――しかしあの婆さん、本当に探す気あるのか?)
同じ頃、小田切ルビィ(
ja0841)は現地の警察へ足を向けていた。
依頼人の証言だけでない、客観的な資料が必要と考えての行動。
例えば――山口の遺体発見時の状況、そして入院していた理由。2人の直近の交友関係。
それらが掴めれば、きっと何か見えてくる。
山口典哉の入院時期と、伊佐拓海の失踪時期は重なる。依頼人の話を信じる限り、両者は親友――
(ソレだけでも充分ややこしい話だが…憶測でものを語るには早ェよな。まだ、何か)
桐江と連絡が取れればよかったが、不可能ならばその線に拘る理由もなく。
幸い、この手の聞き込みや調査は嫌いじゃない。彼らを繋ぐ線は中学時代の縁。
久遠ヶ原や東京程大きくはないが…同期生が1人2人という過疎の街でもない。
アルバムでも見つけて全ての同級生をあたれば、きっと見つかる。いや、見つけてみせる。真実に繋がる手掛りを。
(しかし…何つーか、気味の悪い『意図』みてェなモンを感じるぜ。天魔絡みじゃなけりゃイイが)
山口の病院、そして失踪前に拓海が働いていた会社の住所を得ると、その足で現地へ向かう。
少しでも早いほうがいい。もし想像通り、事件の裏に何者かの影が蠢いているとしたら…。
更なる犠牲者が生まれる、最悪の事態を免れる為に。一刻も早く。真実をこの手に掴まなければならない、と――思い直す。
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(なんか引っ掛かる…なんやろう)
宇田川 千鶴(
ja1613)は筆舌尽くしがたい感情を抱いたまま調査を続ける。違和感。そう、違和感だ。
(お祖母さんが私らに拓海さんの事隠すんは、…なんでやろうな)
携帯端末に映る画像を眺め、想う。
ルビィが拓海の職場で入手したその写真に映る『彼』は、女だった。
厳密には少し違う。戸籍上は男性だが、心と姿は女性――即ち、性同一性障害。
写真を添えたメールの本文には一言。
職場の人間の話では、『彼女』は親友に叶わない恋をしていると話していた、と。
(お父さんが受け入れてあげられへんかったのは、やっぱりそういう事やったんか)
しかし依頼人はその事実を一貫して濁していた。
(…考えすぎ、やろか)
確かに、頼まれた『地図の場所の捜索』を行うだけなら必要のない情報。
だが地図の場所から何が出てきても驚かない心構えは必要だ。
隠す事ではないだろう。調べれば分かる事、なぜ濁す必要がある?
言い換えれば自分達が今調査しようとしている背景は全て、依頼人が既に知る範囲の情報。
そもそもの彼女の望みは一体何だったか、我々は見失いかけているのではないか。戸惑いが、生まれる。
しかし状況を整理し方向転換を試みる暇もなく。別方面から情報を集める仲間から、次々に報告メールが届く。
一通り目を通しつつも渋い顔をする千鶴。同行する石田 神楽(
ja4485)の笑顔にも、僅かに陰りが見える。
「柘植さんが調べて下さったネットの記事も、私達が図書館で見た新聞も…全部似たような論調でしたね」
「そうなんよね、どれも『X病院事件』が発端やって…」
何度も目にしたその名前は、2005年にこの地域で起きた大きな事件だという。
だが当時の新聞を調べてみるも、どうやら天使が絡んでいるようで詳細は判然としない。
2005年秋といえば丁度、久遠ヶ原で大惨事が発生した直後。撃退士側も現地調査に力を注ぐ余裕が無かったのだろう。
辛うじて判ったのは、一般の記者が取材活動を行えない状況だった事と…某市内の病院にて多数の死者が出た事。
そしてその現場から奇跡的に生還した高校性が、3人いた事。
山口典哉。伊佐拓海。そして――桐江零。
(生き残った3人が、消えた…?)
其処に因果が存在しないとは思えないが、ではその縁が何かと問われれば答えは出ない。
行方が掴めないとはいえ、拓海や桐江を疑うのは間違っている気がするが…彼らの潔白を証明するのは難しく。
「千鶴さん」
神楽は深く息を吐くと、考え込む千鶴の肩に軽く触れ、告げる。
「とにかく、こちらも皆さんに報告を」
「…そ、やね」
別所で過去の記録を確認していた星杜 焔(
ja5378)と雪成 藤花(
ja0292)も、行き詰まりを感じ。
「やっぱり入院理由は怪我とかじゃなく、心の病…」
「うん〜それも自由に面会できる状況じゃなかったようだ、…やっぱり自殺なのかな」
「断言はできませんけど…確率は高いと思います」
院内の監視カメラに山口以外の人間の姿はなかった。状況的には、他殺だとしたら間違いなく天魔の仕業。
だがわざわざ自殺を偽証するような天魔は多くない筈。少なくともそれだけの知性を持ち、愉しむ余裕が必要だ。
守るべき者に視線をやり、焔は思う。
(…できれば、今日すぐの直接対決は避けたいね〜)
無闇な争いを呼ぶ心算はない。その剣は、その盾は。ただ、傍にある花を守る為に。
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「連絡先の分かった同級生は大体当たったが、有力な情報は無かったな」
同級生達は口を揃えた。事件以降、山口達3人とは交流がない。地図にも心当たりはなく、大方仲良し組の独自企画。
「そうか〜…じゃあやはり、地図の場所に行ってみるしかないかな」
「あぁ。死して尚、握り締めてた位だ。…余程大切なモンなんだろう」
互いに報告を終え、ルビィと焔は改めて件の地図を広げる。中学の敷地の中。体育館の裏手につけられた×印。
「とにかく、行ってみたほうが良さそうやね」
千鶴の言葉に焔も頷く。
「そのようだ…」
「何が出てくるんだろうな? 掘り起こしたら死体が出て来ました――とかだったら洒落になんねーぜ」
半分冗談、半分本気。そんな雰囲気を匂わせルビィも呟く。
「ただ…彼らが敷地に自由に入れたのって、この地域にゲートができる前、だよね?」
「そうやな。この地図自体が昔描かれた感じやし、彼らが現役で通ってた頃の何か、って考えたほうが自然かもしれん」
「あとこれ、前に作った秘密基地の宝の地図と似た印象…印の場所は屋外のようだし、地面に何か埋めたのかも」
焔の言葉に、千鶴ははっと顔をあげ神楽を見る。彼も同じ可能性に行き着いたのか、静かに頷いた。
「…タイムカプセル?」
地図を書いたのが愉快犯の天魔、などという特殊な事態でない限り、その線が有力な気がした。
(…しかし、困りましたね。もし本当にタイムカプセルが埋まっていたら)
知りすぎたがゆえ、不安が浮かぶ。生まれては消える複雑な感情が、行動を阻害する可能性に行き当たる。
自身の問題だけでも潰れてしまいそうなのに。他人まで背負える学生が、此処にどれだけ居る?
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Six Little Kids walking in the ***,
A big angel hugged one, and then there were Three boys.
――And then there were NONE.
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その問いは誰に向けるでもなく。悠葵は目を細め、顎に手を当てた。
(山口典哉が、自殺でなく誰かに殺されたんなら)
被害者が握り締めたものを何らかの遺志と解釈して抜き去っても不思議ではない。
気付かない筈のない遺留品。
あえて残した理由は何にしろ、ソレが他殺を示す理由にならない事を『誰か』は知っていた?
(…すると犯人は、手紙を餌にして桐江を誘き寄せようとしていた事になるけど)
あの遺留品が真実意図的に残されたものなら、山口を殺した何者かは、これから向かう場所で待ち構えている筈。
(愉快犯か、強烈な私怨か。何方にせよ覗きとは悪趣味だな)
旧支配エリアへ踏み込んでから、地図の場所へ到着するまで凡そ十分。遭遇する天魔すべてを敵に回す必要はない。
神楽の聴覚と焔の機転、索敵しつつ最低限の交戦に抑えながら進む。
ジェイニー・サックストン(
ja3784)は、僅かに不満げな表情で呟いた。
「本当なら全部まとめて蜂の巣にしてやりてー気分なんですがね…」
戦場となるであろう場所へ向かう道程。情報収集にはまるで乗り気でなかった彼女だが、ここから先は正しく彼女のフィールドだ。
(依頼の主旨はあくまで依頼人への調査報告。本調査に入るまではお呼びじゃねーのは承知です)
息を切らしたのとは異なる絶対的な胸の高鳴りを押し殺すように、唇をほんの少し釣り上げ笑う。
大物の気配はないものの、どうやら退屈せずに済みそうな数多の気配に気を向けて。
「数はあるようですね、食いでがあります」
辿り着く直前に一度だけ剣を交え、僅かに休憩を取る。
神楽がかりそめの処置を施し、藤花が深い傷を癒していく間――皆の表情は一様に固く。
思惑は其々あるだろう。けれど声は生まれず、ただ、無言のまま駆ける。
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当りはついていた。到着と同時に、苦無を手に藤花と神楽が印の場所へ。
彼らを挟撃から守るよう焔とルビィが左右に分れ、千鶴と悠葵は背後を警戒しつつ援護に徹する。
ジェイニーと朝宮 梨乃(
jb0950)は、前面から真直ぐ向かい来る敵の軍勢を、遠距離から迎え撃つ。
「早く来て下さいよ。こっちは潰したりねーのです」
梨乃が喚び出したヒリュウと共に、ジェイニーの銃から撃ち出される光の弾丸。次々とサーバントの体を抉っていく。無慈悲に、躊躇なく。
集中砲火に晒された敵個体に狙いを定め、焔は駄目押しの一撃を加えた。確実に沈め数を減らす為、虹色の蝶を纏わせ盾を手に。
容赦はしない。出来る訳がない。――護るべき者が其処にあるのだから。
後方から援護を続けていた千鶴が、負傷し自己回復を試みるルビィに代わり前線に躍り出る。
(悪いけど…その程度の速さで私を捕まえようなんて甘いんよ)
多勢を相手にするのは難しいが、一対一ならやすやす捕まる筈もない。翻弄するように間を縫い薙ぎ払って。
「すまん、残り何匹だ」
「大分減ったかな。見える範囲には2匹やね」
「了解。さっさと片付けちまうか」
(…こいつら、統率がまるで取れていない。指揮官不在か? だが)
読みが外れたかと歯噛みする悠葵。事前の調査では指揮を執る存在の香りを確かに感じたのだが…
敵の動きを警戒しつつ周囲の様子を伺い――ふと、気づく。
(屋上に、誰か)
人影があった。黒幕らしき男の、影が。
勝敗は既に決したも同然。後は仲間が総て始末してくれるという確信の下、悠葵は廃校の屋上へ足を向けた。
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開封された箱の中には、6通の手紙。
2005年3月18日 卒業記念 10年後の自分へ
有村怜/伊佐拓海/桐江壱/桐江零/佐東睦/山口典哉
迷わず渦中の2人の手紙を開封し、中を改める。拓海のものを千鶴と神楽が、典哉のものは焔と藤花が。
真実は優しいとは限らない。頭では理解していても、溢れるやりきれなさは止められずに。
「この頃からずっと、典哉さんの事…好きやったんやね」
千鶴はそれだけ呟き、口を閉ざす。典哉の手紙を読み終えた焔も、静かに手紙を戻し。
「『拓海と喧嘩したら許さねー』…か。皮肉なものだね、これを読む前に2人とも…」
ただ一つ音になったその言葉は、夕暮れの空に吸い込まれて。
「…深ければ深い程、か。恋ってのは怖いモンだな」
死に至る恋情。自分には未だ縁遠い筈だが――時として心まで壊すその感情に、言いようのない恐れを抱き、ルビィは俯いた。
(もし春に襲ってきた天魔の正体が拓海さんで、その事を山口さんが知ったとしたら)
焔の胸に過るのは、幼い頃の忌々しい記憶。自分が心を閉ざす切欠となったあの悲劇と、想像した彼らの姿は――怖い程合致する。
涙を浮かべ縋り付いてくる少女の手を取り、握る。
たとえ相手が姿を変え、罪を犯しても。刺違える覚悟で止めるだろう。共に果てる未来を望むだろう。
絶対離さない。失わない。出逢えた奇跡を、決して無駄にはしない。
自分ならどうするか。熟考しても答えは出ず。
「千鶴さん」
「大丈夫やよ」
「…そうですか」
ただ、互いにぎこちなく微笑み踵を返す。躓くにはまだ早い、仕事は終わっていない。心配させるような態度だけは。
拳を握り噛み締める千鶴の背から、神楽は静かに目を逸らす。下手な慰めなど、彼女は望まないと信じて。
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2015年の僕は自分らしく生きてますか
まだあの人のこと好きですか
もし好きなら頑張れ
母さんと婆ちゃんに心配かけず元気でね
父さんと仲直りしろよ
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「人を救うとか言わないよ、単純な興味さ。…あんた何者だ?」
屋上の黒影へ向け、悠葵は言った。彼の者が纏う空気は明らかに異質。天使か使徒か。然し統率者は居なかった。ならば何者。
問いに、影――少年は微笑する。
「僕ハMalespero、Esperantoデ絶望ヲ意味スル、悪魔」
「…山口典哉の自殺、あんただろ。親友が魔物化したのはお前のせいだって伝えたとかか?」
物的証拠はなくとも、この場所に居る事が何よりの証拠。そう告げれば少年は更に高く笑い。
「アア。タダ殺スノハ面白クナイ、僕ハ人間ヲ絶望サセル為ダケニ此処ニイル」
片言で紡がれる少年の狂気を垣間見て。けれど。悠葵は驚くでも怖れるでもなく、静かに、笑った。
「俺も飽き飽きしてるよ。幸せだけな教科書みたいな生き方なんて、つまんないし嘘っぽいじゃんか」
悪意や慟哭。生々しい負の感情に触れる時だけ生を実感できる自分のような人間は。
それぐらい劇的な悲しみに満ちた世界でなければ、きっと生きていけやしない。
「…フム」
「もっと不幸を見せてよ、俺を退屈させないようにさ」
期待してる、と。軽薄な笑みを浮かべ悠葵は立ち去る。
残された少年は声なく嗤った。人の望みを叶えるのは嫌いだが、彼の望みだけは、きっと叶えてやろうと。
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自分らしく生きる為、遠い国へ旅立ったと伝え手紙を渡した。
然しそれが優しい嘘である事は誰の耳にも明らかで。老女を見る皆の表情は冴えない。
祖母への感謝が綴られた手紙の後半に、崩れ落ちる老女を支え励ます彼らの胸中は如何ばかりか。
――この事件には、裏がある。
明るみに出た、絶望を招く悪魔の存在。排除すべき仇敵。
だがそれだけで語れぬ、もう一つの非情な因果の存在。
桐江の過去に何があったのか。彼は今、何処にいるのか。
真実は依然として、深い闇の中に置き去りにされたまま――宵闇の幕が、降りる。