●蠢く闇
カタカタカタカタ。
キーを打つ音が、静かな室内に響いていた。
「……できた」
呟いた部屋の主――樋渡・沙耶(
ja0770)は、連ねた文章をざっと読み返し、納得いったとばかりに頷いた。
あとはこのテキストを、メールに添付して送信する。
自信作。文句のつけようもない、自信作である。
自分にできることは為した。あとは、ほかの面々の努力に委ねられる。
眼鏡をはずし目頭を押さえて、沙耶は息をついた。
セリフだけではない。演出に関するト書きも、それなりに書き連ねた。
撮影に立ち会わないことに、不安が全くない訳ではないが。
きっと大丈夫。後は役者とカメラマン、そして監督の『越前海月』がうまく料理してくれるに違いない。
おもむろに携帯電話を取り上げる。
「……もしもし、お世話になります……『沙夜』ですが……」
●上映会実施
――十月。
久遠ヶ原学園のオタ女コミュニティが、にわかに色めき立っていた。
「新作、実写DVDらしくってー。今日は冬のくらケで売る前の、試写会? みたいな」
「さすが越前海月、大手はやることが違うよなぁ」
「18時からだから……あと15分経ったら会場行こうかと思って」
「いいなぁ、夏の売り子さんレベル高かったし期待しつつ寮でゲームしとくわ」
「あ、興味あるならむしろ一緒に行かない? このチケット1枚で2人まで入れるらしいんだ〜」
「うっそマジ!? やったー行く行くー!」
学食ではしゃぐ女性グループを横目に、壬生 薫(
ja7712)は箸を止めて押し黙る。
ずり落ちる眼鏡を無言のまま押し上げて、平静を装い食事を再開しようとする、が。
「薫ちゃん。ここ、ソースついてるけど」
正面に座る百々 清世(
ja3082)が笑い指摘すると、一瞬の沈黙の後、狼狽しつつ紙ナプキンを探しだす。
「拭いたげよーか?」
「結構です」
むしろ触らないで頂きたい、と渋い顔をする薫。
つれないなーと呟きつつ、清世は左隣の月島 祐希(
ja0829)の肩に触れ。
「聞いてユキたん、薫ちゃんつめてー」
「……ユキじゃないユウキだ」
静かに腕を払いつつ切り捨てる祐希。役名はそうだったが、現実と混同されては困る。
「おい……オニーサン泣いちゃうぞ」
「よく分からないけど、それ食わないならくれよ」
縋り付かれた右隣の彪姫 千代(
jb0742)は、本当にマイペースに清世の皿を眺めていた。
「エビフライ? おいらの食べていいよ! いいから、代わりにチューs」
「レイ君は……それしか無いんですか」
千代の前に座ったレイ(
ja6868)がガタっと立ち上がるのを、薫はため息混じりに制止する。
「いいから早く食えよ、上映始まるし」
無表情のまま緋伝 璃狗(
ja0014)は皆を急がせる。
そう、参加した彼らもまた、この日完成作品を初めて見るのだ。
少しの期待と好奇心、そして――大きな不安を胸に……。
●開場――清世の反応
女のコばっか集まるとやっぱ壮観だなー。
ま、男だらけでムサいより全然いいけどさ。むしろ楽園。
そういや入口で配ってたこのチラシも真壁ちゃん作ったとか、本当すげぇよな。
つかこの写真のオニーサンまじ男前じゃね? 着流し似合いすぎじゃね?
普段プリとか写真とかって撮ってもピース笑顔がデフォだから何か新鮮ー、つか通り越して面白ぇ域だこれマジウケる。
真面目顔の写真だけでこんなウケるって事は、映像で見たら爆笑するしかなくね?
ヤバい。ほんとヤバい。笑い止まらなくなりそうだわ。
特に終盤の薫ちゃんとの――
っと。上映開始か。
とりま大人しく音響とか演出とか確認するカンジでいくわ。それでも笑っちゃったら、それはその時ってことで。
○第一幕、物語のはじまり
桜花塾――それは、迫り来る脅威により肉親を奪われた幼子の、寄る辺となるべく作られた私塾である。
その私塾には、先生と呼ばれ子供達に慕われる男がいた。
名を、墨染 馨(すみぞめ かおる)という。
彼は身寄りのない子供たちを我が子のように育て――
未だ若く独り身ながらも、教え子たちに父のように慕われていた。
「うぉぉぉー、俺もう勉強は飽きたぞ! 修行しようぜ、剣でも拳でもいいから体動かしてぇよ!」
じたばたと手足を動かしながら訴える緑髪の少年を傍目に、物静かな書生風の少年がぽつりと呟いた。
「……千代、お前は少し落ち着け。我侭を言って先生を困らせるなよ」
それはきっと、日常的なやり取りなのだろう。
わずかに刺を感じさせる口調にも動じることなく、チヨと呼ばれた少年はぶぅと唇を尖らせる。
「でもさぁユキ兄ちゃん、チヨ兄の集中力とっくに切れちゃってるって。これ以上座ってても何も覚えられないよ」
2人の様子を見守っていた最年少と思しき少年が、苦笑まじりにそう言う。
すると千代はこれ幸いとばかりに乗じ、からからと笑い声をあげた。
「そうそう、レイの言うとおりだぜ」
「……全くお前たちは……仕方ない、とにかく先生にお伺いするぞ」
呆れたような口調。けれど、どこかに優しさを纏わせて。
ユキと呼ばれた少年がゆっくりと席を立つ。
2人も揃い席を立ち、ユキの後を追うように馨のもとへ歩み寄る。
「馨先生!」
「先生」
青年は座して文章を綴っていた。
少年たちはその傍らに行儀よく正座し、師の答えを待つ。
やがて馨は静かに筆を置き、一度ぐるりと肩を回して、生徒達へ向き直る。
「どうしました。課題は終わったのですか?」
「いえ、申し訳ありません。千代が飽きてしまったようなので……一旦、剣の修行を挟む許可を頂きたく」
ユキの申し出を受け、馨は呆れ混じりにため息を吐き出した。
「またですか。いいですか千代、何度も言いますが、我が塾の教えは自立のため、ゆえに――」
「俺だって覚えたぜ先生、それはブンブリョードーってやつだ!」
「……何十回言われてようやく、か。一度で覚えろよ」
ほんの少し嫌味っぽく呟いたユキへ、千代はうろんげな視線を向ける。
けれどそんな2人のやりとりさえ、大人にしてみれば可愛いものだ。
馨はまあまあ、と少年たちをいなすと、急に真面目な顔をして教え子へ向けた講釈をはじめる。
「武の道は決して平坦なものではありません。たとえ其れが絶たれても、君達は強く、生き続けなければならない」
ひと呼吸おいて、言葉は続く。
「学問は我々を裏切らない。学べば、学んだだけ、我々を強くしてくれる」
馨は寂しげに目を細めた。
かつての自分に想いを馳せるような表情――
その裏に込められた感情を理解するには、少年たちはまだ、幼すぎた。
「さて、と。私は墨を片付けてから向かいますから、先に庭に出て準備をしておいて下さい」
やるからには息抜きと思わずに、本気で稽古に臨みましょう。
そんな言葉をかけて、馨はすっと立ち上がる。
勿論だ、と目を輝かせる千代。
勘弁してくれ、とばかりに眉を寄せるユキ。
レイは屈託のない表情のまま、対照的な2人を見つめ笑う。
「兄ちゃん達と一緒ならどっちだって良いよ! いつだって全力でがんばらないと、立派な騎士にはなれないもんな!」
「……レイの言う通りだな」
弟分に教えられてしまったことに苦笑しながらも、年長者の意地とでも言おうか、ユキはすぐに襟を正した。
「早く行きなさい。準備が終わっていなかったら……分かっていますね?」
わずかに脅迫じみた色を孕ませ、馨が問う。
けれど純粋で無垢な少年たちの瞳には、少しの迷いもなく。
はい、と朗らかに返事をし――彼らは我先にと中庭へ飛び出していった。
走り去る子供達の後ろ姿を見つめ、仏頂面をわずかに綻ばせる馨。
――しかし、その平穏は、突然の来訪者によって崩されてしまうのであった。
●幕間――千代の反応
おぉ……!? 俺が出てる!
俺スゲー役者か!
おーなるほどなー、あの日のビデオがこういう感じに……。
よくわかんねぇけど編集とかいうヤツすっげえな!
ジシュセイサク? だか何だかでお金あんまり無いって言ってたけど、普通にテレビのドラマみたいだ。
話きいても結局なにやるかよく分からなかったけど、実際こうやって見るとワクワクするな!
時代劇のセリフってなんか難しいしあんま意味わかんないけど、もう少ししたらアクションシーンだ。
俺も皆もカッコよく写ってる……はず。
フリとは言ってもかなり頑張ったし。上着脱いで本気出した成果、ちゃんと分かるような仕上がりに期待するぞ!
……で、結局この時代劇って、誰向けのどんな話なんだ?
○第二幕、突然の転機
突如、馨の耳に飛び込んでくる騒々しいほどの足音。
その主はおそらく、いや絶対に一人や二人ではない。
様子を伺うため玄関先に向かえば、開け放したままの扉をくぐり無遠慮に上がり込む男の姿があった。
口を噤むが、表情までは抑えきれない。
苛立ちを隠しきれずに眼鏡をぐいと上げた馨へ、役人然とした不躾な男は尊大な態度のまま高慢に告げた。
「御免。桜花塾というのは、ここで合っているな?」
無表情のまま問いを投げてくる若い男の高圧的な態度に、馨は思わず眉をひそめた。
男の背後には大勢の侍。大方、城主の勅命で此処へやって来たのだろうが。
「そうですが、何か御用ですか」
警戒をあらわに低い声色で答えるが、相手は意に介さぬ様子で簡潔に要件を述べる。
「端的に申し上げる。貴塾の元門下生……清瀬 百乃丞(きよせ とうのじょう)に嫌疑がかけられている」
「キヨセ? ……失礼ながら私は彼奴とは絶縁状態、何を問われようとも答えられはせぬ」
表情を歪めて憎々しげに吐き捨てた馨。その怒りは袂を分かったかつての教え子に対するものか。それとも。
けれど国使とて、朝廷からの勅命で此処へ来ている以上はただで引き下がれる訳もなかろう。
ならば、とさらに語気を強め、半ば詰め寄るようなかたちで馨に迫る。
「清瀬の一派は反朝廷派の実力者と頻繁に接触していた。斯様な蛮人を、都の民の平穏を脅かす賊以外の何と言う?」
「彼が反朝廷の態度をとるとは到底思えませんが……仮にそうだとしても、私は彼を破門にした。もう繋がりなど無い」
「……知らぬ存ぜぬですべて解決すると思うなよ、墨染殿」
鋭い視線を馨へ向け、男は僅かに唇の端を上げた。
「忘れるな。我々は貴殿らを刑に処する事も出来るのだ……反朝廷教育を是とする大罪人として、な」
その言葉に、馨の表情が歪む。
それは、まさか。
桜花塾こそが清瀬を愚行に走らせたと、触回るということか?
自分だけが憂き目に遭うのなら耐えられても、教え子にまで中傷が及ぶとなると辛い。
けれど。
清瀬の心の何を、自分が語れるというのだろう。
自分の手を離れて幾星霜。
元より考えの読めない悪戯小僧だった彼が今、何を思い何の為に生きているかなど、想像できようか?
或いは適当にでっち上げて、かの男をさも極悪人の如く貶めてみようか。
「……ふ」
馨は嘲笑した。
どうしてそのような不義理が働けよう。
今は別の道を歩んでいても。一度は共に生きた者。
全幅の信頼を、固い絆を、共に誓った弟のような存在――。
たとえ裏切られても。
自分が相手を裏切るようなこと。
「……そんな姿を子供達に見せる訳には」
「ん? 何か言ったか」
聞き返す相手に返した言葉は、愚かしいほどに震えていた。
「――捕らえるなら早くしろ、と言ったんだ」
●幕間――祐希の反応
モノ作りは嫌いじゃない。むしろ好きだ。それが物語なら尚更。
成り行きで役者やらないかって話になって、最初は戸惑ったけどさ。
実写ドラマ。ネットで小説公開したりするのとは違う。皆で協力して作り上げる作品。
……悔しいけど、そう思ったらやっぱ参加したいって思っちまったんだよな。
演技なんてさっぱり分からんが、キャラに感情移入するのは得意……なんとかなる、はず!
腹を括った。やると決めてしまった以上グダグダ言っても仕方ない。
何より、始まってしまえば――モノ作りはやっぱり楽しかった。
で、折角がんばったから、って思って見に来た……けど……やっぱ恥ずかしすぎて死ねるなこれ。
現実から顔を背けてもいいだろうか。現実っつーか画面からだけど。
てか、どうしてこうなった。俺は脚本が書きたかっただけなのに。
原作プレイするんじゃなかった。うっかり感動して検索しちまっただろ。腐ったファンサイト見ちまっただろ……。
もうそういう目でしか見れない。どうせ俺達が作ったドラマもこういうふうに腐女子の餌になるんだ(先入観)。
って。そうこうしてる間に俺の出番終わったな。
……ちくしょう、本人には絶対言わねーけど、緋伝かっこいいよな……。
和服慣れしてるっつーか、立ち姿ひとつとっても侍っぽさがあるっていうか。
別に他の奴がダメだって訳じゃねーけどさ?
なんつーか、その。
……。
っうわぁぁぁああ何、俺何言っちゃってんの!?
撮影終わってんだから感情移入はもういいんだよ! 今さら想像力発揮してどうする!
くそ、腐女子に毒されてなんかねーんだからな。ただあんなふうに和服着れたらなっていう(以下略)。
……精神削られた。ああ――もう、今すぐここから逃げ出したい……っ!
○第三幕、残された子供達
連行された馨。
一部始終を見ていた3人の塾生は、困惑した面持ちのまま、誰もいなくなった玄関先を見つめていた。
初めに口を開いたのは、やはり千代である。
「ど、どうなってんだよ! 何で先生が捕まっちゃったんだ!?」
「あの言い方じゃ疑われても仕方ない、……くそ。何やってんだ先生」
口惜しげに歯噛みするユキ。
千代は自身の頭をがしがしと掻きながら訳わかんねぇ、と眉を寄せ。
「とにかく、助けないと」
動揺を隠せない声色のままそう宣言し、塾を立ち去る一行のあとを追おうと、剣を掴む。
立ち上がろうとした千代。けれどレイは、その袴の裾を引き、彼の短絡な行動を制止しようとする。
「だめだよ! 見ただろチヨ兄、あの人数じゃおいら達だけでどうにか出来る訳ないって!」
「じゃあどうすりゃいいんだ、このままじゃ先生がやべーだろ……!」
びくっと肩を震わせるレイの姿に、千代ははっとする。
確かに先生のことは大事だ。余裕がないのは認める。
けれど年下の子供に――まして、兄弟同然に暮らす弟弟子を相手に、自分は何をしているのだろう。
みるみるうちに肩を落とし、済まなそうな表情でよれよれと座り込む千代。
「……悪い、つい、カッとなっちまった」
その姿と言葉に、レイは微かに微笑む。
座ったままの彼の隣に屈み込むと、幾らか弾んだ声色で言う。
「チヨ兄。仲直りしよう!」
同時に騎士風の衣装の少年は、千代の頬へ自分の唇を近づけ――
「だから、それは女性にしろって言ってるだろ……」
眉間にしわを寄せ、呆れた声でそう告げるユキによって直前で制止される。
「あ、ユキ兄ちゃんもしかして仲間外れでヤキモチを」
「な……、な、んなわけねーだろ!? お前の両親の国みたいに軽々しくするなって言ってるんだよ!」
「ん? これ挨拶だろ?」
「……千代、お前それ本気で言ってるのか」
首を傾げる弟分に、あきれ果てたユキは頭を抱えるしかなかった。
「違うのか!?」
「チヨ兄は、おいらよりユキ兄ちゃんを信じるのか」
うるうるした瞳で熱い視線を送るレイ。
大体お前が悪いんだ、なんて面と向かって言えれば苦労はしない。
ユキに出来るのは、ただただ溜息をつくことだけだ。
あばたもえくぼとは言うけれど。馬鹿はやはり、多少勉強したぐらいでは治らないのかもしれない。
レイはレイで、異国の血を引くからか、何を考えているのかイマイチよく解らないし。
勿論それは個性であり、裏返せば彼らの取り柄でもある。分かってはいるが、それとこれとは別問題だ。
――自分がしっかりしなければ。改めて決意し、ユキは静かに拳を握る。
「いいか、よく聞けよ。正攻法で城に攻め入ったって無理だ。なら、先生を助けるには交渉するしかない」
「交渉?」
「ああ。まずは先生が連れて行かれた原因――『清瀬』に会う必要がありそうだ」
今は反朝廷派の実力者と懇意にしているというその男を、ユキは知っていた。
『彼』が当塾に籍を置いていた頃、千代は今よりずっと幼かったし、レイはまだ此処にいなかった。
自分の記憶もぼんやりとしたものには違いない、彼の名前が本当に『清瀬』だったかも怪しい、けれど。
馨の口から出た破門という言葉が疑念を確信に変えた。
桜花塾の門下生は決して少なくない、が、彼の去り際はきわめて不義理で鮮烈なものであったがゆえ。
ユキも忘れられずにいた。
先生はもっと、もっと辛い想いをしたはずだ。
黙らせたのは――きっと、あの男に違いない。
「まずは手がかりになりそうなものが無いか……塾内を探してみよう」
●幕間――レイの反応
なるほど、あの衣装を着るとこんな感じに見えるのかー。
一応は鏡で自分の姿とかも見たけど、遠くから見たり背中見たりはできなかったから新鮮だっ。
もちろん見た目だけじゃなくて、中身も立派な騎士にならなくちゃって思ってるけど!
まぁ、形から入るってのもたまには悪くないよね。
撮影の日は一生懸命がんばったから、そのへんの細かいところは見逃してほしいな。
……っていうか、思い出した。
周りがカッコいいお兄さんばっかりで、それどころじゃなかったのもある。
和服ってよくわかんないけど、ものすごくセクシーに見えるよな?
そう思ってるのはおいらだけじゃないって信じてる。うん、信じてる。
もちろん美人のお姉さんとか、可愛い系のお兄さんの和服も好き。和服じゃなくても好きだけど。
ほら、騎士たるもの、博愛主義でなくてどうすんだよって話だよ。
映像で見ても皆やっぱカッコいいね。
うん。やっぱチューしたい。このシーンの撮影のときは未遂だったしな。
あ、変な意味じゃないよ。挨拶だよ。大人のチューじゃないから安心していいよ。
チューが駄目ならハグで我慢するからさ。ほら、騎士は紳士的だから、ね?
○第四幕、清瀬の思惑
ただ、先生を助けるために――。
紆余曲折を経て、どうにか清瀬の根城を突き止めた少年達。
並み居る賊の監視をかいくぐり。
今、かつて桜花塾で剣を学んでいた男の前に、辿り着く。
「――あれ」
寄り添う女性から手を引き、ゆらりと立ち上がる着流しの男。
腰に差す刀に掌を置いたまま不気味な笑顔で少年達の前に立ち塞がる。
「見つけたぞ、清瀬! 大人しくトーコーしろ! 俺たちと一緒に来るんだ!」
拳を握る千代。呼応するように、レイも己の持つ長剣を確かめる。
「鼠が忍び込んだっつうからどんな無頼漢かと思えば――随分と可愛いお客さんじゃん?」
楽しげに目を細める長身の男へ、レイが先んじて剣を向けた。
「立派な騎士になる為に、おいらはお前みたいな賊を許すわけにはいかないんだ!」
「威勢がいいな、ちびっ子」
「……けれど騎士たるもの。総ての生き物に優しくなければいけない。
だからお前に言い分があるなら聞こう。どうして朝廷に楯突くような真似をするんだ?」
「言い分、ねぇ」
清瀬は顎髭に手をやりつつ物珍しそうに少年の体躯を眺め――やがて、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「……何がおかしい」
「いや。まさかこの俺が、女も知らないような乳臭い餓鬼共にお説教されるとはな」
挑発的な態度で言い放ち、清瀬はくつくつと笑った。
口角を上げ、下唇を僅かに舐め。
警戒し腰を落とす3人の少年へ、じわりじわりと歩み寄る。間合いを詰める。
そして。
「身の程を知れよ、クソ餓鬼ども」
戦いの火蓋が切って落とされる。
真っ先に仕掛けたのはやはり千代。
先生に教わった剣、抜くより先に拳が出たのは、少年の抱く怒りの大きさをあらわしていた。
気配なく足音もなく相手との距離を詰め。
先手必勝とばかりに敵の懐に飛び込み、正面から、力の限り拳を叩き込む――が。
「いい踏み込みだねぇ、……だが脇が甘すぎる」
清瀬はその動きを瞬時に見切り、逆に剣の峯で確実な打撃を放ってくる。
「!」
弾き飛ばされる千代。すぐさま体勢を立て直そうと試みるも、相手は間髪いれずに肉薄してくる。
羽織を脱ぎ捨て目くらましに投じる千代だが、投げられた其れを清瀬は容易く切り捨てた。
「チヨ兄、大丈夫か!?」
咄嗟にレイが動いた。2人の間合いに飛び込み、盾で清瀬の剣戟を凌ぐ。
飛び散る火花。せめぎ合う光の奔流。
稲妻が走ったかのように、画面を白い光が覆い――清瀬は反動を受け流す為、大きく後方へ飛び退る。
「――チヨ?」
「何か言ったか!?」
「いや。……なるほど、ね」
訳知り顔の清瀬はただただ、薄らと笑みを浮かべ、ユキを見た。
送られた視線に気づき、ユキもまた剣を抜く。
表情は自然と険しくなる。どうしても、剣術だけは苦手だった。
けれど立ち向かう心だけは示さなければ、弟達に示しがつかない。
「清瀬、笑っていられるのも今のうちだ……!」
まるで、ユキの言葉に呼応するように。
千代は大胆に着物を肌蹴て両肩を晒す。まとわりつく着物の袖が邪魔だと言わんばかりに。
「……ははっ、クソっていうのは取り消すわ。全力で来な、纏めて遊んでやるよ」
●幕間――沙耶の反応
すごい、な。
思っていた以上に……皆さん、気合の入った演技……
それに、周りで見ている方も、真剣に見てくれているようですね。
今回、私――いえ、『沙夜』は、お話を書いただけですが。
それでも……こうやって、皆が熱中してくれているのは、嬉しいな……
もちろん、他の皆さんが居てこそ、こういう素敵な作品に、仕上がったんだと思います。
間接的ではありますが、皆さんと一緒に、制作できて良かったなと……
バトルシーン、格好よく撮れてて、よかったな……
脚本、あんまり書き込むと、逆に動きづらいかな……と思って。
大体が、アドリブ……だけど、役者さんにお任せして、正解かな……。
普段は、あまり気にしないで使ってるけど、アウルの光、映像にすると……すごく、派手かも。
ん……そろそろ、戦いも決着して……
いよいよ、和解と大団円の、ラストシーンに、入るはず……
師弟愛が感じられるように、してほしいかな……とは、伝えていたけれど。
撮影には、立ち会わなかったので、見るのは本当に、今日が初めてだったり……
あの台本が、どんな映像になったのか……私も、少し、楽しみ……
○第五幕、災い転じて服ぬげる
せめぎ合う刃。金属のかちあう音。
互いの力量を確かめ合うように、3人の少年と1人の賊が切結ぶ。
目にも止まらぬ速度で繰り出され続ける数多の剣戟を、清瀬は五月雨の如き太刀筋で振り払い続けた。
戦力は拮抗していた。
それを察すると、どちらともなく間合いを取りはじめ。
やがて刀を収め、清瀬は満足げに笑う。
「いい眼するようになったな、ユキ」
「あんたが塾と先生を捨てたあとも、毎日サボらず修行してたからな。俺も――千代も」
ユキと清瀬の応酬に、千代は驚きの表情を浮かべる。
「え、え?」
「お前も相変わらずバカだな、千代(せんだい)。でっかくなった癖に全然変わってねぇ」
「――もしかして……もも、にいちゃん……?」
皆、自分をチヨと呼ぶ。
自分を必ず正しい名で呼んでくれる人間は、先生と――そして、幼い頃大好きだった一人の兄弟子。
「おー」
「兄ちゃん……!」
今し方まで殴り合っていたことも忘れ、千代は清瀬に駆け寄り。全力で抱きついた。
まるで幼子が親に縋り付くかのように。
「感動の再会もいいけど、本題を忘れるなよ千代」
あくまで冷静を装い、釘をさすユキ。
そう――自分達の目的は彼との再会ではない。
先生を、助けることだ。
「百兄……いや、清瀬。お前に反朝廷派の嫌疑がかけられている。
先生はその教育を行ったとして、今は囚われの身。……頼む、先生は無実だと証明してくれ」
「反朝廷教育……?」
「ああ」
「……あの人にそんな器用な真似できるかよ」
眩しいほど純粋な弟弟子の瞳に、あてられたかのように。
優しげな笑みを浮かべて清瀬は言った。
「行くぞ餓鬼共、あとは任せな」
そして笑う。
不敵に。そして、頼もしく。
――そして、物語は佳境に突入する。
囚われた馨の元へ、3人の塾生と清瀬が辿り着く。
ようやく出頭する気になったか、と、高圧的に笑う役人。
けれどその存在を無視するかのように、清瀬はまっすぐに馨へ向かい。
「久しぶり」
「……キヨセ? 何だその髭は、みっともない」
「今は侍じゃなくて賊ですから。それより――あんたさ、何考えてんの」
押し黙る馨。
何の話か、は、察しがついているのだろう。沈黙するということは、そういうことだ。
「裏切った俺のことなんか、売ればいいのにさ。そしたらあんたは普通の生活を続けられただろ」
「……キヨセ、逆に問おう。お前はなぜ私の元を去った」
彼の行動が自分や塾の為だったとすれば。
清瀬を国に売った後、後悔するのは自分だと、馨は理解していた。
――目の前で困ったように笑う男は、やはり馨の下にいた時と同じ、優しい眼をしているように思える。
「俺さ、あんたの事傷つけた奴……殺したかったんだよね」
ぽつり、と清瀬が呟く。それは懺悔にも似た告白だった。
初めは確かにそんな理由で道を違えたのだ。
けれど実際に一人の無頼者を私情で殺し、手を血に染めてしまえば。
……もう、戻れる気はしなかったのだ。
「傷? 何のことだ」
「しらばっくれんのか。……なら、こうするだけだ」
手に縄をかけられ、思うように身動きが取れない馨へ。
清瀬は近づき手を伸べる。衣擦れの音がした。帯を解いたのだろうがその手元は画面には映らない。
「な、何を……!」
「俺なんかにこんな風にされて……ほんと弱くなっちゃったね、先生」
「きよ……百、ッ」
不自由な体勢のまま必死に抵抗する馨だったが、にべもなく。
清瀬は静かに、馨の胸に顔を埋めた。幼子が父母に甘えるような表情、そして仕草を見せながら。
「俺のせいで、何度も、何度も苦しませて――本当に」
震える声。青年の肩に手を置き、馨は短く息を吐く。
「……君のせいじゃない。だから泣くな、キヨセ」
少年達が見た馨の背はひどく小さく。
襟元を割り開かれ衆目に晒された彼の左肩には、大きな裂傷の痕が、残されていた。
●幕間――薫の反応
……。
……まったく……これ以上ないまでに、酷い物を見せられた気分ですよ。
演出の機転で直接画面に映っていないからまだ、過ぎたことと諦めもつきますが。
迫真の演技? 笑わせないで頂けますか。あれは素です。
台本では私、もとい墨染が先に折れるはずだったのに。
百々君の悪ノリは本当に……、ああ、撮影当時のことは、思い出したくもありません。
……ああ、冷や汗で眼鏡がずり下がってしまった。
周囲の女性達が悲鳴をあげている意味も理解しかねます。
いつから日本の女性は慎みを失ってしまったのか――なんて言ったら女性に怒られますね。
全員という訳ではなく、あの映像に黄色い声をあげた一部の女性達に対してですので誤解なきよう。
それにしても、この映像を見て笑いを堪えている百々君は一体何を考えているのか。
……私は基本的に暴力は好みません、が、今ここで更に何か起これば、さすがに黙ってはいられない。
正直、精神的に辛いです。
早く終わっていただきたい――本当に、その一言に尽きますね。
○最終幕、大切な人と共に
やわらかな日差しの下、馨と門下生はいつものように勉学、そして武道に励んでいた。
「先生、勉強は終わりました」
「そうですか。では剣の稽古を――」
「ユキ兄ちゃん、この設問が解けたらチューしてくれるって言ったじゃん!?」
「言ってない」
「い、意地悪……! じゃあ先生チューしよ! 先生!」
「お断りします」
「ち、チヨ兄ぃぃ!」
「おう、任せろ!」
「だから引き受けなくていいんだって言ってるだろ!?」
あの後、足を洗うと誓った清瀬は、まだ朝廷に拘束されている。
彼が接触していた『反朝廷派』こそ、馨を傷つけた人物であったことが明らかになり、件の嫌疑は晴れた。
その他に犯した小さな罪、それらを償った後には、必ず桜花塾に戻ると約束をして。
(早く戻ってきて下さい、……今の私がこの子達に教えられる事は、もうすべて教えてしまいましたよ)
馨は静かに空を仰いだ。
晴れ渡る青空の下――塾の門戸を叩く音が、聞こえた気がした。
●それは俄かには信じがたい噂
一部の少女達が、噂する――
「話題のあの実写ドラマ、撮影中に色々あったらしいよ」
「マジで? どんなん?」
噂とは恐ろしいものである。
たとえ尾ひれが本体よりも肥大化しようと、一度流布してしまえば止めることは難しい。
得てして、先行した風説を訂正する内容というものは広まりにくいのである。
「月島くんがノーパンで撮影したとか……」
下着のラインが見えるだの何だので、下着の種類の話をしただけなのに。
「え、あたしは緋伝くんが月島くん全部脱がしたって聞いたよ」
間違いではないが大きな語弊がある。脱がせたというより着替えさせた訳で、勿論下着には触れてない。
「レイ君がほっぺちゅー5人斬りって話は〜?」
それも――あ、いや。それは現実だった……か。
「ねぇ、樋渡さんは知ってる? そういう噂」
クラスメイトの少女達から話を振られ、沙耶は読んでいた本に栞を差込み顔をあげた。
「越前さん……真壁さん、本人から聞いて、少しだけ」
きゃぁと黄色い声があがる。さて、どこまでバラしていいものか悩み所ではあるが。
とにかく、彼らの名誉に関わるような危ない噂は、火消しして回る必要があるかも、と。
一応は制作にかかわった人間として、責任感を覚える沙耶だった。