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太陽は、まだ高い――。
真夏の午後6時半。うだるような暑さと湿気の中、南風に背を押されるように駆け出す。
薄暗さを帯び始めた空に別れを告げ、打ち捨てられたコンクリート造りのビルへ踏み入れる。
あと1時間もすれば、日は落ちる。
敗戦の折、闇に紛れるにはお誂え向きだが――夜は、彼らの時間でもある。用心を重ねるに越したことはない。
加えて視界。奇襲をかけるからには行燈を持ち歩く事は不可能ゆえ。夜になる前に、終わらせたい。
「寧々美先輩、無茶はしないで欲しいな……」
案ずる栗原 ひなこ(
ja3001)の言葉に、先頭を行く寧々美は不敵な笑みを浮かべて頷く。
「大丈夫。引き際は弁えてるつもりよ。それにもし何かあっても、……必ず誰かがあたしの想いを継いでくれる」
例えば――。
そこで言葉を区切り、寧々美はひなこの肩にぽんと触れる。
「まぁ当然……何もないよう頑張るけどね」
「あ、当たり前だよ! 怪我したら怒るからねっ!?」
そんな2人の様子を眺め、ジェーン・ドゥ(
ja1442)は密かに笑う。
(真実、真実、真実ね……)
寧々美の語る理想は、反吐が出るほど清廉だ。
それは、家族や友人の身の危険よりも優先するべきものか。
戯れにそう問うた『彼女』に、寧々美は淀みない声で答えたのだ。
そうだ、と。元よりそんな姿勢を是とする者しか、己の周りには存在しない、と。
若さゆえの暴走。そうかもしれぬ。
けれど――認めてやりたい。
真実とは何か。
何を指してそう言うか。誰をしてそう言わしめるか。
それほど不確かな存在を、屈託のない表情で語れるその潔白が。……狂おしい程、愛おしい。
(見事な矜持だ、本当に。本当に。……本当に)
「……私は、天魔相手でも無為に戦いたくはないです」
佐藤 七佳(
ja0030)は独りごちる。それもまた、ひとつの矜持だった。
理由なく大勢が傷ついた一連の事案の裏に、隠された真実があるというのなら。
「だから、本当は何を目的とした依頼だったのか……知る事が出来ればいいと、思います」
知りたいのだ。
「出来れば、なんて弱気はやめなさい。この黄昏の魔女様が手を貸す以上、絶対、最高に楽しい結末に導いてあげるわ」
七佳の肩に触れ、フレイヤ(
ja0715)は言った。
自信がある訳ではない。けれど虚勢……では、ないと思う。それは己が背負う義務の再認。言わば願掛けであり、未来の希望。
「有力情報入手の立役者として非公式新聞に私の写真を掲載してもらうまでは、倒れるわけにはいかないのだわ」
茶化すような台詞は、殺気立つ仲間の緊張を少しでも解く為に。
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「成程やはり強化ガラスか。割るのは骨が折れそうだ、物理的にではなく――ええ、比喩だけれど」
1階裏口付近の窓をコツンと叩き、ジェーンが呟く。
傍で様子を見ていた鬼燈 しきみ(
ja3040)は、心持ち残念そうにため息を吐いた。
「せっかくのカチコミなのにー窓がしゃーんはなしかー」
「まあいいさ。相手も条件は同じ、ならば正面きって遊ぼうじゃないか?」
「ん。しきみちゃんも頑張るよー」
目配せをし、駆け出す。
襲撃を警戒されている可能性は高い。けれど不意をついて先手を取れれば、多少は、戦況も変わる。
そう信じて。細心の注意を払い、可能な限り気配を絶って。階段を、駆け上がっていく。
(不気味だな……静か過ぎる)
警戒心を強める新田原 護(
ja0410)。無理もない、1階、2階、3階――昇るごとに近づくはずのオフィスから、気配を感じられないのだ。
(やはり相手も警戒しているようだな。万事上手く運べばいいが)
相手は犯罪組織。仁義などない。手心を加えれば痛い目を見るのはこちらになるやもしれぬ。
ゆえに。
(死なせなければいいというのは、有り難い話だ)
改めて思う。実際の力量はわからないが、寧々美の話を聞く限り、一筋縄でいく相手とは思えない。
4階、5階、本気でいこう。決して油断せず――。
「――さてまあ、お礼参りといこうかねぇ?」
鷺谷 明(
ja0776)は、これから起こるであろう戦闘へ想いを馳せ、意味深な笑みを浮かべ。
6階。辿り着くと同時に見つけた件の事務所の小さな小さな看板を、脇目に見据えて廊下を走り抜ける。
閉ざされた鉄扉。蝶番は内側へ開く扉のそれで。しめたとばかり、全力で蹴り破る。
(気に食わん……ただただ、気に食わんのだ。恵ヴィヴァルディという奴が)
裏社会だと。笑わせるな。
本当なら当人のツラをぶん殴ってやりたいところだが。
「今日は配下で我慢してやろうじゃあないか。ただし、容赦はせんぞ」
やはり敵は待ち構えていた。
僅か一瞬遅れて武器を取り、此方へ向かってくる彼らへ向かい――明は槌を振りかざす。
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「奥にいる女がボスか? ならば早速動かせてもらおう」
明が飛び出すとほぼ同時に、護は対角へと走る。机の上に置かれたノートPCを、先んじて回収するべく。
(余波で情報の詰まった記憶媒体が破壊されては本末転倒だからな)
当然、その動きを察知した撃退士崩れの男達は、護を止めようと急き近づいてきた。
だがその動きを阻害するように、しきみが続いて飛び込んでいく。
「させないぞー? ついでにちょっと止まってほしいなー」
盾と剣を構えた元撃退士へと蛇腹剣を向け振り抜く。しかしその太刀筋は、相手の剣によって既のところで跳ね除けられ。
「むぅ……やっぱ一筋縄じゃいかないかー残念無念だねー」
けれど終わりではない。口惜しそうに呟くしきみの影から、続けざまに追撃の手が迫る。
「あれ、まだ油断するには早いんじゃないかな?」
微かに笑みを浮かべ――神喰 朔桜(
ja2099)はゆるりと右腕を伸ばした。
巨大な盾。仲間であれば頼もしいそれは、敵に回せばただただ厄介なだけのもの。
しきみが何よりも先に其処へ向かったのは、この男を封じることこそ第一の突破口と看破したからのことと踏み。
弾かれた呪縛。再現する為に。朔桜は小さな声で、言った。
「創造≪Briah≫――」
刹那、具現化する。幾重もに折り重なる黒焔の鎖が。相手を絡め取り、拘束し、冥牢へ繋ぐ。
僅かに指を振るその仕草はまるで、驕れる神の如き高慢。高潔。大胆不敵に。敵を繋ぎとめんと。
「ほら……捕まえちゃった」
護がノートPCを掴みあげた刹那、後方から物騒な叫び声が聞こえる。
「巻き込まれたくなかったら今すぐ伏せるのだわ! ――ほら、燃えちゃいなさいっ!」
言葉の通り一斉に伏せる仲間の姿を確認すると、フレイヤは燃え盛る炎の如き魔力の奔流を、フロアの中央へ向け放ち穿つ。
(当たらなくても構わない、少しでも……新田原くんが退避するまでの目眩しになれば)
爆音とともに白く煙が立ち上る。
ゆらり、と立ち上がる敵の影。やはり攻撃としては無理があったか。気を引き締め後ずさる。
「フレイヤ様、神喰さんっ!」
ひなこの翳す手からは優しい色をした無尽光が煌き、2人の身体を覆うように広がっていった。
「気休めかもしれないけど……無いよりはきっと良いからっ」
「何を言うかねひなこ君、ひっじょーに心強いわよ」
「うぇーいナイスフォローありがとーサクラ。……で、どう? このままPC抱えて逃げちゃうー?」
「それはまだ早いと思うけどな。あのPCに寧々美ちゃんが求める情報が入っているか判ってない以上は」
本当はただただ戦いたいだけなのだけれど。本音をぶちまけたところで、誰も説き伏せられはしないと理解している故に。
巧妙に、そんな建前を述べてみる。
「そうだったねーじゃあやっぱり」
「うん。……暴れない選択肢は存在しないんじゃない?」
相変わらず不敵に笑う朔桜。その言葉に、しきみも静かに頷いた。
フレイヤの魔法で生じた隙に、PCに差し込まれたメモリースティックを抜き取ると、護はそれを寧々美へ放り、本体を部屋の外へと放り出した。
遅れて駆けつけたジェーンがそれを受け取り、廊下にそっと置いて。
そのまま薄く開いた扉の隙間に己の身体を滑り込ませる。
「退路は問題なし、罠や爆発物の類もなさそうだ」
「よし、此方も首尾は上々。後は奴らを捕まえるだけだ」
「そうか、そうか、それでは心置きなく遊ぶとしよう!」
室内へ飛び込むジェーン。最後の仲間を迎え入れ、鉄扉は再びばたんと閉じられた。
「これでいいか?」
護がちらりと見るのは、やはり寧々美だ。
「ありがと、新田原くん。これで逃さず捕まえられるかしらね?」
「それは戦況次第だが」
――やってやろうではないか。
敵の退路を断つため。護は立ちはだかり、銃を構える。
「いくぞ、教えてやる。火力はこういう風に使うものだ」
狙うは後方に控える元撃退士。退がっている理由は打たれ弱いから、或いは回復役のどちらかと踏み。
(あとは射撃屋のお仕事ってな。遠くの敵を狙い撃つ――)
狙いすました銃弾を、放つのみ。
「押し切るぞ。とにかく、捕らえて自白させるんだ!」
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「さあ、さあ、Bクイックだ!」
机を踏み台に跳躍、一気に間合いを詰め、銃を構える後方の男へ肉薄するジェーン。
手には断罪の斧。その姿はさながら斬首人の如く、一縷の望みさえ切り捨てる純粋な欲望を孕んだままに。
(首が駄目なようだし、ええ、ええ、腕の一本脚の一本刎ねるので我慢しよう)
衝動を抑え、首へと向きかける斧を僅か左へ逸らして。狙うは腕。振りかぶり、勢いのまま斬りつける。
「よーしサクっと終わらせよーねー」
同じく狙いを奥の男へ定め、しきみもジェーンに続く。
利き腕を負傷し後ずさる標的へ全力で飛びかかり、ぐっと捻りを加え、そのまま後方へとなぎ倒す。
冗談のような本気の一撃は、本当に冗談のように――綺麗に決まり。
「……っ、く……はは! いいね、いいね、これは最高のショウだっ」
「あれー気絶しちゃったー?」
「寝かせておこう。敵、敵、敵はまだ残っているのだから」
続いて護の援護を受け、前線へ躍り出た寧々美が銃を持った男を昏倒させる。
同時に、日本刀の男との間でも勝敗の色が見え始めていた。
振り切り後衛の側へ寄ろうとする剣士の行動を、まるで見透かしたかのように肉薄し、明は呟く。
「だからその姿勢が気に食わんと言っている――」
振りかぶる戦鎚は鋭く、しかし敵も素人ではない。易々殴られるわけにはいかぬと飛び退り、一撃を逃れる。
しかし。元より5対8、数の面ではこちらに利があるのだ。
1人で捉えられなければ、2人でかかるだけのこと。
「今だ」
「わかってるから急かさないで――っし、お姉さんがいい夢見させてあげる!」
魔術書を手に、フレイヤが右手を天にかざす。
同時に、朔桜の放つ呪縛は制限時間を迎えようとしていた。
「――さて、キミはどうする? 大人しく捕まるという選択肢もあるけれど」
舌打ちをする相手を見据え、奇跡の模倣者は唇の端を一層釣り上げた。
「失礼、そんな選択肢は存在しないんだったね。キミ達のような悪人の世界には」
分かっている。
風紀委員に屈すれば、次に命を狙われるのは自分。
そんな暗黙のルールを了承している彼らが、おいそれと投降する訳はない。
ならば。
「殺すなって言われてるから殺しはしないよ――殺しは、ね」
死をも超える恐怖を、与えてやるだけのことだ。
(勿論、何もしない訳はないのだけれどね……そう。まずは、左腕)
「創造≪Briah≫」
例えるならば其れは、万物を滅す焔の天光。行使する彼女は言うなれば、忌むべき光の魔王。
万物を踏み台に羽撃く未来の超越者は、未だ呪縛から逃れられない相手へ向け、無慈悲な光の鉄槌を――放つ。
『轟き穿つ神威の雷槍――!』
――其れは総て、時間にして、僅か一分足らずの出来事。
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時を遡ろう。
突入直後、七佳は真っ先に部屋の最奥を目指し疾走していた。
(あたしから簡単に逃げられると思わないで下さいッ!)
その背には淡く輝く光の翼。強い、強いオーラを纏って。最奥に座す女帝の如きその女との間合いを、詰める。
(懐に飛び込んでしまえばこちらのものですッ! 迎撃の隙なんて、与えない――)
叩き込む。腕の杭に凝縮したアウルを乗せ、必殺の一撃を。
「投降して下さい! さもないと……」
――しかし、
「随分と気合の入った挨拶ね、お嬢さん」
「!?」
七佳の狙いは僅か、外れた。
一撃で昏倒させられるだけの威力はあったはずのそれを、女は躱す。
杭に貫かれるは上着のみ。仕留めるべき標的はいつの間にか窓際に立ち、薄く笑って。
「驚いた? 情報を求める者が情報に踊らされてたんじゃ世話ないわね」
「……偽情報!?」
「ま、今日の所は退散するけれど。さすがに8対1じゃ分が悪いわ」
言うなり身を翻して、女はガラス戸に手をかざす。魔法的な力を加えられたガラスは大破、夕焼けの空に破片が輝き散る。
「逃げる気!? 待ちなさいこら!」
フレイヤが追い縋り捕まえようとするも、届かない。
明とジェーンが咄嗟に窓から飛び出し女を追跡しようとする、が。
「やめよ、深追いは危険だよ」
ひなこが制止する。
事実、ここまでの戦いでそれなりの負傷があった。
「記憶媒体やPCも確保できたようですしね。パスワードくらいはあると思いますけど、そこは何とかなるでしょう?」
七佳の言葉に、寧々美は笑顔で頷いて。
「……勿論! 今日は大収穫よ、皆ありがとね」
指揮者には逃げられたが、本来の目的は達成した。
「ペンは剣より強いんだから! あの女の人を困らせる記事、書いてくださいねっ」
「勿論よ!」
ゆえに、今は。
勝利を噛み締めておこう。たとえ完全でなくとも。間違いない。かけがえのない、勝利だ。
拘束された配下4名は、寧々美の手配により風紀委員へと引き渡される。
同時に新聞同好会は、斡旋所への闇組織介入という前代未聞の大ニュースを報じることになる――が。
(しかし襲撃は予想されていた――はて、はて、はて。果して得た情報は本物だろうか?)
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「――首尾はどうだ」
『まずまずです。ご指示の通り、中山寧々美には一部の情報だけを』
「そうか……完封できなかったのは残念だが、まあいい。想定していた範疇だ。あれは処分してあるのだろう?」
『その点は抜かりなく。ただ、服部はこれまでどおりとは行きますまい』
「痛くないと言えば嘘だが致命傷ではないさ。あの情報で私に届きはしないが、あれで暫くは黙るだろう。
全て嘘の情報にするより、少しぐらい本物を掴ませてやったほうが上手く運ぶ時もある」
『肉を斬らせて骨を斬る、ということですか』
「そんな所だ。斡旋所にも他にも、駒はまだある。風紀がどう動こうが何とでもなる」
『……仰る通りです』
「本件の核心は未だ公に出来る事ではない。服部は言わば贄にすぎぬ。やがて齎される私達の権益の、な」
通話を終え、恵は微かに口元を歪める。
「さて、次はどう動くか?」
その顔に浮かぶ表情は――全てを掌握した影の覇者を思わせる、ひどく軽薄な笑みだった。