パラソルを手に、会場に一番乗りした千葉 真一(
ja0070)。店長と話す桐江 零(jz0045)を見つけ、この店だなと荷物を下ろす。
「先輩! 席は勝手に決めちまっていいのか?」
声をかけると、奥からいいよ〜と返事。それならばと安心してパラソルを開いた。まだ明るい空を見上げ夜の景色を想う。
「こういうロケーションなら、星空が見えると良い雰囲気なんだろうけどな」
立て終わる頃には、ぱらぱら他の生徒達も集まり始め。同じようにパラソルを設置する姿もちらほら。
「おっ、やっぱ千葉じゃーん。さすが準備いいな、おにーさんも入れてー」
ふらり近寄って来たのは百々 清世(
ja3082)。真一は少し意外そうに、部の先輩の登場を受け入れる。
「百々先輩が時間前に来てるとは思わなかったぜ。本当に雨が降るかもな」
「折角のタダ飲み放だしねーちょー飲むよ……って待って千葉それどういう」
わいわい騒ぐ2人の姿を見つけ、もう1人。イアン・J・アルビス(
ja0084)がやって来て。
「また、手の込んだ準備をしてますね」
「イアンも来てたのか。あー、用心するに越したことはないだろ?」
「傘を持ったままだと行儀が悪いですしね。僕も固定しておこう」
と、自分も傘を取り出し、近くの席に設置を試み。
「……かといって行儀イイかと言われれば微妙か」
「何だろう、コレジャナイ感が」
大きめとはいえ、普通の傘だからか。
「細かい事気にすんなーどうせ席移動するっしょ?」
「それもそうですね。一応、風紀委員としては見回りもしないと」
「……お前まさかその為に?」
「いえ、主目的はゆっくりすることですよ。ただ同じ会場での未成年飲酒を見過す訳には……」
「ルールは守って楽しく、だな。ヒーローとの約束だぜ」
「おや、まだ早いのに賑やかですね〜」
いつもの笑顔で近づいて来たのは石田 神楽(
ja4485)。大量の傘……はともかく、巨大な狸オブジェを小脇に抱えた男の姿は奇妙、いや滑稽。
「石田さんじゃーん……って何その狸」
「信楽焼ですよ〜」
そしてこの笑顔である。答えになってねぇ! という清世の抵抗も虚しく、神楽の口からそれ以上は語られない。
「ここに置きますね。折角なので有効活用して頂こうかと、看板も作って来ました〜」
どすん。見れば信楽焼、忙しなく電球がピカピカ。無駄に達筆な『おいでませビアガーデン』の書き文字と相まって半端ない存在感。そんな狸の背にビニ傘を背負わせ、これで良しと神楽。
「人事は尽くしました、皆さんの様子を眺めつつゆっくりお酒を頂きますか」
綿貫 由太郎(
ja3564)は張り切っていた。全力で張り切っていた。どの位かと言えば、携帯で天気予報を数時間おきにチェックし、降雨で中断にならないよう雨合羽を予め着てくる程だ。
(ビアガーデン、良いよねぇぇ! 飲み放題サイコー!)
美味そうに飲み食いして宣伝するだけで飲食代タダ。これぞ正しく、簡単なお仕事である。
(OKOK、何はともあれ発泡酒だな)
長年の癖か、ふと喫煙席を見てしまうが、はっと首を振る。禁煙中なのだ。電子タバコを銜え、心を落ち着かせるように深呼吸。未成年の為と言いつつ、自身の体調も良い気がするので何としても続けたい所。
「かんぱーい!」
一際大きな音頭。女子会……と思いきや1人男子、東城 夜刀彦(
ja6047)の姿。違和感なく溶け込む姿はやはり複雑そうだが、そこは旧知の仲間同士。例え同性扱いでも、楽しいものは楽しい。会社の女上司に囲まれたと思えば、それよりは余程。
「学園に来て、皆と、頻繁に会えるように、なった」
如月 優(
ja7990)がぽつり。乏しい表情にも仄かに嬉しそうな色が滲む。逢えなかった過去を思い返し、しみじみ喜びを噛み締める。
「こうして学園で集まれるようになって、何よりですわ」
と、エミーリア・ヴァルツァー(
ja6869)も笑う。周囲の仲間たちも一様に頷いた。
ぷはぁと一息、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)がビールの小ジョッキを置き。アイリ・エルヴァスティ(
ja8206)も同時にグラスを置いた。飲み比べではないが、呑める者同士僅かに競い合う気持ちを捨てきれないのだ。
「お酒も美味しい。ジーナも次はカクテルにしたら? ここ、値段の割に上手よ」
「そう? それならお願いしてみようかしら。私はうるさいわよ?」
「ふふ、ジーナったら怖い事言って店員さんを困らせたらダメよ? ……あ、グラタン美味しい」
「……うむ。ここの料理なかなか……侮れん」
アイリの言葉に、アストリット・シュリング(
ja7718)も賛同した。
「確かに。特にマリネの美味い店は貴重だしな!」
幸せそうな顔のアレクシア・フランツィスカ(
ja7716)。ほぅ、と満足げに吐息を零し。料理のアピールを積極的にと外側の席に座ったが、演技の必要がない美味しい料理にご機嫌だ。油でギトギトの店も少なくない仲、リストランテ並の料理でこの値段は、たとえ酒を飲まなくても、手頃感がある。
「こだわりなだけあって、このペペロンチーノ、味の調和が素晴らしい……」
しげしげ見つめれば、同時にジーナがマルゲリータを口に運び。
「あらやだ石釜も本格的! ピザおかわりっ!」
「メニュー……最後に、ジェラートが、ある」
静かにテンションを上げる優と、大きく表情を綻ばせるエミリ。
「ジェラート! 楽しみですわ〜」
「ねぇ、明日もまた来ない? お値段も手頃だし」
「この味でこの値段ならお得ですね。今日来れなかった皆も誘ってまた来ましょう」
アイリと顔を見合わせ、頷くのはファリス・メイヤー(
ja8033)。
「お酒も美味しいようですが、ノンアルコールも充実しているのは有り難いことです」
と、微かに唇の端をあげて、高校生らしい言葉を零すのだった。
そんな中アスがおもむろに呟く。
「ときに我が義妹よ。うちの義弟が男に取られたと噂で聞いたのだが、真実や如何に?」
居合わせた仲間全員の視線が、アスへ、そして夜刀彦へ、最後にもう一度アスへ。長らく姉のように振舞ってきた彼女らにとって、その疑惑は聞き流せるものではない。
「彦の薄い本とな!?」
咳き込む夜刀彦を無視し、ガタッとシア。待って何か違う。何か。
「き、聞き捨てなりませんわ! お教えなさい、詳しく!」
ガタガタ立ち上がるエミリも、詳細は知らないのか動揺している。しかし一番狼狽えていたのは夜刀彦本人だ。いや、そもそも同性とそんな仲になった覚えなど……。
「どういうことなの……!」
「噂だよ」
「いつの間にか、立派な、男の娘に、なって、いた……らしいし、な」
涙目で誤解を解こうと躍起になる夜刀彦を差し置き、ねー、と顔を見合わせ頷き合うアスと優。
「……殿方でしたら、まぁ、別腹かしら」
ぼそりと呟くエミリ。
「義姉さんまで、どさくさに紛れて何、別腹って何!?」
「……あなたも男の娘やめて、女の子に戻ったらいいと思う」
「さ、最初から男だよ!」
「え? そうだったかな」
「……男らしさが欲しい」
「いや、おまえはそのままで……勿体ない」
「シアまで……っ」
嗚呼、お姉さま達の愛が痛い。皆に弄ばれ打ちひしがれる夜刀彦を見、アイリが最後に笑いながら一言。
「仕方ないわよね、うちの子達は皆可愛いから」
お母さん、それトドメです。
「お、このピザ本格的だぜ。生ハムとチーズって相性いいよな」
「確かにこれは美味しい。具材はともかく、この生地どうやって作ってるんでしょうね」
「厨房で聞いてみるか?」
「あぁ、それが良いか。ちょっと聞いてきます」
と、話の流れで席を立つイアン。店内をうろついていると桐江の姿を見つけ、聞いたほうが早いな、と、声をかけ――ようとしたが。
「桐江さんっ! 初めまして〜高等部の六道 鈴音(
ja4192)です!」
どうやら今日は彼女、友達に「代わりに行って来て」と頼まれたようだが。
「今日はタダでお祭り騒ぎ出来るって、彼から聞いて楽しみにしてたんですよー……あ、良かったらお酒注ぎます?」
「え、でも」
「発泡酒でもグラスで飲んだ方がおいしいですって! ぐいーっとやっちゃいましょう、ぐいーっと!」
「ん、じゃあお言葉に甘えて……」
心無しか緩んだ桐江の顔と、部活仲間の顔を交互に見つめイアンは思う。知った顔同士が仲良くなるのは悪い事じゃない。ない、が。
鎮まれ。自分は何も、何も見なかった。それでいいじゃないか!
(……さて、風紀の乱れを正しに行こうか)
嗚呼、そして矛先は別の方向へ。
陽気な雰囲気に反し、龍崎海(
ja0565)の心中は穏やかではなく……というのも、隣に座る飯島 カイリ(
ja3746)の存在が気になるのだ。
(意識してなかったけれど……これってもしかしてデート?)
「かいにぃ、こっちも美味しいよ」
無邪気な笑顔のままカクテルを勧めるカイリ。撥水ポンチョを羽織った愛らしい外見はどう見ても10代前半だが、彼女は歴とした成人女性だ。証拠に、入口で学生証を確認した店員も面食らっていた。ともあれ久遠ヶ原の学生には稀によくある事。店側も素直に酒類の提供を承諾した。
「ほみゅ。お酒飲むの久し振りだなぁ……」
一向に酔う気配なく、いつもの調子で笑う彼女のペースに乗せられる。くすっと笑い声を零して、海は傍らの小さな頭を撫でた。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
力及ばず犠牲者が出てしまった、先日の一件が心に引っかかっていた。けれど彼女を見ていると、後悔ばかりではいけないと思い知らされる。
今日は気分がいい。程よく酔いが廻っているせいだろうか。カイリに勧められたカクテルを少しだけ貰う。グラスを傾けて、一言、甘いなと呟いた。
(……かいにぃ、間接キスだって言ったら恥ずかしがるかな?)
醒めて慌てる彼の姿を想像したら少し楽しくなった、実はほとんど素面のカイリだった。
「まずはビー……あぁ、発泡酒か」
飲み放題のメニューを眺め、桝本 侑吾(
ja8758)は少し残念そう。蒸し暑い日には喉越しの良いビールが欠かせないと思う、が、無いものは仕方ない。タダ酒だし贅沢は言わないことにしよう。
とりあえず生もとい発泡酒。オーダーを済ませ、前菜に箸を伸ばしながらふと空を見る。雲が黒い。傘は持ってきているが、間が悪いものだな。苦笑が漏れ、思わず隣に座る男に声をかけていた。
「タダだし食事が結構いけるから、まぁいいけど。天気が残念ですね」
「……ですね、一雨降るなこれは」
ぼんやりと空を見上げる長髪の男――神埼 煉(
ja8082)も、多分に湿気を孕んだ空気に、雨の匂いを感じていた。
「降り始める前に景気づけの一杯、行っときます? もう何か頼みました?」
タイミング良く届いたグラスを手に侑吾が言えば、煉は少しはにかんだ表情を見せ。
「実は、お酒飲んだことないんで、どれが良いのか……」
「へぇ? そうだなぁ、暑い季節はやっぱコレだろう」
と、自分のグラスを差し出す。煉の方も興味深げに見つめた後、一口流し込んではみるが。
「……苦」
思わずしかめ面になり、2人、顔を見合わせ苦笑した。
「度数は低いんだけどね。苦さが駄目ならカクテル……、この辺りかな」
メニューを見ながら好きな果物を訊ねたりして、大体の当たりをつける。
「甘いけど、アルコールはきついから気をつけて」
「なるほど。飲みやすいが、飲まれやすい……と」
「そんな感じ。最初はちびちび始めた方がいい」
周囲の喧騒さえ心地いい。殆ど初対面でも打ち解けられる気やすさは、酒席だからこそか。実は底なしの大食い、全く酔わないという共通点に、本人達が気づくのはあと一時間ほど後のこと。
「し、失礼しました」
やっぱりな。久遠 仁刀(
ja2464)の心境は正しくそれだった。今日はもう三回目。毎度のことではあるが、この身長のせいで後何回、身分証の提示を求められるか。いっそ首からぶら下げておいた方が……と考えて、頭を抱える。何だそれ、幾ら何でも間抜けすぎるだろう。
「ジントニックお待たせしました」
なんだかんだで数杯目に突入。飲んでる場合じゃないこの時勢、人助けの一つと思って渋々参加したのにこの扱い。そらヤケ酒もしたくなるというもの。グラスを受け取り一気に呷ろうとした瞬間、けれど不意に鋭い声が飛んできた。
「未成年の飲酒は風紀委員会が許しませんよっ!」
お察しの通り、見回り中のイアンだ。
「だから、これでも成人だっつうの……!」
カッとなって振り向きつつ立ち上がる仁刀。この時、彼は忘れていた。自分がさほど強くないという事、そして今日はいつもよりハイペースで呑んでいた事を。
ぐら、ばたーん。
「……ちょ、え? き、桐江さーーーん!」
突然倒れた仁刀。流石にこれにはイアンも動転。ヘルプ、幹事ヘルプー!
徳利から猪口へ、手酌で一杯。口をつけようとしていた強羅 龍仁(
ja8161)の元へ、駆け寄る男が1人。
「強羅さん、お隣失礼いたしますよ〜」
取り皿に料理を山ほど盛り付けた、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)だ。
「ん? カーディスか。構わんぞ」
一見強面の龍仁だが、今日は酒宴という事もあって表情が緩い。カーディスの方も、タダで目一杯食事できるからか楽しそう。
「しかし……そんなに食べられるか?」
どすんと皿を置き一心不乱に食べ始めた知人には、龍仁も少々呆れ気味。そんな彼に気づく事なく、美味しい料理に気を良くしたカーディス、今度は薀蓄を語り始める。
「知ってますか? アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ。イタリア語でニンニク、オリーブ油、唐辛子を意味するんです」
これらを用いるパスタ全般を日本でペペロンチーノと称す、等といつになく得意げに語るカーディス。場の雰囲気に呑まれて気が大きくなっているのか。ゆっくり呑みたい龍仁は、まるで手の掛かる子供を相手にするように、こめかみを押さえため息を吐く。
「……知ってる」
カーディス涙目。
「強羅さん酷いですっ、こうなったらやけ食い!」
「こら、がっつくな喉詰まるぞ!?」
「らひひょー……もごっ」
「だから言っただろ! 今、水を……」
慌て手近にあるグラスを――駄目だ、届かない!
「か、カーディスーー!」
嗚呼、言わんこっちゃない。
「兄ちゃん、何してんだ……?」
てんやわんやのカーディス達を遠巻きに見ながら呟いたのは、弟のcicero・catfield(
ja6953)。偶然一緒に来ることになったのだが、今日は大勢でのパーティ。向こうにも連れがいるようだし、必ずしも兄と一緒でなくても、と思ってはいたが。
「帰ったら聞いてみよう。それより今は楽しむぞ〜、日本のパーティ!」
コーラを飲みながら、知人がいないかと周囲の様子を伺う事にしたようだ。暫くそのままうろついていると、年上の青年に声をかけられた。
「ciceroさん」
微笑む男は大学部の八辻 鴉坤(
ja7362)。直接の交友こそないが、兄の知人であることは知っていたシセロ、ぺこりと頭を下げる。
「向こうで九十九(
ja1149)さんが演奏を始めるようだから、良かったら一緒に楽しもう?」
「あはは、本当ですか〜? それじゃお言葉に甘えて」
手に取ったピッツァへ、持参したマイタバスコをブチ撒けつつ笑う。尚、辛いだろ、とか飲んでたのコーラ……という天の声のツッコミは当然ながら届かないのだぞ。
「さて、そろそろ頃合かねぃ」
立ち上がるのは、二胡を手にした九十九。どうやら即興の演奏会を始めるらしい。
「腕ならしって訳じゃないけど、この曲だけは独奏させて欲しいさね。草原を走る馬の姿を描いた二胡の名曲。速弾きと手弾きの妙技で盛り上げてみせるのさぁねぃ」
「――It's So Cool!」
ピュウ、と指笛を鳴らす鴉坤。疾走感のある旋律に、思わず体が動き出す者も。こちらはこちらでギターを持ち込んでいた仁科 皓一郎(
ja8777)も、思わず耳を傾け。
(へぇ、二胡持ってるヤツがいるのか……面白れぇ、セッションでも願い出てみるかね)
今日は湿気があるからと、弦の張りを調節しながら口元を綻ばせる。
「セッション? うちは大歓迎さね、何を弾こう?」
「好きに演ってくれればイイぜ。勝手についてくからよ。……あ、リクエストは今のうちだぜ」
と呼びかければ、方々から声があがり。
「サルサは出来るかしら?」
ジーナの声に、皓一郎も上機嫌で応える。
「出来は保証できねぇが、やるだけなら演れる。後はカバーしてくれ」
「ええ、踊りは任せてちょうだい♪」
即興とはいえ、なかなか想像以上の盛り上がりが期待できそうだ。店内を見回す店長も、ようやく安堵の表情を見せ始めていた。
「バナナオレで……バナナオレに、乾杯」
厨房に特攻し略奪げふん確保したそれを手に、ユウ(
ja0591)が呟く。彼女のバナオレ執着を知る仲間達は、苦笑したり微笑を浮かべたり様々な反応だが。まぁ、とにかく乾杯。
「ユウさん、良かったですね」
Rehni Nam(
ja5283)が笑顔で声をかけると、ユウはグラタンをもふもふ頬張りつつ頷いた。
「レフニーも、バナナオレの魅力に気づくといい」
「ユウは本当バナナオレ一筋ね。ピッツァやパスタも最高だから一口どうぞ?」
くすくす笑いながら、マルゲリータを差し出す珠真 緑(
ja2428)の姿もある。
「ミドリ……それ、バナナオレに合う?」
首を傾げるユウに、緑は満面の笑みを返した。
「勿論! イタリアーナの私を信用してよ。ワイン駄目なのは残念だけど、それを差し引いても……うん、ヴォーノ!」
はむはむと焼きたてピッツァを頬張りながら、緑は人差し指で頬をぷにっと押してみせた。
「天に轟け、地に響け! 私はレフリー、レフリー・ニャム!」
なんだか呂律の回っていない子もいるが、一応お酒は呑んでいないのでそこん所、宜しく。飲み会によくある空気酔いというやつか。或いはまたたび。って猫じゃねえよ。
「――おふたりとも、ヴィルしゃんの演奏が始まりましゅ!」
へべれけレフニーが緑とユウの肩を叩く。指さす先には、ヴァイオリンを手に一礼するヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)がいた。
「やっぱり、お姉しゃまへの演奏でしょか」
「……ん、間違いない」
「まあ、アイゼンシュタインだしね」
彼女たちにそう言わしめるヴィーヴィル。その胸中は――やはり、大方の想像通り。
(お姉さま、どこかで私の演奏を聴いて)
今日、この場に彼女は居ないけれど……きっと、想いは届く。そう信じてヴィーヴィルは演奏をはじめた。
初めはヴァイオリンソロ。やがて手拍子にギター、他の音色も混じり始め。その音楽はプロのものとは違う。けれど気持ちの篭った演奏が、聴く者の心をゆさぶるのは確か。奏でられる陽気なワルツやポルカに、飲酒NGにちょっぴり落ち込んでいた緑とレフニーの心も上向きはじめる。
「〜♪」
「カンツォーネ! いいわね、楽しくなってきた♪」
鼻歌を歌い始めるレフニー。歌いだす緑。陽気な音楽に合わせて、彼女達も心から、この宴を楽しんでいるように見えた。
「もりもりもりがーる♪ もりもり食べてもりもり紹介〜」
謎の呪文を唱えているのは、新聞部所属の下妻ユーカリ(
ja0593)。
「おすすめポイントはー、お手頃価格で本格イタリアンが楽しめる所!」
どうやら手にしたスマフォで、料理の写真を撮影しているようだ。独り言を呟きつつ軽快なタッチで文章を入力している。
「あつあつマルゲリータもたまらない、お口の中でトマトとモッツァレラのリソルジメント! 舌の上でイタリア王国が生まれちゃうよ! ……っと」
目を輝かせて一体何を言っているかと思えば、どうやら彼女が考えた紹介文のようだ。部活で制作している電子版新聞へ、新情報を書き込んでいる。
「……あ、ユーカリさんも取材? 丁度良かった、こっち向いて!」
偶然近くを通りがかった市川 聡美(
ja0304)が、ジェラードに手を伸ばしたユーカリへ声を掛ける。冷たい癒しに至福の表情を浮かべる少女をファインダーに収めると、聡美はにやっと笑いVサイン。デジタルカメラで撮ったばかりの写真を確認しながら、得意げに胸を張ってみせた。
「我ながら良い写真! お酒飲んで盛り上がってる人達の写真も一杯撮れたし、次は何撮ろうかな?」
ついでに撮ってきた幾枚もの写真を眺め、ネタにできそうな枚数を数えて。豪快にビールを流し込む男共。甘いお酒で乾杯する淑女達。バナナオレで乾杯する謎の集団。その他色々。
「やっぱり向こうも撮ってこよ。あたし達みたいな普通の学生を撮るのも面白いハズっ」
卓上に並んだミルクジェラードの器を一つ、手にとって聡美は駆け出した。
「うん、やっぱ牛乳最高!」
たとえお酒が飲めなくても、開放的な屋外での食事が楽しくない訳なんてない。料理が美味なら尚更だ。語り合う仲間がいれば殊更。伝わるか。いや、伝える。それが報道者の矜持だ。
前向きに頑張る彼女達の背後で、何やら蠢く不穏な影。その正体は、空の一升瓶を大事そうに抱えた久我 常久(
ja7273)だった。
「ケチなこと言わずに樽で持ってきてくれりゃいいのによ〜。多い分には誰も困らねえのに、な」
未成年も多いが、桁違いの酒豪も幾人か集まっている。それくらいの量ならすぐに胃袋へ消えるはず……、だが。
(ポン酒追加はよ〜、もう少し呑まないと酔ったフリして若い子に介抱してもらう作戦が発動できないぞ!)
そんな知人の思惑、きっと思い至る余地もないのだろう。純粋無垢な笑みのまま、ユーカリが遠慮なしに常久へ体当たり。
「久我のおじさん発見、どーん!」
(ヨッシャァわしの時代到来ィイィィ!)
内心の歓喜はひた隠しに、表面上は紳士、と己に言い聞かせながら常久が発した第一声、それは。
「ユーカリちゃん、そのあざとさ何処で修行してきたん?」
天然ゆるふわJKに何てこと聞いてんだエロオヤジ。
「えへへ、ピッツァはやっぱりマルゲリータが好きなんだね!」
びろーん。チーズをこれでもかという程伸ばし至福の表情を浮かべる真野 縁(
ja3294)。その小さな身体のどこにそんなに入るのか? 思わず問いたくなる勢いで料理を吸い込んでいく。なんだか人体の神秘を目の当たりにした気分。
「うに。濃厚なチーズとトマト、フレッシュなバジル! もちっかりっ生地うまー! なんだよー」
時折、手近なジュースを飲みつつ食べ進め。
「デザートにも期待、なんだよ♪」
同じテーブルの蒼波セツナ(
ja1159)も、優雅な仕草で食事中。グラスに注がれた赤ワイン――と見せかけた葡萄ジュースの芳醇な香りを楽しみながら。
「ふふ、たまにはこういうのも悪くないわね」
ピッツァを食べ終え紙ナプキンで口元を拭いつつ、料理評論家のように細やかなコメントをしてみたり。
「本格的な生地だわ。焼きたてで運ばれてくるのはポイント高いわね。一点、気になったのは具材の乗せ方かしら。味は合格だけれど、料理は見た目も大事よ。プロシュットとチーズがメインなのは分かるのだけれど、青味があるともっと美味しそうに見えるわ。焼き上がりに刻んだパセリを散らしても良かったわね」
「あ、このグラタン美味しいです! コクのあるホワイトソースとチーズの味がマッチして、ジャガイモの甘さを引き立ててます」
更に、楯清十郎(
ja2990)も。次々提供される料理に舌鼓を打っている。
「美味しいお酒には美味しい肴が付き物ですからね」
お酒は飲めないが、代わりにコーラをジョッキでぐびぐび。さながら黒ビールのように流し込む。
「ぷはぁ〜。美味しい料理を肴に飲む一杯、最高ですね!」
もう一度言います、コーラです。
大らかなイタリア民謡は徐々に南へ移動し、太陽の気配を帯び。スペインの伝統音楽、やがてラテンの陽気な雰囲気へと変化していく。
「そろそろかしら。皆、盛り上げるわよ! 行きましょ、彦」
にっこり笑い、ジーナが先陣を切って店の中央へ躍り出る。
「わ、ジーナ! 引っ張らないで!」
腕を引かれて焦る夜刀彦に構わず、彼女はずんずん進んでいく。
「あら、サルサ? 行きましょうか!」
「待ってアイリ、私も!」
笑い合いながら。
「……アス、一緒に、踊ろ」
「喜んで! 行こう、優」
皆で、ジーナに続くように席を立ち、踊り始める。
「懐かしい。傭兵時代以来だな!」
「あの頃は皆でよく踊りましたよね」
「む、私達の他にも踊りたそうな顔がちらほらと……よしファリス、声を掛けてみないか」
「ええ」
「ラテン?」
首を傾げつつも陽気さに笑みを零す他生徒達。ジーナを筆頭とした元傭兵仲間達は、彼らに声掛け、腕を引く。
「ええ、ラテンの一種で『サルサ』って言うの。良かったら貴方も一緒に踊らない?」
一方、音楽をスパイスに幸せ一杯の笑顔で語り合う男達の姿も。カルム・カーセス(
ja0429)と癸乃 紫翠(
ja3832)だ。外見はほぼ同年代だが、実は年齢は10以上離れている2人。さて、どちらがアラサーか? 違和感仕事しろ。紫翠マジずるいわー。天の声もたまには年齢確認されてみたい。やはり外見の若さと内面の若さは比例するのだろうか。
ちなみに見知った顔に、先に声を掛けたのはカルムの方。
「お、この前はお疲れさん」
「いえ、こちらこそ」
あんたとは一度呑みたいと思ってた、と言う男に、隣席を勧める紫翠。ならばとカルムも遠慮なく腰を下ろす。
「最近あいつとはどうだ?」
前菜を肴に盃を傾けつつ、彼らが語り合うのは、やはりお互いの彼女の話。
「いつも通りですよ。お互い苦労しますね。あの方も、落ち着いて見えて、そそっかしい感じでしたし」
「……まぁ、そこが良いといえば良いんだが」
彼らは酔ってはいない。酔っているとしたら、恋人に、だ。つまり惚気だ。恋の病に罹患した彼らには、彼女達は強めのジントニックより余程パンチのある存在であるからして。
「あいつは良い女になるぜ、俺が保証する」
勿論一番は、俺のだが――なんて言葉は飲み込んだ。それは寧ろ、大切な時に本人に言ってやるべき言葉のはず。
「もう少しドジが減ってくれると安心ではありますが……でもまあ、あれはあれで可愛いかな」
「しっかり捕まえて離さねえようにな。俺の大事な友人泣かしやがったらはっ倒すぜ」
「あぁ、そこは御心配なく」
高温多湿にも負けない熱さを胸に、笑顔で意気投合し再び乾杯する2人であった。
「つまみって何でこんなにうまいの……」
真顔でピッツァから生ハムを剥がしつつ、月子(
ja2648)が呟いた。イタリアンに恨みがある訳ではないが、親父くさいつまみにこそ浪漫を感じる系。
「折角タダだし普段できない食べ方するよねー」
追加でこっそり枝豆を頼み、大量に剥き、プロシュットで包んで生ハム巾着を作ってみたり。逆に残ったピザ生地の方に、剥き枝豆を物凄い勢いで並べてみたり。次々に生み出される月子プレゼンツ・謎の創作料理の数々。カオス。
「枝豆飽きた! 軟骨! 鶏軟骨をもてーい!」
「すみませんお客様それは当店には」
「えっ」
「いつから此処がオッサン向け居酒屋だと錯覚していた?」
「なん……だと……」
残念、オサレなバーでした!
新田原 護(
ja0410)も1人、静かに食事を楽しんでいた。
「ふふ、依頼は成功。後は恋人同士の問題だからな。我々は生暖かく見守るとしよう」
どうやら以前関わった一件がうまく纏まったらしく、上機嫌な様子で料理をつついている。
「もう少しパンチの利いた味があると面白いんだがな。辛い……例えばハバネロ風味のような」
あの店に行かなければ、と客に思わせる料理を提供すればいいのだ。そう、店長に提案してみようと考えながら、音楽に耳を傾けていた。
「え、じゃあ桐江さん傘持ってこなかったんですか!?」
「うん、まあ……」
「濡れちゃいますよ? あ、降ってきたら入れてあげますね」
嫉妬仮面がいなくて命拾いしたな桐江。
「さぁ……いろんな意味で盛り上がって参りました!」
と、分かっていて彼らを茶化すのは佐藤 としお(
ja2489)。ちなみにこの机の料理には、彼が持参した傘が立てかけられている。先ほどから雲行きが怪しいのだ。急に一雨きて、料理が台無しになったら勿体無い。
自分は濡れてもいい――いや、寧ろイベント気分で喜ぶだろう。アルコールの力を借りずとも、沢山の仲間と同じ時間を楽しめればいいのだ。雨だって、きっとそのスパイスになってくれる。としおはそう信じていた。
「悪い、ちょっち休憩〜。六道ちゃん、桐江さん宜しくなー代わりにパスタおにーさんの分も食べていいから」
「喜んで! いってらっしゃいー」
ひらひらと手を振りつつ、鈴音達から離れる清世。向かう先は、店の奥にある喫煙席。騒ぐのも良いけど、落ち着いた時間も欲しい。そんな風に思うのは、少し大人側に傾きかけている証拠だろうか。
「……と」
はたと足を止める。空を仰ぐ。今、鼻先に感じた冷たいものは。
「マジで雨、か」
感づけば、雨足は徐々に強くなり始め。
「……こんなこともあろうかと」
と、ヒヒイロカネから傘を取り出すユウ。
「私も! 絶対降るって占いのおばちゃんが」
「あっ、私のも使って下さい!」
と、レフニーや緑も傘を差し出す。
恥ずかしいとかそんな事より、雨に濡れて風邪をひくことや、折角の料理が台無しになることのほうが悲しい。ついつい自分より、他人や料理の心配をしてしまうようだ。小さな体に似合わぬほど目一杯、食事を楽しんでいたヴィーヴィルも、彼女達の好意に甘えるように傘に頭を入れ。
「お姉さまは傘を持っているかしら……」
同じ空の下。愛しいあの人が寒さに震えていないだろうかと、気を揉んでみる。
「おっと、ライさん」
「寮長!」
いつもの表情を崩さず近づいてきた神楽へ、滅炎 雷(
ja4615)が頭を下げる。
「傘、足りてますか?」
「はい。寮を出るときに、一杯持って出かける寮長を見かけたので」
半分くらい、そのお陰ですね、と笑う雷。
(ナムさんも持っていましたし、後はお持ちじゃない方にお貸ししましょう)
踵を返そうとする神楽に、雷がふと、思い出したように声を掛けた。
「石田さん、料理は?」
「ああ、頂きましたよ」
「とっても美味しいですよね! 今度、寮の皆で夕ごはん食べに来るのも楽しいかなって……思いました」
にこっと笑みを浮かべる後輩の姿に、神楽も更に笑みを深くして。
「そうですね、考えておきましょう」
情けは人の為ならず。商店街の活性化が、巡り巡って、自分の店へ賑わいをもたらすかもしれない。打算半分、純粋な楽しみ半分。けれど引き受けたからには全力で臨むのが礼儀というもの。久遠 栄(
ja2400)の思惑は、大雑把に言えばそんな感じ。
「皆落ち着いて! 冷静かつ迅速に、料理を死守するんだ!」
ここ数日不安定な天気だったから、大なり小なり雨は降ると踏み、予め色々準備していたのだ。声を張り上げながら取り出すのは、持ち込んだ複数のビニール傘。ばさっと開けば、其処には手書き文字で『雨の日ビアガーデン開催中!』と、陽気な文言。
「これを使って傘を組み立てるんだ! そう、簡易テントみたいな感じにっ!」
「わーい! 天然のシャワーだ♪」
会場内を駆け回るとしおを目で追いながら、張り付いて気持ち悪い、と着てきたシャツを脱ぎ捨てる栄。さながら試合後のサッカー選手だ。
たった数分で全身びしょびしょになる程の激しい雨。それでも、それさえも、楽しいと思ったもん勝ちだと言わんばかりに。
「ははっ、びしょ濡れで踊るのも良いね!」
「……うん。Singin' in the Rain、だね」
音楽に耳を傾けながら、フードを被った鴉坤が笑う。
「ふふふ、暑かったから丁度いいわねぇ」
料理の乗ったテーブルへ色とりどりのビニール傘を設置していた夜刀彦とアイリも、びしょ濡れだが笑顔で。誰もが知っているあのメロディに乗せて、踊り続ける人々を優しい眼差しで見守る。
「け、けしからん! 彦いいぞもっとやr」
びしょ濡れ男の娘を目の前に、興奮に身悶えるシアの姿もあった。待て落ち着け!
「彦……っ、早くタオルを!」
バスタオルを借り、わたわたと駆け寄ってくるエミリ。だがこちらも、心配しているにしては目が輝いているのは気のせいか?
というか夜刀彦に群がるお姉さま方、先に自分の身体をどうにかしてください。けしからんなぁ。実にけしからん。ほら、男性陣が鼻の下伸ばして、貴女達の透けた下着やら谷間やら、ガン見してますよ!
「しなにぃ達、なんで傘差さないの?」
無邪気にカイリが訊ねると、鴉坤と皓一郎は寸時顔を見合わせてから破顔した。
「持ってはいるが、差すの面倒なんだよ」
「Yes,雨に濡れるのも楽しいよ」
「……丁度キリもいい、演奏は他の奴に任せて休憩するか。自信ある奴集めて飲み比べも悪くねぇな」
「Booyah!」
(無粋な雨……まぁ、濡れても寒くないから良いわよね)
突然の豪雨にも動じず、黙々とメロンジェラートを口に運ぶLamia Sis(
ja4090)。酒や歌に夢中でデザートに気づかない人が多そうな席へ移動、取り残されたジェラートを片端から食べて。
「このまま置いておいても溶けるだけだものね? 頂きまーす」
食べられなくなる位なら、まぁ。否でも、周辺に居合わせた男達だって、アイス食べたいかも……
(黒か)
(Gカップ……いやもっと?)
(俺、そのメロンよりこのメロンが食べたいです……)
すまん、それどころの話じゃなかったな。
そんなこんなで異性の視線を集めるラミアへ、テンション高く抱きつく後輩がいた。
「いぇえい! お姉さん濡れてるーーー!?」
藤咲千尋(
ja8564)。此方も傘を持っていないのかびしょ濡れで、Tシャツの下に薄いドット柄が透けている。
「お姉さんはビアガーデン来たことある? 私は初めてだけど、空気に酔ったのかな、超楽しくなっちゃったー!」
濡れながらカラカラ笑う少女に、ラミアも苦笑しつつ。
「あ、ジェラートいいな私も食べたい、あーん、あーん!」
「……仕方ないわねぇ」
嗚呼、犯罪の香り。
ラミアから離れても千尋の爆進は止まらなかった。
「和梨くん発見! 傘持ってきたんだー偉いっ! あ、一緒にあっち行こうよ、あっち!」
彼女の次の標的となったのは、先輩達に混ざって談笑していた十笛和梨(
ja9070)だ。突然湧いて出た機関銃のような後輩に、一瞬面食らう和梨。しかし元々賑やかな事が好きな彼は、すぐに考えを改め。
「いいよ、行こう。ちょっと面白そうだしね」
演奏を聞きながら落ち着いて話をするのも悪くないけれど、きっと彼女についていった方が面白い。
「どこ行くの?」
「セツナちゃんと縁ちゃんを探す! 一緒に海かプール行く約束するの!」
そう言って笑う千尋は、けれど既にプールに飛び込んだような全身ずぶ濡れ状態だ。水も滴る未成年。思わず口をついて出た言葉は。
「そんなに濡れたいなら、いつでも水掛けてあげるけど……」
あれ、こんな所にどえすが。
「やっべ、雨降ってきちった☆」
テヘペロコツンな丁嵐 桜(
ja6549)だが、彼女の目的はとにかく食べる事であるからして。
「でも関係ないです。食べます、食べなきゃ強くなれないんです……っ!」
雨ニモマケズ風ニモマケズ、サウイフモノニワタシハナリタイ。ちゃんこが無ければピザを食べればいいじゃない! とばかりに、黙々と食べ続ける桜。
「……うっ」
おっと待て、様子がおかしいぞ。桜の異変に、隣のテーブルで静かにフレッシュジュースを飲んでいた東雲 桃華(
ja0319)が気づき。
「ちょ……貴女、一体どうしたの?」
吐き気を堪え顔を真っ赤にする桜。なんとか波をやり過ごすが、変な汗が……。心配そうに覗き込んでくる桃華に、ただ「大丈夫です」としか言葉を返せない。
(可愛い先輩だっ……どうしよう、た、食べ過ぎなんて言えない〜)
内心で大混乱。
「顔が赤いわ。具合が悪いの? 熱は? 傘、忘れてしまったのなら私のを貸してあげましょうか?」
「だ、大丈夫です! 向こうに知り合いがいたので借りてきます!」
居た堪れなくなったのか。がたっと立ち上がり物凄い勢いのまま走り去る桜。その後ろ姿を見送りながら、桃華は少し面食らったような表情。けれどすぐに。ぷっと吹き出し、笑い始めた。
「……変な子」
勿論、いい意味で。
宴もたけなわ。
礼野 智美(
ja3600)は満足げな表情で帰路につく。きっちり雨具を準備してきたお陰でさほど濡れずに済んだし、懸念だった飲み物も。
「甘くないソフトドリンクは烏龍茶しかない店も多いけど、ここは種類があって嬉しいな……また来よう」
ノンシュガーの紅茶や緑茶もあったし、値段も良心的だった。料理の写真はしっかり撮ってあるから、これを見せて一緒に行こうと説得してみよう。そして今度は、家族や友達と一緒に時間を過ごせるといい。自然、智美の表情にも笑みが零れた。
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一夜明け、出勤してきた店長へおもむろに声を掛ける男がいた。
「店長、お疲れ様でした」
宴会の間ずっと、会場を歩き回り内情調査をしていた和菓子(
ja1142)だ。
「使い捨てカメラで申し訳ありませんが、昨晩の様子を写真に収めておきました。
後、余計なお世話かと悩んだ所ではありますが……同業他店の調査をしてきたので、こちらデータです」
「! ありがとう、少しだけどアルバイト代を……」
「お気持ちだけで十分です。僕も楽しませて頂きましたので、そのお礼とでも。よろしければお使いください」
昨晩の繁盛、彼を始めとする皆のささやかな思いやり。それらが重なり、人々の胸に届いたのだろうか。
翌週には、賑わいの戻り始めた店の姿が見られたという。