●山の状況
「遠い所をよく来てくれたな。さ、入った入った」
「お邪魔しまーす」
杜七五三太(
ja0107)を先頭に八人が入っても家の中は十分な広さがある日本家屋で、囲炉裏を囲んで軽く自己紹介を挟み、現状についての確認を始めた。
「それにしても姿を見たわけじゃないのに天魔ってよくわかりましたね。近くにゲートでもあるのですか?」
龍崎海(
ja0565)の質問はいささか早急だったようで、男は首を傾げた。
「いやいや、そんな難しいことはわからんよ。ただ猟銃も効かないし、唐突に足跡も消えるし、幽霊熊なんて言われてるくらいで」
「ユーレイ熊?」
意外とでも言うように礼野 智美(
ja3600)が首を傾げ、
「どういうことか説明して下さい」
秋月 玄太郎(
ja3789)が改めて問い直した。
「まあ、説明するより見るのが一番手っ取り早いだろうな」
そう言って手渡された写真には、荒々しく木に爪を立てた痕や、細い木を蹴散らすように根ごと倒されている場面が写っていた。
「この写真はあなたが撮ったんですか?」
鬼島 桜(
ja0777)が尋ねると、
「おらも撮ったけど、まあ、猟友会みんなで、だな」
「まさか今も見回りを?」
セシル・ジャンティ(
ja3229)が危険だと示唆すると、幸いにも男は首を横に振った。
「あんたらが来るまで待ってみようっていう話でな」
「それがよろしいかと。天魔の横暴な振る舞いを見過ごす訳にはいきませんから」
「ちょっと場所開けてくれるか? 地図を広げるでな」
そして広げられた地図には赤インクで丸と上向き・下向き三角の三種類のマークが数多く記されていた。丸は大物、三角はそれよりかは小さい個体を示しているという。
「おらたちの経験からすると、小さいのは体長1メートル前後、大きい方は3メートル近いかな」
「さんめーとる!?」
地図を覗き込んでいた何名かがすっとんきょうな声を上げる。
「この地図、お借りしても?」
龍崎の言葉に持ち主が快く応じたので、いくつか注文をつけてさらに山の詳細を書き込んでもらうことにした。携帯の電波が通じないので無線を貸してくれないかと頼むと、あっさり人数分を用意してくれた。
「一番出現率が高そうなのがココ。湧き水が出てて、4〜5メートル開けてるらしい」
龍崎の言葉に笹鳴 十一(
ja0101)が頷き、
「やっぱそこが一番戦い易そうだよな。集中して煙草の臭いを撒くとして、だ。桜とセシルはここを挟むように待ち伏せってことでどうだ?」
考えていることはほぼ同じだろうと提案をすると、木の上からの狙撃を考えていた二人は頷いた。
「いいだろう 」
「構いませんわ。水の側なら山火事も防げるでしょうし」
「複数いるらしいから、一体にあまり時間をかけすぎるわけにもいかない。 無理しない範囲で可及的速やかに片付けようじゃないか」
続いて秋月が軽く手を挙げて名乗りです。
「俺は木の上を移動して捜索しよう。この面子では俺が一番早く動けるはずだからな」
ぶっきらぼうな言い方だったが、素早く動けるのはかなり頼もしい。
「よし。じゃあ残りの面子は、近くの縄張りの痕を荒らしつつおびき出す感じだな!」
「水場が近いってことはタヌキの生息地も近いと思う。相当臭いをまき散らさないと。あと、陽が落ちきる前に一旦下山しよう。山の生き物は大概夜になると活動し出すことが多いし、タヌキも夜行性だったと思う」
社と礼野の言葉に全員で打ち合わせが終わりという意味で頷きを示し、
「オーケー。まずは山登りといきますか!」
熊狩りは開始された。
立ち上がる仲間を見ながら、
(山でタヌキを巻き込まねぇように……か、ちょっとばかり特殊だよねぇ)
笹鳴 十一はそんなことを考えていた。
●熊狩り
「なるほど、これなら全員で動いても大丈夫そうだ」
鬼島 桜が木登りの際ズレた眼鏡を直しながら、教えてもらった『開けた場所』を見下ろし呟く。
(しかし狸、狸ねぇ。 金運上がるんだっけ狸って? 特定の動物を神の化身や使いとして崇める…ってのは聞いたことがあるけど、違うんだろうね今回のこれは……)
熊の姿をした天魔をおびき寄せるため近くの縄張り痕目指して捜索・誘き寄せ班は歩いていた。
「うう、3メートルの熊かあ……デカいのは予想してたけど、デカすぎじゃね?」
ぶるりと身を震わせた社七五三太に、笹鳴十一は気安く肩を叩いた。
「武者震いか? ま、あんまり緊張すんなって」
「き、緊張なんかしてねーよ!」
蚊取り線香入れの豚の陶器を振り回して誤魔化すが、内心は初依頼とあってかなり緊張していた。
(でも一番年下だからって、怖じ気づいたとか思われたくねーからな)
殿を務める龍崎は周囲に気を配りながら呟く。
「地面も木も阻霊陣は使えるらしいが、使うとしたら地面か……?」
範囲内で途切れる事無く接触しあっている物質へは連続して効果を発揮するから、この場合、地面と木は互いに触れ合っているので、地面に対して阻霊陣を使用しても、木に対して阻霊陣を使用しても、阻霊術の発生点が多少づれるだけで、結果として及ぼす効果はほぼ同じだ。
問題は単純に取り回しとなる。龍崎は地面を選択したようだった。
隣を歩く礼野は全然別のことを考えていた。
「俺の地元じゃ狸は蜜柑の実を引っ張って取るから木が痛むと嫌われもんだけどねえ」
「んー、でも野生のタヌキを心配するとか、そういうのぁ土着っつーかなんつーか、なんかいいと思うぜ」
「土地それぞれってことだな」
「そうそう。依頼主にもタヌキにも、平穏無事な日常を取り戻してやろうぜ」
「おし、負けずにやってやんぜー!」
社が気合いを入れたところへ、セシルから無線で緊迫した声が届けられた。
「一匹、それらしいものが接近中です。小柄な方の個体だと思いますが、皆さんとは反対側からです」
「いきなり回れ右か!」
近接メインの一行は慌てて踵を返した。
敵の見た目は文字通り『熊』だった。
鼻や耳をひくひくさせながら四つ足で歩いてくる。その姿には愛らしさを覚える者もいたが、所詮は獰猛な肉食動物だ。
セシルは慎重に狙いをつけ、開けた場所に入ってきたところでリボルバーの引き金を引いた。見事左目に着弾したが、きゅうんと痛そうな声を上げると頭を抱えるように丸まり、数秒後には左目から血を流しながらも湧き水に向かって歩くのを再開した。普通の熊ではない。
「なかなかタフですわね」
広場の反対側から鬼島も狙撃を開始した。
(……しかし、リボルバーで狙撃することになるとは思わなかったよ。久遠を持たざる者の悲しさか…… )
狙いをしっかり定め、引き金を引く。右目を狙ったつもりだったのだが、偶然なのか意図的なのか急に顔の向きを変えたため耳をかすっただけに終わった。おそらくその原因になったであろう物音を立てながら向かってくる仲間が見えたので、改めて狙いを定め直した。
一番手は礼野 智美だった。
「ぃやあああ!」
かけ声と共に勢いと体重を乗せ、刀で熊の背中を切りつけた。熊もこれはたまらなかったらしく地面に倒れ込む。
「次!」
「おう!」
振り下ろされたのは笹鳴の斧で、それは倒れ込んだ熊の首と胴を二つに切り離した。びくびくと胴が震えているが息絶えるのも時間の問題と思われた。
と、周囲を確認しようとした笹鳴の頬を掠めるように何かが飛んでいった。後ろを振り返ると今倒した熊とほぼ同サイズの熊が背後に歩み寄ってきていた。その目には秋月の苦無が刺さっている。
「うわ、あっぶね」
「でりゃあああ!」
社がトンファーを握りしめ立ち上がった熊の腹に一撃を叩き込むと、踏みとどまった熊が噛みついてこようとするので喉めがけてもう一撃叩き込んだ。
(ちょっと位怪我しても、構わず攻撃して押し切ってやる!)
勇ましい決意の少年をサポートするように、龍崎が持ったスクロールから光が矢のように放たれる。これにはたまらず、ずうん、と二体目の熊も地面に倒れた。
二体目の熊の目に刺さった苦無を回収すると、秋月はまた木の上に上がっていった。
「ふー……これで二体か」
「天魔らは基本的に人に害をなすわけだからなぁ。早めに退治するにこしたことはないだろう」
笹鳴と龍崎はそれぞれ呟くと、斧と槍を大上段に構えて思い切り振り下ろす。胴を真っ二つに引き裂かれた身体は、今度こそ完全に動きを止めた。石を蹴っても跳ね返るのみだ。
「あとは問題のデカい奴だけか。厄介なのが残ったな」
礼野は呟き、
「上からは何か見えねーか!?」
社は木の上に問いかける。周辺を警戒するも、それらしい巨体は見当たらない。
だが、それは唐突に、弾丸のような早さで音もなく山を下ってきた。気付いたセシルがピュイィイイイイと笛を吹くも既に回避が困難な距離まで来ていた。
直撃を避けようと地上の四人は回避を試みるが、巨大熊の狙いの笹鳴は正面から体当たりを食らって広場の外へと放り出され、山の斜面を転げ落ちていった。
しかし声を上げる熊を見れば、右肩にずぶりと笹鳴の斧が刺さっていた。相手の勢いを利用して反撃を行っていたのだ。
「笹鳴!」
「追うな龍崎! 背中を見せるな!」
熊の視点がまだ笹鳴が落ちていった方を向いていたから礼野は叫んだのだが、そこにすとんと秋月が文字通り振ってきた。
「行け。足止めする」
「ああ!」
秋月に背を任せて龍崎は斜面を駆け下りていく。
振り向かずに足音を耳で捉えながら秋月は内心毒づく。
(タヌキの保護のために熊型天魔を倒せ……これは俺達じゃなく地元の猟友会にでも頼んだほうがいいんんじゃないか? まあ猟友会でだめだったから依頼が来たわけだが……)
二本足で立ち上がった巨大熊は斧を地面に放ると、先に倒された小柄な熊を見て怒りとも悲しみとも取れる雄叫びを上げた。全長3メートル、体重は約300キロ。百獣とまでは行かないが山の王者として君臨してもおかしくない存在感と気迫に一同は思わず息を呑んだ。
怯みかけたところへ、
「うりゃああああ!」
敵の背後から跳躍し、一際小柄な少年が熊の頭めがけて振り下ろしたトンファーがどすんと直撃する。くるりと宙で一回転して軽やかに着地した最年少の少年は、熊から視線は逸らさずに叫んだ。
「しっかりしろよ! 俺たち狸のカタキを取りに来たんだぜっ!」
はっと我に返った一同は、
「熊って事は、皮膚は分厚そうだな!」
「一番小さくて餌になりやすそうなんだから、お前が気をつけろよ!」
「小さいって言うな! 俺だって立派な撃退士なんだからな!」
「小さい事実は変わらないな」
「つーか、みんな背高すぎじゃね!? ちくしょー。俺だってあとニ、三年もすればっ!! 」
思い思いのことを叫んで自らを奮い立たせた。自らより圧倒的に大きな相手を敵にすることはこれからもあるだろう。怯んでなどいられない。なまじ敵が熊の姿をしているから驚いてしまっただけだ。
熊は巨体を生かした体当たりを主に繰り出し、時には怒り狂った声を上げてパンチを繰り出してくる。しかし礼野も秋月もどちらかと言えば相手を牽制しながらの戦いを得手としていて、力任せの相手は不得手なのだ。躱しながら少しずつダメージを与えていくことになる。
後方支援組も必死で狙いを定めるのだが、間近に仲間がいるため狙いを定めにくい。目や鼻などの急所を狙うもそういった部分に限って再生が速い。
熊の間近、最前線で社が頑張るもじわりじわり一進一退を続け、陽が傾いてきたことに一同は焦りを覚えてきていた。
あと少しで倒せるという気配はあるのに、決定打を打ち込めない。
その時、
「俺さんを忘れんなあ!」
最初に吹き飛ばされた笹鳴 十一が龍崎海の肩借りて戻ってきた。力強い言葉だが、額からは血が滴り、足下がふらついている。龍崎の回復スクロールで一命を取り留めた満身創痍に思えたのだが、彼は走り出した。
「おっりゃああああああ!」
素手で何をするのかと思えば、熊の巨体にしがみつき行動を抑えにかかったのだ。熊もこれには驚き引きはがしにかかる。乱暴ではあるが熊の動きは確かに止まった。社は反射的に近くの木に跳躍して天高く飛び上がり、熊の頭めがけトンファーごと体当たりをかけた。
「デカイからって見下ろしてんじゃねーっ!!」
トンファーがまるでチェーンソーのように熊を頭から切り裂く手応えと共に地面に転がった社は、笹鳴の腕を離れ地面に倒れる巨大熊を見た。
「へ、へへ……やったぜ!」
同時に笹鳴も地面に倒れ込む。援護組も木を下りて駆け寄ってきた。
「笹鳴さん? 笹鳴さん!」
セシルが助け起こすが反応がない。気絶してしまったようだ。
「なんて無茶を……急いで手当しないと!」
敵を倒した喜びに浸る暇もなく、医学の心得がある龍崎が顔色を変えた。気を失った笹鳴を背負うと、
「俺は急いで下山します。手を貸して下さい」
その言葉に皆素直に頷いたが、
「わたくしは火の元になるものがないか確認しながら戻ります」
とセシルは別行動を示した。
下山の途中、
「制服にも髪にも煙草の匂い染み着いてやがる、服は即クリーニングだな」
余裕を取り戻したのか礼野が呟くと鬼島も苦笑した。
「同感。まあでも、タヌキを巻き込まずに済んで良かったよ」
予想通り肉弾戦が得意な天魔だったが、それはそれで苦労させられたと言える。
「……まったく、今は熊の時期じゃないんだが」
冗談なのか本気なのかわからない秋月の言葉に、
「まぁ自然と共存する人々、いい話じゃないか。我々は報酬も頂けるしね」
やはりどこまでが本心かわからない鬼島が応えた。
(野生動物と人間はお互い見かけたら何もせずが一番だな。山は守れたし、狸も早いところ警戒を解いて棲家に帰れるといいが)
人間相手とは違い、自然や動物には優しい気遣いを見せる秋月であった。
●久遠ヶ原に帰ろう!
翌日には笹鳴も意識を取り戻したが、無茶をするなと苦言を受けたのは言うまでもない。
「お世話になりました」
「いや、世話になったのはこっちだ。気ぃつけて返ってくれ」
行きに使うディメンションサークルという瞬間移動装置の欠点は、帰りは使えないということである。久遠ヶ原まで交通機関を使うと丸1日かかってしまうが、それも致し方ないだろう。
猟友会の仲間が最寄り駅まで送ってくれるという好意に甘え、普段は荷運びようだという大型の自動車に乗らせてもらうことになった。後部座席でぐったりとしている笹鳴を除けば重傷を負った者はいなかったのが不幸中の幸いだろう。
車が発車してすぐ、窓の外を見ていた社七五三太は山に溶けるようにして存在しているタヌキを見た。まるで感謝を言いに見送りに来てくれたかのようだった。