「ずいぶん物騒なジャック・オ・ランタンが出たみたいね」
雀原 麦子(
ja1553)は手持ちの『お菓子』を確認しながら溜息をつく。
カキピー、チータラ、イカクン……完全に大人のおやつ、謂わば酒のツマミである。菓子として認識してもらえるか些か不安ではあるが、急ぎの招集だったから仕方ないと言えば仕方がない。
「まあ、お菓子は私が持ってるから」
隣を行く鴉乃宮 歌音(
ja0427)はポケットの菓子を服の上から軽く叩いた。
二人は応援要請を発した人物のいるであろう場所へと向かっていた。そこから、現時点では得体の知れない標的を辿ろうというのである。相手が菓子を求めているなら餌にできるだろうと考えたのだ。
「それにしても、何か引っかかる」
歌音の呟きに、麦子は同感だと頷いた。
別の場所でアサニエル(
jb5431)も、ふーっと溜息をついていた。
「悪趣味な事この上ないねぇ。悪戯の機微がわかってないよ」
百夜(
jb5409)は疲れたように遠い目をする。
「ああ、冥魔の世界ならこういうの笑って楽しむのがいそう、か。同族ながら面白くない話だこと」
「早めに見つけないとだね」
嘆いてばかりはいられないとユリア(
jb2624)は黒い翼を広げる。鳥の骨のような独特の形状だが、一緒にいる二人は気にも留めない。
天使と悪魔の三人組は上空から標的を探す役割を買って出ていた。自分達に出来る最速手段を選んだのだ。
地元警察には一応連絡を入れてある。空を飛んでいてもそこまで大騒ぎにはならないだろう。
「確認するけど、それぞれ12時と4時と8時の方角に分かれて捜索するよ」
アサニエルの言葉に二人は頷きながら空へと舞い上がった。
苦笑いをしたのは神雷(
jb6374)も同じだ。
「悪戯の度が過ぎますねぇ」
今回集まったメンバーの全体的な総意とも言える。
「事態は一刻を争う、か」
翡翠 龍斗(
ja7594)も眉間に皺を寄せていた。
例え緊急性が低くとも放ってはおけない類の天魔である。
●彼の元へ
三班に分かれた彼らの内、最も早く手がかりに辿り着いたのは歌音と麦子だった。
手がかりというよりは、連絡を寄越した撃退士を発見したというべきだ。
道路の真ん中に血塗れで倒れている男性の傍らには学園の外では滅多に見かけない大剣が転がっている。おそらく対天魔兵器のひとつだろう。
彼は携帯電話を握りしめたまま気を失っていた――否、意識不明の重体である。触るのも憚られる程の大怪我だ。
「救急車を呼ぶわね」
麦子は躊躇いなく携帯端末を操作する。
「血痕はこっち……で、隣家が被害に、ということは、進行方向はこっちか」
玄関先に転がる首で切断された死体は丸見えだ。
証拠隠滅をする気もないらしい。血痕が点々と続いている。
「――はい。そうです。よろしくお願いします。救急車はすぐに来てくれるそうよ」
「それは良かった。ひとまず、応急措置をしておこうか」
いつ車が通るとも知れない道路の真ん中に放置しておくわけにはいかなかった。
●上からの目
「重体の撃退士発見、か……」
死んでいるよりはずっといいが、新しい情報が得られなかったのは惜しいとアサニエルは胸中で毒突く。そんな状態で報せてくれただけでも十分に使命を果たしている。言いがかりに近い言葉を口にする程彼女は子供ではない。
民家の屋根の上で周囲を見回していたアサニエルは生命探知で集団の気配を感じ取る。
「学生の下校が始まったか」
舌打ちしたい気持ちを抑えて足止めのために再び光の翼を広げた。
「見あたらないわねえ……」
百夜は端正な顔を歪めて唇を尖らせる。
状況からして、標的は隠れるつもりも隠すつもりもないだろうという歌音の推理に異論はないが、堂々としていられると逆に判別がつきにくいという点もある。単独行動の子供がもしかしたら標的かもしれないし、と気を引き締めてかかる。
ふ、と気配に釣られて下を見るとランドセルを背負った可愛らしい子供が歩いていた。
(巻き込むわけにはいかないものね)
百夜は電柱の上からふわりと地上へ舞い降りた。
「ごめんねー、学校に戻ってねー」
ユリアも下校途中の学生達を発見しては、言い方は悪いが回れ右させるのに手間取っていた。空からでは嫌が応にも一人で歩く人よりも集団の方が目に付いてしまうのだ。無邪気な笑い声が聞こえてしまえば尚更だ。
一部の学校には警察の方から下校を引き延ばすよう指示を出してもらうこともできたが、間に合わなかった学年もある。特に低学年程授業が早く終わってしまう上、標的と外見年齢が似通ってしまうので足止めは必須だった。
「警察の通行止めも完璧は無理だしなあ」
手は尽くしてくれているが、何分急な話である。
快く協力してくれただけでも有り難いと思わなければ。
少なくとも被害を抑える意味では、その手段は間違っていなかった。
●悪夢の元へ
「血の臭い……敵はあちらか」
瞼を閉じたまま、龍斗は十字路の真ん中で立ち止まる。そして懐から銀紙に包まれた非常食用のチョコレートを取り出した。菓子で釣る、という方法に異論はない。
地道に聞き込みをしていた神雷が振り返る。
意外にもお菓子を渡した家人は多く、ハロウィンの浸透率の高さが救いだった。その子ならさっき来たという情報を辿ってここまで来た。
車が一台通るのがやっと、すれ違うことは出来ない広さの道が伸びている。
このような狭い道路ではなく、戦闘に適した場所までおびき寄せる必要があった。挟撃には適しているかもしれないが、その辺りの家に民間人がいるかと思うと迂闊に手出しはできない。
「標的を発見した。誘導を開始する」
手短に別班へ連絡すると、空からの探索班は民間人の誘導に手間取っているという答えが返ってきた。一方、重体者を救急車に乗せた二人は急いで向かうと勢いの良い返事があった。
「可愛いですね」
神雷は率直な感想を口にした。
確かに、黒猫魔女の格好をして、一抱えもある南瓜型バケツを持っている姿は可愛らしい。しかし肩に担いでいる鎌には血の跡らしきものが窺える。
神雷は敵意を隠し微笑んで、声を掛けた。
「トリック・オア・トリート」
ピクン、と反応を示して振り向いた少女の瞳は、龍斗の手にあるチョコレートに釘付けになった。
「とりっく おあ とりーと」
少女は、鸚鵡返しのように神雷と同じ言葉を口にした。
「これが欲しいのか。なら、ついて来い」
龍斗が慎重に半ば背を向けて歩き出すと、意外にも魔であるだろう少女は親鳥の後ろを歩くひよこのように従順についていく。
この様子なら誘導は上手く行きそうだと、安心してはいけなかったのだ。
神雷は繰り返し少女に声を掛けた。
「トリック・オア・トリート」
律儀に振り返る少女は無防備にきょとんとしている。その手から、菓子が大量に詰まった南瓜バケツを引ったくって、ついでに柘榴姫(
jb7286)を片手で担ぎ上げて全力で走り出した。
こっちの方が手っ取り早い、ということだったのだろうが――方法としては間違ってはいないのだが、いくら地場形成で移動力をプラスしても、両手が塞がっていては背後まで気を遣う余裕はない。無茶が過ぎるというものだ。
それまでの従順さが嘘のように、虚ろな瞳に危険な光が宿った。自身の体長の二倍はあろうかという鎌をひゅるりと軽やかに一回転させると、ひとっ飛びに神雷へ襲いかかった。
驚いたのは龍斗の方だ。
仲間と合流し誘導が終わってから戦闘を開始するつもりが、突然鳥肌が立つような殺気を少女は発したのだ。
とっさに神雷と少女の間に割り込んだ。否、突き飛ばすようにして庇った。
「――ッ」
左上腕から右腹部にかけて凄まじい熱が走り抜け、一瞬の後にそれは激痛へと変化した。
「こういうのは、本職じゃない……んだがね!」
漆黒を纏った大鎌が振り上げられるのを見て、痛みを堪えてヴォーゲンシールドを展開させる。反撃に出たいところだったが身体がうまく動かない。瞼の裏がチカチカした。
まずい……と思っても龍斗に狙いを定めたのか少女は容赦なく淡々と鎌を振り下ろした。
「翡翠様!」
南瓜バケツから飛び散った菓子に囲まれて神雷が叫んだ時にはもう遅い。ひゅおんと風が呻るのと同時に、盾に潰されるようにしてアスファルトにめり込む龍斗の姿があった。
飛び散った血が生々しい。
しかし小絹はとどめを刺すことはなく、散らばった菓子を拾って南瓜バケツに戻し始めた。
邪魔者が動かなくなったために本来の役目に戻ったらしい。
何とも形容しがたい光景が続く中、歌音と麦子が到着した。
二人は驚きに目を見開く。
「小絹……ちゃん?」
「成る程ね。違和感の正体がようやくわかったよ」
少女の姿をしたディアボロと、二人は面識があった。
「やあ小絹。覚えているかね?」
歌音の問いには応えず、小絹は黙々と菓子を集め続けている。
無言ではなく、無反応である。
(命令されたことしかできない……人型を完全に残したディアボロ。因果、かな)
まさかここで出逢うとは思いもよらなかった。
「あんまり、嬉しくない再会みたいね〜」
のほほんとした口調だが麦子は既に臨戦態勢に入っている。
ひと目状況を見ただけでこの場で何とかしなくてはならないと判断をした。それは歌音も同じである。
宣戦布告は必要ない。
彼女は人を殺めてしまったのだから。
それを止めるのが自分達の役目だ。
「はっ」
麦子の愛刀・大山祇が幾重もの軌跡を描いて小絹の小さな身体に赤い線を刻みつける。攻勢に出たのは麦子の方が先なのに、歌音の銃の着弾の方が早かった。
けれど小絹は攻撃の衝撃に身体を跳ねさせたものの、一切二人に目を向けなかった。反撃どころか防御をしない上に菓子集めを続行している。
これにはさすがに眉を顰めた二人である。
「……命令は、人間の菓子を集めること、か? 人間の家を訪ねて菓子を貰え。貰えなければ――」
「気が滅入るわ。ヘイ・ホォイェンが嫌な悪魔ってのは本当みたいね……」
今は無抵抗とはいえ、人を害したディアボロを放置してはおけない。
その前に、と歌音は気を失っている龍斗に歩み寄った。こちらに興味がないなら好都合だ。傷は深いし出血も多い。救急措置が必要な事は明らかだ。
地面の菓子はあと数個、判断を迫られる。
(こうなった状況は後で確認するとしても、油断できない破壊力だ)
(とりあえず、お菓子集めを邪魔するのはまずいでしょうね)
ひそ、と囁き合う二人の前で小絹は菓子を拾い終えた。
その横でたまたま包み紙の破れたチョコレートをぺろぺろと旨げに食べる柘榴姫がいたが、それは気にならないらしい。既に人の口に入ったものを集めるものとは認識しないようだ。
「お待たせ!」
ユリアの明るい声が場を塗り替える。
あちこちを飛び回っていた空中探索組が駆けつけてきたのだ。
文字通り地面を走ってきた。
小絹を取り囲むようにして立ち止まる。
「昔から躾のなっていない子供にはお仕置きが必要と相場が決まっているけれど」
百夜は悩ましげに白髪をかきあげた。
一般人のみならず撃退士を二人も打ち破るとなると躾云々の問題を通り越している。
小絹は南瓜バケツを片手に、負った傷を気にもかけずに軽々と鎌を肩に担いだ。まるで痛みを感じていないようだった。無表情に、自分を取り囲む面々に向き合う。
数の脅威をまるで感じていない様子で、頭や腕から血を滴るに任せるままに、ハロウィンの呪文を紡ぐ。
「とりっく おあ とりーと」
機械的な仕草だった。
人の形をした『だけ』のものを人形と呼ぶなら、まさしく小絹は『人形』だった。
与えられた命令に従うことしかできない、操り人形。
彼女は己の一言、一挙手一投足が警戒を煽っていることにすら気づいていない。
「とりっく おあ とりーと」
繰り返された言葉に、歌音はプレッツェルの菓子箱を取り出した。
「お菓子は此処にある」
提示しなければ鎌を向けられるのは確実だったからだ。
警戒している一同の様相に構わず、小絹は歌音に向かって掌を指しだした。
寄越せ、という意味なのだろう。
歌音は少しだけ考えて、口を開いた。
「あげてもいいけど、条件がある」
「――」
「これをあげるから、ご主人の下へお帰り? ハロウィンは終わったよ」
言いながら、歌音は菓子を持つ手とは反対の弓を持つ手に力を込める。
麦子は闘気解放を使おうと深呼吸する。
白夜は重心を低く取り、薙ぎ払いを放つ構えに入る。
ユリアは後方からの援護射撃とPDW FS80の引き金に指を掛けた。
アサニエルは龍斗の傷を癒そうと、距離を詰める算段をする。
小絹を警戒する全員がこの場での戦闘を覚悟した。
空気が耳に痛い程張り詰める。
しかし意外にも、その言葉に、小絹はこっくりと素直に頷いたのだ。
そうしてプレッツェルの菓子箱を南瓜バケツに放り込むとひょいっと傍らの塀に飛び上がり、次いでひょいひょいと民家の屋根を跳ねて去っていく。
「……見逃してよかったのかい?」
アサニエルが尋ねる。
実にもっともな意見に、神雷はようやく言葉を取り戻した。
「ごめんなさい! 私のせいで……翡翠様は私を庇って……」
「命に別状はなさそうよ。大丈夫、神雷ちゃん達を守ったんだから名誉の負傷だって」
麦子は軽い調子で言って神雷の肩をぽん、ぽんと優しく叩いた。
「ししょー、これ、あまくておいしいわ」
手や口元をチョコレートでべたべたにした無邪気な柘榴姫を見て、神雷は安堵の余り再びへたりこんだ。
「とりあえず、場所を移そう。池上由宇が見あたらなかったから、小絹は単独行動のはずだ。後のことは警察に任せて、私たちは情報を整理しないとね」
●
小絹について聞いたユリアはしみじみと呟いた。
「……成る程。小絹っていう子は命令通りに動くことしかできないんだね」
ひと通り情報を共有した撃退士達は難しい顔をしていた。
「おそらく、集めた菓子を奪う者を敵と認識するように言われていたんだろう。数で押せたかもしれないが、ディアボロだからと侮ることはできない」
「同感。ヴァニタスでも暴れれば手を焼く強さだと思う。実際お目付役を任されていたのを見たし、あんな住宅密集地で暴れられたらたまらないわ」
二人の言葉に神雷は柘榴姫を膝に乗せたまま、ますますしゅうんと身体を小さくさせるが、ベッドに横たわった龍斗は彼女を責めなかった。
「命拾いした、ということだろう。今度からは背中に気をつけた方がいい。俺も少々油断していた」
「は、はい! 気をつけます!」
麦子は少しだけ口角を上げた。
「三人が走り回ってくれたお陰で通行人に被害はなかったし。……実際の被害は、今警察が調べているところだけど」
一応のところ、撃退士の出番は終わったということだろう。
それでも拭えない不安が、一同の胸に残った。
悪趣味な悪魔の度を過ぎた悪戯が、これで終わるとは到底思えなかった。