出席を取り終えて、山咲 一葉は満足げに微笑んだ。
「遅刻欠席なし、と。優秀優秀♪」
やる気に充ち満ちた表情につられて教える側もやる気満々である。
「これから一人一巻の包帯とプリントを配ります。この包帯は練習用だから、授業が終わったら各自持ち帰って構わないわ」
ローマは一日にして成らず。
授業だけですべてを習得するのは無理があるから、思い出した時にでも練習してね、という前置きから補習は始まった。
参加者の大半は『覚えておいて損はない』という理由で集まっている。
実際に包帯ぐるぐるの重体者・鏑木鉄丸(
jb4187)が参加している辺り笑えない。彼はなぜ寝てないで授業に参加してるんだろう。いや、だからこそかもしれないが。
頑張って足を運んだ補習の最前席で、鉄丸は震えていた。
(男の先生だっていうから安心して来たのに……む、胸がある!!)
保健室の先生と言えば大半は女性。
他に男性で知っている先生は裸にネクタイでちょっと近寄りがたいと思っていたところに、補習の話を耳にしたのだ。
鉄丸は女性が苦手だった。
それはもう苦手というより恐怖を感じるレベルで。
…ごめん、カズハちゃんは女性より女性らしいんだ…。
\戸籍上の性別は男です/
その隣ではなぜか水無月 ヒロ(
jb5185)がナース服で参加していた。
なぜに。
女の子っぽい容姿がコンプレックスなのにそんな格好したら女の子にしか見えなッアー
(いざという時のため、頑張って練習するんだ…)
その心意気は良し。
ヒロも女性が苦手なので(但し恐怖ではなく緊張で)、本来であれば鉄丸といい練習相手になれそうなのに完全にアウトです。
(実戦で役に立つからな。こういう基礎的な事をおろそかにしてはいけないよな)
若杉 英斗(
ja4230)はプリントにメモを書き込みながら真面目に授業を受けていたが、ふと邪な考えが頭をよぎる。
(じじじ…人工呼吸の練習したりとか…あるのかな…いや! 騙されるな。山咲先生はオトコだ…)
でも見た目完璧女性だし、ありかも…やややない! ない…たぶん。
ああでも白衣にひらめくナイスボディが魅力的…だから違う!
英斗が健全な思考にドギマギしている横で、ラグナ・グラウシード(
ja3538)はきりっとした表情をしていた。
(実技じゃないけど)実に隙のない身のこなしで机に向かっている。
ラグナにとってこの補習は特別な意味があった。
(う、うぐぐ…まずい、まずすぎる! このままでは…三年目だけは! 三年目だけは阻止してみせるッ!)
平たくいうと彼は今留年の危機に陥っていた。
前年度留年して盛大な祝賀会げふんげふん「ダブり」だけでも屈辱的なのに、「トリプりのラグナさん」などと呼ばれたら本当に心が折れかねない。
とっても美味しい()けれど、カズハちゃん(教師)的にはやっぱり頑張って欲しいと思っている。
ただまあ彼は残念な落とし穴に気付いていなかったわけだけれど。
おっとそろそろ実際に自分で包帯を巻いてみようのお時間だ!
練習相手を決めて来た人もいるだろうし、いない人は近くの人と練習し合ってもいいし、と一葉はかなりフリーダムな指示を出した。
案ずるよりなんとやら。
とりあえずやってみよう、ということらしい。
「クルクル、クルっと♪」
雀原 麦子(
ja1553)は器用にソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)の腕に包帯を巻き付ける。
「怪我してる人を助ける依頼は結構あるからね。ちゃんとできるようになっていればいざという時に役に立つかも」
二人は交替に包帯を巻きながら疑問点を挙げていく。
「そうねえ。後は自分に巻く時とか、片手が使えない時の方法とかも訊いておきたいわね」
「包帯がない時にどうすればいいのか…も、かな」
お互いに確認し合いながら少しずつ細かい応用に踏み込んでいく姿勢と手順は危なげがなく、安心して見ていられる。
地堂 灯(
jb5198)はさてどうしたものかと顎に人差し指を当てていた。
別に人見知りをするわけではないのだが、既にペアになっている人達に割り込むのも何だしと考えているところに、
「なあなあ、姉ちゃん一人? 一緒にやらん?」
梁 香月(
jb5675)がやってきた。
少々馴れ馴れしい感じはしたが灯は丁度良いと手を打って微笑んだ。
「地堂 灯です。よろしくお願いします」
「うちは香月。よろしくな」
学年の違う者同士予期せぬ出逢いも楽しいものだ。
「あれやな、きつすぎず緩すぎず、って加減が難しいやね」
新しい特技108個目を増やすために来たとか、弟が依頼で怪我してくることがあって…とか、中々それぞれの事情に花が咲いたようだった。
「せ、センセーが包帯人間になっちゃったんだしー!?」
ミシェル・G・癸乃(
ja0205)の素っ頓狂な叫び声に注目が集まる。
なぜそうなったのかはわからないが、頭部を包帯でぐるぐる巻きにされた一葉の姿がそこにあった。
練習台という名の生贄の包帯を解こうとしているはずなのにさらに絡まっていく。
あわあわあわと焦るミシェルの手を、癸乃 紫翠(
ja3832)が掴んだ。
「ストップ! ストップ!! それ以上巻いたら首が絞まる!」
「ふぇえええっ!?」
大丈夫、ギリギリで首は絞まらなかった。
ミシェルの代わりに紫翠が包帯を解こうとしたが、一葉はそれを手で制した。おもむろに首元に両手を持って行ったと思ったら、あら不思議。マスクを脱ぐようにするりと脱皮()した。
「ふう、伸縮性に優れたのを選んで正解ね」
ごちゃごちゃになった包帯を慣れた手つきでするするーっと解いて巻き上げると、ミシェルの手を取ってぽんと返した。
「わわわっ、ごめんなさいだし;」
「はい、慌てない」
人差し指をミシェルの口に当てて黙らせると、一葉は注目している生徒達に向けて微笑んだ。
「先生からひとつアドバイスよ。今は怪我の治療ではないけれど、実際に必要とされる場合では相手の意識がなかったり血まみれだったりする事が往々にしてあるわ。そういう場では、治療する側は決して焦ってはいけないわ。冷静を保てないようなら他の人に代わってもらった方がいい。命に関わることなら尚更よ。血をみてオロオロするような医者に手術して欲しいとは思わないでしょう? 例え間違えても、心を静かにしてやり直すの。包帯はメスと違ってやり直しできる道具だから、ね?」
ほうっと、感心したような声があちこちから漏れる。
「ミシェルちゃん。何も包帯を全部使う必要はないのよ? 慣れない内は五十センチくらいに切って腕“だけ”を巻く練習をしてみたらいいわ。短いと難しく考える前に巻き終わるから」
「や、やってみるんだしっ」
目をキラキラとさせて次なる生贄もといペアである夫を見ると、頑張れ、と目が語っていた。
(一生懸命なのは悪いことじゃないよな)
紫翠にしてみれば無茶をして怪我をするのは大抵ミシェルの方だし、自分がしっかり習得しておかなければという思いが強い。
「きつ、…絞めすぎ絞めすぎ!」
まあ教師の指導を受けても色々アレな様子ですが。
「手当とか堕天する前はあまり考えた事無かったけど…」
緋月(
jb6091)は色々と注意することがあるのだと配られたプリントやメモしたノートを見て溜息をつく。 決して不器用な方ではないが、
「えっと、こうしてこっちに回して…」
…なぜに初めてで自分で自分の腕に挑戦するのかいささか疑問ではある。
いきなりハードル上げてどうする。
案の定、ぽろりと端を落として机の上をコロコロと転がって…行ったのを隣に座っていた小田切ルビィ(
ja0841)が拾い上げた。
「ん」
「あ、ありがとうございますっ」
あたふたと包帯を受け取って最初の状態に巻き戻すと、緋月はおずおずと上目遣いに尋ねた。
「あの…小田切さん、腕借りて良いですか?」
この授業に限っては何故も何もない。軽く頷いて差し出したルビィの腕に向かって丁寧に丁寧に巻き付けた。
「こんな感じ…なのかな」
教師を呼んで確認してもらおうと思った緋月の先を読んで、ルビィは腕をぐーぱーしながら包帯を引っ張った。
「ちょいと緩いな。この包帯は伸びる奴だからも少しキツい方がいい」
「は、はい。わかりましたっ」
早速ノートに書き加える様子を見守りながら、ルビィは己の分の包帯を手に取る。
「次、足貸してもらうぜ」
「あ、どうぞ」
ルビィは応急手当を心得ている者らしく、添え木を固定し知識のおさらいを始めた。緋月は興味深くその手元を見つめている。
しかしスカート女子の足に包帯を巻くってなんkすみませんごめんなさいそう思う方に問題が有プギャー。
「…あのぅ…」
「ええっと…」
月乃宮 恋音(
jb1221)&袋井 雅人(
jb1469)ペアはお互いを見つめ、照れたようにさっと視線を逸らした。
二人は恋人同士で相手の為を思って補習に申し込んだのだが、そのことは一切打ち明けていなかったのだ。つまり互いに参加することを知らずに教室で鉢合わせになったわけだが、何か言う前に教師が出席を取り始め今に至る。
何このラブラブ度!
非モテ騎士さんが留年の危機でなかったら暴れてるってレベルじゃねーぞ!
「れ、練習、しようか」
「…は、はいぃ…」
以心伝心、ラブラブしつつも万が一の時の為に真面目に授業に取り組むのであった。
↑のようなバカップルもいれば、見ていてほのぼのするような組み合わせもいる。
日下部 司(
jb5638)(男)は、まるで大切な物を持つように両手で包帯を巻く唯月 錫子(
jb6338)にどぎまぎしていた。
当然のことながら、こういう授業ですので二人の距離が近いのは勿論のこと、手と手が触れ合うものである。
(あ、錫子さんの手温かいな…って何考えているんだ俺!)
どうぞどうぞ健全な男子高校生大歓迎です。
まあその、異性のサラサラとした髪の匂いや指の細さに気を取られるのは無理もないことで。
あ、とかお楽しみ()の間に腕が鬱血してますけど()
「…す、錫子さん…ちょ、ちょっと、きつい、な?」
引きつり笑いに、はっと集中を解いた錫子は血が止まって変色した腕にぎょっとして、包帯を引っ張った。慌てたから仕方ない。うん、緩めたのではなく、絞めちゃった。
「ぐ…っ」
「ご、ごめんなさい!」
なんか段々腕の感覚が麻痺して痛みも飛んで…合掌。
錫子はというと、習った通りにやっていたつもりなのだが、実際にやってみると難しくて集中しすぎてこうなったらしい。
手当は肩の力を抜くのも大事よ、とか教師がアドバイスしたそうな。
だがまあ、男女ペアになれた人々は良いのではないだろうか。
「…あー、ワシ、女子と包帯巻き愛した方がこう…点数上がる気がするんだよなー」
久我 常久(
ja7273)はチラッチラッと練習相手に要望を出すも、
「女の子相手じゃ、集中できないでしょう。2年連続落第は流石に恥ずかしいよ?」
狩野 峰雪(
ja0345)はすげなく返す。
中年のオッサン二人が包帯の巻き愛…もとい巻き合いの図。このMSはジジイスキーなので大喜びですが常久はご不満な様子。
どうやら『補習なんてどうせ可愛い子居ねぇし、あのオッサン(峰雪)誘って上手い事サボれるように手を打つか!』と楽することを考えて来た少数派らしい。いざ来てみれば可愛い女子いっぱいいるのにオッサンが練習相手というオチである。
強引に巻き込まれた峰雪の存在はどこに。
(今までは利害関係のみの人間関係の中にいたし、たまにはこういう付き合いもいいかな…と思うのだが、いかんせん彼の幼児趣味は、少し犯罪臭が漂う)
あ、立派な防波堤でし
「ほら、先生もお綺麗な方だ。真面目に練習して、積極的に質問などしてみてはどうかな」
「お、なんだよお前さんも女に興味あるんじゃねえか。んじゃターゲット変更だ。センセーをコンビで落とそうぜ!」
…カズハちゃんが男と知ってて白羽の矢を立てているのだろうか。
峰雪は年頃の娘を持つ父親として、女生徒を守ろうとしていた。先生ならセクハラを軽く流すくらいは造作もないって? さてどうするカズハちゃん。
「偶には真面目に勉強することもあるんですね」
一葉は誰が呟いたかわからなかったようだが、声の主はヒロッタ・カーストン(
jb6175)。
果たしてその言葉は一葉に向けられたものか、はたまた学園そのものに向けられたものかはわからないが、確かに珍しい光景ではある。
「なるほど、こうやって巻くのか…」
佐藤 としお(
ja2489)は慣れない手つきでヒロッタの腕に包帯を巻いて、解いてまた巻いてと頑張っている。しばらくはそれに付き合っていたヒロッタ(彼にとっては今更学ぶことでもないらしい)だが、やがてしびれをきらして包帯を手に取った。
「僕も練習していいですか?」
「あ、ああ! すみませn」
最後まで言えなかった。
しゅぱぱぱぱっと慣れた手つきで包帯マキマキにされたとしおは絶句の後、笑った。
「今度はこっちの番だよね?」
あああ慣れてないから強引に包帯でマキマキに!
結論:どっちもどっち
わーぎゃー戯れる(?)姿を教師が許すはずもなく、ぐいっと包帯の一部を引っ張ると一葉は優しげににっこりと微笑んだ。
叱られる…と思うだろう? そんなことはないんだ。
「センセー! 足の包帯の巻き方教えてくれー!」
乱入してきた常久は明らかに一葉の足を狙っていたのだが、
「丁度いいわ。ここに練習台になりたいって子達がいるから♪」
え、と目を点にするとしおとヒロッタと常久。しかし時既に遅し。
「あ、常久ちゃん」
「な、なんだいセンセー? わかった。わしの魅力にめろめr」
「健康の為にもう少し体脂肪減らした方がいいと思うわ」
「のぉー!!」
男子学生二名は自棄になったオッサンの餌食になったのであった。丸く収まって…ない、か?
そして猫を相手に練習しているのがカーディス=キャットフィールド(
ja7927)。
長毛種の白猫「朝」はおっとりじっとしている。
「危険な依頼の際は必須ですからね。勉強を見ていただける良い機会なので応急手当の復習をする為に参りました(グッ」
とあるが、なぜ猫相手…?
だがこの黒猫着ぐるみ野郎、器用だ!
なぜ着ぐるみ来てるのに素手の人より上手に巻けるのかは不思議である。そしてさらに不思議なのが、
「ほーら! 可愛く猫さん巻きができたのです!」
巻かれた包帯に、耳が!
キュッと折られた耳は確かに猫の耳。
これは保健の先生に判定してもらいましょう。はい、カズハちゃーん!
「あら、可愛い猫さんね」
「朝君です。可愛いでしょう?」
自慢の愛猫なのかムフフとにやける素顔が見えた気がしないでもないが、中の人がいないならそういうことにしておこう。
「そうねえ、上手に巻けてるわ」
ただ、と。
おもむろに机の上の黒猫チャーム付きペンを手に取ると、猫耳(包帯)をちょいちょいと先っぽでつついた。
「可愛いけど、リボンじゃなくて包帯だから。引っかかって転んだら大変だから、ね?」
ああ…鞄のキーホルダーが他人様の上着や展示品に引っかかるようなものですね。私がよくやります←
保健の先生的にはNGでした。
リボンならOKらしいです。
「英斗さん、山咲先生って本当にオトコなのか!?」
「気持ちはわからなくもないが…鏑木。マジらしい」
「見えねぇー!?」
相談したいことがあったのにブツブツ。
練習台二名が何か話している間にラグナ・ヒロそれぞれの個性的な包帯が…あ、あれ? 包帯?
「(´・ω・)ぬ? …あ、れ?」
鉄丸の指が怪物みたいな手にーッ
しかもぐっちょんぐっちょんでホラーテイスト。
だがこれはまだいい方だった。
「こ、これはっ!?」
我に返った英斗は、ヒロによる亀甲縛り()であられもない格好に。服の上から白い線とかどういうこと。
「お、おかしいな」
ていやーと今度は止血を想定して鉄丸に向かう。
「うあ゛ー!!」
…首絞めてどうする。確かに血は止まるけど。
彼の女性コンプレックスが増えないことを祈る。
「え、えーい!」
今度は添え木…ってそれはネギだ!
ネギを添えられて足を巻かれたラグナは、これはもしや試験に受かるおまじないかと思い始めている。だってナースさん可愛いから。
ヒロくんは真剣です。本当に真剣なんです。
さて、ここで前半終了。
休み時間です。
「緋月、焼きそばパン」
「あ、ありがとうございます。お茶入れますね」
ルビィが差し出したのは購買で人気絶頂のあの焼きそばパン。いつも命懸けですね。
コーヒー牛乳を飲みながら、ふとルビィは尋ねる。
「そういえば、随分とギリギリに来たな」
「お弁当、作って来ようかと思ったんですが…その、前から料理だけは苦手で…」
つまるところは失敗したらしい。
「試験の時といい、色々とお手数おかけして…」
「あぁ…緋月――お前、進級危ないんだったな」
先日、屋上勉強会で苦手科目を重点的にレクチャーしたのだが、やはり異文化は難しいらしい。もっとも自分の教え方が悪かったかもしれないと思って、命懸けで焼きそばパンゲットしてきたわけですが。
ぽつぽつと話している内に休み時間はあっという間に過ぎ去った。
…ところで、コーヒー牛乳+お茶の組み合わせはないと思う。
それぞれが持参したものを自身に飲ませてるけど、どっちも二人分ありそうなんですが(
それでは質疑応答の時間です。
はい、とすぐに何人かの手が挙がる。
「それじゃあ〜、はい。麦子ちゃん!」
一人ずつ丁寧に答えるという形なので慌てる必要はない。
名前を呼ばれた麦子は元気よく立ち上がると、ビール缶片手に(一応開いてない)満面の笑みを浮かべた。
「嬉し恥ずかしな人工呼吸とかの練習とかはないのかな〜? 可愛い女の子相手なら頑張るわよ〜」
どっと教室に笑いが起きるが、軽く手を挙げルビィが真顔で口を開く。
「山咲先生、それに近いもので心肺蘇生法の練習はないのか?」
前者は何か冗談めいたものを感じるが、後者は真剣にやったほうがいいという要望として述べている。
「そうねえ…希望があるようなら今日とは別に授業を検討します。どちらも大切な技術だし、是非覚えて欲しい。覚えたいという意思があるなら知識の出し惜しみはしません。ただ、今日は準備をしていないのと、時間的な関係で難しいわね」
今日は普通の教室で十分だけど、蘇生法だと机を片付けて人が寝転べるだけのスペースを確保する必要がある。
前向きに検討すると、一葉はそう付け足した。
「じゃあもういっこ! 出血の多かったときの食事って、何がいいかな」
レバニラとか血肉になるーって感じはするんだけど、とは麦子の言。
少し考えた後、一葉は黒板に栄養素を書き連ねた。
「血液を作る食物はこれらの栄養素を含む魚介類・肉類があります。麦子ちゃんも言ってくれたけど、レバーやホウレンソウ、パセリなんかは鉄分を多く含んでいるし、しじみには造血作用、ビタミンCの豊富なもやしなんかが適しているとされるけど、どうやって食事として取り入れるかが大切ね」
鉄分は体に吸収されにくいから、いくら血液を作るのにいい食べ物でもそれ単体を沢山食べても殆ど意味がない。ビタミンCを一緒に摂ること。特に海藻類がオススメである。
「耳にたこができる程聞いてきただろうけど、バランスの良い食事が健康のカギです」
ぎくりと身を強張らせたのはヒロだ。
ヒロは、
「チョコ好きな人がチョコ主食で生活するのはどう思いますか?」
と訊こうとしていたのだ。
いや、訊かねばならぬちょこれい党! チョコレートは正義です。MSの魂を込めてぶつけてみた。
「好きなものを食べるのをやめろとは言わないけれど、嫌いなものを食べる努力もするべきね。前線で食糧困難に陥った時に困るわよ? 主食にするのなら、じっくり栄養について学んで足りない栄養素を補うことね」
グサッ
いやでも全否定はされなかったよヒロくん!
「次〜はい、ラグナちゃん」
「山咲先生、これで何点くらい手に入るのだろうか」
顔がよろしくお願いしますと言っている。
小首を傾げた一葉だった。
「えーと…点数っていうのは、進級試験のことよね? 追試と補習は別物よ?」
補習というのは通常授業のプラスアルファ要素であって、試験そのものとは関係ない。
おや? ラグナくんと常久くんが『やりきった(`・ω・´)シャキーン』顔のまま真っ白な彫刻になってしまったぞ?
うん、次行こう。
「センセー、戦闘で傷を負って入院したときに、ふと弱さをみせると白衣の天使のモテるって本当ですか?」
あ、非モテの英斗くん。
なんか教室中に笑い声が響いてるけど一応答えるよ!
「医療に関わる者として言うわね。正直、大怪我をするような人はちょっと…というのが本音ね。看護師っていうのは時間的に特殊な仕事だから、やっぱり同じ医療関係者との結婚が多いみたい。あたしが見てきた限りでは、医療関係者と患者の関係はレアケースね」
…入院しないと縁を結べないけど、入院したらそれはそれで相手にされない。怪我しなくてよかったと思うけど、あれ、なんだろう心が寒いよ。
「保育士になりたいと思っているんですけど、アウル能力者がそれを活用しないのはおかしいでしょうか?」
雪成 藤花(
ja0292)の問いに、一葉は首を横に振った。
「おかしくなんてない。こういうご時世で、久遠ヶ原という特殊な環境にいるからそう感じるのかもしれないけれど、個々の夢は大切なものよ。現にあたしは普通の病院で外科医として勤務していたし、天魔との抗争が激化しなければ今もまだ医者として働いていたかもしれない。貫きたい夢があるならそれを追うべき…と、言った方がいいんでしょうね。でも、その夢は人類の世界があってこそと思ったからあたしは撃退士の道を選んだ。後回しにできる夢なら、今は今しかできないことをしたいわね」
撃退士の必要のない平和な世界になったら医者に戻ろうかしら、と一葉は冗談めかした。
次に指された星杜 焔(
ja5378)の質問に、教室が凍り付いた。
では、聴いていただこう。彼の問いを。
「キャベツが旬の時に父さんに妹が欲しい! っておねだりしても『今はいいキャベツがないから駄目だ』って言われたのです。いつ頃なら子供がやってくるキャベツが栽培されているのですか?」
真剣だからこそ威力があったわけだが。
えー、星杜 焔(高二)、男。諸事情で義務教育は殆ど受けていない。孤児。
思わず名簿を確認した一葉は、
「質問の時間が終わったら保健室に来なさい。専門書があるから」
深々と溜息を吐いて保留した。ぱぁっと顔を輝かせた無邪気な彼も、大人になる時がきたのだ()
「…あ、あのぉ…」
おおっぴらに質問するのが恥ずかしかったのか、恋音はてくてくと一葉の元まで歩いていって耳打ちで質問した。
内容は発育の良すぎる胸の成長を止める方法について。
苦笑以外の表情が出ないよ。小声で返します。
「そうね…コンプレックスと感じるかもしれないけれど…大事なのは貴女を好いてくれている人の気持ちじゃない? …胸が大きいと貴女のことが嫌いになるの?」
上手く逃げました。
手段としてはまあ物理的に外科手術でできないこともないけれど、十代にオススメはしません。
やっぱり小声でひっそりと質問しに行った鉄丸の悩みは、女性への恐怖。
「姉貴のせいで物心ついた時から女の子が怖くて、手も握れない感じなんですけど、どうしたら克服できるんでしょうか…結構真剣に悩んでます。女の子のあのムニっとした感じとか、話し方すら恐怖に感じてしまってます…これって治るものなんでしょうか? 先生、どうか教えてください」
いっそ憐れにも思えてくるが、一葉はキッパリと答えた。
「治るわよ。多少時間はかかるでしょうけど」
「ほ、本当ですか!?」
「鉄丸ちゃんが逃げずに努力すればね」
原因がはっきりとしているのであれば、対処法も見えてくる。
「まずはお姉さんと他の女の子は別の生き物と割り切ることね。次に女の子の友達を作ること。確かに女の子の体は柔らかいけど、男の子より芯のしっかりしてる子も沢山いるんだから。それから『恐い』ではなく『可愛い』生き物だと認識を改めること。恋なんかしたら、一変で価値観変わっちゃうわよ♪」
話したいことがあったらいつでも相談に乗るから、まずは今行ったことを頑張ってみて、と。
一葉は鉄丸の背中を押したのだった。
ソフィアの質問は近くに包帯などが無い時、代用品としてはどんなものが良いのか、もしくは道具無しでもできる応急手当はどんなものがあるのかといったものだった。
「毎回道具があるとは限らないから、ない時にはどうすればいいかな、って」
ようやく授業に戻ってきたようで先生嬉しいです。
「はい! それなら私も確かめたい事があります」
どさどさどさっと廣幡 庚(
jb7208)が机の上に並べたのは、食材である。
「茶葉の止血・殺菌作用とか卵の薄皮が絆創膏になるとか、本当か知りたいです」
お、おばあちゃんの知恵袋…?
いくつか並べられた例に、うーんと悩む保健の先生。
「茶葉を口の中で噛む、というのはやめた方がいいわね。水で揉んで柔らかくしたものを、というのなら聞いたことがあるわ。ただ、茶葉の種類にもよるでしょうし…。卵の薄皮が絆創膏になる話も聞いたことがあるけど、卵アレルギーの人がどうなるかわからないし…。即答はしかねるわ」
専門家として間違った知識を植え付けるわけにはいかないとハッキリと断りを入れた。
「ただ、私達撃退士は一般人に比べて治癒能力が高いから、絆創膏程度なら使わない方が治りは早いかもしれないわ。人にはちゃんと自己治癒能力ってものが備わっているから」
で、質問は少し戻る。
「近くに包帯がない時だけど、やっぱりベストは衣服になるわね。ただ、包帯は傷を治すサポート役であって、治すメインではないことを念頭に置いておきましょう。止血はきっちりしないとダメだけどね。女の子はオシャレにリボン、男の子はベルトなんか着けて行くと包帯代わりに使えるわよ」
何気ない品が役に立つ、というのが一葉の答えだった。
「うちの弟が傷だらけになって帰ってくる事があるのですけど、ちょっと心配で…。前衛だから仕方ないのかしら?」
灯の問いに一葉はうーんと唸ってしまった。
「確かに、後衛の人よりかは天魔に接近することが多いから怪我をすることは多いでしょうけれど…あたしも前衛やってたから。心配なのはわかるけど、仲間を守った勲章、みたいな風に受け止めてあげることが大切かもね。勿論無茶をするのであれば止める必要があるけど」
最後の質問は香月。
「こう…ガンメンに包帯巻く時ってどないするん? ミイラ男みたいになってもえぇんかな」
「顔面…つまり頭部、ということね。一応プリントにもあるけど、大切なのはばい菌が入るのを防ぐことよ。次に視界の確保。もちろん目に包帯を巻く時もあるでしょうけれど、顔は凹凸があってズレやすいから練習が必要ね」
これにてお開き、になるわけでもないのだが(一部)
御神島 夜羽(
jb5977)は欠伸を噛み殺しつつ、
「気絶した奴は水かけるか蹴飛ばしゃ起きんだろ?」
物騒な発言をして教室を出て行く。
各自思い思いに包帯を巻く練習をする中、呼び出しを食らった焔と婚約者の藤花は保健室へと場所を移動した。
「さて、と。確か二人は依頼で孤児になった赤ん坊を引き取ったんだったわね」
職員室での噂のひとつだが、焔と藤花は頷いた。
「その心意気はとても素晴らしいものだけど、学生の本分を疎かにするのは教師として複雑な心境ね。とりあえず――育児の基礎知識はこの本に載ってるから読んでみて。で、焔ちゃんの質問だけど…」
「はい」
「念の為に訊くけど…藤花ちゃんは、わかってるわよね?」
流石に二人ともだと頭を抱えてしまうが、頬を染めて視線を逸らした様子からして大丈夫だと悟ると保健室を出て行くように促した。話が話だけに気まずいのも確かなので、育児の本を抱えて藤花はそそくさと出て行った。
「???」
きょとんとする焔に、改めてどの程度の知識があるのかを問いかける。
曰く、
・おしべとめしべが…
・キャベツ畑で…
・コウノトリが…
・愛し合う男女がキャベツ畑でお手手をつないで仲良く遊んだら神様が女の子のお腹に授けてくれる
・なんか赤ちゃん血がついてた(授業で見たビデオ
ピュアボーイ…否、しかし赤ん坊を引き取ったことだし、いつまでもそんな認識のままでは居られないだろう。
頭痛でくらっくらする頭を抑えながら分厚い専門書ではなく、本当に簡単な(中学生向けくらいの)薄い本を取り出して頁をめくる。
「まず最初に、今までの知識はすべて忘れなさい。それは子供に質問された時に大人が誤魔化す慣用句よ」
「えっ」
「おしべとめしべの話が分かっているのであれば…」
以下、色々と憚られるので省略。
「あ、焔さん」
保健室の外で待っていた愛しい婚約者の顔が、まともに見られない。
まさか早い地域では小学校で教わる内容だったなんて。
正しい家族の作り方と称していくつか助言めいたことを吹き込まれた今、何というか恋人に触れるのすら恐くなってきたのだ。
まして出産が命懸けがそういう意味だったなんて。
色んな意味でがくがくぶるぶるだ。
しばらくは、彼の苦悩は続きそうである。
一応弁護しておくが、カズハちゃんは医者として常識を述べただけである。
こうして補習は大好評の内に幕を閉じた。
一部の人達が大変なことになってますが、ご愛敬です。