12月25日。
街はクリスマス一色の賑わいを見せているが、その喧噪を離れる一行がいた。かなり大きな荷物を持ってぞろぞろと、列を作って人気のない方へ、明かりのない方へと歩いていく。
そこは、森の中にできた野原だった。
茂った木々を抜けるとぽっかりと星空が顔を見せ、一気に現代文明が遠ざかった錯覚をするような原風景が広がっていた。
「九ちゃん! 星が綺麗だよ!」
犬乃 さんぽ(
ja1272)は目を輝かせ、嬉しそうに深呼吸をして小走りに野原へ進み出た。そして振り返り、にっこりと微笑む。
「今日はクリスマスだよ、東洋の神秘日本にクリスマスに流れ星だもん、どんな奇跡だって起きるに違いないもん!」
名を呼ばれた九曜 昴(
ja0586)は天体観測のロケーションに満足したふうに頷きながらも、はしゃぐ友人を窘めた。
「走り回るなら機材を置いてから、なの」
「そうだった!」
大きな筒状のケースには望遠鏡が組み立て前の状態で収められている。天体望遠鏡としては安物が、学生にとってはン十万のそれは高級品に他ならない。天文部だから、という理由で一番高価な機材運びを任されたのだから迂闊な行動は慎まなければいけないだろう。
道案内をしていたM45天文部の部長が安堵のため息をついたが、後をついてきた人々が歓声を上げたのに気がついて慌てて声を張り上げた。
「もっと奥の方へどうぞ! ここだと木が邪魔して星が見づらいですよ!」
星を観るという主目的のために街を離れてきたのだ。誘導に精を出す姿に、昴は感心していた。
(巨大学園だから天文部も複数あるんだね……一緒に活動できて嬉しいの)
流星群を観るのに明るい月は御法度だが、その接近を楽しむイベントだから妥協するべきところは妥協すべきだろう。いつもより少し大きく見える月は満月には少し足らないが、寒さと引き替えに澄んだ空気のおかげで星はよく見える。
聖夜にはなかなか洒落た月夜だった。
M45天文部の部長は懐中電灯を振って全員の注目を集めると、諸注意を述べた。
一、火を使う場合は必ず二人以上で、火事・延焼に注意すること。
一、携帯電話等の使用はできるだけ控え、必ずマナーモードにすること。
一、フラッシュを用いた記念撮影は禁止。
一、ゴミと荷物は必ず持ち帰ること。
当然と言えば当然のことなので皆素直に頷き、思い思いの場所を選んで地面に寝ころび始めた。
「北は……もう少し右だね」
方位磁石を手に龍騎(
jb0719)は望遠鏡の調整を手伝う。友人が一緒に来られず不機嫌ではあったが、
(今日は遊びにじゃなくて仕事に来たんだし!)
と、せっせと手伝っているので部としては大助かりである。
「天体望遠鏡は持ってたケド写真は撮ったコトないな。何かイロんな機材がいるんだね」
「そうねえ、天文部って大変なのね。荷物かさばるし」
けらけらと明るく笑ったのは雀原 麦子(
ja1553)。ちなみに彼女の荷物が異様にかさばっているのは星の肴……もとい星を肴に酒を愉しむために缶ビールを詰め込んできたせいなのだが。
「ねえ、フツーのデジカメでも撮れるってホント? 手が空いたら教えてよ、空くようにイッパイ手伝うから! やってみたいし…持って帰ってスグ見せたいんだもん 」
「あ、私にも教えてくれ」
龍騎の質問に手元を照らす懐中電灯を持った神埼 晶(
ja8085)が便乗の声を上げる。設置が終わったら喜んでと部長が答えたので、二人は興味津々に手伝うのだった。
あとは撤収時手伝ってくれればいいという言葉に、手伝い組もそれぞれ星空を楽しむことにしたのである。
12月の夜は冷える。
はぁ、と吐く息が白い。
けれど大きなブランケットに二人でくるまると、外気よりも胸の鼓動の方が気になってしまう。
久遠 仁刀(
ja2464)と桐原 雅(
ja1822)は肩を寄せ合って無言で空を見上げていた。
(流星、か。今まで、そんなものを見ている気になかなかならなかったが……俺も変わった、か)
雅という大切な存在を得て。
さりげなく周囲を見回して近くに誰もいない――というよりは、誰も自分たちに注意を払っていないのを確認して、彼はそっと彼女の手に手を重ねた。ブランケットで見えないとはいえ、他人に見られるのはちょっと気恥ずかしい。
ひやりとした雅の手を握る。
(……冷えるから、なら、これくらいはいいよな)
雅が緊張に一瞬震えるのがわかったが、気にしないで小声で話しかける。
「……今まで、曖昧に流しててすまなかった」
きちんと話をするいい機会に思えた。雅も、おずおずと言葉を返す。
「……ボクの方こそ自分の気持ちを押し付けてばかりで、迷惑じゃなかったかなって」
「どうして良いか分からない事が殆どで、手探りにはなるが、これからは俺なりに気持ちに応えていくようにしたいと思う」
友達以上恋人未満からの、第一歩。
「……これまで傷つけてたらごめんな」
不器用な言葉に、雅は自分の鼓動が高鳴るのを確かに感じた。
(手を握られてるだけなのに、まるで全てを包み込んでくれるような……)
手だけではなく体中がぽかぽかと温かい。
信頼し、そして大好きな人の存在が傍らにある事に今まで感じたことのなかった充足感を覚える。穏やかな気持ちで星空を見上げ、目を細める。
「でも、戸惑いながらでも良いから……一緒に二人の関係を作っていこう」
「ああ」
ぽつりぽつりと、短くない沈黙を挟みながら決して悪くない気分で二人は寄り添い続けたのだった。
香りはコーヒー、しかし口に広がるのは主にミルクと砂糖の甘さ。持参した飲み物にほっとひと息ついて、氷月 はくあ(
ja0811)は丸めて丸めて詰め込んだ毛布を広げたビニールシートの上に重ねて行く。
ちょっと多すぎ、とはいえ野外なので仕方のない量かもしれない。まるで巣のようになったそれにもぐりこむと、はくあは満足げに空を見上げた。
「もふもふ……これなら、快適っ」
それからテレスコープアイで視力強化をして星をじっと見つめる。近い場所が見づらくなるという欠点も、遮るもののない今は快適で気にならない。
「ふわぁー、綺麗だね……」
届くわけがないと知りつつも腕を伸ばして、手をぐーぱーぐーぱー閉じたり広げたりして遊んでみる。
「流れ星、まだかなあ」
わくわくしながら何をお願いしてみようかと考えてみる。前もって見つけられないかもと説明を受けていたので期待は抑え気味に、けれど自然に囲まれ清々しい気分で寝転がっていた。
やがて多すぎた毛布でぽかぽかしてきて、
「あ、素敵な夢がみれそ……」
くうー、くうー、と健やかな寝息を立てて眠り始めた。防寒はしっかりしているので凍死の心配はないだろう。誰にも邪魔されることなく、撤退まで気持ちよく寝続けたのであった。
ビニールシートを敷くことなく、ごろーんと野原に転がったミリオール=アステローザ(
jb2746)は嬉しげに声をあげた。
「ワふー、地球からの星空……いつみても素敵ですワ」
天使である彼女には当たり前の景色が宝石のように輝いて見えるらしい。
「飛んだら届くかしらー……」
キョロキョロと周囲を見回すと、皆空を見上げていているので飛び上がると邪魔してしまいそうな気がして迷っていると、おっとりとした声がかけられた。
「キミももっと近くで見たいの?」
ほえ、と頭をのけぞらせて後ろを見ると、ぼうっとした感じの男が立っていた。
「あっちで星を撮ってるから、邪魔になるかもしれないし、確認しに行こうと思って」
七ツ狩 ヨル(
jb2630)の言葉にミリオールはぴょこっと跳ね起きた。
「そうですワぁー、そうしますワっ」
悪魔と天使が揃って訪ねると、他の人の邪魔になるかもしれないし、撮影範囲に入ってしまうかもしれないからと飛翔禁止例が出された。かわりに、丁度よく間があいたので望遠鏡を覗かせてもらえることになった。
木星の橙色の縞模様に、ヨルは目視と望遠鏡を交互に見直して素直に驚きを声にした。
「え、これがあの光一つ分なんだ……?」
「今度は私の番ですワっ」
嬉々として望遠鏡を覗き込んだミリオールは歓声を上げた。
「手が届かなくても、こんなに近く見えるなんて凄いですワぁ!」
どうやら望遠鏡をお気に召したらしい。
星についての知識がないヨルは基礎知識を主催者に質問していた。
「えーと、まず星座って何? 小熊座流星群、だっけ? それとM45ってキミの名前?」
答えたのは別の天文部の部長・昴だった。
「星座というのは、空の地図のようなものなの。昔の人は星を目印に旅をしたり船を出したりしたから、それぞれの星を見分けるために名前が必要だったの」
「へえ……」
「あそこにMの字みたいに集まっている星があるでしょ? このプリントみたいに辿ると北極星があるんだ。北極星は小熊座のしっぽなんだよ!」
同じく天文部のさんぽが丁寧に解説すると、ヨルはなお感心したように頷いた。
「所で九ちゃん。うちの天文部はM78とかつけなくてもいいの?」
「M45のMはメシエカタログのことなの。天文学者のメシエさんが作った天体マップのナンバリングで、大体は星団のことなの。M45は……えーと……」
さすがにどの星団で何座かまでかはすぐに出てこない。ミリオールに説明していたM45天文部部長が補足した。
「M45は有名なプレアデス星団だよ。偶然だけど、和名は昴っていうんだ。九曜さんと同じ名前だよね」
「……オリオン座の近く、なの」
あれあれ、と指さすと簡単に見つかる星座の代表格である。これは単純にプレアデス星団が位置する牡牛座が部長の誕生月に位置していることから名を取ったらしい。
星座に詳しいふたつの天文部にあれこれレクチャーを受けながら、天使と悪魔は星空を堪能したのだった。
星空を楽しむ悪魔は他にもいた。
「小熊座流星群、どんな感じかなー?」
センティ・ヘヨカ(
jb2613)持ってきたお菓子を広げながら友人を振り返る。ギィ・ダインスレイフ(
jb2636)は無言で星空に魅入っていたが、やがて我に返ったように小柄なセンティを膝に抱えてコートで包み込んだ。
センティは嬉しそうに笑いながら、星を指さした。
「あの柄杓みたいなやつがこぐま座ー…で、一番明るいのがポラリス、柄杓の先にあるのがコカブ…ギィ、分かるー?」
正しくは柄杓が大熊座(北斗七星)、ポラリスは北極星のことである。が、それを正す知識はギィにはない。そもそも星に名前があるのか、と感心しながらふむふむと頷くばかりだ。
「おおぐま座とこぐま座って神話だと名前通り親子なんだって。由来自体は悲しいお話だけど、親を慕って子供がその周囲を周ってるんだってさ。……何時か天・魔・人も、そういう風になれればいいのにね」
「……」
「なんてね。あ、今流れたよ! こっちじゃ流れ星が流れた時に三回願い事を言えば叶うらしいし…皆が仲良くなれますように、皆が……あー流れちゃった。難しいなぁ……これ」
ちゃんと三回言えたことのある人はそういないと思われるが、次の流れ星を待つセンティの頭をわしわしと撫でながら無口な悪魔は空を見上げる。
(冷えた空気がぴんと張り詰め、街灯りの無い闇色の中に星々がまるで降るように輝く……その様。魔界では見る事のない……人の世界の……風流など無縁な俺すら、暫し言葉を失う程に、美しい)
人の世界と言えば人がいるところ。そんな常識を覆された気がした。人の手が入らない場所のなんと壮大で美麗なことか。
(天魔が争う理由や目的は其々だろうが、闘争が解決の全てではなかろう
……その願いがいつか叶えられるように、俺がお前を護るさ)
ギィは小さな友人を慈しむように抱きしめて、星空に想いを馳せるのだった。
さて、本日はクリスマス。
当然の如くデートとかこつけて来た者たちもいる。
「1年くらい前も、学園でこうやって星見たなぁ」
亀山 淳紅(
ja2261)は彼女であるRehni Nam(
ja5283)の手作りマフラー・帽子・手袋と三種の神器でもこもこぬくぬく、ついでに心もぽっかぽかだ。オマケにレフニー手作りのお握りに魔法瓶に入れてきたお味噌汁で夜食もバッチリ☆ リア充とはこういうことだ。
さてはて彼女の方はというと、これまた器用な淳紅の手作りマフラー・帽(略)でぬっくぬく、かつ、彼氏が風邪をひかないようにと持ってきた生姜スープでぽっかぽか☆ リア充とは(略)
今夜はそんな二人を邪魔する者もおらず、聖夜を星空の下満喫していた。
「オリオン、スバル、ポラリス、北斗七星なんかはよう歌のモチーフに使われるねぇ」
「北斗七星はあれですよね。それから……」
もらったプリントを元に一般的な正座を探して、その都度顔を見合わせて笑い合う。一緒にいるだけで幸せな時間というのはとても大切なものである。
そういえば、と淳紅が北斗七星の星を数えて六番目の星で指を止める。
「あそこ、本当は2つ星があるんやって。自分見えへんけど……」
レフニーも聞いたことある、と頷く。
「アルコルは死兆星とも呼ばれるのです。漫画の影響で見えると死ぬって思われがちですけど、実際の言い伝は見えなくなると死期が近い、なのです。老眼になって見えなくなるからとか……。うぅ、ジュンちゃん、死なないですよね?」
言いながら、自分も見えていなかったりする。
「死なない死なない。ちょっと視力が低いだけやって」
普段は否定を嫌う淳紅も、ここはしっかり否定するところだと苦笑して恋人の肩を叩いた。
「そや、流れ星に何お願いするか決まったか?」
「はい! ジュンちゃんは?」
「んー……秘密。そっちのが叶う気せーへん?」
「そうですね……じゃあ、私も秘密です!」
改めて空を見上げ、肝心の流れ星を待つことにする。
(ジュンちゃんの夢が叶いますように)
(ずっと先のクリスマスも、自分の傍には歌と、レフニーちゃんがおってくれますように)
無言になっても、その心の中はしっかりと繋がっていた。
もちろん、一人でも楽しめるのが天体イベントの乙なところである。
「クリスマスに星かあ……」
ホワイトクリスマスならぬフォーリングスタークリスマスだなあと感慨深げに呟いたのは長幡 陽悠(
jb1350)である。M45天文部の手伝いを名乗り出たのだが、帰りの荷物持ちに割り当てられたので手持ち無沙汰な状態だった。
望遠鏡で月のクレーターもしっかり拝ませてもらい、割合楽しんでいたのだがいかんせん、
「寒い……」
ちょっと油断していたかもしれない。
繰り返すが、12月の夜は秋に比べてぐっ冷えこむ。準備は完璧だ、と思っていても足りないのは夜歩きに慣れていないと当然のことである。
そこで彼はバハムートテイマーの所以であるヒリュウを抱っこして暖を取ることにした。これが中々、結構、温かい。生き物のぬくもりというのは良いものである。
その腕の中のヒリュウがひくひくと鼻を動かしているのに気がついて振り返ると、カセットコンロの火が見えた。
「こんなもんか」
影野 恭弥(
ja0018)は出来上がったコーンポタージュスープの味見をして軽く頷いた。出来は悪くなかった。
火を使う場合は二人以上で、と注意を受けたので魔法瓶に入れてきたお湯を沸騰し直したいと名乗り出たソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が便乗してそこにいた。
「流石に屋外でカプチーノを作るのは難しいし、しょうがないかって思ったんだけど、お湯が沸かせるなら道具持ってくればよかったかなあ」
ちなみにヤカンは天文部の備品である。さすがは屋外活動に慣れているだけあって、道具の用意も万端なのでありがたく借りることにしたのだ。
「ポタージュ、いるか?」
「あ、もらう。ありがと! あたしこれからコーヒー作るから、交換しよっか!」
恭弥も異議はないらしく、軽く頷いて紙コップを差し出した。ほわほわと湯気の立つスープはトウモロコシの中に仄かに甘い香りして心を落ち着かせてくれる。
そこへ、ヒリュウを抱いた陽悠がひょこっと顔を出した。
「何を作ってるんだい?」
「ポタージュスープ! お湯が沸いたらコーヒー作るんだよ。一緒に温まらない? 今夜は思ってたより寒くってさ」
「え、いいの?」
面食らった陽悠に、ソフィアは朗らかな笑みを返した。
「もちろん! 美味しいコーヒーいれるね!」
スープについては彼よりもヒリュウの方が惹かれたらしい。なぜか恭弥をじいぃっと見つめている。恭弥は期待の眼差しに無言で紙コップを差し出したのだった。
どちらにしろ他の人にもわけるつもりで多目に作ったのだから問題はない。
「ありがとう。冬の夜をちょっと舐めてたみたいでさ。星座もそんなに知らないし……」
「俺でよければ簡単に説明するが」
「なんかもらってばっかりで悪いな。でも、助かるよ」
「別に構わない」
「じゃあ、あたしも一緒に教えてもらおうっかな」
こうして、些細なことから人の縁は結ばれていくのである。
自前のデジカメをセットし、茣蓙に寝っ転がって辛抱強く流れ星のシャッターチャンスを待つ者もいた。
田村 ケイ(
ja0582)は逃がさない、と真剣な表情だ。
撃退士の反射神経ならそう無茶な話でもない。
彼女なりに楽しみながら星の夜をすごしたのだった。
デジカメ、と言えば初心者の龍騎と晶も星の撮影に挑んでいた。普段使っているオートモードは不可。手で持つのも駄目。三脚に固定し、シャッタースピードをできる限り長くする設定を手動で行わなければならない。この機能がないとそもそもデジカメでの撮影は困難だという。
幸いにして二人のデジカメなら撮れるというお墨付きをもらえたので、後は撮りたい構図を決めてシャッターを押し、待つだけである。
というのも、星の光は遠く、弱く、人物や風景を撮るように一瞬でパシャッと撮影できないからだ。最低でも10秒から数分かかると聞いて少しは事前に調べてくるんだったと後悔した二人である。
さすがは星。
さすがは光年スケール。
人間の常識が通用しないのは天魔だけではないと思い知らされたのだった。
(この時期はやはり冷えるな……)
アレクシア・V・アイゼンブルク(
jb0913)は一人、星を見上げていた。
都合がつかなかったのもあるが、一人になって物思いに耽りたいと思ったこともある。
遠い星の下、思い出すと切なくなる人がいた。
(……母上が亡くなってからもう17年か……)
共に星を眺め、星の名を、星座の由来を教えてくれた人は今も胸の奥で微笑みを浮かべている。
(貴女が最期に私達に残したもの、そして母上に最後に託された願いは……今でも……ちゃんと私達が護っております)
切実な願い。
大切な約束。
大事な、妹。
(ですから、どうか安心して見守っていて下さい……私達を……)
そして、私達の大事な星を。
時間が深夜に近づくと、自然と望遠鏡ではなく寝ころんで目視で星を楽しむ人が増えてくる。中々に趣のある聖夜だが、人がいなくなるのを待って天文部の部長に話しかけた人もいた。
「私にも、お星様の、お話、聞かせて、です」
ユイ・J・オルフェウス(
ja5137)は詩の題材探しを目的としてこのイベントに参加した変わり種である。
「星、見てたら、何か、思いつくかも、です。詩、書くために、星、見に来た、です」
今の今まで一人で星空を満喫していたのだが、もう少し刺激が欲しくなったのもある。目的があると行動力に差が出るのは致し方ない。
そんなユイのリクエストを部長は快諾した。
「小熊座と大熊座の由来について、少し話そうか」
北極星と北斗七星は星に興味のない人でも知っている一般常識だが、それにまつわる話となると、少々マイナーである。
小熊と大熊が親子なのは容易に想像がつく。しかしなぜ星になったのか。そもそもはギリシアの神々の話だという。
元々母は美しい娘だったという。それを全能神ゼウスに見初められ子を身ごもった。夫の浮気に激怒したヘラが彼女を熊の姿にしてしまったという。
「そう、なん、ですか」
「でも、この話には続きがあってね」
夫が浮気の上にそんな仏心を出したことに嫉妬したヘラは、またしても意地悪をした。おとぎ話の魔女のように。海の神に頼んで二人を海に入れさせないようにしたのだ。海に落ちるというのは『空から消える』ということで、その間星は輝くのをやめて休んでいると当時の人々は考えていた。だから、季節を問わず空にある北極星と北斗七星は『休む』ことを許されず一年中見ることができる、という話だった。
「少し、悲しい、です。でも、何か、書けそう、です」
ユイははにかむように微笑んで、ありがとうございます、と頭を下げた。
(このように空を見上げて星を眺めるのは何時依頼でしょうか)
地面に寝転がり、心穏やかに星空を見上げたレイラ(
ja0365)はこの一年を振り返っていた。多くの依頼をこなし、多くの人々と出逢って来たように思う。だが、それでも、天魔との戦いは未だ終わりが見えない。
星々は地上での出来事などお構いなく輝いている。
今の自分は何にも心を乱されることなく、平和そのものだ。
(世の中には、こんなふうに星空を見ることさえ許されない人たちがいる……私は、いつかこの星空を、天魔に苦しめられている人々にも見せてあげたい)
いや、絶対に見せると心に誓い、瞼を閉じて息を吸い、吐き出しながらゆっくりと瞳を開いて再び星を見た。
澄んだ眼差しに、まるで星々は何かに応えたように静かに煌めき続けた。
「へぇ……木星って見えるんだ」
神喰 茜(
ja0200)は目視で木星だと説明された一際強く輝く星を観、望遠鏡で覗いた橙の縞模様を思い出す。こうして寝転がって見るとまったく別のもののようで少し不思議な気もした。
傍ではアルコールが入ってぽかぽかの麦子が同じように転がって空を見上げている。
「こないだの双子座流星群も凄かったけどね〜」
「まぁ、こんな機会でもないと冬に夜空を見に行く機会なんてないしね。綺麗だからゆっくり見たいとは思ってたんだけど」
見ても見ても見飽きない、とはこういうことを言うのだろう。
星の名前も意味も考えず、目に映る景色のありのままを受け入れる。それが茜の楽しみ方だった。
「うん、悪くない」
余ったからともらったコーヒーで眠気を覚ましつつ、このまま自然の中で眠ってしまいたいという気もする。一応このイベント自体は朝日が昇るまで続くので眠ってしまっても問題はない。
星空の下、自然の中、安心して眠るなど滅多にできない経験だ。しかしこのまま星を眺めていたいという気持ちもある。
寝てしまったらそれはその時、と決めて茜は今を存分に楽しむことにしたのだった。
●これだけなぜか別枠
この日、ラグナ・グラウシード(
ja3538)は寡黙だった。なぜと言って、先日から険悪な仲だった友人と顔を合わせることになっていたからだ。
毛布にくるまっていたラグナは、星を見つめたまま低く呼びかけた。
「……そこにいるのだろう、星杜……殿」
距離にして1メートルあるかないか。星杜 焔(
ja5378)はびくりと身を震わせた後、この暗闇では表情の変化は誰にも見られないと思い直し、うん、と短く返事をした。
「友人に恋人ができたことが、そんなに憎らしかったわけじゃない」
言い訳がどうにもならない程散々意地悪し敵意を向けて来たが、それもある意味本心ではなかったのだ。ただ、
「ただ、私は……それを私たちには隠されていたことの方が、ずっとずっとショックだった」
非モテ騎士、されど騎士。
「友の幸福を妬むような男だと思われていたことのほうが、ずっと」
むすっと拗ねたような声になってしまったのは、焔のことを本当の友人だと思っていたからこそ。だからこそ怒りもしたし、悲しかったのだ。
ラグナは星を見上げ、そのまま黙り込んでしまった。
焔はその友情に涙腺が反応し、瞳が潤むのを感じていた。
「……ごめんなさい。傷つけてしまった」
出てきたのは、単純な言葉。けれど万感の思いの詰まった言葉。
「……ラグナさんがお友達の幸せを妬むような人じゃない、というのは、わかっていた……、よ」
他の友人への反応も見ていたから知っていた。
理由は自分にあったのだ。自分勝手な理由で、友人を傷つけてしまったのだ。
「……信じられなかったんだ。こんな俺に恋人とか…。寝て起きたら全部夢だったんじゃないか、って……毎日、毎日……」
不安で、不安で、幻想じゃないかと、妄想じゃないかと息が詰まる想いでいた。
彼女は、夏の球技大会の頃は本当に妹という存在だったのだ。特別意識し始めたのは9月に入ってから、だっただろうか。
「現実だと確信できて、言葉に出す勇気ができたのが、遅すぎた……ね……」
想いの内を洗いざらい吐き出して、重い沈黙が二人の間に漂う。
唐突にラグナががばりと起き上がり、むすっとした表情のまま焔の方を見た。焔も起き上がって正座で友に向き直る。ラグナが考え込むように瞼をかたく閉じているので視線はかち合わないが、焔は辛抱強く言葉を待った。
ふうぅ、と重いため息をついてラグナは目を開いた。まだ微妙に眉間にしわが寄り、剣呑な感情を湛えていたがしっかりと焔の瞳を見据えていた。
彼はただ無言で、握りしめた拳で焔の頬を殴り飛ばした。勢いで後ろ手をつくが、焔は転ばずに耐え、不思議そうに友人を見た。
「ラグナ、さん……?」
「これで勘弁してやる。……お前のことだ。何か作ってきたんだろう。食ってやる」
偉そうな態度でも、これが彼の妥協点なのだろうと焔にはわかった。同時に、許してくれたのだとも。
「……うん!」
魔法瓶から手製のコンソメスープをコップに注ぐと、ラグナはあちっと舌を出した。どうやらひと息に飲もうとして失敗したらしい。
「あの……」
「……なんだ」
「……お誕生日の御馳走、作りに行っても……いい……?」
おそるおそる尋ねた言葉に、ラグナは焔の肩を軽く小突いて笑った。
「聞くまでもないことを聞くんじゃない」
焔は嬉しくて、泣きそうな笑みを浮かべたのだった。
明けの明星と夜明けを拝み、朝日が昇りきってから『立つ鳥跡を濁さず』の精神で綺麗に後片付けをして撤収となった。
学園や街の明かりや、地上に見える他の学生達や地球の姿を見ていつもより幸せな気持ちになったミリオールは満面の笑みで主催者に言った。
「参加して良かったのですワっ」
その言葉に、彼も微笑みを帰したのだった。
彼らは帰る。
日常へ、休暇へ、或いは戦いへ。
星は輝いている。
いつも、彼らの遙か頭上で、ずっと見守っていてくれる。