鄙びた田舎、と言ってはそこに住んでいる住人に申し訳ない気もするが、そう遠くない場所にゲートがあるということで、地域に残っているのは古くからそこに住んでいた人くらいらしい。
つまり、出入りする人間は皆知り合いで、初来店の客はひと目でわかると銀行の支店長は真剣な表情で説明した。支店長の後ろでは社会人一年目でうっかり解約手続きをしてしまったという係員が顔を青ざめさせて縮こまっている。
「本店に問い合わせてゾッとしましたよ」
死んだはずの人が客として訪れるとは予想もしていなかった答えだ。
「こちらが防犯カメラの映像になります」
映し出された記録を6人はそれぞれ、複雑な想いで見つめていた。
(2年前、悪魔に襲われ行方不明……だけど一葉に連絡も入れずに離れて行動している、か)
おそらく天魔の眷属になった、あるいはされたと鴉乃宮 歌音(
ja0427)は思ったがわずかに眉間にしわを寄せた。
「解約の手続きも会話もとてもスムーズだ。躊躇いがない……」
人語を解し、知能のある天魔はかなり強いという撃退士の常識がある。
「死んだと思われていた行方不明の男か……奇跡的に無事に戻ってきたと考えられなくはないが……仮にも天魔が生かしておくものか? どう考えてもこの男はシュトラッサーかヴァニタスにでもされているのだろう。だが、使徒や使い魔にされた人間に生前の記憶があるとは思えん。なぜなら、必要がない」
断言したのは不動神 武尊(
jb2605)。種族は天使だが、今は学園所属の身である。
「会話や金で買物と理性はあり、暗証番号等で昔の記憶もあり……でも、お金だけ下せばいいのに、口座解約はこちらに接触を求めてるのかも」
雀原 麦子(
ja1553)も難しい顔である。
「由宇さんはともかく、こっちの女の子は誰なんだろう?」
アルティ・ノールハイム(
jb1628)は首を傾げた。
映像の中では男は少女と会話をしていないし、扱いも雑だ。親子と見ようと思えば見えるし、歳の離れた兄弟と見ようとすれば見えてしまう。どちらも典型的な日本人の姿をしているので映像だけでは血縁関係はわからない。
それは応対した係員も不審に思い、訪ねたらしい。
「親戚の子って言ってました」
少女は自らを『小絹』と名乗ったらしい。それ以外話はしなかったが始終ニコニコ笑顔だったのでそれ以上の追求はできなかったのだ。
「池上由宇に血縁者はいないから、その場しのぎかもね」
麦子は転送してもらった情報とにらめっこである。一葉の仲間であり、由宇の兄が消えたことによって池上家が絶えてしまったことが簡潔にまとめられているが、なんとも残酷な話である。
御影 蓮也(
ja0709)は少し考えてから、係員に尋ねた。
「他に、どんな話をしたか覚えているか?」
「おもちゃとか子供服とか……小絹ちゃんにお小遣いかわりに何かあげなきゃいけないんだって、……正直、面倒くさそうでした」
久しぶりに逢った親戚の子に何かしてあげなきゃいけない。別段珍しいことではないから、係員は納得したのだという。そのくらいウンザリした様子で、とても誘拐には見えなかったから、と。
「勧めたというお店の場所を教えてください。あと、どんな傾向のものがいいって言っていましたか?」
星杜 焔(
ja5378)は素直な答えを残らず書き取り、小絹の様子を詳しく聞き取った。そして映像を繰り返し見る。
「これ、子供らしい笑顔じゃないよね。たぶん、笑顔を作ってるだけだ。言葉も自分の名前の一単語しか喋ってないのが引っかかる」
笑顔のプロ・焔には一目瞭然の不自然さだった。
「とにかく、池上がヴァニタスだったとしても生前の記憶があるというのは皆共通の見解ということでいいかな? ならまずは見つけるのを最優先。次に様子を見て、話が通じるか確認。その後接触、という方向でOK?」
歌音のまとめに全員が頷いた。
係員がおずおずと手を挙げ、その指を時計に向けた。時刻は午前11時ピッタリ。
「えと、お店の開店時刻です」
金銭での売買を人間らしく成立させるつもりなら、きちんと開店時刻を待つはずである。そこまで深く考えたわけではなく、単純に開店を告げたひと言に、撃退士たちは弾けたように外に駆け出した。
スマホを片手に麦子が戦闘を行く。
「今ならまだ見つけやすいはずよ! 見つけたら即連絡! 人混みでの戦闘は緊急時以外御法度よ!」
「了解!」
誰の答えかを確認することなく、走る。前へ。
係員が尋ね人に教えたのは、隣町の店舗集合地区だった。ショッピングセンターのようにひとつの建物に沢山の店舗が詰まっているわけではなく、それぞれの店舗が独立した建物で、道路を挟みつつ密集している。畑の中にどでんと現代建築が集合している様は異様でもある。
蓮也とアルティはまず地区の入口近くの子供服兼おもちゃ屋に向かった。時期がクリスマスのため朝から行列ができている。親子連れは多いし、体の形がわかりにくくなる防寒服を誰もが着ていて判別は難しい。だが、
(カズハちゃんのためにも何とかしないとな)
蓮也は知らない仲でもない依頼人の心境を考えると苦いものがある。
「もし由宇さん本人だったとして……正直、今までの情報だけでも普通の状態ではないとみるべきだよね」
アルティの言葉に蓮也は思わず振り返る。
「二年に及ぶ音信不通。身内を名乗る子供。突然の口座解約」
「……」
「本当にヴァニタスになっていたら。もし争わずに済むならそれが一番いいんだけど。でも、どうにもならない時は、僕は迷わない」
できれば再会を、連れて帰りたいという蓮也の葛藤を感じ取っての言葉なのか、静かな眼差しを蓮也に向けていた。
「……そう、だな」
感情的になってはいけない。冷静な対処を望むからこそ山咲一葉は自分で来ずに『撃退士』に依頼したのだ。
「そうだな。戦わずに済めば、それでいい。だが、まずは見つけないとな」
焦りを克服するように深呼吸をして己を落ち着かせ、アルティに頷きを返した。
焔と武尊は『子供や女性に人気』と係員がイチオシしたという菓子店を訪れていた。クリスマスツリーやイルミネーションもさることながら、和洋折衷、様々な菓子店舗が共同出資したホールは人で溢れていた。この周辺では唯一と言ってもいい創作生菓子店なのでお勧めというのも納得だ。
普通の女の子なら喜ぶ姿が見られることだろう。実際、そこかしこにはしゃぎ回る子供たちがいる。
「落ち着いたらカズハちゃんにお菓子作って届けよう」
料理が得意な焔は興味深く、あまりこういうところに来たことのない武尊は物珍しげに店内を見て歩く。
「姿を現したことは謎だが、これだけの人出があるとなると目的も最悪を想定してかかるべきだな」
最近悪魔の活動激しい四国ならではの警戒である。
焔は何気ない微笑みを浮かべたまま店内を特別な能力で識別する。冥魔認識という天魔がいればすぐにわかる能力なのだが、ここには武尊以外にその反応は見つけられない。
「次に行こう。有力候補はまだあるからね」
「了解した」
二人は効率よく人波をかき分けて行った。
「えーと、デザイナーズブランドの服屋が……あ、あの看板かな」
歌音が遠目に見つけたのも係員イチオシのショップである。子供服専門ではないが、小絹くらいの年齢なら十分着られるサイズも揃っているということで勧めたらしい。
(小絹、か)
謎の少女について彼は考える。
彼女は池上がヴァニタスである事を考えれば、洗脳された人間かディアボロだろう。しかし、池上がヒトとしての記憶のある彼が洗脳をするだろうか。一般人とはいえ久遠ヶ原学園に関わった人間ということもある。やるとすれば悪魔の方だ。
(どうして彼は悪魔に従うのだろうか)
確かに本能的に従わなければならないという束縛はあるのだろうが、悪魔が銀行の口座を解約してこいというのは想像ができない。
(そういえば……妹も一緒に行方不明になっているんだっけ)
鍵となる人物は他にいるかもしれない。歌音はそう思い、軽くためいきをついた。どうにも、嫌な想像しかできないのが気分を悪くさせるのだ。
歌音とは別の意味で麦子はため息をついた。
(うーん、他人事とは思えないのよねえ)
と、いうのは彼女の過去に理由がある。由宇のように、天魔の襲撃で大好きな人が行方不明になっているのだ。
だから、遺体が発見されなかったというだけの理由で死亡届を出すことができなかった彼の兄の気持ちが、彼の消息がわからなくなった後も口座を凍結しなかった一葉の気持ちが痛いほど理解できるのだ。
(明るく、聡明だった彼女が簡単に死ぬとは思えない。きっと上手く生き延びているに違いない)
そんな気持ちがあったからこそ久遠ヶ原学園の門を叩いたのだ。
けれど、もし、天魔の手先として再会することになったら。
(私は再会を素直に喜べるかしら。悲しみに暮れるのかしら)
ありえない、とは言えない。少なくともそれが現実になってしまった例が、ここにある。
(きっと相手の事を知る為に言葉を交え、刀を交えて、納得しないと先へは進めない……)
だから、一葉のためにもできるだけ多くの情報を持ち帰らなければ。
「あ、可愛いデザイン」
ドアをくぐった歌音はそう呟いたが、目は奥の子供サイズが置かれている棚を見ていた。
「麦子、更衣室の前」
小声で相方に伝える。それだけで彼女も理解した。
「メールメール!」
何気ない仕草でスマホの画像を呼び出しながら、店の中を歩く。あくまでも、自然に、客を装って。
(似てる……)
更衣室の壁に寄りかかって暇そうに手帳を読んでいる男が、池上由宇の写真によく似ていた。近くに女の子はいないかと様子を窺っていると、更衣室のカーテンが開いて少女と両腕いっぱいに服を抱えた店員が出てきた。
「どれもお似合いですよ。こちらの衣装がご要望の通り一番お似合いだと見立てさせて頂きました」
男に極上スマイルで店員が言うと、彼は心底驚いたような顔をした。
「へえ、さすが店員さんはセンスが違うな。任せて正解だったよ」
人懐っこい笑みは、一葉が提供した写真そのもの。
麦子は素早くスマホを操作して他のメンバーに発見の報を伝える。
二人が見守る中、人好きする笑みを浮かべた池上由宇と笑顔だけれど何も喋らない小絹は人間と同じようにお金を払い、大きな旅行用キャリーケースに買った服を詰めてもらって店を出て行った。
歌音と麦子は気づかれないように距離を置いて慎重に備考する。
彼らが次に向かったのは、美容院だった。しばらくして由宇だけが外に出てくる。彼は気怠げにため息をついた後、煙草を銜え火をつけた。
他の建物の陰から様子を見ていると、他のメンバーも集まってきた。そして焔の冥魔認識が煙草を吸う由宇と美容院のガラス越しに小絹を捉えた。
彼はふう、と息を吐いて首を横に振った。
「間違いない。由宇さんはヴァニタス、小絹ちゃんはディアボロだ」
しかし何だってあんなに念入りに身だしなみを整えるのか。首を傾げる一同の中、麦子が歌音の肩に手を置いた。
「大勢で囲んだら話がしにくいと思うの。ここは、美容院の前にいても違和感のない私たちで行ってくるわ。通話はオンにしとくから、危なくなったらフォローよろしくね」
今回のメンバーに女性は麦子一人だが、探偵風衣装の歌音は少女にしか見えないので確かに適任と言えた。
「この区画を出れば周囲は畑で人気はない。誘い出せるようなら外でいいな?」
蓮也の提案に反対の声は上がらなかった。
美容院の外にある喫煙スペースで煙草を吸っていると、二人連れの客がやってきた。いや、彼女たちは美容院には入らず灰皿のあるこちらへやってきた。
「すいませ〜ん。ちょっといいですか?」
道でも尋ねるつもりだろうか。反射的にそう思ったのだが、目を見て違うとわかった。
彼女たちの目はあまりに真剣で、真摯で、よく知っている人たちと同じ顔つきをしていた。兄やその仲間、生徒たち――。
「私、山咲一葉さんの友人なんですけど……池上由宇さんですか?」
新しい煙草に火をつけて、俺は無言で頷いた。
「久遠ヶ原学園の生徒か? 兄貴が来ると思ってたんだけどな」
「……池上修爾さんは行方不明よ。一葉ちゃんは学園で先生をやってるわ」
現世と離れていた2年間の出来事を俺は知らない。彼女たちの語る内容に驚くばかりで、とうに兄が死んでいたなど唐突すぎて受け入れられずに笑ってしまった。
「あの人が先生? ありえねー……」
泣きたい。
大声で叫びたい。
どうしてこんな結末になってしまったのか、と。
「私たちと一緒に学園に来て欲しい」
歌音の率直な提案に、彼は泣いているような笑みを浮かべた。
「それはできない。俺はもう人じゃないからな」
「学園は天魔の受け入れも行っている。理由は他にあるんじゃないかな。例えば、一緒に行方不明になった妹を人質に取られている、とか」
そのひと言に、彼は紫煙を吐き出して、また新しい煙草を取り出した。
「無理だ。俺が一定以上離れれば小絹が暴れ出すことになっているし……俺が消えれば妹が殺戮をしなければならなくなる。妹だけは……人のまま、手を血で汚さずに一生を終えて欲しいんだ」
それはもう、人質ではなく脅迫である。
「アイツは俺を嬲って苦しめることを楽しんでる。人間の知識が欲しくて俺にだけは記憶を残しやがった」
自嘲して、由宇は唐突に麦子の肩をがしりと掴んだ。そして真剣な顔で言う。
「今回は見逃してくれ。人に危害を加える命令は受けていない。あくまでも人界のモノを持ってこいと言われただけなんだ。俺は、人間に危害を加えたくない……!」
気圧されそうな程真剣な眼差しで、彼の言葉に嘘がないことがひしひしと伝わってくる。
「だけど、妹のためならヒトを殺すのかい?」
歌音の台詞は、おそらく何度も自問自答したものだったのだろう。彼は答えなかった。
「ヘイ・ホォイェンには近づくな。あいつは文字通りの悪魔だ。命を弄ぶことを楽しんでる。下手につついて蛇を起こすんじゃない。いいな!」
大人でも入れそうな大型キャリーケースを3つも転がして去る2人を見送って麦子は呟いた。
「なんか、スッキリしないわねえ」
彼らは宣言通り礼儀正しく買い物を済ませると去って行った。その買い物を手伝うなどわけのわからないことをしてしまったが、小絹を消しても妹の使い道は同じとなる。
今はこの情報を持ち帰って依頼主の意向を確認する必要があると判断せざるを得なかった。
人間に危害を加えることになったら躊躇わないで欲しいと、彼は言い残した。
帰途中、6人は無言で考えていた。
何がヒトで、何がヒトでないのか。
ヒトで在り続ける強さとは何か。
自分たちができることは何なのか。
袋小路のような問いを悶々と、彼らは考え続けた。