「気に入らねぇモンには抵抗するっつー気概はご立派だけどな。まぁ、ガキにゃ大人の都合ってのァ邪魔っけに感じるもんだよなァ」
長門 一護(
jb1011)は今回の問題を実によく表わした台詞を呟きながら、手にした端末を素早く操作する。
「親子の関係、か。仲良くが一番なんだろうが」
矢野 古代(
jb1679)が言うようにそううまくいかないのが現状なわけで。
「これでよし。うちはお母さんとお父さんと話してみる。何かわかったら連絡するね」
雨宮 祈羅(
ja7600)の言葉に頷いて、連絡先を交換し終えた一同は少年を捜すために駆け出していく。
雨宮 祈羅と明日香 佳輪(
jb1494)は仮避難所の公民館の入口で所在なさげに立っている女性に声をかけた。
「加藤さん、ですか?」
「久遠ヶ原から来た撃退士です」
明らかに安堵したように依頼人である少年の母親は、撃退士の少女二人の手を取った。
「晴太は? 晴太は見つかったんですか?」
鬼気迫る様相に気圧されそうになるが、祈羅は宥めるように握られた手を両手で握り替えした。
「今捜索しています。すぐに発見できるでしょう。『別件』の方でお話を伺いたいと思いまして」
そうこうしている内に人影に気付いたのか緊張の面持ちの男性がやってきた。
「妻に何か用かね?」
どうやらこれが件の父親のようだ。
自分たちの身分を明らかにしてから、佳輪が静かに口を開く。
「何でもお子様と口論されたとか。もしかしたら簡単には戻ることに同意しないかもしれません」
「力ずくでも連れ戻せ」
「それはとても簡単なことですが、根本的な解決にはなりませんわ。……お祖父様が、亡くなられたとか?」
余計なことを、とでも言いたそうな舌打ちをして父親は妻を睨む。妻は妻でびくりと身を震わせる。なるほど、これが普段の夫婦の姿かと二人は観察する。
「どうして、そこまでお祖父さんのことが嫌いなんですか?」
祈羅の問いに彼は渋面になる。
「これは身内の問題だ」
「……正しいことだけが正しいとは限りませんのよ、お父様」
佳輪はあくまでも穏やかな調子を崩さない。
「あなたが、本当に、一番に、お子様に望んでいたことを、そして望みのために、あなたはお子様の望む何をしてあげたのかを、……それとも、いまからでも、そう。何をしてあげるべきだと思いますか?」
謎かけのような言葉に父親は戸惑いを見せる。そこへ、祈羅が俯きがちに唇を噛んで、告げる。
「昔、父ちゃんがまだ生きていた時に、うちはたくさん反発したし、いうこと聞かなかったりしてた。でも、結局、いなくなってから、どれほど父ちゃんに愛されてたかを知って、後悔した。もっと話をしとけばよかった。もっと話して、もっと話を聞いておけば、よかった。父ちゃんのこと、大好きだったから。そういう思いは、して欲しくない」
父親はぎくりと、僅かに目を見開く。心の中を見透かされたような、そんな告白に動揺する。
「どうして柚子の木を切ってしまわれようとするのですか? あんなに綺麗なお花を咲かせる、柚子の木を……」
思い出のたくさんつまっている柚子の木を。
佳輪の発言にさらにぐっと唇を固く結ぶ。
「お前たちには関係ない」
強情だと二人は思う。
目配せをし合った後、祈羅はスッと父親の額に手を伸ばす。シンパシーで彼が何を考えているのか読み取るためだ。
そして今度は、彼女が驚きに目を見張った。
「……遺書が、あるの……?」
「せーいーたーさーん!」
ユリア(
jb2624)は大きすぎない程度に少年の名を呼びかける。
「似た者親子か。やれやれだね」
ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は肩を竦ませる。
「一先ず小僧を探さねェとな」
「まったく、子供の頃を思い出すな」
一護と古代は地上路を事前情報を頼りに走る。
と言っても、ユリアとハルルカは真っ直ぐに曾祖父の家へ、一護は障害物をするすると飛び越えながら、古代は空き地などを調べながらとルートは異なるが。
(あまり小僧を叱りつけないでくれと伝言を頼んじゃきたが、効果あるかねェ)
少年の主張も筋が通っていると思うからこその伝言だが、叱るのもまたひとつの愛情である。
一護には家族がおらず、正直家族の情に深入りする気はないのだが、気にならないと言えば嘘になる。なぜ父親はそこまで頑なになるのか。不思議といえば不思議である。
(ガキの気持ちを知りてぇなら一緒に風呂にでも入って裸の付き合いでもすりゃあいーんだよ。冬至にゃ柚子湯に浸かって、だろ? 悪くないと思うがねぇ)
ひと足先に曾祖父の家に辿り着いたユリアは小声でお邪魔しますと言ってから中を見て回る。だが、玄関に靴もないし、少年がいる気配もない。
庭を見て回っていたハルルカと目が合うが首は横に振られる。やはり、いない。
ふと見上げた柚子の木は大きく、たわわに黄金の実が成っていた。収穫する人が不在で、いくつか地面に落ちてしまっている。
(これが、思い出の木……)
しっかりと土に根ざし、長い年月を経て大きくなった老木だった。
飛び出していったままじゃ進展もないだろうし、なんとかしないとね)
二人は翼を広げて上空へ飛び上がるが、人の姿は皆無だ。サイレンを聞いて建物の中に避難してしまったのかもしれないと判断するのが妥当だろう。とりあえず天魔の姿も見当たらないので安全は安全である。
その旨を連絡し、空からの捜索を開始した。
強引に出させた遺書を一読した佳輪は溜息のように呟いた。
「柚子の木を切って、家を壊して、土地を売って、思い出に縛られないで生きて欲しいというのはお祖父様の意思でしたのね……」
遺書の日付は数年前になっている。
曾孫誕生の喜びと、そう遠くないうちに訪れる死に対する想いが短く綴られていた。
『良い思い出があれば、人はどんな苦境も乗り越えられる』
辞世の句のような言葉である。
「どこまでも身勝手な人だ」
拗ねたような父親の言も、この遺書の前では小さな子供の戯言と同じである。何のことはない――彼は、祖父の死と遺言に衝撃を受けて、それに反発するように嫌味を口にして平静を保っていたにすぎなかったのだ。
だが、そんな事情など七歳の息子には到底理解できるものではなかった。
遺書の存在さえ知らされず、死んだ曾祖父を悪く言う父親に、子もまた反発するしかなかったのだろう。
「息子には、まだ理解できない」
良い思い出がどんなもので、苦境とはどんなことなのか。
だが、祈羅は首を横に振る。
「理解できるできないの問題じゃない。お祖父さんがどんな思いでいたか、息子さんにも知る権利がある」
特に、肝心要の木を切ることが父親の欲から来るものではないと教えなければ親子の溝は深まるばかりである。はらはらと、夫の顔色を窺う母親が父子の仲を心配するのも無理はない事実が一枚の紙に詰め込まれていた。
「なるほどねェ。爺さんは先のことまで見越してたわけだ」
「いささか突飛ではあるがな」
一旦足を止めて報告を受けた一護と古代は溜息混じりの苦笑を浮かべていた。
「しかし、思い出のある場所に心当たりがないというのもまた……極端だな」
外を出歩いていないことは空からの視点で明らかだが、そうなると厄介である。
「子供が慌てて逃げ込むような場所か……」
家にも、祖父の家にも辿り着けていない。おそらくまだ、葬祭場の近くで息を殺すようにして迎えが来るのを待っている。まだ見ぬものに対する恐怖に怯えながら、独りで。
地図の道を指でなぞりながら最寄りの公共施設などを見ていた古代の手が止まる。
家へ帰る道からは外れているが、葬祭場から100メートル前後の場所に気になるマークがあった。
「……これで当たってたら、よほどか厳しく言い含められてたんじゃないか?」
しみじみ呟いた古代である。
他の場所にも気を張り巡らしながら向かうと、そこは小さな小さな交番だった。パトカーも自転車も出払っているが、中に人の気配を感じ取ることができた。
カラカラと音のする戸を開けて踏み込むと、はっと息を呑み込むような微かな音がした。
「悪い子はいねえがーってか」
古代がわざとふざけた調子で言って机の下を覗き込むと、そこに幼い少年――晴太の姿があった。
「無事だな。怪我もない、な」
一護もひと安心といった様子で携帯を取り出して発見の報を素早くメールする。
空から捜索していた二人は文字通り飛んできた。
「良かった。心配しましたよ」
ユリアは微笑み、ハルルカは意味深な笑みを浮かべて少年の様子を伺っているが、晴太にしてみれば見知らぬ大人がぞろぞろとやってきたので、一度解れたはずの警戒心が再び強くなってしまう。
そんな少年の頭をぽん、ぽんと軽く叩いて一護は言った。
「俺たちは晴太、オマエを迎えに来たんだよ。撃退士って知ってるだろ?」
その言葉に明らかな安堵と……不安に、晴太の瞳が揺れる。
ぐっと、固く引き結ばれた唇は、かたい表情は、素直に親元へ帰れることを喜ぶものではなかった。
誰よりも先に言葉を発したのはハルルカだった。悪戯めいた、しかし冷たい微笑みを浮かべ、
「ところで少年、キミの家族はさっさと避難してしまったよ。キミを置いてね。どういうことか分かるかな?」
やんわりと晴太を突き放す。
「だ、だから何だよ……」
「キミは捨てられたのさ。こんな子供はもういらない、ってね。これでもう、キミの嫌いな父親とも顔を合わせることはないよ。良かったじゃないか」
「……!」
淡々とした口調に、少年は青ざめていく。
見ている方が冷や冷やさせられるやりとりを、ハルルカは自らけろりと笑い飛ばした。
「うん、もちろん嘘だけどね。少しは頭が冷えたかな? それじゃ、そろそろ帰ろうか。まだ帰りたくないと言うのなら、その時は私たちだけで帰ってしまうよ。キミはここに独りで残ると良い」
「……」
「さあ、どうするのかな?」
答えられない晴太を見てニヤニヤするハルルカをやりすぎだと小突き、古代は屈みこんで優しく諭す。
「お前は母親と父親を心配させてんだ。それはわかるな? 言いたい事は行動で示すんじゃない。言葉と、行動で表すもんだ。はっきりと言いたい事は言え。じゃなければ誰もお前に理解を示さない。どうして怒ったのか、なにが嫌なのか、ちゃんと言わないと伝わらないぞ」
「そうだよ。感情に任せずに理由もキッチリ言わないときっと駄目だよ」
だから帰ろう、とユリアに肩を叩かれた晴太はこっくりと頷いたのだった。
「……」
「……」
父子の再会は、無言だった。
どちらから口を開くべきか迷っている姿は実に親子らしく似ていたが、心配しすぎて堪忍袋の緒がとうとう切れた人は他にいたのである。
「いい加減にして下さい! 晴太も、あなたも!」
妻であり母親である彼女は堰を切ったようにぼろぼろと大粒の涙をこぼしはじめたのだ。
ユリアに自身の想いは二人に知っておいてもらわないと駄目とそっと背中を押された彼女は息子をぎゅうぎゅうと抱きしめて無事でよかった無事でよかったと泣きながら繰り返す。
ただそれだけ。
それだけのことができなかった父親は、妻と息子を抱くようにして、一言、
「心配した」
小さく語りかけたのだった。
その後警戒が解かれ、中断された葬儀は時間が時間なので後日に延期されたのだが、家族会議は当日中に開かれたらしい。
時に沈黙、時に怒鳴り合い、家の明かりは夜半まで消えることはなかった。
「長い間積み重なってきたものだってあるだろうしね。一度思いっ切りぶつかり合った方が良いかもって気はする」
うんうんとひとり頷くユリア。
「柚子の木はどうするのでしょうね。切ってしまうのは可哀想だと思うのですけれど……故人の意思ですし。でも、親が子へ残すものですから……」
どうせなら残して欲しい、と佳輪は呟く。
翌日、感謝を告げに来た親子はどこか疲れたようで、けれど何かすっきりしたような顔をしていた。
「これ、持ってって」
晴太が差し出したのはごつごつとしたビニール袋。
中には採れたての、丸々とした黄金の柚子がみっちりと詰まっていた。
「お兄ちゃん、おねえちゃん。助けに来てくれて、ありがとう」
おそらくは家族で収穫しただろう柚子を受け取って、撃退士たちも微笑みを返した。
「お父さんとお母さんを大切にね」
祈羅の言葉に、少し戸惑ったような表情を浮かべたものの、少年は頷いた。
「約束する!」
――良い思い出があれば、人はどんな苦境も乗り越えられる。
老人の遺した言葉の意味を噛みしめて、夫妻は深々と頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
自分たちは今この瞬間を生涯忘れないだろうと、心に刻んで。