秋めいて、緑を無くしつつある草原に、もこもこ毛玉が六つ。
「もふもふ……もふもふ!! お、おのれ、姑息な悪魔めが、こんな……俺の弱点を突いてくるとは、何たる何たる非道!!」
ギィネシアヌ(
ja5565)は拳を握りしめ、くっと瞼を閉じて視線を逸らした。
うっかり合った黒目がとってもプリティでうっかりハートを撃ち抜かれてしまったのだ。
「いくらふわもこでも、あれはディアボロだ。俺は絶対に惑わされたりは……いや、大丈夫だからな?」
実は抱きしめたくてうずうずしている梶夜 零紀(
ja0728)。
既に惑わされている気がする。
「もふもふのひつじさんっっ!! で、でも、不用意に近づいちゃダメなんですよねぇ……ううう、引き込まれそうですぅ」
見えない何かを振り払うように我慢している柴島 華桜璃(
ja0797)は誘惑を振り払うように頭をぶんぶん振った。
「と、とにかく、これ以上被害者が増える前に、急いで解決してしまいましょう!」
「……これがただの羊なら、思う存分可愛がれるんだけど……、相手が天魔なら倒すしかないわね……」
紅 アリカ(
jb1398)は淡々と呟くが、その瞳は一心に毛玉を見つめている。若干熱っぽさを帯びているのは気のせいではないだろう。
鑑夜 翠月(
jb0681)はきりりと表情を引き締め、
「す、すごく可愛いです。でも、頑張って退治します」
言ってはみたもののやっぱり可愛いものは可愛い。
「えと、羊さんが一匹、羊さんが二匹……羊さんが三匹……羊さんが……Zzzz」
冷静に落ち着いて状況を確認しようとした水葉さくら(
ja9860)は、逆に眠くなってきたので慌てて頭を振る。冷静、冷静、冷静にと自分に言い聞かせる。
「……状態異常を仕掛けてくるとは厄介な敵ですね。どういう意図で作ったのか分かりませんけれど、なまじ外見が可愛いだけに余計に腹が立ちます。ともかく一刻も早い救出と撃破に務めることとしましょう」
楊 玲花(
ja0249)は見た目には騙されずクールに武器を構える。
そしてアリシア・タガート(
jb1027)は、
「マトンとかラム肉好きなんだよね、ひょっとして食えたりしないよな? まあいいや、今日はあたし達が『善き羊飼い』だ」
同行者六人が涙しそうなことをさらりと述べて、ロープの強度をきゅっと握って確かめる。いや別に羊を締めるわけではないのだが、なんとも言えない迫力がある。
とりあえず、この羊は食べられません。悪しからず。
八人は群れる毛玉を左右から挟撃という作戦を立てていた。
「先発の皆さんが身を以て効果範囲を割り出してくれた事で攻略法はすでに確立済みです。ことここに至ってはおとなしく退治されなさい!」
宣戦布告した玲花の腰にはロープがくくりつけられている。否、全員ロープを腰に巻いていた。状態異常にかかったらすぐさま引っ張り出せるようにという工夫である。
真っ先に倒すべきは認識障害を引き起こすあの憎きクリームひつじ。奴を倒さないことにはどうにもならない。
右側から、そろりそろりと認識障害が起こらない、かつ他の羊に邪魔されないよう注意しながら近づいたギィネシアヌはぐっと奥歯を噛みしめる。
「恨みは無いが、赦せ! せめて、美しく散るがいい……」
意味がちんぷんかんぷんである。
彼女の銃から放たれた紅弾は、命中した瞬間黄金に弾けた。ひらひらと舞う金の羽根、そしてギィネシアヌの背に現れた金の片翼。しかし。
「ぎゅう〜」
どこから出しているのかわからないひつじ苦悶の鳴声に罪悪感がこみ上げてきて格好良く決めることができない。
「ゴーストバレット、いきます」
やはりギリギリの距離を保っての攻撃を仕掛ける翠月。目に見えないアウルの弾丸が直撃し、クリームひつじの白くてもこもこの毛が赤く染まる。あと一撃で倒せる。そんな確信と同時に動物虐待をしている気分になってぶるぶると頭を振りかぶる。
スッと前に出たのは玲花である。ひとっ飛びにクリームひつじに接近したかと思うとトドメを刺して後方へ飛ぶ。まさに迅雷の如き動きだった。
ふおん、と右側を外部から隠していた認識障害の膜が空気に溶けた。これで長距離での攻撃が可能になったと安堵したところへ、
「ンメ゛ェエェ〜」
腹の底から絞り出すような茶ひつじ、怒りの声が響き渡った。
当然ながら左班もクリームひつじへの集中砲火を最優先としていた。
アリシアはギリギリの位置からアサルトライフルでの射撃。
「近くで見るともっともこもこ……です」
うっとりと呟きながらさくらの手には火炎放射器。アウルを炎として吐き出す魔具でひつじを焼く。
「羊に見えるが所詮ディアボロ。手加減は必要ないな」
零紀の長さのある斧槍がクリームひつじの毛を切り裂くが、あと一歩倒すに及ばない。
バトンを渡された華桜璃は、しかし射程の問題でピンクひつじをアウルの矢で狙い撃つ。僅かにかすっただけのその攻撃は、ピンクひつじの目の色を変えるには十分なものだった。
「んめぇえぇ〜」
ギロンと目尻を釣り上げた(ように見えなくもない)ピンクひつじの側で魅了されていた撃退士がゆらりと立ち上がり、虚ろな目で武器を構える。
瀕死のクリームひつじはよじよじと後退して、きゅっと丸くなる(元から丸いが)。
「あ」
誰が洩らしたか分からないその声は、五匹になったひつじの中央にクリーム色が移動したことに焦るものだった。囲むように茶・ピンクが位置していて、しかも隣には昏々と眠る撃退士がいて、非常にまずい状態だった。
クリームひつじが後退したことで認識障害の範囲も同時に移り、全員の視界が揺らぐ。
「……思っていたより厄介ね。だけどここで止まるわけには……ッ!」
アリカは状態異常を覚悟で毛玉の群れに突っ込み、大剣を振り下ろす。しかしその切っ先は地面の草を薙いだにすぎない。彼女の体がぐらりとよろけたのを見て、右班は慌ててロープを引っ張る。睡眠と魅了、どちらかにかかってしまったのだろう。
そして、彼女は引っ張られるロープを自らの大剣で断ち切った。
「魅了!?」
右班・左班両陣営は警戒を強める。保護対象の撃退士二人はピンクひつじの側から離れないが、アリカは大剣を両手で構え左班の方へと突撃する。
「危ない!」
とっさに前に出てそれを受け止めたのはさくらだった。サーバルクロウでギリギリとせめぎ合い、撥ね付けるように後方へ飛ぶ。
「ご、ごめんなさいです! でも本気で行きます!」
仲間割れに近いが、抑えられるのならば彼女に任せて元凶を断つことを優先すべきだ。
「さくら、そっちは任せた!」
「はい!」
アリシアの励ましに、彼女は真剣な表情で応えた。
迂闊に近づけば命取りになる。どうするかと目配せし合う中、玲花がキッと目を細めた。
「……私が参ります」
先程のように瞬時に詰め寄って離れればおそらく状態異常にはかからない。
よし、と頷き合って万一に備える体勢ができたのを確認して玲花は地を蹴った。
光の速度により近く。
雷のように力強く。
「はあっ」
気合いと共にクリームひつじに強烈な蹴りを叩き込むと、周囲を包んでいた違和感が消え去るのを肌で感じることができた。それが、一瞬の油断を招いた。
「メェエー!」
敢えて言うなら、もふもふぷにぷにぐるぐるアタック。
茶ひつじ渾身の攻撃を玲花はまともに食らうが、どうにか踏みとどまって距離を取る。
認識障害がなくなったのを視認して、零紀は唇の端を上げる。
「そろそろ夢から覚める時間だ。OK?」
クロスボウを構え、ピンクひつじに向かってレバーを引く。
しかしその攻撃を受けたのは魅了された撃退士だった。文字通りピンクなひつじを抱きしめるようにして庇ったのだ。
「馬鹿野郎、こっちは味方だ! 思春期の男子中学生並みに見境なしか!? ああん?!」
アリシアの怒声にも彼らは反応を見せず、一向にピンクひつじの側を離れない。
「自分が一番可愛い……つまり自分最優先なんですか!?」
華桜璃の素っ頓狂な声は全員の気持ちを見事に代弁していた。これは誘導できない。無理だ。
「とりあえず、こっちの片をつけるぜ!」
ギィネシアヌは戦闘を続けるアリカとさくらに視線を向けると、魅了されたアリカの背中に跳び蹴りを食らわせる。挟撃には対応できず姿勢を崩した彼女にさくらが渾身の張り手を食らわせる。たまらず地面に伏したアリカは、数秒の後によろよろと身を起こした。
「……?」
「大丈夫ですか!?」
息を整えながらさくらが問うと、アリカは唇を噛みしめて悔いるように頷いた。
「……はい」
それから噛みしめたせいで切れた唇の血を袖で拭って、憎悪のこもった目で毛玉を見やる。可愛さ余って憎さ百倍。絶対倒す。
「……貴方達も助けなければならないけど……、邪魔するなら容赦はしないわ」
引きはがせないなら隙間を狙えばいい。
「そのままがっちり抱きついてろ!」
アリシアはアサルトライフルで慎重に狙い撃つ。動かない的なら修練よりずっと簡単だ。
「めぇう〜!」
可愛らしい悲鳴が上がる。
「うー、うー……柔らかそうだな……魅了なんかいらないくらい可愛いぜ」
でも倒さなければ。
ギィネシアヌも撃退士に抱きしめら守られたピンクひつじを狙撃する。ここがインフィルトレイターの見せ場である。
「あたしたちは茶色いのを優先しましょう!」
華桜璃の言葉に残りのメンバーが頷く。睡眠の状態異常も厄介なことに変わりはないのだ。
包囲された茶ひつじとて黙ってはいない。
「本当は何もしたくはないけれど、本気を出したらすごいんだぞ。ニートの本気を見せてやる!」
……と、人間の言葉では言わないけれど、そんな気合いのこもった鳴声を発した茶ひつじは仲間を守るため再び回転毛玉と化す。
狙いは、アリシア。
「うわ!」
狙撃に集中していたアリシアはもろに直撃してしまうが、かろうじて睡魔には打ち勝つ。
「……トドメです!」
アリカ渾身の一撃で茶ひつじはただの毛玉となった。
ここまで追い込めば後は時間の問題である。
ひつじたちの特殊効果範囲をよく見定めて、玲花と翠月は眠り込んだ撃退士を離れた場所に避難させる。彼らのことは彼らの仲間に任せ、踵を返すとピンクひつじから他の撃退士が引きはがされるところだった。
「う、うーん……」
「……私たちは一体……」
目を覚ました同胞に零紀は僅かに微笑みを浮かべて語りかける。
「おはよう、だな」
もふもふの悪夢はこうして幕を閉じ……
ギィネシアヌは、せめて弔いにとひつじたちをまとめて荼毘に付すための炎を見つめ目尻の涙を拭う。
「辛く哀しい戦いだった……」
やりきった感溢れる呟きだった。
「うぅ……もふもふしたかったです……」
翠月は名残惜しそうにしゅうんと肩を落とす。
「あ〜あ……あのひつじさんがディアボロじゃなかったら、思う存分もふもふし放題だったのになあ。帰りにもふもふぬいぐるみを買って帰ろうかなあ」
華桜璃は名残惜しそうに帰りの寄り道を考える。
「よーし、お疲れさん。そうだ、シュワルマでも食いに行こうぜ。あたしがおごるよ」
アリシアの言葉に全員がきょとんとする。
シュワルマってナニ? という表情だ。
疑問に思うのも無理はない。中東などの民族料理に類されるもので、一種の串焼きである。ただし、デカイ。70〜80キログラムもの肉塊を垂直の棒に突き刺して焼くという、見た目にも迫力のある、芸術的な料理だ。鳥肉などを使うこともあるが、羊肉がポピュラーである。
という説明を聞かされて可愛いの大好きなメンバーは悲鳴を上げて逃げ出した。
「美味いのになあ」
そういう問題ではないのだが。
……悪夢、終わってなかったかもしれない。
また第二第三のもふもふの恐怖が――来るかは、わからない。