「暑いですねえ…」
ハンカチで額の汗を拭き取るも、次から次へと吹き出てくる。ふう、と溜息をついたのは御堂・玲獅(
ja0388)だけではない。
「夏…といえば、夏らしいけど…」
それにしても梅雨からの急激な気温の変化に身体が参りそうだと雀原 麦子(
ja1553)は嘆く。
寺の奥まった一室に依頼を受けた八人が揃っていた。
まずは依頼人との打ち合わせをしようということだったのだが、急な来客でひとまず奥に通されたのだ。日陰で風通しが良く、井草の匂いのする八畳間は外より格段にマシだったがそれでも暑いことにかわりない。
「お待たせしました」
人好きのする優しい表情の僧侶は、困惑を胸に撃退士たちと向かい合った。
「凄い剣幕でしたけど、何かあったのでしょうか?」
「いえ…ええ。実は、また墓石が壊されまして」
その言葉に、撃退士たちの目の色が変わる。
「バカが調子に乗ってるってことだぞ。厄介さー」
「でもそれなら、今夜も現れるかもしれませんね」
与那覇 アリサ(
ja0057)の言葉に紅葉 公(
ja2931)が応える。
(一つ一つ解決するしかないですね。それにしても、墓地での悪戯は許せません)
その気持ちは皆一緒だった。
「まずは伊藤チエさんのお墓参りをさせて下さい。それから少々、お願い事があるのですが…」
●少年の胸の内
彼は怒っていた。
母を奪った自動車事故の犯人にも、母の墓を壊した犯人にも、母を忘れたかのように振舞う父親にも。そして何より、力のない自分自身に腹を立てていた。
墓の噂はあっという間に学校に広まってしまい、同情の目で見られるのが嫌で行くのをやめてしまった。
寺の人は見て見ぬふりをしてそんな優介を受け入れてくれたが、そもそもこいつらがしっかりしていれば墓が壊されることもなかったと思うと何もかもが敵に思えた。
「ねえねえ、君が優介君?」
知らない声に振り向くと、茶色の髪の女性が二人立っていた。麦子と公である。
「誰だよ」
「私たちは、お墓を壊した犯人を捕まえるために来ました」
その言葉に優介は目を見開く。
「そそ。だからちょっと話を聞かせてもらえないかな? ここじゃ暑いから、向こうで冷たいお茶でも飲みながら。熱中症になったら大変だからね」
目線を合わせてにっこりと微笑まれ、彼はおずおずと頷く。
「あ、ムギコたち上手く誘えたみたいだゾ!」
こそこそと様子を伺っていたミーナ テルミット(
ja4760)を始めとする他六人はほっと安堵に胸を撫で下ろしていた。大人数で囲んでは警戒心を煽るだけだろうと、少人数で行ったのが功を奏したようだった。
「それじゃ、私達は私達のできることをしよう」
菊開 すみれ(
ja6392)の言葉に他のメンバーも頷いたのだった。
優介は相手が自分の言い分をきちんと聞いてくれることを分かるなり、胸の内を洗いざらいぶちまけた。自分自身こんなに鬱憤が溜まっていたのかと驚く程たくさんの不満が口から出てきた。
「だから、俺が仕返ししてやろうと思って…」
「仕返ししたいという気持ちも分かります。だけど、それでもし怪我をしたら、とてもお母さんを悲しませてしまいますよ…?」
公の優しい言葉に、少年は俯く。
「そうね。仕返ししたい気概は買うけど、危ないことをするのは間違っているわ。それに、ニセ人魂程度じゃお仕置きにならないでしょ?」
「え?」
麦子の発言は意外なものだったらしい。
「もう会えないお母さんを安心させてやるためにも強いだけじゃなく、賢くね。お灸据えるのはお姉さんたちにも手伝わさせなさい♪ お墓の前で胸を張れる男にならないとね♪」
頭ごなしに叱るのではなく、褒めるところはきちんと褒めるのが彼女のやり方だ。
「犯人、本当に捕まえてくれる…?」
上目遣いに、今にも泣きそうな顔で問われた二人は自信満々に頷いて優介の頭を撫でた。
「絶対、捕まえます」
「約束するわ」
う、うう、と声を押し殺して泣き始めた少年を抱きしめてやりながら、二人は改めて墓石を壊した者への怒りを認識した。
●父の想い
「お墓壊すなんてだめなの〜! 大切な人が眠る大切な場所なのね〜。優介さんがお母さんを守りたい気持ち、きっとお父さんも同じだと思うの… 」
「優介君とお父さんはきっと、お互いに誤解してるんです。その溝を埋めてあげないと」
望月 忍(
ja3942)と菊開 すみれは寺で教えてもらった伊藤家を目指していた。寺の方で優介の父と連絡を取ってもらい、話ができる都合をつけてもらったのだ。何しろ見た目はか弱い女の子だから、説得力を持たせるためには一人よりかは二人の方がいいという判断だった。
「お母さんが亡くなって、お父さんも殆ど家にいないって、とても寂しいと思うの。わかってもらえるようしっかりお話ししないと…」
方針としては、優介の悪事に関しては触れないということで一致している。少年の追い詰められた心情を思えば、告げ口はさらに追い詰めるだけだ。
墓石を壊した犯人を捕まえるために協力して欲しいと述べるとその父親は快く二人を家に迎え入れてくれた。偶然の休日だったが、少々片づきすぎているのではないかと思うくらい、物が少ない室内をそっと観察しながら二人は勧められた椅子に座った。
「君たちみたいな若い女の子で、大丈夫なのかね」
品定めするような視線をぐっと堪えて、すみれは胸を張った。
「私たちは撃退士です。一般人相手なら絶対に負けません」
天魔と比べれば自信を持って断言できる実力が彼女たちにはある。
「撃退士? 撃退士なんかがなぜこんなところに?」
「墓地に人魂が出るという噂はご存じですか? それが天魔かもしれないという情報があって、私たちは確認と撃退のために来ました。お寺で聞いたのですが墓荒らしがいるとか…。私たちでお手伝いできるなら…と思って…」
忍は人魂が天魔であると印象付けながら、それに、と付け加える。
「私はおじいちゃんが亡くなって一年以上は、とても悲しくて、おじいちゃんがまだ生きている気がしたの…。お墓参りをすると、おじいちゃんに会える気持ちになるのね…」
他人事とは思えないと俯く姿に、優介の父親は遠い目をして、頷いた。
「私もまだ、妻が死んだとは信じられないでいます」
一回忌さえ済んでいないのだから無理もない話だ。
「その上、よりにもよって妻の墓が壊されるなんて…」
「お気持ちお察しします」
「私たちは犯人を捕まえて、伊藤さんに謝罪させたいと考えているの。もしかしたら夜半過ぎになるかもしれないのですが、お時間を作っていただけますか?」
その言葉に、彼は一気に顔を険しくした。
「…いいえ。犯人がわかったら殺してやりたいくらいですから、会わない方がいいでしょうね」
内に秘めた怒りは計り知れないものがあるらしい。
「ですが、息子さんがいらっしゃるとか」
「…」
「こういうけじめはちゃんとした方がいいと思います」
忍とすみれは根気強く説得を試みた。結果、彼は不承不承頷いたのだった。
●夜の墓地
「さーて、ようやくおれたちの出番さ! ハムちゃんと一緒だし、いつもよりチバルよ!」
アリサは手のひらと拳をぱしんと叩き合わせてニッと笑う。親友と一緒で心強いのは公も同じだった。
「人魂が出るか、墓荒らしが出るか、ドキドキですの」
夜の墓場に恐怖を感じていない月音テトラ(
ja9331)は静かに見回りを始める。ペアを組む玲獅はお手製のお化け変装セットを持っている。どうやらこれは墓荒らしへのお仕置き用らしい。
「お墓を壊した愚か者たちには、お仕置きが必要みたいね★」
にこやかに、しかし本気で怒っている麦子の隣には、
(よ、夜の墓地は怖いの〜)
若干腰が引け気味の忍がいる。優介の父には強く出られたが、目に見えないものにはちょっと弱いらしい。
「まずは緑色の人魂探しダナ! オテテつないでいくナ!」
ミーナに引っ張られる形でついていくすみれは、慎重に周囲を見渡している。射撃が得意な彼女の目は暗闇でも動くものを見逃さない。
北東、北西、南東、南西に分かれた四組の中で、いち早く気配を察したのは南西のミーナ・すみれ組だった。
「いたゾ! 緑の人魂!」
ゆらりゆらりと墓地を漂う人魂…の、ようなもの。数は三体。思いの外大きく、一体一メートル程はあるだろうか。
「こちら南西の菊開です! 人魂が出ました!」
すかさず電話で他の場所を見回っていた仲間に連絡を取る。
「メッサツするゾ!」
「はい!」
ミーナは剣を、すみれは銃を構える。その殺気を感じたのか、人魂はヒュッと二人の方へ寄ってきた。
そのままふぽぽぽっと小さな人魂、否、緑の火炎玉を飛ばしてきたので、ミーナはこれを盾で防ぐ。弾かれた火炎玉はふわっと虚空に溶けて消えた。
一番近くの人魂に向かってすみれは銃を放つ。追いかけるようにしてミーナが下から上へ切るようにファルシオンを走らせる。
「な、ナンカ手応えがないヨ!?」
訓練で素振りをしたような心許ない手応えに戸惑ってしまう。しかし即座に打撃攻撃が効きにくいと判断して別の攻撃体勢に切り替えた。
「みなさん! 打撃攻撃が効きにくいです!」
「了解ですっ」
仲間が駆けつけてくる姿が見えたすみれが叫ぶと、元気のいい返事が返ってきた。
「ディアボロですね!」
相手の正体を見極めた玲獅は杖を握り自らのアウルの攻撃性を高めて振り下ろす。風のように駆け抜けた力は炎のようなディアボロの体を確かに切り裂いた。さすがに一撃では落ちず、元通りにくっつくが少し縮んだような気がする。
「ハムちゃん! シノブ! どうやらそっちの出番さ!」
アリサはそう言いながらも、特殊な扇を広げそこから炎のようなアウルを敵に向かって放ち攻撃を仕掛けている。まるで舞っているような軽やかなのに優雅な動きだ。
「が、がんばります!」
出番だと呼ばれた二人は、この敵に対して有効な攻撃を得意としている。公は霊符を手に意識を集中させる。炎の熱量を上回る雷が人魂に襲いかかる。これはひとたまりもない。弱っていた人魂は地に落ちるようにしてかき消えた。
「え、えーと!」
忍は魔法書を片手に、もう片方の手を振りかざす。純粋なアウルの攻撃力に人魂はかろうじて耐えた。
「見てるだけは性に合わないのよね!」
「おとなしく眠るといいですの! 誰も邪魔しないですの!」
麦子とテトラも加勢し、敵の攻撃から墓地を守る。それだけは許さないという気迫での防御だった。
「こっちはこの後、馬鹿共のお仕置きがあるんですの!」
テトラの声に全員がうんうんと心の中で同意していた。こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。
「えいっ」
公の迸る電撃に緑の人魂は地へ墜ちた。
「さーて、こっからが本番だな! 気合い入れっさ!」
「ミーナもガンバルヨ!」
敵との相性もあるのだが、気合いの入れ方が違う者約二名。
「あ、いました!」
暗闇へ向かってすみれが指さす。彼女には墓地に侵入してくる集団が見えていた。
「悪さする奴はいねがー? …だったさ?」
ぎょっとしたのは侵入者の方である。
「コンナ時間にお墓参りナノカ!? 残念だが閉園時間をすぎてるゾ!」
前後挟み撃ちされた上、
「ここはあなたたちが騒ぐような場所じゃないの! さっさと帰りなさい!」
すみれに正論を投げかけられる。しかし酒気を帯びた集団は相手が女しかいないと見るや下卑た笑みを浮かべた。
「なんだよ。随分可愛い幽霊じゃねーか」
「あなた方は死んだ人間を冒涜するつもりですの? もし、あなた方の両親が死んでも同じようなことをしますの?」
テトラの真摯な問いを、リーダーらしき男は鼻で笑った。
「綺麗事を抜かしやがるぜ。俺なら酒の代わりにしょんべんぶっかけてやらあ」
「そりゃあいい!」
酔いが回っているとはいえ、性悪な連中である。
「話を聞きあがれですの! 一生おっ立たないようにしますの!」
あえて何を、とは言うまい。
墓を壊したこと、これからまた墓を壊そうとしていたことを自慢するように自ら暴露した連中がどのようにどれだけボコボコにされたかは、想像にお任せする。
ちょっとあのえっと、心霊現象とは別の意味で恐すぎるので。
この墓地にはおもしろづくで入ると凶悪な女性に襲われるという噂が流れ、肝試しなどの侵入者が激減したのだった。
●父と息子
性悪集団の発言を影で聞いていた父親は、複雑な思いで背中で眠る六歳の息子のことを考えていた。
起きていると言い張ってついてきた優介だったが、さすがに深夜となると眠気に耐えきれず眠ってしまった。
六歳の子供なら別に不思議なことではない。
だが、いつもなら自分は仕事をしている時間で、息子は家に一人でいる時間だと思うと胸が痛んだ。
「優介さん、眠ってしまいましたか…?」
忍が小声で話しかけてきた。
何しろこの暗闇では一般人にすぎない親子は物音だけを頼りにするしかなく、渡された懐中電灯も終わるまで点けないよう指示されていたから何が行われていたのかはよくわからない。阿鼻叫喚の地獄絵図は見えなくて正解だったかもしれないが。
だが、彼女がとても気を遣ってくれていることはわかる。
「…私は危うく、子供にあんなふうに思われる親になるところだったのかもしれない」
その言葉だけで、彼がどれだけ後悔しているのか察することができた。
「あの…もしよろしければ、私が料理を作りますので、みんなでご飯を食べませんか? 一家…ではありませんけど、賑やかな食卓はいいと思います」
その申し出に、彼は昼間の頑なな態度が嘘のように静かに頭を下げて感謝の意を示した。
「本当に、皆さんにはお礼の言葉もありません」
そこへ現れたテトラは、毅然とした態度で一息に言った。
「久々に母に会いに…墓参りに行ってきますの。では、お先に失礼しますの!」
ぺこりと頭を下げ嵐のように去っていく少女を呆然と見送り、やがて優介の父と忍は笑って顔を見合わせたのだった。
翌日、墓荒らしは警察に突き出される前に親子へ土下座して謝罪した。
優介は目をキラキラと輝かせ、活き活きとした表情で言った。
「お姉ちゃんたちありがとう! 俺、お姉ちゃんたちみたいに強くなる!」
…あまりの可愛さにぎゅううと抱きしめた人がいたとかいなかったとか。
撃退士の少女達は清々しい気持ちで帰路についたのだった。