その日は梅雨にの名に相応しく少々肌寒いくらいの気温で、小雨が早朝から降り続いていた。
授業を終えた学生たちがちらほらと体育館へ向かっていく。
学校で何かしら行事が開かれることは珍しくないが、今日はいつもと趣が異なる。何しろ学校で披露宴を開くというのだから、ジューンブライドに興味のある生徒たちはそれぞれドレスや儀礼服など礼装に着替えて会場に急いだ。
披露宴と言っても馴染み深い体育館だ。
ふかふかの絨毯もなければ、赤いバージンロードもない。
「教壇や学習机では見た目も良くなかろう」
と、鳳 静矢(
ja3856)を初めとした有志の即興スタッフで文化祭や喫茶店などで使う洒落たテーブルを借りて運び、白いテーブルクロスを掛けていく。急な話だったので用意が整わず、とりあえず行事用の紅白の幕を壁とステージにかけるだけだったのが、それだけで随分と華やかな雰囲気になった。
新郎新婦の席はステージに向かって右手壁側で、主役の席だというのに隅にあった。
これは学生の勉学の邪魔はできるだけ避けたい、今夜の主役はあくまでも学生達だという新郎新婦の意向を示したものだ。
司会のグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)や照明の若杉 英斗(
ja4230)、音響の鳳 静矢、カメラを担当する黒百合(
ja0422)や麻生 遊夜(
ja1838)が式の段取りの確認を取っていると、料理を満載した車がやってきた。
テーブルに並べられたディナーは、学生が食べるには少々格が高いが、結婚式のものにしてはくだけた感じもする料理が多かった。山盛りのパスタや焼き立てのピッツァなどは明らかに学生を意識したものだろう。
気軽にたくさん食べられるものを、という配慮のようだ。
デザート類はさすがに小洒落れいるものもあったが、美味しそうな見た目や匂いに釣られそうになってグラルスは笑った。
「さすがに今回は食べるのだけに現を抜かすわけにもいかないからね。後で残ってるのをもらう事にするよ」
司会進行役は大切な役目である。
ぞろぞろとやってきた余興披露組とも打ち合わせをしていると、そこに「ぬっ」とパンダの手が差し込まれた。何やら新聞を持っている。
『本紙独占スクープ 葵 華恋 結婚!!』
そんな見出しで飾られた新聞のようなパンフレットには、この披露宴の主催者である糸巻夫妻のことが書かれている。
「刷り上がったばかりだ」
そう言ってパンダの着ぐるみに儀礼服という謎の姿の下妻笹緒(
ja0544)はパンフレットを配っていく。このパンフレットで初めて主役の顔を知る者が殆どで、あっという間に笹緒は人波に呑まれていった。
「そろそろ時間だね。それじゃあ皆、よろしくね」
●新郎新婦入場
「それでは、皆さん。新郎新婦の入場です。拍手でお出迎え下さい」
やや緊張気味のグラルスの声に従って体育館の明かりが落とされ、入口にスポットライトが当たる。ゆっくりと開かれる扉の向こうで新郎新婦は腕を組み、幸せそうな笑顔を浮かべた。
新郎の糸巻 葵は灰色のタキシード。新婦の華恋は白い膝丈のふわふわしたドレスで、リボンと一体化したヴェールを髪飾りにしていた。結婚式にしては控えめな衣装の二人は、お互いに寄り添ってゆっくりと歩き出した。
固唾を飲んでそれを見つめる学生からは感嘆の吐息がこぼれた。
大切なのは流れている音楽でも、ましてや並ぶ料理でも見知らぬ客人でもない。
互いに信頼し合い、今が幸せだと自覚しているからこそ醸し出される独特のオーラとでもいうべきもの。
結婚については学生である分まだまだ先の話だと思っている者もいるし、既に結婚してもう一度学生をやり直しているという者もいる。それでも憧れることに違いなどない。
新郎新婦が着席したところで、司会がコホンと咳をする。
「こちらが糸巻 葵さんと、華恋さんです。本日の司会は私、グラルス・ガリアクルーズが務めさせていただきます。それでは、お二人と縁のある私たちの先輩撃退士、岸崎蔵人(jz0010)さん、祝辞をお願いします」
やはり儀礼服を着た蔵人はスポットライトの当たる司会卓の前に進み出た。軽く礼をして、こっそり卓の上にカンペを広げる。
「あー…、まず、急な話にも関わらず集まってくれたことに感謝する。既に聞き及んでいるかもしれないが、新郎新婦のお二人は京都の事件に巻き込まれ4月の挙式を延期されることとなった。葵さんと華恋さんは一般人としては最後まで京都に残り、他の方々を励まし、我々撃退士の手当もして下さった。本来ならばお二人の馴れ初めを話すべきだろうが、出逢ったのは京都の事件なのでその辺りのことは本人に聞いて貰いたい。葵さんは医師で、華恋さんは看護師だ。我先に逃げ出してもおかしくない状況で、最後まで現地に残り、その使命を全うした勇気はとても尊く、何よりも素晴らしい志だと思う。我々撃退士も、彼らに見習うべき点は多々あるだろう。死闘を繰り広げていたのは我々だけではない。我々が守るべきものは、何か。守った後に、何が残るのか。お二人はあえてこの学園で披露宴を開き、命の恩人に感謝の意を伝えたいと切望なさった。その尊い心遣いを無駄にしてはならない」
二人の職業や最後まで京都に残ったことはパンフレットで読んでいたが、やはり先達からの言葉は意味深で、重いものだった。
「お二人はこの学園の生徒に感謝を伝えたいと言われた。だが、俺はお二人に感謝を伝えたい。久遠ヶ原まで、遠いところをよく来て下さいました。ありがとうございます」
うっすらと微笑みを浮かべた蔵人は改めて礼をすると、一歩後ろに下がる。隣にはジュースの入ったグラスを持ったグラルスがいる。
「それでは皆様、乾杯の用意をお願いします」
立食式だから決まった席はない。手短なグラスを取って集まった人々は笑顔でそれを掲げた。
「二人のこれからの幸せを願って、乾杯〜♪」
雀原 麦子(
ja1553)の楽しげな声に応じて、体育館に唱和が響き渡った。
「乾杯!」
●歓談とお食事
「この度は、ご結婚おめでとうございます」
儀礼服の牧野 穂鳥(
ja2029)はそう言って花籠を差し出した。中には小さな薔薇と霞草が顔を見せている。
「ありがとうございます」
華恋が礼を述べると、穂鳥の後ろに大きな影が現れた。パンフレットを配っていた下妻笹緒である。
「いやはや、まさか全部取られるとは思わなかった。それだけ今回の披露宴の関心度が高いということだろうが…メールを差し上げた久遠ヶ原学園エクストリーム新聞部部長、下妻笹緒だ。この度はおめでとう」
改めて刷り直してきたパンフレットを二人に差し出すパンダ。
パンダの着ぐるみを着ているとは報されていたがその雰囲気は圧倒されるものがある。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
新聞風パンフレットは新鮮だ。自分達の結婚が大々的に取り上げられているのだから少しくすぐったさもあるのだろう。にこにこと微笑んだ新郎新婦の頬には朱がさしていた。
「あの…」
控えめに穂鳥が切り出す。
「京都の件で無事だった一般の方とお話するのは初めて、なんです。そちら側のお話を、ぜひ聞かせてください」
実は、ジューンブライド目当てではなくタダで美味しいものが食べられるというふれこみに釣られてきた者も少なくない。それ自体が糸巻夫妻の望むところだったので、皆それぞれに料理を皿に取って食べ始めた。そもそも夕飯時かつ晩飯を兼ねているので食べなければ損だ。
「く、食い意地張ってるとか、そういう訳ではありませんでしてよ!?」
そう言い訳しながらも十八 九十七(
ja4233)は自分の皿いっぱいに集めた色んな料理に舌鼓をうって、気付けばまた次の料理を取ってくるという大変な食欲を発揮していた。
「慌てて食べたらだめよー」
九十七の側で紫ノ宮莉音(
ja6473)はさりげなく注意する。せっかく青いシフォンドレスに黒いラメがついた半袖レースボレロ、青薔薇の髪飾りと衣装を一式見立てたのに意識は完全にタダ飯に行ってしまっている。
(スマートに…は無理みたい)
場所柄早食いのようにがっつきはしないが、ここ最近食抜いてたんじゃと思うくらいの食べっぷりに莉音はもはや諦めの境地だ。華は女性と、自身はスーツ姿で控えめにしてきたのに。しかしそこへ見知った顔がやってきた。
赤いドレスの宮本明音(
ja5435)と、白いシックなドレスのギィネシアヌ(
ja5565)である。
「ドレス素敵ですねー」
莉音の率直な感想にギィネシアヌは笑い、
「あかねちゃんも綺麗だね、フフ」
明音は深々と頷く。
「ふふ、赤いドレスで助かりました…あまりに可愛いからはなぢ吹き出す所でしたよ。髪の毛と相まってまるで天使みたいですからね。九十七ちゃんと並ぶと余計に可愛い…」
ばきっ
妙な音に三人が目をやると、九十七は手に持っていたフォークをへし折ってしまっていた。
「ここここれはピンク男子が持ってきた服でけけけ決して九十七ちゃんの趣味では…!」
真っ赤になってしどろもどろにもごもごしつつ、叫ぶように言った。
「…フォーク! フォーク取ってくるですの!」
「ヒールに気を付けてくださいねー」
和やかに見送られギクシャクと右足と右手、左足と左手を揃えて交互に出す奇っ怪な歩きを披露しつつ、人混みの中に混ざって行った。
「あら、男前だこと」
加倉 一臣(
ja5823)を見た青木 凛子(
ja5657)の第一声がこれだった。しかし即座にタイを直して、満足げに頷く。
「お、サンキュ」
大学生の二人は実にお洒落な衣装を纏っていた。
一臣はダークグレーのスーツに、白シャツライトグレーのタイ。サイドの髪を後ろへ流し、中々の男っぷりだが、凛子の方はもっと凝っていた。灰色がかった青の肩出しマーメイドラインのロングドレスが絹の光沢を存分に放ち、大人の色気を演出している。
「とびきり綺麗ですよ、お嬢さん」
「花嫁さんの次の次くらいには綺麗かしら?」
くすりと笑って、一臣にエスコートされるままに歩き出す。
二人はなぜかポラロイドカメラとカラーペンを持っている。食事に勤しむ参加者に声を掛けてはシャッターを切り、メッセージを書いてもらい、ポケットに入れていたミニアルバムに収めていく。
「好きな色のペンで名前とメッセージを書いて♪」
今日という日の思い出を、ということらしい。
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は、『こんな時分だからこそ、幸多からんことを』、影野 恭弥(
ja0018)はシンプルに『おめでとう』とだけ。それぞれの個性が出たアルバムとなった。
予備のフィルムを残し、二人は自分達も食事に勤しむことにした。なにしろまだ余興や新郎新婦の挨拶が残っている。全部使ってしまうわけにはいかない。
「ほら、頑張ったご褒美」
一臣はグラスを差し出すが、お返しにと凛子が差し出したのはこんもりと盛られた野菜の炒め物だった。切ない程野菜だらけだ。
「肉…」
「オミー、野菜を食べなさい」
めっ、と子供を叱る母親のように言ってやった凛子だったが、結局は肉料理も取ってあげることにしたのだった。まだまだ料理はなくなりそうにない。
「ただで食べ放題…なんて素晴らしい依頼なんでしょう」
うっとりとそう呟いたのはアーレイ・バーグ(
ja0276)。
彼女がガラゴロと押してくるワゴンには手作りのウェディングケーキが載っている。もちろんこれが人の目を引かないはずがないので、自然と注目を浴びるが彼女はそのまま新郎新婦のテーブルの前まで歩いていった。
余興でケーキ入刀をやりたいと言ったら、どうせなら先にやってしまおうということで急遽冷蔵庫から運び出して仕上げてきたのである。
驚いたのは新郎新婦の方である。こんな予定は入っていなかったから、のんびりと学生達の食事風景を眺めていたのだ。
マイクを手渡されたアーレイは声高らかに宣言した。
「これより新郎新婦によるケーキの入刀を行います! 久遠ヶ原風にずばっと禿天使を退治して頂きます!」
どよ、と緊張が走る。
天使ってナニ? あ、アレ。ケーキの上に! ギ…もといマッチョな禿天使のマジパンが乗ってる!
京都を襲った天使の姿など知るよしもない新郎新婦は、変わった趣向だとケーキの出来映えに拍手し、立ち上がってナイフを受け取る。
「ケーキよりもあの禿天使を狙ってくださいね」
「わかりました」
素直に禿天使を真っ二つにする『共同作業』に拍手と歓声がわく。
「主役さん方、こっちに目線よろしいですかー?」
さりげなく遊夜が撮影していた。
「新郎新婦の共同作業により禿天使は無事倒滅されました! 京都にも平和が訪れることでしょう!」
あとはケーキを切り分けて皆で食い尽くすのみである。
そしてアーレイはいそいそと美味いもの食いつくしの旅に出たのだった。
「あぁん、いいなぁ〜花嫁さん! ふゆみもだーりんといつかはらぶらぶうぇでぃんぐしたぁい!」
新崎 ふゆみ(
ja8965)も料理を作って持参してきたのだが、これはウェディングケーキとは趣の異なる可愛らしい小さなものだった。新郎新婦の葵と華恋を摸したマジパンに、一口サイズのケーキ。
「花嫁さんって、お化粧とかしてるから料理が食べにくいって聞いたことあるから〜…」
今回はそこまで着飾っているわけではないが、知り合いの殆どいない披露宴なので歩き回りにくいのは確かだった。二人は彼女の心遣いに満面の笑みで感謝を述べ、並んでカメラの前に立った。
「私らしくないけどォ…やるからにはしっかり撮影させてもらうわよォ♪」
怪しい笑みを浮かべながら黒百合がシャッターを切る。
「ブーケトス、楽しみにしてますっ」
本音をぽろりこぼしたふゆみは慌てて口元を隠した。
「なんだか、学生時代に戻ったような気がします」
学校の体育館というものは大人になると縁遠いものになってしまう。場所は違っても大体の構造と雰囲気は似たり寄ったりだ。そこに和気藹々と学生達が集っている。
昔を思い出すのも無理はない。
華恋の呟きに、ふゆみは目を輝かせた。
「お二人はどこで出逢われたんですかっ?」
恋する乙女として外せない質問である。葵と華恋は顔を見合わせると、くすりと笑った。
「元々は高校の同級生だったんです。まあ、当時は殆ど会話らしい会話もしたことがなくて、お互い顔を知ってる程度だったんですが…」
「卒業から四年経って同窓会があったんです。そこでお互い医療の道を志していると知って、意気投合したんですよ」
学生時代まったく意識しなかった間柄なのに、不思議と息が合った。
そんな話が聞こえた学生たちはなるほどそういう出逢いもあるのかと手を打っている。生徒の多い久遠ヶ原学園だから、依頼で初めて顔を合わせる人も珍しくなく、同級生と言われてもピンと来ないことがある。
彼氏(or彼女)が欲しい学生には新鮮な情報だった。
やがて食事の時間も終わりに近づいてきた。
「こんなにたくさんの人に祝福されて、私達は本当に幸せです」
心からの本音を声にして伝える。
穂鳥は軽く頭を下げて、柔らかく微笑んだ。
「どうか、いつまでもお幸せであってください。お二人の幸せは、私たちの足掻いた結果が、決して些細なことなどではなかった証ですから」
きっとこれからつらいことがあっても、撃退士を続けて行ける理由になりうるから。
●祝電披露
「お食事をされたままで結構です。お二人に届いた祝電を披露させていただきます」
結婚式にも披露宴にも都合のつかなかった撃退士からのものだ。
グラルスは練習したとおりに、ゆっくりと聞き取りやすいよう意識して読み始めた。
『葵さん、華恋さん、ご結婚おめでとうございます。京都で初めてお会いした時、本当なら今頃は結婚式を挙げていたのにと仰っていたのに、とても驚きました。ですがお二人はどちらか片方が残ることを拒み、互いを大事に想い合い、確かな絆で結ばれているのだと人の強さを改めて教えて頂きました。どうかいつまでもお幸せに。――K.A.』
『糸巻 葵殿、華恋殿、結婚おめでとう。せっかく招待してくれたのに時間の都合がつかず申し訳ない。某の代わりは学園の後輩たちに頼んでおく。後輩諸君、我々は一人だけでは生きていられない世界に住んでいる。そこで唯一無二の相手を見つけることは至難だろう。だが、努力もせずにそれを得られると思うな――T.O.』
祝電なのかどうか少々怪しい内容ではあるが、伝えたいことはわからないでもない。
「これは目移りするやな・・・ひとまず肉だな、うん」
「あらぁ、量優先かと思ったら結構美味しいわねェ…♪」
カメラ担当の二人も腹ごしらえをしていた。
「っと一枚頂きっ!」
パシャリ、とまた一枚。
遊夜がニヤリと笑った時、放送がかかった。
「それでは当学園生徒から、お二人へささやかな贈り物をさせていただきます。ステージにご注目下さい」
慌てて持ち場に戻る二人であった。
●余興
(一生に一度のイベント…失敗は許されないからな)
音響担当の静矢も緊張していたが、
(こんな事をするのは初めてだから、うまくできるかわからないけどね…)
照明担当の英斗の緊張もかなりのものだった。
「照明で、絵の良し悪しが決まるんだ。俺はやるぜ!」
小声で呟いて、ステージ中央に当たるよう位置を調整した照明のスイッチをONにした。
ステージには誰もいない。否、壁を走り空中で回転してステージ中央に着地した虎綱・ガーフィールドは朗々と口上を述べた。
「皆様! この良き日を御一緒でき幸いで御座る! 未熟な我らではありますがこの余興については真剣! 是非楽しんでいってくだされ! 余興の開幕で御座る!」
明るい表情と声に会場から拍手が上がる。
「さて、ここに出でたるは…」
ひゅるん、と炎の蛇が彼の袖から現れる。
「炎の蛇でござる!」
むくむくと巨大化して体育館の上の方をぐるぐると回り出した。
建物を燃やさないように極力注意しながら炎の蛇を操る虎綱は、蛇の頭を自分の方へ向け火がついたように見せて舞台袖へ走り出した。
「ギャー! デザートになるのは勘弁で御座る!」
喜劇に舞台の幕が下ろされる。
ステージの幕が開くと、一人の少女が一脚の椅子に立っていた。
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はぺこりと頭を下げる。
「お二人の新しい一歩のお祝いとして、この曲を贈らせてもらうね」
椅子に座って、オカリナを口に当て静かに演奏を始めた。
オカリナは柔らかくとても繊細な音を出す楽器である。奏法も他の笛と大きく異なるが、一生懸命練習しただけあって指に迷いはない。
それは誰もが耳にしたことのある旋律。聞いたことはあるが曲名が出てこない…そんな表情を袖から覗いていた“ゆめげん”の君田 夢野(
ja0561)と亀山 淳紅(
ja2261)は小声で曲名を言い当てた。
「乾杯の歌」
「だな」
オペラ椿姫の冒頭で歌われるもので、若い男女が惹かれ合いながら愛を歌う有名な曲だ。
(まだまだ色々と大変だろうけど、幸せになって欲しい)
オカリナで聞くと少し印象は変わるが、名曲であることに違いはない。結婚式でもよく用いられる曲である。
やがて演奏を終えると、ソフィアは一礼する。
するすると幕が下りるが拍手はなかなか止まなかった。
次に現れたのは氷雨 静(
ja4221)。
ただしスポットライトは新郎新婦の席に向けられていた。マイクを持った彼女は身振り手振り説明を始めた。
「新郎新婦は今までに沢山のデートを重ね、お互いの事を知り合いそして結婚へと至られました。お二人には共通の想い出が沢山あると存じます。そんなラブラブの頂点にいらっしゃる新郎の新婦に対する理解度を余興で確認しちゃいましょう。果たして新郎は新婦のことをどこまで理解できているのでしょうか!? 名付けて新婦理解度チェック!」
おー。わー。ぱちぱちぱち。
「では第1問! ズバリ、ファーストキスをした場所はどこ?」
おおー!
異様に盛り上がる学生たち。
「それでは、同時にフリップを表にして下さい」
くすくすと笑いながら新郎新婦はノリ良く答える。
『森林公園』『森林公園』
縦書きと横書きの違いはあるが、同じ答えだ。
「それでは正解のご褒美として、花嫁さん、新郎のほっぺにキスをお願いします」
わーわーわーわー!
激しく盛り上がる学生一同。
「続いて第2問! お二人は同じ高校の出身だそうですが、花嫁・華恋さんが入っていた部活はなに?」
えっ、とあからさまに困惑する花婿。どうやら本当に高校時代接点がなかったらしい。
『美術部?』『陸上部(短距離)』
食事の時間にこっそり正解を聞いていた静はニヤリと笑った。
「不正解! 華恋さんはインターハイにも出場した経験があるそうですよ!」
花嫁に手渡されるハリセン。彼女はそれを両手で持って、ぺしん、と葵の頭を軽く叩いた。
わーわーぶーぶー。
やっぱり盛り上がる学生達。
「早いですが最後の第3問。プロポーズの言葉はなに!?」
女生徒からキャーッと黄色い歓声が上がる。
花嫁は楽しそうに、花婿はやや困ったふうに答えを書く。
『結婚して下さい』『結婚して下さい』
ストレートな言葉にやんややんやと盛大に盛り上がる。
静はマーガレットの花束を華恋に渡して締めくくった。
「ご協力ありがとうございました!」
マーガレットの花言葉は真実の愛・誠実な心である。
大盛況の内にスポットライトが消され、またステージ場に向けられたのだった。
「…どうはいっていいか、わからないの…」
神埼 律(
ja8118)は余興に立候補していたものの、何をやるのか、何をしたらいいのかもまだ決めておらず、始まってしまった余興に焦燥を覚えていた。
会場をウロウロしていると、実に頼りになりそうな人物、岸崎蔵人を見つけた。溺れる者藁をも掴む。率直に相談してみた。
「…何をしていいかわからないの…」
蔵人は一通り事情を聞くと、律を伴って余興出演者用控え室を訪ねた。
「あら、どうかしましたの?」
物怖じせず尋ねて来た権現堂 桜弥(
ja4461)に、彼は言った。
「余興に参加したいらしいが、何をしたらわからないというのでな」
「へえ。なら、私と一緒に歌ってみる?」
「え…?」
「有名なラブソングだからわかると思うけど」
好意的な誘いに律は頷く。そんな律に蔵人は苦笑して声を掛けた。
「大切なのは上手いか下手かではなく、祝う気持ちだ。堂々としていればいい」
「…うん、がんばってみるの…!」
救いの光が見えた気がした。
「幸せな二人の為に必ず盛り上げるわよ」
「は、はい!」
即席ユニットなので律のぎこちなさは仕方ないが、桜弥はさすがのダンスの切れと歌声を披露してみせた。最後にステージから飛び降りて花嫁に話しかけた。
「おめでとう、貴方は絶対に幸せになれるわ。私が保証します」
新郎にはウインクで祝福し、改めて花束を二人に渡したのだった。
(ありがとう、か…。直接自分が救った人ではないとはいえ、そう言われると撃退士冥利に尽きるよ。その言葉を、何時の日か自分が言われるようになりたい)
君田 夢野は段幕の下りたステージで、相方の亀山 淳紅に目配せした。
「せっかくの結婚式やし、想い出に残るような歌を謡いたいねぇ」
考えていることは同じらしい。
幕が開くと、拍手喝采で迎えられた。
「では、私達ゆめげん声楽団からも、ささやかですが祝福の歌を贈らせていただきます」
「お二人の晴れの席という、素敵な舞台に立たせていただいてありがとうございます。自分の拙い歌で申し訳ありませんが、心よりのお祝いの歌を送らせてください、……やでー♪」
そうして二人はテンポを取ってカウンターテナーで、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」を歌い始めた。舞台慣れした二人の声に参加者はうっとりと耳を澄ませ、存分に酔いしれたのだった。
「さてお立会い。これなるは余興最後の御出し物。いざ御注目あれ!」
再び壇上に現れた虎綱と、なぜか静矢に挟まれて沙酉 舞尾(
ja8105)がぺこんと頭を下げた。
二人が床に置かれた輪状のカーテンを持ち上げ、するっと下ろすとそこには見知らぬ男が立っていた。変化の術と早着替えを組み合わせた出し物に、一瞬誰かと入れ替わったのではないかと思ったが、再びカーテンが上げられまた別の人物が現れると舞尾が何をしているのか理解した観客はどよめいて拍手を送った。
最後に現れたのがなぜか岸崎蔵人だったのに皆首を傾げたが、本人は客席からそれを眺めていた。
(京都で一緒にいた奴らのことを聞いて来たのはこのためか)
…と、一人納得していたのである。
最終的に彼女はプレゼントに化けて出た。
パパパパパーン! と会場に出てきていた余興組がクラッカーを打ち鳴らし、大声でおめでとうございますと唱和した。
「どうぞ」
舞尾は白で統一された包装紙のプレゼントを差し出し、新郎新婦は笑顔でこれを受け取ったのだった。
●祝辞と…
「皆さん、学業に仕事にと忙しい中、今日はお集まりいただきありがとうございます。改めまして、糸巻 葵と申します。本当は私達が感謝を伝えに来たのに、楽しい時間をもらってしまいました。ありがとうございます。そして、京都を救ってくれて本当にありがとうございました。私達は皆さんのように武器を持って戦うことはできませんが、『死』と戦う職に就く者です。…人生にはつらいことや、どうしても納得できないこと、時には我を失う程悲しいことがあります。どうか、そんな時には私達のことを思い出して下さい。皆さんのお陰で生き長らえることができた私達のことを。仕事だからと片付けてしまうことは簡単かもしれません。でも、私達は皆さんに受けたご恩を決して忘れません。皆さんがいたからこそ今日この日を迎えられ、また明日へ向かって行けるのです。自信と誇りを、忘れないで下さい」
医者の語る言葉に、参加者は耳を傾ける。
人の命を救う仕事であることもまた、撃退士と同じなのかもしれない。
「私達は一人では生きられない世界で生きています。私は華恋というかけがえのないパートナーを得られたことをとても幸せだと感じています。彼女と共に未来を生きていけることに希望があります。そしてその希望を与えてくれたのは皆さんです」
静かな声だった。
「本当に、ありがとう」
しかし万感の想いが込められていた。
隣に立つ華恋も深々と頷いている。
そして彼女はスタッフに誘導され、ステージに上がる。
「それでは、糸巻 華恋。これよりブーケを投げさせて頂きます!」
「参加される方、どうぞ前の方へ」
司会の声に釣られてわらわらと女性がステージ前に集まる。
これは花嫁が学生のために希望したサプライズだ。自らも女の一人としてこれに憧れる気持ちはよく知っていたし、機会があるなら参加してみたいと思っていたことがあるからだ。その期待通り、ステージ前の女学生たちは今か今かと目を輝かせて待っている。
「花嫁さんのブーケ…憧れ、です」
舞尾は頬を染め、
「妻である前に女だもの」
と堂々と胸を張る凛子。
興味がないフリをしてそわそわと落ち着きなく参加する桜弥。参加する理由は様々だ。
「さてさてブーケは誰の手に?」
煽り立てる遊夜の声に女性陣は一層腹に力を込める。
中でも特に気合いを入れていたのが、
「取るよ、取るよ! だーりんと結婚するんだもんッ!」
新崎 ふゆみである。
華恋がブーケを投げた瞬間思い切りジャンプした。
「…ってええええーーーーい!!」
そして見事キャッチ。
「は、はわわわ…やったよだーりん! ふゆみやったよーーー!」
フライング気味の脚力だがそれはあえて言うまい。取れなかった女性たちは羨ましそうにしながらおめでとうと祝福している。
●閉宴宣言
「それでは、これにて糸巻夫妻の結婚披露宴を終わります。どうか拍手でお見送り下さい」
拍手喝采の中、新郎にエスコートされて新婦も歩き出す。
寄り添う姿はひとつの理想と言えた。
(うふふふゥ、折角の披露宴だものォ…ばっちり記念に残しておかないとねェ…♪)
黒百合はしっかりカメラを持って待ちかまえていた。
退場する新郎新婦に、光と花びらが降り注ぐ。
仕掛け人達はその出来映えに納得しながら、拍手で見送ったのだった。
「…ああ、これでようやっと落ち着いて食事ができる」
司会という大役を果たしたグラルスは額の汗を拭いつつ皿に手を伸ばした時、すっと様々な料理の乗った皿が差し出された。
「司会お疲れ様♪」
麦子である。
その他、
「麦子ちゃん、あっちにまだお酒のおかわりとかありましたよっ」
麦子を呼びに来た明音や、まだ食べ続ける九十七やアーレイ、役目から開放された黒百合や遊夜などが宴の残り香を楽しんでいる。
「ご苦労だったな」
そこへ、蔵人がやってきた。労いの言葉に、微かな笑み。
「やっぱり笑わないとね!」
麦子はやけに満足げだ。実は『結婚式という場で仏頂面はよろしくない』と、催促しまくっていたのだ。
(笑ったからって別になにがあるってわけでもないけど、笑顔をもぎ取れば勝った気分になるし、ダメだったら負けた気分になるし。笑ったもの勝ちって理論!)
調子に乗ったのか酔っぱらったのか麦子は笹緒に絡み始めた。
「ねえねえパンダちゃーん! なんで余興出ないのよう。楽しみにしてたのにー」
「そんなネタを仕込む余裕は…待て。ビールをかけるな。待て。缶を振るな。…やめろやめろやめろぉー!」
逃げ出すパンダ。追いかける酔っぱらい。愉快な光景をパシャリとカメラに収めつつ、遊夜は笑った。
「これは是非配らないとな」
撮った写真は編集して参加者に配布する予定である。
ふらりと新鮮な空気を吸いに外へ出た英斗は、すぐそこにいた新郎新婦の背に声をかける。
「今日はおめでとう!」
いつの間にか雨はあがっていた。