「請け負った任務が70超えてるんですよねぇ……そろそろ新米卒業なんでしょうか?」
自己評価は弱くはないけれど強くもない、と冷静に考えているアーレイ・バーグ(
ja0276)は、待ち合わせより少し早くやってきた護衛対象を見て答えを一時保留することにした。
「今日はよろしくね」
喪服のつもりか黒いパンツスーツ姿の山咲 一葉(jz0066)にいつものような明るい笑顔はない。手には白百合の花束を持っている。
「お花、リィも用意してきたのです。カズハちゃんせんせー、移動中折れないように護ってもらっててもいいですか?」
エヴェリーン・フォングラネルト(
ja1165)が言うと、一葉は少しだけ微笑んで頷いてみせた。
(護られるだけって言うの、リィならヤですからお花と戦闘後の手当てをお願いするのです♪)
さりげない心遣いだった。
「行って帰るまでがお仕事ですね。頑張りましょー」
ぐっと拳をにぎりしめるエヴェリーンの言葉に一同はそれぞれの仕草で同意し、出発した。
●防風林にて
「大切なお花が海風で散ってしまわないように、大事に持っていらしてね」
青木 凛子(
ja5657)は気遣わしげに言うと、目の前の防風林に意識を集中させる。
「あらあら、悪い坊やたちがいるわね」
彼女の優れた眼は正確に木々の間を蠢くものを捉えていた。
(カズハちゃん先生とプチ旅行できるなんて滅多にない機会だわ。レディのことはちゃんと守ってあげなくっちゃ。悪い坊やたちは、全員ねんねしてもらわないといけないわね)
そんなことを考えながらライフルを構える。
「空気の読めないディアボロってことか」
御影 蓮也(
ja0709)は薄笑いを浮かべる。
「先に行きます」
佐藤 としお(
ja2489)、唐沢 完子(
ja8347)、枯月 廻(
ja7379)は斥候として進み、有利に戦うためのポジションを確認する。そして後方の6人に報せて、剣を持った…とうよりも手にぶら下げた骸骨に向かって攻撃を仕掛ける。
真っ先に飛び出したのは廻。
「会いたかったよクズ共。そしてお別れだ――今すぐ地獄に送り返してやる」
憎悪のこもった物騒な呟きと共に手甲に付けた刃を振るう。切れ味は鋭く、上腕骨を切り落とした返す刃で頸椎を破壊する。どさりと敵の持っていた武器と骨が地面に落ちるが、それでもまだ骨だけの敵は動き続ける。
「えいっ」
完子は弓で、としおはライフルで正確に敵を狙い撃つ。なんとか保っていた形も、凛子のライフルの一撃で砂のように崩れ落ちた。だが油断なく告げる。
「次っ」
ぱちん、と完子は指を打ち鳴らして歌うように告げる。
「見えざる魔物の暴虐に、万人天魔は等しく狂う」
その瞬間、敵は肋骨を粉砕されながら後方へ吹き飛ばされた。無論その隙を逃すことなく廻がとどめを刺す。
敵は一葉を守る本体にも接近してきていた。
「さて、とっとと邪魔者を殲滅してしまいますか」
アーレイは気軽に言って敵を指さした。その指から風が巻き起こり、激しい渦を巻いて骸骨に襲いかかる。
「蹴散らすぞ」
蓮也の言葉に頷いて星杜 焔(
ja5378)は双剣を右と左にそれぞれ薙ぎ払う。体を分断された敵の残った部分は蓮也の操る金属糸で粉々にされた。
反対側から来た骸骨も、
「絶対触れさせないのですー!」
エヴェリーンの特攻と、それを補助するように放たれたライフルであっけなく崩れ落ちたのだった。
「海でナンパするなら、もうちょっと筋肉つけなくちゃモテないわよ」
骨だけの敵に皮肉を贈った凛子だった。
意外にも数が多いディアボロに、廻は淡々と向かっていく。武器をハンマーに持ち替えた完子も実に勇ましく戦う。
「女王様なんて呼ぶプレイは飽きてるかしら? だったら女帝とお呼びなさいな」
レガースのピンヒールで蹴り込み、思い切り踏みつけ、極上の微笑を浮かべた凛子はそのまま足下に向かってライフルを連射する。容赦ない攻撃に、友人である焔は「わあ」と目を丸めた。
数だけいても連携するだけの知能を持たない相手だけに、殲滅するのにさして時間はかからなかった。その間一葉は彼らの足手まといにならないようにつかず離れずの距離を保ち、彼らの実力をじっと観察していた。
●思い出の地が見える場所にて
崖の上で一葉はただそこから見える景色を見ていた。
花束を持つ手が、僅かに震えている。
(カズハちゃん…)
道中で簡単に話を聞くことができた。
大切な人達の遺体は回収できなかった――否、遺体そのものが発見できなかったということ。
もしかしたらどこかで生きているかもしれないという甘い希望は、持てないこと。
法的には未だ行方不明扱いだが、生きているとは誰も思っていないこと。
だから彼らの身内も早々に葬儀をあげたこと。
身内のいない仲間は未だ葬儀もあげられぬまま、戸籍だけが宙に浮いている中途半端な状態なこと。
かろうじて一命を取り留めたものの、生きる希望を見いだせなかったこと。
大切なものを奪った相手へ復讐するためにしか生きられないこと。
そして、戦う力を失った自分にはそれすらも誰かに託すしかないこと。
(死んだはずなのに、それがはっきりしないから辛かったんだろうな)
としおは一葉の心中を察し、胸を痛める。
(カズハちゃんは前に進むためにここに来たんだ…。復讐を掲げなければ生きていくことさえつらいから。…本当はあの島まで行ってあげたいんだけどね…)
それでも、いつまでも縋りたくなる甘い希望と決別するために、一葉は小さく呟く。
「さようなら」
骨の一片足りとて残らぬ死を迎えたと思われる親愛なる人達を想い、白い花束を海へ投げ入れる。
そうしてそのまま、一葉は物思いに耽るように動かなくなった。
(…せめてその心は安らかに…)
顔も知らない赤の他人でも願わずにはいられない場面だった。
●それぞれの想い
時間をかけて恋人を失うのと、目の前で恋人を殺されるのはどちらがマシなのだろうかとアーレイは思う。彼女の恋人は身体が弱い上に癌にまで冒されて医者が匙を投げている状態なのだ。つまり長くても高校を卒業するまえに恋人を看取らなければならない。しかも死因が癌であるゆえに一葉のように何者かに怒りをぶつけるということも出来ないのだ。
責める相手が自分以外にいることは、ある意味幸せなのだろうと。
言葉には出さないが、死んでしまった人のことを何時までも想い続けても相手が生き返ってくるわけではないと、やや批判的な思いを抱いていた。復讐など以ての外。
彼女の恋人は、自分が死んだ後彼女に墓守を求めるとは思わないから。
普段依頼をえり好みしたりしないが、今回に限っては生と死について思うところがあったからここへ来たのだ。
(…復讐の道具、結構じゃないか)
廻はいっそ冷ややかに自分のことを道具でいいと認めていた。
家族を、友を、大切な人を天魔に奪われた彼は、同類である一葉に興味を持って同行したのだ。
(転がり出した石は、坂の終わりまで止まらない。同じだよ。この命が尽きるまで、俺の復讐が止まることはない。…何れにせよ、俺にはもう復讐以外の何も残っちゃいないしな)
復讐を肯定し、他人をその道具にすることをも肯定し、そのためになら天魔さえも利用することを肯定する。アーレイとは真逆に、あまりにも一葉の思考を理解しすぎた彼の考えは狂気じみていた。
生きる目的とは何か。
生きる意味とは何か。
綺麗事など心に響かない彼にとって、復讐だけを支えに生きる一葉は己の鏡のように思えた。
(…アタシの家族は、幼稚園の頃に天魔に皆殺しにされた)
完子もまた、一葉の背を見て何とも言えない想いに捕らわれる。
(先生になろうと思ったのも、立派な撃退士を育てるという「建前」。結局は、先生と同じなのかもしれない。…だからアタシは、先生の事を認めます。例え間違っていたとしても、皆が反対しても…この心もまた、あるべき人間の姿ですから…)
復讐という自己満足に誰かを巻き込む罪悪感を知っても尚、止められない激情。憎悪と切り離せない閉塞感と心痛。
おそらく、復讐を果たしても決別できない感情だろう。寂しげな微笑みはそれを理解していたからかもしれない。
いつもにこやかな焔の笑みも、少しだけ陰を帯びていた。
学園には愉快な悪魔や天使が居て、自身も撃退士で。
(種族括りでの復讐はない、と思う。奪う者あれば、それが敵。この手で守れるものを守るだけ…)
黙したまま耳につけたイヤーカフに触れて、俯く。
焔もまた家族や友人を天魔に奪われた者だった。
思考が麻痺したように断片的に蘇る光景。
…両親や友人は悪魔に
…両親の最後のカレー
…悲しいのに笑みが毀れる程美味しくて
…その後の孤独は人間に
…施設を点々とし
…再び得た家族は天使に
…俺を癒してくれた一歳下の
…妹の様な少女は
…撃退士と天使の戦いに運悪く巻き込まれ
…それがきっかけ
…少女を抱き逃げる俺は虹色の炎纏っていた
(『かもしれない』には無限の可能性があるが、絶対に知る事叶わぬ別の未来)
あの時の、彼女の言葉。
「ライラックの花が咲いた様」
花言葉は、初恋。
静かなくちづけが、彼女の最期の想い。
もっと早く気付けていたら、彼女を幸せにできたかもしれないのに。
考え出したら止まらない『もしも』に焔はただ唇を噛んだ。
(まだ敵がいるかもしれない、警戒だけは怠らないようにしないと)
蓮也は気を引き締めつつも、やはり何かやりきれないものを感じていた。
皆示し合わせたように押し黙り、重い空気が漂っている。
気軽に踏み込んではいけない何かを誰もが持っているのだと思わざるを得ない。それは血の繋がりに関することかもしれないし、唯一無二の友人や恋人のことかもしれない。或いは、同じ撃退士としてありうる、自分の未来の姿を見せつけられたような気がしたかも知れない。
仲間を失うこと。
仲間を残して死ぬこと。
大切な人を悲しませること。
何もかもを亡くして絶望すること。
一葉から少しだけ離れた場所で、海に花と酒を注ぎ入れ、死者の安らかな眠りを祈る。
隣に立ったエヴェリーンも持参した花を投げ入れる。
波に飲み込まれていく花を見つめながら、ぽつりと呟く。
「…カズハちゃんせんせーって強いですね。『生きる』事を選んでますもん。リィ、同じような事が起きたら…」
以前で、救出の依頼を受けたことがあった。その人が片腕を失っただけでも凄く悔しかったのに、と。喪った悲しみや虚しさ、自分への絶望や怒りを想うと涙がぽろぽろとこぼれた。
「あ、あれ…? 苦しんでるのはリィじゃないのに、変ですね」
ぐしぐしと顔を拭っても、拭っても涙は溢れた。
としおと完子も献花を終え、元の位置に戻る。かける言葉が見つからないのか、それとも言葉をかけない方がいいと思ったのか、一同はただ一葉の心の整理がつくのを待った。
やがて重いため息を吐き、涙を拭う仕草をして、深呼吸をした一葉はいつものように微笑みを浮かべて振り返った。
「ごめんなさい。待たせたわね」
あくまでもにっこり笑う一葉に向かって凛子は日傘を差し出した。
「紫外線って強敵よね」
そのまま相合い傘状態でウインクする。
「カズハちゃん先生のお肌も守らなくちゃ」
ふふ、と冗談めかした言葉に一葉も頷いた。
歩き出しながら、蓮也がぽつりと呟く。
「…復讐の道具、別にいいと思いますよ。自分でできないから人の手を借りる、当たり前のことですし、個人の戦う理由はそれぞれです」
それに、と付け加える。
「それに、ちゃんと教師として心配してくれてる。京都の時だって部活も見回ってくれて。立派に先生してますよ」
戦いに参加できないため、一葉は久遠ヶ原学園で生徒の帰りをただ待つしかなかった。少し前まで最前線で戦うことができた人には苦行以外の何者でもなかったろうに、一葉は生徒が無事に帰ってきたことを心から喜んだ。
「一葉先生には色々世話になってます。まあ、問題も色々起こしてくれてますが。多くの生徒から愛されてると思いますよ」
照れくさそうにそっぽを向いた蓮也に同意するように、凛子もうんうんと頷く。
「人生山あり谷ありよね」
「帰りもしっかり護衛といこうか。帰るまでが依頼だしね」
もう一度倒し損ねたディアボロがいないか確認していかないとと語る若い撃退士たちがとても頼もしく思えた。
「カズハちゃん、みんなで写真撮りませんか?」
としおが提案するときょとんとした一葉の代わりに凛子が頷く。
「いいわね! 楽しい思い出にしましょ」
できれば全員笑って、ということだったが笑わない無愛想と引きつった笑いになってしまった者若干名。
だが一葉はそれを嬉しそうに受け取った。
戻らない時間、取り返せない命、失った多くのもの。
それらを胸に抱きながら、一葉は生徒達へ言った。
「ありがとう」
と。
…例え自分が復讐という道しか選べなくても、決して後悔はしないように。