深夜であるにも関わらず急いで出発した撃退士たちは、事件が起きている町の警察署に顔を出した。
予め行方不明になった児童の通学路などを調べてもらい、色違いで印を付けた地図と最新の情報を受け取るためである。特に、電波の届かない場所の情報が肝心だった。
鈴原 りりな(
ja4696)は率直な感想を述べる。
「この地図を見る限り、地下室のある家は全然ないね。集会所や小学校の倉庫くらいかな」
人数分をコピーされた地図を全員が食い入るように見つめている。
「こうして見ると、本当に狭い区域で消えてるんですね」
しみじみと言ったのは人の良さそうな笑みを浮かべた相楽 空斗(
ja0104)。
「しかも結構重なってる…これなら囮もうまくいくかも」
「命を危険に晒す囮作戦はあまり気がすすまないが…近道には違いない、か」
「大丈夫だよ、名芝先輩! それよりも女の子たちが心配だもん、早く助けなくちゃ!」
囮役の犬乃 さんぽ(
ja1272)は名芝 晴太郎(
ja6469)の背を叩いてにこっと微笑んだ。セーラー服を着てはいるが、れっきとした男である。
「あ、そうだ。お願いがあるんですけど。女の子たちを見つけたらすぐにお知らせしますが、救急車とかのサイレンを鳴らさないようにお願いできますか?」
青空・アルベール(
ja0732)は熊のぬいぐるみより先に女児たちを発見した時のことを考えているようだ。
がさごそと紙袋を取り出したさんぽは、ではさっそく、と言わんばかりにヨーヨーの蓋を開け、蓋裏の鏡をコンパクトのように除きながら呪文を唱えた。
「パラリンマヤコンサンボダイ、鏡影招来…女の子になぁれ!」
いわゆる変化の術…自らの肉体を縮めたり大きく見せるもので、一般人にはまず見破れないものだ。さんぽの身体はみるみる縮んでいき、ちょうど今回ターゲットになっている年頃に化け、用意してきた子供用の服を身につける。
「その…変じゃ無いかな?」
頬を染めながら仲間を見上げると、なぜかにこやかな笑みが返ってきた。
「可愛いわよ。全然変じゃないわ」
鴨志田楸(
ja0181)が断言するとその場の全員が頷く。確かに、金髪の美少女がそこに立っていた。
「これでいつ悪魔に会っても大丈夫かな」
今まで着ていた服やタオルを鞄に詰め込んだ。それを見て各自出発の準備をする。
「よし、初仕事頑張りますかっ。みんな、無事でいてくれよ…」
ニコル ブラウン(
ja0948)は気概半分、心配半分といった様子で呟き、
(ぬいぐるみ、の イメージ悪くなるようなこと、許せない……から。さらわれた子、心配 だし。帰り、待ってる人たちも、かわいそう。初依頼。みんなと力あわせて、頑張る。クランドの分 も)
針生 廻黎(
ja6771)は胸中で決意を新たにした。
●
まずは現在明らかになっている地下室――携帯の電波が届かない場所の捜索からだ。現在候補として挙がっている場所を、捜索隊の人手を借りて廻黎が順繰りに回る。
集会所の倉庫や小学校の倉庫など、先に子供たちを見つけられたらもっけの幸いと淡い期待を持っていたが、いずれも子供たちがいた痕跡はなく、改めてバツ印が付けられることとなった。
●
問題の熊のぬいぐるみリュックを手分けして探すのも重要課題である。
概ね通学ルートを中心に二、三人ずつに分かれて見落としがないよう慎重な捜査を展開していく。
囮担当の犬乃 さんぽは主に通学路や公園等、小さな子供が通りそうな場所を中心に『ニンジャの基本は足!』と意気込んでいる。
その後方、あまり離れないようにしながら別の道の確認も怠らない晴太郎とニコルである。万一相手が囮に食いついてきた場合を想定して、つかず離れず、不自然でない距離を保ちながら捜索は続けられていく。
「なんで小さい女の子ばっかり狙うんだろうね、ろりこんなのかな?」
「いくらかわいい熊さんでも誘拐はいただけないわね」
「ん。とにもかくにも救出、だね」
青空と楸は微妙に噛み合わない会話をしつつ、通学時間帯に備えて子供たちが多く使うという通学路を見張りにかかる。ここで姿を消した女の子もいるので自然と目つきが厳しくなる。
「ぬいぐるみのリュック…女の子が好きそうな物だよね」
「ぬいぐるみはお祓いしないと霊が取り憑くっていうけど…何にせよ、未だ芽でしかない少女達を、ここで摘まれちゃダメだよ」
万が一の時の第二の囮役りりなは空斗と話をしつつ、被害者を保護できる人数の警察官を伴って捜索に熱を入れていた。一般人が見逃してしまうような幻覚でも、自分たちなら見破ることができるかもしれない。責任の重大さを彼らはきちんと理解していた。
●
七時半を回ると子供たちが一斉に登校を始め、どこにこれだけの量の子供がいたのかという疑問が湧く程だった。勿論、子供たちの側には付きそう父兄たちの姿がある。
学校近くの公園の中をてくてくと歩いていたさんぽが、奇妙な動きを見せたのを晴太郎は見逃さなかった。
「ニコル君! さんぽ君がぬいぐるみを持っている…!」
「…え? いつの間に!」
木陰で一瞬姿が見えなくなっただけだというのに、年端もいかない少女に化けたさんぽは紛れもなく熊のぬいぐるみリュックを大切そうに抱えているではないか。
「魅了され…ているようだな」
あくまでも遠目に見た感想だが、もしかしたらそういう演技なのかもしれなかった。どちらにしろ、うまく囮に食いついてくれたというわけだ。
「ニコル君、連絡を頼む」
「わかりました」
さんぽの後ろを気配を殺して追いかけながら晴太郎は考える。
(今、自分にできることは事件の解決……女児の保護、天魔討滅、そして仲間の被害を最小限にすることだ。ヌイグルミの天魔……別に黒幕がいる、か?)
考え過ぎかもしれない。だが、普段の優柔不断な性格からあれやこれやと考えを巡らせてしまう。
「名芝さん、道すがら全員合流できそうです」
晴太郎が目を離さずにいる間、ニコラが仲間に現状を報告し、GPSで現在値を報せて合流を呼びかけたのだ。
「そういえば、色付きのお米を目印に落としていくって言ってましたけど、それらしいものはありませんね」
ニンジャの知恵の結晶、不発。
「と、なると、相手はかなり強い魅了を使うということか。皆に注意するよう伝えておいてくれ」
「はい」
一人二人と合流してみてわかったのだが、既にさんぽの姿は一般人の目には映っていないらしい。だが、撃退士七人の目はしっかりとその姿を捉えていた。
「結構可愛い熊のぬいぐるみなのだ」
可愛いもの好きの青空がぽそ、と呟くとさすがに不謹慎だったのか、誰も返事をしなかった。
●
さて、熊のぬいぐるみはどこへ少女たちを誘っているのか。
ある建物が近づいてくるにつれ、一緒に行動している警察官たちの表情が強張り、青ざめていく。
いやまさか。そんなばかな。
少女の姿をしたさんぽは躊躇うことなく警察署に足を踏み入れ、地下への階段を下り始めた。
「盲点だね…! 確かにここも学区の一部だ」
地図を確認しながら空斗が言うと、警察官たちは一気にどよめきだった。今まであちらこちらを探してきたが、さすがに署内を探したりはしない。一般人には劇的な効果を現わす幻影のお陰で見回りをしてもまったく気付かなかったということになる。
「地下には何があるのかな?」
りりなの問いに、簡易留置場と天魔に襲われた時に備えた非常食糧や毛布、自動車を動かすためのガソリンなどが蓄えられている倉庫があると警察官の一人が説明した。留置場の中には今は誰もいないはずだという。
「してやられたって感じね。ある程度、頭が良いかもしれないから気をつけないと」
女児を狙う方法や隠れ家の選択、幻術を用いた犯行の数々。ぬいぐるみが犯人だと思っていたがもしかしたら道具のひとつでしかないのかもしれない。
嫌な予感を胸に抱きつつ、躊躇いなく鉄格子の中へ入って行ったはずのさんぽの姿を認識できなくなった撃退士たちは警戒心を強めた。留置場内部は誰もいないように見せる結界じみた幻影で覆われているようだった。
「中がどうなっているかはわからないが、虎穴に入らずんば虎児を得ずということわざもある。ここで尻込みして何が英雄か!」
いつの間にか一同の後ろに深紅の衣装を身に纏い、ゴーグルをつけた青年が立っていた。不審者…ではなく相楽 空斗、もといトリックヒーローACTである。
「あっくん、いつの間に!?」
空斗とACTが同一人物であることに気がついていない青空は純粋に驚くが、他の面々は覚悟したように自らの獲物を抜いた。
「突入後、連れ出せるようなら女の子たちを救出します。皆さん、ショックなのはひとまず置いておいて、女の子たちを地上に運び出せるよう準備を整えてください」
冷静に晴太郎が言うと、我に返った警察官たちが慌てて階段を上って行った。担架や救急車を手配するためだ。
「囚われのお姫様達を――救出しに行きますか!」
晴太郎の言葉に頷いて、七人は誰もいないはずの留置所へと入って行った。
●
犬乃 さんぽは思い通りに動かない、否、勝手に動く自分の体に大変不愉快な気分に陥っていた。撃退士だからか意識までは奪われなかったものの、操り人形よろしく見知らぬ道を歩かされるのはちょっと怖いものがある。
(女の子達の安否が心配だもん…!)
そうして辿り着いたのが警察署で、驚きつつも見つからないわけだと納得してしまった。留置場の鉄格子の中へ入ると、そこには巨大なテディベアが畳まれた布団の上に座っており、六人の少女たちは無造作に床に寝かされていた。深い眠りについているようで、自分の意思で動くことは困難なように見えた。
(場所は突き止めた! 後は皆が来てくれるのを待つだけ…)
女の子の姿をしたさんぽは操り人形の糸が切れた人形よろしく、かくんとその場に膝をついて座り込む。その時、腕の中の熊のぬいぐるみリュックがのそのそと動いて、自分の足で歩き始めたではないか。驚きの光景を、さんぽは自由の利かない体でただ見つめているしかなかった。
「あくまぐるみ、見つけた」
廻黎の呟きがやけに大きく聞こえた気がした。
「あはは、ぬいぐるみがもう一体いるよ! あれも仲間だよねえ!」
笑っているようで完全に目が据わったりりなは天魔に対する復讐心に身体を委ねる。
「六人の女の子…と、さんぽね。囮作戦成功ってところかしら」
楸は大胆に留置所の奥へと踏み込んで、少女達を庇うように立った。
「さんぽさん! さんぽさん!」
ニコルがさんぽの肩を掴んでゆさゆさと揺するも体の自由は戻ってこない。そこへ、晴太郎が力をこめてさんぽの頬を叩いた。
「…いったー…」
「叩いてごめん。それとおはよう」
割と容赦のない一発にさんぽは頬を抑えるが、自分の身体が動くことに気がついて、にいっと微笑んだ。
「晴ちゃんナイス! 意識はあったんだけど体が動かなくて困ってたんだよ!」
鞄から素早くタオルを取り出して変身を解除し、それを体に巻き付けびしいっと熊のぬいぐるみを指さした。
「騙されたな悪魔めっ、子供達は返してもらうよ!」
さんぽ・ニコル・りりな・楸の四人に囲まれたぬいぐるみたちは表だった反応を見せなかった。だが、いつ襲いかかってくるかはわからない。
「花嵐!」
初手は青空が担う。
溢れるほどのアウルがぬいぐるみに着弾した際、青い光が弾け周囲に大量の花弁を舞い踊らせたのだ。
そして間髪入れず壁に阻霊陣を押しつけて包囲網を展開する。
入口は開いたままだ。
ACTと廻黎が女の子たちを外に運び出すことに何の抵抗もされなかった。
「まーまま、まま、まー」
ようやく、ぬいぐるみリュックの熊が反応を示した。瞬間、ぱぁんと風船が割れるような音を立てて留置場内に張られていた幻影が消え去った。鉄格子の向こうにはまだ子供達の姿が見える。
ぬいぐるみリュックは自分を取り囲む撃退士を無視して鉄格子の向こうへほの暗い色をした光の矢をいくつも放つ。
「ここは絶対に通さねーのだっ!」
阻霊陣を張りながらできることは限られている。それでも自分の体を呈してその攻撃を甘んじて受ける。
「痛…っ」
いつもなら大げさに転げ回って痛い痛いと叫くところだが、攫われた女の子たちに生き別れた妹の姿を重ねていた青空は歯を食いしばってそれに耐えた。
「そんな姿で悪さをする天魔…壊してあげないといけないよねっ! あはははっ!」
視界の端に階段の上へと運ばれていく少女達の姿を認め、りりなはファルシオンでテディベアに斬りかかった。本物のぬいぐるみならば布と綿の塊のはずだが、切った手応えがないことに違和感を覚えた。確かにそこにあるものを切ったはずなのに。
「りりなちゃん! 相手は幻影の使い手だよ! たぶん、あのわざとらしい大きいのはダミーかも!」
さんぽの声になるほどと頷きかけたりりなは、周囲を見回す。意識を集中させて気配を辿ると、自然に留置場の隣の部屋を見ることになる。
「姿は隠してるけど、何かいるね」
晴太郎の言葉に彼女たちは同意する。が、
「まーーー!!」
ぬいぐるみリュックが火を吹いた。
「うわっ!?」
「先にこっちをなんとかしよう!」
さんぽの言葉に呼応して、ニコラが飛び出した。
「こんのぉ…〜クマ吉っ!!」
むんずとぬいぐるみリュックを掴むと阻霊陣が張られている壁に押しつけて逃げ場をなくす。
「ぬいぐるみは悪さしちゃいけないよね! だから壊してあげる! あはははっ!」
ニコラが捕まえたリュックにざくりと剣を突き立てる。今度は手応えがあった。すると、ぬいぐるみリュックはぼっと燃え上がり、あっけなく焼失してしまった。巨大なテディベアの姿も消えている。
「そこにいた気配がいなくなっている…高見の見物を決め込んでいた何者かがいたようだな」
捕まえられなかったかと晴太郎は呟くが、他の面々はひとまず事件は解決できたと微笑みを浮かべた。
「ふう、一件落着ですね!」
ぬいぐるみリュックが燃えたと同時に幻覚効果が切れたのか、女の子たちはきょとんとして、なぜ自分がこんなところにいるのかと不思議がっている様子だった。
行方不明になっている間の記憶はないらしく、警察官も駆けつけた医者もお手上げ状態だった。廻黎の持ってきた水筒の水を美味しそうにごくごくと飲んでいる。
ただ、彼女たちは自分たちが助けられたことは理解したようで、地下から上がってきた撃退士たちを見てにっこりと笑った。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう」
素直なお礼に、明らかに視線が『お姉ちゃん』に含まれているさんぽは顔を赤らめつつ、
「いや、そのボク、お兄ちゃんだから…」
大人げなく声を荒げることはできない。ただしょぼんと項垂れるだけであった。