ふう、と溜息をついた岸崎蔵人(jz0010)の手には依頼人とチョコをくれた人の名をまとめたリスト。
移送用に空の段ボールも用意した。
あとは依頼した学生たちが来るのを待つだけだ。
「岸崎先輩」
予定の時刻より早くやってきたのは影野 恭弥(
ja0018)だった。
なにやら騒動が起きそうな予感がするので傍観しにやってきたのだ。勿論、依頼を受けたからにはあたりさわりのないお菓子の詰め合わせを買って持って来ている。
「いくつか種類があったんで、適当に選んで下さい」
「助かる」
生真面目に受け取る蔵人を眺めつつ、
(ま、律儀なのは良い事だが、それが勘違いの原因にもなりそうだし何かあれば自業自得ということで)
ちょっと意地の悪いことを考えているのであった。
●甘口
あたりさわりのない無難なお返し、となるとモノがかぶってしまうのは仕方がない。それぞれクッキーを買ってきた鳳 優希(
ja3762)、アトリアーナ(
ja1403)、東城 夜刀彦(
ja6047)、アーレイ・バーグ(
ja0276)はそれぞれの意見を付け加えた。
「メモ書きに『ありがとうございました』と添えてプレゼントしてみましょう」
さっぱりとした優希の後に、
「…全員に返す気持ちは律儀だと思うけど…選んで貰うのは律儀じゃないような…。 …まぁ深く考えるのはやめておくの」
棘のあることを言ったアトリアーナだが、女の子に人気の店をリサーチし、朝から並びに行ってちゃっかり自分の分も限定品をゲットして(…ん、満足)とまんざらでもない様子である。依頼という名目があれば早起きなど気にならないのだ。
「女性の心を出来るだけ傷つけずやんわりとお断り、ということですのでこれを。一言メッセージが入っているだけで心は癒されます。品はお返しとして無難なクッキーですが、温かみのある味の物を用意しました。心を受けとめれず申し訳ない、でもありがとう。その気持ちをそのまま込めて渡してください。それが一番だと思います」
夜刀彦は女性の輪に入って友チョコ交換している経験を生かしてみたが、女性の輪に混じって違和感無いと言われる現実ってどーなのと思ったりも。しょんぼりしかけた隙にアーレイが歩み出て自分の買ってきたものを差し出す。
「礼儀としてお返しするということであれば、無難な値段と商品で良いんですよ? 女の子の意見を借りなくてもそこらで買ってしまえば済む話ですが……買い物する暇がないんでしたっけ。ちなみに中身は500円程度のクッキーです」
普通に買い物をしてラッピングしてもらえばできあがり! なのだが、
「あ、なんでしたら先輩をチョココーティングして【ホワイトデーボクを食べてイベント! 岸崎君を食べちゃおうパーティー】を行っても宜しいのですが?」
悪戯っぽく笑って冗談を付け足したのだが、それは実に丁寧に辞退されたのだった。
(ふむ…美形な面立ちの人は大変だな。特に岸崎さんの場合は性格も好まれる感じだしねぇ)
鳳 静矢(
ja3856)は可愛らしいハンカチやハンドタオルを用意して、
「あまり高価な物や手の込んだものは、過度な期待をさせたり、あるいは逆に恐縮させるかもしれない。…まぁそんな訳で、日常的に使える小物が妥当なのではないかな?」
と言い残したのだった。
(プレゼントのお返し、ですか。奇をてらうも、まじめに返すも、本人次第とは思いますが……わたしだったそうですね。欲しいものは男の方にお任せ、ではありますが……リボンとかどうでしょう。真っ白いリボン、ただそれだけ)
雪成 藤花(
ja0292)は、真っ白いリボンを差し出した。
「奇をてらい過ぎかもしれないですが第二ボタンのような感じで、記念品になるかとは思います。形があってもなくても、大切なもの。ぜひ、先輩の思うように扱ったらいいかなって、思います」
女の子は大概にしてロマンチストですからね、と小声で付け足したのは想う人がいるかららしい。
(そういう小さなロマンも、素敵じゃないかなって…)
おっとりとした様子の少女に蔵人は生真面目に礼を述べたのだった。
「日本にはこんな習慣もあるんだね。バレンタインもそうだったけど、やっぱりイタリアとは全然違うなぁ」
珍しそうに言ったのはソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)。
イタリアにはホワイトデーなどない。が、手には包装の凝っている袋詰めキャンディーがある。選別基準は後に残らず、豪華だったり高すぎたりせず、それでいてお返しとして問題なさそうな品ということで、色々な店の評判を調べてくれたようだ。
「あんまり素っ気ないのもどうかと思うから、これぐらいがちょうどいいかなと思って。素直に、評判が良いのを選んでみた」
「結果はどうあれ当たって砕けて来なさいねぇ…骨は拾ってあげるからさぁ」
黒百合(
ja0422)はけらけらと笑いながらも、色鮮やかなマカロンをバニラ・チョコレート・ローズ・抹茶の4種類を組み合わせた上で、一輪だけ「感謝・ありがとう」の花言葉を意味する小さなホワイトレースフラワーを添えてラッピングしたものを出してくる辺りは実に女の子らしい。10袋もあるのが凄いのだが。
(女心は複雑だからねぇ…悩むのも無理はないわよねぇ♪)
他人事と笑いながら、ちゃっかり自分も楽しんでいる辺りが実にしたたかである。
「バレンタインのお返し…男の人って大変だよね…」
「他意は無いのに装飾品贈ると後が恐ろしいから…お返し考えるのも大変だよな」
男女連なってやってきたのは常塚 咲月(
ja0156)と鴻池 柊(
ja1082)である。
「岸崎さんも、大変だね…。はい…これ」
咲月は正方形の抹茶・ミルク・ホワイト・ビター味のチョコの詰め合わせを、柊は1本ずつ包装された、メッセージカード付きのホワイトレースを20本を差し出した。
「花言葉は感謝。そのまま渡しても、他の人の品と一緒でもにどうぞ」
気の利いた品である。だが同行者は目を輝かせて蔵人に尋ねた。
「岸崎さん、岸崎さん…チョコ、食べて無いのがあれば食べるよ…依頼の一環として…」
「ああいや……、急いで食べる必要のないものは、本人の許可を貰って孤児院に寄付させてもらっている。嫌々食べられるより、喜んで食べられた方が菓子も良いだろうしな」
つまり基本的に彼のお財布はマイナスである。だが苦手でも捨てるという選択肢がないのがモテる要因かもしれない。本人の許可がなければきちんと食べるということであるし。
しかしそう言えばと咲月は、
「ん、ひーちゃん」
と片手を突き出した。
「月…お前俺に無理矢理食べさせた…あのお返しをしろと?」
「うむ…。お返しを要求する」
返礼しないと恐ろしいのは身を持って知っているのか、鞄から即座にラッピングされた“お返し”が出てきた。
「はい。大事に使えよ?」
早速開けてみると、蝶の髪留めが入っていた。
「おぉ…流石、ひーちゃん…。ありがと…」
そう、これがバレンタインの恐怖。目の前で繰り広げられたその典型を微笑ましそうに眺めていたのだが、なぜか眺める側が逆転して傍観者が増えてしまっている。
意外にも諦観しているのか蔵人は溜息をつくだけで気にしていないようだった。
●中辛
「知夏は思うっすよ、お返しに迷った際には自分の好きなモノをプレゼントするのが一番だと! なので、知夏は蔵人先輩の立場になって考えて先輩の好きな、激辛類でお返しする方向で行くっすよ! 激辛煎餅とか激辛チョコとか激辛クッキーとか激辛饅頭とか!」
大谷 知夏(
ja0041)は力強く言って、蔵人の好物である激辛系菓子を並べ立てた。
「知夏は、ブルマとか、セクシーな下着とかウケ狙いで行きたい所を我慢してみたっすよ!」
いや十分ウケ狙いな気はしますが。
「殆どの方は定番のお返しを選択しそうなので、あえて、辛いモノを送るのは十分にありかと思うっすし。その方が、感謝の気持ちとか先輩らしさを伝えられると思うっすよ!…多分!」
「…まあ、辛い好きの友人もいるがな」
蔵人は苦笑する。
さすがにいい大人である。自分の味覚が少しズレているのは自覚していた。
「先輩は、最初から受け取らないとか。戦闘能力を活かして女子から逃げるとかすれば良いんじゃないっすか?」
素朴な疑問に、
「受け取らないのは礼をしないより恐ろしいし、こういうことで逃げるというのは相手に失礼だからな」
と、何だかしんみりと答えたとか答えなかったとか。
(く、モテイケメンめ…高いモノ買っちゃる)
などとよからぬことを考えたのは七種 戒(
ja1267)。一応女。お返しの数の多さに涙するも、かわいこちゃんのためにと頑張るが、選定基準が「貰ったの私貰ったの私貰ったの私…」という暗示めいたもののため、見事自分の欲しいものばかりになってしまった。
こんなはずじゃなかったのに。
「かわいこちゃんの可愛さはオンリーユーなのだよ! 良いかね乙女というのは繊細かつでりけぇとで取り扱いに注意し云々」
蔵人に品物を渡す際、自作の「かわいこちゃん別お礼の渡し方」を一緒に渡して熟読するよう熱く語ったかと思うと、
「ふ…く、悔しくなんてないんだからなー!!」
とダッシュで立ち去っていった。
大丈夫。君の欲しかったお菓子詰め合わせもストラップもハンカチも文房具も、みんなみんな可愛い子がもらってくれる。…はず。
(律儀な人だとは分かるのですが、あまり誠実的な依頼とは思えませんね)
そんな心情ありありなのは雫(
ja1894)だ。依頼にはどちらかと言えば贈った人達の為を思って参加したのだ。プレゼントはマシュマロである。
「真面目な人ですけど、少しお仕置きをしますか」
貰った人が勘違いしない様に余り凝った作りのしていない包装にメッセージカードを添えるまではいいのだが、カードの内容は蔵人が甘い物が好きではない事を遠回しに伝えるものだった。最後に蔵人へのお仕置きとして、贈ってくれた事はとても感謝していると歯が浮く様な科白で書き記されていたが当然そんなことを知らぬ蔵人はそのまま受け取ったのだった。
「うーん、ホワイトデーって一体何を返すんですかね?」
そんなことを真剣に尋ねたのは御手洗 紘人(
ja2549)。今日は普通の紘人くん。人助けと思って参加してくれたご様子。
「お返しと言ったらやっぱりお菓子なのです! きっとこれで完璧なのです!」
品物はキャンディ。『For You』と書かれた純白のメッセージカードが添えられている。そこまでは妥当なのだが、にんにく味・鰹のタタキ味・海苔の佃煮味・さつまあげ味・ずんだもち味等、一体どこで売っているのかわからない品を自信満々に差し出された蔵人は、ぽつりと呟いた。
「飲んだくれの親父どもにはこれで丁度良いかもしれんな」
「えっ? 親父ども?」
「友チョコなんてものどこで覚えて来たかは知らんが俺が酒飲まないのを知ってて……いや、なんでもない」
昨今のバレンタインデーの垣根はどこまで下がってしまったものやら。
顔が広いのも考え物である。
「せっかく頂いたんだし、お礼はキチっとしないとダメだよ」
お断りするしないは口頭できちんとして頂くとして、ホワイトデーのお礼はお礼できちんと渡さないとダメ! と厳しい言葉を浴びせたのは七海 マナ(
ja3521)。
手にはミニサボテン。
「サボテンなら思わせぶりって事もないかなって。お返事はちゃんと自分で伝えてくださいねっ。じゃないと僕も怒っちゃいますよ!」
女の子と見まごう可愛らしい少年だが、サボテンには『俺に触ると痛い目をみるぜー!』というメッセージが込められているらしい。
積み重なっていくお礼の山。
(ま、僕から見たら羨ましい限りですけどねっ!)
それらを横目に見ながら、佐藤 としお(
ja2489)は精一杯意地の悪いことを考えていた。
(何がいいのかな? あえて先生を困らせるような思わせぶりなモノにしようかな?イッヒッヒッヒ…)
・先生の手紙付き(思わせぶりなモノ)プレゼント
・先生の写真付き(思わせぶりなモノ)プレゼント
・先生のメアド付き(思わせぶりなモノ)プレゼント
・先生の眼鏡付き(思わせぶりなモノ)プレゼント…等々。
(どれも先生のファンなら貰って嬉しいよね、うん!)
考えるだけは考えた。うん、考えた。だが、
(…なんて僕はまだここにいたいです、こんなの送ったら学園生活そこでジ・エンドですね。ごく普通の市販のクッキーにしときます、でもチョコを貰った事には感謝をしている旨を書いた手紙を付けとこ)
行動に移せないのが若干残念ではあった。
だが、既にお気付きの人もいると思われるが落とし穴はここから先。
「岸崎先生も大変ですね」
妙な沈黙の後、わかる人にはわかる苦笑を浮かべ、蔵人は答えた。
「一応、久遠ヶ原学園所属の学生、なんだが」
自分でも時々学生であることを忘れるしな、とぼやく蔵人の前でやっちまったぜ本気の勘違い。大丈夫、担任の先生をおかーさんと呼ぶほど恥ずかしいことじゃないよ。だって外の大学一回出てる人だもん。
なぜか提出をしても帰らない人がいる中、小包が届けられる。差出人は羽生 沙希(
ja3918)。
中を開けると南アルプスの温泉郷のペアチケットとお土産のクッキーが入っていて、蔵人へのメッセージもあった。
『渡す時に「友達とどうぞ」と暗に想いに応えてあげられない事を言い含めては?』
どうやら彼女、現在南アルプスにいるらしい。ちゃっかり自分も温泉を超満喫、その感想や旅費宿泊費の明細が書かれているが、蔵人は眉間に皺を寄せただけで表面上怒りを露わにはしなかった。
「どこぞの新聞同好会の姉弟にでもやるか…」
明らかに本命でないのに3倍返しを堂々と注文してくる逞しい後輩を思い出したのか、はあ、と溜息をついた蔵人だった。
失恋して直ぐはお礼の気持ちが伝わらなくても、癒えた頃になら、南アルプスの雪の白色にホワイトデーを思い出して、温かいお湯に蔵人の律儀さやらを感じたりとかしてもらえるかも? というチョイスが見事に裏目に出たのだった。
このチケット、果たして誰と誰が行くのか。
おそらく受け取った当人ではなく弟の手に渡るだろうが、そこまで面倒を見てやるつもりはない。
●辛口
ギャラリーが増えている。なぜかみんな帰らない。
「ふふふ、うふふふふ…」
満を期しての登場か。彼女いない歴=人生の上に、もはや学内で「非モテ騎士」の二つ名が轟き渡り、宿敵からの嫌がらせ以外にチョコを貰えないラグナ・グラウシード(
ja3538)がなぜこの依頼を受けたか。
(くくく…リア充め、思い知れッ!)
ヤダー! この人リア充の蔵人に八つ当たりするために受けたのよ!
だが差し出されたのは綺麗にラッピングされた菓子のようだ。
「クッキーの詰め合わせです」
さらっとのたまって渡し、外に出てくくくと笑い出す。
なんとホワイトデーお返し貰って困るものランキング1位「下着」を買い、きれいに個包装してもらったのを渡したのである! うん、君がモテない理由、わかってきた。
(リア充め…評判を地に落とすがいいわ! ふははははは!)
しかし、
(あのラグナが、もてもての男の子の手助け…!? ありえない、そんなの!)
そう思ったエルレーン・バルハザード(
ja0889)は彼を監視していた。そして彼の作戦を監視、まさかのチョイスにどん引き。被害を出すわけにはいかないと、こっそり彼が置いたプレゼントを回収し、無難なもの(クッキー)と取り換えた…まではよかったのだが。
「…で、でも、これ」
手元に残ったのは、ラグナの買った下着。
赤とか黒とか、それはどれもこれも派手でセクシーで。
「…はぅ」
かあっ、と、顔が勝手に赤くなる。
(ラグナのばか…へ、へんたいなの)
ぶっちゃけ、岸崎氏が女性に下着を送っても、本命と勘違いされることはあってもドン引きはされないと思われるのだが。
彼女に残った問題は、この下着をいったいどうすればいいのか、ということである。
「岸崎蔵人、覚悟ぉおおお!!」
不意の奇襲。
なぜかパイ投げのパイが飛んで来る――が、おそらく当てまいとして投げられたそれらをしゅばばばとすべて受け止め、どさっとビニールのかかったゴミ箱に捨てられる動作はあまりにも自然で、投げた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)の方が目を点にした。
「ちょーっと待っ……あ、あれ?」
ツッコミを入れるつもりで出てきた染 舘羽(
ja3692)も思わず戸惑ってしまう。
ちょっと予定と違いますよ?
あ、そう言えばこの人、執行部が強力な敵に面した際に組織される親衛隊メンバーの常連で、しかもディバインナイトぢゃん?
「まあ、こういう輩が出てくるのは想定内だが……他の人に迷惑をかけるのはけしからんな」
顔色ひとつ変えない蔵人に拍手が湧く。
「こ、こんな依頼を出すくらいなら最初から受け取るのを断ればよろしかろう? 貴様のようなものがいるから恋愛格差が生まれるんだ…! 一人に決めれば他断れるだろうがァァァ!」
無茶苦茶を言い出した虎綱をずりずりと舘羽が引きずっていく。
「はいはい、人の迷惑になりますからねー」
「HA NA SE!」
「ドロップキックとハリセンどっちがいい?」
「このままでは終わらんぞォォォ」
騒がしいのが去っていった。
礼の山にはいつの間にか可愛らしいラッピングのされたココアと、「貴女との友情を嬉しく思います」というメッセージがはさまれた白いダリアのハンカチが追加されていた。
「あー……、みんな、協力、感謝する」
騒動もひと段落して、蔵人は感謝の言葉を述べた。
「一人に決めれば、か」
虎綱の言葉に一瞬遠い目をした蔵人だったが、十分に集まった礼の山を台車に乗せてひとまず保管場所に移動しなければ。
と、あることを思い出した蔵人は出口近くにいたギャラリーに向かって尋ねた。
「最近、よく意味のわからない言葉を耳にする機会が多いんだが、誰か知っている者がいたら教えてくれないか」
おお、と辺りが静まり返る。
「『りあじゅう』って、何だ?」
ボケですか? いいえ蔵人さんは本気です。
ちょっ、お前言えよ、嫌だよお前こそ、馬鹿言えるか、言えるわけないだろう!
「そうか、知らないか。ふむ…十代の言葉は難しいな」
真顔で年寄りじみたことを言って去っていく後ろ姿に、『リア充』という単語を知っているだけでなぜか負けた気分になった人々は泣き崩れたのであった。
「お仕置きをしようと思ったのに、中々隙がありませんでしたわね」
雫はちっと舌を打ち、
「面白い見せ物だったな」
最初から最後まで傍観していた恭弥は風船ガムを膨らませて、その場を後にした。
●心の配達人
珍妙なことに、礼の用意だけでは飽きたらず配達までやると言い出した更科 雪(
ja0636)と鴉乃宮 歌音(
ja0427)の二人はそれぞれの場所にいた。
作業着を着て野球帽を深くかぶり、しかしホワイトボードで意思の疎通をする雪はケーキ屋のシュークリームといくつかの菓子を持って、
(美味しい物なら皆喜ぶよね♪)
と、てこてこ歩いていた。
そして辿り着いたのはなぜか初等部の職員室。
『岸崎蔵人様からお届けもので〜す、サインか判子お願いしまーす!』
「あら、ご苦労様」
受け取ったのは女性教師だが、包みを開けようとはしない。不思議に思って首を傾げた配達人に、彼女は笑って言った。
「調理実習で生徒が作ったのをまとめてプレゼントしたのよ。わざわざお返ししてくれなくてもいいのにね。後でみんなに配らなくちゃいけないわ」
なるほど。
ふう、いい仕事をした。
(それにしても、蔵人は律儀だね〜?)
まったくもって、律儀です。
歌音の方はと言えば、なぜか女子の制服を着ていた。
用意したのは手作りの片面ビターチョコのほろ苦いクッキーだ。まずはチョコ貰えなかったりリア充爆発しろと嫉妬している者たちが集まっている場所に顔を出して、
「作りすぎちゃってね」
という可愛い嘘をついてばらまきまくった。知り合いの中には、男に貰っても、と複雑な感情を抱いている者もいたようだが、とりあえず餌付けは成功した。
そして該当の女生徒の元へ向かい、さりげなく会話に入り込む――算段だったのになぜ中等部の職員室にいるのか。
「えーと、蔵人から預かってきたよ」
『ごめんね』と書かれたカードが入ったほろ苦いクッキーを渡すと数学教師の女性はふ、ふ、ふふふとほの暗い笑みを浮かべ始めた。
え、あれ?
「今付き合いは考えてないし、甘いもの苦手なんだって。『だから、これが精一杯』だってさ」
と気持ちを正直に伝えた方が良いだろうという親切心からきた言葉だった。相手も解ってくれるだろうというのが歌音の本音だった。
…のだが。
「これは…あれね…つまりあれよね」
「え?」
「バレンタインに朝と夕に二回もチョコを渡したからお断りの返事も二回ということよね!? あああそんな生真面目なところがたまらないいいいい!!」
……変な先生だ。
涙をぼろっぼろ滝のように流しながら変なことを口走っている。変な先生だ。
「だけど、もう! 後がっ ないのよ! 齢四十ううううう!!」
男の気持ちも女の気持ちもちゃんと解っているよ。
ただ、婚期に追い詰められた女性の気持ちは……難しい、ね。
●時間外受付
時は一週間ほど前に遡る。
依頼を受けた雀原 麦子(
ja1553)は、
「律儀というかなんというか。せっかくのイベントなんだから、お互い楽しまないと損よ。とりあえず、その仏頂面を歪ませてやるわ♪」
と、なんと蔵人の写真をプリントしたクッキーを作ろうと思いついたのである。
食べ物系は気軽でいいけど、個性は捨てたくない。
それにはまず蔵人の写真が必要だ。それも、できれば笑顔の。
「私も面白くて笑顔、貰った女の子も笑顔、そして蔵人ちゃんも笑顔(写真)。ん、完璧ね♪」
そして彼女は岸崎蔵人ストーカーとなったのだった。
何しろレアキャラ(?)である。
笑顔はもっとレアに決まっている。
染 舘羽という協力者を得た麦子は早速電話で蔵人に交渉を持ちかけたが、当然のように断られる。こんなのは想定内の出来事だ。
「絶対笑わせるわよ!」
「はい!」
ああ、女性って恐ろしい。
依頼から帰ってきたところを自室前(※注・寮)でとっ捕まったのである。
「正直、自分の顔が入ったものを他人に渡すのはナルシストのようで不愉快だ」
仏頂面がさらに仏頂面に歪んだが、
「蔵人ちゃん。これも依頼遂行のためなのよ」
「依頼人は俺だ」
「そこをなんとか!」
「……」
案外、押しに弱いのかもしれない。
場所が男子寮とあって、よく通る女性の声にさすがの蔵人も折れざるを得なかった。
「は〜い、笑って笑って〜♪ そこ、ボタン外して襟元ゆるめて〜☆」
「ボタンは関係ないだろう」
あくまでも仏頂面ではあるが、写真は撮れた。
「麦子さん、コレ、高く売れますよ」
「だーめ。あくまでも依頼のためなんだから。……私も命は惜しいしね」
そんなこんなで蔵人の顔がプリントされたクッキーが作られたのだが、ものすごい勢いでなくなったそうな。
本人はモテたいと思っていないのに複雑なところである。
とりあえず、本日のMVPはキミしかいないよ雀原 麦子さん。
『蔵人』という名前が好きだったり、ちゃん付けしているのに照れと緊張が混ざってるなんて誰も思わないよ、本当。