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任務に当たる撃退士一行は、惨劇の舞台へと赴いた。
キャンプ上は目と鼻の先。少し離れた位置から現場の様子を窺っている。
「熊五郎、いないみたいね」
双眼鏡を覗いていた雪室 チルル(
ja0220)が呟いた。
「……熊五郎? 名前なんて付けてるんだ」
なにか珍しいものでも見るように、礼野 智美(
ja3600)は目を瞠る。
「事件を題材にした小説からの受け売りですが、熊は遺体を保存食にする為に埋めて隠す事があるらしいです。気分が悪い事ですが、回収されると執拗に追い掛けて来るらしいですから誘き寄せる事も可能です」
雫(
ja1894)が遺体を発見した際の利用の有無を仲間に問うと、
「雫、我は死者を冒涜する行為に賛同は出来ないのじゃ」
物悲しそうに眉を潜めるアヴニール(
jb8821)が、真っ先にそれを否定した。
「そうだね。私もそれには賛成しかねるかな」
少し緊張した面持ちで、不知火あけび(
jc1857)も声をあげる。
「そうですね。皆さんの判断が正しいと思います」
あくまでも策の一つとしてだ。始めから判断は任せようと思っていたため、雫は納得して頷いた。
「あれ、それより威鈴はどうしたの?」
一人足りないことに気づいたチルル。その時、一斉に全員の携帯が振動した。
ここへ来る前に、なにかあった時の為にと連絡先を交換していたのだ。
メールの差出人は浪風 威鈴。どうやら目標を発見したらしい。現在地までのルートが、詳しく明記されている。
「熊五郎もう見つけたって。奥のほうで野犬食べてるみたいね」
「浪風さんって、なんか狩人みたいだ……」
囮チームのチルルと智美。二人は別ルートで風上の方への案内が。風向きなどが場所によって少しずつ変わるため、来る際は注意するように促してある。
あまりの手際のよさに智美は感心していた。
「我らはこのまま進めば良いのじゃな」
「そうみたいです」
風下からの奇襲チームにも、丁寧にルートの案内が書き込まれている。
「初めての依頼だ! 頑張らないと!」
あけびは威勢よく立ち上がり……人知れず手のひらに『人』という字を三度書いて飲み込んだ。
「じゃあ、行くわよ!」
そうして熊退治が、静かに幕を開けた――。
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「人喰い熊…毛皮剥いでおきたいなぁ…」
一人先行して索敵に当たっていた浪風 威鈴(
ja8371)は、木組みの小屋の影から様子を窺っていた。
行儀良く座り、異様なまでに発達した両腕でホールドして、野犬をもしゃもしゃ骨ごと食べている件の熊。
狩人の家系に生まれた彼女。普段は物静かな印象だが、獲物を前に昂揚しているのだろう。
目付きは好戦的に鋭く、両肩には獣の紋様が浮かび上がっている。
威鈴は囮役が来るまでの間、熊を眺めては毛皮や肉のことを考えるのであった。
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それから数分後。仲間の気配がしたと思った次の瞬間――
「見つけたわよ熊五郎! 先制パンチをくらえー!」
威鈴の視線の先に、風上から大声を上げながら熊に突進する元気娘の姿があった。その両手は発光するほどの冷気を纏っている。
食事中にいきなり現れたためか、野犬を取り落とし一瞬呆けた熊。その隙をつき、チルルは氷剣を作り出し、渾身の力を込めて熊の鼻っ面に刺突する。
「グゥオオオオッ!」
痛みを訴えるように咆哮し、鼻先から血を噴出しながら熊は怒り狂った形相で立ち上がる。
「まったく、段取りなんてあったものじゃないな。まあ、注意は引けていると思うけど」
出会い頭に逃走されるなんてことはないと思うが。智美は愛刀を構え、二足で直立する熊の足を薙ぎ払う。
鋭い一撃にバランスを崩しそうになるものの、熊は自力で立て直し、再度咆哮を上げる。怒り心頭なその目は完全に捕食者のそれだ。
「よっし、うまく引きつけた感じね! このまま粘るわよ!」
「言われなくても」
奇襲組が集まるまでの間、囮の二人が立ち回る。
チルルが熊を挑発しそちらに意識を向けさせている間に、智美が側面から【徹し】で内臓へのダメージを狙う。
「入ったか……?」
「利いてるみたい」
チルルは熊の口元から血が零れたことを確認した。
「今度はあたいね!」
大剣を手にすると、チルルは飛び上がって頭部へ強撃を打ち込む。
「グワッ!」
しかしそれを右腕で払いのけると、熊は流れるように左手を振り下ろす。
弾かれた反動でわずかに後方へ仰け反っていたチルルは、辛うじて直撃を免れた。
「紙一重ってところね――」
その時、突然一発の銃声が響く。一瞬遅れて、熊の背中へ無数の鉄屑が降り注いだ。
見上げると、アヴニールがショットガンを構えて浮遊している。ロングレンジによる射撃だ。
「…沢山の人が犠牲になったのじゃな…。 皆、家族も居たじゃろうに……。…誰も悲しまないという事など、在り得はしないのかの……」
嘆きながらも、アヴニールは静かにリロードを行う。
「せめて、屠られた者の仇を。残された者の無念を。これ以上誰にも被害が出ない様、今日、全て終わらせるのじゃ」
再び標的へ銃口を向けると、それを合図に、物陰や木の背後に潜んでいた者たちも一斉に動いた。
奇襲役で先陣を切ったのはあけびだ。駆け出し熊とすれ違いざまに大太刀を抜刀、居合いにて足元を切りつける。
「くっ! 硬い……ッ!」
しかし切り口が浅く、肉までは刃が達しなかった。
熊がチルルから標的を変えようとしていた所を、間髪入れずに威鈴。
「狙いは…外さない…」
和弓を引き絞り、熊からは死角になっている小屋の影から腹部を狙い撃つ。クイックで放たれた矢は深々と突き刺さった。
熊は咆哮を上げようとし――、口を開いたところでピクリと動きを止めた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったようだ。
熊が振り返る視線の先には小柄な少女。雫である。
しかし周囲を取り巻く魍魎のようなアウルと、手にした大剣の紅い禍々しさが異常で異様な様相を呈している。
一瞬だけ怯みそうになった熊は、自身を鼓舞するが如く吼えた。そして雫へ向かって凶爪を振り下ろす。
すかさず雫は身長差を生かし懐へ潜り込むことで攻撃をかわし、「ふっ」と小さく息を吐きながら、輝く紅い大剣を横一文字に振るう。
「グォオオオオオッ」
アークによる斬撃は熊の胴部を切り裂いた。パックリと開いた傷口から噴出す血飛沫が、残光のように宙へ赤い線を引く。
よろめきながら後ずさる熊。その隙を逃す撃退士たちではない。
「いまだ!」
智美が叫ぶ。全身を巡るアウルを爆発的に燃焼させ、熊へ向かって突進。玉鋼の太刀に紫焔を纏わせると、熊の足へ刹那的な速度で一閃。
鬼神が如き太刀筋は、熊の膝下を骨まで切りつけた。
相当な痛みなのだろう。呻くように鳴くと、熊は退路を探すように辺りを見渡す。囲まれていることを悟った熊は、あけびと雫の間を抜けようと走り出した。
「たとえ、お前が只の熊だったとしても人を襲い、人の味を覚えた者を生かし帰す訳にはいきません」
雫は向かってくる熊に対し幻を見せた。<忍法「髪芝居」>による、髪が異様に伸びその髪に拘束される幻影を。
「ォオオオッ」
すると熊は突然走るのを止め、もがく様にその場で地団太を踏み鳴らした。
暴れ回る熊の顔が、ちょうど小屋の方を向いたその時。威鈴はあらかじめ引いておいた弦を放す。
矢先にアウルを集中させた<ブーストショット>。風切り音を置き去りにし、放たれた矢は見事熊の右頬を貫く。
「はぁあああ!」
続けざまにチルル。大剣を手に取ると、熊の太い左腕へ高速でそれを突き入れる。深々と刺さった剣を引き抜いて血振り。裂傷からは大量の血液が零れた。
その時。束縛から抜け出そうと暴れ回る熊の右腕が、攻撃したばかりのチルルを襲う。
「――くっ」
防御は間に合わず、後方に吹っ飛ばされる。
「大丈夫か?」
近くにいた智美が心配そうに声をかけた。
「平気平気、デバフのおかげでそこまで大したダメージはないよ」
「しかし、ずいぶんとタフなやつじゃのう」
宙でぼやきながら、アヴニールはショットガンの引金を引いた。火薬の爆発音とともに発射された弾丸。無数に分裂し、足元へばら撒かれた鉄屑は、負傷している部分を削っていく。
「そろそろ足は止めておくか」
智美が鋭い斬撃を繰り出す。傷を負っている右足ではなく、反対の左足へ。物陰で「毛皮がどうの」と呟く威鈴へ配慮してのことだった。
剥ぐのなら、出来るだけ完全に近い形の方がいいだろう、と。
強烈に薙ぎ払われた熊は、束縛に続きスタンにより意識を刈り取られる。
「待ってました! そろそろ幕引きって感じね!」
嬉嬉として、チルルは大剣を持ち直す。
「ピリオドを打ちましょう」
雫も禍々しい大剣を構え直した。
「毛皮…あとで絶対剥ぐ…」
天破の弦を引き、威鈴は矢にアウルを集中。眩い光を纏わせる。
「死した者たちへ、こやつの死を手向けよう」
ショッガンをリロードし、アヴニールは静かに銃口を向けた。
「これで、終わらせる」
再び紫焔を刀へ迸らせると、智美は脇構えに構える。
皆一様に準備する中、あけびは一人あたふたとしていた。
ディアボロとの初戦闘。その終わりがすぐ目の前に差し迫っている。成功させなければというプレッシャーと、経験が足りず、自分は大して何も出来ていない実情。
その板ばさみで葛藤していた。
あれこれ考えているうちに、アヴニールのショットガンが火を吹く。その銃声があけびの意識を戦闘へと引き戻す。
胴体へ向けてばら撒かれる無数の鉄屑。それを皮切りに、皆が一斉に畳み掛ける。
チルルは大剣を熊の胴部へ縦に突き刺し、雫も並べるように深々と剣を突き刺した。
口元から大量に吐血する熊。終わりの時は近い。
自分はこのままなにも出来ないのか……あけびは自問自答を繰り返す。強く頭を振って、弱気な考えを払拭する。
その瞳には強い意思が宿っていた。
「――LVが低いからって何もできないわけじゃない!」
あけびは叫び、離れた場所から仲間を援護。影手裏剣を渾身の力を込めて放つ。棒状のそれは軌道を直進し、熊の右目を穿った。
「グルゥオオオオ!」
熊は首を振り乱す。あけびは一矢報いたことに、確かな喜びを胸にかみ締めた。
仲間たちはそれぞれ続き、攻撃を仕掛ける。
威鈴はアウルを込めた光の矢を放った。狙いを過たず、光の粒子が尾となって輝きを残す<スターショット>は、当たり前のように熊の左目を貫通する。
両目を失った熊はいまだまともに動けない。
「止めだ!」
全身から噴出す、炎が如く金色のアウル。全身全霊を込めた智美の【鬼神一閃】が、熊の背中を袈裟懸けに切り裂いた。赤い飛沫が上がる。
大きな体が傾ぎ、熊はずううんと音を立てて大地に伏した。ついには鳴き声をあげることなく絶命したのだ。
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戦闘終了後。
雫の提案により、遺体を回収しようということになったのだが。
キャンプ場を隈なく探した結果、それは空しく終わった。熊がほぼ全て、文字通り食い尽くしてしまっていたからだ。
現場に骨すら残ってなどいなかった。人間の所有物で残されたものと言えば、誰の物かも分からない衣服の、ほんの僅かな布切れだけ。
これだけでも遺留品には違いないということで、後で警察に届け出ることにした。
持ち主の遺族に届くことを願って。
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皆が帰り支度をする中。ただ一人、死んだ熊を前に佇んでいる人物がいた。威鈴だ。
熊を狩る前は毛皮や肉のことを考えていた彼女だったが、倫理を仲間に諭され剥ぐことを断念した。
ディアボロといえど元は人間だ。野生の熊と同一には考えられないだろう。
結局威鈴は静かに踵を返し、仲間と共に帰路についた。