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空は快晴。夏の日差しが強く照りつける、暑い昼だ。
むわっとした熱気を纏う風が、じりじりと肌を炙る。絶好の水浴び日和とは、こういう日を言うのだろう。
そんな炎天下の中、問題の川辺に集まる一団があった。
対岸には牛鬼が出るという淵。その向こうには、高さ五メートルほどの崖。森を背にするそこには幸いなことに、六人が立っても余裕がある広さの足場がある。
しかし戦闘するとなると、少し手狭に感じられた。
「ここから五百メートルほど下流に、集落があるみたいです」
手元の地図を見ながら北條 茉祐子(
jb9584)が皆にそう告げる。
「意外と距離があるんだな」
川の先に目をやりながら、フローライト・アルハザード(
jc1519)がさほど関心なさそうに呟くと、
「件の牛鬼は体の割りに素早いみたいだし、集落へ逃がすことだけは避けねばいけませんね――、」
エルム(
ja6475)が危惧を口にする。
そして光纏し阻霊符を発動。
「妖怪退治は武芸者の務めです。もっとも、今回の敵はディアボロで、私達は撃退士ですが、まぁ、似たようなものでしょう」
「牛鬼…ですか、これ以上犠牲者を出さない為にも確実にこの場所で仕留めなくてはいけませんね」
ユウ(
jb5639)もそれに続き阻霊符を取り出し、
「これに反応して、地上に出てくれるのが一番楽なのだけど」
呟きながら、龍崎海(
ja0565)も阻霊符を使用した。
天魔の透過無効領域の多重展開。奴さんがただならぬ気配を察知し、顔を出してくれることを期待したが……。
「出てこないね」
そう言うのは、遠目で淵を観察していたRobin redbreast(
jb2203)だ。
ダメ押しにと、茉祐子も阻霊符を展開するも、やはり牛鬼は現れない。
それならと、撃退士らは当初の作戦へと移行する。
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淵の足場へ移動した一行は、誘き出すための行動を開始した。
まずは海が、生命探知で目標の存在を確認。
「浅い所なら朧げでも見えるだろうから、いるとしたら淵内だろう。そしてディアボロの近くには魚とかは近寄りづらいだろうから、単独で反応があれば確定かな」
淵周辺を精査したところ、反応が一つ。それはどうやら足場の真下にいるようだ。
「ビンゴだね」
言いながら、海は用意しておいた釣具を準備し始める。
ユウは平らで手頃な石を川原でいくつか選り抜いていたので、それを使って水切りを開始。
投げ始めて早々、三投目で石は対岸へと到達した。
「やった!」
嬉しそうに笑うユウ。
それを見ていた茉祐子が、「すごい!」と崖の上から小さく手を叩き称賛する。
にこやかに水切りを再開するユウの横では、海とRobinがクマのぬいぐるみに重石と生肉を詰め込んでいた。
ここへ来る道すがら、念のために釣り餌として購入してきたものだ。
ぬいぐるみがクマなのは、趣味などではなく、おもちゃ屋さんにこれしか置いていなかったためである。
Robinは余った石ころを見つめると、おもむろに掴んで一つ、また一つと淵に投げ入れ始めた。
「これで怒って出てきたりしないかな」
粗方片付いたところで、波紋の広がる水面を皆で注視。
細かな気泡は浮かんでくるが、牛鬼のものらしき大きな気泡はない。
「なかなか難儀だな」
小さく息をつきながら、空中から淵を見下ろすフローライト。
陸への誘導に関しては味方に一任している。牛鬼が現れるまで特にすることもないので、しばし空中遊泳に興じた。
用意が整い、海は釣り針の先にぬいぐるみを括りつけ、淵の中へと放り込んだ。
緩やかに沈んでいくクマさん。
しばらくし、軽く糸に何かが触れる感触が。そして、水面に大きな気泡が浮いたと思った次の瞬間、一瞬だけ強い引きがあった。
思わず引きずられそうになるも、海は踏ん張って急ぎリールを巻く。だが、引ききる前に海は確信していた。ぬいぐるみの重みがないことを。
巻き取った糸の先は、案の定、きれいに消失。
用済みとなった釣竿を脇に投げ捨てると、海は体にロープを巻きつけ始めた。さらに潜水用のマスクにシュノーケルを装着。
「相手の方が水中では速い可能性が高い。ユウ、ロープを引く役を頼んでもいいかな?」
「わかりました、龍崎さん」
「あたしも手伝うよ。水の中での戦闘だと不利になるし、できれば陸に誘い出したいよね」
ユウとRobinはしっかりとロープを握る。
海はもう一度結び目を確認。そして周囲に目を配った。
「水の透度が高いと良いのですが……。龍崎先輩、気をつけてくださいね」
崖の上では茉祐子が翼を広げて待機。
「話を聞く限りでは、棲み処に近寄れば牛鬼は襲ってきそうですね」
エルムは飛行術を持たないため、比較的足場が良い場所を探して水面を観察。念のため縮地を使用して同じく待機。
フローライトは空中で待機しつつ、「援護なら任せろ」と、その時に備える。
各々の準備は整ったと判断し、「よし、じゃあ行くよ」海は淵へ躊躇なく飛び込んだ。
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淵の中は藻や水草が茂っていた。
流れが緩やかなため、水流に流されるということもなく泳げるが。
先ほどの引きの際に対流したのか、泥の影響もあって思いのほか視界は悪く、二メートル先も見通せないほどだ。
生命探知による視界補助なしでは正直危うい。自分が潜って正解だったと彼は思う。
海は陰影の翼で水中での推進力を得ている。ただ泳ぐよりかはましなはず、との判断からだ。
しばらく水の中を進むと、なにやら大きな横穴を発見。穴は足場のすぐ真下を通っている。
今も探知に反応している目標の牛鬼が、この先に――
「ッ!?」
その時、海は大口を開けながら迫る“ソレ”を、マスク越しに目視する。
慌てて、わずかに弛ませていたロープを思いっきり引っ張った。
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緩んでいたロープがぐんと一気に張り詰めた。海からの合図だ。
撃退士らは皆一様にして気を引き締める。
『せー、のっ!!』
ユウとRobinは息を合わせ、ロープを同時に引き上げた。
まずは海が淵から飛び出し、翼を羽ばたかせて飛翔する。
バサッと水気を切るように羽を広げると――
「気をつけろー!」
彼は声を上げて、淵のすぐ側にいる三人に向かって注意を促した。
「えっ」
と皆が声を揃えた瞬間、川面から盛り上がるようにして浮かび上がってくる黒い影。
水を纏い、口を開けながら勢いよく出現したのは牛の頭だ。口中には薄緑の靄のようなものが溜まっていた。
牛鬼は鼻から息を吸い込み、口からそれを吐き出す。薄緑の靄は霧状に霧散し、辺りに広がった。
ユウは咄嗟に闇の翼を広げ、Robinの手を引いて崖の上へと退避。その際に発生した風圧により霧の拡散が多少抑えられ、エルムは口と鼻を手で覆いながらその隙に自力で崖まで上る。
「――こっちだ、化物」
牛鬼と視線が合ったフローライトは、オーラを身に纏わせ自身に注目させた。
「ブモォオオオオオオオ!!」
咆哮と共に、牛鬼は彼女に釣られて浅瀬側へと移動を開始する。
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一定の距離感を上手く保ち、フローライトによる川原への陸揚げが成功。
撃退士らは地上と空中とに分かれ、姿勢を低くする牛鬼を囲っている。
一触即発の空気の中、
「ブゥモウォオオオオオオオ!!」
牛鬼の咆哮を合図に、戦闘の火蓋が切って落とされた。
敵の足を止めるために、まず動いたのは茉祐子だ。植物を鞭状に形成し、宙からそれを振り下ろす。しなる鞭が強く牛鬼を打ち付けると同時、その体を拘束するように巻きついていく。
しかし、既に突進準備に入っていた牛鬼の踏み出す足に鞭が切られ、拘束は失敗に終わる。
牛鬼が赤い目で捉えていたのは、近くにいた地上のエルムだった。
図体の割りにものすごい速さで突進してくる化物。エルムは突き上げてきた角を冷静に見極めて左に飛んでかわす。たたらを踏むようにして止まる牛鬼から一定の距離を取り、彼女は長尺の日本刀、天狼牙突『雪華』を抜き放つ。
エルムの攻撃までの間を埋めるようにして、Robinが詠唱に入った。
「クロスグラビティ」
突如、宙に闇色の逆十字が出現。それは音もなく落下すると、牛鬼の首元に直撃する。頭と外骨格の境であったため、これが有効打となり得た。
化物の動きが目に見えて鈍くなる。
「ココで仕留めます!」
間髪入れずにエルムは構え、疾風の如き速さで正確無比な一撃を、牛鬼の側面から腹部に突き入れた。
その様相はまさにカワセミの如く。
刃を抜くと、化物の体から鮮血が勢いよく吹き零れる。
「ウォオオオオオオ!」
苦しげに呻く化物。エルムは構わず縦横とさらに二連撃を叩き込む。見事、右後脚の関節を断ち切った。
地団太を踏むように暴れる化物の足が、エルムの頭上に振りかぶられる。
「させません!」
そこへすかさず、ユウが援護に入る。
翼を羽ばたかせ急降下すると、牛鬼とすれ違いざまに頭部を鎌で薙ぎ払う。
二メートルを超えるデビルブリンガーの速度に乗せた重い一撃により、鋭利な両角は切断。その衝撃によって牛鬼は脳震盪を起こした。
――勝機!
撃退士たちは皆武器を取り直し、各々が攻勢に転じた。
足の止まった牛鬼の足を、文字通り完全に止めるため、関節全てに攻撃を仕掛ける。
「いくよ!」
再び淵に入られぬよう牛鬼の背後を固めていた海が、槍を手にして空中から突撃。横薙ぎに振るうと白い軌跡を描き、白槍シュトレンは尻ごと左後脚を切断した。
「外しません!」
次いで茉祐子が長大な和弓鳴神を構え、空から狙い打つ。放たれた矢は紫電を纏い、狙いを過たずまるで雷のように撃ち付けた。右の中脚は根元から焼き切られ宙を舞う。
「脚は早めに潰さないとね」
そう言いながら銃を構えたのはRobinだ。
牛鬼の突進力は侮れない。直撃すればかなり危険だろう。
「それには同感だ、人間」
フローライトもそれに続き、
「では私も」
そしてユウも、紫電を纏う銀色の銃を手にした。
残る脚は計三本。右は一、左には二本残っている。それぞれが別々を照準し、ほぼ同時に引金を引いた。
重なる銃声と雷鳴。
Robinの魔銃フラガラッハはアウルの光弾を射出し、右の前脚を吹き飛ばす。
二対一組の黒銃イクスパルシオンを駆るフローライト。速射された無数の弾丸は空から降り注ぎ、左前脚をビスビスと削り落とす。
ユウのエクレールCC9から放たれた銃弾は雷光の如く疾さで、瞬きの後には既に、残った中脚が吹き飛んでいた。
全ての脚を失った牛鬼は、腹ばいで蠢くただのイモムシと化している。
「こうなっては、もう脅威もなにもないですね」
エルムが静かに雪華を構える。十八番の秘剣、翡翠の構えだ。
その呟きに乗じ、皆が一様にして構える中、宙から牛鬼の様子を窺っていたフローライト。
化物の挙動の変化にいち早く気づき、咄嗟に銃からドールへ持ち替える。
皆が飛び出そうとしたその時――
「油断するな」
フローライトは冷たく言い放ち、牛鬼が毒を吐くために大口を開けたところへ、水の弾丸を発射した。
高速で飛んだ水弾は、牛鬼の生え揃う鋭い牙を撃ち砕く。
BSから回復したばかりでろくに毒を溜められていなかったためか、牛鬼の毒霧は不発に終わった。
「助かりました、フローライト」
エルムの礼に、フローライトはわずかに顎を引いて首肯した。
「それにしても、これだけのダメージを受けてまだ動けるとはね」
感心したように海が呟く。
「突進はもう出来ないだろうけど、毒は恐いから一応眠らせとくね」
事務的に言いながら、Robinは自身の周囲を冷気で包み込んだ。牛鬼は体温の低下に伴って深い眠りに誘われる。
牛頭から鼻ちょうちんが出たのを確認。
再び、撃退士らは武器を構え――
遮る邪魔なものがなくなった腹部へ、一斉に攻撃を叩き込んだ。
矢に、銃弾に、刀に、魔法にと。
様々な特徴的な傷がつけられ、腹部からは血飛沫が噴き上がった。川原に金臭い匂いが散漫する。
そうして牛鬼は、嘶くこともなく――絶命した。
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討伐完了後。
牛鬼の棲んでいた淵に二人の姿があった。
海とRobinだ。
他に敵が隠れていないかの確認と、遺品や骨が残っていないかの捜索のためである。
海は陰影の翼で推進力を得て、牛鬼がいたために進めなかった横穴の内部を探った。
足場のすぐ下は幅五メートルほどの洞穴になっており、そこで簡素なマスクを発見する。
恐らく、最近亡くなったという少年が身に着けていたものだろう。
残念ながら見つけられたのはそれだけだった。あとは枯れた水草が散乱しているだけで、目ぼしいものはない。
海は割れたマスクを手にし、洞穴を出た。
Robinは予備の潜水道具を装着し、淵の中に目を光らせていた。
子供が犠牲になって、みんな悲しんでいるだろうな。と、なんとはなしに頭の片隅で思いながら……。
しかし何人も犠牲になっていて、ほとんどの死体が上がっていないことを鑑みるに、やはり牛鬼が丸ごと食したのだろう。
息継ぎを何度かしながらもしばらく探したが、目立ったものはこれといって発見できなかった。
敵の存在もないことを確認し、Robinは淵から引き上げる。
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「――龍崎先輩、Robinさん。お疲れ様でした」
討伐後すぐであるにも係わらず、骨を折ってくれた二人へ茉祐子が駆けつけ礼を言う。
「これだけしか見つからなかったけどね」
そう言って海が差し出すマスクを見て、茉祐子は切なそうに眉尻を下げた。
人が襲われたばかりであるにもかかわらず、見つかった遺品はたったこれだけ。生きたまま喰われたその少年を想うと、恐怖はどれほどだったろう。
助けを求める悲鳴が、今にも鼓膜に響いてきそうなくらい、割れたマスクは凄惨さを物語っていた。
「牛鬼の伝承については興味深いですが……亡くなった方がいらっしゃるのが、哀しいですね」
その後、一向は遺品を地元警察に届けた。
そこで警察から連絡を受けやってきた、亡くなった少年の母親とその友達三名から、撃退士たちは感謝を受ける。
「ありがとうございます」と泣きながら口にする母親の姿は、なんとも痛ましく映った。
もう少し早く依頼されていれば、もしかしたら、少なくとも少年は死なずにすんだかもしれない。
天魔との遭遇に「たられば」を言い出したら切りがないが。
そんな思いを抱かずにはいられない、少し後味の悪い任務だ。
それぞれの想いを胸に、撃退士らは帰路についた。