●昼
緑薫る爽やかな風が吹き抜ける。
鳥の囀る森の広場。眼前には朽ちた教会が、時の流れに取り残されたように静かに佇んでいた。
噂では月夜に天魔が出現するというが、事の前に現場調査をしておくのは無駄なことではない。
そう考え、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は一足先に教会へ赴いていた。
「今日はずいぶんと暖かいわね」
天高く昇る太陽を一瞥する。本日の天気予報は一日中晴れ。月も問題なく出るだろう。
そこでケイは、ふと背後の気配に振り返った。
「あたし一人でもよかったのに」
視線の先には、そよ風になびく髪を押さえるセレス・ダリエ(
ja0189)の姿がある。
簡易的な調査のため、自分一人でも事足りるのだが。
真っ直ぐに見つめ返してくる青色の瞳が瞬き、
「……あなたと一緒に、いたかったから」
ぽつりとそう言葉を紡いだ。
少し意地悪だったかしら――。ケイは小さく笑いをこぼす。
聞くまでもないことだ。唯一無二の、大切で大事な親友なのだから。
「行きましょう、セレス」
頷くセレスの隣に並び立ち、ケイは教会へ足を踏み入れた。
教会の内装はほとんどが木で腐食が進んではいたが、床が抜け落ちているところはなかった。
しかし踏むとへこむ箇所がいくつか散見され、誘導の際には踏み抜かないよう注意が必要である。
身を隠せるところも確認した。
教会を出、外を一通り見て回る。
広場自体は戦闘するに十分な広さがあり、周囲の森の木々からも長射程のライフルであれば問題なく目標を狙えるだろう。
「――こんなところかしらね」
粗方調査を終えたケイとセレスは木陰に移動し、夜を待った。
●夜
秋の夜のひんやりとした風が、森の梢をざわつかせる。
まるでこれから起こることへ、警鐘を鳴らしているかのように……。
「こうして見ると、だいぶホラー染みてるな」
夜闇に浮かび上がる月光に縁取られた廃教会を眺め、ミハイル・エッカート(
jb0544)が呟いた。
「昼とは雰囲気がぜんぜん違うわね」
趣さえ感じられた昼間との違いを口にしながらも、ケイは仲間たちと連絡先を交換しつつハンズフリーを徹底させる。
トワイライトを地面に設置しながら、その教会内の暗闇に鋭い視線を向けていたのは山里赤薔薇(
jb4090)だ。
「どうしたのじゃ?」
近場にいた白蛇(
jb0889)が声をかけるも、「いえ……」そう言って赤薔薇は首を横に振った。
祈りに来た人達を餌食にし続けて来たという事実に、決して許すわけにはいかないと胸の内で怒りを燃やす。
ケイから、木々から敷地を狙えるようだと話を聞いていたSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)は、教会内部を直接狙えるかの確認をしていた。
射線を考慮しいくつかに絞って木に登ってみたが……。直接狙えるところでは射程が足らなかったり壁で十字架が死角になっていたりと散々だった。
スピカは仕方なく、広場全体を射程に収める真ん中辺りの木の上で、目標が外へ出てくるのを待つことにした。
「さて、そろそろ行くか」
教会前で佇むミハイルが≪聖なる刻印≫を身体に刻み、設置されたライトを背に告げる。
ケイはそれを合図に自身の感覚を研ぎ澄ませ、先行して教会内へ侵入。十字架付近の物陰に身を潜める。
赤薔薇はミハイルが中へ入ったのを見届けて、入口付近で待機した。
外のライトと月光のおかげとあって、ある程度の視界が確保されている内部。
ケイからの情報を元に、床の脆い部分を慎重に避けながら奥へ向かうと、件の十字架を見つけた。
ミハイルは片膝がぎりぎり付かないくらいに腰を屈め、祈りを捧げる。
――ピーマンを食べられるようになりたいぞ――
世間は大人にもなってピーマンを食べられないことをおかしいと言うが、そもそもあれは未成熟なのだ。あんな苦いものをどうして食べ物だと認識出来るのか。そんなものをわざわざ食うか!
「だが食べられないと世間の目が痛いんだ」
仄暗い中、十字架の下でぶつぶつとピーマンについて一人ごちるミハイル。実にシュールな絵面である。
果たしてこれは祈りなのだろうか……。疑問に思いつつふと見上げた十字架の裏側から、闇が漏れ出すのを確認した。
闇色の靄が床に広がり、それは見る間に立ち上って聖職者の衣装を身にまとった天魔を形作る。
「こいつ、この教会の司祭だったんじゃないか?」
「そうかもしれないわね」
ミハイルが態勢を整える間を埋めるように、乾いた発砲音が鳴り響いた。
隠れていたケイの放った腐食弾は、天魔の右肩を貫通する。
瞬間、肥大した頭部を埋める口の一つが突然開き――
『ぎゃぁあああ!』
ヒトの断末魔を発した。
ビショップが背後の気配に振り返ろうと身体を傾けたその時だ。
「こっちだ、来い、ディアボロ!」
入口から叫んだ赤薔薇の声は、ケイからの注意を逸らし自身に引き付ける。赤薔薇は背を向けて駆け出し、祖霊符を発動。
床を滑るように移動する天魔がミハイルの横を通り過ぎ、彼に背中を見せる形となった。
「ガラ空きだ」
グッと腕を引き掌底を構えたミハイル――。ケイはすかさず外の仲間たちに連絡を入れる。
――勢い鋭く突き出された掌が天魔の背を強かに打ち付けると、ビショップは再び絶叫を上げながら教会の外へと吹っ飛ばされた。
連絡を受けあらかじめ司を召喚していた白蛇は、ゴロゴロと転がりながら飛び出してきた天魔の姿を見て目を瞠る。
「なんと悪趣味な……。恐ろしいとは思わぬが、おぞましいじゃ」
同じく太い枝を足場にし木の上からその時を待っていたスピカ。
「見つけた、ロックオン…」
目標を視認し、闘気を開放。トリガーへ静かに指をかけると、蒼く美しいライフルの引き金をひいた。
超高圧縮されたアウルはエネルギー弾となり、砲声の轟きを置き去りにして頭部を直撃。また一つ口が開き、今度は『がぁああ!』と呻きを上げた。
頭部は一部が爆ぜたが、瞬時に元通り復元される。
「どういうこと…?」
復元能力でも有しているのだろうか。スピカは小首を傾げるも、天魔からは目を離さない。
ゆらりと起き上がり、ビショップはおもむろに両の手に火炎を宿した。
「司ッ!」
反射的に判断し、白蛇は宙に浮く白鱗金瞳の蛇へ指示を出す。シャーッと牙を剥き出し威嚇すると、天魔の目線が蛇へ向いた。
そして繰り出された火炎は螺旋に絡み、轟とうねりながら蛇を飲み込む。
焼かれ、ぶすぶすと音を立てる蛇の体は煤塗れ。温度障害を負った。
思った以上に高火力のようだ。
「すまぬ。いったん司は引かせてもらう」
白蛇は司の状態を見て、当分回復は見込めないと判断。再召喚を選んだ。
ミハイル、そしてケイも広場へと出、全員が各々の位置で布陣する。
ライトの方向を考え、敵の影が自分の足元に届かないよう位置を取ったミハイル。近距離での射撃を開始。
銃弾を撃ち込む度に頭部の口が開き、つど不気味な声を上げる。
悪趣味だなと思いつつも、
「その数だけ銃弾をぶちこんでやる」
彼は決してトリガーを引く手を休めない。
ミハイルから少し離れた位置で自動式拳銃を構えたケイは、再びAショットを撃ち込んだ。
蝙蝠の羽の基部に命中した弾丸は腐食させ、左の羽を根元から落とす。
天魔が反対の羽を扇ぎだし宙に浮き始めたことを見咎めると、赤薔薇は間髪入れずに≪星の鎖≫を放つ。
連なる星々の輝きがビショップを拘束し、大地に引きずり下ろした。
地上に縫い止められたビショップは、指先をわずかに動かし始める。すると、小さな稲妻が周囲に発生し始めた。腕を天に掲げた瞬間、バリバリと音を立てながら一気に雷電が拡散する。
それは無差別に宙を走り、空気を焼き大地を焦がした。
至近距離にいたミハイルは≪マジックシールド≫を張り、近辺にいたケイと赤薔薇はそれぞれ≪回避射撃≫と≪龍壁≫で以ってやり過ごす。
司を再召喚し終えていた白蛇は指示を出し、ビショップに向けて司を突撃させる。その間、自身はライフルによる射撃で牽制。
あらかじめ施しておいた鬨によって、能力を上げた司の本命打を効率よく叩きこむためだ。
「司、いまじゃ!」
天魔に取り付くと、噛みつきや鞭のようにしならせた尾で、目にも止まらぬ速さの攻撃を繰り出す召喚獣。乱打を受けた天魔はその回数分、一斉に頭部の口が開いて絶叫を木霊させた。
司を振り払うように両腕を広げるビショップ。刹那、直径四メートルの半円状の薄膜が展開された。
それは幾何学な模様が帯状に重なり、回転しては幾度もその配置を変える。
「なるほど…」
樹上で呟くスピカ。それは、先のミハイルが口にした言葉が正しいということへの得心だった。
恐らく、頭部の口の数だけ殺さなければ倒せない。開いた口が塞がらないところを見る限り、あれらはもう死んでいるのだろう。
そのことを皆に伝え終えると、スピカはトリガーに指をかけた。
ミハイル、ケイ、白蛇は銃による射撃の嵐を浴びせ、弾雨の中を縫うように赤薔薇はコンジキで斬り付ける。
その様子を注視していたスピカは、「…なるほど…」とまた呟いた。
いくつかの弾丸は天魔に命中してはいるが、ほとんどが地面や空に向かって軌道を逸らされている。どうやらあの結界は攻撃を屈折させる力を持っているらしい。
「これで、どう…?」
自動捕捉による射撃で、スピカは目標をヘッドショットした。
狙った位置からわずかに弾は逸れ、それでも頭の端を掠める。また一つ口が開く。
「数撃ちゃ当たるってやつか」
「ぜんぜんスマートじゃないけれど」
「じゃが、仕方ないじゃろう」
さらに激化する硝煙弾雨。
見事な銃捌きを披露するミハイルに、天魔の視界の端をしきりに動きながら射撃を繰り出すケイ。
少し離れた位置から狙撃する白蛇に、断末魔も気にせず淡々と頭部を狙うスピカ。
赤薔薇は近接戦闘を止め、ライフルに持ち替えた。
ふと、これだけ銃弾が屈折し逸れているにもかかわらず、教会側へは一切被害がないことを不思議に思う。もしかして――
(あなたはこの教会の神父さんだったの? 死してなお教会を守ろうと?)
一瞬。ほんの一瞬の躊躇いが隙を生んでしまった。
ビショップの足元の影がわずかに広がり、影は地中に潜る。
黒い染みのようなものが薄っすらと地面に浮かび上がりながら、自分の元へとやってくるのを見、赤薔薇は咄嗟に龍壁を使用。
龍を模した真紅のアウルが身体に絡みついた瞬間――
無数の黒い槍が地上に突き出てきた。それは赤薔薇のすぐ目の前で展開され、手にしていたライフルを弾かれて取り落とす。
「奴の闇にライトの意味はなし、か」
今しがたの攻撃からそう判断すると、ミハイルは射撃しながら距離をわずかに詰めた。
「まさか地中に広げるとはね」
確かに地下は闇だとケイも納得する。
「しかしじゃ、あかりがなければあの染みも見え辛かったじゃろうな」
白蛇の言葉を聞き、そろそろトワイライトの効果時間が切れる頃だと思い出した赤薔薇は、念のため三つほど追加で設置する。
と――、突然ビショップの結界が徐々に小さくなり始めた。
好機。
銃弾の屈折もほぼなくなったため、撃退士らはここぞとばかりに集中砲火を見舞う。
赤薔薇も落としたライフルを手にして攻撃参加。
雨霰のように飛び交う銃弾の直撃を受け、次々にビショップの頭部の口は開いていき、銃声砲声に紛れて無数の悲鳴が重なった。
天魔の足元の影が広がりを見せた瞬間を見逃さず、ミハイルは盾をライフルの形状へ変化させ後頭部へフルスイング!
「させるか、このランチュウ野郎!」
銃床で強打したことによりスキルをキャンセルさせる。
十字砲火の嵐の中、ケイは隠密裏に接近。静かに肉薄し、ゼロ距離でのAショットを撃ち込んだ。首元から入った弾丸は額を突き抜け、天魔はドス黒い脳漿をぶちまける。
それが決定打となったか。
『ぎぃいやぁああああああッ』
最後の口が開き女の断末魔をあげ……ビショップの動きが一瞬止まり――全て開いた頭部の口から黒い霧が抜け出ていく。
そうして天魔はぐずぐずと崩れ去り、そこにはただローブだけが残された。
●戦闘終了後
秋の夜の静かな風に、歌の旋律が流されていく。
ケイは亡くなった人々を想い、その人たちの鎮魂を祈って美しい歌声を響かせた。
そして歌い終えると、今度は教会を賛美し歌唱する。その傍らには、瞳を閉じて聴き入るセレスの姿が在った。
「そういえばじゃが。十字架の陰に潜んでいた状態で、祈らずに十字架ごと攻撃したらどうなったのじゃろうな?」
白蛇は教会を眺めながら素朴な疑問を口にした。
「十字架ごと、攻撃したら…出てこないで、終了しそう…? でも、他になにか、ギミックありそう…」
たぶんだけど、とスピカが続ける。
「異教とはいえ、同じ神の社。わざと破壊する気はないがな」
白蛇は冗談じゃと戯け、カカと笑った。
一人教会で遺留品を探していたミハイルだったが。
残念なことに衣服の切れ端一つ見つけられなかった。天魔がもろとも食ったらしい。
傾いた十字架を見上げ、小さく息をついた。
背後で足音がし、ミハイルが振り返ると――そこにはタッパーをそっと差し出す赤薔薇が立っていた。
「ミハイルさん、あの、ピーマン好きになって欲しくて作ってきたの」
いたいけな少女が見上げている。微かに香るは肉のにおい。
影になっていて少々見づらいが、あの緑色は間違いない、ピーマンだ。しかも肉詰めだ。
文字通りのすし詰めになったピーマンの緑を見て、ミハイルはひくりと頬を引きつらせた。
わざわざ食うかと一人ごちた。それを声を大にしてまたここで叫んでいいものだろうか……否だ。少女を悲しませることはしたくない。
紳士ミハイルは葛藤の末、
「あ、ありがとうな、赤薔薇」
ぎこちないながらも感謝を述べ、タッパーを受け取る。
受け取ってもらえたことに笑顔を見せ、赤薔薇は外へ駆けていった。
残されたミハイルは、「はっ!」とそこで閃いた。
嫌いだからと言ってこれを食べずに捨てるのは忍びない。せっかく作ってくれたものだ、肉は食べよう。
そして、ピーマンはフェンリルの餌にすればいいのではないか、と。
愛犬の健康を考えるのは飼い主の務めだ、これはいい考えだそうしよう。
ミハイルは薄闇の中、うんうんと納得し大きく頷いた。
賛美歌を歌い終えたケイは、この場の再生と復活を祈り、適した花言葉のラッパ水仙を植えることにした。
「セレスも手伝ってくれる?」
「ええ」
二人で地面に穴を堀り、水仙の球根を丁寧に植えていく。
その様子を見ていた赤薔薇。
「あの、私も手伝います」
「ありがとう」
ケイから球根を受け取った赤薔薇は、同じように植え付けた。
(私も教会を管理してるけど、この教会もいつか再興してまた沢山の人がお祈りしに来るようになればいいな)
そんな想いを込めて、仲間たちと犠牲者を弔った。