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規制線の張られた高等学校の敷地をくぐりしばらく歩くと、少年三名が犠牲となった件のグラウンドが見えてきた。
少し離れた小道から、撃退士たちは中の様子を窺う。
芝には一部、直線に数メートル焼け焦げて地肌が見えている箇所があった。その周囲には赤黒い血の痕。恐らく少年らが亡くなった場所だ。
遺体は既に回収されているらしく、遺品なども見当たらない。
芝に落ちる木の葉が、ふいに起こった風に吹かれて静かに舞う。
葉の流れた先。センターサークルの中心で直立する天魔は、風を受けてもまったく微動だにしない。事件を知らなければ、誰かが置いたであろうオブジェのように静かにそこに在った。
「この真夏の昼下がりにあんなグラウンドのど真ん中で……、まったく暑くないのやら」
シャツの胸元をパタつかせながら、鈴代 征治(
ja1305)はその風貌を見て呆れたように肩をすくめる。
「確かにあれは蒸しそうだ」
熱の逃げ場もないくらいフィットしている軽鎧を見て、浪風 悠人(
ja3452)が呟く。
傍目に別段普段と変わりなさそうではあるが、眼鏡の奥の眼差しは幾分穏やかなものではなかった。
夫の様子に気づいた妻、浪風 威鈴(
ja8371)は、
「道化…って…面白い事…する人…?でも…この道化…暴れるだけ…」
きょとんと、そういつもと変わらない調子で言う。
そんな妻の頭にポンと手を乗せると、悠人は柔和な笑みを返した。
「ピエロか。でかい羽虫かと思ったぞ。……ああ、煩いところは変わらんか」
鎌の銀色が翅のように見えたのだろう。冷たくそう告げ、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は鼻で笑う。
「この場合ピエロだろうとクラウンだろうと関係なさそうだけど。天魔にこの形状が結構多いのは向こうの文化か、人間の影響か?」
よく見るタイプである天魔を目にし、天宮 佳槻(
jb1989)はついそんな疑問を口にした。
「どっちにせよ、多分に趣味が含まれてそうやなぁ。――にしてもや、ほぉ…大鎌使いか…これは負けられんなぁ」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は目標が担ぐ得物を認め、口端に不敵な笑みを浮かべる。
静かに翼を広げて飛翔すると、自身も漆黒の大鎌を手にした。
皆一様にして各々武器を手に取ると、
「――なら、行くで」
魁であるゼロの飛び出しに合わせ、撃退士らは散開する。
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ゼロが道化に張り付くまでの間、悠人は一番遠く五〇メートルほど離れた場所から、ライフルのスコープで敵を照準していた。
狙いを道化の腕部に合わせ思うは、先の妻の言葉。
この道化の行いは、自身が悲しみを負っても他者を笑わせるという道化師の在り方からかけ離れている。その事に対し、悠人は静かに怒りを覚える。
(道化師なら道化師らしく面白い事の一つや二つやって見せろよ)
心の中で言い捨て、敵意とともに引き金をひいた。弾丸は射線上を狂うことなく飛び、道化に直撃するかに思われた。が、目標は片足立ちの足を入れ替えながら戯けるように横へ跳ね、ひらりと銃弾をかわす。
間合いを詰め一気に道化との距離を詰めたゼロは、今しがた見せた敵の回避力を考慮。
「その仮面ごと燃したる!」
道化に避けられないようにするため、【朽嵐】で範囲を焼く。
高温と低温の嵐が吹き荒れる中、道化は鎌を器用に回転させ熱を左右に流す。センターサークル内は燃え地肌が露出した。
同じく前衛として、一定の距離を保ちながら白兵戦を仕掛けたのは征治だ。
後衛の壁としての使命を肝に命じながら、いまだ熱をやり過ごそうと鎌を回す道化の背後から【神速】による槍を体幹目がけて突き入れた。
背中側の気配を察していたのか、道化は身を捩り串刺しは免れる。しかし征治の槍は軽鎧の右脇腹付近を抉り損壊させた。
「フフフ……」
くぐもった不気味な笑い声を漏らすと道化は屈み、上空へ飛び上がって前宙。鎌を思いっきり大地に振り下ろすと、膨大な闇の波動が辺り一面を衝撃波として襲った。
一瞬の出来事に対応が遅れる。
「うおっ」
「くっ」
直径三〇メートルの円状に芝は吹き飛ばされ、盛大に土埃が舞う。
範囲内にいたゼロと征治は巻き込まれながらも、鎌を何とか盾にしたり、槍を地面に突き刺して吹き飛ばされないようにし被害を最小に抑えた。
道化のスキル直後の硬直を狙い定め、
「笑えないピエロだな。ピエロでありながら笑いを取れぬのなら存在価値などなかろう?今楽にしてやる」
エカテリーナは最大射程ぎりぎりまで駆け――タタタタタタンッ! とアサルトライフルを連射した。
硬質な音を響かせながら、無数の弾は軽鎧を貫通する。
その攻撃に紛れ、佳槻はアウルで蛇の幻影を生み出し道化へと放っていた。
(上手くいけば毒でじわじわ削れる)
蠱毒は先ほど征治が破壊した部位から覗くチュニックの上から噛みつき、毒を与えた。
威鈴は【地形把握】にて道化の死角になりそうな場所を探し移動。目標はゼロへ体を向けているため、背後にいる征治側ならばちょうど隠れる形で攻撃できる。
道化というのは分からない、しかし敵であるのなら倒さないと――そんなことを思いながら威鈴は道化に集中する。
その両肩には、猟犬と狂犬の模様が浮かび上がる。彼女の中で、『狩りをする』と『食い殺す』の二つの感情が渦を巻く。
黒い鞭をしならせると、威鈴は道化へ強かに打ち付けた。と同時に巧みに捻りを加え鞭の軌道を変えると、足元に伸びる影を叩く。【影縛の術】束縛を狙ったものであったが、未だ影は揺れ動いている。縫い止めることは出来なかった。
道化があまりその場から動いていないことを見咎めた悠人は、距離感を保ったまま視界から消えるように動き狙撃する。「こっちだ!」その際注意を引くため、そして威鈴が死角へ潜りやすくするためと、道化へ声をかけてみたのだが。
目の前にいるゼロから注意をそらすことが出来なかった。
「なんやお前、もしかして俺と殺り合おういうんか?」
「フフフ……」
「仮面をつけたジョーカーはお前だけやないで?俺の道化の仮面お前は剥がせるか?」
「フフ……」
道化が笑う。それにゼロがニヤリと笑いを返した、刹那――
道化の持つ大鎌がゼロに振り下ろされた。寸でのところで斬り払い、お返しにと斬り返した鎌は、同じように斬り払われる。
ゼロはどこか嬉々として、
「ゆーはん大変や!もしかしたら俺のドッペルさんかもしれん!」
遠くスコープを覗き続ける悠人へ声を上げた。
『二重の意味で笑えねぇよ』
「フフフ……」
片方ずつ足を変えては跳ねる道化。お道化ているつもりだろうか。
笑えねぇよ――もう一度心の中で呟き、『まだお前のボケの方が面白いから安心しろッ』と悠人はツッコミを入れて攻撃に集中する。
ゼロが回避行動を阻害するように道化とタイマンを張っている隙を突き、撃退士たちは攻撃を仕掛けた。
征治は再び【神速】による突き。風纏う一撃は、道化の鎌の柄により巧いこと軌道をそらされ虚空を貫いた。
道化の注意は主にゼロへ向いたままだ。
念のためと、佳槻は【八卦水鏡】で自身を強化。透明な盾をいくつも展開しつつ、なにか考えがあるのか翼を広げ飛翔した。
道化の左側面からスキル射程まで近づいたエカテリーナ。
「良い天魔とは人類に寝返った天魔か、さもなくば死んだ天魔のことだ!貴様はどちらも満たしていない、消えろ!」
烈しく糾弾し腕を振るうと、三日月のような無数の刃が道化を側面から斬りつける。
さすがの道化も剣戟に興じながら避け切ることは不可能なようだ。軽鎧は数カ所ざっくりと裂け、腕や脚にも裂傷を負った。
「悠……」
威鈴が目配せすると、悠人は意図を察したかそれに頷いた。
駆け出した威鈴は革鞭を振るい、負傷している道化の右の脇腹へ至近距離で【精密殺撃】を打ち込む。
射程を犠牲にした強力な一撃は、大きく肉を抉り出血させる。
ダメージを負わせた妻へ振り返ろうとしていた道化に、悠人は彼女が死角へ潜る隙を作るために【スターショット】を放った。
飛来する星の輝きが着弾する寸前――道化は地を蹴り、後方伸身宙返り三回半ひねりをくわえ征治の眼前に着地。振り上げていた鎌に炎を纏わせ振り下ろす勢いのまま回転し、火炎大車輪で征治に突っ込んだ。
それに対しなんの用意もない征治ではない。
肉を切らせて骨を断つ。自身のダメージを厭わずに合わせた槍は、鎌の横から突き入れられ回転を止めると同時、道化の左肩を刺し貫いた。
半身を上手く捻って攻撃を避けたため、征治の負った左腕の傷はそう深いものではない。
「迂闊に攻撃するとこうなるってことを、覚えておいてよね」
血の流れる腕部を押さえながら告げる。
「フフフ……」
鎌を下げ、再び攻撃の挙動をとった道化の動きを見逃さなかった佳槻。
「ゼロ!」
空に魔法陣が現れていたのを見、「かっちゃん、まかしとき!」ゼロは応え鎌を構えて飛び出した。
瞬間、アウルによって生成された大量の雷がグラウンドに降り注ぐ。轟く雷鳴、大地を焦がす臭いが散漫する。
そんな中。右腕一本で鎌を操り、なんとか雷撃をやり過ごそうとする道化の背後へ、ゼロの大鎌が強襲する。
稲妻に紛れる形での接近だったため、道化は存在に気づけないでいた。
背中を袈裟懸けに斬りつけられた道化はよろめき、それを好機と見咎める撃退士たち。
各々武器を手に、一斉に攻撃を仕掛けた。
「せめて道化師らしく面白い最期を遂げてもらうぞ。笑えるほどに面白い最期をな!」
エカテリーナは瞬時にいくつもの闇の矢を作り出すと、それらを一斉に飛ばした。
気配なく高速で空を切る矢は、瞬く間に道化へと刺さる。体の至る所から出血してもなお、道化は苦痛の呻きすら漏らさない。
「行動…阻害…出来れば…」
威鈴は再び鞭を振るって、胴部へ攻撃を加えるとともに影を狙う。
しかし、道化は満身創痍ながら高々と跳躍し、影縛りを回避。
前宙しながら鎌を振り下ろそうとしたところ――
ゼロが背後から道化を強かに叩きつけた。
「くるっとまわってはい残念!厄介な技は使わせへんで?」
範囲攻撃を阻害し大きな隙が生まれる。
人知れず気を練っていた悠人は、スコープを覗き狙い澄ます。
『こちらもジョーカーを切らせてもらう…が、誤射したらごめんなッ』
トリガーを引くと、爆発的に高められたアウルに乗せた輝く弾丸が発射された。
今までにない高輝度の弾は粒子状の光を尾ひれにし、狙いを過たず道化の首元へ直撃した。着弾と同時に光が弾け、花火のように輝きが拡散する。
首の皮半分といった具合にだらりと頭を垂れる道化。
「まだ倒れないか。ならもう一度だ」
佳槻は再び宙に魔法陣を描いた。
瞬間的に発生した雷が再三にわたり地上に降り注ぐ。今度は鎧を焼き、体を焼き、帽子を焼いた稲妻は道化に麻痺を与えた。
雷鳴轟く中、今は対峙する形となって向き合っている征治が構えた。
左腕には光、右腕には闇のオーラが迸っている。
首を傾げるようにして戯けているようにも見える道化に、
「お遊びはこれで終わりだよ!」
遠慮も躊躇も捨てて渾身の力で槍をぶち込む。
身体の全駆動をフル活用した混沌の一撃は道化の胸元を刺し貫く。槍を引き抜くと、そこには大きな風穴が穿たれていた。
道化の胸と仮面の顎付近から大量の血液が零れ落ちる。
「フフ……フ……フ……」
ボタボタとグラウンドを汚す赤い液体。よろめきながらも道化は、麻痺のせいかブリキのようにぎこちない動作で鎌を回転させると――
ザシュッ!
自らの首を斬り落とした。ゴトリと転げ落ちた首に続き大地に体が横たわる。
「フ……フフフ……」
最期に嗤い声を上げた道化の仮面が、不意に外れた。
そこには嗤った口だけが、闇夜に浮かぶ三日月のように刻まれているだけだった――。
負傷者は佳槻の治癒膏によって治療された。
●戦闘終了後
「結局、道化の形をしたただの天魔だったというわけだな。実に笑えん死に様だ」
道化の姿が消えた跡を睨み付け、心底呆れたようにエカテリーナがこぼす。
ヤバくなったら最期は自刃とは。期待しただけ無駄だったと、不愉快そうに鼻を鳴らした。
その跡地付近では、なぜだかゼロが悔し気に地面を叩いていた。
「なんで鎌ごと消えたんや! あんなええ鎌やったら是非ともいただきたかったのにッ」
「まあ、タダより高いものはないっていうしな」
ゼロの背に、現実の厳しさをさらりと説く悠人。
「ゆーはん、凹んでる時にダメ押しの正論はさすがに俺でも堪えますよ。せめてボケてくれへんと」
肩を落とすゼロへ「悪かったよ」と述べると、悠人は寄り添ってきた妻の肩を抱いた。
「悠…さっきは…ありがとう…」
「まあ、道化には避けられちゃったけどな。でも、威鈴が無事でよかったよ」
狼みたいな癖毛を撫でると、威鈴は目を細めどこかうっとりとして身を委ねた。
征治は一人、三人の少年が亡くなったであろう現場に花を手向けた。
(もうグラウンドは大丈夫だよ。生まれ変わって、また三人でサッカー出来るといいね)
そう心の中で冥福を祈る。
征治の行いを見やりながら、佳槻も思いを馳せた。
夢見た事の為に早く来なければ災難を免れたのだろうか?
……こんな世の中でも多くの人は昨日までの彼らがそうだったように普通の生活を続けるのだろう。慣れた鈍さなのか逞しさと言うべきなのか。
変わらぬ日常は悲しみを置き去りにしてまた流れ行く。
時の流れが、決して止まることのないように……。