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目的地へ向かう道中。
ぽかぽかとした陽気の中、先頭を歩く小田切ルビィ(
ja0841)は何気なく呟いた。
「植物園の次は庭園かー。……草花の周辺に天魔が沸くのも春だからか?」
冗談半分であろうその言葉に、「あー」っと相槌を打ちつつも、
「花の蜜に誘われてって感じですかね? 違うと思いますけど」
不知火あけび(
jc1857)は、苦笑いながら軽口を返す。植物園と聞いて、身内が迷子になったという話を思い出し、一人頬を掻いた。
庭園に到着するまでの間、撃退士たちは得ている情報を元に立てた作戦を確認しながら、ぞろぞろと道を往く。
●庭園
件の現場に到着した一行は、館の敷地の門扉をくぐる。
曲がりくねる道をしばらく歩くと、つるバラのアーチが出迎えた。それをくぐり、庭園へ足を踏み入れた撃退士らは、その見通しの良さに驚きを隠せずにいた。
確かに依頼書にはそのようなことが書かれてはいたが、まさか本当にほぼほぼフラットだとは想像しなかっただろう。
区分けされ、様々な草花が色とりどりに植えられている花園。
涼やかな風が吹くたびに、植物たちはくすぐったそうに身を揺らす。
しかし、美しい庭園ではあるが残念な点もあった。幾本も立っている石柱のどれもに、彫像の姿がないのだ。
一番近場にあったガーゴイルらしき像は、見事なまでに破砕され、既に瓦礫と化している。
「ご主人自慢の石像が粉々だな、気の毒に」
若杉 英斗(
ja4230)はその惨状を見て嘆く。
数々の彫像が崩れ散乱する中。遠めだが、一つだけ石柱の上に悠然と居座るモノが認められた。
「ミノタウロスの次はスフィンクス、か」
謎解きの一つでもあるモノだろうかと、微かな期待を込めて僅(
jb8838)は言う。
「今回は迷路じゃないんだね。見通しも良いし、迷う心配はないね!」
自身の兄貴分のことを暗に示すあけびの言動に、ルビィは親しい笑みをこぼした。
「今の所は館の主人に危害を加える様子はない様だが……、気紛れな天魔がいつ牙を剥くとも限らねえ」
阻霊符と【風の翼】を展開しつつ館を遠望し、ルビィは表情を引き締める。
「自慢の庭のようですし、なるべく庭にも被害がないようにしたいですね」
風に撫でられた草花に目を細め、夜桜 奏音(
jc0588)が呟いた。
「ん…、大切で綺麗、な場所…壊すのは良くない…よね」
ハル(
jb9524)もそれに同意し頷く。
そうして。仲間たちと陽動作戦の細かい調整をし、待機場所の事前確認を済ませたあけびは一歩前へ出た。
「遮蔽物がほぼ無ぇから、気を付けて行けよ?」
不意討ちからの陽動役を務めるあけびに、ルビィは案ずる言葉をかける。
「心配ご無用ですよ、ルビィさん! 私こう見えても忍者なんで!」
自身たっぷりに胸を張り、【遁甲の術】による潜行状態へと静かに移行したあけび。
気配を殺して目標に向かう彼女に合わせ、待機組も移動を開始した。
あけびは足元に注意し、移動時の障害にならない様に、破壊された石像の配置を確認しながら目標へ向かう。
極力庭に被害が出ないようなルートを選定しつつ移動し、石柱の上で休むスフィンクスまでの距離およそ十メートル。
目標はまだ気づかない。
あけびは火遁の最大射程まで近づいてみるが同上。そこからさらに一歩、踏み出したところで――、
「グルルル……」
気配を察したように首をもたげ喉を鳴らしたスフィンクス。獣の感というやつだろうか。
これ以上は気づかれる危険もある。早々に踏み出した足を戻して下がり、あけびは構えた。
前に聞いたミノタウロスの話から、何となく想像していることではあるが。確認のためにも丁度いい。
腕を思いっきり薙ぐと炎が巻き上がり、それは蛇の形となって目標へ襲いかかる。
「ッ――グゥオオオオ!」
立ち上がり、敵を察知し咆哮を上げたスフィンクスを、火遁の炎が包み込んだ。
しかしその体は一切焼けることなく、炎は全身を覆う金色の毛を滑りながら霧散した。
翼をはためかせ石柱を蹴ったスフィンクスに背を向けて、あけびは全力で仲間の元へと駆け出す――。
あけびが低空飛行するスフィンクスを釣って、こちらへ猛然と向かってくる。
接敵までそう時間はかからない。
「――さて、と。やっこさんが来なすった!」
地面に突き刺した大剣を引き抜きながら、ルビィは声を上げた。
庭園の一角にある東屋。その近辺は芝の敷き詰められたスペースになっていたため、待機組はそこで待ち構えていた。
「はぁ……はぁ……」
「グゥオオオッ!」
必死に逃げるあけびに、それを追う獣人。迫力ある逃走劇は、捕まらない捕まえられない鬼ごっこ模様を呈していた。が――
徐々にその距離が縮まりつつあることに皆気づく。
「デカイ図体に、あの移動、力。ミノタウロスに続き、厄介そうだ、な」
二メートルの身長は牛頭人身よりは低いが、身軽さ素早さは遥かに勝っている。一筋縄ではいかないと、僅は冷静に見定めた。
「迎え撃つより、迎えに行った方がよさそうだッ」
芝を蹴り、まず飛び出した英斗に続いて待機組は動き出す。
走ってくるあけびの背に、スフィンクスが狂爪を振りかぶった刹那――
入れ替わるようにして瞬時に割り込んだ英斗は、腕に着けた円盾を構えて腰を落とした。
振り下ろされた爪は思いのほか烈しく、その衝撃は踏ん張る足がわずかに大地にめり込むほど。
「こいつ……すごいパワーだッ」
押し返しつつ腕を薙ぎ、カウンターを叩き込む。
ヒットアンドアウェイで距離をとるスフィンクスの腕をわずかに掠めたが、金色の毛を少し刈り取るだけに止まった。
体制を整える獣人の側面から、間髪入れずに斬り込むルビィ。
振り下ろされた光り輝く大剣を、獣はバックステップでかわしながら、剣の側面を蹴り上げて後転とび。そのまま浮揚する。
「ッつう! 馬鹿力が」
ルビィはわずかに顔をしかめる。ビリビリとした振動が手を伝い、肘まで突き抜けた。
「飛行されると攻撃手段に乏しいので厄介ですね」
ホバリングし今にも上昇せんとする獣へ、奏音が危惧を吐露する。
同じく飛ばれるのは厄介と思っていた僅は、宙に腕を伸ばし、
「…今、落とす。散開してく、れ」
念のため落とす真下付近にいる英斗、ルビィに声をかけた。その場から飛び退いたことを見届けてから【星の鎖】を放つ。
輝く鎖は幾条も伸び、獣の体を拘束にかかる。
しかし、宙で身を翻した獣人は翼を扇ぎ、猛烈な風を巻き起こして鎖を吹き飛ばす。芝に無数の斬痕が刻まれた。
しくじったかに思われたスキルであったが、寸秒遅れて同じ星の瞬きの連続が、スフィンクスの背後から絡みついた。
出所を見遣ると、ハルだった。僅に合わせ、万一を想定して同じものを選択していたのだ。
「二人、なら、捕まえられる…と思って」
体を絡め取られた獣人は翼の機能を失い、大地に引き摺り下ろされた。
飛ぼうにも飛べないことに憤慨するように、スフィンクスはもがき暴れる。
「落ちて飛べない今なら近づいて翼の所までいけるはずです」
声をあげた奏音に向き直ると、獣人は腰を低くし、強かに大地を蹴った。炎を手足に纏わせ、驚くべき跳躍力で襲い掛かる。
奏音は冷静に動きを見極め、スフィンクスの眼前に小太刀を投げた。一瞬ひるませたことで攻撃位置を若干ずらし、振りかぶられた手の下を掻い潜り回避。敵の横へ回り込む。
攻撃が空振りに終わった獣人は、芝の上を足で焼きながら滑り、大地に鉤爪を突き立てることで急停止した。
「――その翼、まずは片翼を貰い受けます」
一瞬の硬直を見逃さず、背後に天照大神の幻影を背負った奏音は、薙刀を構えて跳躍する。
振り返りかけたスフィンクスの左の翼に、太陽の如く輝く刃を叩き付けると、膨大な光が拡散しながら根元近くでそれを切断した。羽根が散り、赤黒い血液が断面に滲む。
「グオァオオオオッ!」
悲痛な呻き声を上げる獣人は左肩を押さえながら転げ回る。やがてよろよろと立ち上がり、大口を開けたかと思ったら――大玉の火球を三つ続けざまに吐き出す。
それらは高速でルビィ、あけび、そして奏音の方に向かって飛んだ。
ルビィは大剣で受けるも、割れた炎の片割れを左上腕部にもらってしまう。
「ぐっ!」
「大丈夫ですか、ルビィさん!」
あけびは声をかけつつも地面に手をたたき付け、アウルで構成した畳を出現させた。畳は飛んできた火球とともに爆散し煙と消える。
「ああ、心配ねぇ。それより、さすがは忍者だな。見事な畳返しだ」
思わぬところで褒められ、あけびはくすぐったそうにはにかんだ。
翼を切り落としたばかりの奏音は、防御も回避もままならない状態だった。
そこへどこからか半透明な翼がやってきて、火球の激突寸前で奏音を優しく包み込む。
「俺が立っている内は、仲間はやらせないぜ!」
――直後、爆発。
英斗の【庇護の翼】だ。奏音のダメージを肩代わりした英斗は、想像した以上の痛みに悶絶した。
「いって!」
「英斗さん、ありがとうございます」
「なあに、礼には及ばないぜ! 仲間を守るのは盾の仕事だからな!」
ダメージを負った二人に、
「…回復する、ぞ」
「ハル、も」
僅とハルはヒールを撒く。
スフィンクスは肩で息をし、ついには口から火が漏れ出し始めた。いよいよ以って終わりは近い。
目を真っ赤に充血させ牙を剥き出した獣人は、翼をやられた怨みからか、奏音に向き直った。
「あら、私ですか。八つ当たりもいいところですが――」
奏音が薙刀を構えた瞬間、スフィンクスは獣の瞬発力で大跳躍を見せた。
僅とハルは揃って【審判の鎖】を放つ。が、体に鎖が巻きつく瞬間、獣人は自身の体に猛火を吹いて全身に行き渡らせ、鎖を焼き切った。
勢い止まらない殺意の塊。
鋭爪を伸ばしながら突進してくる目標の動きを冷静に見極め、奏音は飛び出した。
まず振り下ろされた左腕をかわし、次いで回転しながら蹴りだした右足、左足をそれぞれステップで避ける。
【見鬼】により次に繰り出される攻撃を先読みし、スフィンクスが身を屈めて上方へジャンプする挙動をとった刹那――
「――この攻撃はどうですか」
奏音は敵の真下に素早く潜り込み、強く大地を蹴った。爪を振り下ろされる前に、跳躍しながら薙刀の腹で思いっきり顎をかち上げる。
骨の砕ける名状しがたい音が響いた。
宙返りしながら着地したスフィンクスは顎を砕かれ、口から大量の血と涎を垂れ流す。
そこから。体勢を整えられる前に、隙ありとばかりに追撃をかける英斗。
残っている右の翼を狙い、
「くらえ! セイクリッドインパクト!!」
白銀に輝く盾のついた腕を、渾身の力を込めて突き出した。爆発的に高められた圧倒的な力により、べきべきと音を立てながら翼がもげる。
さらに追撃に次ぐ追撃。
僅が弓銃で雷の矢を腹部に放つと、ハルは星のように輝く斧を無感情に左腕へ振り下ろす。
腹部に射創、腕部に裂傷。背部に腹部、そして腕部と出血著しい獣人は一度膝をつくも、満身創痍で立ち上がる。
「まだ立ち上がってくる、か……」
スフィンクスは声のした方を見遣る。
そこには、大剣の切っ先を地面に垂直に立てるルビィの姿があった。
完全に構えもなくノーガード。
生への一縷の望みを掛け、活路を見出すかのように、スフィンクスは踏み砕く力強さで地を蹴った。
同時にその背を追う影在り――
左腕をだらりと垂らし、右腕を引き絞りながら突進してくる目標までおよそ二メートル。
瞬間、ルビィは【アーク】を発動。輝ける大剣の切っ先を獣人に向け、
「“Alber(愚者)”――これで最後だぜ!」
その喉元へ無情に突き入れた。
瞬間、
――翼の無い背中へ、あけびが挟撃。袈裟懸けに鋭く刀を斬り下ろす。その瞳には一片の慈悲もない。
庭師に同じことをしたスフィンクスは、同じく報いを受けるべきだ。と、あけびは冷視で語る。
首が刎ね飛ぶのと背面に袈裟の斬痕が刻まれたのは、ほぼ同時だった。
そうして。
熱い血飛沫を噴き上げながら、スフィンクスはついに絶命した。
●任務完了
静けさを取り戻した庭園は、涼やかな風がそよぎ花香る。
幸い、芝が抉れた程度で、花園自体に被害はほとんど出なかった。
「――しっかし、あのスフィンクスはどっから紛れ込んだんだろーな?」
本物の石像と天魔が入れ替わったのか、最初から石像が天魔だったのか。ルビィの脳裏を疑問が過る。
「確かに、謎ではあるけど――」
英斗は同意し頷きつつも、無事だった庭園を見渡した。
「いずれにしても、庭が守れてよかった」
風になびく花弁に軽く触れながら、奏音はやわらかく笑む。
その脇で、あけびは庭に手を合わせ鎮魂の祈りを捧げた。
僅は、被害に遭った庭師の遺物を回収し、庭師の家族に届けるよう館の主人に手配した。
その後、庭師が手塩にかけた庭の修復を少しでも手伝う為、ひとまず崩れた石像の掃除をすることに。
「…ハル、は、この場所が綺麗、なトコ…見てみたい、と思う。…僅、は?」
後ろをちょこちょこと付いて来ては、作業を手伝うハル。僅に対し、仲が良いとはまた違った親近感を抱いている様子。
「……そうだ、な。私もそう思、う」
そんなハルを、なんだか座敷童のようで僅は気に入っていた。
二人の清掃作業は、仲間たちを巻き込んで、日が暮れるまで続けられた――。