●プの章
「も、もう限界だ……!!」
小一時間走り続けていた雨党だったが、ついに体力が尽きたようだ。それでもプリンを庇うかのごとく、その身を箱に覆い被せるようにして膝をつく。
彼に追いついたディアボロが巨大なツメを振り上げた。
「壁の中からドーン!!」
突如、陽気な声と共にマンションの壁から蒼唯 雛菊(
jb2584)が飛び出し、ディアボロに突撃した。不意を突かれたディアボロは吹き飛び、転倒する。
「ほらほら、こっちだよ!」
雛菊は自らの身長よりも長い大剣を構えて、ディアボロを挑発した。
素早く立ちあがるディアボロに、今度は弾丸が降り注ぎ、その着弾点から淡い光が瞬いた。
「マーキング完了」
淡々と状況を告げながら、マンションの2階からひらりと常木 黎(
ja0718)が降り立った。
「ここから先は通しませんよ」
「通りたければ、ボク達を倒してからだよー」
桂木 潮(
ja0488)とアッシュ・スードニム(
jb3145)が雨党を守るようにして、ディアボロの前に立ち塞がった。
狩りを邪魔され激昂したディアボロと、撃退士達の戦いが始まる。
「大丈夫ですか?」
一方、状況が掴めていない雨党に声がかけられる。雨党の背後から現れたエーツィル(
jb4041)が雨党に手を差し伸べていた。
「き、君達は?」
エーツィルの手を取り、立ちあがりながらも困惑する雨党に、猫の着ぐるみを着たカーディス=キャットフィールド(
ja7927)が説明する。
「学園の撃退士のカーディスと申します。あなた様のプリンと御身を守る為に参りました」
狐の獣人である狐珀(
jb3243)が続ける。
「雨党殿の安全を確保する為にプリンを預からせて欲しいのじゃが……」
「そ、それは……」
だが、雨党の困惑はエスカレートしていた。カーディス達の説得に問題があったわけではない。ただ、いきなり猫の着ぐるみ達(雨党には彼女も着ぐるみに見えた)に助けに来られてもといった印象が強かった。
「私たちは撃退士です。必ず後でお返し致しますから、落ち着いた場所で心ゆくまでプリンを味わうことができるよう、今だけ私たちに預けていただけませんか」
カーディス達の後ろに控えていた牧野 穂鳥(
ja2029)が、改めて説得をした。雨党もようやく状況を理解し、もたもたしている暇が無いことにも気付いたのか
「た、頼んだ」
と言って、プリンの入った箱を差し出した。
「任されました」
カーディスがもふもふした両手で箱を受け取る。
「緩衝材を入れるため、箱を開けてもよろしいですか?」
穂鳥が尋ね、雨党は頷く。カーディスは器用にも着ぐるみのまま白い箱を開けた。
「おお……!!」
思わず雨党が感嘆の声を漏らした。無理もない。そのプリンはそれほどの価値があった。
まず、箱を開けた瞬間に立ち昇る香気。カラメルのほろ苦さが、甘い香りを引き立てる。
黄身をそのまま溶かしたかのような黄金色の本体は、風を受けただけで柔らかく震えるにも関わらず、その厳かなプリン型を崩そうとはしない。
その上にたっぷりとかけられた香ばしいカラメルソースは、プリンの上から少しこぼれ、ガラスの器の底で琥珀色の煌めきを放っていた。
全ての甘党を放ってはおかないであろう輝きを放つそのプリンは、まさしく『お菓子』を『芸術』にまで昇華させた、パティシエ渾身の逸品であった。
思わず手が伸びたエーツィルを「こらこら」とカーディスがたしなめる。かく言う彼からも、唾を呑み込む音が、着ぐるみの中から聞こえた。
「これは……食べられないとわかっていては、目の毒じゃのう」
狐珀が苦笑しながら、穂鳥の手によって丁寧に梱包され直していくプリンを見ていた。
「わー! こっちまでいい匂いがしてくるよ!」
戦闘中の雛菊までもが、思わず歓声をあげた。
「できました!」
穂鳥が、梱包し直したプリンを再びカーディスに預ける。
「ほれ、雨党殿はこっちじゃ」
琥珀は、名残惜しそうにプリンを見つめている雨党を抱えると闇の翼を広げ、飛び去った。急に空中へと連れ去られることになった雨党の悲鳴がみるみる遠ざかっていく。
「さて、私も行きましょうか」
カーディスもプリンの入った箱を抱えて駆けだした。
こうしてディアボロとのプリン争奪戦が始まった。
●リの章
カーディスの手によってプリンが持ち出されることに、ディアボロは素早く感付いた。潮達が遮るよりも早く、ディアボロは跳躍すると、カーディスの前に降り立つ。
「!?」
不意に目の前に現れたディアボロにたたらを踏むカーディス。ディアボロがツメをカーディスの右腕めがけて振り下ろした。だが、カーディスは身を捻り、ギリギリでそれを避ける。着ぐるみの如く、猫のような身のこなしだ。
「これ以上やらせないよ! 行って、アディ!」
アッシュの命に従い、アディと名付けられた召喚獣・馬竜スレイプニルが駆ける。アディは全身でディアボロにぶつかり、怯ませることに成功した。
その隙にカーディスがディアボロの脇をすり抜けて逃げ出した。ついでに銃弾をばら撒いて牽制するのも忘れない。
「このぉ!」
雛菊が大剣を振りかぶり、ディアボロに追いすがる。雛菊は大剣を勢いよく振り下ろしたが、それはディアボロに横っ跳びでかわされた。
「はあっ」
今度は穂鳥が戦斧を横薙ぎに振るう。黒い刃に電光を纏わせて放った一撃は、ディアボロに高く跳躍され、これもかわされる。
「何が何でもその足止めて見せますわ……!」
ディアボロが着地した地点を狙って、エーツィルが念じる。ディアボロの足元から次々と生えてきた腕がディアボロを捉えた……かに見えた。
ディアボロは両腕を勢いよく振り回すと、腕による束縛を断ち切ったのだ。
その隙に黎はアサルトライフルを連射するが、ディアボロは両腕を盾にしてそれさえも防ぎきる。両腕に弾かれたいくつもの弾丸がディアボロの足下に落ち、乾いた音をたてた。
撃退士達の攻撃を凌ぎきったディアボロは、カーディスへと走りだそうとする。
「行かせないと言ったはずです」
その前方に潮が回りこみ、道を塞ぐ。ディアボロは両腕を前方に突き出した。シールドを構える潮。しかし、ディアボロの狙いは潮では無かった。
ディアボロのツメが山なりに射出され、潮の頭上を飛び越えカーディスに襲いかかる。
「うわっ!」
不意を突かれたカーディスの足に鋭いツメが突き刺さった。その衝撃で転倒するカーディス。自分の体をクッションにすることで、何とかプリンは守る。
射出されたツメは、神経に似た細い繊維に巻き取られるようにしてディアボロの指へと戻っていった。
「はいはい、こっちですよー!」
アッシュがライフルの弾をばら撒いてディアボロを牽制する。スレイプニルも回りこませて、ディアボロの進行方向を遮るように動いている。
「大丈夫ですか、カーディスさん!」
ディアボロがアッシュに気を取られているうちに、穂鳥がカーディスに駆け寄った。カーディスの着ぐるみから覗く傷口を見る。
「このケガでは走れません。あとは私が引き受けます」
そう言って、カーディスからプリンの箱を受け取った。
「すみません。せめて、ディアボロはここから通しませんよ」
カーディスは座り込んだまま銃を撃ち続ける。この場で砲台となる覚悟のようだ。
カーディスの気迫に押されたのか、ディアボロが後退するように銃弾を避けたその時だった。
「今だ、琥珀さん!」
黎の鋭い指示が飛んだかと思うと、ディアボロの背中が爆発した。
何が起きたのかと、ディアボロが左手の瞳を背後へと向ける。そこには、霊符を構えた琥珀が翼を広げたまま浮遊していた。
「琥珀さん、タイミングよすぎだよ!」
雛菊がすかさず追撃しながらも、琥珀にVサインを送る。
「ふふ。まず、あの雨党殿は安全な場所に移してきたぞ」
琥珀が自慢げに尻尾を揺らしながら言う。
「タイミングについては、黎殿の協力があってこそじゃがのう」
どういうこと? と言いたげに雛菊は黎を見る。黎は肩をすくめるだけで、何も答えなかった。
「黎殿がマーキングと索敵で敵の位置を把握しておいてくれたからの。私の意思疎通の能力で情報を共有し続ければ、奇襲のタイミングなぞ自由自在じゃ」
琥珀の説明を聞いて、雛菊が「なるほどー」と感心したように呟いた。
「そんなわけで、今が好機じゃ!」
琥珀の一声の下、撃退士達の攻撃が再開される。
「この薄汚えプリン様ストーカー野郎がッ!」
温厚な仮面を脱ぎ棄てたエーツィルが、再びディアボロの足下に無数の腕を呼び出す。奇襲の衝撃から立ち直れていないディアボロは、あっさりと地面から伸びる腕に束縛された。
その場に固定され、動けなくなったディアボロは、それでも両腕を前方へ向ける。次の狙いはプリンを受け取った穂鳥!
「行ったよ、穂鳥ちゃん!」
それにいち早く気付いた黎が警告を発する。ディアボロがツメを放った。
素早く振り返った穂鳥は半透明のシールドを展開し、ツメを受け止める。ほとんどのツメは、障壁によって逸らされたものの、何発かが穂鳥の体をかすめ、そのうちの1発がプリンの入った白い箱を傷つけた!
「!?」
撃退士達が戦慄する。
白い箱の裂けた部分から緩衝材がボロボロとこぼれ落ちた。
「だ、大丈夫みたいです」
それ以外に箱から中身がこぼれたりはしなかった。安堵しながら、穂鳥が全員に報告する。
「よくもやってくれたね」
吐き捨てながら、黎がディアボロめがけて弾丸を放った。足を封じられて動けないディアボロは、先程と同じ様に右腕で弾丸を受け止める。
そして、ディアボロの右腕に異変が起きた。弾丸を受け止めたはずの、屈強な右腕がボロボロと溶けて、崩れ出したのだ。
「私にも多少なりと面子って奴があってね」
剣呑な含み笑いを浮かべながら、黎が言った。
黎の放った弾はアシッドショット。特殊なアウルの力でディアボロの装甲を溶かす弾だ。右腕を侵していく腐敗は、胴体にまで浸食しようとしていた。
「今です!」
潮が鋼線を振るい、ディアボロの右腕を断ち切った。
グアアアアアッ
左手に浮かんだディアボロの口から悲鳴が発せられた。
「今のうちです、穂鳥さん!」
潮が叫び、穂鳥はプリンを抱えて駆けだした。彼女を援護するように、カーディスも弾幕を張り続ける。
それに対し、地面に落ちたディアボロの右腕が動きだした。手のひらを開き、そこに浮かんだ単眼が穂鳥の背を凝視する。胴体が彼女を追おうとして動きだした。
「これ以上はやらせませんよ!」
が、正面にシールドを構えた潮がいることに気付き、回りこもうとする。
「こっちは通行禁止でーす♪ 」
今度は、左右にアッシュと彼女のスレイプニルがいることに気付く。そして振り向いた背後には……
「残念じゃのう、私ぢゃ」
琥珀がふわふわと嘲笑うように浮かんでいた。
ディアボロはいつの間にか撃退士達に包囲されていたのだ。
「観念してください。もう逃げ場はありませんよ」
潮がそう宣言する。
ディアボロは破れかぶれに、目の前にいる潮めがけてツメを振り下ろした。今までのプリン相手に手加減していたものとは違う、このディアボロ本来の一撃であり、渾身の一撃だった。
それは構えていたカイトシールドを易々と弾き飛ばし、潮の体に突き刺さった。
「ぐっ!」
喉元から溢れだす血をぐっとこらえ、潮は地面に踏ん張った。その衝撃でアスファルトの地面が砕けたが、潮は吹き飛びもしなければ、倒れもしなかった。
攻撃の反動でよろめくディアボロの頭部にアッシュがライフルをに突き付ける。
「それじゃさようなら、だね……良い夢を」
キメ台詞と共に、ライフルから銃弾が吐き出され、ディアボロの頭部を木端微塵に破壊した。頭を失ったディアボロがゆっくりと仰向けに倒れていく。
「これで終わり――」
「だね」とアッシュが言いかけたところで、彼女は硬直する。ディアボロが飛び跳ねるようにして起きあがったのだ。
「まだ生きてるの!?」
驚きの声をあげるアッシュに、ディアボロのツメが迫る。
「プリン様の代わりにこれでも食らいやがれ、ですわ!」
そのツメがアッシュに届く寸前、エーツィルの放った無数の氷柱が、次々と左腕の口内に飛び込んでいった。左腕はみるみるうちに膨張し、爆発、凍りついた。
再び倒れていくディアボロ。
「念のためだ。完全に潰しておこう」
そう言いながら黎はハンドガンで、落ちていた右腕の眼球を破壊する。
雛菊もそれに倣い、胴体の心臓部分を大剣で貫いた。
ディアボロは一瞬痙攣し、それ以上動くことは、もう二度となかった。
●ンの章
「ありがとうございます、助かりました」
プリンを返してもらった雨党は深々と頭を下げた。
「お、お礼はいいから、プリンをじっくり見せてくれないかな」
そう言う雛菊の声は上ずっていた。人一倍プリンの事が気になっていながら、ディアボロの足どめに専念していたため実物を見ていないのだ。
「そうですね。では……」
そう言って雨党が箱を開ける。宝石と見紛う輝きを放つプリンが現れた。角が少し崩れてしまってはいるものの、無事と呼べる範疇だろう。
「うわぁ……」
雛菊から思わず感嘆の声が漏れた。
前もってプリンを見ていたエーツィルやカーディスも、その輝きの前に気押されていた。
そんな3人の物欲しそうな目に気付いてだろう。雨党が懐からマイスプーンを取り出し、プリンの崩れた部分をすくいとった。
「あとで報酬はお支払い致しますが……今回のお礼に一口だけいかがですか?」
「い、いいのでござりまするかっ!?」
エーツィルが目を見開きながら言った。驚きのあまり、いつもの上品な口調もどこかおかしくなっている。
「ええ。スイーツ好きは皆、仲間ですから」
雨党はそういって笑った。おいしいお菓子は分け合うのが一番おいしい食べ方なのだと。
「是非とも頂きたい……のですが」
言いながらカーディスは今日、共に戦った仲間達を見渡した。所詮はスプーン1杯のプリン。8人で分けあうのは少なすぎる。かと言って、これ以上要求できるほど安い品でもない。
「あ、私はパスでいいですよ。和菓子派なもので」
潮が穏やかに微笑みながら言った。
「私もそこまで興味は無いな」
黎も続く。
「興味はありますけど、今は普通のプリンをたくさん食べたいです」
「いい考えじゃのう。なら、私達で食べに行かんか」
穂鳥と狐珀も辞退した。
「賛成〜。あ、カーディスさん達もプリン食べたら来てね〜」
アッシュも穂鳥達に同意し、彼女達は近場のカフェへと去っていった。
「それでは頂きます」
待ちきれないと言った様子で、着ぐるみの頭部を外したカーディスが言った。
スプーンの上のプリンをさらに3つに分け、カーディス、エーツィル、雛菊はプリンを口にした。
その瞬間、3人の舌を柔らかい感触が取り込み、全身がとろけるほどの未知なる味わいを体験したという。