ぴん ぽん ぱん ぽーん
校舎に軽い音が響き渡り、ひんやりと引き締まった朝の空気を少しだけ弛緩させる。
『健康診断を予定していた、学園のニワトリが脱走しました。
特殊な診断中のため、許可のない生徒および教師は触れないようにしてください。
授業中は扉と窓を閉めてニワトリが入らないよう、また、ニワトリを発見した方はすみやかに場所の連絡を……』
藍那湊(
jc0170)の校内放送で今日という長い朝は始まった。
●
「無傷での捕獲とは難しい注文ですね……」
周囲を見渡して廊下を歩きながら、雫(
ja1894)はポツリと呟いた。
「……狩っちゃ駄目ですよね?」
誰となく問いかけると、傍を飛んでいたヒリュウが「キィ?」と、彼女の真似をして首を傾げた。
冗談(であってほしい)はさておき、雫はヒリュウに校舎外の警戒にあたるよう命じる。
ヒリュウは任せてと言わんばかりに「キィ!」と鳴くと、窓から外へ、パタパタと飛び出していった。
(かわいい……)
自分の召喚獣に和みながら、雫は再び廊下を歩き出す。ほどなくして、廊下をコケコケと歩く、1羽のニワトリを発見した。
「……」
雫は自らの気配を断ち、その姿をも消すと、ニワトリ1羽に大仰とも言える隠密手段で、ニワトリの背後に接近する。
コケーッ!?
動物特有の優れた勘で雫の接近に気付いたニワトリだったが、時はすでに遅し。それが何かするよりも早く、雫の小さな両手のひらが、ニワトリを後ろから抱え込んでいた。
コケーッ! コケーッ!
大騒ぎするニワトリを、雫は手早く持ち運び用の檻に入れた。
「ふう、まずは1羽……」
雫が額の汗をぬぐっていると、騒ぎに誘われたのか、別のニワトリが廊下の曲がり角から現れた。それは雫と目が合うと、そのまま硬直してしまう。
(先に気付かれた状態では、姿を隠しても効果は期待できませんね。無理に捕まえようとすると、ニワトリを傷つけてしまう可能性も……)
下手に動けないのは雫も同じで、しばしニワトリとの睨み合いが続く。
(……このままでは埒が開きませんね)
先に動いたのは雫。その口から穏やかなメロディが流れ出す。
「〜〜♪」
ヒプノララバイ。催眠効果のある子守歌だ。
コケーッ! コケーッ!
だが、ニワトリは一向に眠らず、むしろ盛大に鳴きはじめた。
コケーッ! コケーッ!
それに呼応するようにして、捕まえたニワトリも騒ぎ出す。
コケーッ! コケーッ!
コケーッ! コケーッ!
静寂だった廊下は一転、興奮のるつぼと化してしまった。
「お コケーッ いですね。 コケーッ 動物が コケーッ 能力に耐え コケーッ るはずが……!?」
独りごちてみて気付いた。ニワトリが騒がしすぎて、自分の声すらろくに聞こえないのだ。
スキルとは言え、それが声を介している以上、音が届かなければ効果も届かない。
「〜〜!!」
コケェーッ! コケェーッ!
コケェーッ! コケェーッ!
声量を大きくしてみるが、ニワトリはそれに対抗するかのように、さらに激しく鳴き出した。
「〜〜……フライドチキン♪」
突如、ララバイに不純物が混ざった。
コケッ!?
コケッ!?
「焼き鳥♪ ローストチキン♪ 鶏の水炊き♪」
綿々と連ねられていく鶏料理に、不穏な空気を感じたニワトリ達は顔を見合わせると、ピタリと鳴き止んだ。
「〜〜♪」
その隙に、雫はララバイを歌いあげると、睡眠状態に陥ったニワトリがコロリと転がる。
「御清聴ありがとうございました」
まるで「ごちそうさま」するみたいに合掌すると、雫は眠りこけたニワトリを檻へ閉じ込めた。
●
「ええと、ニワトリさんはいらっしゃいますかぁ?」
校舎の屋上に気の抜けた調子で現れたのは、月乃宮 恋音(
jb1221)である。
広い屋上をきょろきょろと見渡すと、遠くにニワトリがいるのが見えた。
「怖くないですよぉ……」
入ってきた扉を後ろ手で閉じると、恋音はゆっくりとニワトリに歩み寄る。
それに気づいたニワトリは、首をピンと立てた警戒モードで彼女を見据えた。
「ほぉら、おいしいですよぉ、召し上がれ」
あらかじめ用意していた青菜をばら撒いてニワトリを誘う。しかしニワトリはプイッと顔を背けると、我関せずと言った様子で屋上を歩き回る。
「ううん。仕方ありませんねぇ。実力行使に移らせて頂きますぅ……」
恋音がゆらりと構えると同時に、ニワトリの瞳も鋭く光った(気がした)。
「ええい」
睡眠効果の霧を恋音がまき散らすと同時、ニワトリは翼を広げて効果範囲から脱する。
「かわされましたぁ?」
驚愕しながらも、間断無く第二波の準備を行う恋音。だが……
「きゃあああっ」
回避した勢いでダイブしてきたニワトリを避けた拍子に、2発目のスリープミストはあらぬ方向へ暴発した。
「うう……」
恨めし気にニワトリを見ると、それはまるで挑発するかのように尻を振って恋音から離れていくところだった。
「むぅ……待ちなさぁい……」
さすがに頭にきたのかきつい口調で、されど覇気は無く、ニワトリを追う。
1匹のニワトリ相手に3度目のスリープミストを使うわけにはいかず、恋音は素手での捕獲を試みた。
腰をかがめてニワトリを追う恋音。この体勢だと、彼女の豊満なバストがとんでもないことになるのだが、それは別の話。人気の無い屋上であるのが幸いであり、残念でもある。
ニワトリに追いついたところで両手を伸ばすが、ニワトリは大ジャンプして恋音を飛び越えてしまう。
「私って……ニワトリにも負けるダメな子だったのでしょうかぁ……」
そんなやり取りを3回ほど繰り返すと、弱気が鎌首をもたげてきて、彼女の心をつつく。
彼女の名誉のために補足しておくと、優れた能力を持つ撃退士も、全力でニワトリを追いかけるわけにはいかない。超高速でニワトリに追いついても、そのままの勢いで捕獲しては傷つけてしまうからだ。
加えて、恋音の内気な性格が必要以上の手心となってしまい、撃退士とニワトリのデッドヒートというコッケーなもとい滑稽な場面を演出してしまっているのだ。
「待って……くださぁい……」
そんな自分の優しさに気づかない恋音は、ヘトヘトになるまでニワトリを追い続けた。
「きゃっ」
やがて、はがれた石畳に足を取られて恋音は転倒する。その拍子に、袋に入れていた青菜が地面にばら撒かれてしまった。
すると、今まで青菜に見向きもしなかったニワトリが寄ってきて、青菜をついばみはじめた。点々と散らばる青菜を辿り、やがて両膝をついた恋音に到達すると、彼女の膝の上にピョンと飛び乗った。
「!?」
状況が理解できず、目を白黒させる恋音を後目に、ニワトリはスリープミストが実は効いていたのか、単に疲れただけか、眠り始めた。
恋音はおそるおそる手を伸ばし、ニワトリを撫でる。手のひらを通して、温もりと「コケー コケー」という穏やかな寝息が伝わってきた。
「……遊んで欲しかったのでしょうかぁ」
立ちあがったらニワトリを起こしてしまいそうで、恋音は動けなくなった。申しわけないが、後は仲間に任せよう。
「……もう少しこのままで」
穏やかな朝の日差しが、1人と1羽の奇縁を祝福するように照らしていた。
●
「おおー、やってるやってる」
外からでも分かるほど、家庭科室は大参事になっていた。皿や金物をひっくり返す音、生徒達の悲鳴、コケコッコーという元気な鳴き声。
山里赤薔薇(
jb4090)は扉を勢いよく開いて、その渦中へと乗り込んだ。
「失礼しまーす!」
「あんたが健康診断とやらの担当者か!」
いきなり教師に怒鳴られた。
「手出しもできんし、逃がしもできんし、授業がメチャクチャだ! 早く連れ出しなさい!」
「ご、ごめんなさい」
謝罪しながら、赤薔薇は藍那湊の放送を思い返していた。
『生徒および教師は触れないように』
『授業中は扉と窓を閉めて』
この2つを正直に実行してしまったので、すでに入り込んでいたニワトリに、家庭科室は蹂躙されるがままになっていたのだった。
(それはそうなるよね……)
この件は湊に言いつけるべきか、黙っておいてあげるべきかは後で考えるとして、赤薔薇は周囲を見渡した。
クッキーをついばむニワトリが2羽。小麦粉で遊ぶニワトリが1羽。合計3羽のニワトリが、この家庭科室に集っていた。
「そもそも診断中の動物を逃がすとは何事だ! これが危険な生物だったらこんな騒ぎじゃすまなかったぞ」
さらにでっちあげの件で叱られた。
「うう……」
とんだ貧乏クジを引いたと思いつつ、赤薔薇は杖を振り上げた。
「えい」
そこから放たれた睡眠の霧が、クッキーをついばんでいた2匹のニワトリを包み込む。おやつに夢中になっていたニワトリは、恋音の時とは裏腹に、すぐ眠りこけた。
「ちょっとだけ、眠っててください。ごめんね」
霧の範囲にいた一部の生徒、加えて口うるさかった教師も眠ってしまったのはわざとではない。わざとじゃないってば。
(けど、先生の割に特殊抵抗低かったですよね!)
心の中で意趣返ししつつ、残るニワトリに目を向ける。
仲間が倒れた事に気付いたニワトリも、丸い瞳で赤薔薇を凝視している。
「動かないでね……そのまま、そのまま」
赤薔薇は忍び足でニワトリに近づいていくが、そんな願いが届くはずもない。
コケーッ!
鋭く鳴いて、鱗粉のように小麦粉をまき散らしながらニワトリが駆け出した。
「あっ、待ちなさい」
赤薔薇がそれを追いかける。しかし、突然の事態に棒立ちになっている生徒達をかき分ける必要のある赤薔薇と、その足元をすり抜けられるニワトリとでは、圧倒的にニワトリが有利だった。
「あんまり手こずらせるとフライドチキンにしちゃうからね!」
雫の際には成功した脅迫も効果は無かった。小麦粉まみれになっている点と言い、実はフライド志望なのかも知れないが。夢はジューシー、皮パリパリ。
「赤薔薇ちゃん、助けにきたよ!」
赤薔薇が苦戦する中、扉を開けて湊が現れた。
「あっ、藍那さん! ひどい!」
「ええー!?」
いきなり罵られ、湊は思わず固まった。貧乏クジは連鎖する。
「説明は後でします。挟み撃ちにしましょう」
「う、うん」
赤薔薇は前から、湊が後ろから、ニワトリを挟み込むように移動する。
「今ですっ」
「やー」
呼吸はピッタリだったが、ニワトリも同時に跳躍した。ニワトリの跳躍力は凄まじい。屈んでいる人間など易々と跳び超える。飛べはしないが、その翼は飾りではないのだ。
そして、目標を見失った2人は頭からぶつかった。
「う……」
小さな悲鳴を残し、赤薔薇が突っ伏して倒れた。
「ご、ごめん! って、うわー」
屈んだままの湊に、ニワトリが追撃する。彼のアホ毛を執拗についばみはじめたのだ。
「そこはエサじゃないよー」
ピコピコと逃げるアホ毛。それをさらに興味深々になって追うニワトリ。そんな負のスパイラル。
「捕まえました」
アホ毛に夢中になっていたニワトリを、蘇った赤薔薇がガッシリと捕まえた。
「ナイス囮です、藍那さん」
「お役に立てたのなら何よりだよ……」
そう言って、湊は力無く笑った。
「そんな事が……ごめんね、赤薔薇ちゃん」
「いいんです。それより助けに来てくれてありがとうございます」
家庭科室での出来事を報告しながら、赤薔薇は湊と共にその場を後にした。
「僕もね。保健室で1羽捕まえたんだ」
家庭科室の入り口脇に置かれている段ボールを指して、湊が言った。
「あと、雫さんから2羽、恋音さんから1羽捕まえたって報告もあったよ」
「家庭科室に3羽で、合計7羽。残るは1羽……アルビオンのみですか」
「……としお先輩、大丈夫かな」
湊は天井を仰ぎながら、アルビオン担当を申し出た先輩の姿を思い浮かべた。
●
「おっ、あそこに見えるは……」
校内を巡回していた佐藤 としお(
ja2489)は、ヒリュウの接近に気付き、足を止めた。
雫の放ったヒリュウは「キィキィ」と鳴きながらとしおの袖を引っ張る。
「アルビオンを見つけてくれたか。えらいぞ」
ヒリュウの案内に従い、としおは校内を進む。その先にアルビオンがいた。いや、待ち受けていたと言った方が正しい。階段の踊り場で胸を張り、威風堂々として。
「ありがとう。雫さんのところに戻っ……」
としおが言い終わるより早く、ヒリュウは仕事を終えたとばかりに、飛んで行ってしまった。
「……まあいいや!」
気を取り直して、アルビオンと向かい合う。他のニワトリよりも一回り大きな体躯に、目の覚めるような純白の羽毛。頭に頂くは真紅の冠。
他とは一線を画するニワトリ界の麒麟児が、そこにはいた。
「勝負だ、アルビオン」
宣言しつつ、としおは手にしていた水爆弾を投擲した。それは正確な軌道を描いて、アルビオンの足元で破裂する……はずだった。
だが、アルビオンは素早く跳躍し、としおへと飛びかかってきた。
「うわー!?」
まさか攻撃されるとは思っていなかったとしおは、蹴爪の一撃をくらってしまう。
「くっ、このっ」
接近してきたことを幸いに捕まえようと手を伸ばすが、アルビオンは激しく羽ばたくと、抜け出た羽毛でとしおの視界を覆う。
「だあーっ!!」
視界を奪われたとしおは、階段から足を踏み外し、転落してしまった。
コケーッ!
としおをからかうように嘶きながら、アルビオンが廊下を逃げて行く。
「うう、もう容赦しないよ……待てーっ!」
ヨロヨロと立ち上がり、脚部のアウルを全開にして猛ダッシュ。一瞬でアルビオンに追いつく。
……と思ったところで、アルビオンが方向転換して、とある部屋に入っていく。としおの目前には壁。
「甘いっ!」
廊下を蹴って急ブレーキ。アルビオンが入っていった部屋に殴りこもうとするが、そこにかかった表札を見て愕然とする。
女子トイレだった。
「そんなのありかああっ!!」
としおの叫びが校内に響き渡った。
●
それからも、としおをおちょくるだけおちょくって逃げおおせたアルビオンは、そろそろ自分の汚れが気になってきた。
鶏舎に戻ってみると、7羽の仲間は全て帰ってきており、その奥にはいい感じの水浴び場が設置されていたので、彼はさっそく行水を始めた。
ガァン!
そこに何処からともなく弾丸が飛来して、鶏舎の扉を閉じてしまう。続く第二射が錠前を狙撃し、一瞬で彼らを閉じ込めてしまった。
だが、アルビオンに動揺は無い。彼の心はもう満たされていたのだから。
「お前達は自由に走り回ってみたかっただけなんだよなぁ」
ライフルを構えたとしおが、隠密状態を解除して姿を現す。これまでに何があったのか、特徴的なソフトモヒカンは乱れに乱れ、全身は埃と羽毛だらけ。メガネにはヒビまで入っている。
にも関わらず、彼は全てを水に流す笑顔で、こう言い切った。
「僕でよければ付き合うよ。また遊ぼうぜ!」
コケコッコー!!
アルビオン達が嬉しそうに声を揃えて嘶いた。