限りなく漆黒に近い蒼の中を、潜水艦が進む。
目標のディアボロはすぐに見つかった。海底の奥でとぐろを巻いている。サーチライトに照らされると、かま首をもたげて、威嚇するように牙を剥いた。
潜水艦は、船体の底に取りつけてあるアンカーをディアボロに向けた。危機を察知したディアボロがすぐに身を翻そうとするが、間に合わない。
潜水艦からアンカーが発射される。それはディアボロの胴体に突き刺さると、逆鉤を飛び出させて、ディアボロに食い込んだ。
「よーし、決まった! そのまま浮上するんだ!!」
艦長席に座った眼帯の男が叫んだ。
「もうすぐ出番だ。お前達も準備しておいてくれ」
男は背後に居並ぶ撃退士達にも声をかけた。
「まかせとけよ、おっちゃん」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が軽い調子で請け負った。
「潜水艦、浮上します!」
「よし。学生諸君、出撃だ!!」
男の号令の下、学園の撃退士達は甲板へと上がっていく。
●
「予想以上に大きいね、これは」
龍崎海(
ja0565)が首をほぼ直角に上げながら言った。
海蛇のディアボロは、海面から上半身だけを覗かせ、浮上した潜水艦に立つ撃退士達を見下ろしている。下半身にはアンカーが突き刺さっているらしく、今も海水にどす黒い血を滲ませ続けている。
5年の歳月がそうさせたのか、海蛇の体にはフジツボが鎧のようにビッシリ棲みついており、またその背には水草がたてがみのように生えていた。
「これは、大蛇と言うよりも龍と呼ぶのが正しそうですね」
雫(
ja1894)がポツリと言葉をこぼす。
「久々の大物退治ね! 腕がなるわ!」
ディアボロの威風も意に介さず、雪室 チルル(
ja0220)は大剣を構える。いち早く戦闘態勢を取った彼女に触発されたのか、ディアボロはいきなりエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)に喰らいついた。
「おっと、あぶないですね」
エイルズレトラはバック宙でそれを避けた。彼の手を離れたトランプの束が四方八方に散らばっていくが、それらは魔法みたいに彼の手の中へと再び収まっていく。
「戦闘開始してくださいー。頭脳戦はこの凡人が引き受けます」
間下 慈(
jb2391)が寝癖の多い髪をかきながら言った。
「期待してるで? 『凡人の非凡な采配』ってやつにな」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が、そんな彼の肩を叩くと、6枚の翼を広げて甲板上から飛び立った。
続けて、海とエイルズレトラも翼を生やすと、ディアボロと艦の間に浮遊した。
ラファルは水圧に強いずんぐりむっくりな水陸両用モードに変形して、水上戦に備える。
「引き寄せてください!」
今回は指揮に徹するつもりなのだろう。片手に拳銃、もう片方の手で柵を掴みながら膝立ちになった慈が、潜水艦に指示をとばした。
慈の声は潜水艦に備え付けられた集音マイクで拾われ、潜水艦の船長にまで届く仕組みになっている。
ギリギリと、すぐさまアンカーが巻き取られていき、潜水艦とディアボロの距離が縮まっていく。
「衝撃に備えて!」
潜水艦とディアボロが隣接し、軽く衝突しただけにも関わらず、ディアボロの質量を受けた潜水艦が派手に揺れた。
「これなら剣が届くわね!」
待ってましたとばかりに、チルルが飛び出す。水飛沫を浴びて七色に煌めく氷剣を、一息にディアボロの腹へと突き立てる。
彼女らしい、出し惜しみの無い渾身の一撃がディアボロを貫き、ディアボロは悲鳴のような雄叫びをあげた。
「ふっ、その図体は見かけ倒しですか?」
エイルズレトラが気障に笑いながら、無数のトランプをディアボロに投げつける。ばら撒かれたカード達は、まるで意思あるかのようにディアボロにまとわりつき、ディアボロもそれらを鬱陶しそうに身をくねらせて払いのける。
巨大な怪物の身じろぎに、海面に波が立ち始めた。
「あっ!?」
気を高めていた雫が、波に足を取られて小さく悲鳴をあげた。咄嗟に柵を掴むことで転倒は免れたが。
「なるほど、これは戦いにくいです」
と、額についた潮水をぬぐった。
全てのカードを払い落したディアボロは、海面からひれのついた尾を出現させて、チルルを薙ぎ払う。
全身を持っていかれそうな衝撃に、チルルは足下にアウルを集中させて対抗した。凍気が足下を凍てつかせ、自身と甲板を繋ぎとめる。
「てやー!」
強烈な一撃を耐え抜いたチルルが、剣をフルスイングして尾を弾き返す。水面に落ちた尾が、隠れるように水中へと沈んだ。
先程からいいようにやられている事を忌々しく思っているのか、ディアボロはチルルを睨んでいる。
「そら、余所見してる暇は無いぜ」
人知れず命を刈る死神の如く、ディアボロの死角へと潜り込んだゼロが大鎌を振るう。電撃を纏った漆黒の鎌刃がディアボロの首元を打った。電光が菊模様に狂い咲く。
「あなたの相手は彼女だけではありません、私達です」
雫が毒を纏った右手を、ディアボロの腹にできた傷口へと突き入れる。
「そういうことだ!」
続けて海も自身の周囲から聖銀色に輝く鎖を発生させ、ディアボロの巨体を絡め取る。
「へっ、楽勝じゃねえか」
ラファルも軽口を叩きながら、手にした刀で斬りつけた。
「油断は禁物ですよー。そろそろアンカーが限界です。いったん、鎖を元に戻しますねー」
慈が潜水艦に合図を送りつつ、抜け目なくマーキング弾をディアボロの頭部に撃ち込む。
ほどなくして潜水艦とアンカーを繋いでいた鎖が緩められ、ディアボロと撃退士達の距離が離れていく。
本領発揮とばかりに、ディアボロが吠えた。
「離れてても攻撃できるんだから!」
チルルが剣先から衝撃波を放つが、一瞬早く、ディアボロは水中に潜って攻撃をかわした。チルルの一撃が海面を叩き、派手に水柱が立つ。
「あーっ、逃がしたーっ」
チルルが悔しそうに地団太を踏む。
「まぁまぁ。今のうちに治療しておきますよ」
エイルズレトラが子供をあやすようにチルルの頭を叩きながら、尾撃を受けた時にできたらしいコブに、トランプを絆創膏みたいに貼りつけた。
「まっさん! 敵さんはどこに隠れおった?」
ディアボロの消えた水面を睨みつけ、大鴉を模した銃を腕に取り付けながら、ゼロは信頼する友人に尋ねた。
「龍崎さんの鎖が効いているようで、大きな動きは見られませんねー。ああ、そろそろ浮上してくるようです。皆さん、3時方向に迎え討つ準備を!」
慈の指示は的確ではあったが、敵の規模が規格外すぎた。海中に沈み、浮上する。たったそれだけのことでも、高層ビルに匹敵する巨体が行うと、自然災害ではありえないウォーターハザードが発生する。
ディアボロの浮上と共に発生した大津波が、海面に浮かぶ潜水艦はおろか、飛行していた撃退士までも、まとめて呑み込んだのだ。
巻き込まれなかったのは、慈の合図に合わせて高度限界ギリギリまで飛行したゼロのみである、
「くそっ、まっさん! 皆、無事か!?」
ディアボロを牽制しながら、ゼロが潜水艦の消えた波間に呼びかけた。
潮が引き、潜水艦が姿を現す。
「な、なんとか……」
仰向けに倒れたまま、血の気の引いた左手で柵を握りしめた慈が応答した。他の潜水艦上で戦っていた面々も似たようなもので、必死に甲板や柵にしがみついて、全員どうにか波にさらわれることだけは避けたようである。
空中で戦っていた撃退士達も、頭から高波を受けて前後不覚に陥っているようだった。
そのような状態でディアボロへの攻撃が続行できるわけもなく、再び、ディアボロを海中へと逃がしてしまう。
海中へと潜ったディアボロの動きは先程とは違う。潜水艦を中心に円運動を行い、そうして発生した大渦で潜水艦を呑み込もうとしているのだ。
「おいおい、何だかヤバくねーか」
マーキングした慈でなくとも、その動きの不穏さは伝わったらしい。ラファルが渦を成す海面を覗きこみながら呟いた。
「ちっ、止めてこい、ダイヤ!」
エイルズレトラが一族に伝わる小柄なストレイシオンを召喚し、水中に飛び込ませる。水中を自在に動けるストレイシオンは、海中のディアボロに攻撃できる唯一の手段と言えた。だが、ディアボロの巻き起こす大渦の勢いは、パワーがあるわけではないストレイシオンでは、すでに止められるものではなくなっていた。何度かディアボロに体当たりを試みるも、弾き返されてしまう。
「!?」
突如としてディアボロの動きが変わったことに、マーキングをしていた慈が気付いた。これまでとは比べ物にならないスピードで、ディアボロが急浮上を開始したのだ。
「皆、危ないっ!」
間に合わないという確信がありつつも、慈は叫ばずにはいられなかった。
ディアボロが竜巻を纏いながら、潜水艦を突きあげるようにして浮上した。
●
大渦が高波となって、海上にいる全てに襲いかかった。回転運動によって極限まで研ぎ澄まされた水圧は、螺旋の刃となって、撃退士達の全身を斬り刻んだ。
今回ばかりは、最も高いところを飛行していたゼロですら例外ではない。何せ、トン単位の重量を誇る潜水艦ですら巻き上げられて、宙を浮いているのだから。
まずは潜水艦が勢いよく着水した。
続いて、潜水艦上で戦っていた者達が、次々と落下して甲板に叩きつけられていく。例外はラファルで、彼女のみディアボロの大技を察知し、あえて海に飛び込むことで竜巻の範囲から逃れていた。水陸両用形態に変形していなければ即死だった。
最後に、空中で戦っていた者達が、水面に叩きつけられる。ここにも例外がいて、エイルズレトラのみ竜巻の範囲外へと退避することに成功していた。
「とんでもない威力ですね、まったく」
エイルズレトラがトランプをばら撒いてディアボロを撹乱し、その間にラファルが潜水艦の側面を駆け登って甲板上へと戻る。
「おーい、生きてるかー!?」
ラファルが声を張り上げると、雫とチルルは武器を杖代わりに立ち上がった。
「どうにか、無事なようです……」
「うう、頭がグラグラするー」
だが、慈が倒れたまま動かない。
海とゼロも翼を大きく広げて海面から脱出するが、立ちあがらない慈を見て顔色を変えた。
「いけない! すぐに治療を」
海がすぐに慈のところへと飛ぶ。
「立てよ、まっさん!」
ゼロは叫んだ。
「お前がこんなところで終わるわけないやろ!」
その声に応えるかのように、慈の指が微かに動いた。
「僕はまだ戦える、僕はまだ戦える、僕はまだ戦える」
うわごとのようにそれだけを繰り返し、慈が上半身を起こした。
「自己暗示で致命傷すら誤魔化している……!?」
医学に精通している海が、驚きの声をあげた。
「僕はまだ皆を守れるんだ!」
慈が両足で完全に立ちあがる。
「ご心配おかけしましたー。けど、僕は大丈夫ですので」
「……次はドクターストップだからね」
海は苦笑いしつつ、慈に治療を施しはじめた。
全員が立ちあがったことに気付いたディアボロは、またもや海中へと姿を隠した。
「逃がすな!」
エイルズレトラが鋭く叫んだ。他の誰にでもない、自らの分身に向けて。
そう、海へと潜ったディアボロを、ストレイシオンが待ち受けていた。
「!?」
絶対安全なテリトリーに侵入を許した驚きで、ディアボロが一瞬硬直する。その隙に、ストレイシオンがディアボロの首筋に喰らいついた。
「!!」
だが、地力はディアボロが圧倒していた。ディアボロはすぐさまストレイシオンを振り払うと、回転運動を開始する。今度こそ完膚無きまでに――
「――完膚無きまでに僕達を仕留めるために、なーんて思ってるんでしょうねー」
甲板上で、慈は呟きながら潜水艦に合図を送った。
急ピッチでアンカーに繋がる鎖が巻き取られ、ディアボロの巨体が強制的に海上へと引き上げられる。
「2度も同じ手は通じませんよー。ま、一度『泳がせた』甲斐がありましたね」
「では、終わらせましょう」
ディアボロが浮上させられた際に発生した高波を剣で斬り裂いて、雫がディアボロめがけて突進した。我に帰ったディアボロが尾で彼女を払う。
それを剣で受け止めた雫だったが、衝撃は殺しきれずに弾き飛ばされてしまう。柵も突き破って、水中へと落下……する前に空中で一回転して体制を立て直し、水上歩行も発動して、水面に着地した。
僅かな飛沫を後に残して、雫が再び駆けだした。
ディアボロも再び尾を振るう。
「やらせるもんかあっ!!」
チルルが己のアウルを全開にして飛び出した。猛る荒波ですら凍てつかせるかのような白く輝く一閃が、ディアボロの尾を貫き、破壊する。
「ああぁぁっ!?」
ただ、勢い余って海上にある尾を攻撃してしまったため、そのまま海に落ちてしまったが。
「今ですっ!」
慈が声を張り上げる。
「怒りを、打ち込めっ!」
それは事前に打ち合わせていた合言葉だった。
「ふっ、こんな俺にも見せ場を与えてくれるのか」
潜水艦内では、艦長が笑みを浮かべていた。
「総員、衝撃に備えろ! これより本艦はディアボロに体当たりを敢行する!!」
これまで不動で撃退士の足場となってきた潜水艦が水上を往く。ただでさえ至近と言えた距離を限りなく零に。
ラファルがたまらず拳を振り上げる。
「おっちゃん、ぶちかませぇ!」
潜水艦がディアボロに突貫した。その衝撃でアンカーが食い込み、ディアボロの内蔵をえぐる。
「ふっ!」
続けざまに、鋭い息を吐く音と共に、雫の剣がディアボロの頭部を打ちすえた。
屹立していたディアボロの頭部が、ついにグラリと傾ぐ。
「さて、釣り上げた大物は、しっかり〆とかんとな」
6枚の翼を最大限に広げ、ディアボロの頭上を取ったゼロが大鴉の嘴をディアボロに向ける。
「これで終わりや!」
蒼い光がディアボロに降り注ぎ、その頭部を貫いた。ディアボロの瞳から生気が失われていく。だが、本能か、それ以上に原始的な脊椎反射か、ディアボロは口をカッと開くと、最期に血の混じった鉄砲水を吐き出した。
ゼロは避けなかった。そうするまでもなく、赤い水圧砲はゼロの隣を掠めて、あらぬ方向を薙いでいった。
力尽きたディアボロの巨体が揺らいだかと思うと、水面に横たわった。
その衝撃で、潜水艦とディアボロを繋いでいた鎖が千切れ、破片を煌めかせながら、アンカーがゆっくりとディアボロを海底へと引きずりこんでいく。
戦いは終わった。
アンカーに込められた怒りと怨念は、ディアボロを二度と暗い水底から解放することは無いだろう。
●
一方、海に落ちたチルルは、海とエイルズレトラに救出されていた。
「ふー、ありがとう。あっ、見て見て!」
二人に服を掴んで吊り下げられた状態で、チルルを上空を指さした。
「ああ、あの怪物も、最期に粋な土産を残していったね」
「あれだけ水遊びしてたんですから、そりゃできるでしょう」
彼女の指さす先には、雲一つ無い青空にくっきりと虹が浮かんでいた。