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それらの接近は一目で分かった。いや、一息と言うべきか。鼻をつく硫黄にも似た刺激臭が風に乗って流れてきたからだ。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、全部で9体……かな。あ、1体減った」
佐藤 としお(
ja2489)がライフルのスコープを覗き、倒すべき敵の姿を確認する。体からは細かい気泡を泡立たせ、泥でできた足をズルズルと引き摺り、8体の泥人形が迫ってきていた。
確認できた時は9体いたのだが、つい今しがた、錯乱したディアボロの1体が仲間を斧で真っ二つにしてしまった。
「やれやれ、同士討ちか。知能は高くないようだが……油断はすべきではないな」
同じくスコープを覗いていた翡翠 龍斗(
ja7594)が呆れながらも、気を引き締めるように銃を構えなおす。
「へっ。その程度の数なら、俺が一網打尽にしてやるぜ」
いつもにも増して重装備……どころか要塞のような姿をしたラファル A ユーティライネン(
jb4620)が言った。その全身に搭載された重火器が、彼女の意気は口だけのものではないと証明している。
「幻惑されている赤ディアボロは2体だね。みんな、接近される前に、準備を整えておこうよ」
藍那湊(
jc0170)の提案を受けて、雫(
ja1894)と、小宮 雅春(
jc2177)も彼を手伝う。
「これで、防げると良いのですか……少なくとも醜態を晒す事は避けないと」
雫は自身に、続いて藤沖拓美(
jc1431)に聖なる刻印を刻んでいく。
「俺はちょっとトリップできるならしてみたいけどな」
そう言って、拓美はヒヒヒと笑う。
一方、雅春は天王寺千里(
jc0392)に聖なる刻印を与えていたが、頭の中では全く別の事を考えていた。
(泥人形と殺し合い…? いいね、それ。本望だよ)
千里に「おい、どこ見てんだ」と声をかけられるも、雅春には届かなかった。が、しっかり刻印はかかっているあたり、ただものではない。
全員に刻印が与えられたところで、ディアボロが肉眼でも輪郭が分かるほどに近づいてきている。
「喧嘩上等! 街に行く前に肥溜めにぶち込んでやるぜ!」
刀を掲げ、千里が先陣を切った。
●
サイズに差があるためか、ディアボロの歩調は一定ではなくバラバラに迫ってくる。そのうち、先頭を進むディアボロの頭に、千里の振り下ろす刀が食い込んだ。泥人形のようなディアボロは柔らかそうだが粘性があり、一太刀では両断できない。
「オラァ!」
そればかりか刀を絡め取られそうになったが、ディアボロに蹴りを入れて引き抜くと同時に距離を取る。
だが、他のディアボロも千里という獲物を見つけ、ベチャベチャと耳障りな足音を鳴らしながら、彼女を取り囲んでいく。……ただ、幻惑状態にある2体だけは、互いに仲良く斧を叩きつけあっていたが。
「させません」
千里が取り囲まれる前に、雫が踊り出て別のディアボロに巨大な黒い十字架を叩きつけた。千里が頭から両断できなかった事を鑑みて、比較的細い部分、左腕の付け根を狙った一撃。
圧倒的な質量がディアボロの腕を引き千切り、黒十字が地面に突き立つ。
体の一部を失ったディアボロだったが、傷口からモコモコと新たな腕が盛り上がり、瞬く間に左腕を再生させてしまった。
「不死身ですか?」
戦慄する雫だったが、ディアボロも質量保存の法則からは逃れられなかったらしく、失った左腕分、心なしかサイズが小さくなっている。
「へえ、それならお人形サイズになるまで削り取ってやるよ!」
刀を振るって刃に付着した泥を落としながら、千里が吠える。
(人形サイズ……私のコレクションに加えてあげたい)
ディアボロ達の背後に回り込むように動いていた雅春がそれを聞き、涎を垂らさんばかりの恍惚とした表情を浮かべていた。
とは言え、彼も妄想に浸っているばかりではない。両手にはめた双子の腹話術人形から光弾を放ち、ディアボロの注意を引く。攻撃を受けたディアボロは、雅春に反撃するが
「はっ」
投げつけられた斧を、パペットが白羽取りで受け止めた。
「ありがとう」
雅春がパペットに礼を言う。もちろん、人形を操っているのは彼自身なのだが……。
一方、少し離れたところでも、射程の長い武器を持つ後衛メンバーが攻撃を開始していた。
「天魔、お前という悪夢を終わらせる」
龍斗はスナイパーライフルの有効射程ギリギリから、1体の赤ディアボロを狙撃した。泥の粘性を銃弾の貫通力が上回り、ディアボロの胸部に大穴が空く。泥がすぐに傷口を埋めてしまったものの、先程のように損傷分だけ小さくなっているように思えた。
「物理攻撃は十分に有効なようだな。さて……」
「1体、こっちに向かってくるよ!」
1体の黒ディアボロが迫ってきているのを確認し、湊が大声で警告を発した。魔法書で遠距離攻撃に徹していた彼は、スコープ越しに攻撃している他の仲間より周囲がよく見えていた。
「どうかお帰りください、御腐れ様……」
それに反応したとしおが、接近するディアボロに向けて引き金をひく。光を纏った銃弾が彗星のように空を奔りディアボロの頭部を吹き飛ばすが、それは頭を再生させながら、歩みも止めようとしない。
ヒュウンッ
が、風を斬る音と共に飛来した斧が、再生した直後の頭部を叩き潰してトドメを刺した。別の赤ディアボロが投げた手斧だった。
「え、えげつない……」
「うわぁ〜」
凄絶な同士討ちに、としおと湊が揃って汗を垂らす。
「あと7匹ぃ!!」
反面、俄然テンションをアゲたのは拓美だった。
「ヒャッハー! 面白ぇ! こうじゃなくっちゃなぁ」
さらに接近してくる別のディアボロを的確なヘッドショットで動きを制する。それはディアボロを近付けさせまいとしているようで。
そう、後衛メンバーは、前衛メンバーの援護の他に仕事があった。彼らよりもさらに後方に位置する人物、ラファルの防衛である。
彼女は全身の兵装からウォーウォー唸り声をあげながら、自らの身長よりも巨大な砲に全エネルギーを集中していた。その砲の名は反陽子相転移超重力砲「デイェス・イレ」
彼女のアウルと怒り(泥人形の小賢しさがお気に召さないらしい)を凝縮し放射する、禁断の戦略兵器である。
チャージには莫大な時間を要するが、仲間の援護により、それは成った。
「フライホイール始動、射線オールクリア、発射あぁぁ!!」
長大な砲身から、それよりもさらに太いエネルギーの奔流が放たれる。蒼色をした破壊光線はさながら大瀑布の如く射線上にいたディアボロ達を押し流し、消し飛ばし、蒸発させていく。
暴威が過ぎ去った後には、破壊の爪跡が一直線に残され、そこにいたはずのディアボロは跡形も無くなっていた。
「3体撃破っ……」
ラファルは赤熱した砲身を切り離し、全身から大きく息をつくように排熱を開始した。
「残りは4体、後は、任せたぜ……」
自身の発した蒸気に包まれながら、ラファルの動きが緩慢になっていく。「デイェス・イレ」の反動で、彼女はほんの数瞬だが機能を停止する。数瞬だが、戦場ではそれが命取りになる。
「任されたぜ!」
それに拓美が威勢よく怒号と銃声で応えた。
●
泥人形にどれほどの感情があるのか定かではないが、ラファルの一撃は確実に動揺をもたらしたようだった。生き残った4体の黒ディアボロは、一斉にガスを噴きだした。まるで死の恐怖を麻薬で誤魔化そうとするかのように。ディアボロ達は全て幻惑状態の赤に染まり、自ら理性を吹き飛ばした。
もちろん接近戦をしていた撃退士達もたまったものではない。これまでも散発的にガスは受けていたのだが、刻印が効いていたのか幻惑されるまでは至らなかった。だが立て続けの濃厚なガスは、ついに聖なる加護をも打ち破った。
「うっ……」
雫が小さく呻き声をあげて膝をついた。
「大丈夫か!?」
駆け寄ろうとした千里が、殺気を感じて動きを止める。
雫が大剣を軽々と片手で振るい、近くにいたディアボロを粉砕した。千里があと一歩深く踏み込んでいれば、彼女もまとめて吹きとばされていただろう。
「いや、あれ、僕らが食らったら死にますよ」
スコープ越しに惨劇を目撃していたとしおが冷や汗を流した。
「あと3体……」
冷静にカウントしながら、龍斗は雫に銃口を向けた。いざという時には、仲間であれ撃たなければならない。
だが、雫はさらなる敵を求めて剣を振るうのではなく、じっとディアボロの破片を眺めていた。幻惑されている彼女には、全てが狩りの獲物に見えていたのだ。
「……おいしそう」
雫はそう呟くと、剣を地面に突き立て、今なお奇怪な音をたてて泡立つディアボロの破片をすくいあげた。
明日の命を繋ぐ、今日に失われた命へ感謝の念を込めて――いただきます。
「それだけはよせええっ!!」
間一髪、雫の唇が破片に触れる寸前に、千里の鉄拳が彼女の顎を打った。小柄な体がてん てん と地面を跳ね、雫は「きゅう」と可愛らしい声をあげて昏倒する。
「危機一髪だったな」
龍斗が雫から狙いをはずして息をついた。
「うん、色々な意味で」
としおが大きく頷いて同意した。
●
残るディアボロは3体。ここまでくれば楽勝かと思われたが、そうではなかった。
「う……ん……もう、食べられません……むにゃ、むにゃ」
アタッカーである雫の気絶。
「オラオラぁ! お前ら全員消毒だぁ!」
再起動したラファルも、大技の反動で機能低下。
「ブシューッ!」
「ブブシューッ!」
「ブシュシューッ!」
さらにディアボロ3体は幻惑で強化されている。彼等は無差別攻撃ではあるのだが、現在の戦力比は8対3であり、圧倒的に撃退士側が攻撃される確率が高いのである。
「ぐあっ!」
「千里さん! 今、行くよ!」
「私の方が近い。私が行きましょう」
その分、回復役は味方の治療に追われ、要するにジリ貧の戦いが続いていた。
「うっ!」
千里の手当てをしていた雅春が、ディアボロに背中を斬られた。
「ふふ、痛いのは嫌いじゃないよ……」
「雅春さん!」
どこか余裕があるが、見た目には重傷を負った雅春に、湊が駆け寄ろうとする。
だが、その優しさが仇となった。
彼の顔面にディアボロのガスがかかってしまう。
「わぷっ」
長い戦いの末、聖なる刻印も尽きていた。湊が膝をついたかと思うと、華奢な彼の体が、大人びた男性らしい体躯へと成長していく。
「……ガスだの何だの暑っ苦しいんですよぉ」
変貌したのは体だけではない。愛嬌のあった湊とは似ても似つかない慇懃無礼な口調。ミナトの別人格、ミナモが幻惑ガスによって覚醒したのだ。
「今夏ですよ? 夏。俺に溶けろっていうんですかぁ?」
立ち上がったミナモは魔道書を開き、無数の白銀の矢を乱射した。荒れ狂う矢の嵐をまともに受けたディアボロ、雅春に斬りつけた個体が爆散する。
だが、ディアボロという障害物が失われた今、目の前にいるのは負傷して動けない雅春のみだ。
「やらせるかよ!」
拓美がミナモの顔面スレスレを銃で撃ち、その気を逸らす。
「暑苦しそうなヤツから射ぬきます」
ミナモは狙いを拓美に変更し、魔法の矢を放つ。拓美はそれを正確な射撃で撃ち落としていくが、悲惨した魔力の破片が拓美の体にいくつもの浅い傷をつけた。
「このまま同士討ちを続けたら危険ですよ!」
としおが叫ぶ。
「仕方ない。拓美、これを使え」
龍斗が懐から取り出したビンを、拓美に投げてよこした。
「よっしゃ!」
拓美は迷わずビンの蓋をあけ、ミナモの懐に飛び込むと彼の口にビンを突っ込み中身を流し込む。
「!?!? ブフッ!!」
ミナモは吐血するように中身を吐き出した。同時に体躯が湊の時のような小柄なものに戻っていく。
「僕、途中で記憶が無くなって……ていうか、辛っ! 辛っ!?」
ミナモ、いや、湊はアホ毛をのたうつように暴れさせ、全身を悶絶させていた。
「……何だこれ?」
今更ながら、拓美がビンのラベルを確認する。そのビンのラベルにはおどろおどろしい字体で「死のソース」と記載されていた。
「よく、あんなもの持ち歩いてましたね」
としおが龍斗の方を向いて、呆れたように言った。
「配置の近いお前が幻惑された時に呑ませるためのものだったが」
「あ、そうですか……」
ともあれ、残るディアボロは2体。
斧を持って暴れ回るディアボロの背中を大剣が刺し貫いた。
「お待たせしました」
気絶していた雫が復帰したのだ。
串刺しにされて動けなくなったディアボロは、千里の紫焔を纏った刀による一閃が両断し、焼き尽くした。
「私、ご迷惑おかけしませんでしたか?」
痛むのか、顎をさすりながら雫が尋ねる。
「ああ、まあ、あたしらに被害は無かったよ」
珍しく言葉を濁して千里は答えた。
残る1体は、ラファルが追い詰めていた。
「『デイェス・イレ』を撃ったあとは役立たずだったって言われたくねーからな!」
ビームライフルから放たれた光束が、大地ごとディアボロの脚部を抉り取る。
「ここは通行止めですよ」
這いずりながらも動こうとするディアボロの前に、ふらっと現れたとしおが現れた。
龍の咆哮を思わせる銃声が立て続けに3発響き、最後の1体を土くれへと変えた。
「ふう。またひとつヒーローに近づけたかな」
銃を仕舞いながら、としおはそう言って眼鏡をかけ直した。
●
「掃討完了、飯にしようぜ」
全身の武装を解除しながらラファルが言った。
「御当地ラーメン食べたい!」
諸手を挙げてとしおが提案する。
「あれを見たあとで、よく食欲がわきますね」
今なお悪臭を発する泥塊を指しながら雫が言った。今回の彼女が言ってもまるで説得力は無いのだが、あれはあくまで幻惑ガスによる気の迷いである。
「僕はもう食欲ないよ……」
唇を真っ赤に腫らした湊が、肩とアホ毛を落として言った。
「すまない」
多少の責任を感じたのか龍斗が抑揚なく謝った。
「悪い悪い、薬かと思ったぜ」
拓美は悪びれなく頭をかきながら言った。
「いやいや! 迷惑をかけたのは僕の方だよ!」
湊が慌てて首と手を振る。
「まぁそれだけ幻惑ガスが厄介だったってことだ。小宮の様子もおかしかったしな」
「ええ、すべてはガスのせいです」
千里が雅春を小突き、雅春も眼鏡を押さえて表情を隠しながらしれっと言った。
そう言う彼は、手のひらサイズになって力尽きた泥人形を隠し持っていた。それはしばらく彼のコレクションに加わるのだが、ある日、それに残留するガスをまともに吸ってしまい、錯乱状態に陥って破壊してしまうのは、また別の話である。
「よーし、それじゃ解散! ラーメン食いたいやつは俺についてこい!」
ラファルがそう言ってこの任務を締めたが……
この後、ラファル、としお、拓美の3人でラーメンを食べにいったが、「臭い」と言われて叩きだされた。