●雫(
ja1894)編
善蔵は座禅を組んで、撃退士を待ち受けていた。足音を聞きとり、振り返る。だが、そこにいたのは雫一人であった。
「君だけかな?」
「いいえ」
雫がふるふると首を振る。
「今日は、私達が一人ずつお相手させて頂くことになりました。よろしくお願いします」
雫が、礼義正しいのだが、どこか可愛らしくペコリと頭を下げた。
「なるほど、タイマンと言うわけか……面白い!」
全身に気を巡らせた善蔵の体が膨張し、道着が内側から弾け飛んだ。
雫も大剣を構え、臨戦態勢をとった。すぅ、と息を吸い、精神を集中させる。
「む?」
不穏な空気を感じたのか、すぐさま突撃しようとしていた善蔵の動きが止まる。
雫の纏う気が、平凡な少女のそれから、明らかに変化していた。敵、味方、これまでの戦いで失われてきた魂を全て受け入れ、背負ってきたものが到達できる境地。
歴戦の戦士のみが放つ事のできる、神の威風であった。
厳しい修行の果てに、無敵の肉体に手にしたとは言え、戦闘経験の浅い善蔵が気圧されてしまうのも、無理は無い。
「来ないのですか?」
雫が静かに言い放った。
「では、こちらから行かせていただきます」
少女が、飛ぶように大地を蹴った。
紅に輝く剣を振り下ろす。善蔵は咄嗟に腕を交差して受けとめようとしたが、雫の剣の軌道が急激に変化し、善蔵の肘を捉える。
「ぐう……」
右肘があらぬ方向に折れ曲がった善蔵が呻く。
「流石に関節を瞬間的に回復させるのは無理でしょ?」
続けざまに、雫の二撃目。だが、善蔵は驚くべき行動に出た。その胸を逸らし、雫の剣を迎え討ったのだ。
「!!」
雫は目を見張るが、剣を止めることはしなかった。
剣が胸筋に食い込み、血しぶきが血風となって吹き荒ぶ。
「関節を狙うのなら、急所で受けるまでよ」
「むちゃくちゃですね、貴方は」
呆れと感嘆の混じった感想を漏らしながら、雫はなおも剣を振るう。今度はあろうことか、善蔵に頭で受け止められた。
「確かに人の可能性は計り知れない物があるとは思いますが……人間を止めていませんか?」
そのツッコミが欲しかった!
気がつけば、右肘も治癒されており、善蔵の関節を破壊して動きを止めるという雫の目論見は失敗したと言える。
(とは言え、想定以上のダメージを与えることはできたはず……なら)
「下手な小細工は無しで行きます」
雫の剣気がまた一段と高まり、烈風となる。砂塵を巻き上げながら踏み込むと、すれ違いざまに剣を振るった。
善蔵の両肩、両脇腹が一瞬で斬り裂かれ、火山が爆発でもしたかのように、血が噴出する。その巨体が倒れ、大地が揺れた。
「……やりましたか?」
手ごたえはあったが、倒せたという実感が沸かない。
「ふふ……ふふふ……」
事実、善蔵は笑っていた。
「不死身ですか?」
「さすがは撃退士だ」
雫の問いには答えず、善蔵が立ちあがる。
「次は私の番だ」
そして、善蔵の姿が消えた。雫は本能のまま後ろを振り返り、剣を地面に突き立てる。大剣が盾代わりとなって、善蔵の掌打を受け止めた。
「君は素晴らしい戦士だ。我が奥義をもって敬意としよう」
善蔵の拳が黄昏色に輝く。
「黄金アッパー!」
気の一撃で顎を打たれた雫の意識は、一瞬で途切れた。
しばらくして――目を覚ました雫は「ありがとうございました」と一礼すると、善蔵の傷口に手を当て、傷を癒しはじめた。
「この後も、満足のいく戦いをしてほしいですから」
「感謝する」
「ところで、善蔵さん」
「何かな?」
「天魔との戦いが終わった後、就職のご予定はあるのですか?」
やたら現実的な話題に、善蔵は完全に固まった。
●桜庭愛(
jc1977)編
「よくきた」
善蔵は腕組みをして、桜庭愛を待ち構えていた。何故かプロレスリングの上で……。
「私もプロレスには目がなくてね。君とはこれで戦いたいのだが、よろしいかな?」
「……望むところです!」
一時は呆気に取られたものの、気を取り直して元気よく答えた愛が、最上段のロープを掴み、それを軸に一回転してリングへと降り立った。
「私の名前は桜庭愛♪ 駆け出しの撃退士です」
「我が名は善蔵。ただの人間だ」
同好の士とあらば、それ以上の言葉は不要。リング中央でぶつかり合った二人の頭部が、ゴングの代わりに、鈍い音をたてて鳴った。
激突した両者は、両手を組み合い、力比べの体勢に移行した。それは善蔵に分があり、愛はじりじりと押し倒されていくが、彼女も頭を軸にしたブリッジで耐える。
「えい」
愛は足を跳ねあげ、それを善蔵の首に絡みつかせると、体を捻って善蔵の巨体を投げ捨てる。
受け身を取って着地した善蔵は、すぐさま距離を詰め、牽制のローキックを放った。愛はスネでそれをカットするが、それでも痛い。
「なんてパワー……!」
愛の笑顔が、僅かに苦痛で歪む。
されど、彼女もやられっぱなしでは無い。二度、三度と放たれたローキックのタイミングを見切り、その隙を突いて背中から善蔵にぶつかった。片脚を上げていた善蔵は、当然、大きく体勢を崩す。
(それでも、倒れないのはさすがですね)
心の中で、驚愕の混じった称賛を贈りながら、愛は、大きく開いた善蔵の股の間をスライディングでくぐり抜けると、背後から足首を取って仰向けに引きずり倒し、その脚を両手両足を駆使して絡め取る。
「これなら……どうですか!?」
敵の靭帯をねじ切る勢いで体をひねる愛だったが、善蔵も同じ方向に体を回転させ、ダメージを逃がす。愛は焦らずレッグホールドを解くと、うつ伏せになった善蔵の首に、腕を巻きつけ締め上げる。
善蔵がプロレスに精通していたのは愛の誤算であったが、肌を合わせてみて分かった事があった。
「プロレスの知識はあるようですが、実戦経験はゼロです!」
善蔵が一瞬硬直する。図星らしい。
愛が善蔵を落とすのは時間の問題かと思われた。だが、善蔵は首を絞められた状態のまま立ちあがると、そのままコーナーポスト目掛けて、絡みつく愛ごと全身を叩きつけた。
「うあっ……!」
愛の体がマットに落ちて跳ねる。
(くっ、早く……立たないと……)
頭を打ち、朦朧とする意識の中、それでも愛は立ちあがる。ぼやけた視界に、右腕をしごき、その筋肉を膨張させていく善蔵の姿が映った。
「千年杉ラリアット!」
愛が完全に立ちあがった瞬間、善蔵がロープのバウンドを利用した渾身のラリアットを放った。それを迎撃せんと、愛も右腕を高く掲げる。
(私は……まだ、戦えるっ!!)
無我の境地の中に残された闘士が奇跡を起こした。愛の右腕が光纏とは違う、黄金色の輝きを放つ。彼女の右腕にも気が宿ったのだ。
両者のラリアットがリング中央で交錯した。
善蔵の腕は的確に愛の首を捉えていた。一方、愛の腕は、善蔵の胸板に阻まれていた。
「……届き、ませんでした」
愛の体が崩れ落ちた。
もはや、10カウントを待つ必要は無く、無音のゴングが高らかに鳴り響いていた。
「ありがとうございました!」
1時間後――意識を取り戻した愛が朗らかに礼をする。
「こちらこそ。先ほど、君の仲間に将来を心配されたのだが、プロレスラーになるのもいいかもな」
「その時は、リベンジマッチをさせてくださいね♪」
「ああ、世界が平和になったら……大観衆の前で、もう一度闘おう」
こうして、二人は熱い握手を交わしたのであった。
●黒百合(
ja0422)編
「……来たか」
次の対戦相手が来るまで瞑想していた善蔵は、僅かな葉の擦れる音を聞き取り、目を開いた。
しかし、対戦相手の姿は何処にもなかった。
善蔵は周囲に気を張り巡らせて、気配を探った。森の暗がりで、何かを仕込んでいる者がいる。先程の葉擦れの音も、気のせいかと思わせてしまうほどの見事な隠密術である。
「あらぁ、気付かれちゃった?」
女の声が森の中で不気味に木霊する。
「ちょっと待っててねェ。今、罠を準備中だから」
居場所を悟らせない声は臆面も無く言った。
「まさか、卑怯だなんて言わないわよねェ……」
「無論だ。勝利の為、あらゆる手を打つのは当然の事」
「…………」
森の静寂に、僅かな舌打ちが混じった……気がした。
「お待たせェ」
やがて、ゆらりと黒百合が姿を現した。これこそが礼義とばかりに、善蔵の背後から。
「さァ、はじめましょう」
「うむ!」
善蔵は振り返ると同時、黒百合目掛けて突貫する。だが、その勢いはすぐに削がれることとなった。
「む?」
木々に張り巡らされた極細のワイヤーが、善蔵の手足に絡みついていた。
「色々と実験させてねェ」
黒百合の指の動きに合わせて、刃持つ蜘蛛の巣が牙を剥き、善蔵の四肢をじわじわと斬り裂いていく。
「むうん!」
善蔵は全身の筋肉を膨張させ、脱出を試みる。しかし戦闘用のワイヤーはそれで千切れるわけもなく、むしろ善蔵の体に食い込んでいく。鮮血がパッと飛び散った。
「ふん!」
その瞬間、善蔵は全身から気を抜いた。筋肉が一瞬で収縮し、その分だけ僅かにワイヤーが緩む。その隙に、するりと拘束から抜けだした。
黒百合はすぐさまワイヤーを手繰ると、善蔵の頭部めがけて斬撃を放った。だが、鮮血に濡れたワイヤーは隠密性を失っており、あっさりと避けられてしまう
「見た目の割におつむがあるじゃない」
自身の額に指を当てて挑発する黒百合。気にせず、善蔵は鉄拳を振り下ろす。自分の頭ほどのある拳を、黒百合は盾で受け流した。それでも殺しきれなかった衝撃が、彼女の左腕――義手を通して全身を貫き、黒百合は吹き飛ばされた。
彼女の小柄な体躯が、地面に叩きつけられる。黒百合は、転がって激突のダメージを逃がすと、すぐさま立ちあがって、漆黒の槍を右手に顕現させた。
「むん!」
追い討ちをかけるように、善蔵が気を光線にして放つ。黒百合は身をよじってそれを避けるが、逃げ遅れた彼女の長い黒髪、その毛先が焼かれて、蒸発する。一瞬、黒百合は自分の身に何が起きたのか分からなかったが、鼻につく異臭で全てを察した。
「やあってくれたわねェ……!」
凄味のある声で毒づくと、黒百合は突進してくる善蔵に槍を向けた。彼女の周囲から無数の蝙蝠が現れ、黒槍に指揮されるように、善蔵めがけて襲いかかった。蝙蝠達は善蔵に群がり、傷口に牙を立て、その血をすする。
だが、そんなことお構い無しに、善蔵は黒百合に迫る。
「チャクラフック!」
放たれた善蔵の拳を、黒百合は再び盾で受け流す。が、鈍い音と共に、彼女の盾は弾き飛ばされた。
「ち……」
そう、善蔵の一撃目は守りを崩す為のもの。ガラ空きになった黒百合の鳩尾に善蔵の二撃目が突き刺さった。
「が……はッ……」
悲鳴が肺から絞り出され、黒百合は膝をついた。そして、そのまま倒れ込むかに思われたが、善蔵の腰に爪を立てて踏みとどまる。
「クソ……が……」
ギリギリと壊れた人形の様に顔を上げると、黒百合はツバでも吐きかけるかのように、口中から蟲の群れを発射した。
眼球めがけて飛来したそれは、善蔵が一瞬早く反応した事によって、そのこめかみを抉るだけに終わった。
「生き残るための創意工夫、見事であった」
善蔵が黒百合の首筋に手刀を当てる。
「……ふん」
最後にひとつ鼻で息をつくと、黒百合の意識は闇に呑まれていった。
●藍那湊(
jc0170)編
湊が見た善蔵の姿は、満身創痍と言えるものだった。だが、むしろ、その脅威度は増しているように思える。雫、愛、そして黒百合が、彼に唯一足りなかった『戦闘経験』を与えてしまったのだ。一般人最強は今、真に完成した。
(僕は幸せ者だ。最高の状態の善蔵さんと戦える……!)
しかし、湊はそれこそが嬉しかった。
「宜しくお願いします!」
「うむ! 元気があってよろしい!」
褒められた矢先で心苦しかったが、湊はその身を僅かに浮かすと、善蔵から距離を取る。
(今の僕に、正攻法で勝てる強さは無い)
湊は弓を引き絞ると、輝く矢を放った。箒星の如く光の尾を引いて、それは善蔵の顔面で炸裂する……かと思われたが、善蔵はそれを歯で受け止め、噛み砕いた。
「ん……」
驚きは無いと言えば嘘になるが、これで仕留められるとも思っていない。巨体に似合わず、猛スピードで追ってくる善蔵を振りきるように、湊は木々の間を縦横無尽に動き回り、「てい てい」と矢を連射する。
善蔵は埒が開かないと判断したか、掌から気の光線を発射した。
光線は湊の手前にある大木の根元で炸裂する。飛び散る無数の木片から顔を庇いながら、再び動き出そうとした湊だったが、眼前に広がる光景を見て、動きを止めた。
先程の爆発で倒れた大木が、湊の行く手を遮っていたのだ。
「追い詰めたぞ、少年」
気の力でワープしてきた善蔵が、いつの間にか湊の背後に立っていた。
湊が振り返ると同時に、善蔵の拳が放たれる。湊は氷の盾を顕現させ、真正面から受け止める。それでも拳の勢いは殺しきれず、盾は涼しい音をたてて砕け、湊は体でその一撃を受けることになった。
「ぐっ……」
湊の小柄な体が、木の幹に叩きつけられる。
「ふふ、ふ、当たるのが嫌で走ってると思いました?」
幹にもたれたまま、湊は笑っていた。
「僕はこの体勢になるのを待っていたんだ! この位置なら吹き飛ばされない! 倒れない!」
湊が刀を抜き放つと、粉雪が舞った。
「ふん!」
善蔵の二撃目。湊は氷の盾をかざし、木の幹を支えに、それも凌ぎきる。
「今度はこちらの番っ! 結氷(ムスビ)つける!」
湊の周囲から氷の鞭が煌めいて伸び、善蔵の手足に絡みついていく。善蔵がそれを振りほどこうと四肢を広げた刹那、湊は氷を纏った刀を袈裟がけに斬り降ろした。
無防備に晒されていた、善蔵の胸板がパックリと割れる。零下の一閃は、血しぶきひとつあげさせず、代わりに氷の粒が弾けて散った。
(楽しいなぁ……)
湊はひとりごちる。
(とても素敵。この時が凍りついてしまえばいいのに……)
善蔵の強さが。そして、そんな彼と渡り合えているという喜びが、湊の胸を満たしていた。
「善蔵パンチ!」
その夢想を、善蔵の拳が打ち砕いた。
支えにしていた木の幹も砕け、ついに湊は吹き飛ばされて、倒れ伏す。
(く……立たなきゃ……)
全身に力を込めるが、体は言う事を聞いてくれない。
(悔しいなぁ……もっと、この人と、戦っていたいのに……)
「私もだ、少年!」
湊の手が、力強いゴツゴツした手に掴まれ、引き起こされた。それだけでは無い、指一本動かすことのできなかった体に生気が戻り、むしろ戦う前よりも活力に満ちている気がする。
「私の気を分け与えたのだ」
善蔵が言った。
「どうして……?」
湊が問う。
「君と戦っていると楽しい。もっと戦おう、心ゆくまで!」
「…………はい!」
もはや武器はいらない。湊は刀を地面に突き立て、両手に凍気を纏うと、夜が明けるまで善蔵と拳で語り合った。