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月明かりの降るビル街で、そのサーバントは暴れ回っていた。全身を鎖に縛り付けられた人狼が、ビルというビルに体当たりし、星の様に煌めくガラスの破片を浴びては、楽しそうに咆哮する。
そのようなわけで、騒がしいそれを見つけるのは容易かった。
「血に狂った獣と言った印象ですね」
ビルの影から顔を覗かせてサーバントを確認した雫(
ja1894)がぽつりとこぼす。
「こちらが気付かれないうちに、準備を済ませてしまいましょう」
御堂・玲獅(
ja0388)が、着付けを待つ大和撫子の様に、淑やかな所作で両手を広げた。
そんな彼女に雫が手を触れ、軽く念じると、玲獅の体に聖なる刻印が刻まれた。
(こちらの準備はできました)
雫が仕草のみで合図を送ると、各所へ散った他の仲間達からも合図が返ってくる。
「では、いきましょう」
雫が躍り出て、サーバントの注意が彼女に向いた瞬間、二方から銃声が轟いた。
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「その装甲から削ってあげるよ」
拳銃を手に暗がりから飛び出した神谷春樹(
jb7335)は腐敗のアウルを銃に籠め、素早く発砲。
「まずはこいつだ。腐れ」
同時、ビルの中で狙撃体勢を維持していたミハイル・エッカート(
jb0544)も狙撃銃の引き金を絞る。
二発の弾丸が月下の薄闇を切り裂き、唸りをあげて飛んだ。
弾丸はそれぞれ白毛の狼人の左腿と右肩に炸裂する――かに見えたが、その瞬間、唐突に弾丸の前進が遮られた。
狼人の全身に巻きついてたいた黒鎖が、意志を持つかのように蠢き、超精度のライフル弾と拳銃弾との二つの弾丸と、狼人の肉体との間に割って入って受け止めたのだ。
しかし、ミハイルが放った銃弾から無数の鮮血に塗れた小さな手が出現し鎖ごと狼人の身に纏わりついてゆく。春樹が放った弾丸も爆ぜ、腐敗の無尽光を撒き散らしてゆく。
(鎖が動く?)
九十九(
ja1149)は気配を断ちビル陰の闇中に潜行し、先の二人の攻撃効果を観測していた。
――ミハイルと春樹の腐敗の効果は通ったか? 良く解らない。
が、いずれにせよ、あの二人の同時射撃を受け止めるとなると少なくとも並のサーバントではない。
(なるほど、なかなか厄介そうな奴さぁね)
男は思いつつ、既に長大な和弓に矢を番えて引き絞り、はっしと放つ。
錆色の風を纏った一閃の矢が月下を割いて飛んだ。それは大地を殺す腐毒。鎖が動く。が、二方よりの射撃から続く三方目からの追撃に、鎖の反応が遅れた。
大蛇が喰らいつくように矢は鎖の間を縫って白毛の狼の身に突き立ち、錆色の風が狼人に襲い掛かってゆく。
(随分と厚着してるわね……もうちょっと、脱ぐまで待とうかしら)
卜部 紫亞(
ja0256)もまたビルの窓際から観察していた。九十九の射撃は通ったようにも見えるが、もう少し脆くなるまで待つ。
狼人は腐敗の風を受けながらも怒りの咆吼をあげ、素早く周囲に視線を走らせると、最も距離の近い春樹に向かって突進を開始した。
その踏み切りだけで、アスファルトの道路が砕け、陥没し、土砂が宙に吹き上がる。
風を裂き、全身を躍動させて牙を剥き、白毛の狼人が春樹へと迫る。
だが、両者が肉薄するよりも前に、紫色の影と黒い影が春樹の後方より駆けてきて、間に割り込んだ。
鳳 静矢(
ja3856)と、鷺谷 明(
ja0776)だ。
「行くぞ。お前の相手は此方だ」
盾構えて駆ける静矢のアウルが誘うように揺れる。
白毛狼人が咆吼をあげる。
両者の身が高速で躍った。
しなやかながらも鋼の如き筋肉で覆われた脚から蹴りが放たれ、対する紫色のアウルを纏う男は刃の盾を翳す。
激突。
「っ!?」
静矢の反応精度は、撃退士として見ても熟練の域にあったが、白毛狼人は途中で蹴りの軌道を変化させ、静矢が防御に掲げた盾を掻い潜った。足先の爪が静矢の脇腹に喰いこむ。
轟音と共に凄まじい衝撃が炸裂し、静矢の身が揺らいだ。男の口より空気が吐き出される。
が、静矢はどちらかといえば、長所は動きの精度よりその頑丈さにある。
「その程度か」
男は挑発するように不敵に笑った。いかに並より強力なレア個体とはいえ一発二発で倒される程、百戦錬磨のルインズブレイドはヤワではない。狼人が唸る。
同時、
「さぁて、どんなものかね!」
明の右腕が膨れ上がり獣のそれへと変化する。剛力を秘めた手が獣人の顔面を掴み砕かんと伸びる。
白毛獣人は上体を後方に逸らせ一撃をかわし、直後、静矢が盾の縁を使いエッジを効かせて追撃に打ちかかる。
が、唸りをあげて振るわれた盾は空を切り、獣人は大きく後方へと跳んで間合いを広げていた。素早い。
「止めます」
玲獅と共に獣人を追ってきた雫は獣を睨んでアウルを解放する。影から腕が出現し白毛獣人を掴み取らんと襲い掛かった。
獣人は着地すると同時、再び、今度は低く横っ飛びに跳ぶ。影から生えた腕がやはり空だけを切る。
獣人は地を蹴り、稲妻の如くに曲ると雫目掛けて旋風の如き蹴りを放つ。
「させません」
傍で備えていた玲獅が間に飛び込み、白蛇の盾を翳した。獣人の足と白銀の小盾が激突して衝撃と轟音を巻き起こす。
紫亞はhaineを狙わんとしていたが、
(……ちょっと遠いかしら)
そいつは射程が短い。
しかし、
「お前の相手は此方だと言っているだろう?」
静矢が駆けながら白毛の狼人を挑発する。
黒鎖の白毛狼人は牙を剥き静矢を追いかけ、紫亞が潜むビル付近へと近づいて来る。
「来たのだわ」
黒髪の魔女は窓辺から身を乗り出すと地上へと向け両腕を回して円を描く。
「良い仕事よ」
仲間への賛辞を述べつつ、描いた円の軌跡の真ん中を貫くように両腕を突き入れた。
刹那、円の中から無数の白腕が飛び出し上方より白毛狼人へと襲い掛かってゆく。
同時、
「今度は外しませんよ」
雫もまたアウルを解放、再び影より無数の腕を出現させ白毛狼人へと向かって放つ。
白い無数の腕が上から、黒い影の腕が地上から、二方向よりサーバント目掛けて迫る。
これに直前で気付いた狼は横っ飛びに跳躍してかわさんと地を蹴り、
「逃がさんよ」
明、白毛狼人を追っていた男は、猛然と突撃し獣の豪腕を振るう。激突。鎖が蠢き、明の腕と激突して火花を散らす。防がれた。が、激突の衝撃で、その移動が押しとどめられ、白と黒の無数の腕が白毛狼人へと纏わりついてゆく。
(――好機!)
春樹が猛然とリボルバーの銃口を向け、ミハイルがビルの窓辺より狙撃銃の狙いを定め、九十九が闇の中より長大和弓に矢を番える。
次の刹那、轟く銃声と共に拳銃弾とライフル弾が飛び、矢が闇を裂いて奔った。
鎖が蠢き――しかし、白と黒の腕が抑えつけて、次々に春樹とミハイルの弾丸と九十九の矢が突き刺さってゆく。
白毛が爆ぜ、闇に鮮血が散り、獣の苦痛と憤怒の咆哮が轟いた。
●
鎖に戒められている白毛の狼人の全身よりアウルの光が急速に膨れ上がってゆく。
(……なんだか不味そうなのだわ!)
紫亞は窓辺から向かいの雑居ビルの屋上へと視線を移すと、瞬間移動を発動せんとする。
ミハイルは射撃後即座に移動を開始している。狙撃手の基本だ。
「逃げているんじゃねぇぞ。狙撃手ってのは位置取りや立ち回りが大切なんだぜ」
というのはミハイルの言だが、
(しかし、あれは……)
階段を駆け下りながら狙撃手は胸中で呟く。
踵を返す直前に視界の端に捉えた、膨れ上がる光に嫌な予感が急速に膨れ上がってゆく。
他方地上、明はバックラーを緊急活性化させると盾構え体あたりするように光の中の狼人へとぶちかましを仕掛けていた。シールドバッシュ。光を裂いて強烈な衝撃が狼人の身に炸裂し、だがしかし、狼人は揺らがない。
「――不味い」
静矢は咄嗟に地面を蹴った。
次の刹那、光が爆発した。
狼人のその身を縛り戒めていた黒い鎖が弾け飛び、その破片のひとつひとつが弾丸をも凌駕する速度で八方に飛び散り周囲の撃退士達へと襲いかかる。
明に身に次々に無数の鉄片が突き刺さり、咄嗟に玲獅を庇った静矢の身にも次々に破片が突き刺さっている。
(深手は、受けて、いない)
静矢は己の身体の感覚からそう判断していた。威力自体は見た目の派手さにくらべてそう高くない。
が、視界がぐにゃりと歪んだ。
「ふむ、何かしらの、魔術的効果が、あるのか――」
明が笑い、ばたりと糸が切られた人形のように崩れ落ちた。静矢の意識もまたぶつりと強制的に断ち切られ、倒れる。スタンだ。
(鳳さん、明さん……!)
玲獅は悲鳴をあげそうになったが、ぐっと堪えて今は戒めが解かれたサーバントを睨み、アウルを膨れ上がらせる。百戦錬磨の撃退士は仲間が盾となって作り出してくれた時間を無駄にはしない。女の周囲に薄闇を裂いて光の線が走り、一つの陣を浮かび上がらせてゆく。シールゾーンだ。
だが、戒めより解き放たれた獣もさるもの、即座に反応し、術が発動するよりも前に潰さんと稲妻の如くに玲獅へと向かって牙を剥き剛爪を振り上げ突進する。
一閃。
真っ赤な血飛沫が吹き上がり、封印の力が働き、撃退士の身に黒鎖が出現して纏わりつき縛り上げんとしてゆく。
斬り裂かれて鮮血を噴き出し、鎖に戒められながらも、白く光り輝く刃を振り上げ"雫"は言った。
「今作戦の要になる人を封じさせる訳には行きません」
狼人の一撃から玲獅を庇った童女は、稲妻の如く太陽の刃を閃かせる。
同時、
「そんなに封印がお好みでしたら、封印状態のまま倒しましょう」
玲獅の魔法陣が完成した。眩い光が吹き上がる。
光と光が奔り、獣が吼え、さらに春樹が、ミハイルが、九十九が弾丸と矢を猛射する。
雫の光刃と狼人の爪が噛み合って光を撒き散らし、同時に弾丸と矢が炸裂して血飛沫をあげ、光の魔法陣が力を発揮して飛び散った筈の黒鎖が飛来して再び繋がり狼人を縛りあげてゆく。
再び封印状態に押し戻された狼人は鎖で斬撃と矢弾を防ぎながら脚を振り回す。
さらに意識を取り戻した静矢と明が戦線に復帰し、刃盾で殴り獣の腕を振るう。
そんな攻防の最中、ビルの窓辺より眩く燃える紅蓮の炎が一直線に打ち下ろされてきて、白毛狼人を呑み込んだ。
「ふふ、直撃なのだわ」
紫亞のブラストレイだ。不意打ち気味に放たれた上方からの一撃が、痛烈な破壊を狼人の身に巻き起こす。
「……あら? 頑丈なのかしら」
が、炎に包まれ破壊を受けながらもそれを吹き散らし、狼人はなおも脚を竜巻の如くに振るう。
「まだ暴れるか。なかなか歯ごたえのあるサーバントだ。作った主はよほど腕前がいいのだろうな」
次の狙撃位置へと向かいつつミハイルが呟く。
攻防が続き、狼人と撃退士達の傷が増えてゆく。
短くも激しい時が過ぎ、やがて、狼人の身を鎧う黒い鎖が赤錆に覆われ、溶け、腐敗して、ボロボロと崩れ始めてきた。インフィルトレイター達のアシッドショットの効果がいよいよ目に見える程に大きくなってきたのだ。
「やれやれ、ようやく効いて来たさぁね――」
和弓に矢を番え九十九が呟く。明の無造作な薙ぎ払いが鎖と激突して火花を巻きこし衝撃を貫通させ、狼人の身を揺らがせたのに合わせて力を解き放つ。
「――我が罪背負うは『不孝』。罪を贖い喰らいて牙と双爪で舞い狂え。黄塵纏いし悪なる風神、窮奇」
呪と共に放たれた矢は途中で有翼の虎に変化した。凶悪な妖は、双爪を振るい牙を剥いて白毛狼人へと喰らいつく。
赤い血飛沫と共にサーバントが絶叫をあげた。
「仕留めましょう!」
機と見て春樹が仲間達に向かって叫ぶ。
「――了解」
静矢はサーバントの足爪を玲獅が盾で受け止めたのを確認すると、盾を消し大太刀を出現させて抜き放った。
「さぁ始めるか」
男からアウルが放たれ、雫と紫亞から放たれた腕によって束縛されている白毛狼人に命中し、そのレートを大幅に天属性へと傾けてゆく。
「そのまま大人しく嬲り殺しにされろ」
ミハイルがスナイパーライフルを、春樹がリボルバーを構え、両者共にアウルを解放した。
ミハイルの全身から赤と黒が入り混じった禍々しいオーラが吹き出し、春樹が構えるリボルバーに黒霧のアウルが集中されてゆく。
「これで!」
春樹が叫ぶと同時、リボルバーから黒霧の弾丸が撃ち放たれ、ライフルの銃口から血に飢えた猛禽類の如きアウルの塊が射出される。
二連のダークショットは対天の力により破壊力と精度を飛躍的に増大させ、唸りをあげて狼人へと襲い掛かり、比類無き精度でその鎖の防御を掻い潜り、また鎖の防御ごとぶち抜いて、白毛に覆われた身を穿ち、肉を爆砕させて赤色を盛大に噴出させた。
静矢が最上段に振り上げた太刀が、月光を浴びて淡く煌めいた。
男は左腕に明紫、右腕に暗紫の光を纏い、それらは伝って刀身を包み込み混ざり合う。銃撃に身を揺らがせ、急激にもがき苦しみ出した狼人もその光に照らし出される。
「終わりだ。眠れ」
一閃。
落雷の如く振り下ろされた太刀の切っ先が、狼男の脳天から入って頭蓋を断ち、喉を割き、胸部までに喰いこんだ。
刀身から紫の鳳凰が飛び出し、静矢は刀を引き抜いた。
身を震わせていた狼人が赤色をぶちまけながらどう、と音を立てて地に崩れ落ちる。
すると、その全身は瞬く間にひび割れ、砂のように崩れ始めた。普通のサーバントは、死んでも塵と化したりはしない。何から何まで異様なサーバントだった。
「……お前の矜持に興味など無いわ……そうやって無様に消えて行きなさい」
紫亞は夜風に崩れ消えてゆくサーバントの亡骸を見下ろしながら、そう呟いたのだった。
(今夜のサーバント、人の少ない真夜中で、意味も無い破壊活動……どう考えても作戦意義は感じられない)
サーバントの死後、雫は思考する。
(なら、暴走? 私が天魔ならこの騒動を利用するか、暴走者の排除をする……)
童女はふと、サーバントが死に際に背にしていたビルの、裏側へと足を向けた。
そこには誰もいなかった。
ただ、雪のように白い羽根がちらちらと舞い散っていた。
了
(代筆 望月誠司)