●トンネル外にて
瘴気とは、まさしくこういうことを言うのであろうか。トンネルの奥から漂ってくる目に染みるほどの悪臭と、肌にまとわりつくような気配は、人間の英知が生み出したトンネルを魔の潜む洞窟へと変貌させていた。
「どうして、僕がついていってはいけないんですか! 囮にだって何だってなります!」
恋人をディアボロに捕らわれた男性、鈴木 雄一が叫んだ。トンネルの入り口で、彼の前に立ち塞がっている撃退士達に食ってかかる。
「トンネル内までは来ないでくださいませ。もし逆の立場で田中様に何かあったら、ご自身を許せますでしょうか?」
そんな雄一に、悪魔の少女、紅鬼 姫乃(
jb3683)が淡々と告げた。
「でも……」
恋人の心情を引き合いにされ、雄一が口ごもる。
「心配な気持ちはよくわかるけど、でもついてきて何かあったら、恋人さん悲しむよ……」
続いて、セーラー服の少年、犬乃 さんぽ(
ja1272)が姫乃を援護した。雄一は俯いて、何も言えなくなってしまう。
「ボク達が絶対助け出してくるから! 正義のニンジャを信じて待っててよ」
さんぽが無垢な少女(男の子だけど)のように微笑んだ。自信に満ち溢れたその笑みを見て、雄一は思わず頷いた。
「そっちは大丈夫そうだな。先に行くぞ」
遠巻きに、2人の説得を見守っていた月島 祐希(
ja0829)が、姫乃に声をかけると、返答も待たずにトンネルの中へと駆けだしていく。今回のディアボロ討伐隊は8人編成。他の5人は既にトンネル内へと侵入している。
ぶっきらぼうな祐希だが、先行した仲間達をずっと気にかけていたのだ。
「では、鈴木様にはトンネルの外に待機していただきます。そこで救出した田中様のことはお任せいたしますね」
相変わらず淡々とした口調で、姫乃が言った。雄一も託すように彼女の手を取った。
「はい。どうか、陽子を助けてやってください」
●トンネル内にて
薄暗いトンネルの中を、黒き風が疾る。
「見つけたぞ」
黒の翼を羽ばたかせ、毒沼を飛び越えてきた黒兎 吹雪(
jb3504)が、真っ先にディアボロを視認した。
ディアボロも吹雪の存在に気付いたようで、毒に苦しむ女性を舐め回すように見ていた大サソリは、尾の先についた顔をぐるりと頭上に巡らせ「グエッ?」と一声鳴いた。
「図体はでかいが、やっておる事は小物だのう」
吹雪はディアボロの周囲を挑発するように飛び回りながら、雷の剣を放った。雷光が一瞬、ディアボロの醜悪な顔を照らしだし、次の瞬間には黒こげにする。
しかし、その程度でディアボロは怯まず、距離を取ろうとする吹雪を追いかける。肢が動くごとに、鋭いツメがアスファルトの地面を穿ち、その巨体を前身させる。その様はまさしく重戦車の如きであった。
「遅くなりました」
続いて、天ヶ瀬 焔(
ja0449)が高く跳躍して毒沼を越えながら、現場に到着した。ランスを使って棒高跳びの要領で毒沼を避けていたのだが、さすがに空を飛べる吹雪に追いつくほどのスピードは出せなかったようだ。
焔は戦闘態勢を取りながらも、横目で倒れている女性の姿を見た。相当毒が回ってきているらしく、吐く息は荒い。
「趣味が悪いな、付き合ってやる義理も無いッ!」
吹雪とディアボロの間に割り込む様に立った焔は、足元から炎と見紛う光纏を発生させ、それを閃光として放った。美しい輝きがトンネル中に満ち、ディアボロの異形を浮かび上がらせる。夜目の利くディアボロは、光には弱かったらしく、数歩、焔から後ずさった。
「お待たせっ!」
さらに、高峰 彩香(
ja5000)も毒沼を跳び越えながら現れた。
「苦しむ様を見て楽しむなんて、こんな悪趣味なのを潰すのに遠慮はいらないね」
彩香は女性とディアボロの間に立ち、剣で斬りかかった。
その後も、焔、吹雪、彩香の3人は連携してディアボロに攻撃を仕掛けていく。だが、たった3人で強大なディアボロと戦うのは流石に分が悪いのか、3人ともディアボロの毒針によって毒に侵され、ディアボロの正面に立つ焔と吹雪はじりじりと後退していくように見えた。
「私も到着した! 今だよ、亜輝!」
その時、焔の生み出した光が届くか届かないかの所から声が聞こえた。
その声に従って、暗がりから鷺ノ宮 亜輝(
jb3738)が飛び出し、素早く召喚術を唱え、呼びだした馬竜――スレイプニルに飛び乗る。
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
気合の雄叫びをあげながらスレイプニルを走らせ、瞬く間に倒れた女性の傍に辿りつくと、彼女の腕を掴んで馬竜の背に乗せる。そして、素早く馬首を返すと、ディアボロに背を向けて全速で逃げだした。
「皆さん、この場はしばらく任せたっすよ!!」
強烈な向かい風に負けず、亜輝は叫んだ。
もちろんディアボロも黙って見ていない。
ゲーッ!!
終始下品な笑みを浮かべていた表情を怒りに歪ませて吠える。慌てて亜輝を追い掛けようとするが、その前に焔が立ち塞がった。
「それ以上は行かせるか」
だが、なおもディアボロは諦めず、尾をブルンブルンと振り回しはじめる。
「何か仕掛けてくるよ! 避けてっ」
彩香の言う通りだった。ディアボロは尾の先から滴る毒液を、周囲に撒き散らしはじめたのだ。ディアボロに密着していた焔は難を逃れたものの、吹雪と彩香の2人は、頭から毒液を浴びてしまう。そして毒液は、スレイプニルを駆る亜輝と女性にまで降り注いだ。
「やらせねえっ!」
亜輝は身を呈して女性を庇った。大量の毒液を受けた背から焼けるような痛みが走り、刺激の強い異臭が鼻をつく。
グルル……
スレイプニルが心配そうに唸るが、亜輝は「構わねぇ。つっ走れ、スレイプニル……!!」と発破をかけた。
ディアボロはなおも亜輝を追おうとする。
「これ以上はやらせねーのだッ!」
が、先ほど亜輝に指示を出した声の主が、暗がりの中から姿を現す。声の主、青空・アルベール(
ja0732)は手にしたアサルトライフルを、ディアボロの背後に位置する横転した車に向けた。
「皆、耳を塞いで!」
阻霊符を発動しながら、彩香が全員に注意を喚起する。
青空はトリガーを引いた。セミオートで放たれた幾発もの弾丸が、狙い違わず車のエンジン部分に突き刺さる。
車は大爆発を起こした。
狭いトンネル内に熱風と炎が巻き起こり、爆音が幾重にも反響して鼓膜をつんざく。
阻霊符によって透過能力を失い、その直撃を受けたディアボロは、ただではすまなかった。飛び散った車の破片は堅い甲殻に弾かれたものの、油混じりの爆炎が、人型の頭部に引火したのだ。
グエエエエエエエエエッ!!
ディアボロが叫び声をあげながら、尾を振り回す。その間に、スレイプニルの姿は見えなくなっていた。
一方、撃退士達に車の爆発による被害は無かった。ディアボロに苦戦していたのは事実だが、ディアボロを爆風の盾にできるよう、計算して後退していたのだ。
「待たせた! って、聞いていた話よりもキモさ増してね!?」
依頼者の説得にあたっていた祐希が、亜輝と入れ替わるように到着し、思わず叫んだ。
というのも、ディアボロの尾についていた頭部の肉が焼け落ち、まばらに肉が張り付いた頭蓋骨が無表情に笑っていたからだ。
カカカカカッ
以前のような下卑た笑みではなく、歯と歯を打ち合わせる無機質な笑み。自分の愉しみを邪魔してくれた撃退士達をどう苦しめてやろうかという悪趣味な笑い。
「ちっ、ならまずはその顔を潰してやる」
祐希が掌から光の矢を放ち、それらは全てディアボロの頭蓋骨に突き刺さった。
「お待たせ!」
「くぅ! 説得は上手くいったよ!」
遅れてさんぽと姫乃も到着する。
戦いは佳境を迎えようとしていた。
●決着
それからしばらく時が経過し、激闘はまだ続いていた。
総勢7名となり、護衛対象を遠ざけることにも成功した撃退士達は、一気呵成にディアボロを攻めたてていた。
その要となったのが、トンネルの壁や天井を縦横無尽に走り回るさんぽだ。
「ほらほら、こっちだよ!」
スポットライトを浴びながらディアボロを挑発し、その攻撃を一手に引き受けていた。ディアボロも執拗に彼を狙うのだが、その毒針は全て誰もいない所に突き刺さっていた。
「おっと!」
渾身の力で放たれたディアボロの針を、さんぽは軽くかわす。ディアボロの針が地面に突き刺さり抜けなくなった。
「そのキモイ顔は潰れなさい!」
その機を逃さず、姫乃が鎌を振るい頭蓋骨に叩きつける。ミシリと嫌な音を立てて頭蓋骨が軋んだ。
「同感だ」
追い打ちをかけるようにして、祐希もエナジーアローを放つ。それとほぼ同時に、吹雪が天井すれすれを飛びながら稲妻を放っていた。
光の矢と光の剣が雨のようにディアボロの尾めがけて降り注ぐ。
「ほほう、壮観じゃのう」
次々と輝く爆光を上空から眺めながら、吹雪は満足そうに頷いた。
「これで……」
続く焔が、爆発の只中に飛び込み、尾の関節部に槍を突き入れる。
「どうですっ!」
焔はそのまま槍を蹴りつけた。槍が深くねじ込まれ、ディアボロの尾が千切れ飛ぶ。地面に落ちた頭蓋骨が驚いたように、歯をカチ、カチと打ち合わせた。
「尾は落としました!」
焔が高らかに宣言する。
「オーケー! さすがね!」
尾の脅威が無くなったディアボロに、彩香が突撃した。それを援護するように青空も銃弾を放つ。
彩香はディアボロの背に跳び乗り、疾風の如く斬りつけた。噴出するディアボロの体液を気にせず、もう一撃。彩香がディアボロから飛び降りると同時に、狼を模した弾丸が喰らいつく。
はじめは関節部を狙っても歯が立たないほど堅かった甲殻だが、今は十全に攻撃が通っていた。
「私の『死の宣告』が効いてきたようだね」
青空は最初に特殊な弾丸を撃ち込んでいたのだ。それは命中した者の装甲をじわじわ食い破っていく魔弾。まさしく死の宣告。
「これでとどめだよ!」
天井からひらりと降りてきたさんぽが、かざした戦斧に稲妻を収束させる。
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング! 心臓だってパラライズ★」
陽気な掛け声とは裏腹に、戦斧から放たれた激しい真紅の雷光がディアボロの全身を打った。
ギイイイイイイイイイイイイイッ!!
全身を燃え上がらせ、ディアボロは悲鳴をあげた。稲妻が体液に火をつけたのだ。
煌々と立ち昇る火柱の中で、ディアボロの体が崩れていく。頑丈な甲殻は炎ぐらいで燃えはしないが、ひび割れ砕かれた甲殻の隙間から覗く中身は、そうはいかない。
カカッ! カカカッ!
内側から燃え尽きていく肉体を見て、地面に落ちた頭蓋骨は笑っていた。悪趣味なディアボロは、自らの死すらも愉しむように笑っていた。
「あなたもさっさと逝きなさい!」
姫乃は鎌の石突を突き立てて、頭蓋骨を木端微塵に打ち砕いた。
戦いは終わった。
紅い炎が瘴気をはらい、撃退士達の浴びた毒もみるみるうちに癒えていった。
●その頃、亜輝は
――その少し前。
トンネル内から脱出した亜輝が、スレイプニルから飛び降り、慌てて駆けてきた雄一に女性を預けた。
「悪ぃっす……携帯に連絡したんだが……トンネル内は圏外だった……」
「いいえ! 陽子! ああよかった!」
安堵した雄一は女性を強く抱きしめた。
「まだ早いっす……毒は回復してねぇんで、早く救急車に……」
「あ、は、はい!!」
男性が、あらかじめ呼んでいた救急隊員に女性を引き渡したのを見届けると、亜輝は再びスレイプニルにまたがった。
「どこへ行くんですか!? あなたも顔色が真っ青ですよ!? 治療しないと……」
雄一が言うのも無理は無い。亜輝は女性を庇ったため、毒液を大量に浴び、その毒は今も亜輝の体を蝕んでいる。息も絶え絶えなのはそのためだ。
「かまわねぇっす。仲間が今も戦っているのに……休んでなんかいられねぇからな」
亜輝が無理して笑った、その時だった。
――ギイイイイイイイイイイイイイッ!!
トンネルの奥底から響いてくるような断末魔が聞こえた。
「ああ、もう倒しちまったっすか?」
スレイプニルの背の上で、亜輝は脱力した。
彼の背後で、女性の応急処置をしていた救急隊員の声が聞こえる。
「患者の容態、安定してきました!」
「付き添いの方! 病院へ向かいますので乗ってください!」
「あ、はい! 鷺ノ宮さん、ありがとうございました! 他の皆さんにもそうお伝えください!」
そう言って一礼すると、雄一は救急車に乗り込んで去っていった。
「ふう、やっぱり先輩方は凄いっすね」
毒が抜けていく感覚を確かめながら、亜輝はため息をついた。
「俺ももっと強くならねぇとな」
暮れてきた空に、亜輝は改めて誓いを立てた。