本来なら今日もたくさんの人が行き交っていたであろう無人の街を、二台のトラックが疾走していた。
一台は白。もう一台は銀。いずれも荷台に大量の資源ゴミを載せているため、一見すればゴミ収集車のようにも見える。
そんな狭苦しい荷台の上に、撃退士が二人ずつ、窮屈そうに収まっていた。
「やれやれ……想像以上に不快な依頼になったねぇ。髪に匂いがついたらどうするんだい」
白トラックの運転席側を見据え、向かい風に赤髪をなびかせたアサニエル(
jb5431)が鼻を押さえながら言った。
「ランスおにーさんには髪すら無いけどな!」
白トラックの後部を見据え、追い風にカツラをなびかせた阿手 嵐澄(
jb8176)が頭を押さえながら答えた。
「でもよー、ムカデの40倍って言うけど、そんなに大きくなくね?」
銀トラックの縁に腰かけたラファル A ユーティライネン(
jb4620)が素朴な疑問を口にする。
「うぅ、大きさで気持ち悪さが増してますね」
四条 和國(
ja5072)は銀トラックの上で、脳味噌型サーバントを見上げていた。高層ビルの頂点にいるため、その姿は米粒程の大きさにしか見えないが、撃退士達の優れた視力は、その異形をありありと捉えていた。
一方のサーバントも、心なしか撃退士達を見下ろしているようにも見え、何かを警戒するように、全身に張り巡らされた血管をドクドクと波打たせていた。
「うわっ……!?」
真っ先に異変に気付いたのは、白色のトラックを運転していた日下部 司(
jb5638)だった。トラックの振動とは違う、別の振動がいつの間にか地面から伝わってきていた。隣を見やると、並走していた織宮 歌乃(
jb5789)が必死にハンドルを押さえている。どうやら振動にタイヤを取られているようだ。
「歌乃さん……!!」
そうしたところでどうしようも無いのだが、司が思わず歌乃の運転するトラックに車体を寄せた瞬間、彼女のトラックの真下の道路が盛り上がり、そこから生えた巨大な鎖がトラックを持ち上げた。
否、地中から現れた巨大なムカデが、歌乃の運転するトラックの運転するトラックを咥え上げたのだ。
「だあああああっ!」
「うわぁ!」
その勢いで、荷台の縁に座っていたラファルは地面に投げ出され、和國は傾いた荷台の上で何とか踏ん張る。
ギギギギギギギッ
大ムカデ型ディアボロ『黒鎖』の牙が、ニッパーの如くゆっくりとトラックを両断していく。
「こ、このっ!」
和國が思わず忍刀をその顔面に突き立てたが、黒鎖はそれを意に介した様子も無く、牙に更なる力を込めた。
「もう駄目です。脱出しましょう!」
そう言って運転席から飛び降りた歌乃が、タッと軽い足音をたてて優雅に着地した。遅れて、真っ二つにされたトラックが地面に激突し、無事脱出に成功した和國も、音も無く地面に降りてきた。
「な、何がムカデの40倍だ! 20メートル近くあるじゃねえか!」
口いっぱいに詰まった資源ゴミを租借する黒鎖を見上げながら、ラファルが怒鳴った。
ちなみに世界最大級のムカデは40センチメートル級のものが存在する。それの40倍ともなれば16メートルに達するのである。が、依頼文の記載不足であることは否定できない。ご、ごめんなさい。
「早く! こっちに乗りな!」
戻ってきた司の運転するトラックの荷台からアサニエルが手を振り、歌乃、和國、ラファルの3名が素早く乗り込む。
資源ゴミを食べ終えた黒鎖は、威嚇するようにガチガチと牙を鳴らしていたが、やがて和國めがけて襲いかかってきた。
その瞬間にトラックも発進。黒鎖の牙は荷台を掠めて、地面に突き刺ささった。トラックが急発進したため、嵐澄のカツラが持ち主の頭を離れ飛んでいったが、取りに戻る余裕は無い。
黒鎖はそのまま全身を削岩機のようにねじりながら、ゆっくりと地面に潜っていく。そして、地中を物凄いスピードで進んでいる証左である地響きがトラックを追ってきた。
「また、地中から来ます!」
「わかった!」
歌乃の指示を受けて、司が右に左にハンドルを切る。そのたびに、数瞬前までトラックがいた場所から黒鎖が突上げるように現れ、また地中へと消える。
「さァて、おにーさんも仕事するかァ!」
いつものクセか、すでに無いカツラを取り去る仕草をして、嵐澄が立ちあがる。
「そうですね。もう必要無いかも知れませんが……」
そう言って、和國も立ち上がった。
彼らの役目は挑発。目標である脳味噌型サーバントまで黒鎖を誘導するための囮である。
「では改めて……鬼ごっこ開始です!」
大仰なポーズを取りながら、和國が見栄を張る。それを見てさらに興奮した黒鎖はトラックを、いや、それに乗った和國を、よだれのように毒を撒き散らしながら今まで以上の勢いで追い始める。
「ほらほらこっちだよォ〜」
嵐澄が挑発するようにゴミ袋から取り出したレタスやキャベツ等、手頃な投げやすい野菜を黒鎖の顔面に投げつけていく。
「面白そうなことしてるじゃないか。あたしも混ぜなよ」
そう言って、アサニエルが護符から光球を生み出し、黒鎖にぶつけて刺激する。
怒り狂った黒鎖は地面に深く潜ると、そのまま出てこなくなり、地響きも止んだ。
「何だ、逃げちまったか?」
ラファルの目算は、無論、すぐにはずれることになる。
またすぐ地響きが起こったかと思うと、トラックの真下では無く、前方に黒鎖が現れたのだ!
「くっ!」
司が慌ててハンドルを切って黒鎖をかわすが、その勢いでトラックが横転してしまう。ゴミと撃退士達が地面にぶちまけられ、地面から半身を出した黒鎖がかま首をもたげて彼らを見渡した。
「ほらほら! こっちですよ!」
全く別の方向から、ガンガンという金属を打ち合わせる音と共に、少年の叫び声が聞こえた。
声のする方角には、別働隊として行動していた鈴代 征治(
ja1305)が盾と銃底を打ち合わせて音を鳴らしている。
「ふう。忘れられてるんじゃないかと、少し不安でしたよ」
征治は小声で一人ごちた。
派手な音をたてる征治に惹き寄せられるようにして、黒鎖が目標を征治に定める。
「皆さん、あとは僕にまかせてください!」
そう言って、征治は一目散に逃げ出した。黒鎖もそれを追う。
足下から、もしくは頭上から黒鎖の牙が征治に襲いかかる。征治は全身を舐め回すような殺気をアテに、右に、左に跳んで、それをかわす。
しかし、それも長くは続かない。黒鎖が長い体を生かして、全身を使って征治を取り囲んだのだ。
征治は跳躍して黒鎖の太い胴を飛び越えようとしたが、彼の体が宙に浮いた一瞬に、黒鎖の頭がぶつかってきた。
「うわっ!」
地面に叩きつけられた征治は面白いように跳ねて、ビルの壁面に激突した。
すぐに立ちあがろうとした征治だったが、目眩に襲われ、両手両膝をつく。魔装の隙間からぬらぬらと流れる赤い血に混じって、青色の液体が垂れ、地面に紫色の染みが生まれた。
(毒を、受けた……)
冷静に分析するが動けない征治を、黒鎖の顔が覗きこむ。朦朧とする意識の中でも、黒鎖の牙と牙が打ち合わされ、牙にこびりついた金属片が火花を起こす様子がはっきりと見て取れた。
(これは、まずい、ですね……)
霞む視界に、黒鎖の牙が迫る。征治は最悪の状況すら覚悟した。
――救世主は、意外な方向から降り注いだ。
真っ白い光線が奔ったかと思うと、それを受けた黒鎖の外甲が真っ赤に赤熱した。
「!!」
黒鎖が声なき悲鳴をあげて身悶えし、周囲に焦げ臭い悪臭が漂う。その様子はまさに、虫メガネで収束された太陽光に焼かれるムカデそのものだった。
「ああ、ギリギリ射程内でしたか……よかった」
征治が街で一際巨大なビルを見上げた。そこの頂点から、巨大な脳味噌が白い光線を今も止むことなく照射し続けていた。
「しかし、安心もしていられませんね……」
黒鎖は見境なく暴れているし、降り注ぐ光線の熱波は肌をチリチリと焼いている。動けない征治は、このままでは黒鎖の下敷きになるか、黒鎖ごと目玉焼きにされるかだ。
嫌な想像に身震いした征治を、猛スピードで走り寄ってきた人影がかっさらう。先ほどまで征治が倒れていた位置に、黒鎖が倒れ込んだ。
「ヒュー、間一髪だったな」
小さな体で、一回り大きな征治をお姫様抱っこしたラファルが口笛を吹いて笑う。
続いて、倒れた黒鎖の周囲に無数の輝く鎖が顕現し、黒鎖を縛り上げる。
「それじゃあ大人しくしてもらおうか。拒否権はないけどね」
鎖を放った張本人であるアサニエルが姿を現し、彼女は黒鎖に背を向けると、テキパキと征治の手当てをはじめた。
「ありがとう、ございます、助かりました……」
絶え絶えな息を落ちつかせながら、地面に降ろされた征治が二人に礼を言った。
他の撃退士達も続々と合流する中、黒鎖に異変が起きた。赤熱した外甲がひび割れ、そこから無数のムカデが飛び出してきたのだ。ムカデ達は気まぐれで、果敢に撃退士達に向かってくるものもいれば、暗がりに逃げ込むもの、出てきたはいいが、その場でじっとしているものまでいる。
「何と禍々しい……」
思わず口元を着物で覆いながら呟いた歌乃だったが、気を取り直して、アウルを緋色の獅子へと変化させ解き放つ。緋獅子は紅の残像を描いて疾駆すると、焔の牙と爪を以てムカデ達を刈り取っていく。
「…うーん、正直踏み潰してったほうが早いかもォ」
愛用の銃を掃射してムカデを蹴散らしながら、嵐澄がボヤいた。
「というより、足の踏み場が無くなってきてるんですけど〜」
黒鎖に胡蝶を仕掛けた後は、ひたすら刀を振るってムカデを掃討していた和國も同意するようにボヤく。実際、足下はすでに真っ黒なムカデだらけで、彼が足を動かすだけで足下からパキパキと外骨格の割れる音がした。
「今日一日で終わるんだろうか、これ」
司はため息をつきながら、銀の紋章を掲げる。孔雀の羽根が舞い上がり、ムカデ達を屠りながら、黒鎖にも襲いかかった。
サーバントにも動きがあった。絶え間無く照射していた熱光線が急に停止したかと思うと、熱光線を広範囲に薙ぎ払うようにして攻撃を再開した。
その一撃は多くのムカデ達を蒸発させたが、射線上にあったマンションをもバターのように溶断し、和國と嵐澄の足下すら掠めていった。
「うわっ、あ、危ないですね!」
「やっぱり見境無しかよ、あいつ!」
和國と嵐澄が口々に文句を言うが、サーバントが聞き届けるわけも無く、熱光線による掃討作業を機械的に続けていく。
「はやく全滅させないと、街への被害が拡大してしまいます」
ふらつく足取りでムカデの掃討に加わった征治が、声に焦りをにじませる。
「いい加減にくたばれよ、こらああっ!」
ラファルは両腕の義手を一対の砲塔へと変形させ、片手に5門ずつ、合計10問の砲口を、地面で蠢くムカデ達に向け、斉射した。
爆炎と爆光が次々と瞬き、ムカデがそれに呑み込まれていく。圧倒的な破壊の連鎖は、黒鎖をも巻き込んで……
「!!」
黒鎖は断末魔を上げるかのように天を仰ぐと、そのまま自身を縛りつけていた鎖を引き千切りながら仰向けに倒れていく。
「やったか!?」
ラファルがガッツポーズし、他の撃退士達も一瞬だけ攻撃の手を止めて一息つき、サーバントは変わらず熱光線を降り注がせている。
その直後、黒鎖が跳ね起きるように蘇ると、一直線にサーバントの存在するビル目掛けて突っ込んでいった。
「死んだフリかよ!」
ラファルが怒鳴り
「くっ、逃がさないよ!」
アサニエルが再び鎖を放つが、すでに遅く、何も無い空間で鎖が絡み合い消えていく。
黒鎖はサーバントのビルに到達すると、銛のような足を打ち込みながら壁面を駆けあがる。あっという間に60階建てのビルの頂上に辿りついた黒鎖は、その長大な体をサーバントに絡みつかせた。
「何て言えばいいか、凄い光景だね」
黒鎖を追いかけながら、大ムカデの絡みついた巨大な脳という面妖なオブジェクトを見上げた司がポツリと呟いた。
が、凄惨たる光景はここからだった。
黒鎖はサーバントに牙を突き立てると、そのまま頭を潜り込ませる。サーバントも血管を伸ばして抵抗するが、黒鎖の甲殻を貫くには、あまりにもか細い。
グチュリという生々しい音をたてて、黒鎖の頭がサーバントを貫通して現れた。その牙には太い血管によって繋がれたサーバントの心臓がくわえこまれている。黒鎖はそれを一息に握りつぶすと、弾けた心臓から血液がシャワーのように降り注ぎ、街を赤く塗り変えていった。
絶命したサーバントは屋上へと落ち、ビルから垂れ下がるようにして動かなくなった。
「ちくしょう、サーバントが!」
嵐澄が絶望したように天を仰ぐ。だが、黒鎖も限界だったらしい、サーバントに食い込んでいた脚の力が弱まってゆき、地面に落ちる。
止めを刺すなら、今をもって他に無い。
黒鎖に真っ先に追いついた歌乃はそう判断し、弓に矢をつがえた。
「幾ら外殻が硬くとも、内側からの毒の血には抗えますか?」
鮮やかな赤を帯びた矢が、黒鎖の外甲と外甲の隙間に突き刺さる。黒鎖にとっては何でもない一撃だったが、矢には呪いが込められていた。呪詛が毒の如く黒鎖の体内で暴れ回り、黒鎖はたまらず地中へと逃げ込んだ。
「やったのか?」
他の撃退士達も追いつき、代表して司が尋ねる。
「いえ、手ごたえはありましたが、まだ……」
歌乃はそう答えたが、黒鎖が再び地上に現れる気配は無い。周辺で小さなムカデがキチキチと牙を鳴らしている点を除けば、静かすぎた。
「どうやら、逃げられたようですね」
征治が無念そうに言った。
「くそーっ! チキン野郎め、でてこいーっ!」
ラファルが黒鎖が消えた穴に向かって叫ぶ。
「やれやれ、当分はB級映画は見ないことにするよ」
アサニエルが黒鎖とサーバントの激戦の様子を思い出し、肩をすくめながらため息をついた。
「ほらほら、皆、気ぃ取り直せ。まだムカデの掃除が残ってるよ! 働いた働いた」
嵐澄が手を叩いて全員をまとめあげる。
「早く帰ってシャワー浴びたいです…」
全員がフラフラ動き出す中、和國のマイペースな呟きがやけに大きく聞こえた。
●
街から遠く離れた場所で、黒鎖は地中から姿を現した。主から決して癒えぬ飢えを植え付けられ、本能のままにあらゆるものを貪り食ってきた彼が、今、感じているものは渇きだった。今も全身を焼くような毒を癒したい。その一心で、黒鎖は近くを流れる川に頭を突っ込んだ。
――マダ タリナイ
黒鎖はその長い全身を川へと浸した。それでも癒されぬ飢えと渇きの中、黒鎖は窒息して死んだ。
だが、その死骸は川の水をせき止め、ある街には多大な水害を、ある街には干害を引き起こしたという。
人類の資源消耗のため生みだされたディアボロは、死してなおその役目を果たしたと言える。