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鬱蒼と茂る森の中、腐った落ち葉の匂いがする土を踏みしめ、撃退士達はディアボロの卵が鎮座する森まで辿りついた。
「わぁ、ほんとだ、おっきな卵があるよ」
先行して進み、卵を見つけ出した犬乃 さんぽ(
ja1272)が第一声をあげる。
彼が示す先には、半透明の殻に覆われた乳白色の卵があった。
九鬼 紫乃(
jb6923)は自身の身長よりも頭一つ分は大きい卵に駆け寄ると、携帯用の照明器具で卵の内部を照らしながら調査を開始する。
「ふぅん、見た目は聞いていた情報と同じね」
乳白色の殻の奥では、幼児の顔をした芋虫が蠢いており、光を当てられて眩しいのか、その目を細めていた。
「光は目で感知していて、苦手なようです……」
興味深そうに調査を続ける紫乃とは裏腹に、Viena・S・Tola(
jb2720)は淡々と観察結果をメモ帳に記していく。
「ふっ……こいつはグロテスクなバッドボーイだぜ」
その後ろでは命図 泣留男(
jb4611)通称・メンナクが、観察結果もとい単なる感想を口にしていた。
「そろそろ僕の出番かな?」
紫乃達の調査がひと段落したところで、離れたところでそれを見ていた佐藤 としお(
ja2489)が銃をかざしながら声をかけた。
「そうね、お願いするわ」
「オーケー、離れていてよ」
紫乃達が卵から離れたのを確認し、としおはかけていた黒縁の眼鏡を宙へと放り上げた。としおの黄金の光纏が龍の姿を成し、吼える。
としおは銃を構えると、引き金を引いた。
アウルの弾丸が黄金色の軌跡を描き、乳白色の卵へと着弾する。
ピギャアアアッ!!
毒液を撒き散らしながら卵が爆散し、そこから誕生したディアボロが産声をあげた。
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「文字通りの幼虫ですね。いや、可愛げは微塵もねーんですけど」
ジェイニー・サックストン(
ja3784)が、ショットガンで肩を叩きながら感想を述べる。その隣を風のように駆け抜け、通り過ぎた高虎 寧(
ja0416)が輝く槍を振り上げた。
「まずは先制攻撃です。これでどうですか?」
素早く振り抜かれた槍の穂先が、芋虫の両目を真一文字に斬り裂く。さらに、その剣閃からは黒い霧が噴き出し、視界を闇に染めた。
誕生してすぐに視覚を閉ざされたディアボロはパニック状態になって暴れ回る。まだ体に付着していたわずかな毒液が飛び散り、それに触れた植物がみるみるうちに枯れていく。
「なるほど、毒液の強さは情報通りですね……もう少し大人しくして頂けると、調査もはかどるのですが……」
闇の翼を広げ、空から観察を続けていたVienaが呟き、それを聞きつけたさんぽが「まかせといて!」と飛び出した。
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング! 芋虫だってパラライズ☆」
刀を振りかざし、その先に収束させた真紅の雷光をディアボロ目掛けて解き放つ!
赤い稲妻に打たれたディアボロは、一瞬だけビクンと跳ねた後、ピクピクと痙攣して動かなくなる。
「物理、魔法それぞれは試したって聞いたけど、状態異常はやったって聞かないもん」
「そうですね。このまま状態異常漬けにしてしまいましょう」
言いながら、紫乃は幻惑術を放ち、ディアボロの五感を奪っていく。
「しかし、こやつは状態異常がよく効くのう」
ディアボロを槍で突き刺しながら、テス=エイキャトルス(
jb4109)が半ば呆れたように言った。
彼女の言う通り、視力を失い、全身を痺れさせ、方向感覚まで狂わされたディアボロは、すでに死骸の如く地面に転がっていた。
さらには、さんぽが自らの影でディアボロを縛り上げてしまうと、いよいよその姿は芋虫の標本じみてきた。
「毒とかは効くんでしょうか……」
淡々としながらもどこか生き生きとして見えるVienaの放つ毒蛇が、次々とディアボロに牙を突き立てていく。
「次は熱してみましょうか」
続いて紫乃が火球でじりじりと炙っていく。
状態異常を得意とするこの二人主導で実験は続いた。
それを補佐するように、テスやメンナクが魔法、物理、どちらかの攻撃が偏らないように均等に攻撃を仕掛けていた。
「どちらかに偏らせてしまうと、すでに情報のある蛾やムカデに化けてしまうからのう」
「オーケー、今日の伊達ワルはサポートに徹するぜ!」
また、としおはディアボロの額にマーキング弾と酸弾を撃ち込んだ後は、火炎放射機を取り出し
「ヒ、ヒャッハー」
律儀にも取説通りに奇声をあげながら、ディアボロを丸焼きにしていた。
そして他の面々はと言うと、いずれ現れるであろう強敵に備えて思い思いに待機していた。
「幼虫の段階で倒してしまうと減点らしいですから、うちらはしばらく様子見ということで」
はんなりとした口調だったが、寧は何かあればいつでも動けるよう隙無く槍を構えていた。
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実験開始から3分が経過した。
ピギャアアッ!!
大人しかったディアボロが急に甲高い叫び声をあげたかと思うと、束縛を解き放ち、口から吐き出す糸で自身をくるみはじめた。
繭を造りはじめたのだ。
「すごい! 自然の神秘ってやつだね!」
「そもそも自然物じゃないわよ、さんぽちゃん」
自由研究中の夏休みの少年のように目を輝かせたさんぽに、紫乃がからかうようにツッコミを入れる。
そんなやり取りの間に、ディアボロは見事な繭を造りあげていた。純白に輝く球体は、全高4メートルの卵型。発見時が人間の身長よりやや高いくらいだったことを考えると、いつの間にか倍以上になっている。
「これはこれで、ディアボロの神秘とは呼べるかも知れねーですけど……」
今まで実験を見守っていたジェイニーが動きだし、おもむろにショットガンの銃口を繭に向けるとそのままトリガーを引いた。轟音と共に飛び散った散弾は、しかし弾力性のある繭に沈むようにして受け止められた。
「なるほど。頑丈さは情報通りってやつですね」
言いながら、ジェイニーはショットガンをしまうと、斧を使って器用に繭の表面を削ぎ取って糸を採取する。Vienaが興味深そうにそれを覗きこみ、ジェイニーに触れさせてもらう。
「……! 皆さん、繭が!」
ディアボロを注視していた寧が警告を発した。
見ると、繭の天頂が裂け始めていた。まるで、卵が割れるように。
「急がねえと……愛した女たちの情念が晩秋の陽炎となるのさ」
独創的な詠唱で、メンナクはテスに輝く刻印を打ちこむ。
「ありがたい。しかし珍妙な詠唱じゃのう」
テスが微妙な顔で礼を言った。珍妙でも何でも、抵抗力を上昇させるれっきとした聖刻である。
そうこうしている間に、繭に入ったひび割れは、それを縦一文字に裂いていた。その裂け目から目に染みるような悪臭が噴き出し、撃退士達は慌てて後方へと跳び退いた。
「蛾とかムカデとかハズレは嫌だけど、大当たりもある意味嫌な気がしてきた……」
としおのその悪寒は……的中する。
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きっかけとなったのはVienaが蟲毒で与えた毒だった。
元来、強力な毒を持つディアボロは、その上でさらに与えられた毒に耐えきれず、その身を溶かしてしまっていた。
その姿はまるで――
「な、何ですか、この野郎は?」
耐えがたい悪臭を放つ紫色の粘液の塊、としか形容できない巨大なディアボロを斧で指し、鼻をつまんだジェイニーが呻いた。
「これは……ナメクジではないでしょうか」
最も遠くでディアボロを視認した寧が「恐らく」と前置きして言った。
そう。ディアボロの姿は、巨大なナメクジそのものだった。ただ唯一、普通のナメクジと違う点、ドロドロに溶けた粘液の隙間から醜い男の顔が浮かび、不気味な笑い声をあげる。
ははははは ははははは――
無機質な笑いだった。
「な、ナメクジって虫なの?」
「せ、生物学上は虫です……」
素朴な疑問をあげるさんぽに、Vienaがうっすらと冷や汗を流しながら答える。
その不気味すぎる姿に動揺する撃退士達をよそに、ついにディアボロがゆっくりと動き出す。自らの体の一部を切り離し、撃ち出したのだ。
「うわっぷ!」
放物線を描き飛来する肉片を、頭から被ってしまったとしおは、毒に侵され悶絶する。それだけでは無い。としおの立っていた地面すら、ドロドロに溶け始めていた。アウルの加護が無ければ、自分も溶かされていたであろうことを想像して戦慄した。
「こんなやつが、もし人里にまで降りたら……!」
としおのその言葉に我に返った撃退士達は、姿を変えたディアボロに攻撃を開始する。
「まさかナメクジとは。塩でも持ってくればよかったのう」
冗談とも本気ともつかない口調で呟きながら、テスが飛び上がり、不可視の弾丸をディアボロに叩きこみ
「動きは鈍重そうです。これなら……!」
寧が疾風の如き体さばきでディアボロの側面に回りこむと槍で一撃を加え
「ほらほら、こっちだよ!」
さんぽがスポットライトをまとってディアボロを挑発する。
だが、これらの攻撃にも、挑発にも、ディアボロは動じた様子がなく、笑い続けている。
ははははは ははははは――
「その笑い声、悲鳴に変えてやるです」
続けて攻撃を仕掛けようとしたジェイニーを「ちょっと待った」とメンナクが制する。
そして、例の詠唱と共に、ジェイニーに聖刻の加護を与えた。
「すまねーです。ツッコミについては、この戦いが終わってからさせてもらいてーですが」
そう言って、今度こそジェイニーが飛び出す。
引き金を引いてショットガンを発砲。散弾を受けてディアボロの体が大きくえぐれたが、その傷口を埋めるように全身の粘液が流れ出し、元の姿を取り戻していく。
「再生能力、ですか……」
「Vienaさん、もう一度、状態異常を試してみましょう」
紫乃の提案に頷いたVienaが、火球を発生させディアボロを包み込むが、ディアボロは熱障害を受けた様子も無い。
「状態異常の耐性も上がっているのかしら……」
紫乃が小首を傾げ、Vienaは無言で記録を取り続ける。
ディアボロも、以前のようにされるがままではない。全身に無数の穴を開けたかと思うと、プシューという風船から空気が抜けるような音と共に、有毒ガスを噴き出した。
「うわわっ」
挑発しながら木々を跳び回っていたさんぽが、目と鼻に強烈な刺激を受けて落っこちた。飛行していたテスやVienaですら例外では無く、皆、手のひらや腕で顔面を覆っていた。
「今さら、こんなものっ!」
唯一、すでに毒に侵されていたとしおが、毒ガスをかき分けるようにしてディアボロに接近した。
霧状になったガスで視界は悪くなっていたが、幼虫時代に付着させておいたマーキングを頼りに銃弾を放つ。
ははははは ははっ
絶え間なく続いていたディアボロの笑い声が、不意に途切れた。としおの放った弾丸が、顔面を貫いたのだ。
「やったか!?」
やがて毒霧が晴れ、ディアボロの姿が露わになる。ディアボロの顔面は、額に大きく開けた黒穴から紫色の血を垂らし、目は白目を剥いていた。
そして、そのままの状態で――
は、ははははは ははははは――
再び、笑いだす。
「うわっ、キモさが増しちゃった!」
としおが後悔したように叫ぶ。
「けど、今までと違う結果が得られたのは確かよ。このまま顔に攻撃を集中させましょう」
紫乃の提案に、全員が異論無く頷き返す。
撃退士達は総攻撃を開始するが、ディアボロは周囲に毒液を撒き散らすことで、彼らを近寄らせない。
そして、毒液の雨が止んだ後、Vienaがぽつりと呟く。
「さっきの攻撃、本体の周囲には毒液が届いていないみたいですね……」
彼女の指摘する通りだった。
地面のほとんどが毒液で濡れているにも関わらず、ディアボロの周辺だけ毒液がかかっていない。
それを聞いたジェイニーが、機会を伺う。
「つまり、やつの周囲は安全地帯ってわけですね」
チャンスはすぐに来た。ディアボロが再度、毒液を周囲にばら撒きはじめたのだ。その瞬間にジェイニーは駆けだし、頭上を過ぎる毒液をくぐり抜け、ついでに紫乃に降りかかろうとしていた毒液も撃ち落とし、ディアボロへと肉薄。笑い続けるディアボロの口腔にショットガンを突き入れた。
「モゴッ」というくぐもった声と共に、ディアボロの笑い声が止まる。
「約束です。その笑い声、消してあげます」
ジェイニーが引き金を引き、ディアボロの顔面が爆発した。
残響が、悲鳴の様にキィィィンと響きわたる。
粘液でできた胴体ならば、欠けた部分に新しい粘液を流し込むことで再生が効くが、皮膚や骨格のある顔面部分の再生は不可能のようだった。
ディアボロが笑うことは、もう二度と無かった。が……
「えっ、まだ動くの!?」
さんぽが驚きの声をあげる。
そう、顔面を失ったディアボロは、それでも動き続けていた。全身に穴を生み出し、再び毒ガスの体勢をとる。
「こうなれば、ただの大きなナメクジです。恐れることはありません」
メンナクに傷を癒してもらっていた寧が隼の如く駆け、槍でディアボロの体を地面に縫いつける。
「その通りじゃ」
攻撃行動を中断させられたディアボロに、テスの不可視の一撃が襲いかかった。
まるで狼の牙が獲物をを食い荒らすかの如く、ディアボロの体がバリバリと削り取られていく。
「ナメクジ如きが、狼に逆らおうとしたのが間違いなのじゃ」
そう言って、テスが「かかか」と笑った。
狼に食い散らかされたディアボロが崩れ落ち、今度こそ、もう二度と動き出すことは無かった。
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「この俺の放つ輝きで、お前の身も心もとろかせてやるぜ!」
何故かジャケットの前を開いたメンナクから放たれる優しい光が、Vienaを癒していく。
「あ、ありがとうございます……」
言い淀みながらVienaが礼を述べ、メンナクも「いいってことよ」とクールに返す。
「けど、これで毒が癒えるわけでは無いですから。急いで学園に戻って治療してもらいましょう」
毒が回ってきているのか、気だるそうに寧が言った。
「それが終われば、レポートの提出じゃのう」
テスが「やれやれ」と言った調子で、肩を叩きながら言う。
「じゃ、とりあえず帰りますか」
としおの号令で、全員が帰路につく。が、突如振り返ったさんぽが疑問の声をあげた。
「ねぇ、あれどうするの?」
彼が指さした「あれ」とはディアボロの死骸である。紫色の粘液が小さな泉のように横たわっていた。
「確かに。あのまま放置しておくと、森に悪そうですね」
ジェイニーがそう言って肩をすくめた。
紫乃はため息をついて、ディアボロの死骸につかつかと歩み寄ると、その上に一冊のノートを投げ落とした。それは、事の発端となった科学者の研究ノートだった。
「とりあえず、燃やしましょうか」
ノートの上に火のついたマッチを落とし、さらに手のひらから生み出した火球を死骸にそっと投げ落とす。
名も無き研究者の生涯が、真っ白な灰となり消えていった。