「どうか、お気を付けて……!」
トンネルに続く道の端で、警官が敬礼した。
彼の通報でやって来た撃退士達は、道を封鎖している彼を見て痛々しさを感じていた。目の前で知人が天魔に襲われたのだ。その恐怖や衝撃はいかほどのものだっただろう。しかし彼はそのショックを押し隠して、今自分に出来ることをしようとしていた。
彼のために、そしてこれ以上犠牲者を出さないためにも、撃退士達は必ず天魔を仕留めることを誓い、天魔の潜んでいるトンネルへと進んで行く。
まだ敬礼を解かない警官をチラリと肩ごしに振り返った赤槻 空也(
ja0813)は、胸に静かな怒りの黒炎を燃え上がらせていた。それとともにまだ早いにも関わらず、顔の左半分にある黒い斑から光纏を示す赤いオーラが出ている。
(言っちゃワリーがアンタの先輩、生きてねーよ。……気持ちぁ分かるさ。俺も生き残っちまった側だからな。だから……)
身近な者の死の痛みを、彼は知っていた。額に巻いた白い鉢巻がその証だ。
「カタキ取らせて貰うぜェ……クソ天魔ッ! 覚悟は良いよなァ……ッ!」
無意識の内に声に出してしまったのも気づかない程、彼の心は天魔への憎悪に燃えていた。
赤槻と一緒に歩いている灰里(
jb0825)も、同じ心境だった。
「天魔め……人を害そうというなら、たとえ何であろうが、狩り尽くす」
彼女にとって天魔は唾棄すべきもの。排除することに欠片ほどの迷いもない。
「トンネル内を根城にしているヒヒ型天魔、か。目撃されているのは一体だけだけど、実際には複数体潜んでる可能性もあるわよね? ――気を引き締めてかからないと……」
巫 聖羅(
ja3916)は二人より落ち着いた物言いだったが、怒りを表に出していないだけで、天魔を倒したいという気持ちの強さは彼らと同じだった。
だんだんトンネルが近づいて来た。妙に中が暗く見えるのは気のせいではないだろう。側には壊れた車と原付バイクが放置されたままだった。
「まさに『如何にも』って感じのトンネルね」
赤槻と灰里の一歩後ろから巫が言った。
「手狭で動きが制限される上、視界も悪いわ。皆、天魔からの奇襲や同士討ちに気を付けてね」
「おう、挟むツモリが挟まれたとか笑えねーからな……」
入口手前で灰里が二人を止める。
「少し待ってください。中を確認します」
スキル『夜の番人』を使用し、トンネル内の様子を見た。
トンネルの中程に巨大なヒヒが陣取っている。まだこちらには気づいていない。天魔はそれ一匹のようだった。その壁際に何かこんもりしたものがあって、サーバントは時折それにかがみこんだりしていた。
それはまさか、犠牲になった人達ではないだろうか――。
そう悟った時、灰里の中に言いようのない憤怒が湧き上がった。今すぐ天魔を葬り去りたい思いに駆られながらも、己を抑える。
「中には天魔が一匹だけのようです。向こうの班にも連絡します」
灰里は携帯を手にした。
天魔を挟み撃ちするために、三人の撃退士は赤槻達とは反対側のトンネルへ続く道に来ていた。
こちら側にも警官が二人立ち、道路を封鎖している。警官達は天魔を目撃した話を本人から聞いて、すっかり怯えていた。普通の人間である彼らならそれも無理からぬことだが。
「ボク達が必ず倒しますから」
犬耳と尻尾が特徴的なアッシュ・スードニム(
jb3145)が、頼もしく拳で軽く胸を叩いた。両隣にいる長身の九 四郎(
jb4076)と姫咲 翼(
jb2064)も同じ決意でうなずく。
警官達は彼らに望みを託し、敬礼するのだった。
トンネルの入口付近までやってくると、三人は足を止めた。
アッシュが戦い前の祈りのようなものを小さく口ずさんでいた。
「被害者に安らぎを、警官には敬意を、害なす獣には鉄槌を……amen」
「絶対に負けねえ!」
姫咲も気合をみなぎらせている。
その時、九の携帯が震えた。灰里からの連絡で、敵はトンネル中程に一匹だけということだった。
「了解っす。こっちもトンネルへ突入するッす」
連絡後、巫は光纏し阻霊符を発動した。もし敵が隠れているのだったら、これで出てくるだろう。
注意深く辺りを見回すが何も現れる様子はなく、サーバントはやはり中の一体だけのようだった。それから『トワイライト』で光源を作り出し、いよいよトンネル内部へ入った。
赤槻は全神経を使って用心しつつ構えながら進み、灰里は暗闇の中へと潜行する。
入ってすぐに異臭が皆の鼻をついた。
「――この臭いは……!」
巫が顔をしかめる。モノが腐ったような薬品のような、形容し難い悪臭だった。
「……来いよクソヤロー……テメーらの好きなヒトサマの臭いだぜェ……ッ!」
赤槻のつぶやきも、トンネルの中では響いて聞こえる。光の向こうの影――サーバントに違いない――が動きを止めた。
ヒヒは自分以外の存在に気づき、警戒しているようだ。光に刺激されたのか、何の前触れもなく巫に飛び掛かって来た。
「!」
「危ねえッ!」
赤槻がヒヒの伸ばした腕に掌打を食らわす。狙いが外れてヒヒが怒ったところに、背後に回った灰里がエクスキューショナーを足へ振り下ろした。最初から彼女は様子見や手加減などしない。このまま断ち切るつもりで攻撃した。
『ムキィイ!』
切断するまでには至らなかったが、赤い刃は腿に食い込む。
怒りに任せヒヒの太い腕が振り回された。しかし闇に紛れた灰里を捉えることはできなかった。
「悪いわね、助かった」
巫は赤槻に感謝の視線を送りながらヒヒと距離を取り、『セルフエンチャント』を使用した。
「始まったっすよ!」
反対側から歩を進めていた九が同行者二人に言って駆け出した。
姫咲は召喚獣を呼び出すため、呪文を詠唱する。
「蒼鱗の隠者―――汝の力は我が剣に、我は汝の杖手繰りし者!! 契約の印を以て抑止の輪より来たれ――Set! 蒼! お前の力を借してくれ!」
名を呼ぶと同時に、虚空から青い鱗の龍が現れた。
姫咲は蒼をトンネル出口を塞ぐように待機させ、自身は星煌を持ってヒヒに向かって行った。
鮮やかなオレンジ色の毛並みをしたヒヒは、自分よりも体長が大きい九を見て敵愾心を煽られたようだった。
『ムキキキィーッ!!』
九に威嚇の声を上げ、ジャンプする。
「ぅおっと!」
九はレヴィアタンの鎖鞭を振るい、ヒヒを叩き落とした。まるで猿を躾けている調教師のようだ。さらにその胴体に鞭を巻きつけ縛り上げる。
「自由に戦わせないっすよ!」
『ウキキーッ!!』
鞭を掴み逆に九を引き寄せようとしているサーバントの手首に、アッシュのチタンワイヤーが絡み付いた。
アッシュはヒヒの腕を引っ張るが、ビクともしない。
「ボクの力じゃ無理か」
ヒヒは苛立たしげに腕を振りアッシュを体ごと放った。――はずだったが、アッシュはするりとワイヤーを天魔の手首から外し、放られた勢いで身軽にその背中に取り付いた。そして今度はヒヒの首を力一杯締め付ける。
『ムキッ……!』
「そのニヤケ面、ブッタ斬ってやるぞエテ公!!」
姫咲が飛び上がり動きの鈍ったヒヒの顔に斬り付け、
「テメーが殺したヒト皆よぉ……帰り待ってるヒトいたんだぜ……それを……テメーはエンマ様が待ってるぜッ! 地獄行き覚悟いいかぁああッッ!!」
赤槻の黒髪が朱色に、瞳は金に染まる。怒りの激情を込めたエルボーを胸にお見舞いした。
『ヴキッ……!!』
その時『トワイライト』の光が弱くなり、消えた。辺りが暗闇に包まれる。光に目が慣れていたため、皆の視力が一瞬利かなくなった。
「!!」
「蒼、『防御効果』だ!」
咄嗟に姫咲が叫び、味方の体が青くぼんやり発光した。その後、蒼は召喚される前に居た場所へと戻っていった。
撃退士達のわずかな隙をついて、ヒヒは強引に体を振り回す。
「わッ!」
アッシュは振り落とされ、九も引きずられそうになったので鎖鞭を解かざるを得なかった。
「ぐあッ!」
赤槻の痛みの声が聞こえた。
巫が再び『トワイライト』を使うと、ヒヒに腕を掴まれた赤槻の姿が。
天魔の死角から灰里が攻撃するも、殺気が察知されたのかジャンプでかわされ、ヒヒは壁を背にする位置に移動した。
「しょうがないわね、これでチャラよ!」
今度は自分が彼をフォローする番だ、と巫が烈風の忍術書を開いた。風の刃に腕の肉を切り裂かれ、ヒヒは赤槻を手離す。
「くッ……!」
赤槻は腕を押さえた。普通だったら折れていてもおかしくないはずだが、『防御効果』のおかげでダメージにはならずに済んだようだった。
天魔もじわじわ彼らの攻撃が効いてきているらしく、顔の傷や腕、腿から出血し毛を汚しているし、呼吸も苦しそうだ。
ヒヒは囲まれるのを嫌ったのか、少しずつ出口の方へ寄っていた。
外へ出すわけにはいかない、と皆が動こうとした時、サーバントはひどい悪臭のよだれを撒き散らしだした。
灰里はコートで肌を隠して防御する。
臭さはどうしようもなく、煙用のマスクを常に持っている灰里以外の者は我慢するしかなかった。
「つッ!」
近くにいた赤槻は防御したが露出した腕によだれが飛び、火傷のようになってしまった。
姫咲も回避したがこの狭いトンネルでは全ては避けきれず、足に火傷してしまう。
皆が怯んだ瞬間、ヒヒは出口へとジャンプしようとした。
「そうはいかないっす!」
九が鎖鞭を足元に打ち付ける。
天魔は自分の邪魔をする九に掴みかかった。それをギリギリでかわす九。獲物を掴み損ねたサーバントの手がコンクリートの壁を砕いた。その背中に鞭を打つ。
天魔はなおも九に向かって来る。武器の性能から言えば距離を取るのが無難だ。けれども九はあえて真正面から迎え撃とうと鞭を構えた。
(何だろう……)
九はもっと激しく打ち合いたいような、そんな衝動に突き動かされていた。ある種の高揚感にも似た、鼓動の高まり。もちろん天魔を討つことを第一に戦っているが、自分でも解っていない、敵を倒すことでしか見出すことのできない『何か』に魅せられているのかもしれなかった。
構えた九の脇を、ヒヒが過ぎて行った。狙いが逸れたのかと思った刹那、天魔は壁を蹴って急転換し、九の背中を引っ掻く。片足にダメージを負ったといえども、元々の瞬発力に加え壁を蹴ったスピードも加わって、九は避けられなかった。
「やったっすね……!」
一矢報いてにやりと笑うように牙を見せたヒヒに、九は負けじと鎖鞭を振り上げた。
サーバントの後方から鎖鞭に持ち替えた灰里が、九の攻撃と合わせて鞭を振るう。
九に集中していたヒヒはそれに気付かなかった。
灰里の気迫のこもった鞭が片足に巻き付き、九の鞭が片腕と胴体を一緒に縛り上げた。
「アディ!」
アッシュが二枚の翼を持つ馬のような召喚獣を呼び出した。
「尊敬すべき警官を殺したキミは許さないよ」
襲われた警官は死の間際でも他人の身を案じていた。彼女自身もそんな人間になりたいと思う尊敬に値する人を殺した罪は、万死に値する。
「ファイア!」
アディと呼ばれた召喚獣は、彼女の怒りに呼応し強力な一撃を繰り出した。
その一撃はヒヒの肺から空気を奪い取った。
「招かれざる客には一刻も早く退場して貰いましょう。――不浄なる者よ……灼熱の業火に焼かれて滅せよ!!」
巫の眼前に彼女の真紅のオーラと同じ赤い炎の塊が出現し、サーバントを襲った。
炎がヒヒの体を焦がす。
『ウキイィ!』
灰里がヒヒの足を捉えていた鞭を解き、火からわずかに身を引いた。嫌悪感が沸き上がる。トラウマとも言える過去の体験から、たとえ味方の天魔を倒すための炎だと解っていても、この嫌悪感を消すことはできなかった。
九が『吸魂符』の術で追撃する。
「魂までいただくっすよ!」
ヒヒに魂を吸われるかのようなダメージを与え、その分自分のダメージも回復した。
サーバントは苦痛から逃れようと暴れだしたが、もはやその攻撃に鋭さはなかった。
赤槻に突き出された拳は簡単にアッパーで上に弾かれる。赤槻は自分の手に気を集中させ、
「エテ公モドキたぁ……持ってるココが違ぇんだよッ! あの世までブッ飛べよッ!」
よろけたヒヒの腹に、全てを乗せた掌打をクリーンヒットさせた。
『ムギィッ……!!』
天魔は血とよだれの混じったものを吐き出した。
その巨体がぐらり、とかしいだかと思うと、人形のようにうつ伏せに倒れたまま、動かなくなった。
巫がトンネルを出た所で、火傷を負った赤槻と姫咲の応急手当をしていた。
「悪ィな」
包帯を巻いてもらった赤槻が言うと、巫はややツンとした顔で応える。
「これくらい別にいいわよ」
「あ……」
トンネルから出てきた灰里達に姫咲が気づいた。
トンネル内に遺棄されていた犠牲者の遺体や持ち物を運び出してきたのだ。
皆の手で丁寧に草の上に並べられる三人の遺体。サーバントにかなり弄ばれたのか、どの遺体も損壊が激しく、手足の骨は折れている。よだれを浴びた皮膚は醜くただれていたり、骨が露出している部分もあった。
「……俺ぁ喜べねーよ。ヒト死には……ずっと消えねェかんな」
ぽつりと、赤槻がつぶやいた。亡くなった彼らも無念だろうが、残された者の無念も続くことを思うと、彼の心は沈んだ。
巫も弔いの黙祷を捧げる。
「……いつかきっと仇は取るから。――今はどうか安らかに……」
天魔を倒しても、失われた命は二度と還らない。その事実を噛み締めながら、巫は天魔への怒りを新たにするのだった。
灰里は静かに、しかし今回の事件を経てより一層、天魔の討伐を固く誓う。
(全てを救うなんて傲慢なこと、言わない……。でも、私が奴らを狩って救える命があるなら、奴らを狩って狩って、狩り尽くす……)
全員で犠牲者の死を悼んだ。
そこへ、天魔に遭遇した警官がやって来て、おずおずと彼らに声をかけた。
「あの、遺族の方へ連絡しましたので、もうすぐで搬送の車両ともども到着すると思います」
「あ、貴方はあまり見ない方がいいかも」
アッシュが彼にはまだ刺激が強いだろうと察し、それ以上近寄らせないよう手で制する。
警官は一瞬ためらったが、
「先輩は……」
と尋ねてきた。
全員が一瞬押し黙り、でも彼は知るべきだと判断した巫が彼の前に立つ。
「……この人は立派に職務を果たした。私達はそう思うわ」
先輩警官の帽子を渡した。それを持つ彼の手が震え、こみ上げてくるものをこらえるような表情になった。
撃退士達が彼にかける言葉などあるはずもなく、天魔を倒したことがせめてもの慰めになることを祈るばかりだった。
やがて警官は顔を上げ、直立不動の姿勢で敬礼をした。
「ありがとうございました!」
このトンネルは以後ひっそりと『天魔トンネル』と呼ばれ、事件を知る町の人間は誰も近寄らなくなったということだ。