●皆の話
撃退士達と天使ラムライディは、ゆっくり話のできる空き部室の一つに集まった。
部屋の真ん中には大きめの机がひとつと、人数分の椅子がある。
「やあやあ、皆僕の依頼を受けてくれてありがとう〜♪」
ラムライディは椅子に座った全員に向かって大仰な身振りで言った。
「君の手助けしたいって言ったでしょ?」
星杜 焔(
ja5378)が柔らかく微笑む。垂れ気味の目元や顔立ちが優しそうな青年だ。
「まずは学園へようこそ、ラムライディさん。んー、ラムさんでいいですか?」
黒い髪に黒い瞳、黒いコートの間下 慈(
jb2391)も歓迎の印に愛称の伺いを立てると、
「別にいいよぉ。好きに呼んでくれたまえ」
ラムライディはあっさり承諾した。
「全員自己紹介しましょうか。僕は間下慈です」
間下は言い出した自分から名乗る。
焔と間下は以前の事件でツギハギ天使と会っていたため、ラムライディも二人の顔は知ってるはずだ。敵として対峙する分にはそれだけでもいいだろうが、今は違う。
こうして彼の依頼を受け手助けする相手としてなら、名前くらいはお互いに知っておいた方がいい。
「次は俺かな。星杜焔だよ」
「わたしは星杜藤花です。焔さんの妻です」
焔の隣、ゆるふわの髪と大きな緑の瞳の可愛らしい女性星杜 藤花(
ja0292)が、焔に続いた。
「雫です。今回はよろしくお願いします」
次に長い銀髪に赤い瞳の雫(
ja1894)がクールに挨拶。幼い少女のような外見とは裏腹に、妙に堂々とした雰囲気がある。
「私は木嶋藍です。力になれるか分からないけど……いえ、なりたいと思ってます」
木嶋 藍(
jb8679)が軽くラムライディに頭を下げると、長い青髪の間に現れた耳には、ピアスが見えた。
「最後はわたくしですね。わたくしはアンナマリと申します」
アンナマリ(
jb8814)は育ちの良さそうな(実際良い)愛らしい少女――なのだが、『チビッコ』と言うと怒る実は二十歳の大人の女性だった。
「ラムライディさんは食事をするのかしら? 味覚と嗅覚は良い刺激で、感情を動かすための準備体操ですわ。お一つどうぞ。これは桜餅、これはたい焼きですわ」
言いながらアンナマリはラムライディの前に甘味を並べる。
「ふぅ〜ん。実は僕、こういう食べ物って食べたことないんだよねえ」
天使は興味深げに和菓子を眺め回した。
「音楽はどうでしょう? 聴覚の刺激も悪くないと思いますのよ」
「んんー、音楽はあんまり興味ないかなあ。じゃあコレ、もらうね」
ラムライディは桜餅をひょいとつまみ、ぱくりと食べてみる。
「いかがかしら? 甘味にはお茶が合うんですのよ。こちらもどうぞ」
はちみつゆず茶も天使に勧めるアンナマリ。
「こういうのを美味しいって言うのかい?」
「そうですわね、『甘くて美味しい』と言うのですわ。わたくしも、学園に来た頃は喜怒哀楽が乏しく、大好きな甘味さえも遠ざけていました」
アンナマリは座り直し、遠くを見るような目つきになる。
「わたくし、天魔に家族を奪われましたの。それからは復讐心ばかりで、人として育ったのに天魔の血が流れていると知った時は、呪われていると思いましたわ。それが今は、少しは笑えるようになりましたのよ」
お茶を飲み若干不思議そうな反応のラムライディは『それで?』と先を促した。
「簡単に言えば、撃退士として人助けの仕事をこなしたのですわ。その結果、人々から様々な感情を向けられますわ。喜び、称賛、羨望、驚き。特に子供達の感情はストレートでとても強いものですわ。子供達の素直な気持ち、強い感情がわたくしの心を動かした、そう思いますの」
そうしてやがて復讐よりも『子供の未来を守りたい』と思うようになったとアンナマリは語る。
「僕だって人助けしてきたけどなあ〜」
「やり方が違っていたのでしょう」
不満そうなラムライディに対して言ったのは雫だ。
「どうしてさ? 僕は彼女らの希望を叶えてあげたのに」
「貴方が人の感情を理解していないからです。人は何をしたら怒り嫌がるのか。どんなことで喜んだりするのか。ただ『人助け』をしても、本当にその人が喜ぶことでなければ感情は返って来ないでしょう」
「じゃあどうやってそれを知ればいい?」
「私が行ったのは、人間観察ですかね。感情は人それぞれですから、色々な人を観察しました。あと、感情豊かで破天荒な人と一緒にいるのも有効ですね」
「なるほど。確かに、僕は今までほとんど誰とも接してこなかった」
うんうんと納得しながら話を聞いているラムライディ。
「一番重要なのは、感情豊かでありつつ貴方の過去を知っても特別視しない人を見つけることですかね。そして、その人といる時は演技をしないことです。破天荒な人なら多くの事に巻き込まれるでしょうし、予期しない事ばかりが起きると感情が揺り動かされ、やがて自身の中に何かが芽生えるはずです。感情というのは少しずつ移っていくもののような気がしますから」
「感情が移っていくとは、面白いこと言うね」
「私はそう思います。私が会った人も破天荒な人でしたからね。私自身あまり実感はないのですが、知らず影響を受けていたのでしょう。学園に来て一年程で、薄くはありますが、感情を表すことができるようになった気がします。今は友人達も昔と違って感情豊かになったと言っていました」
「ふぅ〜ん、そうかー」
「ただ一つ、気を付けてください。感情があるが故に苦しむこともあります。私の時は悪意なき相手との戦いでしたが、貴方の場合なら過去に起こした事件が原因になるかもしれません」
雫の忠告に、ラムライディは
「それでも、それが僕の感情なら構わないよ。全てを感じるつもりさ」
と言うのだった。
「感情が移っていくというのは解る気がしますね」
間下の声に、ラムライディが彼の方に体を向ける。
「キミもそう思うのかい?」
「そうですね。……月並みですが、感情ってのは他の人に自分の状態を知らせるためのもの。相手がいてこそです。昂太君みたいに、知らせる相手が受け取ってくれなかったり、先日の……紗々羅さんみたく、本人が他人との関わりを拒んだりすれば、だんだん、使わない筋肉みたいに、衰えていく」
理解しているという意思表示に、ラムライディはうなずいた。
「だから、『行き先』と共にいることが解決になると思います。貴方が助けた子供達とか……僕達、とかね。そうすれば、時間が解決してくれますよ。ああいや、ただ待つってことじゃなくて、子供達や僕達と接しながら刺激を受けていけばってことです」
「……それがキミの考えなんだね。つまり『他人との関わり』かぁ」
これまでの話からラムライディが感じたことだった。
感情は他人がいてこそ沸き上がってくると。
今までラムライディは一人で彷徨っていた。時折彼と同じような子供を見つけて関わることはあっても、数日単位でしか一緒にいたことはない。しかも彼らも感情を失っていたのだから、お互いに影響を与え合うことはなかったのだ。
「寄り添ってくれる『誰か』の存在はとても大きいと俺は思うよ」
傍らの藤花を意識しながら焔が口を開いた。
「俺も数年前まで笑顔しかできなかった。優しい両親のいる当たり前の幸せな日常がある日突然消え、辛い現実を信じたくなくて逃避して笑ったら、それしかできなくなった。そうしたら自分のことが全て他人事のようになった」
焔は悲しげに薄く笑って、目を伏せる。
「キミは僕ととても似ているね」
ラムライディは焔の話により関心を持ったようだった。
「一瞬だけ笑顔が崩れたことがあったけど、本当に解放されたのはここに来てからだよ。どんなに俺が無反応でも、愛情という強い感情を向け続けてくれた藤花ちゃんのおかげだ。ずっと誰にも打ち明けることができなかった苦痛も親身に聞いてくれて、全部受け入れてくれて」
焔の言葉に藤花は少し頬を染めながら、
「だって、焔さんは初恋の人、失いたくない大切な人だもの。わたしはある事件がきっかけで、存在そのものを忘れてしまってたんです。所謂ショック性の健忘、ですね。それが焔さんだったんです。だけど学園で焔さんを見つけて、わたしは大事な気持ちを思い出しました。姿は昔と変わっていても、悲しい記憶で表情を失っていても、少しでもそばにいて守ってあげたい。そう思うのは、わたしにとって自然なことでした」
愛情に満ちた想いを口にする。
でも、と焔が少し表情を固くして話を継いだ。
「ある時彼女が戦場で重傷を負ったんだ。その光景にもう二度と大事な人を失いたくない、絶対に彼女は俺が守るんだと強く思ったよ。そうしたら、笑顔で固まってた顔に感情が戻ってきたんだ。愛を与えられて過去に整理をつけ絶対に失いたくない存在ができた。逃避用の殻をぶち壊して閉じ込めてた感情を溶かしてくれた。彼女が俺の気持ちを目覚めさせてくれたんだ」
「焔さんはわたしが心の拠り所なのだと、そう言ってくれました」
二人からはお互いを大切に思う気持ちが溢れていた。
「ふむふむ。要するに『愛情』で感情を取り戻したと、そういう訳だね」
ラムライディは焔と藤花を交互に指さした。
「そうです。絆ってありますよね。人と人との繋がりです。自分の周りにそんな悲しい人がいたら、それを助けたいと思うのはその絆の力だと思います。そしてそれが強ければ強いほど、相手の力になれるんです」
「俺が想うように彼女も俺を想ってくれる。そういう大切な存在が、俺に必要な鍵だった」
「愛情、ねぇ」
今ひとつ理解できないというふうに、天使はつぶやく。
それも無理もないことかもしれない。
ラムライディの子供時代が子供時代なだけに、愛というのは彼には与えられなかったものだ。その言葉と意味だけは知っていても、どういうものか実感がない。
「あ、念のため言っておくけど、わざと大事な人を危険な目に遭わせても意味ないよ。あと、感情の吸収も無駄だと思う」
真面目に注意する焔に、ラムライディは一瞬きょとんとした視線を向けてからアハハ、と笑う。
「大事な人はともかく、感情の吸収は、感情そのものを欲する僕なら特殊なことも起こるかもという可能性を言ってみただけサ。本気で信じてたワケじゃない」
それを聞いて胸をなで下ろす焔だった。
「私の場合も、人の暖かさで救われました」
木嶋が話し出した。
「私、祖母と二人家族なんです。他の家族は皆死んでしまって、突然一人になった。当時外国を飛び回っていた祖母は職を変えてまで私を引き取ってくれたけど、私は祖母が自由を愛する人だって知っていたから。自分が祖母の足枷でしかないこと、分かってた。申し訳なくて、せめて祖母の前では笑って生きなくてはって思ってたんです」
気持ちを落ち着かせるためか、木嶋は一旦大きく息をついてから再開する。
「笑うことはできたけど、何を食べても味を感じなくて。食べては吐いて、でも無理に食べて。ある時祖母が言ったの。無理に生きようとしてるならそんなことしなくていい。笑わなくていい、死にたいのならそれでいい。でも、心から目を逸らすなって。ずっと手を握っていてくれた」
それを思い出すかのように、自分の手を握り締めた。
「考えたよ、ずっと。死んだ方が楽かなとも思った。でも……祖母の手が、暖かくて。ああ、暖かいなぁ。この人がいるなら、生きていたいなぁって思った。私、それまで笑うのが苦しかったんです」
でも今は大丈夫と言う代わりに、微笑みを皆に見せる木嶋。
「自分がどうしたいのか分からなかったから。でも解ったその時食べたうどんは美味しかった。……今は生きて良かったと思える。大事な人がいるから」
その顔は喜びに輝いていた。
「キミも身内の愛情か。なるほどなるほど」
全員の話を聞き終えたラムライディは、一人歩き回りながら考え込んでいた。
●ツギハギ天使の結論
「キミ達の話を総合すると、人間観察で感情を学び、感情豊かで破天荒な人間と行動を共にしつつ、大らかで大切に思える人を探し、人助けをしてみるってことカナ?」
簡単にいく訳ではないことは、ラムライディにも解っている。
「大丈夫、きっとあなたにも心の根っこにはあなただけの感情がある。目を逸らさないでください」
そっと木嶋がラムライディの手の傷に触れた。自分が祖母から暖かさを感じたように、彼にも暖かいものが伝わるようにと。
嫌がられるかと思ったが、意外にも天使はそのまま木嶋に触れさせていた。
その木嶋の手に藤花の手が重ねられる。
「袖触れ合うも他生の縁。あなたとこうやって出会えたのも縁であり、絆。あなたの心の傷が癒えるのを祈らせてください。祈りも力ですから」
そうして目を閉じ藤花は祈る。
ラムライディのために。
「もしかしたら、ラムさんは最初から感情をなくしてないのかも、と思いますよ」
間下が穏やかに自分の考えを言った。
「ただ、過酷な状況で感情を表に出してはならない、笑ってなければならないと無意識に感情を押し込んでしまったのかもしれませんね。ここでの生活で、自然に感情を『出したい』と思ってくれるようになったらいいのですが」
「それでしたら、学園生と一緒に学園内の簡単な人助けはいかがかしら? まずは人のポジティブな感情に触れてみることですわ」
「破天荒な人と参加してみると良いですね」
アンナマリの提案に、雫も賛成する。
そして、突然ラムライディの笑い声が室内に広がった。
不思議そうに彼を見る撃退士達に、
「変わってるねキミ達は。本当に変わってるよ。今まで僕にこんなふうに接してくるヤツは誰もいなかった。いや、僕も必要以上に関わろうとしなかった。そうか、『他人と関わる』とはこういうことか」
ラムライディは何かを悟ったかのように満足気だ。
種族の垣根などない。敵だった相手にも手を差し伸べる。
それはこの学園がそうさせているのか。
ラムライディには解らなかったが、ここにいれば自分はきっと感情を取り戻せるような、そんな気がした。
「桜餅は気に入った?」
不意に焔が尋ねた。
「ああ、悪くなかったよ」
ラムライディが答えると、焔はにこりと笑う。
「良かった。人は美味しいものでも癒されたりするんだ。食事が気に入ったなら、今度とっておきの手料理を振る舞うよ。もっと色んな物を食べてみてよ」
「へえ、それは楽しみだ」
さっきのラムライディの笑いは、『本当の笑い』ではなかったか、と焔は思う。
彼自身気づいてなかったけれど、それはきっと彼の心の内から沸き上がってきた『感情』。
「学園に来てくれてありがとう。君の宝物が見つかりますように」
焔が手を差し出す。
「こちらこそ、今後ともヨロシク」
ラムライディもしっかりと焔の手を握り返した。
ツギハギ天使が感情を取り戻し、久遠ヶ原学園の仲間になるのはそう遠いことではないだろう――。