●11年前
九月沙那の説明の後、皆は改めて頭を突き合わせた。
11年前の依頼で何かがあったのだろう、と皆の意見は一致。
それを知るためには。
「依頼の参加者に話を聞いた方が良さそうですねぇ」
着物姿に煙管を持った百目鬼 揺籠(
jb8361)がいつもの飄々とした物言いより幾分真剣な調子で言う。着物から出ている左腕にはいくつもの目の模様が見え、それは彼が人ならざるものの証でもあった。
「そうだな……報告書の連絡先に手分けして電話だ」
金髪に黒メッシュ、良いとは言えない目つきで見た目は完全にヤンキーの恒河沙 那由汰(
jb6459)は、すぐさま報告書をめくり始める。
かったるそうな空気を出している割に行動が早い。それは恒河沙を師匠と慕う広士のためだからか。付き合いの長い百目鬼はそう思ったりした。
当時の参加者の6人と連絡が取れ、覚えてないというのが3人、あとの3人の話は大体同じだった。
話を総合すると、予想以上に敵が強く大変な戦闘で、正直深町のことなど印象にないが、戦ってる最中は姿を見た覚えはないらしい。
皆は深町は負傷者の対応をしていると思っていたという。
深町が子供を助けた所も誰も見ておらず、子供を運んでいるのは見たがそれだけだということだった。
「つまり、深町さんは戦いに参加しなかったということでしょう。彼の実力を考えれば無理もないと思いますが」
まとめてみて、雫(
ja1894)が深町の秘密を指摘した。雫はまだ幼い少女のように見えるが、その中身はだいぶ大人である。
難しい顔で小宮 雅春(
jc2177)はいつも連れているデッサン人形のような『ジェニーちゃん』に腕組みのポーズをさせた。この人形は奇術師としても活動している小宮の大事なアシスタントだ。
「そうですね……これは吉田さんが勘違いで記憶している可能性が高いと思います」
広士の思い込みの強さは中二病のことからも証明されている。
じゃあ、と今度は浪風 悠人(
ja3452)が口を開いた。眼鏡と着崩さずに着ている制服のせいか、真面目そうな雰囲気の青年だ。
「深町さんは実は広士君を助けておらず、戦闘にも参加しなかったという後ろめたさから、彼と会うのを拒んでいるんでしょうか?」
「それは本人に聞いてみるしかないでしょうねぇ」
ふうっと重たい紫煙を吐いて、百目鬼が言った。
すると小宮は『ちょっと待っててください』と皆に断り、購買まで行って封筒と便箋を買って来た。
「まずは吉田さんに手紙を書いてもらってはどうでしょうか? 直接会うよりは受け入れやすいと思います」
「それはいい案だ。それじゃあ、これは俺が広士の所に持って行くぜ」
恒河沙が小宮から便箋と封筒を受け取り、百目鬼は携帯を出して深町の番号を押した。
「俺らは、深町サンに会ってみましょうか」
●元撃退士のトラウマ
深町と会う約束をこぎつけた百目鬼達は、彼の経営する文房具店へとやって来た。小さな商店街の中にある昔ながらの店だった。
深町は若干身構えながらも彼らを迎え入れ、店の奥の控え室へ通す。皆に飲み物を出そうとすると、小宮が先に荷物をごそごそやりだした。
「お構いなく、こちらから押しかけたのですから、こちらが出すべきです。さあどうぞ〜、お仕事お疲れ様です、今日も暑いですね〜」
持参した冷たいお茶を深町に差し入れ、仲間達にも渡した。
最初は硬い表情をした深町も、にこやかな小宮の態度に少し緊張を和らげたようだ。
「こういう所のお店は風情があっていいですねえ。実際は大変なのかもしれませんが」
小宮は話しやすい雰囲気を作ろうと、他愛のない会話から始める。
「……まあな。小中学校が近くにあるからやっていけてる」
「このお店はいつ頃から?」
「文房具店になったのは親父の代からだ。40年くらいやってるのかな」
深町も愛想良くとまではいかないが、小宮の話にきちんと応えていた。
「深町さんが撃退士を辞められたのは、やはりこのお店を継ぐためだったんですか?」
さっと深町の表情が陰る。小宮から目を逸らし、
「――違う。辞めたから、店を継いだ」
「撃退士を辞めたのは、何か原因が?」
やんわりと浪風が問う。
「別に。元々俺には向いてなかったんだ、撃退士なんて」
「貴方が11年前に参加した天魔襲撃事件の依頼、覚えていますか?」
「知らない。忘れた」
雫の質問に間髪入れず即答する深町。結局覚えていると言っているようなものだが、話したくないという拒絶が強い。
「ですがねぇ、当の広士サンはそりゃあしっかり覚えてましてね。事件以来えらく撃退士に感謝して今日まで生きてきたんでさ」
百目鬼が広士のことを説明すると、深町は心を開くどころかますます怯えたようになってしまう。
「だ、ダメだ! そんなに撃退士に心酔している子に、俺なんかが会える訳がない。彼の尊敬は俺に向けられるものじゃないんだ」
「何故です? 貴方は吉田さんを助けたのではないのですか?」
あくまでも落ち着いて尋ねる雫に、深町は弱々しく首を振った。
「違う……! 俺は彼を安全な所まで運んだだけだ。あの依頼では戦いもしなかった臆病者なんだ」
「……本当のことを、教えていただけますか……?」
小宮に促され、深町は観念したのか静かに語りだした。
そして、本当に広士を助けたのは死亡した撃退士だったこと、一番広士の近くにいた深町が広士を安全な所まで運んだ後、自分も隠れて戦闘から逃げたことなどが明らかになった。
「元々俺は撃退士なんて無理だった。ずっとビビリで、天魔と戦う勇気なんか全然なくて。あの依頼を受けたのは、たまたま金欠で報酬のいい依頼だったからだ。他の仲間が皆高レベルだったから、一人くらいポンコツがいても大丈夫だろうと思った。けど、仲間がやられるのを見たらもう怖くて怖くて、逃げることしか頭になかった。俺は始めから『撃退士』になんてなってなかったんだ。それを痛感したから、すぐに学園も撃退士も辞めた。広士君の思ってるような、ご立派な人間じゃないんだよ」
広士は、多分記憶が混ざって運んでくれた深町の方を印象強く覚えていたのだろう。
しばらく、その場は静寂に包まれた。
その静寂を最初に破ったのは、浪風だった。
「本当に、臆病なだけだったのでしょうか……?」
え、と深町が浪風を見やる。
「本当に臆病だったら人一人連れて逃げるなんてできないと思いますよ? 自分可愛さに一人で逃げ出したはずです。なのに広士君を見捨てず最後まで守ったんですよ?」
「それは他の仲間が戦っていたからで」
「いいえ、現実がどうだったかは別として、きっと敵に追いつかれていたら、深町さんも広士君を逃がして戦っていたと思います」
「買いかぶり過ぎだ、どうしてそんなことが言える?」
「人からもらった言葉ですが、撃退士の力は守るための力だから……僕はそう思います」
だから、当時は撃退士の端くれだった深町も、撃退士の本能のように広士を見捨てなかったのだろうと。
「はっきりと言わせてもらいますが、貴方が負い目を感じる必要はないです。ベテラン勢が死傷者を出す戦いで初心者に近い貴方には荷が重すぎた。そんな中で貴方は吉田さんを怪我一つさせずに連れ出した。出来ることをしたのです」
雫がきっぱりと深町に告げる。
「だが俺は、目の前の戦いから逃げたんだ」
「剣を交えなかったことを悔いているのならそれは、戦いに参加した人達への侮辱でしかない」
「なに……?」
「貴方が戦闘に参加していれば誰も死ななかったとでも? それは懸命に戦った彼らに失礼だとは思いませんか?」
「そう、だな……」
深町はうな垂れる。
雫の言う通りだ。自分が出て行ったところで何もできなかった。むしろ死体がひとつ増えただけに違いない。
「形はどうあれ、一人で逃げずに最後までやり遂げたのでしょう? それだけは否定しないであげてください。だから今吉田さんは貴方に感謝を伝えたいと思っているのです。まずは彼の話だけでも聞いてあげてみませんか」
小宮も優しく声を掛ける。
深町は葛藤していた。
広士を助けたなんていうのはおこぼれみたいな手柄だ。勇気も志もなく、広士が憧れているような撃退士には不適格だった自分に彼と会う資格があるのだろうか、と。
「その時々で、救えたもの救えなかったものがあるでしょう。でも彼はあんたがそこにいたから助かったんです。それだけは、良かったってことにしてやりませんか。胸を張っても良いんじゃねぇですかぃ?」
さっきまでゆっくりと煙管を燻らせていた百目鬼が、にこりと笑って言った。
しかし深町は首を横に振る。
「いや、広士君は俺と会って真実を知ったら絶対にガッカリする。無理だ。俺は会えない」
「でも、見てみたくはねぇですか? あの日、あんたが救った小さい命がどうなったか」
百目鬼達が言いたいことは深町にも解る。それでも。
昔の自分を受容できなければ、深町は広士と会うことを良しとしないだろう。
そう考えた雫は、一つの提案をした。
「ならば、せめて今の彼を陰から見てもらえませんか。それからどうするかは貴方に任せます」
雫達が深町の店にいる頃、恒河沙も広士の家を訪ねていた。
「師匠、お久しぶりです!」
「随分たくましくなったな……あの時とは大違いだな」
中二病ド真ん中だった広士を知っている恒河沙は、しみじみつぶやいた。
あの時は気持ちだけの頼りない子供だったのに、今はしっかりしてきたのが分かる。
感慨に浸るのもそこそこに、客間に案内された恒河沙は話を切り出した。
「早速なんだけどな、おめぇが会いたがってる撃退士は深町晃一って人だ」
「誰だか分かったんですね! 深町さんですか」
「ああ、晃一は今撃退士を引退して、自営業をしてるんだ。仕事で中々時間を作れねぇ。だから会う前に、まずはおめぇ自分の気持ちを手紙に書け。俺達が晃一に届けてやる」
と恒河沙は小宮が買った便箋と封筒を差し出した。
「分かりました! わざわざレターセットまで用意してくれて、ありがとうございます!」
「感謝を綴るのはいいが、本当に大事なことは、会った時自分の口で言え」
「はい!」
恒河沙のアドバイスに従い、広士は一時間程で便箋2枚に渡る想いを書き連ねた。
「じゃあ師匠、これお願いします!」
「……助けられた時の記憶が美化されてる場合もある……。それでもおめぇは構わねぇか?」
封筒を受け取りながら、恒河沙が聞いた。
広士が気を悪くしなければいいがと少し危惧した恒河沙だったが、広士は予想に反してあっけらかんと、
「あ〜、子供の頃の記憶ですからね〜。中二病だったし、確かにかなり美化されてるかもしれません。でも俺の感謝は変わりませんよ! 俺がホントにありがたく思ってることを伝えらえたらそれでいいんです!」
屈託のない笑顔だった。
「……あの時から比べれば考えられねぇ程に成長してるな。名ばかりの師匠だがおめぇのことは誇りに思ってるよ」
広士の確かな成長を恒河沙は喜び、広士も師匠に褒められて喜んでいると。
恒河沙の携帯が鳴った。
それは百目鬼からの電話で、恒河沙は深町の事情を説明され、その上で、深町が陰から広士を見ることに承諾したので明日にでも学園に来られないか、ということだった。
電話を終え広士に振り返った恒河沙は言った。
「おめぇ、明日学園まで来られるか?」
●遠くの再会
翌日、恒河沙と百目鬼、雫に連れられて広士が久遠ヶ原学園の食堂にやって来た。離れた所に深町と共に浪風と小宮がいる。ここなら怪しまれずに広士の様子を伺うことができるだろうという雫達の配慮だった。
「百目鬼さんもお久しぶりです! わざわざすみません!」
直角のお辞儀をする広士に、百目鬼は感心したように笑う。
「いやー見ねぇうちにでっかくなりましたねぇ! 身長の話じゃないですぜ? 人の子ってぇのは不思議なもんでさ。なぁに、俺は狐サンが自慢の弟子のために一肌脱ぐってうるせぇんでね、手伝いに来たんでさ」
狐というのは恒河沙の本性のことだ。
「別にうるさくしてねぇだろ!」
「自慢は否定しねぇんですね」
うぐ、と言葉に詰まる恒河沙。広士が嬉しさのあまりキラキラした目で自分を見ているのに気がついて、妙に照れ臭い。
照れ隠しに咳払いを一つして、本題に入った。
「あ〜、来てもらったのに悪ぃが、晃一は来られなくなった。もちろん手紙は渡しておくが、その前に言っておくことがある」
「な、何です?」
深刻そうな三人の姿に、広士はにわかに緊張する。
「実は、貴方を助けた人は二人いました。一人は天魔から直接助けた人、もう一人は貴方の身柄を安全圏まで護衛した人」
雫が恒河沙の後を引き継いで告白した。
「え?」
「晃一はおめぇを運んだ方だ。それをおめぇは助けてくれたのも晃一だと思い込んだんだろう」
「実際に助けた人は鬼籍に、深町さんは心に傷を負ってしまいました。ですから、彼が過去を乗り越えるまで会うのは少し待ってもらえませんか?」
「そうだったんですか……」
広士はショックを隠せないのか、少し呆然としている。
「撃退士ってぇのは色々いまさ」
と、百目鬼が元気づけるように言った。
「正義感や確固たる使命を持ってやってる奴だけじゃない。撃退署勤めってぇのはそういう色んな奴と一緒に戦うってことです。色んな死を乗り越えるってことです。ま、だからあんまり責めないでやってくだせぇ」
「や、深町さんを責めるなんてそんな! 深町さんが俺を運んでくれただけでも恩人であることは変わりません。おかげで俺は撃退士をサポートしたいという夢が持てました。どんな撃退士の人にでも、少しでもお役に立ちたいんです。それが俺の恩返しだと思ってますって、いつか会えたら言いたいです!」
広士の前向きな言葉を聞いて、三人は満足げにうなずく。
それから少し雑談して、広士は帰って行った。
その様子をずっと見ていた深町は。
「広士君は俺なんかよりずっと強い人間になったんだな……」
撃退士になりきれず劣等感だけを抱いてきた深町にとって、希望に満ちた広士はとても眩しく映った。できることなら広士に自分のアウルを譲りたいくらいだ。
恒河沙が広士の手紙を渡す。
「あの時の出来事が今の広士を作ったんだ。そのことだけは忘れるな」
「時間が経っても構いません。返事……、書いてあげてくださいね」
「貴方達が成した成果です。ずっと憧れを抱いてきた彼に何か一つくらいはしてあげてください」
小宮と雫も付け加える。
広士の手紙を読んだら、少しは救われるだろうか。
「……皆世話になった。昔の俺と、ちゃんと向き合ってみるよ」
深町は手紙を大事に仕舞い、そして学園を去った。
広士の真っ直ぐな想いはきっと深町の心に届く。今日のことは深町の心にも何かを残したはずだから。
撃退士達は願いを込めて、夕日に照らされる深町の後ろ姿を見送るのだった――。