●廃病院へ
撃退士達は入口の手前で立ち止まった。中の気配を探るように耳を澄ますが、辺りは静まり返っている。
「全く、なんだってこんな所で襲われてるんだい」
アサニエル(
jb5431)がつぶやいた。長身で長い赤髪の姉御肌な女性である。
「肝試しで来た訳ではなさそうですわね」
輝く銀髪を持ち、全体的に白い印象のロジー・ビィ(
jb6232)が苦笑した。
「廃病院……ね。ワケ有り、か」
赭々 燈戴(
jc0703)も皆と同じことを感じていた。
「察するところはありますけれど、まずは彼女を助けることを優先しなければ」
「だね」
ロジーの言葉にアサニエルはうなずいた。
「……けれど、状況を聞く限り見逃されたと感じてしまいます。相手の狙いはいったい……?」
黒髪を後ろでまとめ清楚な雰囲気のユウ(
jb5639)が口にした疑問には、鐘田将太郎(
ja0114)が答える。
「女天魔に心当たりがある。あいつは精神的に脆くなってる佐藤さんをより追い詰めたいんだろう。そういうヤツらしい」
まさに悪魔の心理に、ユウは顔をしかめた。元は同じ魔界の眷属のユウだが、その心理には決して同調できない。
鐘田は以前にもイミーレと対峙しており、その時彼女に連れ去られた少女のことを今も悔しく思っていた。それもあって、今回は決してあの女の思い通りにさせまいと決意しているのだ。
「命を天魔のおもちゃにさせるつもりはない。ただ、それだけだ」
金色の瞳の険しい目つきで南條 侑(
jb9620)が毅然と言い放つ。皆もそれに異論はない。
「まずは案内図でリネン室の場所を確認しよう」
スーツ姿のミハイル・エッカート(
jb0544)は早速光纏し、阻霊符を発動させた。
仲間達も光纏、病院の入口へと突入した。
入って正面に受付があり、その側の壁に案内図があった。
佐藤美智子が2階にいるのは分かっているので、すぐに2階の見取り図を確認する。
「右の廊下から階段上って左だ」
周囲を警戒しながらミハイルの指差す方へ向かう撃退士達。
2階に着くとアサニエルが『生命探知』を使い、美智子、もしくは天魔が潜んでいないか探りつつリネン室へ急行した。
リネン室はすぐに見つかった。
南條が美智子を驚かせないよう、ノックする。
「俺達は撃退士です。助けにきました」
声をかけてからドアを開けると、美智子は肉付きの良い身体をどうにか棚と床の間に押し込んで隠れようとしていた。
「お待たせしました、貴女が美智子さんですね。無事で良かったです」
ユウが美智子を立たせると、美智子は怯えた目でユウ達を見回した。
「あなた達が、撃退士……? 犬みたいな天魔とか黒い服の女は? 大丈夫なの?」
「今はいない」
南條が言いながら美智子にデオドラントスプレーを吹き付ける。
「何するの?」
「香りが混ざって匂いが多少変化する。スプーキードッグの鼻をごまかせるかもしれない。気休めにはなるだろう」
「犬が来たぞ!」
廊下で見張っていたミハイルが鋭く警告を発した。
「!!」
階段を下りて来たプーキードッグが、こちらを敵だと認識したようだ。
牙を剥き出し低い唸り声を上げた。力強く地を蹴って向かって来る。思ったより速い。
ユウがエクレールCC9を構えて連射した。犬は足に一発弾を受け、飛び退った。ミハイルと赭々も牽制射撃に加わりディアボロを足止めする。
「私達があれを引き付けます。その隙に美智子さんを!」
「分かった、頼む!」
ユウが背後に向かって叫び、鐘田が美智子を抱き上げリネン室から出た。美智子は正直鐘田とたいして変わらない体重だが、撃退士の鐘田は苦もなく美智子をその腕に持ち上げている。
「え、え? ちょ!?」
今までお姫様抱っこなどされたことのない美智子は恥ずかしさと驚きと、さらに天魔の恐怖とでもう感情がめちゃくちゃだった。
鐘田は両足にアウルを集中した。一気に加速する『縮地』でスプーキードッグとは反対方向へと走る。後には南條が続いた。
もうひとつの階段から一階に下りようとすると、角を曲がって来たイミーレと鉢合わせした。
「イミーレだ!」
南條の叫びにアサニエルとロジーが即座に反応した。全速力で鐘田と南條の下に駆け付ける。
「あんたの相手はあたし達だよ!」
アサニエルは言うやいなや滅魔霊符から光の玉を飛ばした。
ロジーも『ウェポンバッシュ』で攻撃をかける。
だがイミーレは身軽に光玉を避け、勢いを込めた一撃をいなした。
その間に鐘田達は階段を下り外へと逃げて行く。
「逃がさないわよ」
「待ちなさい!」
イミーレは窓から外に飛び出し、アサニエルとロジーも後を追った。
●対 スプーキードッグ
鐘田達が逃げた方を塞ぐように身を置き、ミハイルは酢に七味と胡椒を混ぜた液体を入れたビニール袋を取り出した。
「しつけの悪そうな犬だな。これ以上進ませないぜ」
美智子を追おうとスプーキードッグが突っ込んで来る。ミハイルは至近距離まで引き付け、嗅覚潰しのビニール袋を犬の鼻面に思いっきりぶつけた。
ビニールが破け、中身が犬の顔にかかる。その刺激臭にスプーキードッグは悲鳴のような鳴き声を上げた。これで少しは時間が稼げるだろう。
だが近くで息を吸ったミハイルもその刺激に鼻や喉をやられ堪らずむせてしまう。
「ぅゲホッ! ガハッ!」
攻撃態勢にないミハイルにスプーキードッグが飛び掛かる!
「やらせるかよ!」
赭々はオートマチックIR7で『回避射撃』を犬の前足に当て、僅かに狙いを逸らさせた。犬の爪はミハイルの腕にカスリ傷を負わせる。
ユウが翼を出し飛び上がり、天井を蹴って素早く犬の背後に回る。
『薙ぎ払い』の強力な一撃でネビロスの操糸をスプーキードッグの首に引っ掛けた。犬は『スタン』になる。
「おかげで余計な目に遭ったぜ」
ミハイルが距離を取り『スターショット』を使う。バスタードポップから光を纏った弾丸が放たれ、スプーキードッグの脇腹に命中した。
スプーキードッグは怒り、背後のユウを力任せに蹴り上げた!
「うッ!」
腕を交差させてガードしたものの、腕と胸に衝撃が走る。『朦朧』にはならなかったようだ。
ディアボロは再び美智子の所に行こうと、ミハイルへダッシュする。そのまま体当たりする気だ。
だがミハイルは道をどこうとせず、下半身にアウルの力を集中させた。
スプーキードッグは突発的に加速し突進、ミハイルと激突!
「ぐっ……!」
一瞬息ができなくなるほどの体当たりをミハイルは『不動』で受け止め、その場に踏み止まる。
「言っただろう、これ以上進ませないって」
ニヒルな笑いを浮かべて言った。
ユウが飛び、天井近くの高さから酢に唐辛子とからしを混ぜだ液体を犬に振り掛ける。
「ついでにこれもっ」
赭々もスプーキードッグの足元に酒瓶を放った。瓶が割れて廊下が酒まみれになる。
ディアボロは滑りやすくなった廊下に足を取られ上手く動けない。
「よっしゃ、今だ!」
赭々は武器をオリハルコン製パイプに持ち替え、一気にスプーキードッグに駆け寄りそのド頭をしたたかにぶん殴った。
「犬ッコロ、悪い子だから大人しく寝てな」
普通の犬だったら火でも点けてやるところだが、相手は天魔だ。普通の火は効かない。
「あなたに時間をかけている暇はないのです」
ユウがクラクラしているスプーキードッグの上から迫り、追撃の『薙ぎ払い』をお見舞いする。銃から放たれる敵を弾き飛ばさんばかりの攻撃はディアボロの背中に当たり、スプーキードッグは苦痛に吠えた。
行動不能になった犬に、ミハイルと赭々が何発も銃弾を撃ち込む。
スプーキードッグは体中に銃弾を浴びながらも最後の力を振り絞り、鋭利な牙の並んだ大口を開けてミハイルに襲いかかった。
「可愛げのある犬ならハグして撫でてやってもいいが、お前は不細工だな」
ミハイルは慌てることなく、『スターショット』をその開いた口の中に発射した。
スプーキードッグの頭が弾け飛び――、戦いは終わったのだった。
●対 イミーレ
外は駐車場になっているだけで、身を隠す場所などなかった。それでも鐘田は隅の方へ美智子を匿い、南條は二人を背に庇うように立っていた。
2階の窓からイミーレが、続いてアサニエルとロジーが飛び降りて来た。
ロジーがイミーレに行動の隙を与えないよう、マッドチョッパーで矢継ぎ早に攻める。
「とっとと諦めたらどうだい!」
アサニエルもイミーレの側面や背後から霊符の攻撃を繰り返した。
「アンタ達……!」
イミーレは防戦に徹していたが、予想外に手こずり苛立ちを感じていた。
「大丈夫だ、俺達が必ず守る」
縮こまる美智子に声をかける鐘田。そして美智子がここにいる理由が自分の思っている通りなら、それをやめさせるつもりだ。
「……どうしてここに来たんだ?」
え、と美智子が顔を上げ、表情を曇らせる。
「別に、来たかったからよ」
「アハハ、その女は自殺しようとしてたのよ!」
アサニエルとロジーの相手をしながら美智子をあざ笑うかのようにイミーレが言うと、美智子は急に卑屈になった。
「なによ、何が悪いの? あんた達にあたしの辛さが解るの!? それとも何、あたしには死ぬ自由もない訳!?」
「落ち着いてくれ、でも俺らに連絡したってことは、あんた、本当はまだ生きていたいんだろ?」
「そんなの……、分からない。ただ天魔に捕まるのが怖かっただけよ。でも、そうね、今ここで助かってもブスでデブ、いい年して結婚もできない引きこもりなら、結局同じね」
自虐的に美智子は遠くを見た。
自分は何もできない、価値のない人間なんだと思い込んでいる。それが自殺しようとした理由か、と鐘田は悟った。
「そんなことない。学園に連絡した勇気があったんだ。勇気があれば、自分を変えることもできるはずだぜ。もうちょっと頑張ってみろよ。あんたなら絶対にできる」
鐘田は自分の思いを込めて、美智子に訴えかける。
「それはどうかしらぁ? アナタの未来に希望なんかないわ。死んでもいいんじゃない?」
またイミーレがいやらしく心を折る口撃をしてきた。
鐘田は怒りに歯ぎしりし、不意にイミーレに飛び掛りフルカスサイスを振り下ろす!
「てめえ、佐藤さんをどうするつもりだったんだ!? てめえは許せねえ! 佐藤さんに謝れ!」
「アナタ、この前といい今日といい、そんなに知りもしない人間の命が大事?」
イミーレは大鎌を捌いて不快感を顕わにした。
「死にたがってた? 真に受けるな。ただ現状打破の方法が分からないだけだ!」
南條ももう我慢できないとばかりに叫んだ。
例え本当に死にたがってたとしても、おもちゃにされて終わりを迎えたい命があるもんか。
「絶対に守る。お前らのおもちゃになんか、させない」
南條は大瑠璃翔扇を投げながらイミーレに向かって走り出し、『八卦石縛風』を繰り出した。
イミーレを澱んだオーラが包み込む。砂塵が舞い上がりイミーレを襲う! が、間一髪イミーレは砂嵐をかわした。
「ひどいことを言った罰ですわ」
ロジーは鉈に力を溜め、ひと思いに振り抜く。
『封砲』の黒い衝撃波はイミーレに直撃した。
よろめいたイミーレに、アサニエルはタバスコと酒を投げ付け中身をぶちまけた。嫌な臭いがイミーレの鼻をつく。
「なっ、なにコレ!?」
「最低な嫌がらせにはお似合いだろ」
アサニエルはせせら笑った。
「皆大丈夫か!?」
分が悪くなってきたとイミーレが思い始めた時、ミハイルや赭々、ユウが現れた。スプーキードッグはやられたらしい。
――ここが引き時か。
イミーレはもう一度鐘田と美智子を見据えてから、
「別にいいわ、人間はまだいるんだから」
負け惜しみのセリフを残して、病院の裏手の方へ去って行った。
●対 美智子
アサニエルがユウとミハイルの傷を『ライトヒール』で癒した後、皆で美智子から事情を聞いた。
話し終えた美智子は居たたまれない様子だ。
「……なるほどな」
ミハイルがため息混じりに理解した。美智子に少し厳しい口調で諭す。
「もう自殺なんて考えないことだ。イミーレにまた目を付けられて、あの犬みたいになるぜ。あれも元人間だからな。だが、今回は生きようとあがいた自分を褒めろ。普通なら恐怖で動けない」
「……」
美智子はそんなふうには思えない、という顔をしている。
ロジーが一歩前に出、いきなり美智子の頬を張った。
美智子は抗議しようとして、けれどロジーの目に涙が一杯なのを見て言葉を飲む。
「な、何よ……」
美智子もなんだか泣けてきて、ポロリと涙がこぼれた。そんな美智子の頭を、赭々がそっと自分の胸に引き寄せる。美智子はもう泣くのを止められなかった。
「よしよし、もう大丈夫だ。大人になったら中々甘える機会もねえだろ。今のうちに俺の胸で泣いておきな、お嬢ちゃん。弱音吐いてもいいからよ。人は死にたいと思う時が一番生きたいと思ってる時なんだ。泣いてるあんたは、今より強くなれるのかもしれねえな……」
見た目は少年でも孫もいる年齢の赭々にとっては美智子も『お嬢ちゃん』だ。その背中をポンポンと叩いてやる。
アサニエルが『マインドケア』で美智子を落ち着かせてから、ミハイルの提案で家まで送って行くことになった。
送っている間中、ロジーはずっと黙ったまま美智子の肩を抱き、寄り添って歩いていた。
美智子がぽつりと口を開く。
「どうして、あなたが泣くのよ……」
ロジーは『天使の微笑み』を浮かべ、優しく話す。
「人それぞれ、思うところはあるでしょう。死んだらそれに縛られることもなくなる代わりに……もっとたくさんの物を失いますわ。周りの人は美智子を失う。それはあたしにとっても哀しいことですわ。後ろ向きでもいい。前に歩いて行くのに遅くはありませんことよ」
美智子は、自分の話を真摯に聞いてくれた撃退士達に感謝の気持ちを抱くようになっていた。
家に着くと母親が出てきて、撃退士達にびっくりしている。
ミハイルが説明するとさらに驚いたようだった。
「あんたって子は他人様に迷惑をかけて! なんで、自殺なんて……!」
母親は泣き崩れる。
「ごめん、お母さん。もうしないから」
「責めるのはなしだ。カウンセリングを受ければ改善していくだろう」
ミハイルの言葉に、母親は何度もうなずいた。
娘が死ねばいいとまで思っているような親ではなく、皆はホッとした。
「まだ取れる手段は無数に残ってるよ!」
発破をかけるアサニエル。
「ええ……、もう少し、頑張ってみる」
美智子が微かに笑みを見せた。
「辛くなったら俺達のことを思い出してくれ。俺で良ければ、いつでも相談に乗るぜ」
鐘田は右手を差し出す。
少し恥ずかしそうに美智子はその手をしっかり握り、
「助けてくれてありがとう」
心から皆にお礼を言うのだった。
アラフォー女に幸あれ。
撃退士達はそう願いながらその地を後にした――。