●堕天の意志
ナサニエルと銀音が教師に相談してからほどなく、撃退士達が部屋にやって来た。主従の見知っている顔もある。
「人間社会のことを知りたいとか」
星杜 焔(
ja5378)がナサニエルとその使徒銀音に人懐っこい笑みを向けた。時折虹色に輝く淡い緑の髪が印象的な青年だ。
「メレクと申します。よろしくお願いします。何か困っていることがあれば、言ってください」
ナサニエルと同じ天使のメレク(
jb2528)は丁寧に挨拶した。
「うむ……、正直外のことは何も分からぬ。金のことや街のことを教えて欲しいのだ」
「となると……」
考えている星杜とメレクの後ろから、九鬼 龍磨(
jb8028)が進み出る。
「改めて初めまして、ナサニエルさん、銀音くん。大学部2年の九鬼龍磨です」
持ち前の明るさでにぱっと笑った。
「おお、お前も他の二人のことも、覚えておる。あの時は、その……すまなかったな」
ナサニエルは九鬼達に捕らえられた経緯を思い出したのか、少し気まずそうに言った。銀音もその隣で主よりも複雑な表情を浮かべている。
「最初に言っておくで御座る。銀ちゃん抱え込みそうな性格なので、最悪自分が養う言いそうで御座るから――」
青い肌に赤い瞳を持つ源平四郎藤橘(
jb5241)が、やたらフランクな調子で口を開いた。
「銀ちゃん!?」
銀音はそんなふうに呼ばれたことはなかったので面食らう。
当の源平は『一度拳交わしたら親友だよね』的なお気楽さでまあまあ、と手を振っている。ともすれば以前の事件を気にしてナサニエル達が暗くならないように、という彼なりの気遣いなのかもしれない。
「ところで、コスモス殿を見てどう思うで御座る?」
二人は言われるままに秋桜(
jb4208)に目をやった。
秋桜は妖艶な体つきをしており、青い肌も悪魔特有の羊のような角も隠そうとしていない。
「どうと言われても……」
「自由にしてるってカンジだけど」
戸惑いながらも主と下僕が答えると、
「こう見えて、コスモス殿は筋金入りのヲタクで引きこもりなんで御座るよ。主を甘やかしすぎるとこうなってしまうで御座る」
源平は本人に聞こえていようが構わず言った。
「ほっとけ。私は好きでやってるのだ。で、ナサニエル氏」
厳しめの目つきで秋桜が二人に振り返る。
秋桜は彼らの堕天の意志が本物かどうか確認しようと考えていた。堕天したからといって平穏が約束される訳ではない。それなりの覚悟がなければすぐに傷つき、折れてしまうだろう。
「もう天界に未練はないのかな? もしここから出られるなら戻りたいと思うかね?」
その言葉に、ナサニエルの顔が変わった。
「……ここから出られたとしても、天界に我らの居場所はないであろう。戻っても裏切り者扱いされるのがオチだ」
「でも、撃退士をしながらこちらの情報を横流しできるとしたら? 大規模な作戦なら、効果は絶大だろう。力を失い、制限を付けられてなお、天界のために戦う英雄。そんなふうに呼ばれるかもしらん」
希望をちらつかせる秋桜に、ナサニエルはせせら笑い首を振る。
「そんなことある訳がない。私が一番天界の性質を知っている。そうさせたいなら始めから命令が下っているであろうし、私は文字通り見捨てられたのだ。堕天以外に、我らがまともに生きていける道があるとは思えぬ」
「………」
秋桜はナサニエルの言うことを吟味するように聞いていた。
口八丁のカマかけだった。こんな甘言で揺らぐ決心なら右ストレートの一発でも入れてやらねばと思って。
「今後天界の同胞とやらは君らを見たら本気で殺しに来ることは間違いない。それが嫌なら、ずっと監視付きの部屋で引きこもっていた方が傷つかんだろう。自由の代償というのも、存外大きいと思うぉ」
「そうだな……。堕天するとなればそれは避けられぬこと。私も重々承知している」
「ナサニエル様のことは俺が守ります!」
力強く宣言する銀音に、主はふっと表情を和ませる。
「頼りにしているぞ、銀音」
「お任せください!」
そんな主従を見て、秋桜はふうと息を吐いた。
「まあ合格かねぇ〜? 敵意を向けられる覚悟があるなら、改めて仲間として認めよう。これからは、私達が同胞になるのだからね。――と、現役バリバリニート引きこもりの秋桜ちゃんでした!」
ふひひ、と最後からかうように笑う。
「コスモス殿、ナイス女教師で御座るよ!」
教師は教師でも反面教師だが。源平は心の中でグッと親指を立てた。
「生活するには、差しあたり銀行口座を作ることが先決だと思います」
話がまとまったらしい頃合を見て、メレクが提案した。
「金の管理のためにはあった方がいいな」
牙撃鉄鳴(
jb5667)もうなずく。今回の依頼は自分が適役とは思えないが、少々思うところあって参加した。
「ええ、今後ご自分で食事をされる上でも必要です。それで学園に相談してみたんですけれど、やはり身分証明が必要です。正式に学園の生徒になったら身分証明書が発行されるので、その時改めて口座を作ることをお勧めします」
「なるほど」
そのあたりは銀音の方が理解が早く、ナサニエルは不可解そうに眉をひそめている。
「人間の生活とは何やら面倒なのだな」
「とにかく金だ。金がないと何もできないし、何も自分の物にはならない」
牙撃は言いながら自分の財布から全種類の硬貨と紙幣を取り出し、その価値を教えた。
一通り牙撃の説明が終わったところで、
「それじゃあ、次は学園の中を案内するよ」
九鬼が二人に部屋を出るよう促した。
●部屋の外の世界
「まずは教室です。人間世界の歴史や、言葉なんかを学べますよ」
「ほう、興味深い。学ぶのは嫌いではないぞ」
九鬼が教えると、ナサニエルは興味津々な様子で授業中の教室を覗き込む。
「ここは食堂。お腹がすいたらここでご飯を食べます」
「食事するにも金がいる。ほら、あそこに券売機があるから……」
牙撃が利用の仕方を教えてやる。
「ここが依頼斡旋所です。ほら、色々依頼が張り出されているでしょう?」
ふむふむ、とナサニエルと銀音は壁にずらりと貼られた依頼を眺めた。
「手っ取り早く稼ぐにはここだ。自分に合った依頼を探して、参加すればいい」
依頼の見方や内容などを牙撃がレクチャー。
それから購買や科学室等、今までナサニエルと銀音が行ったことのない所を見て回った。その時々に牙撃やメレク達が説明を入れてくれて、ナサニエルにとっては何かと新鮮な刺激になっているようだった。
「色々ありますけど、学園に慣れるなら歩きがお勧めです」
「あ、九鬼、どこ行くの?」
「今依頼中なんだ。学園の案内してるところ」
「そっか、がんばれよ〜」
途中、生徒の一人に呼び止められた九鬼が挨拶を交わす。
ナサニエルと銀音は何となく九鬼や星杜達の後ろに隠れていた。
「生徒達は……、私が相手でもあんなふうに挨拶をしてくるのだろうか……?」
ぽつりとナサニエルがつぶやいた。
「ナサニエル様……」
銀音は心配そうに主を見やる。
生徒の中には天界の眷属ということや事件を起こしたことで彼らを快く思わない者もいるだろう。結局ここでも、天界で裏切り者と誹られる扱いと変わらないのだとしたら。
「以前にも言いましたが……貴方はこの先長く、許されることはないでしょう。貴方を罵る人も、それ以上の害意を持つ人も、いるはずです」
九鬼が二人に諭すように言った。
「でも、折れないでいて。貴方は決して弱くない。だから、今ここにいるんだと思います。……ちょっと上から目線ですけど……僕は貴方を許します。『仲間』に、なりましょ?」
にっこりと、笑いかける。
「……分かった」
心なしか、ナサニエルの目が安堵したように銀音には見えた。
「さて、今度は俺の家にご招待しますよ。取りあえず美味しいもの食べましょう〜。お金の使い方を実践がてら、商店街で買い物してから行きましょう〜」
星杜の寛大な申し出に、ナサニエルは実際に人の生活が見られるのは願ってもないことだと喜ぶ。
そんな訳で皆は商店街にくり出した。
食材を買う店は牙撃がちょいちょい
「この店は高い。他へ行くぞ」
と吟味しながら回り、メレクが新鮮な食材の見極め方などをナサニエルに教えた。金を渡して会計を一人でやらせてみたり、そんな主の様子を脇でハラハラしながら見守っている銀音がいたりしながら買い物を終え、星杜の自宅へやって来る。
「料理作りご一緒しませんか? エネルギー摂取の手段、料理を勉強するのもいいと思います」
キッチンで買って来た物を用意しながら、星杜が二人を誘う。
「うむ。これらがどうシチューになるのか見当もつかぬ。銀音、よく見て覚えるのだぞ」
「ああ、やっぱり俺が作るんですね……」
「私も手伝います」
メレクも参加し、シチューとケーキ作りが始まった。
途中
「粉はちゃんと量って入れないと!」
とか
「それは食べられません!」
とかのメレクのツッコミがありながら、どうにか米粉でもっちりのホワイトチョコ入り白いブッシュ・ド・ノエルと、ホタテやイカ、白い舞茸などのクリームシチューが出来上がった。
「おお、すごいな銀音! このようなものが作れるとは!」
ナサニエルは目を輝かせて感激している。
「ケーキの仕上げに、この果物をナサニエルさんのセンスで飾ってみてください」
「いいのか? よし、やってみよう」
ナサニエルが片手で色とりどりのフルーツを飾り付けているのを見ながら、星杜が話し出す。
「俺も人間に村八分にされてぼっちだった。悪魔にも両親やられたし天使にも施設の皆やられた。でも天も人も魔もその人次第だって思ってるよ」
ナサニエルはふと手を止め星杜を見つめる。
「あんたは人も天も魔も憎んでいないというのか?」
銀音が尋ねると星杜は微笑みを返す。
「この学園で家族もできたよ」
星杜は居間から家族写真を持って来て見せた。星杜本人と、妻であろう女性に小さな子供が写っている。
「この子は養子なんだけどね」
屈託ない星杜の顔には、怨嗟の欠片も宿ってはいなかった。
「……あんたは強いな」
銀音が小さく漏らした。
メレクも銀音に向けて語る。
「すぐにとは申しません。ここでの生活を受け入れるのと、貴方の中にある葛藤の解決は別の話です。私は、今は人間嫌いのままでも構わないと思っています。ご自分で見つけた答でしか、貴方の感情は納得しないでしょうから」
銀音は『人間嫌いでもいい』という意見に驚いていた。
話している間にフルーツの飾りつけは完成したのだが、結局上から粉砂糖を隠れるほどにかけたので、真っ白なままのケーキになった。
思わずぷっと吹き出す星杜。
「あはは、白いもの好きなんですね〜。それなら和菓子の淡雪羹とかもとろけて美味しいですよ〜。スイーツ以外なら自然薯豆腐もほかほかご飯にかけて最高ですし」
「おお、食べてみたいな! 銀音、全部作り方を覚えるのだ!」
「はいはい……」
銀音にとっては疲れる料理だったが、人に対しての見方が変わりつつあった。
食事を終えてから、源平が切り出す。
「人間の娯楽も知っておいた方がいいで御座るな。まずはこれ」
と携帯ゲーム機をナサニエルに手渡す。すでにいくつかの名作ゲームをダウンロードしてある。
「フフーフ、入門編で御座る。あとはせっかくのイケメンなので顔出しブロガーでもどうで御座る? 上手く色々な方面の意見をもらって役立てたり、イメージ戦略とかもできるといいで御座るな。電子の海は広大よ、で御座る」
「ブロガーとはなんだ? 海は確かに広いが」
「そーいう海ではなくて、これはネットで……」
まだネットを理解してないナサニエルにどうにか説明し終わると、銀音が難色を示した。
「これは、誰でも見られるのか?」
「基本はそうで御座るな」
「ダメだ、そんなナサニエル様を見世物にするようなこと! それに、事件のことが世間に知れたら」
「なればこそで御座るよ」
源平はさっきまでのお気楽な様子とは打って変わって、真面目な顔つきになった。
「遅かれ早かれ、いずれ分かってしまうもので御座る。後になって隠してたな、という事態になるより自分から隠さず話す方が良いと思うで御座る。今はまだ許しを請わねばならんで御座ろう。ネットであれリアルであれ、炎上覚悟で何度でも繰り返さねばと思うで御座る」
ナサニエルはその言葉の意味をじっくり考え――、口を開く。
「今すぐはできないが……、自分から事件のことを言った方がいいということは、了解した」
「ここで折れ曲がって腐れ落ちるか、『それでも』と手を伸ばし続けていけるか。手を伸ばせるならば、それこそ人と天使と悪魔との未来に『可能性』があるかもしれんで御座るよ。さぁさぁさぁ、その魂の輝きを魅せてくれよ――で御座る」
源平はチラリと悪魔の本性を見せ、天使の葛藤を面白がるように薄く笑った。
「……ちょっといいか」
牙撃が席を立ち、ナサニエルと銀音を皆から離れた部屋の隅へ連れて行く。
「この学園も決して良い奴ばかりではない。今回はお前のために動いてくれる奴らがいたが、それはお前が『天界から見捨てられて困っている』からだ。『可哀想に、仕方ないから助けてやろう』そんな自己満足な正義感。お前を助けた理由はそんなものかもしれん」
牙撃の話に、二人は何の感情も表さず耳を傾けていた。
「絆だの皆幸せにだのうそぶいていても、必ずその中から弾き出される奴がいる。自分さえ良ければ、気に入らない奴には手を差し伸べようとしない。この学園だろうとそんな奴は大勢いる」
牙撃は二人に告げるには相応しくないことだと解ってはいたが、言わないのは公平ではないと感じた。どこにでも必ずある闇の部分。
「お前も『見捨てられた可哀想な天使』という看板がなくなれば、誰からも必要とされなくなるかもしれん。いてもいなくても変わらない、俺のように……。『それでも』堕天するのなら、そこはよく理解しておけ」
それは牙撃の本音だった。言うだけ言って、牙撃はテーブルに戻る。
「……人間にも色々いるのだな」
ナサニエルが牙撃の後ろ姿に理解を示す視線を向けた。
「……」
牙撃も居場所を探しているのかもしれない。自分達のように。
ふと、銀音はそう思った。
●かくして
「今日は世話になった。色々勉強になったぞ」
学園まで戻って来たナサニエルと銀音が皆に礼を述べていると、最後に、と九鬼が銀音に
「……君達は互いのことを想い合う、幸せな主従だと思う。支えてあげてね、ナサニエルさんのこと」
そっと言うのだった。
続けてメレクが二人の正面に立ち、真っ直ぐな瞳で見上げる。
「私からは、ここに来た時最初に教わった礼儀作法をお伝えします」
「わ、分かった」
二人が真剣に聞く気があると確認してから告げる。
「絶対に死なないでください」
一瞬二人は目を見開き、やがて深くうなずいた。
この先ナサニエルと銀音に敵意が向けられることもあるだろう。牙撃が言ったように、優しい学園生ばかりではない。
だけどここには少なくとも、ナサニエルの命を助け、『仲間になろう』と言ってくれた者達がいる。それなら、堕天した先にも希望があるのではないか。
「学園も本当に人道的なのだねぇ。捕虜にすら使えんのが功をなしたのかな?」
ナサニエルと銀音が正式に学園生徒になったことを聞いて、秋桜は感心したように言った。
その隣で源平が何やらメールを打っている。
『こちら林檎蛇、アダム達は自分達の足で歩き出す』
意味深なメールは女性主催文化系へと送信され、源平は満足げに笑った。