●間一髪
「兄ちゃーん!!」
和樹少年の声が響き、広士の手が引きずられまいと道路を引っ掻く。
和樹は驚きのあまり尻餅をついたまま動けない。
「くっそぉ……!」
広士の努力も虚しくずるずるとヘドロ怪人へと引き寄せられ、もうあと数メートルで完全に捕まってしまう、というその時。
『磁場形成』で移動力を上げた恒河沙 那由汰(
jb6459)が真っ先に駆け付けた。
広士に絡んでいる縄をひっつかみ、逆に引っ張り返す。
「あっ、恒河沙さん! 来てくれたんですねっ!」
歓喜の声を上げる広士へ、肩ごしにやる気なさげな虚ろな目を向け恒河沙は応えた。
「まぁな……。話は後だ」
「は、はいっ」
恒河沙が草と泥の縄をちぎってやろうとすると、もう一本縄が伸びてくる。
「くっ」
『予測防御』で広士や和樹に縄が行かないよう身を挺して防御する。縄は思ったより力が強く、鋭い攻撃も可能なようだった。恒河沙は体にいくつかカスリ傷を負った。
恒河沙の視界の端に仲間達の姿が入る。
田んぼの上を『水上歩行』で駆け抜けてくる犬乃 さんぽ(
ja1272)が勢い良くジャンプしヘドロ怪人を飛び越え、広士と恒河沙の横に降り立った。そしてポーズをつけて『英雄燦然ニンジャ☆アイドル!』を発動☆
「ニンジャ参上☆……ヘドロ怪人、お前の相手はボクだっ!」
どこからか主題歌らしき歌が流れ、スポットライトが犬乃を照らし、動く犬乃に合わせて歌って踊る彼の姿が重なって見えた。
あまりの技に怪人だけでなく少年達も呆気にとられている様子だ。
その間に染井 桜花(
ja4386)が、和樹の下へ駆け寄る。
「……助けに来た」
和樹は赤い瞳と白い肌、光纏により銀色に染まった髪の染井の姿にすっかり見入っていた。彼は本物の撃退士を初めて見たのだ。一般人とはかけ離れた目や髪の色を見てカルチャーショックになるのも無理はない。
腰を抜かした少年を、染井は優しく抱き上げる。
広士を捕らえていた縄がするりと離れた。『注目』効果でヘドロ怪人が犬乃に注意を向けたのだ。
「こっちは任せて、早く吉田くん達を安全な場所に」
犬乃が恒河沙に言うと、ヘドロ怪人が鞭のように縄をしならせて襲いかかった。
「当たらないよっ」
田んぼにひらりと着地、広士達から怪人を引き離すように移動する犬乃。
『闇の翼』で飛行して来た美森 仁也(
jb2552)とレティシア・シャンテヒルト(
jb6767)と尼ケ辻 夏藍(
jb4509)が上空に現れた。彼らは怪人の射程ギリギリの所を飛び回る。
普段は爽やかな好青年の姿だが、今は銀髪に金目、角と尻尾を持つ悪魔の本性を見せている美森は、犬乃のフォローと怪人の足止めのためにガルムSPで威嚇射撃をする。
「幼い子供が犠牲になったとしたら、彼女が悲しむからね」
美森の若い妻は面倒見の良い子供好きな性格なのだ。悪魔である美森は過去子供に対して何もしなかったとは言えない。だが、
(……まぁ、過去は過去だし)
今は妻の悲しむことは絶対にしない。それが今の美森 仁也である自分の行動原理だった。
「天魔と戦う力がないにもかかわらず、弟分を守ろうとするなんて感心です」
レティシアは広士の行動を微笑ましく思っていた。しかし見た目は広士より幼い少女でも本性は齢500という彼女にしてみれば、二人はまだまだ子供。力のある自分が助けてやらねばなるまい。
レティシアは死者の書を開き、ヘドロ怪人に聞こえるようにわざと歌うように詠唱しながら白い羽で攻撃する。
上空からの攻撃に戸惑ったヘドロ怪人に、すぐさま尼ケ辻が『八卦石縛風』を叩き込んだ。
怪人を澱んだオーラが包み込み、砂塵が舞い上がる。あまりダメージは与えられなかったが、動きが止まった。『石化』したのだ。
「おら行くぞ!」
「ぅえっ!?」
今がチャンスと恒河沙が広士を脇に抱え、和樹を抱いている染井と共にその場を離脱する。
「やれやれ、あの人の子はトラブルに巻き込まれるのがお好きなようだね」
連れて行かれる広士を上から見ながら、尼ケ辻は若干面白そうにつぶやいた。
周りには何もなく身を隠せる場所もない。戦闘の様子が分からなくなるほど離れてしまってもいざという時駆けつけられないので、適度な所で恒河沙と染井は足を止めた。
「……怪我はない?」
「大丈夫だよ」
和樹を下ろしながら染井が尋ねると、和樹はまだ少し戸惑いつつもしっかり答えた。
「すまねぇ、ちと広士借りるわ」
恒河沙は広士を抱えたまま、『闇の翼』で飛んでゆく。
「どこ行くの?」
和樹が驚いて染井に聞くが、染井にも恒河沙の意図は分からない。
「……心配ない。……彼のことは那由汰が守る。……君のことも、私が守る」
染井は誠意を込めて真っ直ぐ和樹の目を見ると、少年は大人しくうなずいた。
「え、ちょっ、何ですか!?」
戸惑う広士をよそに、恒河沙は縄の射程外まで高度を上げてからぶっきらぼうに言った。
「おめぇ……最近色んなモンに絡まれるな……」
「好きで絡まれてる訳じゃないですよ!」
「じゃあ今回の事はどういうこった、話してみろ」
広士は恒河沙に事の顛末を一通り話した。
「――という訳で……あの、聞いてました?」
恒河沙は話の間中ほとんど広士の方を見ず何も言わなかったので、不安になったのだろう。無関心な態度を見せていても、実のところ恒河沙はちゃんと聞いていた。
「解ってるよ、なんだ洸矢って呼べばいいのか?」
中二病全開の広士に会っている恒河沙は、『我龍院洸矢』が広士の撃退士名だったことを知っているのだ。
「それはもういいですって!」
耳まで真っ赤にして照れる広士に、恒河沙は改めて尋ねる。
「なら、おめぇはどうしたいんだ?」
●ヘドロ怪人対撃退士
撃退士にも色々いる、と仁良井 叶伊(
ja0618)は知っている。
「撃退士といっても……何を成すかが問題なんですよね」
身長2mという大柄な仁良井は、本名も出自も分からない。自らの素性を追い求めるうちに、そんなことを考えるようになった。
撃退士でない広士が必ずしも劣っている訳ではなく、『何を成したか』が大事なのだ。
「ひとまずは目の前のディアボロを何とかしましょうか」
仁良井は『石化』したヘドロ怪人に踏み込み、『スタンエッジ』を放つ。電気の攻撃はヘドロ怪人にダメージを与え、『スタン』に成功した。
仁良井はすぐさま染井達の方に後退する。
「よーし、ニンジャの力でヘドロ怪人をやっつけちゃうよ! 幻光雷鳴レッド☆ライトニング! 怪人だってパラライズ☆」
犬乃が八岐大蛇をかざすと、真紅の雷光が集まった。それを一直線に解き放つ。
『麻痺』にはならなかったが、続けざまの攻撃でヘドロ怪人の石化した頭の一部がボロリと欠けた。
バッドステータスから復帰した怪人は、4本の縄を腹や背中、腕から出し、滅茶苦茶に振り回した。
犬乃はジャンプして上手くそれをかわし、仁良井は避けたはいいけれども横ざまに転がった際田んぼに体半分落っこちてしまった。
ヘドロ怪人は縄を振り回しながら植えたばかりの稲をなぎ倒して突き進み、染井と和樹の方へ向かう。
「お姉ちゃん、あいつが来るよ!」
怯えて染井の後ろで身を縮める和樹に、彼女は言った。
「……私が引き付けるから。……逃げろ」
迎撃するために染井は前に出るも、うっかり膝まで田んぼの泥にはまってしまい体勢が崩れる。
「!」
ヘドロ怪人の縄が二本素早く伸びてきて、染井の首に巻き付いた。
「……くっ」
『束縛』になってしまったようだ。
「そうはさせません」
三本目の縄が染井を打ち据えようとした時、上空からレティシアが死者の書の羽を飛ばして縄を弾く。
尼ケ辻も海龍霊符で水の龍を出し、染井の首を絞めている縄に攻撃した。一本の縄が切れ、警戒した怪人は縄を引っ込め、染井は解放される。
広士との会話を終えた恒河沙が、染井を田んぼから引っ張り上げた。
美森が怪人の側まで降下して、『挑発』してみる。
「そっちばかり見てると痛い目を見るぞ?」
しかし怪人は美森に見向きもしなかった。
「……くそ」
美森は銃を連射し、さらに注意を引こうと試みる。
「動きは早くない、狙い撃ちです」
仁良井も雷帝霊符で雷の刃を放った。怪人の体の水草と汚泥が少しずつ削れてゆく。
尼ケ辻はヘドロ怪人の前に降り立ち、武器を闘神の巻布に変更した。
「意外と足を取られるな」
田んぼ内の動きにくさに尼ケ辻は少し顔をしかめた。
ヘドロ怪人が大雑把な腕で殴りかかってくるのを捌きながら胸に拳を二発お見舞いすると、怪人は口から臭い息を吐きだした。
バフゥ!
「うっ!」
ヘドロ臭が尼ケ辻の鼻をつく。『腐敗』にはならずに済んだ。
尼ケ辻は息を止め、反撃に力一杯の膝蹴りを奴の腹部に喰らわせて飛び退った。
「おいで、もう一人のボク……♂双忍♀ダブル☆ステルス!」
犬乃が印を結んだ指で宙にニンジャ鏡を描き、そこから影分身の犬乃(乳有り 違和感なし)を出現させた。
「惑わせちゃうよ!」
二人の犬乃は一人が右から来るかと思いきやもう一人が左から、と見事な連携でヘドロ怪人を翻弄、ダメージを与える。
ヘドロ怪人は犬乃の方へ再び腐敗臭を吐きながら突っ込み、いきなり4本の縄を同時に突き出した!
「わわっ!」
「きゃっ!」
二人の犬乃は腕から出た二本の縄を身軽に回避、肩から上に出された縄はレティシアの腕をかすった。最後腹からの一本は仁良井に向けられたが、先程尼ケ辻が切ったおかげで仁良井まで届かなかった。
「危ないじゃないですか!」
レティシアは『ファイアワークス』を放つ。
爆発と共に色とりどりの炎が弾けて散る。ボトボトと怪人の体から塊が落ち、形が崩れてきた。
「止めだもん!」
犬乃は二人同時に飛び出し、分身の攻撃と交差するように、本物の犬乃が『風遁・韋駄天斬り』で怪人の体を切り裂いた。
腐った水草と汚泥の塊はだんだんしぼんでいき、ヘドロ怪人は倒されたのだった。
●正直に
染井や仁良井、尼ケ辻は足が泥だらけになってしまい、田んぼ自体も戦闘の影響でぐちゃぐちゃになってしまった。あとで農家の人に事情を話さなければならない。
恒河沙が仲間達に広士から聞いた今回の経緯を手短に話すと、皆は事情を察してくれた。
「皆さん、どうもありがとうございました!」
広士が皆に勢い良く頭を下げた。
「ほら、お前もお礼言わなきゃダメだろ?」
と和樹の頭に手をやり下げさせる。
「ありがとうございました!」
「恒河沙さんはもちろんのこと、染井さんと尼ケ辻さんもまた助けてもらって、すみません」
もう一度深々と頭を下げる広士。
「まあまあ、大変な目に遭った後ですから。はい、一息入れましょう?」
レティシアは紅茶を取り出し、広士と和樹に差し出した。
「どうも……」
早速飲んで、広士は気持ちを落ち着かせる。
「怖くなかったです? 大丈夫?」
レティシアが笑顔を見せながら和樹に尋ねる。
紅茶を啜ってから和樹は口を開いた。
「おれ平気だよ。ねえ、みんな我龍院兄ちゃんの仲間なんだよね? でも……、我龍院兄ちゃんは全然戦ってなかったけどどうして?」
無邪気な瞳が痛い。
広士は助けを求めるように撃退士達を見るが、皆押し黙ったままだ。
仁良井は広士と目が合ってしまう。
「いや……私には何とも言えないです」
少し申し訳なさそうに目を閉じた。何が正解かは本人にしか分からない。
「和樹君ならちゃんと解ってくれますよ」
レティシアが勇気づけるように言うと、広士は決意したようだった。
広士は和樹と向き合い、思い切って告げる。
「ごめんな、和樹。俺は本当は撃退士じゃない。ただの人間だ」
「えっ?」
「本当にゴメン、騙すつもりじゃなかったんだ。俺自身もそう思い込んでて……でも、ごめん」
その告白に和樹は一瞬目をまん丸く見開き、やがて意味を理解すると悲しげにうつむいた。
「そっか……、兄ちゃんはゲキタイシじゃなかったんだね。嘘、だったんだ」
『嘘』という言葉が広士の胸に突き刺さる。だけど今は何を言っても言い訳にしかならない。
そして沈黙。
その沈黙を破ったのは尼ケ辻だった。
「でも、今や過去に君を庇い、助けてくれたことは嘘じゃないだろう? 撃退士でなくたって、手を差し伸べるべき時にそれが出来るのは尊いと思うけれどね」
「広士は確かに撃退士じゃねぇ。でも、いつもおめぇを助けてたんだろ? それじゃ駄目か?」
尼ケ辻と恒河沙の言葉に、和樹の目が物言いたげに動いた。
「……彼は立派な『戦士』だ。……君を見事に守ったのだから」
染井が和樹の目をじっと見て、次に広士を見つめた。
「……君は今まで和樹を守ってきた。……これからもそうするのだろう?」
「は、はい、もちろんです。和樹が困ってるならこれからも助けますよ!」
「我龍院兄ちゃん……」
広士の宣言に和樹は顔を上げる。
「その名前はもういいよ。『我龍院洸矢』は卒業したんだ」
「そっか。じゃあ、広士兄ちゃん、また呼んだら来てくれる?」
「ああ、俺はお前の味方だ!」
「うん!」
元気よく返事して、和樹は解ってくれたのだった。
「撃退士じゃなくたって、誰かを護りたいって気持ちがあるなら、ボク達は仲間だよ」
にこっと犬乃もとびきりの笑顔で広士に笑いかける。
「ありがとうございます、お姉さん!」
「えっ、ぼっ、ボク、男だから……分身は何故か女の子だけど」
真っ赤になってもじもじする犬乃。それにつられて間違えた広士も何だか恥ずかしくなってしまった。
「何かすみません」
「……どうやら丸く収まったようだね」
美森はホッと微笑んだ。
彼らが仲違いしなくて良かった。妻も喜んでくれるだろう。
「ねえねえ、さっき広士兄ちゃんと空飛んでたよね! いいなあ〜」
和樹が恒河沙を見上げて子供特有のおねだり攻撃。
恒河沙にヒット!
「ちっ……少しだけだぞ……ちゃんと掴まってろよ」
「やったあ!」
恒河沙は広士と和樹を抱えて、田んぼの周りを飛んでやった。
初体験にはしゃいでいた和樹が恒河沙に質問する。
「ねえ、ゲキタイシの兄ちゃんは広士兄ちゃんのこと知ってたの? 前から仲間だったの?」
「あ? 俺か? 俺は広士の……あー……し、師匠だ」
「えっ!?」
恒河沙の発言に一番びっくりしたのは広士だった。
「そうなんだ! 広士兄ちゃん、ゲキタイシじゃなくて弟子だったんだね!」
「あはは、そーなんだよー……って、恒河沙さん?」
広士が小声で恒河沙に問いかけてくる。
恒河沙は視線も合わせぬまま、いつものように無愛想に答えた。
「おめぇが嫌なら否定しとけ」
「嫌なんてまさか! 超嬉しいです!」
恒河沙の顔が少し照れくさそうに見えたのは気のせいだったろうか。
夕暮れの空に少年達の楽しそうな笑い声が響き、それを暖かく見守る撃退士達の影が道路に長く伸びていた――。