●シュトラッサーの頼み
「お止めください! これ以上は……!」
銀音が主に縋り付き訴えた。しかし天使は乱暴に下僕の腕を振りほどく。
「邪魔をするな。撃退士どもに、私の腕を奪った償いをさせるのだ……!」
ナサニエルの瞳はもはや銀音を見てはおらず、憑かれたように獲物を求めていた。
銀音が追い縋ると、ナサニエルは義手の左腕を体に引き寄せ呻き声を上げた。
「ぐっ……!」
「ナサニエル様!」
痛むはずのない腕が痛む。その痛みが憎しみを駆り立てる。
ナサニエル自身にもどうしようもない衝動だった。頭の奥、どこか遠くで止めたいと叫ぶ声がするが、体が言う事を聞かない。全てを吐き出さなければ収まらないのか。
銀音は主の心の内も知らず、もうどうすればいいのか分からなかった。
まさにそんな時、討伐隊が現れた。
皆辺りの惨状に驚きと怒りを隠しきれない。先に派遣された仲間達が無残な姿であちこちに倒れ伏していた。さらに一般人の遺体が何人も放置されている。
ロータリーのような広場の中心にある植え込みの側に、件の天使とその使徒がいた。
使徒銀音が彼らに気付き、攻撃させまいと両手を広げ撃退士達の前に出る。
「待ってくれ、主を殺さないでくれ! これは主の本意ではなく、変な薬を飲まされて暴走してしまっただけなんだ! 正直俺だけでは主を止められない、どうか主を助けてくれ!」
銀音は必死だ。
シュトラッサーが撃退士にこんなことを頼むなんて前代未聞だろう。まさになりふり構わず主の命を乞うている。
「薬で暴走した天使かぉ。その話を鵜呑みにするなら、誰かから見限られた落ちこぼれ、ということになるよねぇ。天界も中々にえげつないものを作るものだ」
青い肌と豊満で妖艶な肉体を持つ悪魔、秋桜(
jb4208)の一言に、銀音は苦い顔をした。
「ほむほむ。ではその願いを聞きはするで御座るし善処もするで御座るが、対価は頂くで御座るよ。――等価交換で御座る」
場にそぐわない時代がかった口調と明るさで言ったのは、源平四郎藤橘(
jb5241)だ。秋桜と同様、青い肌と赤い瞳を持つ悪魔である。ヲタクというのもおんなじだ。
その後ろで獅童 絃也(
ja0694)がフン、とつまらなそうに鼻を鳴らした。大柄で立派な体格をした、厳しい顔つきをした青年。強面をいくらかでも和らげるために眼鏡をかけていた。
「アレを討たせたくないと言うなら、自ら動きアレを止めたらどうだ。アレの目的は俺達だ。こちらが動かずとも攻撃してくるのは必定、ならばこちらも当然反撃する。それを阻止したくば自ら動け。出来ぬというなら傍で見ていろ、邪魔だ」
にべもなく切り捨てる。さらに獅童の言葉は続いた。
「人を辞め天使に与し忠誠を誓ったが、主の暴走を恐れそれを戒めることもできずとは、人はもとより従者としても終わりだぞ。そんな貴様に何が残るのか疑問だな」
銀音はカッとした。
「貴様に何が分かる! 元より俺には何もなかった! 今はナサニエル様しかいないんだ! ナサニエル様を助けるためなら何だってする!」
「分かりました、そっちの要求である、主を止めることには協力します。だからこっちの要求にも必ず応じてください。詳しくは戦闘後で」
淡々と話を進め、鈴代 征治(
ja1305)は銀音の背後に目をやる。
ナサニエルがこちらを見た。おそらく撃退士だと分かっただろう。
「さて、暴走した天使をまずはどうにかしないとねぇ」
秋桜の意見に、鈴代は素早く周囲に視線を走らせ、負傷者や天使の位置を確認した。
「僕達戦闘班がナサニエルの気を引き移動させます。その間に救助を」
あらかじめ決めておいた秋桜他救助班の面々が、同意の印にうなずく。
鈴代は光纏し、銀音の隣に一歩進んだ。
「何だってするんですよね? でしたら、あなたには僕達の盾になってもらいます。そしてナサニエルが正気に戻るよう声を掛け続けてください」
ぐっと銀音が言葉を呑む。『盾』というのが引っかかったんだろう。
そんな銀音にチラリと一瞥を投げてから、鈴代はこれ以上議論している暇はない、とナサニエルの方へと駆け出した。
ナサニエルも彼に、いや新たな撃退士達に殺意を発し、こちらに向かって来ようとしている。
「他人に助けを請うなら、それくらいはやってしかるべきだろう」
獅童も言い放ち光纏、『闘気解放』し自身の能力を高めてから後に続いた。
小柄で可愛らしい少年、キイ・ローランド(
jb5908)も光纏、青白いオーラを纏い臆せず走り出す。銀音の横を通り過ぎる際、何となく彼を見た。
(人の世界じゃ心神喪失状態って罪に問われないんだってね。それじゃあ天魔にそれは適応されるのかな?)
ふと考えた。
「まっ、普通は許さないよね。戦争してる敵なんだし」
それ以前にそもそも善悪の基準が違う。
天魔は人の命を奪うことを当然だと思っている。だからこちらもその基準に合わせ、天魔は問答無用に殺してしまえばいいのか、と言われるとそれは違うような気がした。
真剣に銀音が主の命乞いをしているのなら、最低限殺さずにこの戦闘を終わらせたい。
それがキイの思惑だった。
九鬼 龍磨(
jb8028)は光纏し、阻霊符を発動させた。
光纏の影響で白目になっているのが若干怖い印象だが、普段はにこやかで人好きのする好青年である。
(……人死にが出てるけど、事情は知らないけど、それでも……、『目の前の誰か』が助けてくれって言ってる。これをただ見過ごすのは、男じゃないよね、僕?)
九鬼は己に問いかける。
少なくとも銀音の必死さは九鬼の胸に届いた。すでに被害が出ていることを考えれば簡単には許せないが、銀音の訴えを無碍に却下することも九鬼には出来なかった。
自分達がナサニエルの命を握っているのならなおさら。
「――よし!」
九鬼は覚悟を決めたかのように拳を握り締め、ナサニエルの注意を引き付けるために向かって行った。
「交渉は後、まず助けますよ。殺す殺される殺させる、全部ご勘弁願いたい」
全身を淡い銀色に包んだ間下 慈(
jb2391)が、銀音に一言告げて皆の後ろ姿を見守る。
今鈴代がナサニエルにアサルトライフルWS1を撃ち牽制しているところだった。
銀音は自分はなんてことを撃退士に頼んでしまったのだろう、と今更ながらに痛感していた。
これじゃあ撃退士の言う事を聞かざるを得なくなる。銀音一人で暴走を止められない以上、今や主ナサニエルの命運は彼ら次第なのだ。
彼らと自分の間に信頼関係などない。
ナサニエルも銀音も元々撃退士の敵なのだ。すでにナサニエルは討伐に足る被害を出している。この戦闘にかこつけて主を殺してしまわないと、こっちの頼みをちゃんと聞いてくれるとどうして断言できる?
彼らは銀音に『盾になれ』と言った。
ならば望み通り盾になってやろう。ナサニエルが必要以上に傷付けられないように。
本当にナサニエルを生かしておいてくれたら、彼らの条件を呑むしかない。
――主を助けるためなら、どんなことだって。
決心しいざ交戦の始まったナサニエルの所へ向かおうとしている銀音の服の端を、山里赤薔薇(
jb4090)がつい、とつかんで引き止めた。若干おどおどした感じの、小柄な少女だ。
山里は不可解そうに己を見下ろしている銀音を上目遣いに見る。
「……約束、必ず守ってくださいね。あの人達の命は還らないことも忘れないで」
ナサニエルに感情を抜かれて死んでしまった一般人の遺体を指差し、押し殺した怒りに震えながら言った。
銀音のピクリとした反応が服を通して伝わって来たが、銀音は口を引き結んで山里を見返してから、そのまま行ってしまった。
普通は天魔に人の命の重さを説いても無駄かもしれない。
でも元は人だった、そして今は主の命を想う銀音なら、解るんじゃないかと山里は思った。大切な人を失いたくない想いは、使徒でも人間でも同じだと。
そう期待してしまうのは浅はかだろうか。
(きっと皆、色々な葛藤と戦ってる。私は……!)
自分の心に従い、出来ることを。
●暴走を止める
鈴代は負傷者からナサニエルを遠ざけるために移動しながら威嚇射撃する。
ナサニエルが素早い動きでそれをかわし鈴代へ飛びかかろうとすると、斜め後方から獅童が強く地面を踏み付ける震脚と同時に打ち込んだ。
不意を突かれてナサニエルは脇腹に一発喰らった。
「うっ!」
天使相手に手を休めるつもりはない獅童は、続けて肘撃へと繋げる。しかし今度は大きく跳んでかわされた。
「こっちだ、お前の大っ嫌いな撃退士はここにいるぞ!」
望む方向に誘導するために挑発する九鬼。
「やあ、弱虫天使。今度はどこを落とされたいんだ? 右腕か、足か、それとも首かい?」
キイもそれに加わった。
ナサニエルは簡単に挑発に乗り、二人へと地を蹴った。
貫手を矢継ぎ早に放ってくる。
「うわっ!」
「くっ!」
二人は『シールド』で盾を出して防御しているが、ナサニエルは理性の窺える目つきではなかった。タガが外れ容赦のない攻撃は重く、付け入る隙がない。
再び獅童の渾身の力と一撃必到の気迫を込めた崩撃が天使を襲う。
「ナサニエル様!」
決まると思われた瞬間、銀音が間に入り拳がずらされた。
ナサニエルはさっと獅童に振り向くと、カウンター気味に貫手。
「がっ……!」
ナサニエルの指が獅童の右腕の付け根に深々と突き刺さっていた。
「大丈夫ですか!?」
ルーメンスピアに持ち替えた鈴代が獅童の脇から突きを繰り出し、ナサニエルを離れさせた。
「ふん、大した傷ではない……」
獅童は平気そうな顔をして痛みすらも訴えていない。それでも出血の量や傷の酷さを見れば結構な深手のようだ。
「自分が!」
キイが駆け寄って『ライトヒール』を使う。
「ナサニエル様、もう止めましょう。このままではナサニエル様のお心が壊れてしまいます」
視界を遮るように銀音がナサニエルの前に立ちはだかる。
天使は澱んだ目を下僕に向けた。
「銀音、お前はそちらについたのか? 私を裏切るのだな?」
「そんな訳ありません! 俺はただ、ナサニエル様の御身を心配して……!」
「うるさい、うるさい……!!」
ナサニエルは聞きたくないとばかりに頭を振り、その腕が上がる。
「マズイ!」
鈴代が叫びが終わらないうちに、天使の手から無数の水晶の槍が飛び出した!
「乗ってくれたようですね」
九鬼とキイの挑発によって戦場が移動したのを見て、間下が皆に言った。
「それじゃ行くかねぇ」
秋桜は『ハイドアンドシーク』で闇の中へ身を隠し、倒れている仲間の所へ静かに移動を開始した。
他の者もそれぞれ散る。
間下と源平は怪我が特に酷そうな二人を、戦闘とは反対側、さらに広場の周囲にある植え込みの向こうに運んだ。
源平はすぐに次の救助者へと向かい、間下が『凡療』で治療に当たる。
「すぐ楽にしてあげますからね……!」
言っていることが物騒だと間下本人は気付いていない。
間下は自分のアウルを弾丸状にし、それを傷口にねじ込んだ。徐々に出血は止まり、最低限の処置ではあるが、これで生命の危機は脱しただろう。
隣に同じくらい重傷を負った生徒を山里が連れて来た。
山里はその生徒がうっすら目を開けたのを見て、ほっと小さく息をついた。
「よく生きて耐えてくださいました。後は私達に任せてください」
安心させるように言い、『ライトヒール』で回復させる。
「この子達も頼むぉ。さすがに討伐隊は皆危険な状態だねぇ」
秋桜が二人両腕に抱えてきて、傍らに横たえた。二人共やはりあちこちに傷を負っており、間下と山里は回復スキルを使い続けた。
源平は仲間の他にも、一般人の遺体も一箇所に集めようとしていた。
このまま放置しておいたら戦闘のために遺体が損壊してしまう恐れがある。遺族にしてみれば突然に命を奪われた挙句遺体もボロボロではやりきれないに違いない、と思ってのことだった。
戦闘に警戒しながら近い遺体の下へ行くと、ナサニエルの水晶槍がこちらにも飛んで来た。流れ弾ならぬ流れ槍だ。
「!」
咄嗟に『緊急障壁』で遺体を庇うようにガードしたが、二本の槍が右足と左腕の肉を深く抉っていった。
源平にとっては天使と悪魔、カオスレートの差がナサニエルの攻撃を強力にさせていた。
「く……、結構クルで御座るなあ……」
源平はタオルとハンカチで傷口を縛り、遺体に向き直る。
遺体は無傷だ。源平は満足そうに微笑み、名も知らぬ遺体を抱き上げた。
下僕さえも巻き込み放たれた水晶槍に、鈴代は反射的に伏せて回避した。
獅童とキイはちょうど銀音が壁となってほとんどダメージは受けておらず、九鬼は顔の前に腕を交差させ防御体勢を取り『不動』でその場に踏み止まった。
ナサニエルは飛ばされた銀音に振り返ることもせず、伏せた鈴代に追撃しようとする。
「なんのっ!」
鈴代は転がって胸への一撃を避け、起き上がった。
ナサニエルもそれを追い貫手を突き出す。
鈴代はクリアワイヤーを腕に巻きつけ、『シールド』で受ける。ワイヤーを巧みに扱い、連続で出される貫手を捌き、逸らしていた。捌ききれなかった攻撃が鈴代の身を削っていく。
「相手は一人だけじゃないぞ」
キイは言うやいなや間合いを詰め、鋼のごとく固めた力をナサニエルにぶつけた。『フルメタルインパクト』だ。ただのサーバントやディアボロなら一撃で瀕死に追い込める程の威力がある。
殺すつもりはないが、天使相手に手加減もできない。戦闘力を失わせるために腕の一本や二本奪ってしまうのは仕方ないと言えよう。
その衝撃に口から血を吐いてナサニエルが倒れた。
「ナサニエル様!!」
銀音が駆け寄る。
「銀音……?」
助け起こされ、ぼんやりと銀音を見つめる主。
「どうした、その怪我は……?」
「正気に戻られましたか!?」
暴走時の記憶があやふやでも、自分を気遣う言葉に銀音は喜んだ。
「正気……? 何のことだ……?」
ナサニエルの瞳が揺らいだ。それは心の表れだったか。
霞む目に撃退士の姿が映る。
撃退士は私の腕を奪った――。
ナサニエルの顔つきが変わった。正気を取り戻し穏やかにさえ見えたそれが、無表情の作り物のように。
耳鳴りがする。憎むべき敵を囁く声が聞こえる。
撃退士は皆敵だ。
「大丈夫です、今戦いを止めれば撃退士も手を引きます! ですから……!」
「――あぁあ!!」
ナサニエルは懇願する銀音など存在しないかのように無視し、獅童へと突進した。
「!」
獅童も望むところだとばかりに再度『闘気解放』し迎え討つ。
天使の手刀を受け流し震脚を伴った拳撃から靠撃をお見舞いした。
「ナサニエル様、しっかりしてください!」
獅童は主に声を掛け続ける銀音を上手く壁にするよう立ち回り、合間から拳撃を放つ。
目の前に己の使徒がいれば少しは攻撃を躊躇うかとも思ったが、ナサニエルは頓着しなかった。
イラついたナサニエルが銀音越しに鋭く貫手を打ってきた。
「そう何度もやられるか!」
獅童は身を回転させてナサニエルの側面に回り込み肘を打ち込む。
さらに攻撃を加えようとする獅童の射線を塞ぐように、銀音がいた。こちらが強力な一撃を与えようとすると、銀音が邪魔になる。銀音は良くも悪くも見事『盾』になっていた。
すう、と獅童の目が細められた。
(無差別に殺戮したコレを見逃せと? 成れの果てというのは的を射ているのかもしれんがな)
このまま使徒もろとも天使を討伐できれば、それは僥倖ではないのか。
そう、見ていることしかできなかったあの時とは違う。今の自分にはその力がある。
拳を引き力を溜める獅童。
力強く踏み込み、崩撃!
「待った!」
誰かの声と共に黒いロングコートが視界の端に翻った。
間下が駆け込み、銀音に『防壁陣』をかけたのだ。
キイが崩撃の当たる直前獅童の腕をつかんだため、銀音にダメージは通らなかったようだ。
銀音は戸惑いをにじませた表情で獅童やキイ、間下を見ている。
「今、彼ごと殺ろうとしたよね? 騎士としてその行いは見逃せないな」
獅童の腕から力が抜けるまで、キイは手を離さなかった。
「僕は銀音さんに助けると言いました。言った以上、獅童さんに殺させることもしたくありません」
間下も真剣な眼差しを獅童に向ける。
一度約束したのだから、仲間にもそれを反故にするようなことはさせない。自分に才能はないかもしれないが、人としての誇りくらいはある。
獅童は小さく舌打ちし、この場は一旦引くことにした。
「ほらほらどうしたぁ! そのお綺麗な腕が痛むんだろう!?」
九鬼がナサニエルの注意を引こうと声を上げた。
ナサニエルは憎悪をたぎらせ九鬼に向かって行く。
九鬼は冷静にストリームシールドで貫手を防ぎ、三度目の攻撃が当たる瞬間、後ろに下がった。
そのせいでナサニエルは腕を引くのが遅れる。すぐさま九鬼はその伸びきったナサニエルの左腕を取り、脇に抱えへし折ろうとした。
「ぐあぁっ!」
水晶の腕は折れはしなかったがヒビが入り、ナサニエルは痛みに呻く。
右後方の植え込みの陰から山里がバスターライフルAC-136を撃った。左後方から源平が魔法書で雷の玉を飛ばす。
動きが止まったナサニエルに当たった。
救助班が救助を終えて全員戦闘に合流したのだ。
秋桜は変わらず闇に隠れ、ナサニエルの背後に回りながら『グローリアカエル』を出す機を窺っていた。
「腕が……腕が――!!」
ナサニエルは激しく動揺し、わなわなと震えたかと思うと、翼を一打ちし上空へ飛び上がった。
「まさか――!」
銀音が警告を発する間もなく、水晶槍が皆の頭上から降り注いだ。
「うわぁっ!!」
「キャア!」
「くっ……!!」
鈴代は近くにいた銀音の後ろに身を屈めたのでカスリ傷で済んだ。間下は足に槍を受け負傷、山里とキイ、九鬼はかわしきれず浅い傷を負った。獅童も腕に刺さったようだ。源平は『緊急障壁』で防いでおり、槍は全弾源平のギリギリをかすめていった。
地面の至る所にいくつもの穴が空いていた。
(ぁ、危なかったぉ……)
秋桜はナサニエルの死角の植え込みに身を潜めていたおかげで未だ無傷だった。
皆が少なからずやられているのを見て飛び出したい衝動に駆られるも、自分は勝敗を決するであろう一撃を放たねばならないことを考えると迂闊に出て行けない。『グローリアカエル』は確実に直撃させなければならないのだ。
(皆、もう少し、チャンスが来るまで持ち堪えてくれ)
●一瞬のチャンス
ナサニエルが上空から襲ってくる。
「ナサニエル様! 待ってください、ナサニエル様!!」
銀音は飛び回る主を追っていた。
キイは源平の傷が思いの外深いのを見て取り、『ライトヒール』をかけてやる。一回では足りない程の怪我だった。
ナサニエルの貫手が上空から九鬼に打ち下ろされた。
「うぐっ!」
九鬼は『シールド』を使っているが明らかに不利な状態だ。反撃しようとしてもすぐに逃げられてしまう。
山里はライフルを構えながら、天使の翼に照準を合わせていた。
急所を狙うこともできる。でも――。
「私達は殺戮者じゃない。分かり合えそうな相手を制するのも役目なんだ!」
ぐっと唇を噛み締め、山里はその瞬間を待った。反対側では源平が、さらに離れた距離からは間下が、同じようにタイミングを図っている。
再びナサニエルが降下してきた時、九鬼はストリームシールドを押し上げた。
「これでどうだ!」
「ぬっ!?」
意表を突かれ次の行動が遅れたナサニエルに、双方向から山里の弾丸と源平の魔法書の攻撃が立て続けに放たれる。
天使は羽を散らしつつも辛うじてそれをかわした所に、間下が控えていた。
間下は『凡程』の手順、リボルバーCL3を三回回して『わん』とつぶやいた。それから引き金を引く。
ナサニエルは避けきれず、片羽の真ん中を撃ち抜かれた。
「ナサニエル様!」
銀音はバランスを崩し落下した主の下へ走る。
「が、ぁ……!」
――腕が、痛い。
ナサニエルは水晶の義手を抱え身を折り曲げた。
鈴代はチャンスを見逃さなかった。
ナサニエルの側面から接近し、『ウェポンバッシュ』を叩き込んだ。ナサニエルの負傷度合いなど一切考慮しない一撃だ。
銀音の要請に協力はする。けれども『天使が気絶するくらい』という絶妙な力加減などできるはずもない。鈴代はよしんばこの攻撃で倒してしまっても、それはそれでいいと考えていた。そうなったとしてもこちらに何の損もないのだから。
ナサニエルは後方に飛ばされ植え込みにぶつかった。
ぐらりと首をもたげ、鈴代へ水晶槍を飛ばすと同時に走り出す。
槍のすぐ後ろにナサニエルが迫る。
「!!」
槍は顔を背けかわせたが、貫手はかわせなかった。憎しみを込めた下手の貫手が、鈴代の腹を貫いていた。
「ごほっ……!」
崩折れる鈴代。
キイはナサニエルの背後に秋桜の姿を確認した。獅童も秋桜の姿を見つけその思惑を察し、密かに『練気』で次に備えた。
天使の気をこちらに集中させるためキイが再び『フルメタルインパクト』を見舞う。
「当たると痛いぞ?」
ナサニエルは先程喰らった威力を恐れてか、大きく逃げようとした。しかし植え込みに引っかかり倒れ掛かる。
今こそ好機!
秋桜は己のマイナスのカオスレートに加え、さらに闇を纏い天使にとっては凶悪なまでに強力になった弾丸を出現させる。
秋桜の後方には、万が一の反撃に備えて『庇護の翼』を使えるようキイが移動していた。
討てる時に討つ! 必ず一撃は喰らわせる!
ナサニエルの正面から、獅童も秋桜の攻撃に合わせ『乾坤一擲』の力を乗せた腕を大きく振り上げた。
その技は伏虎。
「その生と共に沈め」
奴らがしようとしている攻撃はマズイ。
銀音は直感した。
あの二人の攻撃をいっぺんに受けたら、ナサニエル様は死んでしまう!
秋桜の『グローリアカエル』が放たれた!
同時に獅童が震脚し腕がナサニエルに叩き付けられる!
銀音は主を庇い、獅童の前に身を晒した。
全てが一瞬の出来事だった。
闇の弾丸はナサニエルに見事命中し、とうとう水晶の腕が壊れる。
銀音がその場に叩き伏せられ。
天使はゆっくりと倒れて気を失った――。
●生きるための条件
九鬼と間下と山里が即座に動いた。
九鬼がストラングルチェーンでナサニエルを縛り拘束する。続けて間下が最後の『凡療』を使う。
「応急処置です」
そしてその側で山里がフレイヤを、何かあればいつでも振るえるように構えた。
「抵抗したら、首を刎ねます。大人しくしていてくれれば大丈夫です」
「ナサニエル様――!」
這ってでも主の下へ行こうとする銀音の先に、獅童と秋桜が立ちはだかる。
二人を近づかせる訳にはいかない。少なくとも主を押さえておけば、使徒である銀音は主を置いて逃げたりしないだろう。
銀音は彼らの意図を悟り、主が生きていることを確認してから、諦めたのかその場に座り込んだ。
「平気で御座るか?」
腹を押さえうずくまる鈴代の側に膝を付く源平。すでに大きな血溜りができていて危険な状態だと知れる。
「うく……」
鈴代は自分の生命力が急速に減っていっているのを感じ、『剣魂』を二回使い、どうやら落ち着いた。
「……もう大丈夫、ありがとう」
血を失ったためふらつき、源平の手を借りて立ち上がりながら礼を言う。
九鬼も『並渦虫』で自分の傷を癒してから、改めて銀音に向き直った。
獅童は天使近くの際どい位置に陣取っており、キイは先程のこともあるので不義理な行動をさせないよう、お互いの動きに注意していた。
「要求通り、主は生きています。だからこっちの条件も呑んでもらいますよ」
鈴代が切り出した。
「ああ、いいだろう。条件とは何だ?」
銀音は思いの外あっさりと応じる。
「取り敢えずあなたの身柄は学園で確保します」
「捕虜ってことか」
「何とでも。あと、天界の情報を知っている限りしゃべってもらいましょうか」
ふ、と銀音は自嘲気味に笑った。
「俺は大したことは知らない。所詮下っ端のさらに末端だからな」
「それはこちらで判断します。それとも拒否するつもりですか?」
鈴代の目つきが険しくなる。
「そんな気はない。それが条件なら従う」
「捕虜とかなんとか言い方が物騒では? 実行犯はナサニエルさんかもしれませんが、原因は天界なんでしょう?」
と一歩皆の前に出て言ったのは間下だ。
「殺した罪や殺された復讐心は、手や足、命を対価にしても消えません。お互い恨みが残るだけでしょう。なら、綺麗事……ですけど、お互いプラスになる道を選びませんか?」
銀音は疑わしそうな顔をしている。
「随分心が広いことだが……、敵同士の俺達にそんな道があるのか?」
「久遠ヶ原学園に入学し、奪った命の分撃退士として他の命を救う、ということでは償いになりませんか? 銀音さんやナサニエルさんは天界の圧迫から解放され、僕達は人類側に貢献と情報を得られる。お互いプラスです」
綺麗事だとしても、撃退士は敵をすべからく誅するだけの集団ではないという想いから出た提案だった。
「馬鹿な! 人間側へ下るなど……!」
銀音が間下の申し出に拒否反応を示し声を張り上げた時、ナサニエルの意識が戻った。
「うぅ……、体中が痛む……。銀音、どこだ……?」
「ナサニエル様! 気がつかれましたか!」
銀音は主の側に行きたかったが、鈴代や獅童に制された。
身を起こしたナサニエルは自分が縛られていることに気付き、さらに撃退士達に囲まれていることに竦み上がる。
「げ、撃退士っ!?」
だがこの状況では逃げたくても逃げられない。
「銀音! これはどうしたことだ!?」
数メートル先に自分と同様、撃退士に囚われているらしい下僕の姿を認めた。
いつもの主だ。
ようやく薬の効果が切れたようで、銀音は安堵の息を吐いた。ならば、この事態の説明をしなければなるまい。
「ナサニエル様、お聞きください。あなたはお上から下されたという薬を飲んで、その、力を暴走させてしまったのです。人間を殺し撃退士を倒し……、俺一人では止められず、このままでは彼らに討伐されるところでした」
「薬で暴走だと……? ならば何故こ奴らは私を殺さぬ?」
「銀音さんが僕達に訴えたんですよ、『主を助けてくれ』ってね」
九鬼が答えた。
「貴方の所業は許されないが、事情を鑑みて交渉を行いたい」
ナサニエルが怯えた顔になる。
「交渉? 何を交渉する?」
「銀音さんの身柄は学園で預かります」
目を見開いたナサニエルに、源平が穏やかな声をかけた。
「自分らは銀音殿の願い通りにしたで御座る。だからそちらも自分らの要求を呑むべきで御座ろう? なぁに、人間組織というのもそこまで極悪非道では御座らぬよ。ただし、罪には罰を、で御座る」
「妙な薬を盛られて見限られたんだろう? だったらお宅も学園に来た方がマシなんじゃないかねぇ?」
秋桜がずばり言うと、ナサニエルは明らかにショックを受けたようだった。
「……銀音、お前は久遠ヶ原に行くのか?」
「はい。それが彼らの条件のようだし――、俺の頼みを聞いてくれましたから」
ナサニエルを殺さないこと。
だから自分はどんな要求でも呑もう。
ナサニエルはしばらく考え、状況を受け入れたのか、静かにうなずいた。
「……分かった。私も共に行こう」
「いいのですか、ナサニエル様っ!?」
「構わぬ。私は薬の実験台にもならぬ捨て駒だったようだからな」
疲れたように笑うナサニエル。
一人で戻ったとて、何が残っている? 大した成果も上げていない己に、銀音以外に何が。学園の虜囚になったとて何が変わろう?
「悲観的にならなくてもいいで御座るよ。拷問される訳ではなし、そうで御座るな、まずは人間に危害を加えないと約束してもらって、薬や上司の情報提供で御座るな。あとは学園にて追々で御座るかな。そして償い続け許されることがあれば、若干なれど自由というものも望むことが出来るで御座ろう」
源平は明るく諭す。彼自身、悪魔が天使に囁くというシチュにコッソリヲタク的な魅惑を感じていた。
ナサニエルは『悪魔のお前が撃退士に受け入れられたようにか』とは言わなかった。
「……償いなど考えられぬ。私は未だ天使であるからな。ただ、このまま天界に戻るよりは銀音と共に行く方がいいと思うだけだ」
「それじゃあお二人を連行します」
皆に異論はないようなので、九鬼がナサニエルを、そして鈴代が銀音を学園に連行することになった。
先遣隊もすぐに運ばれ、救助班のおかげで皆命に別状はなかった。
そして――。
ナサニエルと銀音の身柄は学園預りということになった。能力を制限するため、ナサニエルの失った左腕に義手は着けられていない。
ナサニエルが飲んだ薬は本人曰く、『暴走するのでは扱いにくくて失敗作扱いになる』とのことで、出回る心配はないようだった。
天界の情報についても、初めは渋っていたがやがて上司の名前といくつかの能力をポツポツと話しだしたものの他に目ぼしいものはなく、今は二人共大人しく、学園の意向に従っているという。
そんな報告を聞いて、源平はあの時学園に戻りがてら秋桜に言ったことを思い返していた。
「コスモス殿、自分が暴走したりした時。声をかけたりしてくれると嬉しいで御座るな」
「お? 確実に萎える地雷な一言があるなら言ってあげるぉ!」
「それはちと違うような気もするで御座るが……まあいいか」
思わず苦笑いがこぼれる。でもそう言ってくれる仲間がいるのは素直に嬉しかった。
悪魔である自分を受け入れてくれた久遠ヶ原学園。そのうちナサニエルと銀音にも、わだかまりのなくなる日が来るだろう――。