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マスター:久遠 由純
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:7人
サポート:3人
リプレイ完成日時:2014/03/17


みんなの思い出



オープニング

●地元の思い出
 樋口頼子は地元の町が好きではなかった。
 いい思い出など何一つない。
 本当はここに来たくなどなかったけれど。

 三日ほど前から天魔らしきものの目撃情報が数件久遠ヶ原学園に入ってきていた。だが今の所実害はないらしい。本当に天魔がいるのかはっきりしないため、学園は取りあえず現地調査をすることにしたのだ。
 それでこの町出身の頼子が、土地勘もあり適任だろうということで派遣されたのだった。

 頼子は目撃情報のあった場所を回り、付近の住民に聞いてみたりもした。けれども天魔の気配も、有力な情報もなかった。
 そしてつい昨日通報があった場所、中学校の裏通り。
 ここは一番来たくない場所だった。
(大丈夫……今あの人はいない……)
 頼子はそう自分に言い聞かせて、中学校の周りを歩いてみる。
 まだ学校は授業中で、周辺を通る人もほとんどいない。

「アレ、あんた頼子じゃない?」

 若い女の声にギクリとした。
 頼子の心臓は直接冷水を掛けられたかのように激しく鼓動しだした。
 この声には聞き覚えがある。
「ちょお、何シカトしてんのよ」
 声のトーンが落ち、言葉遣いも荒くなった。
 頼子は声の主にゆっくり振り向く。
「やっぱり頼子じゃん。……へえ、あんた本当に撃退士になったんだ。つーかなれたんだ。あんたみたいな何も出来ないクズが」
 蔑んだ目で頼子を見た女は、可愛い制服で有名な私立高校の制服を着ていた。
「さ、沢木さん……、が、学校はどうしたの……?」
 頼子はようやく声を絞り出したが、そんな間抜けな質問しかできなかった。
「ああ、嫌いな授業だったから早退したの。仮病使えばカンタンだし」
 沢木は馬鹿にしたようにあはは、と笑う。

 ――変わってない。

 と頼子は思った。
 沢木は中学生の頃から大人達の前ではいい子を演じ、その裏では弱い者いじめで憂さを晴らしていた。当時そのいじめの対象は、頼子だった。
 毎日沢木は頼子を人気のない所に連れ込み、拷問じみたいじめをしていた。
 ある日頼子は泥水の入ったバケツに頭を突っ込まれ、息ができず生命の危機を感じた時――、アウルが覚醒した。しかし皮肉なことに、それからはもっといじめの行為がエスカレートし、頼子は彼女から逃げるように久遠ヶ原学園へと転校したのだった。

 高校生になっても頼子の心の傷はまだ癒えておらず、沢木本人の声を聞いてしまった今、あの時のことが蘇ってきて条件反射的に萎縮してしまう。それは体に染み付いた恐怖。
「久しぶりジャン〜。あたしに挨拶もなく転校しちゃうからさぁ、寂しかったんだよ?」
 沢木は頼子に近づいた。
 言葉だけ聞けば友達を心配していたように聞こえるかもしれないが、彼女の場合は違う。思うさま痛めつけられる相手が勝手にいなくなったのを怒っているのだ。
「で、何しに来たの? 仕返しでもしに来た? でもあたし普通の人間だからあ、撃退士のあんたにやられたら大変なことになっちゃうかもねえ〜?」
「そんなこと、しないよ……。あたしは多少のことは、平気だから……」
 平気な訳ない。体よりも心が傷んでいく。
「だよねー、あたしは何も悪くないよねー」
 頼子はそう言い切れる沢木が心底恐ろしかった。
 それでも撃退士としての職務を全うしようと尋ねる。
「沢木さん、最近この辺りで天魔らしきものを見たことはない……?」
「ハア? 知らないよ、そんなの。あんたの方がよっぽどバケモノじゃないのッ?」
 沢木が頼子の下腹部を思い切り蹴った。
「うッ」
 わずかによろめく頼子。
 その時、背後から女の声がした。

●生贄
「じゃあ教えてあげましょうか」
 大きな蜘蛛が家の屋根から落ちてきた。頼子の身長程もある大きさ、脚を入れたらそれ以上。黒い体に黄色い目と模様が毒々しい。
「え? なに? 本物!?」
 続けて、体にフィットした黒いラバースーツのようなものを着た女が彼女達の前に降り立った。
 キツめの美人で、ワインレッドの長い髪はゆるい三つ編みにしており、それが3本背中で揺れている。
 頼子は一目見てまずい相手だ、と感じた。ヴァニタスだろうか。
「撃退士を痛めつける人間、初めて見たわぁ」
 女は沢木に顔を近づけて、にこりと笑った。
「よ、頼子何とかしなさいよ! あんた撃退士でしょ!?」
 さすがの沢木も本物の天魔にはビビっているようだ。
「む、無理だよ……! このヴァニタスは強すぎて、あたしじゃどうにもならない……!」
「何っだよオマエホント役立たずだな!」
 女ヴァニタスは面白そうに二人を見ながら、
「二人のうち、どちらかだけ見逃してあげる。一人は絶対に、アタシに捕まる。さぁどちらを差し出す?」
「そんなのこいつに決まってるじゃない!」
 間髪入れずに沢木が頼子を指差した。
「撃退士なんだから、自分を犠牲にしてでもあたしを守るのが当然でしょ!?」
「アナタはそれでいいの?」
 ヴァニタスに問われ、頼子は小さくうなずいた。
 自分に選択の余地などない。たとえ撃退士でなかったとしても、結局彼女は生贄にされただろう。
「そう、分かったわ」
 言うなり、女ヴァニタスは沢木の首根っこを捕まえた。
「!?」
 すぐさま巨大蜘蛛が糸を吐き、沢木をぐるぐるに巻き上げていく。
「なんであたしが……!!」
「あのねえ、アタシの主は、アナタみたいな性根の汚〜い人間の魂がお好きなのぉ。探したかいがあったわあ♪」
「ちょ、頼子っ助けなさいよっ……」
 言ってる間に顔まで巻かれてしまった。
「それじゃあお勤めがんばってねぇ」
 蜘蛛は白い繭になった沢木を背にくくりつけ、女ヴァニタスと共に屋根の上を飛び移りながら去って行った。

 頼子は全く動けなかった。
 自分が犠牲になるのを諾々と受け入れたつもりだったが、ヴァニタスが沢木を選んだ時、ホッとした気持ちがなかったとは言い切れない。
 いや、撃退士なら玉砕してでも沢木を逃がすべきではなかったのか。
 頼子はそうできなかった。
 結果、沢木を見捨てたのだ。
 いい気味だとも、自分が見逃されて良かったとも思わなかった。
 頼子は後を追おうと決断し、蜘蛛と女が逃げた方に全力で向かった。

(――見つけた!)
 ヴァニタスらは住宅街を抜け人の寄り付かない雑木林に入った。暗くなるまでそこに潜むつもりなのかもしれない。
 頼子は久遠ヶ原学園に連絡した。
 雑木林の入口からそっと奥の様子をうかがうと、いきなり木を透過してヴァニタスが現れる。
「いけないコねぇ。せっかくだからディアボロに相手させるけどぉ、仲間を呼んでもあの子は返らないわよ」
 頼子の耳元に顔を寄せた。
「アナタ、あの子のこと憎んでるんでしょお? だから連れて行かれるのを黙って見てた」
 ヒュッと息を呑む頼子。
「黙って見てた訳じゃ……」
「そうよね。アタシとアナタじゃ圧倒的な力の差がある。それを言い訳にして、アナタはあの子を見捨てた。別にいいじゃない。アハハハハ!」
 女は高笑いを残して、暗がりの中へ消えた。
「あたしは、沢木さんを見捨てた……! 撃退士なのに、あの人のことが嫌いだから、わざとそうした……!」
 頼子は立っていられなくなり地面に膝を付く。震えが止まらなかった。


リプレイ本文

●突入前
 樋口頼子は、雑木林の入口で今にも地面に突っ伏してしまいそうな程に震えていた。
「大丈夫か?」
 頼子の連絡を受けて駆け付けた撃退士の一人、鐘田将太郎(ja0114)が彼女の体を起こす。
「あたしは、沢木さんを見捨てたの……!」
(学園は樋口のアウル覚醒の経緯を知らなかったのか?)
 知っていたならトラウマのある地にやったりしなかっただろう。それでも、偶然一番会いたくない相手に出会ってしまうとは。
 鐘田は心の中で苦々しさを感じながら、
「落ち着け、ゆっくり深呼吸をするんだ」
 まず頼子を落ち着かせることを優先する。
(いじめ……された方もした方も結局最後はみんな傷つくんだよ? こんな当然のことになんでたくさんの人が気づかないのだろう)
 山里赤薔薇(jb4090)は自分のほの暗い過去を重ね、切ない気持ちになるのを堪えた。
 林の奥から、蜘蛛がのそりと姿を現す。
 赤いドレスに赤い髪のErie Schwagerin(ja9642)がいち早くそれに気付いた。
「頼子ちゃんの方は任せるわぁ。私は蜘蛛の方に行くから。さっさと終わらせましょ〜」
 光纏し、黒く染まった目を蜘蛛に据え雑木林に入った。
「さて、蜘蛛退治と行こうかね」
 ネームレス(jb6475)も光纏、阻霊符を発動し林の中に足を踏み入れる。長い赤髪と金の瞳を持つこの青年は、頼子のことに関わる気はなかった。
(しっかし、イジメね〜……。俺なら問答無用で相手半殺しにするが、あいつはお人好しなのか、それとも覚悟がないのか……)
 沢木より強い力を得ても、頼子は仕返しをしなかった。
(ま、それが『人間』か)
 何となくそう思った。
「阿呆か愚図かは行動が示してくれるだろうさ」
 頼子をチラリと見下ろして脇を通り過ぎたのは、鷺谷 明(ja0776)。彼の顔は常に微笑んでいた。それはどんな状況でも楽しめるという享楽主義故に。
 雑木林に入るなり鷺谷は蜘蛛に接近、『竜咆』を放った。竜のごとき咆哮が蜘蛛の戦意を煽り、注意を自身に向けさせる。そのまま蜘蛛を誘うように奥へと走り出し、Erieとネームレスもそれに続いた。
 山里が頼子に声をかけた。
「まだ間に合うよ。失敗は取り戻せる。撃退士としてできることをしよう?」
 それから自分も雑木林に突入した。

「すまないが、今は立って動いてくれ。後悔しながらでも……な」
 どうにか落ち着きを取り戻した頼子に、綾巫 風華(jb8880)が言った。外見は小柄で子供のようだが、元は高校教師でもあった。
 鐘田が支えながら頼子を立たせ、雑木林から離れた草地に座らせる。
「……ヴァニタスは、どこかで見ているんだろうか」
 辺りを警戒しながら翡翠 龍斗(ja7594)がつぶやくと、頼子は怯えた声を出した。
「沢木さんが連れて行かれるのを、あたしは止めなかった……あのヴァニタスは、あたしがわざとそうしたんだって……」
「そうなのか?」
 鐘田が尋ねた。口調は穏やかだったが、眼鏡の奥の赤い瞳は真剣そのものだ。
 頼子が目を見開いて鐘田を見上げた。
「わざとなんて、そんなつもりじゃない!」
「連れ去られた子、お前をいじめてたって聞いた。見捨てたのは本心じゃなくて、ヴァニタスに怖気づいたからだろ?」
「……そう、一目で敵わないって感じた」
「ヴァニタスにビビったのは無理もない。俺もお前と同じ立場だったら、そうなってた。見捨てた自分を責めただろう」
 頼子は視線を落とした。
「……でも、あたしが沢木さんのことを嫌いなのも、ヴァニタスの言った通りなの。だから……あたしは無意識のうちに見捨てる選択をしたのかもしれない」

●蜘蛛退治と説得
 山里は膝の高さに張られた蜘蛛の粘糸をフレイヤで断ち、まだ張ってあるだろう罠を警戒する。
「皆注意してください! 罠が張ってあるかも」
 樹上を見ると蜘蛛が木々の間を飛び移りながら鷺谷を追っていた。
 蜘蛛の口から糸が飛び出した。
「おっと」
 一発目は避けたが、前方を遮る糸を八岐大蛇で切り裂いている時、わずかに二発目の対応が遅れた。
 体と腕に粘糸が絡みつく。
「危ない!」
 山里が持ち替えたバスターライフルAC-136を撃つ。
 体に命中するも、蜘蛛は意に介さず縛り上げた鷺谷に寄って行く。しかし鷺谷は微笑んだまま、蜘蛛が充分近づいたところで口から炎を吐き出した! 『炎息』だ。
『ギシイィ!』
 蜘蛛は顔面を炙られ驚いたのか、大きく飛んで鷺谷から離れる。
 鷺谷の吐いた炎は粘糸をも焼き尽くした。
「なるほど火に弱い、ね……つっても、俺は火なんて吐けねえからな。タバコの火で怖がってくれる……わけねえし」
 ネームレスは対策を考えながらドラグニールF87を連射した。
 蜘蛛は素早い移動でそれをかわし、撃退士達を巣に閉じ込めるかのように周囲に糸を張ろうとする。
 山里が着地地点を狙い蜘蛛の側面から射撃。頭部をかすめ蜘蛛が反撃に糸を吐く。
 捕まらないよう、すぐに木の後ろに身を隠す山里。
「ぴょんぴょん飛び回って目障りねぇ」
 Erieも蜘蛛の動きを追い、灰燼の書から炎の剣を出し攻撃する。
 粘糸を避けるために後ろに下がった時、不意に何かに寄りかかった。
「!」
 すぐに離れようとしたが粘ついて上手く離れない。
 背後にはまさに蜘蛛の巣が展開されており、それに触れてしまったのだった。
「こんな所にまで糸を張ってるなんて……!」
 蜘蛛が罠に掛かった彼女に麻痺針を撃ち込もうと近づいてくる。その足がErieの体をつかもうとした直前、Erieは『瞬間移動』した。
 急に獲物が消えて混乱している蜘蛛に、鷺谷が『地縛霊』を放った。
 地の底から湧き出た数多の霊のようなものが蜘蛛にすがり付く。
「さっきのお返しよぉ」
 Erieが『Demise Theurgia-Pallidamors Steuer-』の雷を纏う車輪を出現させた。
 雷の車輪は蜘蛛を轢き、その体を焦がす。


「――少し、俺の話をしようか」
 静かに、翡翠が口を開いた。
「俺も昔からアウルのせいで化け物扱いされて、姉や弟までもいじめられていた。化け物の家族は化け物だとさ、どう思う?」
 翡翠は皮肉っぽく口の端を持ち上げた。
 頼子はただ悲しそうに翡翠を見ているだけだ。翡翠は続けた。
「個人的な感情で言えば、俺はいっそのこと俺の出身地、秋田は天魔に支配されてしまえばいいと思っている」
「――どうして?」
「それなら、俺は撃退士として奴らを狩る。憎しみを晴らすことができる。俺は撃退士である前に、一人の人間でな、誰かを憎まずに生きるということはできなくてな。それに、『人間』なら誰でも嫌いな奴の一人や二人はいる。そういう負の感情を持っていて当たり前だ」
 誰かを憎まなければ生きていけない程の傷みを、翡翠は知っている。
「私はお前ではない。だから的確なアドバイスはできないし、修復してやることも不可能だろう。正直、今の社会でいじめを無くすことはできない」
 綾巫が以前の職場での職員会を思い出しながら言った。似たような議題を何度も見た。
「人が二人いればそこに溝は生まれ、争いが生まれる。こればかりは個人の感情に左右される『天災』だ。だが――」
 屈んで頼子の目を真っ直ぐに見た。
「お前は今、後悔しているのか? それとも、愉悦に浸っているのか?」
 頼子はかぶりを振る。
「愉しくなんかない。こんなこと望んでなかった……!」
「なら、何のために、どんな感情からここに来た?」
 頼子はすぐには答えられず、何度も自分に問いかけているようだった。
「あたしは……、せめてヴァニタスの行き先だけでも皆に知らせようと思っただけ。だってあたしじゃ何もできないもの……」
 それから自分を蔑むように微かに笑う。
「でも今お前はこの場にいる。ならば自分のすることは分かっているんじゃないか?」
 頼子が己を見失ってないのならば、答は見つかるはず。
 綾巫は頼子を信じて立ち上がり、雑木林に視線をやった。
「私の言うべきことは言った。皆が心配だ。加勢に向かう」
 そう告げて走って行った。


 足を2本と半分失っても、蜘蛛の動きはまだ活発だった。
 鷺谷が再び吠えた。
 しかし蜘蛛の方も警戒しているのか、さっきのようには近づいてこない。
「生意気だね」
 鷺谷は木を蹴って蜘蛛の上へジャンプした。ラミエルの杖で殴りかかる。
 その攻撃に合わせてネームレスが銃を撃った。
 己の身を庇うように上げた蜘蛛の足が、さらに一本ちぎれて落ちてゆく。
 ネームレスは戦いながら蜘蛛の動きをずっと観察し、蜘蛛がよく足場にする木を特定した。
 その木の幹に銃弾を何発か撃ち込み始める。
 ネームレスの行動を見た山里は、彼の真意までは解らないまでも何か意味があるのだろうと判断し、敵の妨害に遭わないようライフルで牽制、サポートした。
 そこに綾巫が現れ、渾身の一撃『薙ぎ払い』を放つ。蜘蛛の足元に当たり、蜘蛛は綾巫の正面、ネームレスが銃弾を撃ち込んでいた木に飛んだ。
 ネームレスの金瞳が好機に光る。目的の木に走り寄りながら、武器をツヴァイハンダーFEに持ち替えた。
 蜘蛛が綾巫に糸を吐きかける瞬間を狙い、助走の勢いも乗せ大剣を力任せに横に振り抜き木を切り倒す!
「一本くらいいいだろ」
 蜘蛛は突然足場が不安定になりバランスを崩すが、吐いた粘糸は綾巫を捉えた。
 綾巫の両側面から鷺谷とErieが構える。
「お前たち、私に当てるなよ?」
 綾巫がからかい気味に言うと、鷺谷は『炎息』で糸を燃やし彼女を自由にした。
「はぁい、射線空けてぇ。火傷しても知らないわよぉ」
 Erieの手から炎が一直線に伸びる。
 『ブラストレイ』の炎は地に落ちた蜘蛛の顔に直撃し、目を潰した。
 続けて山里が『スタンエッジ』でダメージを与え、『スタン』に成功する。
 シューシューと嫌な音を発して身悶える蜘蛛に、
「取りあえず、お前のその腹が邪魔だ」
 ネームレスは大剣を振り上げ力を溜め、思い切り一閃、黒い衝撃波『封砲』をお見舞いした。
 蜘蛛の腹が裂けた。どろりと汚らしい粘ついた体液が流れる。
 山里が両手を広げ、詠唱を始める。
 炎の形をとったアウルが彼女の手のひらに集まり、球となってゆく。山里は二つの火球を胸の前で合わせ、一つの大火球にした。
 両手を前に突き出し、火の玉を一気に蜘蛛に放った。
「止めを刺させてもらいます」
 山里の必殺技、『ドラグ・スレイヴ』だ。
 全てを焼き尽くす炎が蜘蛛を包み、炎が消える前に蜘蛛は息絶えたのだった……。


「本当に見捨てるならば、そのまま現場から立ち去ればそれで済んだはずだ。しかし、お前は後を追った。追った以上撃退士であることを忘れてはいない……完全に見捨ててはいない、と俺は思う」
 翡翠が頼子の行動を肯定する。間違ってなかったのだと。
 翡翠の言葉に、鐘田もうなずく。
「その通りだ。自分を責めるのは簡単だが、それじゃ何の解決にもならない。自分の行動を悔いるのなら、ほんのわずかでもいいから行動すべきだ」
「あたしの、すべきこと……」
「そうだ。お前は一人じゃない。仲間がいるんだ。そのことだけは忘れないでくれ」
 翡翠も鐘田も綾巫も、こんな自分に声をかけてくれた。一般人を見捨てた撃退士を責めたっていいのに、仲間だと言ってくれた。
「……あたし、立ち向かわなきゃいけないんですね」
 誰かに許されるためではなく、自分自身を許すために。
 頼子は己の力で立ち上がった。
 そこへ戦闘を終えた皆が雑木林から出て来て、ヴァニタスも姿を見せた。

●ヴァニタス登場
 皆が緊張し身構える。
 女は薄笑いを浮かべて、皆から少し離れた所に優雅に立っていた。
「すっかり凹んでると思ったんだけど、意外と元気そうねぇ」
「お前、心の古傷抉って絶望の淵に突き落とすのは楽しいか? だとしたら……俺はてめえを許さねえ。沢木を置いてとっとと去れ!」
 鐘田が語気も荒く言い放つ。
「ええ、もちろん楽しいわぁ。凄めばあの子を返すとでも思う? 言ったわよね、『一人は絶対にアタシに捕まる』って。また逃がすと今度は主に怒られそうだし」
 ヴァニタスは『絶対に』の部分を強調し、頼子を見た。
(恐れ故に逃げるか、義務故に立ち向かうか)
 鷺谷は胸の内で揶揄した。人の葛藤する様こそ、見ていて最も面白い。
 頼子がどうしようと一度見捨てたという事実は消えない。ある古人は人を一人殺したことを悔い出家して万人救済の大願を立てたというが、要は自分で自分を許せるかというだけのことだ。
 ヴァニタスに射竦められそうになっている頼子の側で、Erieが囁く。
「下は見ちゃダメ、甘えたくなるから。上だけ見てもダメ、自信がなくなるから。まっすぐ前を見る。今やるべきことだけを考えなさい。あ、横は見なくてもいいわよ。横には、仲間が絶対いるから」
 久遠ヶ原に来る前から人間嫌いのErieだったが、学園に通ううちに仲間と呼べる人間ができた。最近ではそれも嫌ではないと思えるようになった。
 頼子は感謝を込めてErieを見、震えを止めるように両の拳を握った。
「腐った魂は死後も変わらずか」
 翡翠は阿修羅曼珠を実体化させる。
「樋口、聞くぞ? お前は誰だ……そして、何をするために奴を追って来た?」
 そうだ、と頼子は思い出した。
 久遠ヶ原学園に転校したのは、沢木から逃げるためだったかもしれない。でも本当は変わりたいと思ったからではなかったか。強くなりたいと願ったからではないのか。
「一太刀与えたいなら、俺が道を切り開く!」
 言うやいなや、翡翠はヴァニタスに突撃した! その気配を敏感に察知した鷺谷もほぼ同時に地を蹴る。
 次の瞬間、頼子も杖を手にして飛び出していた。
 魔具も砕けんばかりの勢いで翡翠が『烈風突』を繰り出し、鷺谷が背後に回り込みラミエルの杖を振り下ろす。

 ギャリィン!

 伸びた爪を太刀のようにした左手一本で、女は翡翠と鷺谷の攻撃を弾いた。素早く体勢を立て直し立ち上がる二人。
 右手では頼子の杖を受け止めている。
 彼女の強さの片鱗に、皆は時が止まったかのように感じた。
「どういうつもり?」
 ヴァニタスは頼子の中に蘇ったものを認めると、不快そうに目を細めた。
「せっかく心を折ったと思ったのに、つまらないわぁ」
 軽々と頼子を押し戻し、全員の顔を眺め渡す。
「全く興ざめね。アナタ達の顔覚えたから。また会えたらいいわね」
 女ヴァニタスは雑木林の中へ姿を消した。誰も後を追えなかった。
 結局沢木は取り返せなかったが、これ以上はどうしようもない。

 疲れたように佇む頼子の隣に山里が立った。
「頼子さんは誰も見捨ててないよ。自分より圧倒的に強大な存在に怯むのは当たり前。それが人間なのだから。それにあなたは私達に連絡してくれた。一人では敵わない相手に仲間と挑む選択をした。それは、最善手だったんだよ」
「うん……ありがとう……」
 頼子は泣いた。皆の心がありがたかった。

「ふうん、阿呆でも愚図でもなかったか……」
 鷺谷が興味深そうに一人つぶやくと、
「あ? どういう意味だ?」
 耳ざとくそれを聞きつけたネームレスが言った。
 彼は煙草をふかし、仲間がピンチに陥った場合にだけ出て行くつもりで、今までのやり取りを傍観していたのだが。
「ただの独り言さ」
 はぐらかし背を向ける鷺谷。ネームレスもそれ以上尋ねたりはしなかった。
「……ま、いいけどよ」
 また煙草を咥える。

 ――だから人間は面白い。

 他の皆もホッとした様子で頼子を見つめ。
 翡翠の目には、やっと罪悪感から解き放たれた頼子が映っていた。


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: 盾と歩む修羅・翡翠 龍斗(ja7594)
重体: −
面白かった!:3人

いつか道標に・
鐘田将太郎(ja0114)

大学部6年4組 男 阿修羅
紫水晶に魅入り魅入られし・
鷺谷 明(ja0776)

大学部5年116組 男 鬼道忍軍
盾と歩む修羅・
翡翠 龍斗(ja7594)

卒業 男 阿修羅
災禍祓う紅蓮の魔女・
Erie Schwagerin(ja9642)

大学部2年1組 女 ダアト
絶望を踏み越えしもの・
山里赤薔薇(jb4090)

高等部3年1組 女 ダアト
Outlaw Smoker・
ネームレス(jb6475)

大学部8年124組 男 ルインズブレイド
撃退士・
綾巫 風華(jb8880)

卒業 女 阿修羅