●市民プールは
運動公園はすでに天魔出現の話で持ちきりだった。さっきから警察や救急車両が行き来し、逃げて来た人が早速自分の見たものについて友達や行き合う人に聞かれるまま話しているからだ。
撃退士達はそんな中プールの施設までやって来た。
周囲は警察の手によって封鎖されていたが、遠巻きに携帯で写真や動画を撮ろうと構えているやんちゃ盛りの野次馬が何人かいる。警官が何とかその野次馬を追い払おうとしていた。
撃退士達はそのやりとりを横目に、学園に通報した男性監視員から事件の概要を聞き、意を決して施設内へと入った。
更衣室を通り過ぎ、監視員から預かった鍵を使いプールサイドへと通じる扉を開ける。
「酷い……こんなことが許されるの?」
菊開 すみれ(
ja6392)は押し殺した声を漏らした。
スライムに体を半分以上消化され、投げ出されている少女が否応なく目に入ったからだ。皆の顔が一瞬、悲痛に歪む。
そうか、とリアナ・アランサバル(
jb5555)は思った。
(これは可哀想な、酷いことをされた姿なんだ……)
皆の表情を見て、これがそれなのだと理解した。
彼女はおよそ感情というものを感じたことがなく、今も少女の姿を無感動に目にしている。少女の有様は確かに『悲惨な姿』なのだろう。知識としては解る。しかし、実感としては捉えられなかった。
(以前はこういうのに気を配ることはなかったけど……これが、この先も生きていく世界の感覚、なのかな……)
皆との感じ方のズレを、リアナは少しだけ意識していた。これから少しずつでも、何かを見つけていけるだろうか……。
用心しつつ、彼女達はプールサイドに出た。
テレーゼ・ヴィルシュテッター(
jb6339)が光纏、すぐさま阻霊符を発動させる。
まずスライムの位置を把握することが先決だ。鏑木愛梨沙(
jb3903)は『異界認識』を使用し、プールに目を向けながら犠牲になった少女の所へと向かう。彼女の援護で、武器を持った桜花(
jb0392)とテレーゼが脇を固めた。
鏑木はプールの水に目を凝らす。
プールの中央に見えた!
「わかったっ、すみれ、奴は4コースのライン付近、ちょうどすみれの直線上にいるわっ」
鏑木の鋭い声に応えて菊開がログジエルGA59を構え、『マーキング』を撃ち込む。
「これでもう隠れられないですよ!」
見事命中した。
見た目は普通の水と何の区別も見分けもつかないが、菊開にはこれでスライムの位置が手に取るように判るようになった。
スライムはプールの真ん中で、獲物が掛かるのを待つかのように漂っていた。
鏑木は投げ出されたままの少女の傍らに膝を付く。
少女は既に生命活動を止め、息を引き取っていた。
それを確認した鏑木は悲しみと怒りの混ざった感情に唇を噛み、持参したタオルケットで少女を包んだ。
桜花も少女の死を悟り、一瞬だけ黙祷する。再び開いたその目には、誰よりも激しい怒りの炎が燃えていた。火炎放射器を握り締め、スライムと戦うために走って行く。
少女の遺体は、鏑木とテレーゼで屋内へ運び込んだ。
「ごめんね、アイツを退治したらまた迎えに来るから……」
建物の奥に少女を横たえ、鏑木は立ち上がった。
いつの間にかテレーゼが水着になっている。
「プールに落ちてもいいように着てきたんだ!」
言いながらストロベリーブロンドの髪の毛を、邪魔にならないよう後ろでまとめた。ワンピースの水着のお腹部分に阻霊符を入れる。
彼女はいくぶん、早く戦いに参加したくてウズウズしているようだ。
用意のいいテレーゼに少し驚きつつも、鏑木は小さくうなずいた。
「これ以上犠牲者を出すわけにはいかない……!」
「よし、行こう!」
市民の憩いの場を荒らす天魔を倒すために。
●プールサイドの攻防
全員が揃うと、姫咲 翼(
jb2064)はストレイシオンを召喚した。夏だというのに、彼の首には紅いマフラーが巻かれている。
「『蒼鱗の隠者――汝の力は我が剣に、我は汝の杖手繰りし者!! 契約の印を以て抑止の輪より来たれ――Set! 蒼!』」
蒼い鱗に金色の目を持つ竜が虚空から現れた。姫咲の瞳の色もストレイシオンのそれと同じ色に変わる。
竜は姫咲の言葉を待つように頭をもたげた。
「蒼! 防御結界だ!」
蒼が了解の意思表示かひとつ翼を羽ばたかせると、仲間達の体が青い光を纏った。
捌拾参位・影姫(
ja8242)は青銅の鎖鎌を装備した。
夏。プールで、スライム。
という状況から、彼女は期待していた。
きっと、えっちな天魔だと。
しかし実際に来てみたら……、そんな希望はあっさり打ち砕かれた。
(……女の子の体、物理的に溶かすのはダメ、だよ……。性的な意味なら、いいけど)
それも未成年相手にはどうかと思うが、
「とりあえず……空気読めない天魔は滅殺、だね……」
その点に関してだけは皆と同じ意見だ。
ディアボロをおびき寄せるために『水上歩行』を使い、水面をゆっくり中央に向かって歩いてゆく。そしてスライムを刺激するように、鎖鎌で軽く水面を乱してみた。
「気をつけてください、スライムが動き出した! 影姫さんの方に向かっています!」
菊開の警告に影姫がプールサイドに退くと、水がガバァ、と立ち上がった。
スライムだ!
3メートル四方くらいはあるだろうか。
「これでも喰らえ!」
桜花が火炎放射器で炎状のアウルを放出した。
「不意打ちするわ女の子を襲うわ中途半端なまま置いとくわ、あんたはホント癪に障るわ!!」
自分の怒りを武器に注ぎ込んでいるかのような勢いで、容赦なくスライムを焦がす。
桜花は怒っていた。彼女にとって自分より年下の少年少女を害するものは、決して許すことのできない悪なのだ。
炎は無悶えるスライムの体を蒸発させ、干からびさせてゆく。炎を嫌がり、天魔はうねうねとプールサイドから逃げようとした。
「逃がすか! スライムならこれだ!」
姫咲がジャンプし、真っ向から星煌を振り下ろす。
縦にスライムが裂かれた。
「どうだ? 効くだろ?」
着地したと同時に、分かれたスライムの一端が触手のように伸び、姫咲の腕に絡みつく。
「なっ……!」
もう一方は影姫の腕に絡まっていた。
リアナが『水上歩行』しディアボロの背後に回り、聖燐で影姫を捉えている方を斬り付ける。
テレーゼがそれ以上引き込まれないように影姫の体を引っ張った。ほぼ水分の体のくせに、意外と力が強い。
「うー、放せー!」
姫咲の方には菊開が『ロングレンジショット』を放ち、桜花が火炎放射する。
スライムは思わぬ攻撃にたじろいだのか、彼らを放し、また水に沈んだ。
皆ももう一度態勢を立て直すため、一旦水際からやや離れて陣取った。
「……また中央付近をぐるぐる回ってます」
菊開が全体を見渡せる場所からスライムを指差し、位置を皆に伝える。
「動き回られると狙いを付けにくいね。射程もあるし……」
テレーゼがプールを睨んだ。誰も泳いでいないのに水が波立っている。そこにスライムがいるのだろう。
「もーこんなのいたんじゃ遊べないよね。めいわくー」
「作戦3やってみるよ……」
口を尖らせるテレーゼの隣でリアナが小さく提案し、水の上に足を踏み出した。『水上歩行』を維持したまま、水の中に潜る。少し歩くと、
「スライムが近寄ってます!」
菊開の言葉通り、波のうねりがこちらにやってくるのが分かった。
「水中に戻られると追うのが難しいから、充分に引き付けられるまで待たないと……」
「リアナさん!」
スライムが自分の体にまとわりついてきたのが分かった。一般人のようにすぐに消化されることはないとはいえ、その刺激で肌がピリピリする。
完全に自分に食いついたと判断し、リアナは『闇の翼』で水から飛び出した。ディアボロも一緒に水から引きずり出される。
腰までスライムに取り込まれたリアナはプールサイドの上で懸命に羽ばたいた。それでも天魔はしぶとくリアナに追いすがる。その体は縦長に伸び、自在に変形していた。
「取り込むのは、ダメ……!」
影姫は星のリングに装備変更、周囲に輝く球体を5個出現させた。球体は流星のように尾を引きながら、リアナを捕らえている部分を攻撃する。
「もうこれ以上傷つけることは私が許さない!」
菊開も『ロングレンジショット』でアウルの光の弾丸を放った。
スライムの力が少し弱まった。
テレーゼが自身の悪魔の翼で空中に舞い上がり、リアナの脱出を手助けする。
「つかまって!」
リアナを引っ張ると、膝まで抜けることができた。
「コレでも食らってなさい!」
鏑木の交響珠から飛び出した音符がディアボロに命中する。
スライムは渋々あきらめたようにリアナを解放した。
攻撃の成果かスライムは少し縮んだみたいだった。またプールに戻ろうとしている。
「させないっ!」
プールと天魔の間に火炎の帯を作る桜花。
スライムは一瞬怯えたように縮こまった。そうして炎を嫌い反対側に逃げた先には、姫咲の姿が。
彼を取り込もうと体を広げ、襲いかかる。
「これ以上好きにはさせねェ!!」
ストレイシオン蒼が姫咲の盾となり、スライムは弾かれた。そこに姫咲の反撃。
スライムの一部が切り取られ、小さな水の塊となってプールサイドに落ちた。それはみるみるうちに干からびてしまった。
スライムは怒りのあまりか、突如変形した。触手状になった体を四方に伸ばし、皆を攻撃する。
姫咲はもう一度『マスターガード』でそれを防いだ。
「きゃあッ!」
影姫がはね飛ばされ、フェンスに叩きつけられてしまう。
「危ない!」
桜花に向かった触手に、菊開の撃った弾丸『回避射撃』が当たった。狙いが逸れ、触手は何もない地面を叩く。
「こっのー!」
テレーゼが上からウォフ・マナフを振り下ろした。が、その刃は天魔に突き刺さる前に触手に絡め取られ、テレーゼごとプールに引き落とされた。
「きゃんっ!」
そのまま沈められる前にテレーゼは翼を使い、素早く上空に上がる。
「水着着て来てよかったあー」
気にする所がそこなのかはよく分からないが、彼女は戦っていることが楽しいらしく、水を滴らせながらもその顔は笑っていた。
果敢にもまたスライムに飛びかかってゆく。今度は伸びる触手を上手くかわしながら切り飛ばした。
切られた触手は干からびてプールサイドに落ちる。
「また水に入られると厄介だね……」
リアナはディアボロとプールの間に入り、蒼い稲妻の矢を放った。スライムに当たり一瞬『蒼雷矢』の小さな閃光が閃いたが、天魔はお構いなしのようだった。
桜花の火炎放射器が文字通り火を噴く。
しかしスライムは身を奇妙に凹ませて炎を避けた。液体状の天魔ならではの避け方だ。
「こいつ、スライムのくせに生意気な!」
「ならこれはどう!?」
どこかで聞いたことあるようなセリフで歯ぎしりする桜花の前に、鏑木が出る。両手を上げると、『審判の鎖』が出現しうねるスライムの体を縛り上げ、麻痺を与えた。
スライムの動きが鈍くなる。
「さっきのお返し、だよ……!」
影姫の瞳が、一瞬鋭く光った。その眼光は今までの彼女とは別人のようだ。
寸分の狂いなく、五つの流星がスライムの体にめり込む。
顔も手足もない姿ゆえに攻撃が効いているのかどうか判りにくい。だがうねうねと形の定まらないディアボロは苦しんでいるように見えた。
苦し紛れの触手がリアナとテレーゼに向かって伸ばされる。あわよくばそのまま取り込もうとでもいうのかもしれない。
リアナは触手の動きを見定め、最小限の動きでそれをかわすと同時に、聖燐をスライムの真ん中に突き立てた。
剣を引き抜くと、血の代わりに水が漏れた。だんだん『水の塊』としての形を保てなくなってきているようだ。
「もうそんなのには捕まらないよ!」
テレーゼも飛んで触手を回避すると、腕を突き出し見えないアウルの弾丸を撃つ。『ゴーストバレット』は触手が戻る前に根元を貫いた。
ぼとりと落ちた触手の形をした水の塊は、たちまちのうちに干からびて元が何だか分からなくなった。
姫咲がスライムの前に――前後があればだが――立ちはだかる。始めの頃に比べると、スライムの体は3分の2ほどに小さくなっていた。
「目の前で大切な人を失う悔しさ……テメェに解るか?」
天魔に言ったところで解るはずもないことはもちろん承知している。それでも姫咲は絞り出すように言った。
胸の前で紅いマフラーが揺れる。それは彼の脳裏に暗い過去を蘇らせた。大切な人を失う悔しさは、自分が痛いほどよく解っている。マフラーを常に着けているのは、忘れないためか誓いのためか。
目の前で友達を奪われた少女のことを思うと、姫咲は自分も怒りに突き動かされるのを知るのだった。
星煌を構え、ちらりと側に控えている召喚獣にアイコンタクトを送る。
「武装憑依(トリガーオフ)――!」
蒼のアウルがエネルギーの塊となって姫咲の武器に向かって放たれ、宿った。
「竜牙穿(レーヴァテイン)!」
姫咲は渾身の力を込めて、太刀を袈裟懸けに振り抜いた。その瞬間、剣ではなく巨大な竜がスライムに食らいついたかのように見えた――。
ディアボロは真っ二つになり、こぼれた水と同様にべちゃりとプールサイドに広がる。そしてそのまま水分が蒸発して干からび、後には天魔の名残のような抜け殻が残ったのだった。
●少女は
「私、他にもスライムが潜んでないか確認のためにちょっと泳いでくね!」
テレーゼの宣言に、皆はちょっと呆れた。
「そんなこと言って、暑いからただ泳ぎたいだけでしょ?」
「まあそうなんだけどね!」
鏑木の指摘にもテレーゼは動じない。
「じゃあ先に行ってるからね」
皆はテレーゼを残して先に外に出ることにし、鏑木がタオルケットでくるんだ少女を丁重に運んだ。
外には犠牲者の身内と友人の少女がまだ残っていて、引き渡すのは痛みを伴う仕事だった。
「あまり、中は見ない方がいいと思います……」
その言葉にそんなにひどい姿なのか、と両親は泣き崩れる。
「真名……!」
鏑木の目には友人の少女もすでに泣き疲れ憔悴しているように見えたが、よほど仲のいい友達だったのだろう、遺体を前にし、静かに涙を流していた。
これほど痛ましい光景はない、と菊開は思った。
少女に近づき、そっと頭を撫でる。
「あの天魔は私達が倒したから、もう大丈夫」
「うん……倒してくれて、ありがとう」
少女は何度もうなずき、涙を拭った。
やがて少女らは遺体と共に去って行き、それを見送りながら、天魔との戦いを一日も早く終わらせなければという思いを強める撃退士達であった。
「皆お待たせー! って、あれ?」
ようやく出て来たテレーゼの前には、誰もいない。
「ホントに先に行っちゃった!」
テレーゼは皆を追いかけるべく、慌てて走り出した。