●一日目
彼らは登志也と接触するために、放課後彼のクラスへ足を運んでいた。全員掃除用具を手にしており、今日は空き教室を清掃する予定だ。
いきなり見知らぬ先輩の彼らが現れてもおかしいので、登志也がアウル実技の授業に出ていないことを利用し、これは『出席していない授業の補習』で、彼らは同じ補習メンバーとその監督ということにしてある。まずは他人と普通に接していくことから始めようという考えだった。
「何年もの積み重ねによる呪縛を三日で解け、というのも随分難しい要求ですが……とっかかりぐらいはつかみたくあります、ね。このままいつまでも縛られていて欲しくないとは思いますし」
久遠 冴弥(
jb0754)が幾分難しい顔をして言った。
「私は悪魔の身なれど、この学園に来て私を大切だと言ってくれる人に出会い、大切だと思える人と巡り会えました。そのような学園ならば、充分に馴染むこともできるでしょう」
銀色の狐耳をぱた、と動かし、ミズカ・カゲツ(
jb5543)も全力を尽くすつもりでいた。
「自信はないけど、ボク一人じゃないし、気負わず接してみようと思うよ。ボランティア活動を通して、いろいろな場所を見せてあげたいね」
桐原 雅(
ja1822)が微笑んで皆に語ると、皆も肩の力を抜いた。
教室から登志也が出て来た。彼は放課後になると、狭い空き部室に一人でいることが多いらしい。そこへ行かれてしまう前に、千葉 真一(
ja0070)が声をかける。
「キミ、猪田登志也だろ?」
わずかに身構えて振り返る登志也。
怖がらせないように、にこやかに千葉と袋井 雅人(
jb1469)が少し彼に近づいて足を止めた。
「きみが実技の授業出てないって、先生に聞きましたよ」
責める訳ではなく、いたずらを打ち明けるみたいな調子で袋井が切り出した。
「は、はい……」
「ま、誰でも授業サボるくらいのことはしてますけどね。彼女らもそう」
と久遠達を示す。
「でもね、ちょおっと出席日数足りないから、補習やらないとダメなんだそうです」
「俺と雅人はその監督だ。この校舎の空き教室の掃除をやってもらう。掃除用具を持って、一緒に来てくれないか?」
「……分かりました」
登志也は何かを言いつけられることに慣れているためか、何の疑問も抱かずそれに従った。
さっそく空き教室掃除を始める。
机をどかしたり、床に雑巾がけしたり、登志也は文句一つ言うことなく、黙々と作業をしていた。
バケツの水が汚れたので、彼が言われずとも取り換えに行った。それを見ていた桐原は、登志也が戻って来た時に、
「ありがとう。次はボクが行くね」
と感謝を示しつつきれいな水で雑巾をすすぐ。
登志也は何か言葉を返そうとする様子を見せたが、結局出てこなくてそのまま窓掃除に戻った。
窓拭きの最中、上の方に手が届かず若干苦労している。撃退士ならちょっとジャンプすれば届く。しかし登志也は自身の身体能力を活かすということすら無意識に避けているようだった。
「私がやりましょう」
ミズカが『闇の翼』を使用して飛び、窓の上部分を担当した。
「す、すみません」
控えめに礼を言い、ミズカの間違えようのない悪魔の印に登志也はぼんやり見入っている。その瞳には、自分も『化け物』と呼ばれていた経験からか、『人ではないもの』に対する同情のようなものが込められていた。
空き教室を二つ掃除して、今日の『補習』は終了となった。
「真面目に掃除してくれてありがとな。俺は高等部2年の千葉だ」
「あ、はい。おれは中等部2年の猪田登志也です」
千葉が自己紹介したのをきっかけに、皆それぞれ登志也に名乗った。
「明日、明後日も補習あるから、参加してくれると助かるぜ。よろしく頼むな!」
ニッと千葉はやや童顔な人懐っこい笑みを浮かべた。
「……大丈夫、ですよぉ……」
月乃宮 恋音(
jb1221)が、登志也のクラスに残っているミリカを励ましていた。
今日の『補習』に参加しなかった月乃宮は、明日、明後日と町で行うボランティアの手続きをしていたのだ。
ボランティアをして『力を使っても怒られない』『感謝される』ということを体験すれば、彼の中の意識も少しは変わるのではないかという狙いだ。
学校側にボランティアの申請、ボランティア募集をチェック、先方に連絡し事情説明、許可を得、必要書類の提出等を彼女一人でこなした。
結果明日は『商店街及び周辺の美化運動』、明後日は『町の電気屋さんの商品整理』をすることになり、今それをミリカに告げたところだった。
「はい。私皆さんを信じてます」
「……猪田さんも、きっと分かってくれますよぉ……」
彼女も少々方向性は違うが、似た経験がある。普段以上の真剣さで、ミリカの頼みを聞いてやりたいと感じていた。
●二日目
放課後、皆は学園前に集合した。登志也が来るかどうか、来なかったらクラスまで迎えに行こうかとも思っていたが、登志也はちゃんと遅れずに現れた。それは島で言いつけから逃げる選択肢さえ与えられなかった影響なのかもしれないが。
とりあえず登志也と初対面の月乃宮が名乗り、軍手とゴミ袋を全員に渡す。
登志也に渡す時、真っ赤な顔をうつむき加減にしながら言った。
「……『頑なにならず、現実をあるがまま受け入れなさい』……。……今このような正論を言われても、到底納得できるものではないですよねぇ……?」
登志也は心の内の読めない顔で小さく首を傾げている。月乃宮はやんわり微笑み言葉を継いだ。
「……ですから、まずは一緒に行動してみて、それから、この言葉を思い出してください……」
登志也は否定も拒絶もしなかった。拒絶しなかったということは、彼も本当は変わりたいと思っているのかもしれない。
これがそのきっかけになればいい、と月乃宮は思った。
商店街へと出発し、植え込みや店の裏道等、歩きながらゴミを見つけたら拾い、分別してゴミ袋に入れていく。
「……ペットボトルは、外側のラベルをはがしまして……、蓋は別にするんですよぉ……」
月乃宮が丁寧に、登志也に分別方法を教えていた。
登志也も真摯に説明を聞き、言う通りにしている。
時折、すれ違うおばさんが『偉いわねえ』と声をかけてきたり、店の前のゴミを拾ったら店の主人が『ありがとう』と登志也に笑顔を向けたりした。
始めは皆の背後に隠れるようにしながらゴミ拾いをしていた登志也だったが、しばらくすると少し慣れたのか、始めほど人目を気にしなくなったようだ。仲間がいるのも心強いのかもしれない。
自分の島とは違う町の様子に目を向ける余裕ができ、彼にとっては珍しい物を見ては、一人瞳を輝かせていた。
休憩がてら、彼らは公園に立ち寄った。
月乃宮と袋井が仲良く手を繋いでいる。袋井が月乃宮の肩を抱き囁くと、元々赤面症な彼女はさらに赤面する。
袋井は登志也の前で、わざと恋人の月乃宮とのイチャラブを見せつけていた。恋愛に興味を持たせようという作戦だ。
けれども登志也は見てはいけないものとして、二人から顔を背けている。ちょっと初心者には刺激が強かっただろうか? 作戦は空回り気味だ。
久遠が気まずげな登志也にジュースを差し出した。
「さっき八百屋のおじさんがくれたんです。どうぞ」
「おれがもらっていいんですか?」
登志也は驚いた声を出した。あまり他人から物をもらうという経験がなかったのだろう。
「もちろんです。全員分ありますから大丈夫ですよ。あ、他の飲み物が良かったですか?」
「いや、これでいいです。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げながら登志也はペットボトルのジュースを受け取り、一口飲む。それを見届けてから、久遠もまだ冷たいお茶を飲んだ。
「ここは、これが普通なんですか?」
ぽつりと、登志也に聞かれた。
「え?」
「その、おれ達みたいな力を持った人間が、普通に話しかけられたり、感謝されたり……」
「ええ、そうです。私達も町の皆さんと同じ、普通の人間ですから」
久遠の答えに登志也は衝撃を受けたらしかった。じっと手元を見――やがてジュースを飲み干し、ラベルをはがしキャップを別にしてそれぞれのゴミ袋に入れた。
「それじゃあ今日の『補習』は終了だ。皆お疲れ! 明日もまたよろしくな!」
学園前に戻って千葉が言った。
月乃宮が登志也に歩み寄る。
「……いかがでしたかぁ……? ……理解していただけたら、その、嬉しいのですよぉ……」
登志也はまだ複雑な心境みたいで、上手く気持ちを表現できないようだった。
「……猪田さんのこと、心配してくれた人がいるということも、忘れないでくださいねぇ……」
言い終えた途端、袋井がガバッと月乃宮に抱きついた。
「なんていいことを言うのでしょう!」
その手が思わず月乃宮の豊満な胸をタッチ☆
「はうぅ……ダメですよぉ……」
「照れてるきみも可愛いです!」
恥ずかしさで死にそうになっている月乃宮に負けないくらい、登志也もびっくりして顔を真っ赤にしていた。
「猪田君、自分も記憶喪失でこの学園に来た時は、生きるのに必死で他のことなんて考えられませんでした。しかし、学園にも慣れて何か物足りなさを感じていると、急に異性のことが気になりだしました。そう、無気力だった私にもいきなり思春期がやってきたのですよ!」
彼女を抱きしめたまま袋井は熱弁する。
「こんな私にだっていたのですから、猪田君のことを気にしている女の子もきっといます。少しでも心に余裕ができてきたら、恋愛というか異性のことを思い浮かべてみてください」
それからこそっと登志也に耳打ちを。
「女の子の優しさや暖かさ、柔らかさを知らないと人生損してしまいますよ」
登志也は耳まで真っ赤だった。この反応からして、多少なりとも異性に興味アリだ。
うん、望みはある!
●三日目
昨日と同様に放課後学園前に集合し、今日は商店街の一角にある電気屋に向かった。
「いや〜すまないねえ〜」
電気屋のご主人は中年の少しずんぐりしたおじさんで、今までも数回、撃退士にボランティアを頼んだことがあった。
「早速始めてもらっていいかな?」
「はい、何でも言って下さい!」
元気よく返事をした千葉に笑いながら、主人が手順を説明する。
月乃宮と久遠は倉庫の在庫チェック、他の者は店内で入れ替える電化製品をダンボールにしまったり、移動させたりという作業になった。
「よし、デカイのを移動させちまうか」
千葉がポーズをとると、
「CHARGE UP!」
というイカした発音の声がどこからか聞こえ、登志也はビクッとした。
見る間に千葉の頭や腕、足などに黄金のアーマーが装着されていく。
なんだかよく分からないけどすごい。登志也はポカンと見ていた。
ゴウライガとなった千葉は一人で大型冷蔵庫を持ち上げ、箱に収納した。それをさらに倉庫へ運ぶ。
「さすが、撃退士は頼もしいねえ〜」
店主のおじさんが感心している。
登志也も指示されるままに何度か電化製品を運んでいたが、普通の人でも持てそうな物に限っていた。
千葉は登志也と一緒に作業を続けつつ、流れで言ってみる。
「そっちの洗濯機は登志也一人で運べるか?」
「はい」
普通は一人では持てないであろう大きめな洗濯機を、登志也は軽々と持ち上げていた。自分で無意識だったことに気づいたのだろう、ハッとして洗濯機から手を離そうとし、落としかける。
「大丈夫かッ?」
咄嗟に千葉が支えた。怒られるとでも思ったのか、登志也は一瞬怯えた目で千葉を見た。
「これは二人で移動させよう」
移動させながら、千葉が気さくに話す。
「これまでに色々あったってのは解った。力を眠らせたままにしたいなら、それも一つの手だ。ただその力、登志也は自分の意志で、何かのため、誰かのためでもいい。ちゃんと使ったことはあるか?」
登志也は黙って、ゆっくり首を振った。
「手にした力は一生もんだ。どう付き合えばいいか分からないなら、いくらでも相談に乗るぜ」
これで少しでも自分の気持ちが伝わればいいが。千葉はそう願った。
休憩時間に、店主が麦茶とお菓子を出してくれた。
「このお菓子もどう?」
桐原がさりげなく登志也の向かいに座る。
「ありがとうございます」
「力があるから使わなくちゃいけないなんてことはないし、好きにしていいと思うよ」
率直な意見を述べ、青味を帯びた瞳を和らげた。
「少し、ボクのことを話すね。ボクは入学した頃はただ自分のためだけに力を使ってた。でも今は……好きな人を守るための力が欲しい……って思うよ。まさかボクが誰かを好きになるなんて、考えもしなかった」
そこで桐原は薄く苦笑する。
「大切な人のために自分にできる限りのことをしたいって。キミにもいつか、そういう人が出来るといいね。案外、身近にいるかもだよ。――なんて、こんな話冴弥さんに聞かれたら恥ずかしいね」
「ごめん、聞いてしまいました」
「!」
いつの間にか背後に恋人の妹である久遠が。見事に聞かれ、桐原は一気に頬を染めた。
「い、今のは聞かなかったことに……」
「どうしましょうか……」
二人のやりとりを見ながら、登志也は少し微笑んだ。
休憩後の作業も順調に終わり、
「ありがとうな、本当に助かったよ!」
おじさんが皆に余ったお菓子を配った。登志也の手にもお菓子を入れた袋が持たされる。
「こんなお礼しかできなくて申し訳ないけど」
「いえ、そんな……」
ストレートな店主の感謝に戸惑いながらも、登志也の一般人に対する問答無用な恐怖のようなものは薄れてきたようだ。
この島では、彼らが特別な力を持っていても誰も変な目で見たりしない。
学園までの帰り道、ミズカは登志也の隣を歩いていた。
「電気屋には色々な製品があるのですね。私も人の世界には疎いので、今回のことは興味深かったです」
「おれも何も知らなくて……、この町は見たことない物ばかりです」
「……あなたも気付いているかもしれませんが、私達はとある依頼を受けてここにいます。つまり、あなたのことを気にかけていて依頼を出した人がいる、ということです」
「え……」
学園が近づき、ミズカは校門に隠れるように立っている少女を見つけた。
登志也がその視線を追い――、何かに思い当たった顔になる。
千葉が足を止め皆に振り返った。
「今日もお疲れ! 『補習』はこれで終わりだ。登志也、町はどうだった?」
「……とても、いい経験でした。どうもありがとうございました」
千葉には、真っ直ぐ見つめ返してくる彼の中で、何かが少し変わったように感じられた。
「それなら良かった。解散!」
そして少女――ミリカと一緒に校舎に向かう登志也を、皆は微笑ましげに見送るのだった。
それから数日後、登志也はアウル実技授業に出るようになり、ミリカと会話する回数も増えてきたということだ。