「先行ルートはこの道筋、か」
覚えこんだ地図と照らし合わせ、アスハ・A・R(
ja8432)進む。全員が行くべきルートを覚えこんでいた。結界に取り残された学園生――エレーヌとはぐれただろう箇所も、退路も。
「視認敵は犬――か。やれやれ、散歩中の犬にリードもつけないなんて、マナーがなってないね」
紅蓮の髪をかきあげ、アサニエル(
jb5431)は鷹揚に周囲を見やって嘯く。危急かつ慎重な動きに反し、その姿には余裕すら感じられる。おそらく気性的なものだろう。
「巨大ゲートとは……相変わらず、面倒な事をしてくれますね」
鋭敏なる感覚を研ぎ澄ませながら、石田 神楽(
ja4485)はひやりとする眼差しを遠くへと投げた。
「さてと、狙い撃ちましょうか」
遥か彼方、交差点を横切る素早い影。
犬。
向きが違っているせいか、こちらに気づいていない。視認力は乏しいのだろう。風下なのに反応が無いということは、嗅覚も然程では無い。
なら――
「準備は」
「いつでも」
アスハの声に、全員が頷く。一度だけ後方に視線を送り、Zenobia Ackerson(
jb6752)は銀の髪を後ろに払って口元に笑みを刻んだ。
「さて、迷子のお姫様と囚われの市民(?)の為に頑張るとするか」
その手の中に、アラームクロック。
「さぁ、やりあおうか」
外壁を叩く。重い音。然程響かぬはずのそれに、チャッチャッチャッと軽快な足音が集まるのに気づいた。
一。二……三。
細めの通路、その真ん中。音は前。
呼び寄せられた猟犬がその俊敏な体を躍らせる。
「――回避しろ」
此処ではない場所へ告げる声と同時、アスハのワイヤーが猟犬の体を叩きつけるように切り裂いた。
犬達は知らない。
待ち伏せていた者達の後方――そこに二つの影があったことを。
翼を広げ、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)と篠倉 茉莉花(
jc0698)が気配を殺してその場から離れる。彼等は見つかるわけにはいかない。その為に四人が敢えて離れて突き進む。
(始まりましたな)
万が一の視認を警戒し、飛びすぎない高度でヘルマンは身を潜める。遥か先、ゲートの奥中枢は奇妙に白くけぶっていた。
(時至りて踏み出されましたようですな。天の方も、意外に蒙昧であられるご様子)
最良のタイミングというには、天の動きには違和がある。
視線で合図を送る茉莉花に頷き、ヘルマンは静かな面差しで町を見下ろした。
(さて、頼まれ事を果たしに参りましょうかな)
●
犬の前脚が空を切った。一気に別の犬の懐深く踏み言ったゼノヴィアの口元にひやりとした笑み。
「猟犬か」
強靱さを感じさせる細くしなやかな体躯。瞬発力は相当。だが――
「まだ――遅い」
ガチリ、と意識の奥で何かが二段階引き上げられたのを感じた。
―3rd Accel(サードアクセル)―
駆け巡るのは思考。身を操る力を、精度を、飛躍的に引き上げる第三加速魔術。
「足をやられて、どこまで追えるかな」
一瞬で閃いた刃が、魔弾に喉を穿たれたままの猟犬の前脚を切り落とした。体勢を崩す犬には見向きもせず、次はと視線を走らせる。
犬の動きは変則的だった。ある意味野性的であったとも言える。壁を蹴り、あらぬ方向から飛びかかってきた黒い体を神楽の銃弾が撃ちぬいた。手痛い反撃に悲鳴をあげ、小さな群れを形成して対峙する。
ふいに思考を磨耗させるような奇妙な匂いが満ちた。
「睡眠フェロモンかい? 残念だね。効きやしないよ」
アサニエルが揶揄するように口の端を笑ませる。その後ろでゼノヴィアと神楽がちょっと頭を振るのに、アスハが素早く握り拳を作った。
ボカッ
ボカッ
「何か今、衝撃が」
「さ。敵が来るぞ」
奇妙な空白時間に「?」な二人だが、無論誰も説明するわけもなく。
猟犬が飛び掛ってくるより早く、アサニエルは鮮やかに笑って群れ一つを見下ろした。
「躾がなってない犬だね。そら、伏せだよ」
空の輝きと同時、纏まった猟犬の頭上に天の石が降り注ぐ。動きの鈍った個体をアスハの一撃が沈めた。
「かなり集まって来ましたね」
「節操無いほどにね。どうやら小さい群れがいくつか纏まってたみたいだね」
神楽の声にアサニエルが笑む。
犬が纏まっていた理由は何か。
「なら、目的地も近いようだな」
アスハの声に一同は頷く。猟犬が人間を追跡していたのなら、纏まった数がいる付近に追跡対象がいるはずだ。戦闘音が他にしないということは、上手く逃げ隠れたということか。はぐれたポイントから北上し、ふと視線に気付いた。
思わず小さく笑み、アスハは光信機を握る。視界の端、こちらの合図を待っている仲間を補足し、眼差しで指し示す。
空き家。鉄筋二階建て。元は食堂か。二階の窓からこちらを覗く影。
「――いたな」
距離は近かった。
音をたてないよう慎重に開いた窓に、アスハは光信機を放る。隙と見て飛びかかった猟犬が眼窩を撃ちぬかれ、悲鳴をあげてのたうった。
神楽に目で礼を告げ、通じた先に二言、三言。確認の後に告げた。
「もう少し待っていろ…必ず助ける」
『はい』
相手は何かを確認するような、不思議と落ち着いた声。これなら大丈夫そうだと、仲間に視線を送る。
「さて、本番ですね」
「小道に誘いこむのが上策かね」
神楽とアサニエルの声に、ゼノヴィアは走りがてら道の片隅に時計を置く。
「体も温まってきたところだ」
「いくぞ」
「いつでも」
声に、鋭いホイッスルの音が響き渡った。広域に音を響かせるための道具。ざわりと空気が震えたような気がしたのは、おそらく気のせいでは無いだろう。
その気配に、むしろ笑みが浮かぶのは何故か。
周囲から押し寄せてくるような足音に、囲まれる前に四人は駆ける。目指すは小道。走る傍ら、誰もいないように見える一角に視線を走らせた。
『行け』
GOサインを合図に、茉莉花とヘルマンは一気に駆けた。
●
眼下を何匹もの犬が駆け抜けていくのが見えた。
上空。音無き移動者を犬は感知しない。ひたすら聴覚を頼りに駆け走る数を視認する余裕は二人にも無かった。急がなくては、あの敵が全て仲間を襲う。
(無事でいてよ……!)
茉莉花は自身の速度を引き上げひたすらに走る。ヘルマンが開いたままの入口を目で示す。音がたつため、閉じられなかったのだろう。
そこは二階建ての空家だった。うっすらと埃が溜まったそこに、飛び飛びで人の足跡がある。
(階段は)
探す茉莉花の視線の先、ヘルマンがさらに奥へと眼差しで示す。階段だ。浮遊したまま上階へと上がると、開け放たれたままの部屋の奥、窓と人影を背にこちらを油断無く見ている少女の姿があった。
「――」
軽く目を瞠る少女に、ジェスチャーで「静かに」と告げて茉莉花はその傍らに飛ぶ。
「怪我は?」
「ありません」
小声で応えるエレーヌに怯えは無い。その後ろを見ると、小柄な老爺が震えていた。
「あ、あんたらも、撃退士か」
「もう大丈夫。あたし達と一緒に帰ろ」
ひどく怯えている老爺に、茉莉花は頷き、その体を抱きかかえようとした。だが老爺はゆるく首を横に振る。
「あかんが。おまらの足手まといにならぁ」
頑ななのは、若者を巻き込むまいとする気持ち故か。恐怖をも飲み込みこちらを案じる老爺に、茉莉花はその掌をそっと包み込むように握ると、目を合わせてもう一度繰り返した。
「帰ろ。皆で守るから」
僅かに戸惑う相手の眼差しがふと動く。外の確認をしに窓際に降り立ち、発煙筒で囮班に保護を知らせていたヘルマンを見て瞬きした。実年齢は八百以上違うだろうが、外見的に似た年齢だ。その貫禄ある皺をじんわりと深めてヘルマンは頷いた。
迎えに来た二人の様子に何を感じたのか。老爺は体の強張りを解くと頷く。茉莉花に孫を、ヘルマンに己の姿を見たのかもしれない。
「飛べる?」
茉莉花の声にエレーヌは一瞬おいてから首を横に振る。逃げるまでにスキルを使い切ったのだろうと判断し、茉莉花は自分の背に覆いかぶさるようにして捕まってもらうことにした。速度を上げるには、腕に捕まるだけではバランスが心もとない。
「敵が完全に離れましたな。参りましょう」
囮は十二分にその役割を果たした。敵影が無いのを確認し、ヘルマンが促す。と、窓の外を見ていたその顔に僅かな緊張が走った。
「あれは――」
●
「無事保護したようですね」
空に立ち上る発煙筒の煙を見て、神楽は微かに口角を上げる。小声で聞こえてくる報告で、保護班の進歩状況が詳細に分かるのは在り難い。
「さぁて、撤退までもう一踏ん張りってとこだね」
曲がり角から駆け込み、走りこんできた猟犬にアサニエルが護符を閃かせる。光玉に足を抉られ、体勢を崩したそこにゼノヴィアの掌底が叩き込まれた。吹き飛び、南側の道に隙間が出来る。
『撤退に入って!』
茉莉花からの通信が入る。無論、撤退に入るとも。アサニエルの眼差しに全員が頷く。
(敵の層が厚いですね。呼び寄せすぎましたか)
周囲を見渡し、神楽は常の笑みのままで思案した。層は北側の方が厚く、南はまだ余裕がある。敵は北から来るのだ。
『お急ぎを』
重ねて告げるヘルマンの声は危急の強さを含んでいる。
『北に夥しい数の犬の群れを見ました。危険が迫っています』
夥しい数の群れ。
常に平静な老執事に危機を抱かせるほどの。
「善処しましょう」
体の中で軋むような音を感じた。移動中、発動させる力を索敵から攻撃のそれへと変えている。研ぎ澄まされた集中の中、滲むように、溶けるように、手に馴染む【黒終・弐式】が侵食するように体内へと取り込まれる。
「さてさて、ここからが大変ですね」
笑顔は変わらない。その身にどれ程の負荷がかかっていようとも。完全に同化した武器――その掌に構築された結晶を突きつけるようにして傍らに踏み込んだ犬の頭部に突き出した。
―黒葬(ツミビト) ―
ドンッ!
衝撃と同時、犬の頭部が漆黒の杭に打ち砕かれる。僅かに引く動作にあわせ、肩部排出口から黒霧のようなアウルの残滓が流れる。
「――技を借りるぞ」
ふと口の中で呟き、アスハはその手より三日月型の双蒼月を放つ。
―擬術:死刃蒼月(ディアナズムーン)―
範囲内を蒼光が乱舞した。その軌跡にふと思う。かつて見たそれは巨大な四つであったと。模倣は模倣でしかないのだと。けれど継がれし力の一片のように、その力は蒼き月の欠片を受け継いでいる。
切り裂かれ、地に伏した犬の向こう、新たに現れた猟犬が大きく身を反らせた。
ゥオーオオー
「遠吠えか!」
ゼノヴィアの眉が跳ね上がる。音を感知して集まるのなら、これは仲間の呼び寄せだ。
「一気に撤退するぞ。どれだけ呼び寄せられて来るか――」
ポンと塀の上に時計を置き、告げたゼノヴィアの声に遠くからの音が重なった。
ゥオーオオー
「おい……」
ゥオーオオー
ゥオーオオー
「待て……」
ゥオーオオー
ゥオーオオー
ゥオーオオー
「壮観ですね……」
ゥオーオオー
ゥオーオオー
ゥオーオオー
「……まさかの事態だね」
東西南北。全てから次々に声が放たれた。
囮は十二分に、いや、それ以上に役割を果たした。茉莉花やヘルマン達が一度も敵に見つからなかった程に。例え目の前に現れた個体を即座に撃破しようとも、それで終らぬ程に。
――集まりすぎたのだ。
「撤退するぞ!」
最早留まる意味は無い。
「南部の隙を縫いな! 離脱するよ!」
アサニエルの背に光の翼が広がった。同時、ゼノヴィアの足に時計針の様な紋様が現れる。
「先に離脱を」
スリープミストで周囲の敵を眠らせるアスハに神楽が鋭く告げた。移動力の差が顕著に出る。アスハは苦笑した。
「無事に返さんと…そちらの彼女に怒られるから、な」
僅かに神楽の目に動揺のようなものが見えた気がした。錯覚かもしれないが。
駆ける足音に遠くからの足音が重なる。能力低下の激しい全力移動はしない。それは余りにも危険過ぎるから。
足留めに専念し、ひたすら南へと走る。二階建ての空き家は後方。
「数が多い……!」
心臓の裏がヒヤリと冷えるのを感じた。その瞬間、けたたましい音があちこちで響いた。
「アラームトラップ、ってね」
ゼノヴィアがニヤリと笑う。時計の仕掛けが発動したのだ。音に意識をとられ、追跡が散漫になるのが分かった。
「今のうちに――」
切り開く道の端、曲がり角に差し掛かった瞬間、黒い影が飛び出した。
あ、と思った瞬間には顎が神楽の前に。
(噛まれ――)
その瞬間、犬の頭が一瞬で消えた。
「空から参りましょう」
黄昏色の鎌で首を切り飛ばしたのはヘルマンだ。
「別に心配して来たわけじゃないから」
アサニエル達の眼差しに茉莉花がプイとそっぽを向く。ちょっと頬が赤い。
「学園で待つ細君の心配も致し方ありますまい。愛とは、そのようなものかと」
どうやら光信機ごしに会話を聞いていたらしい。好々爺の笑みを浮かべるヘルマンを神楽はジーと見る。結婚まだですから。
次いで苦笑した。
「怒られるのは嫌ですが、犠牲払って帰ったらそれはそれで怒られますね」
ヘルマンに支えられ、アサニエルの協力もあって神楽も翼に便乗して空へ。見守り、安全を確認してアスハは擬術:零の型を解き放った。
●
「やれやれ、これからが面倒なことになるね」
脱出した結界を見やり、アサニエルはため息をつく。
アスハはふと歩き出す。ヘルマンが気づき、笑みを浮かべるとアスハに恭しく一礼してその行動を見守った。
「やることは変わらない、な」
腕が伸び、天を示す。放たれるのは鮮やかな光槍。
――彼方が天を焦がす焔なら、此方は天を流す雨。
「たかだか一撃の焔で、消せるものと思うな」
預けていたという荷物を受け取ってきたエレーヌを見て、ヘルマンは穏やかに微笑った。
「広島のお土産でございますな」
「はい。ようやく学園の皆様にお渡しできます」
成程とヘルマンは頷いた。それは数刻前に別の女性が感じた違和感。ヘルマンはいつもの笑みで問う。
「大公爵からのお土産も貴方がお持ちですかな?」
エレーヌの『時』が止まった。微笑みも雰囲気も変えず、唇が動かして言葉を紡ぐ。
「成程」
氷のような声で。
「誰も気づかぬままであれば、そのように評価するところでしたが。今一度、直に訪れた甲斐はあったようですね」
ヘルマンはただ目を細め、恭しく一礼する。
「お名前を伺ってもかまいませんかな?」
エレーヌは表情を消した。優しげな女性、という印象が消え去った。後に残るのは、ただただ恐ろしい程に美しい冴え冴えとした美貌のみ。
「四国対策本部への、案内を頼めるのでしたら」
「承りました」
「――では、頼みます」
応えに、女は頷く。いつも穏やかに笑っていたエレーヌはもういない。
壮絶な程に美しい顔の中、氷のような眼差しで悪魔は告げた。
「メフィストフェレス閣下が直属、序列第一位――メイド長、ヘレン・ガイウスと申します」
○
――最後の選択が始まる。