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マスター:九三壱八
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/11/26


みんなの思い出



オープニング


 命ある者は、常に選び続けている。


 ――その先に、何が待ち受けているのか分からぬままに。





 天魔の襲来に、定まった日時は無い。
 そのため、危急の召集に応える撃退士に、厳密な意味での定休日というのは存在しなかった。
 それは久遠ヶ原学園に所属する学生にも言えることだ。そのため、撃退士達はそれぞれ自身のスケジュールを調整して体を休める。それを見越してか、教室には天魔の依頼と並んで娯楽や休養の為の告知が貼られることも少なくなかった。
 今、四国の地に降り立ったエレーヌもまた、数日間の休暇をとっていた撃退士の一人だった。
「あら。エレーヌさん?」
 ふと声をかけられ、エレーヌは振り返った。目に入った久遠ヶ原の学生服に、パチパチと瞬きし、ふわりと微笑む。
「お疲れ様です。任務ですか?」
「うん。さっき終ったけど。そちらも終ったところ?」
 エレーヌの服も学生服だった。そのせいで誤解されたのだが、両手に紙袋を下げた姿は任務中とは思えなかったらしい。『もみじ饅頭』と書かれている包みは明らかに土産物だろう。
「休暇をとっていました。これから学園に行く所です」
「ああ、それで学生服?」
「いえ……人間界の服は、学生服しか持っていませんので」
「勿体無い」
 稀有な美貌を見やり、学生はしみじみと呟いた。エレーヌは困ったように微笑む。
「折角だから、高知の案内でもしよっか? 高知はもう回った後?」
「いえ。先ほど着いたばかりです。四国は時々来てましたが、山とかでしたので街も気になって」
 でももう、学園に行かないと。お土産も渡したいから。
 そう告げるエレーヌに、学生は笑う。ふと違和感を覚えたが、違和感の原因は分からなかった。
「残念だけど仕方ないよね。じゃあ――」
 先生達によろしく、と、告げようとした学生の声が途切れた。
 弾かれたようにエレーヌが後ろを振り返る。
 光が爆発したかのような閃光が、一瞬、天地を貫くのが見えた。近い。そして、大きい。
「そんな……!?」
 学生が叫ぶ。だが次の瞬間に起きた光景に、愕然と棒立ちになった。
 目の前に聳えるような光の壁。
 おそらく、円を描くかように形成されていることだろう。先ほど光が立ち上った場所すら取り込んで。
「……ゲート」

 



 その日、四国の地で幾条もの光の柱が天を貫いた。
 光柱を外縁にして、その内側そのものもまた、巨大な円。
 それは高知市、南国市を跨いで広大なる空間を柱内に閉じ込める。
 かつて、千年王都に発現したかのような――

 四国、巨大ゲートの誕生だった。





 突如開かれた巨大ゲートは、周囲を混沌と狂騒の淵に追い込んだ。
「いやああああ! おじいちゃん! おじいちゃん!」
「離れなさい! 中に入ったら君まで出てこれんようになる!」
「ぃやあ!」
 高知市の南、結界の境目。
 暴れる少女を必死に抑える男は、撃退庁の職員だった。
 現地に到着した撃退士の前にあったのは、突然世界を断った結界に家族を取り込まれ、必死になって取り戻そうと足掻く人々の姿だった。
「返して……返してぇえ!」
 死と隣り合わせの世界にあって、天魔と渡り合う力を持つ者と違い、彼等彼女等には抗う力も、身を守る力も無い。奪われた世界の一部を嘆き、叫び、絶望するしかない。
 その光景が、今、ここに在る。
「――これが、ゲートで断たれた世界」
 ぽつりとエレーヌは呟いた。
 肉眼で境目がハッキリ分かるほど近くに出来たゲートに、急遽駆けつけたのが彼女達だった。一緒にいる面々も、別の依頼を終らせた直後の者ばかり。体は疲弊し、万全とは言えない。それでもこうした事態が起きれば、即座に体が動く。
 ――人々を守る為に。
「私達が中に入る」
 半狂乱になって叫ぶ少女に、生徒が言葉をかけるのが聞こえた。高知に下りたエレーヌに声をかけた学生だ。
「どこまで助けれるかわからない。けど、助けれる精一杯を助けるから……今は信じて、安全な所へ避難して」
「もう、おじちゃんしかいないの……家族……」
「うん……ちゃんと助けるから」
 信頼はどこから生まれるのか。
 一縷の願いを託す理由は何か。
 泣きながら何度も頼み込む少女と請け負う撃退士をエレーヌはじっと見つめていた。





 
「南国市に至る道沿い、休憩所に依頼で出ていたメンバーは!?」
「応答ありません。おそらく結界に取り込まれたと見られます!」
「高知市に出ていた野良サーバント討伐メンバーは!?」
「近隣の避難誘導を近くの撃退庁撃退士と分担、混成の一部隊が結界内に突入、直近の人々の救助に出たとのことです!」
「サーバントの様子は!?」
「高知市、北側ではすでに戦闘が発生。ツインバベルからのサーバントも集まりつつあるようですね……」
 次々に地図に書き込まれていく情報に、太珀(jz0028)は冷徹な瞳を向ける。戦端は北。サーバントが満ちるのも北からだろう。南はまだ、手薄。報告の通り、今ならばと中に突入する部隊の報告は少なくない。
 時間との勝負だ。だが、それは諸刃の剣でもある。
「混成部隊から連絡! 結界内に突入した一部隊が敵と戦闘! 住民の救助に救出しましたが、学園生が一人、行方不明です!」
 その諸刃の剣を突き立てられ、太珀の隣で険しい顔をしていた鎹 雅 (jz0140)が弾かれたように顔を上げた。
「生徒の名前は!?」
「大学部一年、エレーヌです!」





 同時刻。結界内。
 エレーヌは一人の老人と共に建物の中にいた。
 避難誘導の最中に起きた飛空型サーバントの襲来。混乱の中、その老人に気づいたのはエレーヌだけだった。よろよろとおぼつかない足取りの老人を確保した時には皆とはぐれ、周囲の路地をサーバントの群れに囲まれてしまった。
 ビル内に飛び込み、老人を抱きかかえて上階へと階段を走ったのがつい先程。
 一人でただ突っ切るだけならできるだろう。だが、人間は脆い。相手の攻撃があたれば、自分はともかくこの人間の命は無い。こちらの攻撃の反動ですら、負傷するのではないかと思うほどに――人は、弱いのだ。
「あんただけでも逃げぇ」
 腕の中の老人が細い声で言う。怯えているのに。差し迫る死を知覚しているだろうに。
「若い者がぁ犠牲になったらアカン」
 遥かに若いのは彼だろうに。そう思いながらいつもと同じ笑みを浮かべた。
「大丈夫です」
 思い出す。必死に祖父の無事を祈っていた少女を。
 ――老いも若きも、今ある命に変わりは無い。
 たぶん、『彼等』なら、そう思って動くだろう。
「きっと、学園の人達が来てくれるでしょうから」





「四国に大規模ゲートが出現した」
 集まった学生達に雅は告げた。
「今、現地で君達の後輩が、撃退庁と協力して初期対応にあたっている。そんな中、内部に突入した班の一人が行方不明になった。おそらく、救助の途中ではぐれたのだろう」
 名前はエレーヌ。
 今年入学してきたはぐれ悪魔だ。
「結界内部は通信機が使えない。君達には光信機が与えられる。だが、現在のエレーヌは持っていない。はぐれたと思しき場所は地図に書き起こされている箇所だ。そこを重点的にあたってもらう形になる」
 一緒に渡された写真は、夏季合宿の一ページ。学生達と笑いながら写っている黒髪の少女。
「一人ではぐれるとは思いにくい。要救助者を抱えている可能性がある。現地はすでにサーバントが徘徊している。外に出てくる者はこちらで押さえる。彼女達を……頼む」



リプレイ本文




「先行ルートはこの道筋、か」
 覚えこんだ地図と照らし合わせ、アスハ・A・R(ja8432)進む。全員が行くべきルートを覚えこんでいた。結界に取り残された学園生――エレーヌとはぐれただろう箇所も、退路も。
「視認敵は犬――か。やれやれ、散歩中の犬にリードもつけないなんて、マナーがなってないね」
 紅蓮の髪をかきあげ、アサニエル(jb5431)は鷹揚に周囲を見やって嘯く。危急かつ慎重な動きに反し、その姿には余裕すら感じられる。おそらく気性的なものだろう。
「巨大ゲートとは……相変わらず、面倒な事をしてくれますね」
 鋭敏なる感覚を研ぎ澄ませながら、石田 神楽(ja4485)はひやりとする眼差しを遠くへと投げた。
「さてと、狙い撃ちましょうか」
 遥か彼方、交差点を横切る素早い影。
 犬。
 向きが違っているせいか、こちらに気づいていない。視認力は乏しいのだろう。風下なのに反応が無いということは、嗅覚も然程では無い。
 なら――
「準備は」
「いつでも」
 アスハの声に、全員が頷く。一度だけ後方に視線を送り、Zenobia Ackerson(jb6752)は銀の髪を後ろに払って口元に笑みを刻んだ。
「さて、迷子のお姫様と囚われの市民(?)の為に頑張るとするか」
 その手の中に、アラームクロック。
「さぁ、やりあおうか」
 外壁を叩く。重い音。然程響かぬはずのそれに、チャッチャッチャッと軽快な足音が集まるのに気づいた。 
 一。二……三。
 細めの通路、その真ん中。音は前。
 呼び寄せられた猟犬がその俊敏な体を躍らせる。
「――回避しろ」
 此処ではない場所へ告げる声と同時、アスハのワイヤーが猟犬の体を叩きつけるように切り裂いた。


 犬達は知らない。
 待ち伏せていた者達の後方――そこに二つの影があったことを。
 翼を広げ、ヘルマン・S・ウォルター(jb5517)と篠倉 茉莉花(jc0698)が気配を殺してその場から離れる。彼等は見つかるわけにはいかない。その為に四人が敢えて離れて突き進む。
(始まりましたな)
 万が一の視認を警戒し、飛びすぎない高度でヘルマンは身を潜める。遥か先、ゲートの奥中枢は奇妙に白くけぶっていた。
(時至りて踏み出されましたようですな。天の方も、意外に蒙昧であられるご様子)
 最良のタイミングというには、天の動きには違和がある。
 視線で合図を送る茉莉花に頷き、ヘルマンは静かな面差しで町を見下ろした。
(さて、頼まれ事を果たしに参りましょうかな)





 犬の前脚が空を切った。一気に別の犬の懐深く踏み言ったゼノヴィアの口元にひやりとした笑み。
「猟犬か」
 強靱さを感じさせる細くしなやかな体躯。瞬発力は相当。だが――
「まだ――遅い」
 ガチリ、と意識の奥で何かが二段階引き上げられたのを感じた。

 ―3rd Accel(サードアクセル)―

 駆け巡るのは思考。身を操る力を、精度を、飛躍的に引き上げる第三加速魔術。
「足をやられて、どこまで追えるかな」
 一瞬で閃いた刃が、魔弾に喉を穿たれたままの猟犬の前脚を切り落とした。体勢を崩す犬には見向きもせず、次はと視線を走らせる。
 犬の動きは変則的だった。ある意味野性的であったとも言える。壁を蹴り、あらぬ方向から飛びかかってきた黒い体を神楽の銃弾が撃ちぬいた。手痛い反撃に悲鳴をあげ、小さな群れを形成して対峙する。
 ふいに思考を磨耗させるような奇妙な匂いが満ちた。
「睡眠フェロモンかい? 残念だね。効きやしないよ」
 アサニエルが揶揄するように口の端を笑ませる。その後ろでゼノヴィアと神楽がちょっと頭を振るのに、アスハが素早く握り拳を作った。

 ボカッ
 ボカッ

「何か今、衝撃が」
「さ。敵が来るぞ」
 奇妙な空白時間に「?」な二人だが、無論誰も説明するわけもなく。
 猟犬が飛び掛ってくるより早く、アサニエルは鮮やかに笑って群れ一つを見下ろした。
「躾がなってない犬だね。そら、伏せだよ」
 空の輝きと同時、纏まった猟犬の頭上に天の石が降り注ぐ。動きの鈍った個体をアスハの一撃が沈めた。
「かなり集まって来ましたね」
「節操無いほどにね。どうやら小さい群れがいくつか纏まってたみたいだね」
 神楽の声にアサニエルが笑む。
 犬が纏まっていた理由は何か。
「なら、目的地も近いようだな」
 アスハの声に一同は頷く。猟犬が人間を追跡していたのなら、纏まった数がいる付近に追跡対象がいるはずだ。戦闘音が他にしないということは、上手く逃げ隠れたということか。はぐれたポイントから北上し、ふと視線に気付いた。
 思わず小さく笑み、アスハは光信機を握る。視界の端、こちらの合図を待っている仲間を補足し、眼差しで指し示す。
 空き家。鉄筋二階建て。元は食堂か。二階の窓からこちらを覗く影。
「――いたな」


 距離は近かった。
 音をたてないよう慎重に開いた窓に、アスハは光信機を放る。隙と見て飛びかかった猟犬が眼窩を撃ちぬかれ、悲鳴をあげてのたうった。
 神楽に目で礼を告げ、通じた先に二言、三言。確認の後に告げた。
「もう少し待っていろ…必ず助ける」
『はい』
 相手は何かを確認するような、不思議と落ち着いた声。これなら大丈夫そうだと、仲間に視線を送る。
「さて、本番ですね」
「小道に誘いこむのが上策かね」
 神楽とアサニエルの声に、ゼノヴィアは走りがてら道の片隅に時計を置く。
「体も温まってきたところだ」
「いくぞ」
「いつでも」
 声に、鋭いホイッスルの音が響き渡った。広域に音を響かせるための道具。ざわりと空気が震えたような気がしたのは、おそらく気のせいでは無いだろう。
 その気配に、むしろ笑みが浮かぶのは何故か。
 周囲から押し寄せてくるような足音に、囲まれる前に四人は駆ける。目指すは小道。走る傍ら、誰もいないように見える一角に視線を走らせた。

『行け』

 GOサインを合図に、茉莉花とヘルマンは一気に駆けた。





 眼下を何匹もの犬が駆け抜けていくのが見えた。
 上空。音無き移動者を犬は感知しない。ひたすら聴覚を頼りに駆け走る数を視認する余裕は二人にも無かった。急がなくては、あの敵が全て仲間を襲う。
(無事でいてよ……!)
 茉莉花は自身の速度を引き上げひたすらに走る。ヘルマンが開いたままの入口を目で示す。音がたつため、閉じられなかったのだろう。
 そこは二階建ての空家だった。うっすらと埃が溜まったそこに、飛び飛びで人の足跡がある。
(階段は)
 探す茉莉花の視線の先、ヘルマンがさらに奥へと眼差しで示す。階段だ。浮遊したまま上階へと上がると、開け放たれたままの部屋の奥、窓と人影を背にこちらを油断無く見ている少女の姿があった。
「――」
 軽く目を瞠る少女に、ジェスチャーで「静かに」と告げて茉莉花はその傍らに飛ぶ。
「怪我は?」
「ありません」
 小声で応えるエレーヌに怯えは無い。その後ろを見ると、小柄な老爺が震えていた。
「あ、あんたらも、撃退士か」
「もう大丈夫。あたし達と一緒に帰ろ」
 ひどく怯えている老爺に、茉莉花は頷き、その体を抱きかかえようとした。だが老爺はゆるく首を横に振る。
「あかんが。おまらの足手まといにならぁ」
 頑ななのは、若者を巻き込むまいとする気持ち故か。恐怖をも飲み込みこちらを案じる老爺に、茉莉花はその掌をそっと包み込むように握ると、目を合わせてもう一度繰り返した。
「帰ろ。皆で守るから」
 僅かに戸惑う相手の眼差しがふと動く。外の確認をしに窓際に降り立ち、発煙筒で囮班に保護を知らせていたヘルマンを見て瞬きした。実年齢は八百以上違うだろうが、外見的に似た年齢だ。その貫禄ある皺をじんわりと深めてヘルマンは頷いた。
 迎えに来た二人の様子に何を感じたのか。老爺は体の強張りを解くと頷く。茉莉花に孫を、ヘルマンに己の姿を見たのかもしれない。
「飛べる?」
 茉莉花の声にエレーヌは一瞬おいてから首を横に振る。逃げるまでにスキルを使い切ったのだろうと判断し、茉莉花は自分の背に覆いかぶさるようにして捕まってもらうことにした。速度を上げるには、腕に捕まるだけではバランスが心もとない。
「敵が完全に離れましたな。参りましょう」
 囮は十二分にその役割を果たした。敵影が無いのを確認し、ヘルマンが促す。と、窓の外を見ていたその顔に僅かな緊張が走った。
「あれは――」





「無事保護したようですね」
 空に立ち上る発煙筒の煙を見て、神楽は微かに口角を上げる。小声で聞こえてくる報告で、保護班の進歩状況が詳細に分かるのは在り難い。
「さぁて、撤退までもう一踏ん張りってとこだね」
 曲がり角から駆け込み、走りこんできた猟犬にアサニエルが護符を閃かせる。光玉に足を抉られ、体勢を崩したそこにゼノヴィアの掌底が叩き込まれた。吹き飛び、南側の道に隙間が出来る。
『撤退に入って!』
 茉莉花からの通信が入る。無論、撤退に入るとも。アサニエルの眼差しに全員が頷く。
(敵の層が厚いですね。呼び寄せすぎましたか)
 周囲を見渡し、神楽は常の笑みのままで思案した。層は北側の方が厚く、南はまだ余裕がある。敵は北から来るのだ。
『お急ぎを』
 重ねて告げるヘルマンの声は危急の強さを含んでいる。
『北に夥しい数の犬の群れを見ました。危険が迫っています』
 夥しい数の群れ。
 常に平静な老執事に危機を抱かせるほどの。
「善処しましょう」
 体の中で軋むような音を感じた。移動中、発動させる力を索敵から攻撃のそれへと変えている。研ぎ澄まされた集中の中、滲むように、溶けるように、手に馴染む【黒終・弐式】が侵食するように体内へと取り込まれる。
「さてさて、ここからが大変ですね」
 笑顔は変わらない。その身にどれ程の負荷がかかっていようとも。完全に同化した武器――その掌に構築された結晶を突きつけるようにして傍らに踏み込んだ犬の頭部に突き出した。

 ―黒葬(ツミビト) ―

 ドンッ!
 衝撃と同時、犬の頭部が漆黒の杭に打ち砕かれる。僅かに引く動作にあわせ、肩部排出口から黒霧のようなアウルの残滓が流れる。
「――技を借りるぞ」
 ふと口の中で呟き、アスハはその手より三日月型の双蒼月を放つ。

 ―擬術:死刃蒼月(ディアナズムーン)―

 範囲内を蒼光が乱舞した。その軌跡にふと思う。かつて見たそれは巨大な四つであったと。模倣は模倣でしかないのだと。けれど継がれし力の一片のように、その力は蒼き月の欠片を受け継いでいる。
 切り裂かれ、地に伏した犬の向こう、新たに現れた猟犬が大きく身を反らせた。

 ゥオーオオー

「遠吠えか!」
 ゼノヴィアの眉が跳ね上がる。音を感知して集まるのなら、これは仲間の呼び寄せだ。
「一気に撤退するぞ。どれだけ呼び寄せられて来るか――」
 ポンと塀の上に時計を置き、告げたゼノヴィアの声に遠くからの音が重なった。

 ゥオーオオー

「おい……」

 ゥオーオオー
  ゥオーオオー

「待て……」

 ゥオーオオー
  ゥオーオオー
 ゥオーオオー

「壮観ですね……」

 ゥオーオオー
  ゥオーオオー
 ゥオーオオー

「……まさかの事態だね」

 東西南北。全てから次々に声が放たれた。
 囮は十二分に、いや、それ以上に役割を果たした。茉莉花やヘルマン達が一度も敵に見つからなかった程に。例え目の前に現れた個体を即座に撃破しようとも、それで終らぬ程に。

 ――集まりすぎたのだ。

「撤退するぞ!」
 最早留まる意味は無い。
「南部の隙を縫いな! 離脱するよ!」
 アサニエルの背に光の翼が広がった。同時、ゼノヴィアの足に時計針の様な紋様が現れる。
「先に離脱を」
 スリープミストで周囲の敵を眠らせるアスハに神楽が鋭く告げた。移動力の差が顕著に出る。アスハは苦笑した。
「無事に返さんと…そちらの彼女に怒られるから、な」
 僅かに神楽の目に動揺のようなものが見えた気がした。錯覚かもしれないが。
 駆ける足音に遠くからの足音が重なる。能力低下の激しい全力移動はしない。それは余りにも危険過ぎるから。
 足留めに専念し、ひたすら南へと走る。二階建ての空き家は後方。
「数が多い……!」
 心臓の裏がヒヤリと冷えるのを感じた。その瞬間、けたたましい音があちこちで響いた。
「アラームトラップ、ってね」
 ゼノヴィアがニヤリと笑う。時計の仕掛けが発動したのだ。音に意識をとられ、追跡が散漫になるのが分かった。
「今のうちに――」
 切り開く道の端、曲がり角に差し掛かった瞬間、黒い影が飛び出した。
 あ、と思った瞬間には顎が神楽の前に。
(噛まれ――)
 その瞬間、犬の頭が一瞬で消えた。
「空から参りましょう」
 黄昏色の鎌で首を切り飛ばしたのはヘルマンだ。
「別に心配して来たわけじゃないから」
 アサニエル達の眼差しに茉莉花がプイとそっぽを向く。ちょっと頬が赤い。
「学園で待つ細君の心配も致し方ありますまい。愛とは、そのようなものかと」
 どうやら光信機ごしに会話を聞いていたらしい。好々爺の笑みを浮かべるヘルマンを神楽はジーと見る。結婚まだですから。
 次いで苦笑した。
「怒られるのは嫌ですが、犠牲払って帰ったらそれはそれで怒られますね」
 ヘルマンに支えられ、アサニエルの協力もあって神楽も翼に便乗して空へ。見守り、安全を確認してアスハは擬術:零の型を解き放った。






「やれやれ、これからが面倒なことになるね」
 脱出した結界を見やり、アサニエルはため息をつく。
 アスハはふと歩き出す。ヘルマンが気づき、笑みを浮かべるとアスハに恭しく一礼してその行動を見守った。
「やることは変わらない、な」
 腕が伸び、天を示す。放たれるのは鮮やかな光槍。
 ――彼方が天を焦がす焔なら、此方は天を流す雨。
「たかだか一撃の焔で、消せるものと思うな」


 預けていたという荷物を受け取ってきたエレーヌを見て、ヘルマンは穏やかに微笑った。
「広島のお土産でございますな」
「はい。ようやく学園の皆様にお渡しできます」
 成程とヘルマンは頷いた。それは数刻前に別の女性が感じた違和感。ヘルマンはいつもの笑みで問う。

「大公爵からのお土産も貴方がお持ちですかな?」

 エレーヌの『時』が止まった。微笑みも雰囲気も変えず、唇が動かして言葉を紡ぐ。
「成程」
 氷のような声で。
「誰も気づかぬままであれば、そのように評価するところでしたが。今一度、直に訪れた甲斐はあったようですね」
 ヘルマンはただ目を細め、恭しく一礼する。
「お名前を伺ってもかまいませんかな?」
 エレーヌは表情を消した。優しげな女性、という印象が消え去った。後に残るのは、ただただ恐ろしい程に美しい冴え冴えとした美貌のみ。
「四国対策本部への、案内を頼めるのでしたら」
「承りました」
「――では、頼みます」
 応えに、女は頷く。いつも穏やかに笑っていたエレーヌはもういない。
 壮絶な程に美しい顔の中、氷のような眼差しで悪魔は告げた。



「メフィストフェレス閣下が直属、序列第一位――メイド長、ヘレン・ガイウスと申します」








 ――最後の選択が始まる。





依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: 蒼を継ぐ魔術師・アスハ・A・R(ja8432)
 永遠を貴方に・ヘルマン・S・ウォルター(jb5517)
重体: −
面白かった!:8人

黒の微笑・
石田 神楽(ja4485)

卒業 男 インフィルトレイター
蒼を継ぐ魔術師・
アスハ・A・R(ja8432)

卒業 男 ダアト
天に抗する輝き・
アサニエル(jb5431)

大学部5年307組 女 アストラルヴァンガード
永遠を貴方に・
ヘルマン・S・ウォルター(jb5517)

大学部8年29組 男 ルインズブレイド
拳と踊る曲芸師・
Zenobia Ackerson(jb6752)

卒業 女 阿修羅
with your "melody"・
篠倉 茉莉花(jc0698)

大学部2年245組 女 アカシックレコーダー:タイプB