城の中とは思えない場所だった。
巨大な空間の中は、森。低い下草も木々の茂りや葉擦れも現実のそれと同じ。所々に点在する広場の一角で、二陣は相対した。敵はメイドが二名。味方は総勢五十名。だが数の差を過信する者はいない。
相手は大公爵メフィストフェレスの直属。うち一体は先の高松ゲートの主、レディ・ジャムに匹敵する。
「メイドさんと聞いてーっ!」
シュパッと手をあげ、明るい笑顔で声をあげたのは蒼井 御子(
jb0655)だ。性差が出にくい十歳前後の容貌は、快活な表情と相まって少年めいて見える。だが実年齢は大学生だ。
「そうそう。メイドは何でも出来ないと、ってのは、主人を補う為だけじゃなくて昔は何でも出来て当たり前だったから、らしいね。というのも、それだけの経験を積んだ人がなる仕事だったから! ってコトで。おねーさん何歳?」
純真な瞳を煌かせる御子に反し、周り一同がギョッとなる。だがマリアンヌは笑って小首を傾げた。
「あなたの実年齢の四十倍ぐらいかしら?」
戦鬼系に年齢は褒め言葉。なるほどー、とあっさり頷く御子だが、年齢迷子の『実年齢』に周囲が頭を悩ませる。
「緊張感の無い戦場だ、な」
和んだ周囲に、アスハ・A・R(
ja8432)は何とも言い難い苦笑を零す。更に緊張感を吹き飛ばす声が後ろから放たれた。
「また来たぜー! いつ結婚してくれんだー?」
白銀の狼に似た容貌に笑顔を閃かせ、大きく手を振る赤坂白秋(
ja7030)の声に、マリアンヌも子供のような笑顔で大きく手を振る。
「私を半殺しに出来ましたらいつでもー!」
手を振る動きで豊かな胸がめっちゃ揺れている。
「激しい要望だな!?」
「まぁ、激しいのはお嫌い?」
悪戯な目で問われ、白秋はニッと口の端をつり上げるように笑んだ。
「いいや、嫌いじゃないぜ」
マリアンヌは嬉しげに笑った。
「思った以上に、気さくなお嬢さんだね」
目を眇めるように細め、狩野 峰雪(
ja0345)は小さく独り言つ。かつて自分達の行く先を塞いだメイド悪魔。穏やかさは当時のままだが、こちら側への好意がはっきりと見て取れる。
(あれから約五ヶ月、ですか)
僅かに顎を撫で、メイド二名のやり取りを思い出す。
(自発的に動いてもらう方が二人を引き離せれる。水枷さんのバナナオレに釣られるよう煽ってみようか)
見やる先、ちぅー、とバナナオレの香りを周囲に漂わせているのは水枷ユウ(
ja0591)だ。
(ん。『選択』の時)
相方にハリセンで叩かれて尚、手をそわそわさせているマリアンヌが物悲しげな目をユウのバナナオレに注いでいる。
「…止まった時の中では成長は出来ない。分かっているはずだぞ、マリアンヌ」
小さく呟き、大炊御門 菫(
ja0436)は己の焔を呼び覚ました。舞いあがった炎は紅蓮花の如き。一瞬で手に炎銀の槍を生み出す。
そんな中、小田切ルビィ(
ja0841)は周囲の景色に目を細めていた。何処かで見た気がする。マリアンヌを見やり。気づいた。
初めて会った、あの森だ。
「最後ですか。では、私達も良い思い出を彼女たちに送りましょう」
同じく光景に既視感を覚えつつ、石田 神楽(
ja4485)は常の笑みを浮かべる。傍らの宇田川 千鶴(
ja1613)は小さく息をついた。
「最後…なぁ」
亜麻色の髪のメイドは穏やかな笑みを浮かべている。
(最後…なんて気はないんやろ? 抜け目なさそうやし)
こちらの視線に、にこ、と目を合わせて微笑まれた。本当に色々と油断ならない。
「あちらさんの裏側も色々あるってことだろうねぇ」
ぽん、と軽くその肩を叩き、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)は仲間に目配せして自身の位置をとる。戦場にあって、既に彼女達の戦いは始まっていた。
(悪魔達が求めたものは何か……そんなこと関係ありません。どうあれ乗り越えていくだけです)
身の内の力を呼び覚ましながら、久遠 冴弥(
jb0754)は心の中で呟く。かつて戦った見習いより、三倍から五倍の能力を有する相手。
(ですが、怯むつもりはありません)
かつて得た感覚。己の限界を超えた先にあるもの。前へと遮二無二進んだ先、人は何処まで到達できるのだろうか。
「一連の行動、思想は興味深いものですが、負ける訳にはいきませんので」
静かな口調で呟き、樒 和紗(
jb6970)は聖銀の弓を具現化させる。
「微力ながらの全力で行きます」
人々が集中して見つめるのは、マリアンヌでは無くその周囲に展開した球体。一つ壊す毎に強大な技を封じられるのなら、狙うべきはまずそちら。
「確率は?」
「運次第だから何とも…。でも――」
レイ・フェリウス(
jb3036)の声に、東城 夜刀彦(
ja6047)は小さく答える。
「普通なら強い技をすぐ使えるように持ってきていないです?」
「『すぐ終らせたい』ならそうだと思うんだけどね…」
近辺以外には聞こえなかっただろう小声を傍らで拾ったRehni Nam(
ja5283)に、夜刀彦は頬を掻いた。バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)が「ふむ」と呟く。
「早期殲滅を重視しておらぬ、と?」
その隣、小柄な体で柔軟をしながらナナシ(
jb3008)があっさりと言う。
「今回、こちらは相手を『倒す』必要は無い。そこが鍵ね」
「その前提ならやってやれないことはありませんよね」
穂積 直(
jb8422)は伊達眼鏡の位置を調整し、逸る気持ちを落ち着かせる。思いが口をついて出た。
「ここで悪魔さんに人間の力を認めて貰えれば。もしかしたらお父さんも里帰りできるようになるかもしれません。悪魔と人間が仲良く出来るように頑張りますっ!」
意気込むその肩や背中をナナシ達がぽんぽん叩いていく。揶揄では無く、激励であり共感だ。
「ふふ。血が騒ぐね」
「今日は騒がせないでくださいよ」
笑顔のアイリ・エルヴァスティ(
ja8206)に、数歩離れた場所の早見 慎吾(
jb1186)がこめかみを揉む。
「俺は俺のやるべき事をやるだけだ」
メイド悪魔達の位置を確認し、蒼鳥を狙う一群の近くへと強羅 龍仁(
ja8161)は動く。千鶴の声が聞こえた。
「気をつけて」
「ああ。そっちも」
ファリス・メイヤー(
ja8033)達が一定距離を保って散っているのが見える。冷徹な瞳でマリアンヌを見やり、影野 恭弥(
ja0018)が静かに自身を景色の中に溶け込ませる。
目に鮮やかな金髪を風に靡かせ、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は薄く笑った。
「さて…悪魔共の余興につきあってやるとするか」
マリアンヌが嬉しそうに笑う。隣のリロ・ロロイがパチンと時計を閉じるのが見えた。
「大層な世界だが‥こんなモノが望みではあるまい」
静かに周囲を見渡し、リョウ(
ja0563)は魔具を具現化させた。怜悧な表情に僅かに浮かぶのは笑み。
「打ち砕き、世界の時間を進めてみせよう」
「ふふ。では、始めましょう」
マリアンヌは優雅にスカートの裾を摘み、お辞儀した。
「メフィストフェレス閣下が直属、序列第五位、マリアンヌ・W・ドラクル」
「皆様のお相手、努めさせていただきます」
●
「マリー、いくよ」
マリアンヌの体を螺旋状のオーラが包んだ。時魔たるリロは戦場最速。与えられた力に全員の顔色が変わる。
(やはり、か)
アスハは目を細める。開幕直後のリロとマリアンヌの連携。付与された力はまだ判別のしようがない。だが、最悪を考えれば「二回行動(ラピッド)」だろう。
「あー! あそこ!」
御子の声と同時、鳥の羽ばたきが聞こえた。銀と蒼。あっといういう間に飛翔し彼方へと去るその姿を幾人もの目が追う。飛び出したのはフィオナだ。
「走るぐらいは本気を出すとしよう。なに、あの程度の距離ならすぐに追いつく」
元来の恐るべき脚力に加え、足裏と地表に形成された磁場がその機動力を更に押し上げる。
「うおっと、探すまでもなかったな」
不敵な笑みを浮かべ、白秋は鳥の形を記憶した。
「さあ、追いかけっこといこうぜ小鳥ちゃん!」
「布都御魂」
静かな冴弥の呼び声に、瞬時召喚された剣角の蒼紫竜が猛き足を踏み鳴らす。素早く騎乗した冴弥はひたと鳥を見据えた。
「出番だよー!」
同時、御子もまた呼び出したスレイプニルに跨り、冴弥と共に鳥の後を追った。
「あら。お早いのですね」
傍らでは猛攻も始まっているというのに、微笑むマリアンヌは最初の立ち位置から動かない。分かっている。彼女の初手は、先の二つの戦いを踏襲する。
即ち――奥義【絶対零度】。
「そちらに気をとられていて、いいのか?」
菫の声と同時、遠方から飛来した銃弾が球体に深い疵を穿った。恭弥だ。だがその姿はすでに射撃位置から消え何処とも知れない。まるでそれを合図にしたかのように一気にこちらの戦場も動いた。
「今までの皆さんの苦労を無駄には出来ません」
一気に高められたアウルにマリアンヌは目を輝かせる。レフニーの声は静かながら強い意志に満ちている。
「蒼鳥を確保する為にも…マリアンヌさん、貴女を縫い止めます」
「さぁって、楽しもうじゃないか!」
同時、晴れやかに笑うジーナが、レフニーと同じく空へと手を伸ばす。アウルが高められ、魔法が編まれゆく。発動までの時間を補うように夜刀彦が走った。気負いは無く、意思すら見えぬ表情の消えた貌の中、その蒼の瞳だけが鮮やか。
(始まりの終わりが今ならば、華々しく飾ってみたいものですね)
無言のまま放たれた無数の影刃が纏まっていた三つの球体を捕らえた。うち一つは先の恭弥が深く傷つけたものだ。亀裂が深まり、欠ける。
(偶然? いえ、重ねて狙ったわけですわね)
薄く笑んだマリアンヌの耳に、微かに聞こえた声。
「――だけど竜公。貴女はきっと、手早い終わりを望んでいないのでしょう?」
マリアンヌの目が輝く。知らず笑みが深まった。ええ、勿論。けれど答えるより遥かに早く、様々な色の炎が咲き乱れるように舞い上がり、爆発した。先の三つを同じく捕らえた一撃に、疵の深かった最初の玉が砕けた。放った場所で結果を見届け、レイは退る。鳥とは逆側、その方向にいるのはアイリだ。一瞬追いかけた視線を弾き飛ばすように眼前で弾丸が炸裂した。
「どうやら、すでに【氷盾】は発動しているようですね」
肩部より黒いアウルの残滓を周囲に散らしながら、神楽は薄い笑みと共に呟いた。攻撃を自動防御した盾の向こう側でマリアンヌも笑む。
この間、僅か五秒。全てはほぼ同時に行われた。
そして――空が光った。
編まれた魔法が発動する。空に瞬くは幾つもの星の欠片。レフニーが、ジーナが、慎吾が、その力で喚び出した綺羅が重なり、合わさり、無数の彗星が天を光に染め上げる。光の伽藍だ。
「いくですよ!」
レフニーの声と同時、合体した三者のコメットが一斉に襲い掛かった。
(! 私では無い)
巨大な天威の彗星が三つを巻き込んだ。あと少し範囲が大きければもう一つ巻き込めたことだろう。悉く一瞬で砕け散る。残されたのは無傷が六、疵入りが二。そのうちの一つがさらに砕け散った。和紗だ。
「戦いの鍵、ここにあると判じました」
合体彗星が落ちた衝撃であがる粉塵を隠れ蓑に幾つ者影が暗躍する。駆けた千鶴の体を包むのは黒白のオーラ。衝撃の轟音に紛れた【春嵐/風大】の風と音に、フィオナ達に行く手を遮られた蒼鳥の意識が向くのが見えた。
「幸せの蒼い鳥ってか?」
歌うように口ずさんだルビィの体が一瞬沈む。全ての力を移動力へと変えた走りは、あっという間にその体を鳥の元へと運んだ。
「く〜……相変わらず堪えるぜ」
「あの鳥、こっちに気を向ける風やね。誘導出きんか試してみるわ」
「頼んだぜ!」
千鶴の声にルビィは頷く。光信機を通して片側の戦場と情報を交わす。だが――
(問題は距離をとった後)
冴弥は視線を戦場へと向ける。粉塵が止む。メイドはすぐにでも動くだろう。彼女の力を逃れ鳥を確保するには離れるしかない。だが、方位すら分からないこの場所でどうやって敵味方の位置を確実に把握するのか。
「――あれ」
ふと、御子が声をあげた。その目が細く伸びた一条の煙を捕らえる。その位置はマリアンヌの近く。
対時魔の一人があげる、発煙筒の煙だった。
マリアンヌは笑む。足を踏み出す。
その瞬間、炎を宿す瞳が眼前に現れた。遅れて大地を踏み抜いた後の音が響く。徒手空拳に見えたその手に一瞬で魔具が最具現化する。奇妙な揺れは大気の抵抗か、不可解な軌道は余りにも読みがたい。
踏み抜くは【牽牛】――舞い貫くは【織女】。
赤き舞撃は炎の軌跡。
無言で繰り出された一撃をマリアンヌは瞳に焼きつける。だがその一撃は傍らにあった疵深き玉を砕きぬいた。砕けた破片が氷片のように舞う。視線が重なる。さらに踏み出す。すれ違う瞬間に笑み。
砕かれた玉。十二分の五。
「ふふ。博打ですわね」
「博打を打つなら思い切りも重要さねぇ」
マリアンヌの笑みにジーナが笑んで嘯く。マリアンヌは笑みを深くした。
3―drei―
巨大な力が膨れ上がるのを感じた。
2―zwei―
全員がその瞬間を身構える。
1―eins―
○
―null―
●
「お見事」
マリアンヌの唇が笑みを刻んだ。
見事。
そう言うより他無い。
初手、奥義。
マリアンヌのそれから逃れる為には、全力移動か技を封じにかかるかしかない。場所次第によっては、移動力差で全力移動を行って尚巻き込まれる者もいただろう。
一か八かだった者もいたかもしれない。確率は十二分の一。
かくて人々は運を味方につけた。
奥義、封印。
彼等は勝機をもぎ取った。
マリアンヌは笑みの質を変える。
「ですが、私の技はまだ残っておりますわよ!」
言うや否や、僅かに長いスカートの裾を持ち上げる。撃退士達は知らない。その技は最初に用意されていなかったことを。ただ足が大地を蹴るのが見えた。
―【手折る者の乱舞】―
凄まじい魔力が荒れ狂った。一瞬で具現化した氷針の嵐は、規模も力も命中も見習いのそれとは格段に違う。一瞬で血の海と化した周囲には何人もの仲間が膝をつき、沈んでいる。こちら側だけではない。リロに対する面々にもそれは及ぶ。範囲内で避けきったのは、こちら側では夜刀彦のみ。
「さぁ、次は――」
どうなさいますか、そう告げるマリアンヌの声が途切れた。
目の前でアウルの光が一斉に輝いた。なに、と目を瞠る先で深手を負った人々が立ち上がる。
(これは――)
そもそもの傷がマリアンヌの予測より僅かに軽い。バルドゥル、アイリ、ファリスのアウルの衣。攻撃に際してふるわれたアウルの鎧の恩恵。
その三者に加えて直、龍仁、ジーナ、レフニー、慎吾の治癒が慈雨のように人々に降り注ぐ。龍仁に至っては手番を最後に控えての行動。実質的には二回分の回復に近い。
「最初の賭けにはどうやら勝ったみたいだね」
レイが僅かに苦笑めいた笑みを浮かべた。回復を解き放ったジーナが血で斑になった髪を掻きあげながら口の端を笑ませる。
「残念だけど、保険はかけておくタイプなんでね」
傍に寄って、無事でいられるなど最初から思っていなかったから。続々と立ち上がる人々にマリアンヌは我知らず震わせていた掌を握りこんだ。
――良手。
彼等は気づいていたのだろう。初手に自分の技を押さえなければ、一気に瓦解させられることを。
無論、博打だ。
罷り間違えれば攻撃手は全て奥義の一撃で沈む。
その危険性を押して『誰が』『どれだけ動けるか』。マリアンヌが用意した最後の言外の『問い』。
相手(わたし)をどれだけ把握出来るか。
先(みらい)をどれだけ見据えれるか。
危険を知ってなお大博打(しょうぶ)に打って出られるか。
それでなくとも、強大な範囲攻撃を多数備える敵。連携による二回行動を予測すれば、その凶悪さは戦場の殆どを死滅させる可能性とてあった。
だからこその『技封じ』。
そして、その先の手――集団による広範囲一斉回復。
(嗚呼)
唇が震えた。笑みが零れた。涙さえ滲んだ。
(嗚呼。嗚呼! なんて素敵)
待っていた。待っていた。待っていた。待っていた。こういう戦場を。こういう駆け引きを。久しくなかった思いが湧き上がる。ああ――■■■■。
「お気に召したようだな」
声は斬撃の後に聞こえた。マリアンヌは微笑む。
「ええ。とても、とても」
声は潤んでいるように聞こえた。リョウは硬い手ごたえに内心で息を呑む。初手を移動に費やした背面からの重当(カサネアテ)の二撃を受けて尚、目の前の氷盾は健在。
「其れは封じられなかったか」
「うふふ」
微笑うマリアンヌの目が血溜りへと向けられる。
軋んだ音をたててやや遠くの玉に深い亀裂が入った。だが撃った恭弥の姿はやはりすでに弾道を逆に辿った先には無い。砕け散る音が聞こえ、視線を向けると血の赤に塗れた菫の一撃が先の玉を破壊した後だった。
残り、六つ。
神楽はその様子を注視していた。僅かな動作すらも見逃さず、敵が狙おうとする先を探り続ける。
マリアンヌの視界の端でレイがその身に冥府の風を纏うのが見えた。魔力が増大している。血戦場に再度意識を向けようとするのを阻むように、弓弦の音と共に和紗の放った一撃が玉の一つを穿つ。その玉を駆け抜けた夜刀彦が追撃する。迅雷を放って後飛び退る後ろで七つ目の玉が砕けた。
残り、五つ。
マリアンヌは笑む。目の前には未だ重症の人々。だがこちらも先の範囲技を封じられた。そのもどかしさをマリアンヌは愛しむ。
その手の上に光る石が現れるのが見えた。何を司るのかは不明だが、ルーンだろう。誰もに予感があった。狙われた誰かが落ちる。
その瞬間、ユウは秘密兵器を取り出した!
「じゃーん。これなーんだ?」
黄色。
縦長。
書かれている名前が『バナナオレ』。
マリアンヌの視線がそちらを向いた。
「そう、詳細は省くけど幻のバナナオレなのだ」
マリアンヌがジッと見ている。
「ね、ほしい? わたしに勝てたら譲ってもいいよ」
動きに合わせて視線がしっかり動く程度のガン見に、ユウはコックリ頷く。遥か向こうでパシーンとハリセンの警告音が聞こえたようなナイような。
「勝負は鬼ごっこ。わたしが5秒先に逃げる、捕まえたらメイドさんの勝ち」
でも、時間をかけると自分で飲んじゃいそう。ありえる。ありえる。
「それとバナナオレが傷んじゃうから、火力控えめでお願い」
ありえる。ありえる。
「勝負の意図は分かるよね?」
キラリと無表情ながら目を頸と光らせたユウに、マリアンヌはキラリと光る眼差しでコックリ。
そう、これはバナナオレ愛を試す試練。
連携をとるのならば無視。
バナナオレをとるのならば勝負。
二つに一つの選択肢。機会はただ一度。
「連携とバナナオレ、どっちを選ぶかはメイドさん次第だよ」
「あらあら」
余裕の微笑みでマリアンヌが艶やかな髪を後ろに払う。泰然とした佇まいは変わらない。だが目がめっちゃバナナオレを見ていた。
「最後の招待状…ということは、彼女とバナナオレの素晴らしさを分かち合う最後の機会ってことだね」
峰雪が何気なさを装って告げたのはその時だ。
「リロの横に居たんじゃ、正直な気持ちも話せないでしょう」
「じゃ。行くよ」
待ったをかける前にユウの姿が眼前から消えた。全力移動だ。
「あらあら。うふふ」
戦いの最中に我を忘れて個人の趣味に走るだなんてそんなことがほらリロもこっちをチラッチラッしてるし動いたりしたらハリセン(物攻)が飛んでくるのは分かりきってるんですもの瞬間移動の射程内だしやったら向こう百年ぐらいは確実にネタにされると分かってますもの例えバナナオレマイスターと呼ばれる存在でも滅多に入手出来ない選び抜かれた素材を使用し職人の手によって仕上げられた最高級バナナオレといえどもももももも……でもちょっとだけ
<○><○> カッ!
黒いスカートが翻った。僅かに裾を摘みあげ駆けるせいで裾から覗く白い足が時に顕わ。
その瞬間、ナナシはセフィロトの樹に似た巨大な魔導銃を放った。発動した【氷盾】が粉々に砕け散り、余波が足に着弾する。肌に赤みがさした。だがそれだけだ。
「……うわ……嘘みたいに頑丈だわ」
【氷盾】に大部分が阻まれたとしても、呆れた防御力だ。
しかもどれだけ本気なのかぐんぐんユウに追いすがる。
「この間に出来る限り回復しておくか……」
「ですねー」
龍仁の声に頷いてレフニー達がせっせとヒールシャワーを降らせる。
傍らでは置いてきぼりくらった玉を残った面々が血だらけのままでボッコボコ。
「おーけぃ。初期位置から離れた。初期位置? あの煙が上がってる所」
光信機で鳥班と連絡を取ったユウは反転する。手が届く前、はらりと桜花に似た淡雪の幻影を見た気がした。消えた残滓による錯覚だろう。
(瞬間移動)
気づくよりも早くマリアンヌの体が動いた。行き先など知らずとも気配で分かる。そう、その手にバナナオレがあるのならば!(多分)
トンと軽く大地を蹴った。跳躍し駆ける先に過たず銀色の髪。全力移動の影響でこちらの反射対応力は落ちている。瞬移(と)ぶ。走る。瞬移ぶ。走る。あ、もう瞬移べない。
だが距離は稼いだはずだ。僅かに見やる後ろに人はいない。
否――
「あ。」
影が自分の背を飛び越えたのを見た。黒衣の裾を打ち払い、目の前に着地したマリアンヌが猛禽の勢いで手を閃かせる。
「‥‥く。私のバナナオレ」
がっくりと項垂れ落涙するユウの前、マリアンヌが両手にそれぞれバナナオレを持って勝利のポーズ。
なんか普通のバナナオレもついでに奪われてるとか汚いさすが凍魔汚い。
「執念の勝利ですわ!」
欲望の勝利の間違いだ。
●
マリアンヌがバナナオレの誘惑に誘い出されたその頃――
ついでに技封じの為の玉がフルボッコされている頃――
鳥を担う人々は森の中をひた走っていた。
「あの煙が初期位置……」
冴弥は発煙筒を基点として状況を把握する。
他班の試みは、全戦場に恩恵を与えていた。それは移動によってマリアンヌが動いた今も変わらない。深い森の中、距離をとろうと思っても移動し続ける敵の位置は不明瞭に過ぎる。例え初期位置からどちら側へ如何程と伝えたところで、まず初期位置を算出する所からはじめねばならず、尚且つこちら側も絶えず動いていればその把握は至難だった。かろうじて御子のマッピングが僅かに状況把握速度を底上げしていたが、太陽も東西南北も無い場所では不測の事態で迷えば全てが瓦解する。
(アレが無かったらやばかったよねー)
御子もまた、その煙を振り仰ぐ。梢に時に邪魔されつつも、それは敵のおおよその位置として多大な影響を与えていた。
「右手側へ移行させるぞ!」
別班やユウからの情報も合わせ、フィオナが安全圏を指示する。自身に注目効果をつけた千鶴がそちらへ動くと、僅かではあるかそちらにつられて蒼鳥も動きに変化を見せた。
「こっち塞ぐよー」
「私はこちらを」
それを更に助けるべく御子と冴弥が騎乗したスレイプニルで向かわせてはならない方向を阻む。
「さって、そろそろいくぜ……!」
距離はとった。今、マリアンヌの意識は鳥には無い。風の翼を纏って追いついたルビィが長大な剣を振るった。
ギンッ!
硬い音が響いた。剣は鳥を覆う結界に阻まれて弾かれる。結界に色は無い。
「思ったより硬てえみたいだな……」
視界に決して敵影が無い事を確認していた白秋が、その様子を目にして呟く。誘導中はずっと控えていた照準を鳥へと向けた。
「その殻、削らせてもらうぜ!」
銃が猛った。着弾直前で弾けたアウルが驟雨の如き弾丸の雨を降らせる。くらった鳥の結界がそのまま地面に叩きつけられた。
「位置固定にゃなるかもだが、オーバーキルが怖えな……!」
結界の色はまだ無色。だが確認しながらでなければ一瞬で全てが終る。
「技の封印、あとわずからしい」
光信機から伝わる情報を口にし、千鶴は空を見る。煙の位置はだいぶ遠い。
「別班も無事離れたようだが、このままで終らせてはくれまいよ」
フィオナが口元に強い笑みを浮かべる。マリアンヌは此処へ来るだろう。それはすでに確信に近い。
「そうなったら混戦必須だな」
鼻を鳴らし、白秋はその『時』に備える。
『…あと一個で終る』
光信機を通じてのアスハの報告に、千鶴は頷いた。
「いつ来てもおかしくないな」
「今のところ上手くいっているわけですね」
「これ以上ないって感じかなー。でも油断大敵! だよねー」
囲みは完了した。
騎乗したスレイプニルの巨体で冴弥と御子が阻み、上空にはルビィ。逆側には千鶴。マリアンヌがいると思しき側に立つのがフィオナ。追いついた白秋がさらにそれを囲む。
あとは削り続けるのみ。
その耳に技の全てを封じた報告が入った。
「回復しきってない人は回復手と動いてくれ。移動しながら癒す」
回復を必要としない面々に先行を任せ、龍仁の声に近くの者で纏まりつつ一行は動く。
「移動中に即時技も切り替えておかなきゃ」
「時間があって幸いなのです」
アイリの声にレフニーは頷く。既に回復手全員のスキルは一度ならず切り替えられていた。
「回復回数に余裕は?」
「僕はあとちょっとしか無いですね」
「我もだ」
確認する慎吾に、直とバルドゥルが答える。ファリスは頷いた。
「いざという時の調整をしておきましょうか。自分の回復も視野に入れてくださいね?」
慎吾達がちょっと首を竦めた。他者を癒すのを優先した為、彼等回復手の方が重症のままになっているのだ。
(回復量が足りないな…)
自身も未だ深い傷のまま龍仁は密かに臍をかんだ。マリアンヌの一撃はそれ程に撃退士達の生命力を奪っていた。
「単体攻撃は未だ強いわけだよね」
「範囲が消えたのは大きいです」
「ここからが正念場ですね!」
慎吾と和紗の声に、直は握り拳で意気込む。
「……解せないな」
彼等の遥か前方、一路鳥班の元に先駆ける菫は呟く。
「何故、阻まなかった?」
マリアンヌは技を封じる玉を守らなかった。
「何を考えている?」
割られないよう動くと言っていたのはブラフか。だが、意味は? 何の為に?
前を行く夜刀彦の声が聞こえた。
「うーん。バナナオレに釣られたのはふつーに素というかマジな気がしますけど」
「まぁ、そこはな」
「ね」
二人して頷く。夜刀彦は考える顔になった。
「『最初』のは…観察してるから、って気がしますけど」
「自らの不利を見逃してでもか?」
「ああ、成程」
神楽の声が聞こえた。少しばかり苦笑交じりだ。
「あちらは今も尚、こちらの出方を見ているわけですか」
阻むと言われれば、警戒するだろう。完全封じは不可能だと思うかもしれない。だが同時に、技を封じなければ危険なのは誰もが理解していた。
どちらを取るのか。どう行動するのか。そこに鍵があったのだ。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、て言うけれど」
すでに駆けていた無茶な怪我人の治癒に動向していたジーナが苦笑する。
「彼女にとっても『賭け』だったのかねぇ」
「……あの時のマリアンヌさん、嬉しそうだったね」
思い返しながらレイが呟く。
「たぶん、あれが答えなんだろうね」
「皆向かって来てるってー!」
御子の声に冴弥は頷く。
「マリアンヌさんの位置は――」
おおよその方角を見た冴弥の背を壮絶な悪寒が走った。油断無く周囲を見ていた白秋の目も見開かれる。索敵に引っかかった遥か遠くの影――
「マリアンヌ!!」
答えのかわりに、巨大な白炎の塊のようなものが一瞬で騎乗していたストレイシオンごと蒼子を吹き飛ばした。悲鳴もなく大地に投げ出された小柄な体が二転三転して木の根元に横たわる。
「蒼井さん……っ」
冴弥は息を呑んだ。じわりと大地に広がるのは鮮血だ。
「鳥が逃げる!」
「ちィ……!」
囲いを失い飛翔を開始した鳥をルビィと千鶴が塞いだ。千鶴が反対側へと誘導する。せめてマリアンヌの方向には行かさないように。
歌うような声が聞こえた。
“Grau, teurer Freund, ist alle Theorie,
Und gruen des Lebens goldner Baum.”
まだ距離のあるその腕が跳ね上がる。
「来るぞ!」
「捕獲は任せるぞ。遊んでやらねばならぬ相手が来おったのでな」
ルビィの警告にフィオナが駆けた。放たれた巨大な力の塊を予測回避をもって刃でいなす。だが足りない。その軌道を峰雪の回避射撃がさらに逸らした。紙一重で回避した力にヒヤリとするものを感じた。一撃の重さ――けれど尚の事、心力は燃える。
「やれ、あと一歩間に合わなかったようだね」
御子を一度痛ましげに見て、峰雪は銃を構える。初撃は間に合わなかった。だが、これからは違う。
「やれやれ、余興なのであろう?…であれば、もう少し遊んでいけ」
「ええ。ええ。技を封じていただいたのですもの」
不敵に笑うフィオナの視線の先、木影の向こうに竜眼が見えた。木漏れ日の中に進み出るマリアンヌの笑みは童女のそれに近い。
「さぁ、貴方の力を私に」
「言われるまでもない!」
赤く光る刃が稲妻の勢いで繰り出された。マリアンヌの手にあった巨大なバズーカに似た銃が消える。白い手が斬撃を受けた。剣を持つ手に凄まじい軋みを感じた。
「素手で受けるか――化物だな」
フィオナは薄い笑みを浮かべる。刃のあたった部分に赤い筋。無傷では無い。うっすらと見えるのは白い鱗か。
「本性は竜か」
「うふふ」
間近のマリアンヌが微笑う。飛び退ろうとするフィオナの体を衝撃が駆け抜けた。跳ね上げたマリアンヌの手にあるのは――ワイヤー。
「く……っ」
腕に走った痛みは熱だった。次いで想像を絶する激痛が体を貫く。フィオナは足に力を入れて踏みとどまった。鮮血が流れているのを感じたが、腕の感覚は無い。ただ痛みだけがそこにある。
「あまり動くと腕が取れてしまいますわよ?」
無邪気に笑うメイドに、フィオナは不敵に笑った。冴弥は息を呑む。フィオナの腕が半ば切断されかかっているのが見えた。
「貴様にくれてやるようなものではないが――腕如き、惜しんで道を開けると思うなよ」
「いけない……!」
冴弥はストレイシオンを駆った。その間の前、白銀の髪が踊ったのはその時だ。
「マッリッアァアアアアアアンヌ!」
眼光も鋭く全力移動で駆け寄った白秋がマリアンヌの体を抱きしめた!
もみっ。
「あん」
擽ったそうな声が聞こえた。
冴弥はハイライトの消えた目でそれを見る。
「俺が押さえている間に、態勢整えろ!」
押さえてるっていうか押さえてる場所が場所ってゆーか。
「イキマスヨ」
「あ、ああ」
クライムしたまま唖然としたフィオナを抱え、ストレイシオンですたこらさっさ。全員の白眼視を受けて白秋は慌てた。
「うおおい待て待て! これは戦術であって誰も欲得とかそういうんじゃなくてだな!?」
「あらあら。うふふ」
マリアンヌ、にこにこ。その手が翻ると同時、凄まじい衝撃音が響いた。
「退魔の弾丸だ。効くだろ?」
声にマリアンヌは微笑った。弾道を辿る先、やはり姿は見えずとも、ようやく聞こえた相手の声。
「ふふ。素敵ですわ」
フィオナの傷つけた掌が更に赤く窪んでいた。その掌をマリアンヌはぺロリと舐める。掌を撃ち抜きかけたアウルの残滓を舐め取るように。
「でも、もっと。ねぇ、これでは私、足りませんわ?」
請う声に恭弥は口の端に苦笑めいた笑みを浮かべた。相手の笑みも声も無邪気だが、その瞳だけが飢えている。
「望むなら、な」
同時、追いついた一同が一気になだれ込んできた。
「確保、手伝うよ」
飛翔したレイとバルドゥルが鳥班に加わる。慎吾、龍仁、ファリス、直が御子に治癒を与え、アイリ、レフニー、ファリスがフィオナに治癒を与える。邪魔をすることは出来なかった。飛来した弾丸にマリアンヌが手を閃かせる。凄まじい痺れが肘にまで伝った。
「もう、技は使えない――いえ、『使わない』わけよね?」
ナナシの声にマリアンヌは笑む。
「ええ。勿論」
さらに深く穿たれた掌は穴が開いている。それを見るマリアンヌの瞳はどこか恍惚としていた。
支援を受けて鳥班は更に距離を離す。
「仕合うのだろう、マリアンヌ」
立ちはだかる菫の眼差しに、マリアンヌは微笑んだ。
「ええ。存分に」
「……あれ。俺もしかして危険とか?」
超密着した白秋、一蓮托生フラグ。
「犠牲は忘れない」
キリッとした菫の声に一同、コックリ。
「早いな!? まだ犠牲になってねえな!?」
「まぁ。大丈夫よ、あなた」
マリアンヌがにっこり微笑む。地獄に女神とはこのことか。
「マリアンヌ……!」
「あなたを殺すのは私でしょう?」
詰んだ。
笑顔のまま固まる白秋の目の前からマリアンヌが消える。と同時に大変柔らかいものが白秋の頭をむっちりと包んだ。
「!?」
ドロワーズの白い布越しの暖かな感覚。目の前を覆った布はスカートの裏地。気づいた瞬間には天地が逆転した。
「えい」
ドゴォッ!
地面に叩きつけられた白秋の体が大地に半ば埋まる。ふわりと埋まった白秋の背中に降り立ったマリアンヌの手には槍。次の瞬間、持ち手とは逆の手が閃いた。
「あら」
着弾と同時、それは無数の黒い蔦のようにマリアンヌの手を侵食した。
「あらあら」
―黒壊(ホウカイ)―
見やる視線の先で神楽がこちらに銃口を向けている。マリアンヌの視線が一瞬周囲を見やった。鳥は彼方。
「ふふ」
「行かせるか……!」
全員が刃を構えた。足が踏み出す。その直後、突如眼前に赤と蒼の色を宿す男が現れた。
「!?」
―擬術:零の型(ゼロフットワーカー)―
空間を飛ぶのでは無く駆け抜けるその速度が速すぎて知覚できなかったのだ。その唐突な出現にマリアンヌの目が見開かれる。アスハは薄く笑った。
「…これは、想定外だったと見える」
同時に黒い影が躍った。意識を奪われていた為に完全な死角。
「…一呼吸分も稼げれば、上出来、だ」
アスハは下がった。白秋が踏まれる。背後から唸りをあげて繰り出された一撃が胴衣を裂き白い肌を突いた。だが、硬い。
「問おう。貴女は未来を『信じている』な?」
リョウの声にマリアンヌは背後を振り返った。白秋が踏まれる。
「『ええ』」
童女のような笑みだ。
信じている。これほどに。ずっと見つめ続ける中で、信じる事を決めたのだから。
――撃退士達を。
●
「緑色になった!」
色を変じた結界に千鶴が警告を発した。
「小田切殿、頼む!」
鳥の行く先をその身で塞ぎ、バルドゥルが告げる。
メンバーの変わった鳥班は着実に鳥を覆う結界を削っていた。
マリアンヌから彼等を離す為、牽制に立った冴弥の姿は無い。大部分が強大な悪魔の足留めに尽力している。
「また近づいて来てる…」
光信機からの報告に千鶴は焦燥を滲ませた。マリアンヌの足は止まらない。猛攻で鈍るも、じりじりと近づいて来る。
全力で立ち向かってくれている仲間達の身を案じながら、いつ何が起こっても対応できるように身構える。動く鳥をルビィが攻撃しやすい位置に誘導しながらレイが一瞬彼方の戦場を見やった。
(無事で)
視界の端でルビィが剣を構えた。
●
“Man reist nicht um anzukommen, sondern um zu reisen.”
歌うようにマリアンヌが言の葉を紡ぐ。舞うように体が円を描く。神楽の【黒業】がその脚を抉った。布地が裂け肌に赤が散る。同じ場所を和紗のアシッドショットが穿った。重ねられた腐食の力に血が流れる。峰雪の破魔の射手が頭部に弾ける。
「…止まらない、か」
アスハの手に収束されたアウルの槍が生み出された。
―擬術:光槍(レインズランス)―
撃ち放たれた力がマリアンヌの横腹を裂く。ナナシの弾丸が笑顔で繰り出された一撃に激突する。衝撃に軸が逸れる。だが動きは止まらない。押し切られる!
「…呆れた力だ、な」
力の向かう先は菫。瞬きと同時、その瞳が暗赤色に染まった。瞬時に切り替えられた属性に槍の威力は当初のそれを下回る。
「く……っ!」
それでも衝撃に息がつまった。癒えきらぬ先の傷が開く。
「まぁ!」
マリアンヌが顔を輝かせた。貫き通す穂先は僅かに身を裂くも菫の槍に阻まれている。その刃が上へと跳ね上げられた。開いた胴体に菫は踏み込む。
――私には『焔』が有る。
その背後、重体者を庇い立ちマリアンヌの攻撃に沈んだ慎吾と、鳥班に向かうのを止める為に行路を塞いで貫かれた冴弥の姿。
――それは皆を守る力だ。
守る為に力を尽くした仲間達。地面から掘り起された足跡だらけの白秋が、夜刀彦に背負われて自身も重体なアイリ達の元に運ばれている。
――私には『焔』が在る。
迎えるアイリが直と共に回復を放つ。胴を貫かれたリョウに、血止めを施しながらジーナが回復を重ねる。置き土産の如くリョウの放った一撃の傷はマリアンヌの頬に刻まれていた。同じく重体の身ながら龍仁が治癒を菫に放つ。重ねるのはレフニーだ。発動された神の兵士により意識を取り戻した慎吾が治癒に加わる。最後の神の兵士で起きたのは白秋。その手が銃を握る。
――それは、意思だ。何人にも手折られぬ戦の花だ。
舞う氷華が虚空に咲く。冬を呼ぶユウの【氷葬華(ヒソウカ)】をマリアンヌが喜びを持って受け止める。痛みすら喜び。その存在を身に刻むように。
心の強さに歳月は無縁。
必要なのは決意。
立ち続ける事で引き寄せる――
天を動かす程の意思の力。
「受けてみろ!」
放たれた一撃をマリアンヌは受けた。その、穴の開いた掌で。
「!」
穴を広げて貫通した槍。血塗れの掌が菫の持ち手を握る。同時に目の前が暗転するような激痛が走った。
「ぐ……ぁ!」
手の骨を砕かれたのが分かった。だが、槍は放さない。魂にかけて――!
「貴方は私。私は貴方」
マリアンヌが微笑う。二人の血に塗れた掌が離れる。その傷を愛しげに抱きしめて。
「私の力は護るべき者を護る為のもの」
攻撃を防ぐ力も。敵をなぎ払う力も。全てが全て。だから――
「貴方はいつか、私になる」
私がいつか、貴方になるように。
痛みを殺し菫が槍を放つ。力は逆手に込めて。受けるマリアンヌが口を開く。人型の口は、けれど菫の首筋に触れた瞬間、ありえざる力でその骨を砕いた。
「大炊御門さん!」
菫の首は赤に染まっている。人の歯型では無い。崩れ落ちた菫の体を迅雷で駆けた夜刀彦が抱きとめ、マリアンヌを蹴る反動で離脱した。
無意識に追いかけたマリアンヌに神楽とナナシの銃弾が放たれる。同時に攻撃を合わせたのは和紗と峰雪。マリアンヌは距離をとることで避ける。初めて、避けた。血だらけの手に槍を持ち直す。だが踏み込むより早く去来した力に弾かれたように逆の手で払った。
「この一撃、さっきまでとは何もかも違うぞ」
鮮血が散った。
マリアンヌは目を見開く。逆手にも穴が開いていた。
―白銀の退魔弾(シルバーブレット)―
滅魔の力を宿した白銀の光弾。重ねられた練気により凶悪さを増したもの。
「ふふ。ふふふふ」
まるで貴重な宝石を見るように、マリアンヌがその穴を眺めて微笑う。一撃で穿たれたのは、何百年ぶりだろうか。
思いが溢れる。ああ、■■たい。■したい。愛したい
動く先に、美味しそうな可愛い人達。ああ目的を忘れそう。でも抗えない。でも駄目。でも愛(ころ)したい。愛(いのち)をかけて命(あい)を奪いたい。それほどに欲しい――目の前にいる全てが!
「ん。頭を冷やしたほうがいい」
頭部に弾けた【氷葬華】に、マリアンヌは頭を振る。血が散ったが全く気にしなかった。
そう――我慢したほうがきっと美味しい。
「あと、普通のバナナオレのお返し求む」
「後で振舞わせていただきますわね」
「ん。許す」
いつもの笑みで言ったマリアンヌにユウがコックリ。頷きながら周囲を見渡した。
前衛が沈んだ。重体者多数。まだ鳥班から連絡は来ない。
「大丈夫。時間さえ稼げれば、私達の勝ちよ」
ナナシの声に、マリアンヌは微笑む。都合四回、技でこちらの攻撃を避けた相手をひたと見据えて。
「ええ」
留め置く力。支え続ける力。本当に、なんて素敵。
「でもだいぶ、稼がされてしまいましたから」
ふわりとあちこち破れたスカートの裾を持ちあげた。
「行かせると思わないで欲しいわ」
「いいえ。行きますわ♪」
足を狙って七方向から力が放たれた。間に合った恭弥、神楽、夜刀彦、ナナシ、峰雪、アスハ、和紗の力が、腿を脹脛を足部を撃ち抜く。重心がブレるのを見た。抉れた肉も。けれどその姿はあっとういう間に遠くへと駆け去る。
「そちらにマリアンヌが行く。全力移動だ。気をつけろ」
光信機に向かいアスハが告げる。攻撃を集中されて尚、意思を貫く力。
「…成程。あれが、竜公か」
「マリアンヌが来る!」
千鶴の警告に、ルビィを除く全員が身構えた。
結界は黄色になった所。位置の調整で手間取ったのが痛い。
「音が近づいてくるね」
全力移動だ。技を使わずに足音を殺せるはずも無い。それを目印に術を放つタイミングを探る。
“Wie das Gestirn,
Ohne Hast,
Aber ohne Rast,
Drehe sich jeder
Um die eigne Last.”
声が聞こえた。歌うようだ。
「見つけましたわ♪」
現れた血塗れの相手の子供のような笑顔。なんて嬉しそう。
「くそッ。あと少しで……!」
「気にせんとやったって」
「おぬし等に手出しはさせん」
ルビィを背に千鶴とバルドゥルが立つ。鳥の移動をレイが慌てて調整する。
一瞬で迫るマリアンヌの刃の先はルビィ。その寸前、千鶴が立ち塞がった。
「!」
地面を叩くと同時、アウルで形成された畳の幻影がマリアンヌの視界を奪う。委細構わず繰り出した一撃は空を切った。
「あら!」
マリアンヌは笑う。
赤い光が見えた。ルビィが笑みを刻む。
「させませんわ!」
「こちらの台詞だ!」
マリアンヌの前にバルドゥルが立ち塞がった。貫く槍を抱くように押し留める。
ルビィが走った。
「あと一撃。――人と悪魔の想いを込めて…届けえェッ!!」
振るわれる力が結界に叩きつけられる。亀裂が入った。そのまま振り切れば中の鳥も切る。だが刃はそこで止まった。止めたのだ。
鳥が羽ばたく。
結界はもはや無い。
レイの手がそれを掴んだ。
撃退士の勝ちだった。
●
「魂に平穏を――」
柔らかな声と共に圧倒的な癒しの力が全員を包み込んだ。傷の癒えた体に冴弥が目を丸くする。
「癒せる傷は治させていただきました。とはいえ、折れた骨や失った血が元通りになるわけではありませんから、重体の方はしばらく休養が必要ですわ」
重体は通常の治癒技では治らないのだ。
「至れり尽くせりだ、な」
やや呆れたようなアスハの声に、マリアンヌはくすくす笑う。
「貴方達は『勝った』のですもの」
「この回復力欲しいのですよ」
「無いものは仕方が無い」
「何百年か修行したら身についたりしないかしら」
レフニーの声に龍仁が苦笑し、ファリスがしみじみ呟く。戦場において回復手の果たした役割は大きい。だがそれでもしょんぼりするのは、重体者を出してしまった為か。誰かを癒そうと尽力する彼等彼女等の願いもまた、マリアンヌにはよく分かった。
「初期六種の技のうち、広範囲は奥義を含め二種程度……どうして、そうお思いに?」
菫の首からゆっくりと消えていく自分の紋章に未練そうな目をむけつつ、マリアンヌは近くにいた少年に声をかけた。聞こえる距離にいなかったはずのマリアンヌの問いに、声をかけられた夜刀彦は軽く小首を傾げて告げる。
「報告書にあった竜公の今までの言動を鑑みて、多分そうかな、と。『楽しみ』にしていらっしゃったみたいですから」
何も気負ったところのないあっさりとした声に、マリアンヌは感嘆のため息をついた。
(慧眼ですわね)
「そだ。マリー。ヘレン様から連絡あったの」
千鶴に抱っこされ、新たな狐と狸の縫いぐるみをしっかりと抱え、神楽の頭撫で撫でを満喫していたヴィオレットの声に、マリアンヌは首を傾げる。
「まぁ、何かしら?」
「物につられるとか後でお仕置きだって」
マリアンヌの笑顔が凍りついた。
「こ、後悔はしませんわよっ」
何故、涙目。
その様子にジーナは首を傾げた。
「怖い人なのかい?」
「無表情に怒るの。マリーが一撃で沈むの」
怖い。
「これで、さよならですか。…出来れば、敵としての最後であってほしいですね」
「むふふー」
神楽に撫でてもらって満足そうなヴィオレットに千鶴は苦笑する。
「別の立場で会いそうな気もするよな」
チラと見やる先、マリアンヌはにこっと微笑んだ。やはり何か企んでそうだ。
マリアンヌにツンツン突っつかれている白秋達を笑って見てから、ルビィは異界の空を見上げる。
「――大公爵。今のアンタの眼に俺達はどう映ってる?」
報せはメフィストフェレスに届くだろう。その先は、神ならぬ人の身には未だ分からない。どのようにして声をかけてくるのか、それすらも。
「いずれにしろ、俺達は前に進むのみだ。どんな状況になろうともな」
龍仁が呟くのに、アスハは遠くへと視線を馳せる。
メイド達の課題はクリアした。だが、その先にあるのが平和であるなどとは思えない。
(どんな動きになるにせよ、これで何某かの戦況は動くだろう)
予感がする。
おそらく、これはただの始まりにすぎない。きっと、事態は自分達の与り知らぬところで急速に動いているのだろう。何かの影に隠れながら。
「一つの戦場が終局に向かえば、また新たに何かが台頭するのでしょうね」
物思うファリスの声に、マリアンヌは微笑んだ。
「動き続けるは世の常ですから。……神なる樹は朽ち、天の試みは半ばにして途絶えましたが、目に見える動きだけが全てでは無いでしょう。直ぐに動きが出るかと」
弾かれたように全員がマリアンヌを見た。悪魔はただ淡く微笑む。
「信じるか否かは、皆様次第。私どもも全てを感知しているわけではありませんが……四国の天使の姿をあの地にて幾度か確認しております。次に動くとすれば、恐らくは――」
途切れた言葉の先を敢えて聞く者はいなかった。
一時、動かなかった者達がいる。水面下に潜み、何をしていたのか。神樹がどう関わっているのか。
「来るか……連中が」
アスハの唇が薄い笑みを浮かべる。それも、面白い、と言わんばかりに。
「もし天魔を乗り越えたら……その先に何があるのでしょう」
傷が痛まないよう担架に乗せられた冴弥が小さく呟いた。
マリアンヌは微笑む。
「ありのままの世界が」
仰ぎ見る冴弥に、ただ微笑みを深くした。
「世界は変わりません。例え神となろうとも。ただここに在る私達の魂が、ずっと、何かの意味を見出そうと『生きて』いるのですわ」