「花火、ですか、もうそんな季節なのですね」
依頼書を手に神月 熾弦(
ja0358)は目を細めた。
「去年とは多くが変わってしまいましたが……」
そっと零し、転じる視線の先に、ようやく包帯の取れたファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)の姿。
同時刻、依頼書を受け取った美森 仁也(
jb2552)と、妻である美森 あやか(
jb1451)はそれぞれお互いを探していた。会えたのは斡旋所付近だ。
「普通に合宿も面白かっただろうけど、綺麗な物を一緒に見るのも悪くないだろう?」
依頼書を見せると、あやかは笑って自分の持っていた依頼書を見せた。
「花火が見れるのなら、やっぱりおに…あなたと見たかったから」
はにかむような笑みに、仁也はその髪を優しく撫でる。言い直された部分は、十四年間親しんだ『お兄ちゃん』の呼称。
「…まだその呼称出るんだな」
年月の重みの方がまだまだ力が大きいよう。だがいつか、それも『年月』がゆっくりと変えていくことだろう。
「じゃあ…行くか」
「うん」
二人、手を握り、寄り添うようにして斡旋所へと向かった。
入れ違う形で花火の依頼を受け取り、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)はぬいぐるみの髭をピンッと張る。
「花火ですって!素敵ですね〜皆で見に行きませんか?」
「花火…!」
一緒にいた亀山 幸音(
jb6961)が顔を輝かせる。
「お空に華を咲かせるの」
だが即座に連絡をとった姉兄は都合がつかず。しょんぼりする幸音に、カーディスは背中を軽く叩きグッと親指をたてた。
「私お夜食作ります!」
「! カーディスさんのお夜食楽しみなの!」
パッと顔を輝かせる幸音に、カーディスはにっこり笑って頷いた。
●
四国。山間。とある林道。
大炊御門 菫(
ja0436)は、キャンプ場までの道を車で揺られていた。深い緑に誘われるように目を瞑り、思いに耽る。
「花火、か」
依頼内容を思い出し、ポツリと呟いた。
この合宿を選んだのは何故だろう。前は清掃・整備等しなければいけない事があった。
(今回はどうだ?)
花火は娯楽だ。ならばこれは休暇では無いのか。こうしている間にも、何処かで誰かが苦しんでいるかもしれないのに。
(逃げているのか…?)
何も考えなくてもいい場所へ。
(目を…背けているのか…?)
辛い問いから。
違う。違わない。違う。違わない。思いが、鼓動が、何故と問うように自分を急かせる。何故戦いに行かない。何故ここにいる。理由は?理由は?
(私は…)
車窓から皆が待つ駐車場が見えた。荷物が到着するのを待っている。
時は常に止まることなく進み続ける。そこに生きる人々の葛藤も懊悩も素知らぬ顔で。
――心の答えは、まだ出ない。
キャンプ場、駐車場奥。
持参した大量の焼きそばパンを頬張りながら、与那覇 アリサ(
ja0057)は積み荷が降ろされるのを待っていた。
「思ったよりも盛大さー」
その後ろから積み上げられつつある杭に向かい、影野 恭弥(
ja0018)は悠然と足を進める。ここからは車の入れない悪路の為、使えるのは農業用一輪車と己の体のみ。
「ぷぎゅ」
ふと、背中に何かがぶつかってきた。恭弥が振り向くと、幸音が鼻を押さえて真っ赤になっている。
「ごごごめんなさい…っ」
「幸音さん大丈夫ですかー?」
後ろからカーディスが走って来た。どうやら躓いた結果、恭弥の背中に助けられたらしい。
「足元に気をつけてな」
「はい!」
恭弥に幸音が大きく頷く。しかしその手が取ったのは、降ろされたばかりの尺玉。
「ふんにゅ」
「小さい方がよくないか?」
「こっちで持ちますよ〜」
恭弥とカーディスが思わず声をかける。よろよろ動きながら「大丈夫なの」と言われたが、どう見ても足の動きが大丈夫じゃない。
「その荷物やっぱり持ちましょ・」
「ふわぁ!?」
靴の紐を踏みました。
何故か後ろに吹っ飛ばした尺玉を恭弥がキャッチし、吹っ飛んだ幸音の体をアリサが受け止める。
「大丈夫ですか!?」
「無茶したら駄目さー?」
「ごめんなさいなのっ」
首まで真っ赤になる幸音に、オロオロしていたカーディスが笑って背を叩き、僅かに苦笑した恭弥が小さい玉と取り替えた。
「こっちにしておくといい」
「ありがとうなの」
その向こうではカーディスがアリサと握手した手をぶんぶん振る。幸音はアリサと恭弥を交互に見つつ、きゅっと服の裾を握った。
「よかったら一緒に行きませんか…?」
「よっ…と」
降ろされた荷物を抱え、姫路 ほむら(
ja5415)は後ろを振り返った。
「今日は旦那様ご一緒じゃないんですね」
「別の合宿に参加していますから」
微笑む星杜 藤花(
ja0292)も荷物を抱え、一輪車に載せる。
「こっちはうちで預かってる先輩の息子さんと遊ぶの楽しみだったのに、親父にお前も学生らしく楽しんでこいって追い出されちゃって」
思わずため息をついてほむらがぼやく。
「過保護が治ったのは嬉しいけど、あれ子育てに夢中になってるだけってバレバレなんだよなー」
対象がより小さい子供に移っただけじゃないかと呟くのに、藤花はくすくす笑う。預けた子が愛されているのは、育て親として嬉しい。
「そういや森に出るって噂の黒い幽霊、もし天魔だったら…」
ふと呟き、ほむらは(もし、本当に天魔なら…)と思案する。
(調べた方がよさそうかも)
その横で荷物を受け取り、リョウ(
ja0563)は周囲を見渡した。穏やかな笑い声が響いてくる。
(束の間の平穏、か)
激戦と呼ぶに相応しい戦いが幾つもあった。今日のような平穏な日は、いつ崩れるか分からない。
「――この穏やかな日常が、『当たり前』に過ごせるようにしなければな」
意識なく零れた小さな呟きが風に運ばれる。
「時よ止まれ、なんて誰も願わなくてもいいように」
浮かんだ笑みは、苦笑か、微笑か。ふと視線を感じて振り返ったが、尺玉を転がして慌てるエレーヌ以外には深い森が広がるばかりだ。
(気のせいか…?)
そうこうしている間にも荷物が駐車場に積み上げられていく。そちらに向かいながら、円城寺 了(
jc0062)は心の中で呟いた。
(妹と花火見物もいいですが…ふふっ。せっかくの交流の機会ですから、少しばかりお声をかけてみましょうか)
その妹である円城寺 空(
jc0082)は、素知らぬふうを装いながらしきりに周囲を気にしている。森周辺で見かけたと言われる『黒い幽霊』の噂に興味津々なのだろう。
「森の中、でしたね」
「え…?」
ハッとして了を見る空に、了はくすりと笑む。
「荷物の持っていき先」
「ええ、そうです。湖でしたね」
大好きな姉の声に、空は大きく頷く。思わず子供っぽい仕草になってしまい、ピンと背筋を伸ばした。
「重い荷物はお任せください姉様。きちんと運びきってみせます」
一輪車に次々積み上げられていく尺玉。だがいざ動かそうとして、腕が震えるのを感じた。動かせないことは無いが、一キロ先まで悪路を行くのは――
「代わろう」
見やり、リョウが申し出た。女性に重い物が当たらぬよう細やかに気を配っていく。
そのすぐ隣り、光纏して六道 鈴音(
ja4192)が抱えるのも直径約三十センチの尺玉。
(まぁ、ひとりだし、他にやることもないし、お手伝いするかな)
「さ、行くぞ」
鎹雅の声と共に、荷物を積み終えた人間から順次湖へと出発した。
――そんな中、いきなり森で迷子になっている青年がいた。
「おかしいな…こっちに行けば道に出ると思ったんだが」
木箱を運んでいた小田切ルビィ(
ja0841)だ。道中、珍しい野草をカメラに収めるのに夢中になり、気付けば迷子になっていた。だがもし迷わなかったら、誰よりも早く『彼』を見つけることも無かっただろう。
「迷っちまったか?――って」
低木を避け、下草を割って出た広めの空間に、黒い何かの姿。
「! あのモフモフは…っ」
もっふり(効果音)
「…おい?こんなトコで眠ってると、天使や撃退士に狙われちまうぞ? うわっ」
ゼロコンマで毛皮に飛び込んできたルビィの顔をレックスが舐める。
(レックス…?)
緑の瞳に自分の戸惑った顔が写っている。ふと、数日後に対峙する彼の相棒のことを思い出した。
「お前…」
レックスは戦いには参加しない。友の命懸けの戦いになると分かっていても。
「――まさか!お前…」
死期を悟った猫がひっそりと姿を消すイメージが頭を過ぎった。
「…けど、お前がそう決めたんなら…仕方無ェよな…」
ぼす、と頭を毛皮に埋める。大きく腕を使って背を撫でると、お返しのように髪を舐められた。
「俺は全力を尽くすぜ。それが、礼儀ってもんだよな」
ぶるるーぶるるー、と顔を沈めた毛皮の下から音が聞こえた。喉を鳴らされているのだ。
「心のままに動くであるぞ」
優しい声が背中を押す。ああ、と小さく呟いた。
「悔いの残るようなことはしない。絶対に、な」
●
鳥の声が聞こえた。菫は鈴音達と歩きながら自身に問う。
自分が歩いて来た道は、どういうものだったろうか。
(今の私は)
逃げているのだろうか?
(そんなことは無い)
そう思いたい。
逃げるという事は考えないという事だ。何も思わないという事だ。何も負わないという事だ。
(私は、逃げない)
菫は前を向く。振り返らない。けれどそれは、過去を無かった事にするのではなく、
負って立つ。
自らの道の全てを。
傍らに、背に、仲間がいる。
(ああ)
道の終わりの向こう、開けた場所にある広大な湖に菫は目を細めた。薄暗い場所から出たせいか視界全てが眩しい。
水面に光が弾ける。夜にもまた、空の花を写し咲くだろう。その水面下でどれほどの苦労をしても、それを表に出すことなく、美しく。
(睡蓮のようだな…)
広大な広場の中央には大きな湖。さらに中心付近に小島のような土と岩の塊。
そこで荷を受け取った花火師が笑った。
「ありがとよ!」
「手伝ってもいい?」
「そりゃ助かるが…開始までのんびりしててもええんやで?」
「こんな機会はなかなかないからね」
鈴音の声に花火師は顔を綻ばせた。
「花火って、いかにも日本の夏って感じがして、いいよね」
「だろ?」
楽しげに会話しつつ、丁寧に仕掛けを作り上げていく。今作っているのはナイアガラだ。
「嬢ちゃんはどんなのが見たい?」
「私はスターマインがいいな。でっかいヤツ」
高速で次々と連続して打ち上げられるスターマインは、華やかな仕掛けとして人気だ。
「よっしゃ。おっきぃ玉でやったるけんな!」
荷物の運搬と土台の設置が終われば、後はほとんど職人の仕事だ。
「〜っ。変な所の筋肉使った感じだ」
大きく背伸びしてから、キュリアン・ジョイス(
jb9214)は周囲を見渡した。
「色々あったし、ちょっと物思いにふけようかな?」
予習に持ってきていた考古学の資料を手に、いい感じの岩の上に座る。
着替えもあるだろう、と着替え用テントを設置して、リョウは持って来たクーラーボックスから飲み物を取り出した。
「お疲れ様だ」
この時期、水分補給を怠れば体を壊す。喜んで喉を潤し、キュリアンは満足そうな息を吐いた。
「生き返る…!」
お礼にと渡すのはクッキーだ。
「甘い物が苦手なら、誰かへのお土産に」
「ありがとう」
互いに自己紹介する二人の向こう、周辺警護に出ていたアリサは、顔を覗かせる鹿に顔を綻ばせていた。
「ずいぶん鹿が多いさー?」
どうやら危険な動物はいないらしい。
「今晩花火するさー。大きい音だけど怖くないんだぞ。よかったら一緒に見るさー?」
興味深そうに空気を嗅いでいた鹿が、つぶらな目でアリサをじっと見つめた。
●
仕事の完了後、桜木 真里(
ja5827)は森の中を歩いていた。暗くなりきる前に散策がしたかったのと、もう一つ――
(黒い幽霊が出るって聞いたけど…)
その情報が少し気がかりだったのだ。白じゃなくて黒なんだ?と首も傾げる。足を向ける先はわりと当てずっぽうだ。
会えたのは、きっと運命だろう。
(…レックス)
森の中で丸まっている黒い毛玉が、知った悪魔だと気づいて驚いた。
(どうしてここに…)
起こさないようにと音を潜める。学園に報告すべきか。だが――
(確かいつもクラウンと一緒にいたんだよね…)
過去の報告書から察せられる二人の関係。いつも、いつも。クラウンに何かあれば飛んで来たというレックス。
(俺達は…)
もうすぐ、クラウンと戦う。
思い。
命。
そういった互いの全てを賭けた戦いになるだろう。
(レックスはどう思っているのだろう。……きっと、平気なはず…ないよな)
携帯を一度強く握り、ポケットに仕舞った。
自分は悪魔を見つけたのではない。これは…そう、噂の黒い幽霊だ。
「…もうすぐ花火があがるんだけど良ければ見て行ってね」
きっとこちらに気づいているだろう。そう思って控えめに声をかけて踵を返す。
何かを思っているのなら、邪魔をしたくなかった。
離れきる寸前、ふと頭の中に声が響く。
『おぬしらに託すである』
強く優しい『声』。迷わないでと背を押すような。
振り返りかけ、止まり、真里はゆっくりとその場を後にする。
「…うん」
小さな頷きに、誰かが微笑んだ気配がした。
「終わったー!」
ふと、湖の方から鈴音の声が響く。
「あとは時間を待つばかり、か」
暗くなるまでは、あと少し。リョウは皆から少し離れ、全体を見渡せる場所に腰を下ろす。
(…平穏、か)
心のどこかに、常に『次』や『さらに先の戦い』への思考が有る。そんな自分に呆れを感じつつも、必要な事だと捨てきれない。
(俺自身の中身が、平穏から…遠いな)
少し遠い場所で、皆が楽しんでいるのが見える。
明るい情景。――得難いもの。
(いつか…)
思う。
心からその中の一人であれるように、と。
(いつか…な)
自嘲気味に願うその胸元で、金色の羽根が風にくるりと回っていた。
●
着替え用テントがあるならば、装いを新たにしたいのが人の性。藤咲千尋(
ja8564)は撫子柄の浴衣でくるりと回る。
「えへへ、夏を先取りかな!!」
いつもと違い、お団子にまとめた髪が涼やかだ。
「千尋ちゃん浴衣似合っていてかわいいですよー?」
自然にのろける櫟 諏訪(
ja1215)の声に、千尋がボフンと首まで真っ赤になった。
「ひぃっ、すわくん、も、似合ってるよ」
「せっちゃん可愛いんだね!」
白地に菊の花の浴衣を着た真野 縁(
ja3294)がにょにょと笑う。
「はずかしいいい。縁ちゃんにやにやしないでええ」
「うに。恥ずかしがること、ないんだよー!」
えいっ、と二人の間にあった一人分の隙間に飛び込み、両腕で二人の腕を組んだ。
「花火大会、楽しみですねー?」
明るい諏訪の声と、真っ赤になって頷く千尋を見つめ、縁は嬉しそうに笑う。
笑顔を見守りながら、茜色の空はゆっくりと藍色に変わる。
「姉様。少し散歩に出ませんか?」
夜の到来を感じ取り、空は了を見つめた。
「花火がはじまる前に、少し巡って来ましょうか」
黒い幽霊を探しに出たい欲求を隠しているのが可愛らしい。いつもは大人びて見える姿が、今は年相応だ。
(出来れば姉離れもしてもらえればいいのですが)
思うも、自然と手を繋いでしまうのは家族だから。けれど妹の未来を思い、自分の未来も思えば、そろそろ行動し始めるべきだろう。
(せっかくの機会ですからね)
そんな姉妹と少し離れた場所で、仁也は大切な女性に手を差し伸べていた。
「あやか」
暗闇や足元がおぼつかない所では、いつもこうやって手を引いてもらっていた。変わらない仕草にあやかの胸が暖かくなる。
「散歩してこようか」
街灯のない森は暗い。手にはペンライトだけ。それでも怖いとは思わなかった。
「……あ、でもあたし【星の輝き】使えるけど?」
「周りが見えないぐらい暗かったらそうしようか」
夜の探索を楽しむのもいいかもしれない。あやかは微笑った。
「どこに行く?」
「噂の黒い幽霊を探してみよう。幽霊の正体見たり…なら良いけれど、天魔だったら困るしな」
「探検ね」
だが森の途中で草の分け目を辿った結果、二人はあっさりとソレに遭遇してしまった。
「…本当に天魔だ」
「部活の後輩が『もふもふの兎悪魔にあったのー』って言っていたけど…兎さんのお友達かしら?」
目の前のもふもふは猫型だ。
「眠ってる?」
「みたい…」
眠っているだけの猫悪魔に手出しせず、仁也はあやかを促す。そっと頭を撫でたあやかが軽く手を振って戻ってきた。ふわふわだった、と告げるのに微笑って、仁也は背を向けた。
『良き日々を過ごすであるぞ』
ふと頭の中で声が聞こえた。意思疎通だと気づき振り返るも、猫は眠った姿のまま。
『君も』
意思疎通で答えを返し、歩み去る。
森を出る寸前、点火したキャンプファイヤーの炎が迎えるように周囲を赤く照らしていた。
●
時は少し遡る。
「どうです。いつもとまた趣が違うと思いませんかっ」
召喚獣の前、竜見彩華(
jb4626)は浴衣でビシッとポーズを決めていた。スレイプニルは悟りをひらいた賢者のような瞳。
「その目は何でしょう。違いが分かるドラゴンにならなくては。さ、情緒を学ぶため一緒に花火見学といきましょう」
はいここ、と隣を指差し、一緒に座る。ざわざわと人の声は聞こえてくるのに、明かりが無いせいで姿が見えなかった。
「ち、ちょっと暗いですね…いえっ、怖い訳ではありませんがっ!」
思わず呟き、慌てて弱気を吹き飛ばす。その横顔を光が照らした。
「始まりましたっ」
遥か上空で巨大な光の華。約一秒後に音の波が体にぶつかってくる。
「わぁ…」
その一投を皮切りに、次々に花火が打ち上げられた。色とりどりの光が夜空に咲き誇る。
(綺麗だけど、ちょっぴり切ない気がするのはどうしてかな)
「花火…綺麗ですね。すぐに消えちゃうけれど、心に残る美しさです」
緑光を纏う華が開いて崩れ、暗い湖に落ちていく。
「…何だかちょっと、人の命に似てるような気もします」
命は有限だ。
限りがあるからこそ、懸命に生きられる。
空を見上げ、彩華は目を細めた。
(あなたは…そこに居ますか…?)
分かっている。問うても答えは返ってこない。
ただ居なくなった人たちの面影を忍びながら、空に咲く花を見続けていた。
「お夜食ですよー」
カーディスがシートを広げて声をあげる。クーラーボックスからはプリンとサンドイッチ。配ると幸音とアリサが嬉しそうに歓声をあげた。
「おいしいの!」
「カーくん料理上手さー」
女性陣がおやつを頬張る様を見つつ、冷たいお茶で喉を潤す。その頭上で空に咲く光の大華。崩れ消える時も、湖に降り注ぐ光の粉が光の雨のよう。
「おー。花火綺麗だなー。腹にずんとくるさっ!」
全身を叩くかのような振動が、大きな天の太鼓を打ち鳴らすかのようで。ふと気付けば隣の幸音が無意識に歌を歌っている。
(幸音さんお歌が上手♪)
カーディスが草笛を器用に吹き始めた。小さな演奏会にアリサは笑う。
長い間、ちょっと空元気な状態で過ごしていた。少しでも元気になれたらいいな、と思ったのが参加の理由だ。
けれど思う。独りでは、元気になれない。
傍にある熱。声。心。
手を伸ばし、伸ばされ、輪の中に入る。その、繋がっている暖かさ。
ドン、と夜空が太鼓を叩く。
光が弾ける。
(星も落ちそうさー)
見上げた大輪の華は、心に残るほど美しかった。
●
ずっと空を見上げていたからか、首の辺りに妙に重い。
「……ちょっと、散歩に行くかな。同じような人、居るかもしれないしね」
立ち上がり、凝り固まった筋肉をほぐしてキュリアンは森を見る。空に華が咲くタイミングで、森の中に光が差し込んでいるのが見えた。
同時刻、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)もまた、森の中に入っていた。
「ゆゆゆ幽霊なんて別に怖くないわよ…!」
艶やかで繊細な亜麻色の髪。細い首筋。華奢な肩。長い睫毛に縁どられた涼やかな目元は、今はひどく怯えた色。形の良い唇は言葉に反して震えている。痛々しい包帯の白さすら色香を添える、そんなアルベルトはどこからどう見ても幽霊に怯える可憐な美女でしかない。
だが男だ。
「気分転換の予定だったのに、お手洗いが森の、こんな、暗闇の中とか…っ」
なんの試練かと思う。
黒い幽霊の噂を耳にし、ビクビクと薄暗い森を歩くアルベルトは、花火の光で照らされた自身の影にも身を震わせた。
「怖く、ない、わよっ。足元が不確かだから慎重になってるだけd」
がさっ
「(〜〜〜!!!)」
物音に声にならない悲鳴をあげ、アルベルトは凄まじい勢いでアサルトライフルを具現化させ放った。
「……ッ!?」
真横を通過した暗闇からの一撃に、キュリアンは一瞬で虹色に輝く旋棍を具現化し身構え、
「にぃぁっ!?」
ちょっと離れた場所で悲鳴をあげた何かの声に「え?」と振り返った。
「ごめんなさいごめんなさい無事でしたか幽霊じゃないですよね!?」
声の方を見るキュリアンに真っ青になって飛んできたアルベルトが謝り倒す。
「いや、俺は外れたけど」
二人は慌てて声の方に走った。小さめの広場に、デカイ毛玉が腰を抑えて半泣きに。
「ひどいであるー。我輩の腰痛のツボに当たりかけたであるー」
「ごめんなさ・きゃっ!?」
涙目な猫悪魔にアルベルトが謝りに走って躓き、毛玉に全身で飛び込んだ。
「はぐれ悪魔…? いや…なんだ?」
「レックスであるー」
「? そうか。俺はキュリアン・ジョイス。大学部二年だ」
「我輩は悪魔であるぞ!」
アルベルトを抱きとめ、大きな肉球のついて前足を挙げて告げるレックスに、ああうん、とキュリアンは頷く。これで人間と言われたら…いや学園でも似たような生き物がいた気がする。
「何かいい匂いがするである」
「食べるか?」
「食べるである」
クッキーを見せると嬉しそうに髭がピンッとなる。
「ぬ?おぬしは傷だらけであるな。体を労るである」
「う、ん」
「レックスは何をしてたんだ?」
「眠っていたである。キュリアンは何か考え込んでいる臭いがするであるな?」
もふもふに埋もれたアルベルトを抱っこしたまま、ふんふんと大きな鼻で嗅がれて苦笑した。
森の中を歩きながら、もう一人の自分の事や、次の実習を考えていた。だがそれを他人に説明するのは難しい。レックスはキュリアンとアルベルトを見て言う。
「おぬしらは複雑である。沢山の事を考え込んだり、色々であるな。けれどそうして思考できるのもまた、生きている、ということの証明であろう」
二人の頭に代わる代わる頬ずりして、レックスは目を細めた。
「己の意思、己の心ある限り、精一杯考え、悩み、生きられるが良い。ここで会ったのも縁。クッキーのお礼に、おぬしらの幸せを我輩、祈るであるぞ」
再度大きく頬ずりされた。祈られたところで、実際何かが変わるわけでもないけれど。
「おぬしらに、いつも良い風が吹くように」
頬ずりする猫の毛は、ふわふわで暖かかった。
鮮やかに咲き誇る天上の華から視線を外し、月詠 神削(
ja5265)は自身の荷物を見下ろした。
(打ち上げ花火や仕掛け花火もいいが、線香花火も乙なものだ)
華々しさは無いが、何とも言えない情緒がそこにはある。チリチリと目の前で弾ける光は、短くも一秒一秒を賢明に生きる命にも似て綺麗だ。
(ただ、会場では人が多過ぎて情緒が無いかもな……)
静かな暗闇が、橙色の小さな花には似合うだろう。周囲を見回し、神削は森の中に足を踏み入れた。草木が茂っている所では危険がある為、開けた場所を探し森の奥へと進んでいく。
(この辺りが地面がむき出しになって……)
邪魔な枝を避け、踏み入った場所を打ち上げ花火が照らした。
黒い大きな影。
大きな三角の耳。
明らかに、天魔。
(……確かこいつ)
もふもふの巨大な黒猫に、同じく巨大な白い兎を思い出す。人懐こく美味しいもの大好きな食いしん坊の兎悪魔――
(ワッフルと友達なんだよな……)
足が地面を擦る音がした。一歩踏み出し、神削は立ち止まる。
(俺もワッフルとは友達だけど……)
思い出す。この猫悪魔が昔何をしたのかを。
見上げるほど巨大な双頭竜。五十人もの撃退士が全力であたり、撃破を果たしたそのディアボロを世に放ったのは、この悪魔では無かったか。
(……あの時こいつらがしたことを、俺は許せない)
握った拳が、ギッ、と軋んだ。
(撃退士として、けじめはつけさせる)
やろうと思えば一瞬で詰めれる間合い。
相手は目を瞑りまるで眠っているかのよう。
(けど――)
眠る相手を起こさないよう、足音を殺して忍び寄った。前足を枕に眠る相手の頭近くに、線香花火を置く。
(……それは、『殺し合い』とは別の形がいい、かな)
踵を返し、行きと同様、足音を殺して歩み去る。
脳裏に声が聞こえた。
『…元気で、であるぞ』
●
花火が照らす森を散策がてら歩き、真新しい獣道のような道を通って出た空き地で、ほむらと藤花の二人は黒い猫と遭遇した。
「もしかして…フェーレース・レックス…?」
一瞬ぽかんと見つめたほむらに、一本だけ線香花火をし終えたレックスが振り返る。
「んむ?」
「ずっと会ってみたかったんだ…嬉しいな!」
柔らかな毛に飛び込むと、しっかりと抱き留められた。その様子に微笑みながら、藤花もレックスの近くへ歩く。
「こんばんは、良い夜ですね」
「こんばんはであるぞ!」
レックスの横に腰掛けると、腰が冷えるからと尻尾の足跡椅子に乗せられた。
「レックスさん。あなたの『全部』は今どうしています? …いえ、なんだか少し寂しそうで」
藤花の声に、レックスはほむらと藤花を交互に見る。
「あ、夫は別の合宿に参加しているんです。それで、今日は知り合いの男の子と。…勿論浮気なんかじゃないですよ?」
くすりと微笑った藤花に、レックスは「むふー」と笑う。
「花火は綺麗…。一瞬の美、ですよね」
「んむー。…一緒でないのは寂しいであるか?」
空を見つめて言う藤花に、レックスは首を傾げる。藤花は微笑った。
「そうですね。…でも、大切な人と離れていても、心はつながっているから。レックスさんもそうでしょう? わたしも、大切な人がいるから頑張れるんです。だから…幸せですね、わたし達」
「うむ!」
ピンと髭を張って頷くレックスに、ほむらは手を伸ばす。
「ねえレックスさん。とても深い絆で結ばれてる同士って、隠し事をしても相手にはバレバレだったりするんだよ」
顎の毛を撫でると、ぺろっと手を舐められた。
「だから後悔しないように。命があの花火のように輝いてる間に」
「うむ!」
深い色をしたレックスの瞳が微笑んでいる。
(…もしかして、『二人とも』『気付いてる』?)
それぞれ何を思っているのか。
何を考えているのか。
何を黙っているのか。
口にしない内容が、互いに通じてしまっていることも全て理解して。
(二人の本当の関係はわからないけれど)
藤花はレックスの背を撫でる。胸が少し、切ない。
(どうか幸せでありますよう)
●
賑やかさを一頻り楽しみ、熾弦はそっとファティナに声をかけた。
「ファティナさん、少し喧噪から離れませんか?」
「人熱れに酔いましたか?」
ふふ、と笑って快諾するファティナと連れ添って出かける。森の道が狭いせいで、寄り添うような形だ。
「この辺りは人の手が全く入ってませんね。…ん?」
「新しい獣道がありますね」
ふと見下ろした地面に、真新しい獣道らしきものを見つけて顔を見合わせる。花火の参加者のものだろうか? だが一人や二人ではこんな風にはならないだろう。
「そういえば、黒い幽霊がどうとか…」
「皆さん探しに行ったんでしょうか?」
不可思議な現象を耳にする時、まず天魔関係かと疑ってしまうのは撃退士の性だろう。慎重に道へと分け入り、二人は獣道が出来ていた理由を察した。
「レックスさん…」
丸まって眠る黒猫に、熾弦が小さく呟く。
「眠っておられるようですね。…お話したいことはあるのですが、起こすのも申し訳ないですし、ここから花火を見ながら待ちますか」
熾弦の声にファティナは頷く。その目がレックスのにゅっと動いた髭を見つめていた。
「……不思議なものです。レックスさんは悪魔で魂を奪うこともあり、でも以前は助けられて……」
傍らに歩み寄り、熾弦は小さくしゃがみ込む。
「敵味方という表現がしっくりきませんね。ぶつかりも協力もする、隣人、と呼んでもいいのでしょうか?」
「そうですね…」
同じく傍らにしゃがみ、ファティナは眠るレックスの鼻頭を掻く。
「一人でこんな所にいると、余計に寂しくなりますよ。会いたい人の所に、行ったほうがよいのでは?」
自分に大切な人がいるように。この猫にも大切に思う相手がいるから。
むにっ、と頬を握るようにして摘む。ふわふわの中にあるゴムのような感触。熾弦が毛並みを整えるように背中の毛を撫でる。
ふと、頭の中に声が聞こえた。
『二人とも、幸せになるであるぞ』
意思疎通だとわかった。数秒後、顔を伏せるようにしてファティナがレックスの頭を撫でる。
「…当然です。あなたもですよ」
微笑み、熾弦はレックスの腹に沈むようにふわりと抱きしめた。
「…どうか、あなたも」
空の華が声をかき消してしまう。届いただろうかと思う背をレックスの尻尾が優しく叩いていた。
ファティナ達が歩み去った後、その場に現れたのは縁だ。
二人きりの時間をプレゼント、と思って千尋達の先に立って歩いたつもりが、いつのまにか迷子になっていた。物音に誘われるようにして来て、今、レックスが目の前にいる。
(レックス)
眠っているのを見て、その傍らに移動した。
「レックス。あのね」
そっと声をかける。
「前の依頼の時、起してくれた優しさ…忘れてないんだよ。ミスターとレックスと共闘したの、すっごく嬉しかったんだね」
伸ばした手が毛に触れた。
「もう一度。ありがとうなんだよ」
柔らかくて、暖かい。
「…本当は、ミスターと闘いたくなかったんだね。…でも望みを叶えてあげたいって思ったんだよ。大好きだから」
真心には真心を。例えその先に、何が待っていようとも。
「だけど」
呟く声が震える。
「だけどね」
――死んで花実が咲くものか
「…思い出だけの存在は、寂しさばかりが募るんだね」
もし、結末がその存在の終焉となってしまったら。そう思うと、手が震えた。
「だから…生きて欲しいんだよ…レックス」
ペロリと暖かく湿ったものが手を撫でる。ビックリして見ると、レックスが片目を開けていた。
「縁。未来を恐れてはならぬである」
「レックス!」
ぽふっ、と飛び込むと、ペロリと顔を舐められた。
「迷うことなく、進むと良いである」
「でも、でもレックス、もしも」
「縁」
名前を宝物のように呼ばれて、縁は相手の目を見た。深い森の瞳が微笑んでいる。
「自分達の可能性を信じるであるぞ」
縁はその瞳を見つめる。空に響く大きな音。瞳の中にちらちらと映る天の華。
「…うに」
何故か、涙が溢れそうだった。
その毛皮に一度埋もれ、寝返りをうち、温もりを背に感じながら遠い空を見上げる。
「ね、花火とっても綺麗なんだね」
「うむ」
頷きが近い。水に滲む光を見つめながら、縁は告げた。
「また大切な思い出が増えたんだよ」
●
二人が心配するといけないからもう行くんだよ、と縁が離れた後、はぐれた縁を探しに来た諏訪と千尋がその場に到着した。
(レックス!!)
「どうしてこんな所に、ですよー?」
諏訪が丸くなっているレックスへと向かう。手を繋いでいる千尋も一緒に。
伝えたい言葉がある。けれど胸がいっぱいで上手く言葉に出来ない。そんな千尋の頭を一度撫で、諏訪はレックスの傍らにしゃがみこんだ。
「もうすぐ、運命の舞台が始まりますねー…?」
最後の演義を。
望むクラウンに応え、自分達はそこに赴く。
「クラウンは短い命を持つ人だからこその輝きをうらやましく、そして何より愛しく思っていたのでしょうけど、クラウンもとっくに心を輝かせていたと思うのですよー?」
さわ、と頬を撫でた手が毛に埋まった。
「ちょうど、この花火みたいに鮮やかに記憶に残るけど、あっという間の出来事でしたねー?」
最初の時の『彼』と、明後日会う『彼』は随分と違っているような気がする。それが自分達人の子と触れ合った証なのだとすれば、これ以上嬉しいことは無い。
「レックス」
ぽつん、と。隣にしゃがんだ千尋が声を落とした。
「わたしね、がんばっちゃったよ。本当は仲良くしたいって、共に生きたいって、思ったけど」
思ったから
「がんばっちゃった」
今までも。そして――この先の日も、きっと。
「レックスは今幸せかな」
大切な相手を喪うかもしれない恐怖。それって本当に、幸せなこと?
「わたし、レックスと戦うのは嫌だよ」
小さく震える手を伸ばし、頭を撫でる。暖かい。
生きている。
「千尋ちゃん」
諏訪の声に、千尋は目元を袖口でぐっと押さえた。
「花火はきれいだけどすぐ消えちゃって」
ずぴ、と鼻が鳴る。
「それが命みたいだなって。なんだか少し切なくなっちゃって」
「千尋は笑った顔の方が可愛いであるぞ」
「!! レックス!!」
ふと聞こえたレックスの声に、千尋が反射的に抱きついた。頬に猫口がちゅーする。次にちゅーされたのは諏訪の頬。ちょっとズレて耳にされたが。
「御裾分けである」
「高くつきますよー?」
「お代は今払ったであるぞー」
男同士の話し合い後、レックスは千尋を見る。
「千尋。我輩は今、幸せであるぞ」
「でもレックス」
「愛して貰った」
声が微笑っている。
「愛している」
二つの言葉ともに、宝をそっと暖めるかのような。
「これ以上、幸せなことは無いである」
緑の瞳が優しく微笑む。
「ありがとう」
心を分けてくれたことに、真剣に思ってくれたことに、悩みながらも真っ向から向かい合おうとしてくれていることに。
「千尋は、自分の心のままに動くとよいである。我輩もまた、己の心のままに動くである」
それが『他をあるがままに認める』ということ。
(クラウンとレックスは…だから、同じ、なのですねー?)
「レックスはこれからどうするつもりですかー?」
「我輩は、我輩の在り方のままに動くである」
声に、千尋は柔らかな毛に顔を埋めた。
(……生きていてほしい)
クラウンも。レックスも。でも。
「思う、のは、我侭に…なるの、かなぁ…?」
小さな声に、レックスは千尋の頭を毛づくろいする。
「千尋。思いは自由である。千尋の思いも自由である。同時に、我輩や他の者の思いも」
世界において己の意思を変えず貫くということは、畢竟、我侭を徹す、ということ。
「我輩も我侭である。我侭と我侭がぶつかれば、戦いは免れぬである」
「…戦いたく、ない」
「では、ひかねばならぬ」
「ひきたく、なかったら…?」
「戦わねばならぬ。徹したき思いあるのならば」
思いと思いがぶつかり合うとき、己の思いを貫くということは、他の思いを退けるとうこと。
選ぶということは、己の行動に対し責任を持たなければならぬということ。
「その重みをもって、生きとし生けるものは命の道を歩むである」
強い思いを抱く時、誰もが皆我侭だ。貫いてもいい。調和させてもいい。避けて通れぬ道ならば、ぶつかってみるのもいいだろう。
「千尋。人の子はずっと我輩に奇跡を見せてきたである。己の可能性を疑ってはならぬ」
(…レックスはもしかして、ですよー?)
背後から花火の大きな音。まるで世界の鼓動のような。
「レックス」
目元を拭って、千尋がくしゃりと笑う。
「今日一緒に見た花火。絶対忘れないよ」
花が咲くようだと思った。
●
千尋達が去った後、黒猫と遭遇したのは空と了だった。
「残念です。幽霊かと思ったのに、天魔でした」
「空はゆーれいが見たいであるか?」
レックスとしばし噂話に興じ、ふわふわを堪能してから空は姉と共に広場へと戻る。瞬間、パァッと夜空が一気に明るくなった。
「! 連弾」
それに思わず見とれ、ふと隣にいると思っていた姉の不在に周囲を見渡した。
「姉様?」
一方その頃、空は準備の時に世話になったリョウの所にいた。
「あの時はありがとうございました」
「いや。同じ学園生。助け合うのが筋だ」
全身黒ずくめな姿は、妹が楽しみにしていた黒い幽霊さながらだ。お疲れ様、とクーラーボックスから飲み物を渡され、了は微笑んだ。
「もしよろしければ、私とお友達になっていただけませんか?」
召喚し直したヒリュウを供に、彩華は森の中を歩いていた。
「お手洗いが森の中にあるだなんて、何かの陰謀です。…怖い訳ではありませんよっ!」
光が途切れ真っ暗になった中で進む。ぼふっと顔が何かに沈んだ。
「なに… っ!?」
花火の明かりが目の前の大きな毛玉を見せた。ちょうど横腹に突撃したらしい。思わず撫でた。
(いい!!)
掌が極上の毛皮に包まれる。癒しを求めて撫でもふすると、大きな瞳が振り返って自分を見ている。
(なにか言いたげ…? …気のせいかな)
優しいけれど、どこか寂しげな目に見えた。すり、と巨体で頬ずりされる。
ふと、花火を見ていた時の自分の気持ちを思い出した。巨大な猫の目は、どこか自分の目と似ている。
「きっと。花火のように鮮やかな誰かを思い出してるのね」
首に顔を埋めると、体ごと毛に埋まった。
「…会えなくなっても、忘れられないよね」
すり、と頬ずりされる。
「思いは永遠に残るである」
「言葉……」
「おぬしが生きている限り」
尻尾が器用に動いて頭を撫でた。ヒリュウが寄り添うように彩華の肩に留まる。
「うん…」
猫悪魔の瞳は、深い森の色をしていた。
一頻り花火を楽しみ、赤坂白秋(
ja7030)は森の探索に出た。夜空に咲く華に、森の木々が照らされる。その光に大きな毛玉もまた、照らされていた。
「よう、良いおっぱいでも落ちてたか?」
丸まっているそれに、声をかけつつ隣に腰掛ける。
「なあレックス、頼みがあるんだ」
木々の合間から見える花火。見上げたまま、言葉を続けた。
「友達になってくれよ。聞いてくれるなら、ヴァニタスになったって良いぜ」
「白秋。我輩達はもう友達であるぞ?」
声は不意打ちだった。
彼が大切にしている存在と近日中に戦う。それでも、友と…言ってくれるのか。
「…それじゃレックス、秘密を一つ聞いてくれ」
声に滲みそうな震えは押し殺した。一瞬溢れそうになった気持ちが何なのかは、よく分からないけれど。
「実は俺、今までお前に黙ってたんだが」
「平らな胸も好きなんだ……」
シン、と、鳴り響いていたはずの花火まで黙りやがった。
「あの反った時の微かな主張! それを恥じる本人の表情! おっぱいってのは奥深いな……」
真面目な白秋の声に、レックスが厳かな表情で顔を向ける。
「白秋」
「おう」
「我輩達は、真に同志であるな」
二人とも病気だった。
「そうか」
「うむ」
男のおっぱい同盟、第二期爆誕。
「さてレックス。ダチが秘密を明かしたぜ。これはお前も何か一つ、秘密を明かさなきゃならねえな」
「ならば白秋。誰にも言わなかったことを一つだけ、おぬしと、おぬしの仲間に伝えよう」
どこかいつもの悪戯っ子のような気配を滲ませたレックスが言う。
「我輩、賭けをしているである。誰も知らない、我輩だけが行っている賭けである」
「何とだ?」
声にレックスは笑った。
「『運命』」
声に、呼吸が止まった。
何を、何に、何の為に。
問わなくても分かる。さっき言われたではないか『俺と』『俺の仲間に』伝えよう、と。
「おぬしらに託すである」
信じているのか。そんなことを。託してしまうのか。自分達に。
それ程までに、信じてくれたのか。
声を出そうとして唇が震えた。だが、堪えた。なぜなら、まだ終わってない。まだ始まってさえいない。
「見ろよレックス、花火だ」
振り仰ぎ、見上げた先で華が咲く。
「ただの一瞬咲く為に生まれて来た、世界一大きな花だ」
一瞬の綺羅の天華。
夜の闇の中でだけ咲き誇るもの。
「……馬鹿だよな。こんなもん、六分咲きだぜ」
「うむ」
「これからだ」
「うむ」
頷いたレックスが立ち上がる。大きな尻尾がべちんと白秋の背を叩いた。
「もう行くのか?」
声に、尻尾が大きく振られた。さよならは無い。
見送り、白秋は空を見上げた。
「ああ…さよならは、相応しくねえよな」
●
華やかな光が空を彩る。鈴音は両手を口に添えた。
「た〜まや〜」
パーン、という音と共に、光の粉がバラバラと湖に落ちていく。
(やっぱり、だれかと二人で見物したい気も少しするかな…)
ふと無人の傍らを見てそう思う。と、花火の光が人型に陰った。
「あの…」
声に振り仰ぐ。長い黒髪の小柄な少女――空がじっとこちらを見ている。
姉の捜索を諦め、空は花火の鑑賞に意識を切り替えて楽しむことにしたのだ。せっかくの交流の機会だから
「初めまして。お隣よろしいでしょうか?」
鈴音は笑って頷いた。
「勿論!」
少しずつ、見知らぬ者同士で輪が広がっている。乾杯の流れになったリョウ達の輪の中で、キュリアンが持参したクッキーを食べながら、了の話を興味深げに聞いている。
視線を転じれば、黒い幽霊の噂に震えているアルベルトと彩華が、空達に大丈夫だと太鼓判を押されて深い安堵の息を吐いていた。あの中の一人が男だと、誰か気づいている人はいるのだろうか。
それらの様子を見ながら、真里はふと森の中の相手のことを思った。
(花火、見てるかな)
同時に、これから戦う悪魔のことを。
彼も花火を綺麗だと思ってくれると良い。一緒に見て楽しんでくれればいい。
未来は誰にも分からない。けれど後悔のない選択を。
同時刻、ルビィは再度出会った黒猫と一緒に空を見上げていた。
何処かへ行こうとしていたのだろう。再会したのは、偶然だ。
「ほら。空、見上げてみろよ。デッケェ花が咲いてるぜ…」
クラウンが喜びそうな『輝き』を共に見上げる。もう、この悪魔とは会えないだろう。その予感があった。だからこれが最後のつもりで声をかける。
「…今迄。有り難うな…レックス」
顔を交錯した腕で隠す。
何年も流していない涙が一筋、頬を伝った。
「花火、綺麗」
ため息をついて空を見上げるあやかに、仁也は微笑んだ。
沢山覚えてくれるといい。
そして思う。
沢山、覚えておこう、と。
(…綺麗な思い出は、出来るだけ残しておきたいから)
花も木も水も空も。世界にある沢山の美しいものを。
君がいるだけで、輝きを増すこの世界を。
(何時か逝く時は、この百年足らずの時の思い出だけあれば良いから)
深い思いを胸に寄り添って空を見上げる。
その耳に、ふと歌が聞こえた。
●
天に華が咲く。
人と離れた猫が距離を開けながら空を振り仰ぐ。
その耳にも、風に乗って届く。
――歌。
♪
歩き出す道の端で
名も知らぬ花を見つけた
手折ってしまえば儚く消えて
手には何も残らない
♪
空へと歌を放ちながら幸音が手を伸ばす。空へ。空へ。
思いを大気に解き放つように。
♪
手に入れるかわりに
心に名も無き華を咲かそう
貴方が居るただそれだけで
この胸に光が灯るから
♪
森の片隅でレックスはじっと耳を澄ませた。心が呼応するのがわかった。それは紛れも無く、自分の思い。
まるでそれを代弁するかのような。
♪
欲しいのは形じゃない
貴方の幸せが私の全て
♪
今は遠い人々の顔を光が照らす。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。
地上の炎と天上の花火に照らされて咲う顔。
♪
空に咲く華のように
闇を照らす天の華
この思い一つだけで
私は幸せになれるから
♪
歌は心。
心は大気に溶け、風に乗り、遍く世界に広がっていく。
歌い終わった幸音とアリサが手を繋いで踊っている。加わるカーディスと引っ張って来られた恭弥。
ふとカーディスが「むむっ」と声をあげた。
「東北東…やや右から猫の気配が…するようなしないような…気のせいですね〜」
首を傾げるのに、アリサが笑って背中を叩く。幸音が新しい歌を歌いだす。
遠くそれらを見つめ、レックスは顔を上げた。涙が零れた。
なぁ〜ぉ
歌うように、どこかから猫の声が響いた。
○
ありがとう
●
後日、久遠ヶ原の遙か沖に悪魔が二柱現れた。
二柱は何をするわけでもなく、ただ海から島を眺める。
「撃退士達よ」
ふと、一柱が声を出す。
愛を口にすることはしなかった。
何故なら、それは魂を縛る呪文だから。
繋ぎ止める鎖は人の子の愛でなければならない。
長い尻尾が海面を叩き、背に乗った悪魔がくすりと笑う。
もし、喪っていたのなら。
きっとその先には終わりしかなかっただろう。
「我輩、おぬしらに賭けず、かつては全ての賭けに負けたけれど…」
遠く、風が島へと渡る。
「最後の賭けには勝ったであるぞ」
空は青く、海は深く。
時は進み、風は渡る。
ありがとう。
ありがとう。
言葉にすれば、ありきたりなものになるけれど。
――千の愛と万の感謝を君達に。
踵を返し、走る悪魔の口から歌が零れる。
――貴方の幸せが私の全て
海岸に足を踏み入れた人々の視線先で、海上の黒点が遠くへ走り去るのが見えた。その背にもっと小さな点を乗せて。
――この思い一つだけで
――私は幸せになれるから
海を渡る風が島へと流れる。
遠いどこかで、楽しげな猫の鳴き声が聞こえた気がした。
END