すれ違った道は再び交わらない?
――Who can read the future?(未来は誰にも解らない)
選び進むのは、他の誰でもない――『貴方』という命と意志。
●
木々の遙か向こう、天を衝く石鎚山の巨大ゲートを見上げ、六道 鈴音(
ja4192)はごくりと喉を鳴らした。
(なにもなければ、こんな場所に虫籠のヴァニタスが来るわけない…よね)
「…天使の占領地域で冥魔陣営が何やら仕掛けたか。――さて、その視線の先にあるは、果たして天使か人の子か…」
小田切 翠蓮(
jb2728)の声に、一同は表情を引き締める。
(天魔に楽園に騒がしすぎやね…)
走る宇田川 千鶴(
ja1613)の足に力がこもった。
「偵察に出る。あまり離れんから心配せんといてな」
その気配が姿もろとも薄くなる。遁甲の術だ。
(調査ねぇ…あんまだりぃのは得意じゃねぇが…)
恒河沙 那由汰(
jb6459)は木々の茂りを確認する。その眼差しは心情や表情に反して鋭い。
(放っておくほうが、後々面倒になりそうだからな…)
すぐ後ろを駆ける山里赤薔薇(
jb4090)は目に映る全てを脳裏に焼き付け続ける。
(この調査が今後の戦況を左右するかもしれないんだ。全力で頑張る!)
必要となるのは情報だ。今後の資料になりそうな風景や、状況。次の一手を打つためにも、新たな道を切り開くためにも。
(楽園騒動が終わったか)
半ば獣道と化した道を走りながら、大炊御門 菫(
ja0436)は眼差しを鋭くする。
(いやまだ終わってはいない、か…)
心を抉る出来事も、目まぐるしい日々に過去へと追いやられる。
――本当の意味では、解決してはいなくとも。
(聖徒達はどうなったのだろう。あの時の四国の悪魔やメイドも気がかりだ)
全てを把握している者は、学園に何人いるのだろうか。その先を見据えている者は。
(そしてこの依頼…)
菫の視界の端で、蜃気楼を使用した那由汰の姿が幻のように消える。同時に翠蓮の姿も認識に捉えにくくなった。隠密系のスキルを使用しはじめたのだ。
遠く、見え始めた放棄された村。空からの目を隠す木々の恩恵は乏しい。
だがその先にこそ、見つけるべきものがある。
(何が起ころうとしている? )
見据える先には今は何も無い。
●
廃村、という言葉が相応しい村だった。
「こっち。鳥が旋回してるから」
鈴音の声に一同は素早く廃屋の軒下へと走る。
「大きい家から順に見てるけど、埃だらけでボロボロなだけよね」
「壊された物も無かったな」
鈴音の声に、斥候から帰還した千鶴が答える。通信から那由汰の声が聞こえた。
『誰かがいた形跡があった。北東に三十、ってところだ。足跡もあるが、ずいぶん小せぇ』
声は極限まで潜められている。伝わる緊張感に全員が顔を見合わせた。次いで翠蓮の声が入る。
『お主ら、その家から北には行くでないぞ。厄介な御仁がおるようじゃ』
こちらも呼吸に紛れるかのような小さな声だ。
『一旦合流する。北には行くなよ』
「『天使』?」
赤薔薇の声に、那由汰は『ああ』と低く答えた。
『大天使ゴライアスだ』
「鳥型がいたからもしかして、とは思っとったけどな……」
南側の家で落ち合い、千鶴は呟いた。
「こっからなら二百メートルは離れてる。今は北側に向かってやがるが、騒ぎが起きれば飛んでくるぞ」
那由汰の報告に一同は表情を引き締めた。赤薔薇は周囲を警戒しながら呟く。
「家の跡って、ヴァニタスが運んだってことなのかな」
「かもしれん。けど、『誰』を…ッ」
遁甲する前、言いかけた千鶴が一瞬で身を翻した。
「なっ…!」
菫が思わず声をあげる。避けた千鶴の斜め後ろ、小さなカッターナイフで薙ぎ払ったのは一人の少女だ。
(人型の天魔!?…でもあの動き、ヴァニタスやシュトラッサーの力量にはみえない)
鈴音は咄嗟に身構えながらも攻撃を堪える。反射的にスキルを使用したのは赤薔薇だ。
幻影の髪が少女に襲いかかる。束縛された少女の顔から血の気が失せ、瞳が収縮した。
「待って。この子人間や」
「――人の子か?何故この様な占領地域に居る?」
翠蓮の声に少女は答えない。荒く浅い呼吸を繰り返しながら、大きく見開いた瞳で撃退士達を睨み、同時に必死で周囲を探っていた。
(この近辺の者ではあるまい)
「この靴…あの家の『跡』は、こいつか」
少女の小さな足を見て那由汰は悟る。背格好やタイミングからしても、間違いないだろう。
「う…うああああッ!」
近づこうと踏み出した途端、がむしゃらにカッターナイフを振られた。無論、動きの阻害された少女の攻撃が当たるはずもない。
「待て、私達は撃退士だ」
手負いの獣のような少女に菫は槍を下ろした。
「今更、何を!」
対する少女の声音は悲鳴に近い。
(騒ぎになれば、大天使が)
鈴音が険しい顔で空を見上げた。鳥の姿は無い。風は北から南。だが大声は拙い。
「見た所、アウルの扱い方は心得ている様子…。その上、その年で久遠ヶ原の生徒では無く、更に儂等に敵意を抱いておる事から推察して――お主、『小楽園』の聖徒か?」
その推測に菫の瞳が驚愕に揺れた。逆に少女の瞳に訝しげ色が宿る。
「人を浚っておいて何を言ってるの!」
「待て。儂等は学園の者であるが、お主を浚っておらぬ。第一、天使の占領地域じゃ。おいそれと入り込むような場所では無い」
翠蓮の優しく語りかける声に少女の目が一瞬怯んだ。だがすぐに警戒を強くする。
「天使を味方に入れたんじゃないの!?」
「今回に関しては無い。そも、お主のような聖徒が此処にいるなど誰も想定すらしておらなんだ」
「私たちはあなたに危害は決して加えない。今のあなたの境遇に、学園が無関係とも言わない。でも、これだけは信じて。学園に来れば今よりずっとあなたらしく生きていける。真実にも近づける」
翠蓮と赤薔薇の声に少女は眦をつり上げた。
「学園なんて信じられむむむーっ!」
「ごめんね。これ以上大声まずいの」
「…つーか、遅かったみてぇだな」
更なる大声を慌てて塞いで謝る鈴音に、気怠げに身構えながら那由汰が呟く。即座に放たれた翠蓮と二人がかりの攻撃が、空から舞い降りようとしていた白鷹の体を切り裂いた。
「ちぃ…ッ。頭は避けるか!」
「仲間を呼ばれたら拙い」
「回避が高いわ!」
地に落ちて尚赤薔薇の銃弾を避け、白鷹は無事な片翼を使って立ち上がる。少女に向かって放たれたのは硬化し刃と化した羽根。
「ひ…!」
その手前、飛び出した千鶴の体に硬化した羽根が突き刺さる。と思ったらスクールジャケットに変じた。再度身構える白鷹の頭蓋を菫の槍が貫く。
「撤退を。この騒動で他の鳥にも気付かれた可能性がある」
菫の声に、全員の目が鈴音に抱きすくめるようにして拘束されている少女に向いた。大声をあげかけるのを鈴音が素早く手で押さえる。
「えぇと、どうしよう? 手錠したほうがいい?」
「いや、流石にそれは」
「じゃあ担いで行…あいたっ」
塞いでいた手を噛まれて思わず手を緩めた。少女がカッターナイフを構え、体ごとぶつかってくる。
「あっ」
掌に伝わった肉を断つ感触に、少女が反射的にナイフを手放した。目の前に庇いに立った千鶴。怯えの走った瞳に、千鶴は(この子は違う)と心の中で呟いた。
(『傷つける』ことに慣れてない)
「宇田川さん、手!」
「大丈夫や。深くない」
慌てて手にハンカチを巻く鈴音に千鶴が微笑む。
「それより撤退やね」
頷き、鈴音は少女を抱え上げた。
「っ!?」
「ごめんね。安全な場所まで行ったら降ろすから、いまはちょっと静かにしていてね」
体を強ばらせた少女を抱えたまま、鈴音は上空を見据える。赤薔薇が鈴音と少女の横で護衛についた。
「走るぞ」
駆け出す翠蓮の声を合図に、全員が次々に軒下から飛び出した。
「右前方上空!」
赤薔薇の声と同時、放たれた弾丸が急襲してきた白鷹の片翼を穿つ。
(敵を殲滅しようなんて思わない)
飛び込む先は別の家の軒先。空の目を可能な限り避ける為、影から影に移るように駆ける。
(守る戦いを心がける!)
落ちた白鷹を翠蓮の魔法が襲い、千鶴の雷遁がその体を麻痺させた。連撃に地に落ち、鳴こうとする体を黒い霧に似た陣が襲う。
「深淵の底まで、眠りなさい」
発動した【六道冥闇陣】に鳥が沈むのを確かめ、鈴音は抱えた少女の背を軽く叩いた。少女の体は細かく震え続けている。
(こんな子達と戦ったんだよね)
ふいに走った痛みを戦場だからと押し殺す。
次へと走りながら千鶴は小さく唇を噛んだ。脳裏に哀しい声が蘇る。
――裁きの末に、人は人を殺すのだ
(うん…)
人が人を傷付け、殺す。
もっと前から痛い程知っとる。
でも、それが人の全てやないと思いたいから。
(この子を戻れない所に行かせへん)
●
「……撒いた?」
二百程を走りきり、鳥の襲撃が途絶えたのを見て赤薔薇が呟いた。すでに木々の中、見上げる空は青々とした葉に覆われている。
翠蓮は目を細めた。
(何か…)
理由など分からない。強いて言えば勘だろうか。このまま進むのが酷く危険なことのように思える。視線を走らせると全員が頷いた。同じく何かを感じ取っている。速度が緩み、ゆっくりと進みが止まる。
「んっしょ」
「ッ!」
無理な体勢のままの少女を降ろすと、飛び退くように離れかけ、転んだ。
「わっ。大丈夫!?」
手を差し出す鈴音から怯えたように距離を取ろうとする。その姿を見つめ、菫はゆっくりと告げた。
「さっきの襲撃で分かったと思うが、ここは危険だ」
怯えたままの少女が、尻で這うように後退る。自分達の位置が幸いしてか、その方向は向かおうとしていた側。
「あなた達が危険じゃない、と!?」
喉につっかえたような悲鳴だった。無言のまま、菫は無造作に武器を少女の側へと置く。手放した途端、それはヒヒイロカネに戻った。
「謝ることしか出来ない、すまない。信じれないかもしれないが、私は君を守りたい。人が人を殺そうとするのなんて…もう御免だ」
少女の視線が武器だったものと菫を行き来する。
武器。
けれど手に残る肉を裂く感触。きっと痛かった。でも仲間は何度も切り裂かれ貫かれて死んだ。きっととても痛かった。苦しかった。辛かった。
「〜〜っ」
掌に残る感触が気持ち悪い。痛みを知っている。どちらの痛みも。だから、
武器なんか、もう、取れない。
見上げたままぼろぼろ泣き出した少女の傍らに那由汰がしゃがみこんだ。
「人っつーのは面倒くせぇな…」
不器用な手がぼすっと頭に乗る。
「自分の思い通りにならねぇと直ぐ相手を殺そうとする……おめぇだって、同族を殺してぇわけじゃねぇのに、ナイフ構えた。どいつもこいつも、変わらねぇ」
置いたままの手が迷うように揺れた後、ぐしゃりと髪の毛を撫でる。
「亡くなったもんはどんな事しても帰ってこねぇよ…」
もっとぼろぼろ泣かれて那由汰の腰がちょっと逃げる。こういうのは苦手だ。代わりに赤薔薇が引き受けた。
「怖い思いしたね、悲しい思いもしたね。でも、もう何も心配要らないから! 私たちが守るから!」
泣きながら少女を抱きしめる赤薔薇に、那由汰が立ち上がる。ヒヒイロカネを太い指が摘み上げるのを見て、自然に相手を見上げ、
「い゛」
「待ち構えても来ぬと思えば、こんな所で止まっておるとはな」
そこに立つ巨漢の大天使に、愕然と立ちつくした。
●
「学園が、この領域に何用か」
低く重い声。
翠蓮は悟る。前へ進むのを忌避させたのは、この存在か。
「ヴァニタスが現れたと聞いたのよ」
少女の位置を気にしながら鈴音が告げる。
「このきなクセぇ一件は悪魔が絡んでる可能性が高けぇ。奴らに乗せられるのは詰まんねぇだろ?」
言葉を継いだ那由汰の声に、ゴライアスが太い眉を小さく上げた。
「ここはお互い不干渉でいかねぇか?俺らはこのまま撤退する、あんたはそのまま見送ってくれりゃあいい」
「ほぅ」
「お互い大事にせん為に、見なかった事にしません?」
千鶴の声に、ゴライアスは気配を殺したまま。相対した以上、その必要も無いだろうに。
「それがあかんなら、私がお相手します」
少女を庇い赤薔薇と那由汰が至近距離の相手を見上げる。翠蓮と鈴音が密かに距離を測り、菫は真っ直ぐに相手を見据えた。
「ふむ」
ゴライアスは拾ったヒヒイロカネを見下ろす。
全てを見ていた。そのやりとりを。
「ヒヒイロカネ。成果とするのであれば、そちらでよかろうな」
「ッ!」
「あっ」
菫が息を飲み、少女が小さく叫んだ。信頼を得るために手放した武器。他に代え難き大切なもの。
返せ、と。
言えば争いを招く。
目的ある相手に、目的たる成果が渡っている。自分達の側には安全と、保護した子供。守るべきものは、仲間の腕の中に。けれどゴライアスが持つその武器は、己の魂。
「……」
逡巡を菫は飲み込んだ。
震え一つなく相手を見据えると、その口の端が僅かに笑んだ気がした。
ヒュッと何かが飛んでくる。反射的に受け取った。その、掌に馴染む感触。
「己の刃は己の魂。己の武器を手放したるは、魂を手放したるも同じ。其れを狙う者の住処近くで行いたるは、些か浅慮であろうが……」
踏みだし、すれ違う圧倒的な熱。通り過ぎ、向けられた背は頑強なる巌のよう。
「その信任を横から掠め取るは盗人というものよ」
後ろでに振り向き、菫を見やる目はどこか優しい。
「砕けているとはいえ、儂はこちらを貰おう」
「あ」
一瞬見せられた小さなそれに、千鶴が声をあげた。スクールジャケットだったものだ。
「己が力に溺れず、誠なる魂を賭けて信を得るは難しきこと。良きものを見せてもらった。……百を数える間、儂はここに居ろう。……去るのならば、行く良い」
菫は目を瞠った。見逃すと言われたも同然。
「いずれまた」
鈴音の声にゴライアスは口の端を上げた。那由汰は周囲の気配を探る。
(どっかで見てやがるな…こんな面白れぇ出し物をあいつらが放置するわけねぇからな…)
見えずとも居るだろう。企んだ悪魔は。
(相変わらず下衆なやり方だ)
同じく周囲の気配を探り、翠蓮は告げる。
「長いは無用じゃの。――さて、今宵の余興は此処迄とする」
駆け出す一瞬、顧みた千鶴の目がゴライアスの笑みを捉える。
(何か、変わった)
そう思うも、それが『何』かは分からない。
最後に駆けだした菫は掌のヒヒイロカネを握りしめる。
(終わりじゃない。総て地続きだ)
ならば『何故此処に聖徒が居た』。
ゴライアスは聖徒に無反応だった。天使が楽園に潜んでいたという話は聞いていない。
(なら仕掛けてきているのは冥魔か)
天界を巻き込もうとした意図は何か。
駆け戻る先は人類の領域。だが何故だろう。進む毎に目の前に深い霧がたちこめていくように思えるのは。
(何を見ている?)
人々は進む。その先に前をも覆い尽くす霧があろうとも。
更なる先にある、数多の可能性を引き寄せる為に。
新たな物語は、まだ、始まったばかり。