○
この中で、動く者を喰い殺せ。
その命令に、その偽りの命達はただ従った。
動く者を殺し、殺し、殺し、殺し、貪り喰って血の海を作った。
理由など一つ。ウゴクモノヲクイコロセ。その命令一つ。それが全て。
意志のない虚ろな骸達は、ただ命を奪い喰らう。喰らって喰らってひたすら喰らって、そのうち変化が現れた。
ダレカが思った。
──コドモタチハドコダロウ
その姿は赤にまみれている。
ダレカが思った。
──タスケテクレルヒトハドコダロウ
その体は何かを求めて彷徨っている。
別のダレカが嘲笑った。
──さぁ、喜劇の幕開けだ。
●
転移による誤差を埋めるため、現場へと走りながら道明寺 詩愛(
ja3388)は思案する。
「蠱毒ですか…生存者がいるといいんですが」
共食いによって生じる現象にそれと当たりをつけ、それ故の危惧に表情を曇らせる。
「…また魂が利用されてるのかな…」
すでに一度、同様の惨劇を見たことのある紫ノ宮莉音(
ja6473)は、かつて見た光景を思いだし唇を噛んだ。何故と思う気持ちが強い。何故あのヴァニタスは、人の優しい気持ちを踏みにじって面白がるのだろうか……
友と共に駆けながら、久遠 栄(
ja2400)は静かな怒りを燃やしていた。
「人の心を弄ぶ趣味のヴァニタスか……気に入らない相手だな」
「…えぇ。人の魂を弄ぶとは胸糞が悪いですね…」
その声に頷き、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)は見え始めた校舎と体育館に眼差しを鋭くする。
(早く救助を…)
「全員救いますよ、何が何でも」
彼の心の声に応えるように、清清 清(
ja3434)が静かに断言する。
己の価値は誰かを『救う』ことにあると考える清にとって、それは絶対的な思いだった。
「…間に合って」
白銀の髪を風に靡かせて、あまね(
ja1985)は祈るような声で呟く。
自らの力が届くことを、ただ切に願いながら。
体育館の扉は開け放たれていた。
人払いが成された現地付近には、要救助者を待つ救急隊員以外に人の姿は無い。必死の眼差しでこちらを見る彼らに頷きを返し、栄は体育館突入前に夜目を発動させる。
「ここからじゃ、中の様子は見れないのー」
小さな体でぴょいこら飛び上がり、必死に中を伺おうとしていたあまねを抱えて、準備を整えたばかりの清が掲げる。
「奥に大きいのがいます。色は黒。あと、小さいのが動いていますね。色は濃い緑です」
降ろしてもらいながら、あまねは「むー」と唸った。突入しない限り、中を把握するのは不可能か。
「蠱毒と同じでしたら、いずれ最強の者が残ります」
「残ってる小さいのが補食されれば、力が増す可能性、か」
「そうですね。弱そうな個体から狙い、とりあえず敵の数を減らして」
大きい物は一旦足止めで。まず小さなものを殲滅してから捜索と救助を。
詩愛が道中に皆で纏めた作戦を復唱する。それぞれが光纏し、己の武器を具現化させた。
ふいに空気が重くなった。得体の知れない感覚に、誰もがその存在を感じ取る。……見られている。どこからか。
(……居る)
あの男が。
莉音は拳を握る。カーディスは感情を押し殺して足を踏み出した。
「行きましょう。『今』は子供達の救済を」
「ああ」
頷き、栄もまた力強く足を踏み出す。
「救おう」
──今度こそ。
○
薄暗い世界の中で、幼い少年は必死に隠れていた。
狭い空間。小さな窓のような切れ目から見える化け物の姿。
怖い。
怖い。
皆を襲った化け物。鍬形虫に似ている。でもあんな大きな虫いるはずがない。
(こんちゅうさいしゅう、したからかな)
だから虫のお化けが出たのかな。
幼い子供の恐怖は、その自由な想像力故に新たな恐怖を生み出す。跳び箱の中に隠れたのは、隠れんぼの時いつもそこに隠れていたからだった。全身をすっぽり覆ってくれる重くて硬い囲いは、少年には絶対の砦のように思えた。
声を殺し、震える体を抱きしめ、ただひたすら恐怖に耐える。
体育用具室の中、動きのない跳び箱の前を一匹の甲虫がカサコソと通過して行った。
●
体育館に突入と同時、真っ先に動いたのは詩愛だった。
「小さいのを仕留めます!」
まず目に飛び込んできたのは、入り口と反対側、体育館のど真ん中へと移動してきた大きな甲虫。明らかに近くで動く甲虫の倍以上大きく、黒い。変異種だ。
「右側にも注意を」
ほぼ同時に入った清が冷静に忠告を残し、駆ける。入ってすぐ、右手に視線を向ければ端で動く甲虫がいた。これも大きい。真ん中にいる変異種ほどではないが、少なくとも小学生ぐらいの大きさはある。色は焦げ茶だ。
「まずはあの小さいのを!」
軽く二回り以上大きい変異種に、二匹の緑色の甲虫が今まさに襲われようとしている。何故同種で殺し合っているのか。予想はあれど確証はない。補食による力増加阻止のため、足に括りつけた忍術書を発動させる詩愛に続き、清も走る。
同時に、撃退士に気づいて焦げ茶の変異種が勢いよく走りだした。
そして、
「撃退士だっ!助けに来たぞっ!そこでじっとしてろっ、今助けに行くっ!」
大声で呼びかけ、栄もまた小さな甲虫へと武器を構えた。あまねとカーディスもそれぞれの遠隔武器を手に射程範囲へと走る。
連撃を受け、一体の虫が四散した。それなりに回避は高いが、防御は高くない。小さいのはあと一匹。狙っていた個体を先に倒され、黒い変異種の前脚が虚空を薙ぐ。
突入と同時、阻霊符を展開していた莉音が栄を護るように立った。その視線は、真っ直ぐに走ってくる焦げ茶の変異種に向けられている。入り口近くには鉄扉。半ば開いたそこは体育用具室だろうか。その向こうにあるのは、無惨にいくつも壁を食い破られた更衣室。
わずかに見えた部屋の赤い色に歯を食いしばった瞬間、
「たすけて……!」
響いた声に、心臓を鷲掴みにされた。
近い。
あまりにも近い。
視線が導かれるように鉄扉へと向けられる。鉄扉の中だ。まさか、まさか!
いるのか。そこに。生存者が……!
全員の視線が用具室と、突進してくる焦げ茶の変異種に向けられる。その、絶望的な距離。
全身の血が下がった。
反射的にあまねと清が用具室に反転する。変異種が走ってくる。莉音が走り、栄が叫んだ。
「頼む!」
小学生サイズの変異種が体を浮かす。
轟音と強振動が体育館を震わせた。
●
凄まじい振動と同時、体育館の床が広範囲で吹き飛ばされた。
甲虫もろとも床下に落下した面々に、栄が走った。
「皆……!」
「こっち、来ちゃ……駄目!」
回復の光が点る。大きく陥没した場所の中、清と莉音がスキルや盾でかろうじて大打撃を免れていた。その背後、回復で気を取り戻したあまねが傷ついた体を起こす。完治にはほど遠い。けれど、今優先させるべきは自分ではなく──
「……ぁ」
上げた視線が、半壊した用具室を捉えた。周囲一帯を巻き込む大暴れによって、鉄扉は壊れ中に倒れ込んでいる。その中にある用具を下敷きに。
だが、むしろそれですんだのは僥倖だろう。とっさに撃退士が三人も保護に回らなければ、おそらく隣の更衣室同様、半ば吹き飛んでしまっていたはずだ。
「……ゃ、だ」
痛みを堪えて頭上の用具室に飛び込み、あまねは必死に扉を移動させる。元は綺麗に積み上げられていたのだろう、下敷きになったバラバラの跳び箱。その中から、自分より少しだけ年上に見える少年の足が見えた。
「しっかり……しっかり、なのー!」
少年は動かない。頭部から血が流れていた。
「搬送を!」
床下から清が冷静に指示を飛ばした。回復の光が飛んでくる。癒される傷。けれど少年に意識が戻ることはない。
焦げ茶の変異種が動く。少年を背負い、影走りを駆使してあまねが駆ける。それに追撃をかけるつもりか、浮き上がろうとする甲虫の動きに、栄が叫んだ。
「行かせねぇ……!」
救うと誓った。
救えることを祈った。
瞼の裏にある惨劇の光景。自らの罪と己の記憶に刻みつけた消せない十字架。どれほどの思いで力を求めただろうか。全てに打ち克つ強さを。なのに……!
発動する力──精密狙撃──
その、祈りを宿した研ぎ澄まされた一撃。
羽根の下を穿った一撃に、バランスを崩して変異種が落下した。
「く……!」
駆けつけたい。けれど、今動けばこちらに向いた黒い変異種がどう動くか分からない。小さな虫もまだ生きている。生存者を調べるためのスキルも使わなくてはならない。なのに……!
位置的に黒い変異種の対応を余儀なくされた詩愛は歯噛みした。ほんのわずかな時間。しかし、初動でそれぞれが心身に負った衝撃は計り知れない。
「影よ枷となれ!」
カーディスの渾身の影縛が発動した。ギチリ、と今まさに動こうとしていた変異種の動きが止まる。
「今のうちに……!」
「はい!」
影縛を喰らった敵はその場から動けない。だが、攻撃は出来る。凄まじい勢いで繰り出された一撃をカーディスは既の所で避けた。自身の攻撃は小さな甲虫に。霧散する虫にほっとしたのもつかの間、再度轟音とともに体育館が大きく揺れた。
「紫ノ宮君! 清清さん!」
「だい、じょうぶ!」
「気をつけて。この攻撃、重圧の効果があります」
痛みを堪え、両者がそれぞれ応える。動きの鈍った二人に向かって焦げ茶の変異種が体を震わせて暴れる。まるで駄々をこねる幼子のように。
(……あなたは誰?)
声が聞こえるのかな。莉音は治癒魔法を駆使しながら心の中で思う。
「出番ですよ、ジャック」
出来る限り今取れる最良の位置取りで。清に呼び出されたトランプのジャックが鋭い一撃をその装甲に刻みつけ、栄の矢が飛ぼうとする度に虫を地に落とし、薙刀を構えた莉音が前脚の一本を切り飛ばす。
例え相手が元は人であっても、その魂の幾ばくかがその身にあったとしても、もはや彼らを元に戻す術は無い。
偽りの命の中、慟哭を抱え、命を奪い続ける道を歩ませるのならば──
(虫の籠から解放する)
(その魂に救済を)
莉音と清の思いが重なる。
((僕(ボク)にできることはこれしかない))
思いは力に。願いは強さに。ましてそれが複数であれば尚のこと──
「この一矢、貫くぞ」
構えた栄の矢が、清のトランプが、莉音の薙刀が、同時にその体を穿った。
生命探知を使った詩愛は深い焦燥を抱いていた。さして広くない小学校の体育館。スキルは二回で探索を終えた。反応は二回目に一つだけ。場所は二階通路。けれど……
「……っ」
見つけたのか。見つけさせられたのか。そもそも、隠れてすらいなかったのか。ヴァニタスの男がそこにいた。
そしてそれは、負傷した少年だけが今回の生存者という、残酷な現実を突きつける結果だった。
●
霧散しはじめた甲虫が前脚を上げた。足元から崩れていく体。とっさにその前脚を取ってしまったのは、何故だったのか。
わずか一瞬。触れた瞬間、甲虫の震えが止まった。ほっとしたような気配。……誰の?
「……あの、男が」
胸をつかれ息を呑んだ二人の耳に、押し殺した栄の声が聞こえた。即座に意識を戦いに切り替え、穴の中から飛び出す。残った黒い甲虫は上手い具合にカーディスが離してくれている。その頭上から、にやにや笑いながらこちらを見物している男。
撤退か。だが、変異種はまだ残っている。
「カーディスさん、代わります!」
束縛の切れた虫の動きは速く、攻撃は重い。繰り出された【審判の鎖】を甲虫は避ける。そのまま浮かび上がるのに、二人は息を呑んだ。甲虫が正面にとらえているのは移動してきたばかりの三人!
「やぁー!」
凄まじい勢いで走り込んで来たあまねの迅雷が甲虫の体にたたき込まれた。落下した甲虫に、しかしあまねも弾かれたように吹っ飛ぶ。
「きゅぅ」
ころりと転がって立ち上がった。
「男の子は、きゅーきゅー車に乗って行ったの!」
命は無事。その一報に撃退士達は体に力を入れる。あと一匹。ヴァニタスが動かないのなら、このまま甲虫の最期を看取らなければ。
(この蟲達も無辜の一般人なのでしょう…死しか救わる道が無いとは何とも虚しいのです)
最速で勝負を。カーディスの兜割が炸裂し、防御の下がった甲虫にあまねが再度迅雷を叩き込む。次々と叩き込まれる攻撃。甲虫は避けない。何かを待つようにじっとしている。
「聞こえたか。子供は大丈夫だ」
先までとは違う様子に、栄は声をかけた。通じたのかどうか、分からないままに矢を番える。虫の言葉は分からない。その思いに直接触れられない。ただ気づいた。甲虫が見ている先。
あまね。
生徒の姿を重ねているのか。気づいたあまねもきゅっと唇を噛む。殺さないといけない。けれど胸が痛い。小さな手に武投扇を握り、戦う。
ふと甲虫が動いた。虚を突かれた形の中、清が瞬間的にスキルを展開させる。
「来い、アンデルセン」
鮮血が周囲を赤に染め上げた。
●
「ぇ」
何が起きたのかわからず、少女達は自身の口から零れた血に目を剥いた。あまねと詩愛の体を貫いた黒い杭。まるで虫ピンのような。そして、
「……そんな」
体の一部を失った甲虫。まるであまねの盾になるように体を起こした虫を貫き、咄嗟に間に入った清の防御すら突破して、その一撃はあまねに届いたのだ。もしこの防御が無ければ、幼い少女の命は危なかっただろう。防御に秀でる詩愛すら貫いたのだから。
「て、ったぃ、を」
苦しい息の下、詩愛が必死に声を絞った。消えた釘により血が勢いよく流れる。危険な状況の下、行使される桜舞。詩愛の治癒を受け、カーディスが危険な状態のあまねを抱えて走った。
「もーちょっと遊んで行ってもよくねェか?」
薄笑いを滲ませた声が響く。視界を覆った白い闇に息をつめた。
「がはッ」
「くっ」
毒だ。思った瞬間には臓腑を灼く痛みが襲ってきた。晴れた視界に、壮絶な光景が映し出される。二階通路の上に立つ男と、その周囲に浮いた二十を超す黒い杭。
「次は魂と器を分離させよーかね〜」
楽しんだ。だからもういい。賽を投げて決めた。今、参戦する。
撃ち出された杭が次々に撃退士達の体を穿つ。脚を穿たれ、それでも栄は男を睨み上げた。
「虫篭の男……名は何と言う?その笑いを消すまで覚えておくぞ」
この怒りを覚えておくために。告げた言葉に男は動きを止めた。目が丸くなっている。
「名前?」
表情が消えていた。答えを待とうとする栄の体を戻って来たカーディスが引っ張る。反射的に繰り出された男の攻撃は、しかし狙いがズレて致死には至らない。
名を問う。それは相手を個として認めたときにある最初の行為。
誰も知らなかった。そして、男も知らなかった。問われたことが無かったから。
自分に、名前が無いことを。
●
救急搬送された撃退士達は、翌日、ICUに集まった。ガラスで仕切られた部屋の中、一人の少年が眠っている。
外傷は癒した。けれど……
栄は唇を噛む。
少年は今も尚、意識不明のままだった。