思い出す。
抱えて飛んだ命のか細さ。
初めて救った――人間の命。
●
四国。徳島。剣山。
広がる一面に雪はふわふわの絨毯のよう。
「うひゃー!雪よ雪雪スノー! 地元じゃ滅多に見れないからテンション爆上げよ!」
「うううわ沈んだ!すごい!人型ついた!」
雪にダイブしたフレイヤ(
ja0715)と東城 夜刀彦(
ja6047)はすでに白の完全保護色。ぽかんと見守る天使に向かい、二人して片手を挙げた。
「…あ、イケメン予備軍さんちーっす」
「こんにちはー」
エッカルト、呆気にとられすぎて声もない。
(天使!?何故ここに?)
(…おや、これはこれは。せめて野生の熊であって欲しかったのですが)
転移して直後のこの状況に、強羅 龍仁(
ja8161)は一瞬緊張し、石田 神楽(
ja4485)は苦笑した。
(…初依頼で天使と接触とは…な…)
神楽の隣、小鳥遊 久遠(
jb8843)もまた仮面の下で小さく嘆息をついた。
(まぁ…気楽に…)
そう思えるのは、エッカルトの眉がハの字に下がってしまっているから。
「さて、天使エッカルトさん、でしたね」
「お前達…」
神楽の呼びかけに、ようやく気づいたエッカルトが表情を改める。神埼 晶(
ja8085)は軽く手を挙げた。
「あー、ちょっと待って。私達は戦うつもりでココに来たんじゃないの。人を探してるのよ。こんな感じのツインテールの女の子を知らないかな?」
髪型をツインテールにして見せる晶に、エッカルトは訝しげな顔になった。
「今日は山が騒がしい。ここじゃない所かもな」
「あちゃー…。その人さえ見つかれば、私達はこれ以上奥には進まないわよ。進む必要もないし」
「…今、連絡があった…依頼が重複したらしい」
久遠の声に一同は「おや」という顔になった。久遠はそのまま視線をエッカルトに一瞬向ける。
理解した。
学園側は、この機会を逃す気は無い。
「正直この状況で貴方と事を構えたくはありません。私って寒いの苦手なんです」
神楽は素早く戦闘意思の無い旨を告げる。晶も頷いた。
「私は神埼晶。エッカルト、だったよね? エッカルトがココにいるって事は、この剣山に天使勢の何かがあるってことよね?」
晶は目をキラリと光らせる。答えはなくとも、その表情でYESは読み取れた。
「エッカルト…どこかで…あぁ!レヴィを遊園地に百三十二時間二十八分四十二秒放置したあのエッカルトか!」
龍仁の声にエッカルトはギョッとなった。
「うううるさいな!ちゃんと謝ったんだぞ僕は…ってなんで知っている!?」
「会ったからな。あの時のレヴィの顔は忘れられないな…ちゃんと楽しめてただろうか?」
「…楽しんだだろ。あいつが笑うのはお前達の話のときぐらいだ」
その言葉は少しの寂しさと共に。
何故か嘆息をつき、エッカルトは妙に遠い目で彼女らの横を指さした。
「…で、何をやっているんだ?」
「やばい雪楽しいやばい」
「これ、この硬さでいけます?」
「ふふふん。任せなさい! …適当で!」
「まぁ、待て。その体だと難しいだろう」
真顔で雪ブロックを作っている龍仁の向こう、せっせと積み上げているフレイヤと夜刀彦を一度見やり、エッカルトに視線を戻し、久遠は静かに告げた。
「…カマクラ…だな」
「……」
「…そんなに気になるなら…一緒に作ってみるか?」
「なんで僕が」
「すまない。水を出せないか?固めるのに必要でな」
久遠への返答の後、絶妙なタイミングで龍仁言われ、エッカルトは思わず叫んだ。
「だからなんで僕が!」
「出せないのか…」
「そんなにホイホイ何でも出るか!固めるだけなら何とでもなるだろ!?」
ムキになって雪を固めに走るエッカルトに、晶と久遠は(ああ)と何かを色々と納得した。さすがに撃退士六名と天使一名で作るカマクラは早い。
「なんで僕まで作ってるんだ!?」
エッカルト、気づいて慌てるももう遅い。
「えっちゃんほら入って入って」
「呼び方おかしいだろ!?」
「他の天使さん達に見つからないように、エッさん、ほらほら」
「おまえもか!」
フレイヤと夜刀彦が二人でエッカルトの背を押す。
(くそっ調子狂う!)
カマクラin七人。
みっちり。
「距離おかしいだろ!?」
「ちょっと狭かったか?」
「こんなものよ」
「…暖かくていい」
龍仁の声に晶と久遠が頷く。
「…エッカルト、といったか…俺はただ単に君と…会話をしたい。…信じられないかもしれないが…他意はない」
声と共に久遠が差し出すのは暖かい茶と甘味。
「…偶には…こういうのも有りだと思わないか?」
「あのな…敵地だろここは」
「『誰が』『誰の敵』です?」
夜刀彦の微笑にエッカルトは息をつめた。久遠が頷く。
「…少なくとも…ここで敵対しようという者は…いない」
久遠に視線を戻し、床へと落とす。
調理用セットが設置されていた。
「焼きマシュマロにするか」
「お汁粉もいいですね」
てきぱきと料理を始めるのは龍仁と神楽だ。
「わぁい!強羅先輩素敵!お餅焼くー!」
「…。ちょっと待てこれ使ったら水でたんじゃないのか!?さっき!」
「まぁまぁ、そう興奮せず。お菓子ありますよ」
「だから距離おかしもぐー!」
「はい、あーん」
宥める神楽に噛み付いたところで夜刀彦が柏餅を口にぽいちょ。エッカルトは夜刀彦をキッと見た。
もぐもぐ!
「……」
もくもくもく。
エッカルト。柏餅お気に召したようです。
「じゃあ外警戒に行ってきますねー」
白シーツを被った夜刀彦の姿がふいに消える。思わず目で追うと焼きマシュマロが差し出された。
「食うか?」
半ばヤケクソでばくっと食べつつ、エッカルトは嘆息をついた。
「だからな」
「ほら、エッカルト。よかったら食べてみない?」
晶のチョコバーに気勢を削がれもぐもぐ。
「天界の状況が、随分と捻れているのは分かります」
餌付けられるのを見ながら、神楽は声をかけた。
「足並みが揃わない、とまでは言いませんが、上位天使が各々動いている、という印象があります」
その中でも未だ真意が掴めないのが大天使ルス。
「現在の状況からゲート作成は予測可能です。その中枢になるのは使徒レヴィ。貴方は恐らく裏方か見届け人。全てを望むはルスさん。…おそらく、この行動はルスさんの独断でしょう」
「……」
「命を尊ぶ大天使がゲートを作る理由は何か…私はそれを知りたいのです」
「…そんなことは、僕だって知りたい」
エッカルトの声に(やはり)と神楽は思う。ルスは完全に独断で動いているのだ。
何のために?
「えっちゃんってさ、二人の話になると異常に反応してたけど…仲良しさん?」
フレイヤの声にエッカルトは俯く。
「レヴィは僕の副官で、ルスは僕の育ての親だ。…レヴィにとってもな」
「…そうか」
龍仁は眼差しを和らげた。エッカルトの様子を見て息子とダブらせてしまう。外見的に似たような年齢だから。
「副官ということは、戦場を共に?」
「そうだ」
「…長い付き合い…か?」
龍仁の問いを肯定し、久遠の声にエッカルトは頷いた。
「八百年以上経つな」
久遠が首を傾げた。
「…何歳…だ?」
「変なことに興味を持つんだな…八百八十八だ」
「レヴィと同い年!?」
「たまたま同じなだけだ!」
思わず声を上げた龍仁にエッカルトは真っ赤になった。
「それは…色々と、特別な存在ね?」
ほかほかのカイロを渡されつつ、エッカルトは晶に渋い表情を向ける。
「別に特別なんかじゃないぞ。たまたまあいつが最初に死にかけた時、ルスに命じられて命助けてからの腐れ縁だ」
「…逆に関係濃くない? それって」
言われてエッカルトは押し黙った。
覚えているのは死にかけだった命。始めて救った人間。自分と同い年の。
決して笑うことのなかった、人間。
「…濃くなんかないだろ。僕達がどれだけ傍にいようと、あいつが笑うことは無かった。あいつを笑わせられたのは、おまえ達人間だ」
ルスが言っていた。それはもう一年も前のこと。
あのレヴィが幸せそうに笑ったと。
「あの日から、ルスはずっと何かを考えている」
(つまりルスの行動はレヴィに関係する、ということですね)
神楽は予想をたてる。
「何か飲むか?暖かい紅茶もあるぞ?」
わずかに俯いたエッカルトの顔に紅茶の湯気があたった。久遠からもらった茶を飲み干し、エッカルトは器に紅茶を受ける。
「ずっと守ってきたんだな…今までも…そしてこれからも…」
「なんで頭撫でる!? 別に守ってなんかないぞ!あいつらが何かしでかなさないか見張ってるだけだ!」
(ツンデレか)
晶と久遠がしみじみと頷いた。龍仁は苦笑する。
「ところで、ここで何を待っていたんだ?」
「僕は偵察巡回してただけだが。今日は妙な気配があちこちでする。そのうちの一つがお前達の仲間だろうな」
(では、もう一つはなんだ?)
考え込んだ龍仁の横、晶はカイロを揉みながらふと声をあげた。
「エッカルトって、何か寒そうね? ほら、あげるわよ。記念にとっといて!」
晶にマフラーを差し出され、エッカルトは一瞬だけ躊躇した。次いで小さく息を落とす。
「僕はお前達の味方というわけじゃない。受け取れない」
「レヴィさんはそんな細かい事言わなかったわよ?」
フレイヤの指摘に一度目を瞠り、エッカルトは苦笑する。
「あいつはいいんだ。…けど、そうか。……そうか」
呟く姿を龍仁と久遠は見つめる。一瞬だけエッカルトの瞳にあった優しい色。どこか父性を感じるような。
「じゃあさ、味方になった時は受け取ってよね」
晶の声にエッカルトは苦笑する。
「その時があればな。…というか、お前が寒がってないか?」
「寒いわよ。カチカチになりそう。寒くないの?」
「温度差の感覚はわかるが、僕は炎熱も極寒もほぼ影響受けないからな」
龍仁と神楽が素早く目配せしあった。エッカルトにその系統のバステが効かないことをぽろっと零されたのだ。
「…では…寒そうなのは…気持ちの方か」
久遠の声にエッカルトは目を瞠る。お餅を頬張っていたフレイヤが声をあげた。
「あのさ、えっちゃん。何迷ってるのかは分かんないけどさ、待ってるだけじゃ何も変わんないよ」
「……」
「私の夢は世界中の人を笑顔にする事。…でもそんなの無理だって分かってる。だからさ、せめて手の届く範囲の人だけでも笑顔にしたいじゃない。だから貴方を笑顔にする方法を教えなさい。私は黄昏の魔女フレイヤ様よ? どんなに小さな希望だって大きくしてやるわ。えっちゃんだって男の子でしょう? そんな心の奥底で引き籠ってないで!やりたい事を叫んでみなさいよ!」
「それが出来るほど容易い状況ならとっくにやっている」
釣られ、エッカルトは言った後で悔しそうに口を噤んだ。
「…人間に迫害されて生まれ育ち、天にあっても居場所等無い」
冥魔との戦いは激化する一方。使える駒は使い潰される。自分も使い潰される駒の一つ。それによって形成される世界の中で、守りたい者が幸せに暮らせるのならそれでよかった。戦えない者が守られているのなら。
だけど、
「あいつの世界はルスだけだ」
そのルスは、もう、時間がない。
レヴィは壊れるだろう。そして、壊れた心のままに戦場に立ち続けるだろう。天界の駒として。
「おまえたちにあいつが救えるのか?あいつの故郷を家族ごと滅ぼしてしまったルスと、その現実をルスにつきつけてしまったレヴィを。互いに互いへの贖罪を胸に八百年以上、小さな箱庭でただ生き続けてきたあのふたりを」
それを見守ることしか出来なかった自分を
「幸せにできるというのなら、その方法こそ、何だ!」
フレイヤは静かにエッカルトを見る。
その眼差しが別の誰かのそれと重なった。
「…誰かを助けるばかりじゃなくて、助けてって言って、いいんだよ?」
「……ッ」
エッカルトは立ち上がった。晶は口を開きかけ、噤む。無理やり止めるのは逆効果だと思った。
「…言葉にしなければ…伝わらないものも…ある」
静かな久遠の声が流れる。
「…よければ…また争い事無しで純粋に話を楽しみたいと思う」
エッカルトは答えない。
ただ、静かに外に出た。
●
外に出ると夜刀彦が兎達と寄り添って座っていた。その体に雪が積もっている。
その静けさに、人相手に激高した先ほどの自分が妙に恥ずかしい。
「外を警戒する意味は、何だ…?」
「俺達と一緒にいるのは、エッさんにとってあまり見られたくないことじゃないかな、って」
夜刀彦は振り向くことなく告げた。エッカルトは沈黙する。
「願いは…今も、言葉には出来ない感じでしょうか…?」
声にエッカルトは唇を噛んだ。
覚えている。手に伝わった肉を断つ感触と、目の前にあった瞳。
待っていてくれているのか。容易くは口に出せない事情を慮って。
敵なのに。
(くそ…っ)
フレイヤと夜刀彦。なぜ、この二人は自分の弱いところを突いてくるのか。攻め手と搦手で動かれ、逃げることも難しい。
そんなエッカルトの沈黙を夜刀彦は背に受ける。外にいた夜刀彦には中の騒動はほぼ聞こえていない。ただ、ずっと考えていたことがある。
(一人で思い悩むのは容易く口に出来ないものだからだと思う)
(人を搾取するのを是とし、上下社会な天界。人に優しい大天使と使徒。間に挟まったひとは願いを殺さないといけないのかな…)
「どうすればいいか分からない時は、どうしたいかを教えて」
その、思いつめた胸の奥の願いを。
「たぶん、あなたが守りたいひとは俺の友達が大切に思ってる人。種族も立場も関係なく、守りたい気持ちを合わせることは出来ないかな…?」
エッカルトは口を噤む。夜刀彦は微笑んだ。
無理に答えを今聞き出そうとはしない。それはきっと、あまりにも大切で、簡単に口に出来るものではないだろうから。
寒さで軋む体を起こし、夜刀彦はエッカルトの真正面に立った。
「あなたが大切なひとを守るなら、あなたを俺は守る」
異なる立場の中、守りたいものを守る為に。もう二度と、目の前で命を喪わない為に。
差し出されたものを反射的に受け取った。その冷え切った手とともに。
「あなたにもいつも光がありますように」
●
探し人が見つかった報告とともに、撃退士達はあっさりと帰路についた。
手に残された機械。突っぱね損ねたもの。おそらく、学園との通信機器。
エッカルトは空を見上げる。
雲間の向こうにある空の青。
消えてしまう命。きっと壊れてしまう幼馴染。
幸せは、何処?
エッカルトは雪上に視線を落とす。
背を押す手。差し伸べられる手。
魂の込められた言葉の数々。
(天の方針に逆らう気は無い)
大切な故郷。思い出の全てがそこにある。
けれど、
――助けてって言って、いいんだよ?
――守りたい気持ちを合わせることは出来ないかな…?
求めることが出来るのなら、ただ一つ。
僅かな時間でもいい
もし、あのふたりが少しでも、幸せに生きれる時間が得られるなら
それを見ることが出来るのなら
そのためだけに
――僕は、天を裏切ろう。