闇の強い空の中で、星は未だ輝かない。
けれど、もし、叶うなら――
●
風が谷を駆け抜けた。
山を背に出現した撃退士達は、谷のほぼ中央に立つ。
鈍色の空の切れ間から注ぐ陽光は淡く、細い。
「なにあれ?」
雪室 チルル(
ja0220)は遠くに見えた奇妙な物体に目を見開く。
一瞬、白濁した肉塊が動いているように見えた。だが違う。
「長い…」
闇の翼を広げ、空へと舞い上がったViena・S・Tola(
jb2720)が呟いた。
全長約八メートル。数は七。疎らに距離をあけ、ずるずると這い進む。
即座に呼び出された魔具が銀の漣のように煌めいた。それは醜悪な長い肉塊を遮る盾であり、切り裂く剣。
「ミミズ…? やっぱりミミズだ! ということはおなかの中に人質が?」
気づき、走り出すチルルの横を黒い風が駆け抜けた。
人型の風は黒百合(
ja0422)。生み出した禍々しい鎌を手に、その唇に笑みを閃かせて。
「さァ…狩りの時間よォ…♪」
鮮やかに、艶やかに。
天威を狩る戦いが始まった。
「投げ込まれた未確認情報を頼りに来てみれば。――ドンピシャって処だな」
飛ぶように地を駆けながら鬼切を手に小田切ルビィ(
ja0841)は呟いた。
地響きをたてて移動する巨大蚯蚓。出現地が街であれば、人目を避ける等不可能だろう。けれどこんな山深く。情報が投げ込まれなければ、把握できないままに終わっていた可能性もある。
「しかし、匿名での情報提供ってのも、気持ち悪い話だぜ」
野生の獣にも似た光を瞳に宿し、赤坂白秋(
ja7030)は青い双銃を手に立つ。
何故の匿名か。名乗れぬ理由でもあるのか。
「――はっ。いずれにしろ、俺がやることは変わらねえ」
構えた先、迫り来るのは醜い肉塊のようなサーバント。浮かぶ笑みは肉食獣のそれにも似た獣笑。
「返してもらうぜ。てめえが蓄え込んだ美女をな!」
放った烈火の如き弾丸が蚯蚓の頭部を弾き飛ばす勢いで砕いた。
「続きます!」
攻撃を集中させるべく、防御を崩された蚯蚓へと水刃の斧槍を構えた緋月(
jb6091)が走る。流れるようにして回り込み、力を溜める寸前、間近に見た敵の異様な姿に思わず目を見張った。
(な…!)
男も女も子供も老人も、膜のような半透明の内側にみっちりと詰められている。息はできるのか。体は。あんな風に物のように扱われて!
「悪趣味過ぎます…!!」
力強く踏み出される足。狙うのは頭部。囚われ人の無いそこへ、怒りを込めた一撃を叩きつける!
「熱くなりすぎるなよ、緋月」
激昂は判断力を鈍らせ、隙を生む。緋月の横、ルビィは一瞬で敵位置を再度確認する。
身に宿りたるは戦いに挑む戦士の心。万全を期して放たれるは思いの丈を込めた渾身の力。
「全員助け出す。――必ずな」
放たれた封砲が頭部を大きく抉りとった。角度に細心の注意を放った為、人を捉えている領域には僅かな余波も無い。
「はっはー! 思ったより脆 …っ!?」
その時、次を構えていた白秋の背を得体の知れない悪寒が走った。視線の先で蚯蚓が動く。わずか一瞬。瞬間移動かと思う勢いで迫る巨大な肉塊。
「させんよ」
静かな声と同時、割り込んだ影は紫の色。護法により出現した盾が衝撃もろとも肉塊を受け止める。
「この敵は私が惹きつけよう。――人々を頼む」
瞳に静かな決意を湛え、鳳 静矢(
ja3856)は蚯蚓の正面に立つ。
必ず一般人を全員生還・救出すると決意して。
「何でまた山なのよぉ!? 私が体力ないもやしっ子と知っての狼藉かこんにゃろー!」
帰り道はきっと登山かハイキング。そんな未来に嘆きつつフレイヤ(
ja0715)が走る。生み出すのは異界より呼び出したとも思える無数の手。
「いっけー!」
夥しい数の手が蚯蚓の頭部にすがりついた。絡み取られた頭を跳ね上げるも、蚯蚓はそれ以上先に動けない。
「お見事」
白輝の槍を具現化させ、鈴代 征治(
ja1305)は全力跳躍をもって高く飛び上がる。上空から見る光景。眼下の敵。
「人がいないのは頭部と尾……かな」
俯瞰し、その姿を目に焼きつけて一気に槍を頭部へと串刺した。地面を穿つほどに力を込め、足の下にある奇妙な弾力の敵に苦笑する。
「それ以外、刺突攻撃は厳禁だね」
異界の手に押さえつけられ、槍を突きたてられた姿で蚯蚓は大きく身悶えた。頭部を術で束縛されても、残りの部位は健在。前に進めずとも、その巨体は驚異だ。
「敵同士を固まらせずに…! 中の人を救出する時には、敵の動きに注意して!」
龍崎海(
ja0565)の声が響いた。
蚯蚓は巨大ではあるが、それは肥大化し膨張した自動走行する袋のようなもの。真正面から撃破する相手としては格下だ。にもまして皆が細心の注意を払っている理由は、その巨体に取り込まれた何十人もの一般人を救う為。
(四国で救出か。今度は犠牲者は出さないぞ)
脳裏を掠めるのは、かつて目の前で喪った命。助けられなかった人。
「絶対に、助けきる」
もう二度と悲しみを生み出させない為に。
(とうとう、ここまでやりに来たん…?)
広大な戦場を駆けながら、宇田川 千鶴(
ja1613)は目を細める。
人を攫う。その先にあるのは、人を家畜と見なし搾取する行為。
誰が?――この先には剣山がある。
何の為に?――ゲートを開くのではないかと、そう、懸念を抱いたところ。
けれどそれを裏切る布石。投げ込まれた匿名の情報。あの時に見た、泣きそうな目。
「なんなんよ…ほんま」
彼らに何が起こっているのか、未だ情報は得られないまま。ただ今は駆ける。目の前にある命を一人でも多く救うために。
「距離的に、今はあちら…ですね」
共に駆ける石田 神楽(
ja4485)が敵の一体を鋭く見やる。大きく体をうねらせる敵の頭部。
「動きを束縛するものを。――援護します」
「任せ!」
【黒終】を構え立つ神楽の前を千鶴が走った。静矢が惹きつけ、白秋達が攻撃を加える蚯蚓の尾へと影縫う一撃を放つ。
「流石」
神楽の口元にそれと分かる笑みが浮かんだ。援護をする間すらない。束縛され、前も塞がれ、身動きのとれなくなった蚯蚓に射線を合わせる。
「では、入り口を開けさせていただきますか」
残った部位で蓋をしようとする頭部を神楽の一撃が吹き飛ばす。
「あと少し!」
傷口がぐにぐにと動くのを月詠 神削(
ja5265)は見た。再生か。いや、残った部位で中の人間が出ないよう閉じこめようとしているのだ。
距離は余りにも人の側に近く、技を使えば傷つけるかもしれない。
神削は自身の集中を極限まで高める。精密に。精密に。
(一人も渡さない)
あの日からずっと胸にある痛みと面影。忘れない。その記憶が今の自分を作っている。
「全員…助け出す!」
中の人を僅かも傷つけぬよう放たれた一撃が、塞ごうとした表面を削ぎ落とした。
●
「サーバントはモチーフとなった生物の特性を有するケースが多い。…人命に係る状況下、理性的な行動を常に取るとは限らないミミズ型は厄介だな」
ジャイアントパンダもとい下妻笹緒(
ja0544)は、頭部を失った蚯蚓の体躯を押さえつけるようにして裂く。
蚯蚓は生きていた。
明らかに違うのは、倒れ弛緩した傷口から捕獲した人が零れ出始めていること。破壊した頭部に近い側が沈静化したこと。
「ふむ。これは、前と後ろで半分ずつ動きを司っている可能性が高い」
頭部を失ってなお動く尾付近に、笹緒は鋭い眼差しを送った。戦闘に巻き込まぬよう、零れ出た人々を仲間達が引き出し、敵のいない場所へと駆ける。
「いつだか戦った、お化けイソギンチャクを思い出すな」
尾に向かい銃を構える白秋の声に「まったくだ」という同意がかえった。
「でも、ま、軟体系、内部への衝撃を吸収するタイプ、ってのが推察されるかね」
振り返る先で閃く紺碧の鎖鞭。大罪の名を冠した魔の鎖。
「半透明か、中が分かりやすくてありがたいねぇ」
ククク、と喉の奥で嗤い、ライアー・ハングマン(
jb2704)は力を振るった。人のいない尾の部分を荒波のような一撃が削く。
その上空、飛来するのはヴィエナ。
「運搬…ですか…山中を行くのは…隠れる為…」
見据える下、半透明化した蚯蚓の体にはぎっしりと詰められた人間。仲間達によって救われようとしている人々。
「…『誰が』告げられたかは知りませんが…応えましょう…」
止めて欲しい。そう、言外に告げられているのならば。
生み出された白いカードに似たアウルが勢いよく落下する。蚯蚓の尾を削り落とすように舞うそこへ大炊御門 菫(
ja0436)は走り込んだ。
「参る」
短く。声と同時に下から跳ね上げた一撃が尾を切り裂く。
蚯蚓の巨体がうねった。軸足を僅かに動かすことで避け、菫は手を伸ばす。
「まだ動くか…」
「この…っ!大人しくしろ!」
その隣でライアーもまた菫とともに蚯蚓の巨体を押さえる。
「押さえ込みます!」
救出が進む側で、体液に濡れながら御堂・玲獅(
ja0388)もまた敵の体を押さえつけた。一般人の体は天魔の攻撃を受けとめきれない。たった一度の攻撃が何十人もの命を奪いかねないのだ。
(必ず…救います!)
ぶよぶよとした半透明の膜の下、眠る人々の中には幼い子供の姿もある。助けなくては。命の尊さを日々小さく稚いものに教えられいるから、尚更に。
「?…これは」
渾身の力で押さえ込んでいた菫はふと気付く。手の下の抵抗が一気に弱まったことに。
頭部と尾を失った蚯蚓の体が、弛緩するようにして長く伸びた。
「頭部と尾を破壊してください!」
通信機を通じ、ユウ(
jb5639)の声が全域に放たれた。
地響きをたて蚯蚓が動く。蠕動により直進するその巨体の前に、小さな白い影が走り込んだ。
「行かせない…ぜったいに止める、の」
自身の倍ほどもある長大な剣を構え、若菜 白兎(
ja2109)は震える足を踏ん張る。
巨体故の地響き。肉の津波のような敵の異様。その前にあって、白兎は子兎のように小さい。
「お、おおきい、の」
ぷるる。
「でも」
ぐ、と足を踏ん張った。
見えていた。その体に囚われた人の姿。
「絶対、助けるの…!」
蚯蚓が力を溜める。わずかに縮まる体。来る!
「〜〜ッ!」
瞬時に迫った巨体を白兎は剣を盾のように構え耐えた。凄まじい衝撃が小さな体に負荷を与える。骨が軋み筋肉が悲鳴をあげた。あまりの衝撃に息もできない。
「負けない…の!!」
力を白兎は受けきった。
戦場を人々は駆ける。その大半は止める者の居ない敵へ。だが最初はどれも対応者のいないものばかり。行動に移した順に手近の未対応の敵へと向かえば、遠くの敵への対応が遅れるのは自明の理。
その敵へと、ピンポイントで走り込む影があった。
「たくゥ…内部の人が面倒ねェ…まァ、動きを止めてしまえば関係無いでしょうけどォ…♪」
夜よりも深い闇が走る。
驚きを通り越し呆れるほどの速度で駆け走った黒百合が舞う。僅か一瞬。風の速度。ほんの僅かの距離を置いて閃いた影縛の術が、蚯蚓の頭部を横合いから吹き飛ばした。
「あらァ…?」
どしゃり…と落ちたのは束縛する予定だった頭。
「まァ…動きは止まったから、無問題よォ…♪」
禍々しい鎌を肩に黒百合は艶やかに笑った。
●
「やはり端に届く手が不足しがちになりますか」
陽光に銀縁眼鏡が一瞬反射する。地を滑るように走り前方の蚯蚓へと向かう黒井 明斗(
jb0525)の手に魔具が生み出された。十字状の穂先はさながら十字架のよう。
「逃がしませんよ。一般の方々を置いて行くなら、話は別ですがね」
肉袋のようなその巨体の前に回り込むと同時、無数の妖蝶を放った。
「……抵抗値はさほど高くないようですね」
アウルの妖蝶に襲われた蚯蚓がその動きを止める。ぐらりぐらりと揺れるのは、朦朧としているせいだろう。
「このまましばらく、大人しく…」
言いかけ、ハッとなって身を翻した。異臭のする液が先程まで明斗がいた空間を溶かす。
「消化液、ですか。とはいえ、そんな状況で放たれたものに、さほど驚異はありません」
蚯蚓は未だ朦朧としたまま。命中力も恐ろしく欠いている。
油断無くそれを見守り、明斗は通信機で連絡する。
「敵、口の部分より消化液と見られるものを吐きました。こちらの防御を弱める効果があるかもしれません。気を付けてください」
人々の初手から漏れやすいのは両端の敵ばかりではない。
自身の移動力を鑑み、全力移動にて駆ける天羽 伊都(
jb2199)の目が捉えたのは最後尾だろう敵だ。戦場が広いせいで、奥にまで手が届かない。
「ミミズ型、か。ウネウネしてて気持ち悪いんだよね〜」
身を包むのは漆黒に変じた鎧。その顔すらも獅子の兜に覆われ、孟走する様は一頭の黒獅子。
「生命力高そうだし頭切っても油断しない方が良さそう。頭と尾を切ったら倒せるみたいだけど」
油断すれば、中の人に被害が及ぶ。
瞬く間に近づく敵の巨体を睨み、伊都は脚に力を込める。
(あの大きさは驚異だね)
目視で判定するに、約全長八メートル。今はばらけているが、足止めをしている敵の横を新たな敵が通過した時、悲劇が発生しないとも限らない。
ならばどうするか。
決まっている。仲間が来るまで、あの敵を止め続けるのが、自分の役目。
蚯蚓の体が僅かに収縮する。力を溜めるような動作。走り込む伊都。無理な超移動で力は半減している。ならば――
前方で止まり、構えたそこへ蚯蚓が突っ込んできた。
ドォ…ンッ!
音が振動となって周囲に響いた。骨まで砕けよと叫ぶかのような衝撃。だが、寸前に準備を整えれた伊都はこれを完全に受け止める。
「耐久力には自信があるからね」
口元に浮かぶのは笑み。炯と瞳を輝かせ、伊都は力強く宣言した。
「これ以上先には、行かせないよ!」
堅固たる防御を持って突撃を阻む黒獅子が居れば、決意を胸に戦場を駆けぬく白獅子もいる。
誰一人とて
奪わせも
失わせもしないと。
駆け抜ける風。靡くリボン。白い手が握る。
獅子として
護るべきものがために
攻め抑え
爪牙を以って繋げるのみと。
白銀の髪が風に舞った。解かれたリボンを手に姫宮 うらら(
ja4932)は駆ける。前へ。前へ。その獲物に鋭い牙を叩きつける為に!
「姫宮うらら、獅子の如く参ります…!」
滑り込む先は、フレイヤの術で頭部を押さえ込まれた蚯蚓の尾。今にも暴れようと部位が高く振り上げられる。
銀の風が舞った。踏み込み、軸足に力を込め、その体が半円を描く。
ドンッ!
放たれた薙ぎ払いに、大暴れしようとしたその体が地に伏した。部位に動きを伝える伝達系統が、まるで意志を刈り取られるかのようにして寸断されたのだ。
「こうなると、いい的ですね」
その遙か上空、狙い澄ますのはアステリア・ヴェルトール(
jb3216)。空に広がる黒焔を翼とし、その照準に敵を捉える。
「……墜ちなさい」
空と地上を一弾の光が繋いだ。尾を打ち抜かれた蚯蚓がの頭部がもがく。
「あっ」
フレイヤが声をあげた。押しとどめる異界の手が振り切られる寸前――
「甘いんだよ」
空で光が反射した。直後に放たれた衝撃は過たず蚯蚓の頭部に炸裂する。
「空にはボク達がいる」
空にある二体目の翼ある者。輝ける光の翼を広げ、ソーニャ(
jb2649)は蚯蚓の動向をつぶさにチェックする。
「蚯蚓の重要な器官や感覚神経も頭部に集中してるんだよ」
学園をあまり出たことのないソーニャにとって、花壇とかで見かける蚯蚓は数少ない身近な生き物だった。その姿を図鑑で調べたこともある。
サーバントである以上、全く同じでは無いだろう。だが、敢えて作り手が変更したものでない限り、性質が似通うのも確か。
「消化液のこともあるし、狙うのなら頭部を先に、がいいかもしれないよ」
端。奥。手前。
七体の蚯蚓のうち、四体が四人によって足止めされ、攻撃を集中された先頭の一体が倒れた。
撃破した攻撃部隊が次へと向かうのは、海達が留め、今まさに攻撃を集中して加えている一体だ。
その横を
誰も止めていない一体が抜けた。
「!」
弾かれたように顔を上げ、海が叫ぶ。
「いけない…蚯蚓が!」
「任せて」
落ち着いた答えは前から。風のように駆け抜けた人影が一つ。
走るのは少女と見紛うような幼顔の少年――キイ・ローランド(
jb5908)。
けれど今、戦場にあってその表情には幼さは欠片もなく。
(なんとなく、そうなる気がしていてね)
優先順位を決めていた。皆が敵を止めた後、抜けた個体を止める、と。
彼の動きを支えたのは、全体の動きを俯瞰し距離や部隊の動きを連絡し続けていたユウ。空からの情報によって最小の動きで向かえば、完全なる抜け落ちなど発生するはずもなく。
「…相手の移動力が低かったのも、幸いだな」
低く、呟く声は大人びて、静か。走り込み、前に立つキイの手に円形の盾が具現した。
個で何でも出来るとは思わない。人の命がかかっている。
人員の配置も敵の位置も全て把握した。空にあるユウの瞳が皆の動きを支えている。
確保すべきは時間。ただの一体も逃がさないために。
進行方向上に立つキイに蚯蚓が突進する。受け止め、キイは冷ややかに告げた。
「そう簡単に抜かせはしない」
全ての蚯蚓の足止めが完了した。
●
「次に行く!」
二体目を撃破して後、人々の救出を遊撃隊に託し、神削は駆けた。その先では白兎が顔を赤くしてうんうん足を踏ん張っている。
「待たせた!」
声と同時、神削は力強く踏み込んだ。アウルを込めるのは足。目にも止まらぬ速さで繰り出された一撃に蚯蚓の体が大きくブレた。
白兎の顔が輝く。ぷるぷるしながらふんすと鼻から息を吐いた。
「こ、これしき、大丈夫だったの!」
「ええ。でも、今からは、一緒に」
玲獅が優しく微笑み、白兎が保持し続けた蚯蚓へとアウルで作り出した妖蝶を放った。蚯蚓の頭部が揺らぐ。術にかかった。続くライアーが前へと踏み出す。
切り裂く一撃の後、ライアーはさっと飛び退った。
上空から放たれた一撃が蚯蚓の頭部を撃つ。アステリアとユウ、そしてソーニャ。空に在る三者の同時に放たれた攻撃が合わさり、より鋭くその頭を穿った。
(このまま、一つずつ、次々撃破を…)
その瞬間、目の前の蚯蚓とキイが止めていた蚯蚓が大きく動いた。
静矢は息を呑み、走った。
「守れ!!」
地響きが轟く。蚯蚓の体がブレたかのように一気に跳ねる。
一瞬で土埃が周囲を圧した。振動と衝撃が近くにいた人々を吹き飛ばす。
「んきゅ!」
同時大暴れの衝撃に白兎は必死に足を踏ん張った。身を縛るような重い一撃。けれど踏みとどまり続ける。
「届かせ…ません!」
その身そのものを盾にして、玲獅もまた衝撃を自身で受け止める。わずかの余波も人々に届かせないように。
「くっ…これは…救出を急ぐべきか…!」
静矢は呻く。
巨体そのものが一つの凶器たる巨虫の体が盾ごと体を叩く。吹き飛ばされそうな衝撃を耐え抜くのは、ただただ後ろにいる、未だ脱出を続ける一般人を守る為。
戦場を抜けられることのないように、一匹一匹を対応者で足止めることも、一匹ずつ確実に手数で落とすことも、フォローに人数を多く割くことも決めていた。
ただ――戦場から人々を離脱させることを第一目標にした者は、あまりにも少なかった、
そして、移動力こそさほどでもないが、その巨体に反し、蚯蚓達の動きは素早い。
「蚯蚓を引き離せ。これでは離脱させるのも難しい!」
意識のない人々を抱え、避難させていた菫は戦場を振り返る。
「くっ数が多いな…しかし一般人が居るならば守らなくてはならない」
優先されるべきは人々の命。その安全。その視線が暴れる蚯蚓のすぐ傍らを捉えた。
一般人の姿。
盾となってくれる仲間の姿は――ない。
「ッ!」
息を飲んだ菫の視界を銀色が横切った。同時に空間が弾けたように、無秩序に踊っていた蚯蚓の巨体が一瞬ズレる。迅雷を利用し飛び込み、一瞬で退避したのは千鶴。その動きを助ける為、回避射撃を放ったのは神楽だ。千鶴の腕には、一般人を抱えられている。
「まだ先の救出が終わっとらん…! 蚯蚓の位置が其処やと拙い!」
距離はギリギリ。次がくれば恐ろしい事態になるだろう。
「やれねえな!てめえらに美女も美少女ももったいねえ!」
救い出した少女を腕に白秋の双銃がアウルの弾丸を放つ。
その横を、上空から落下の勢いで飛来し、地表すれすれを滑空したユウがすれ違った。
「キイさんの側は自身の左手側へ移動を! 若菜さんは右手側へ!」
縮地を使い、一気に危険地の人を抱えて離脱したユウが叫ぶ。いかに上空から監視しようと、敵が同時に動いては即座に対応できない。まして進行方向上の敵を避ける為に動いた二体が、互いに寄り合う形になるなど、どうして数秒前に察知できようか。
「惹きつけて移動させて。蚯蚓は常に剣山側へ向かおうとしてるから、動線に注意を!」
ぐったりと意識ない子供を抱え、征治もまた言葉を重ね、走った。その横を駆けるのは、意識の無い女性を抱えたフレイヤだ。
「間一髪!黄昏の魔女をなめんなコンチクショー!」
ええちょっとヒヤッとしただなんてそんなことありませんから!!
(戦場の広大さに救われたね)
一瞬ヒヤリとした心臓を落ち着かせ、征治は厳しい表情で周囲を見る。視線の端、銀の髪を靡かせ、子供を抱えて走っているのはうららだ。
もしこれがもっと狭い戦場だったなら、
人を運ぶことを第一に考え動く者がもっと少なかったなら、
今頃どれほどの被害が出ていたかわからない。
「だけど、このまだと…」
敵を倒し、人々を救出しようとすればするほど、安全に戦える場所が狭まることになる。惹きつけて移動をするにしても、全員が引き付ける技を持っているわけではない。
(その場合は…)
思案する征治の耳に威勢のいい声が飛び込んできた。
「英雄は遅れて登場って事よ!あたいに任せろー!」
トレードマークの雪の結晶がキラリと光った。勢いよく走り込んできたのは誰あろう、チルル!
「離すってことは、こうすれば解決!」
声と同時、武器を中心に両腕すら巻き込む巨大な氷塊を生成された。体を軸にした巨大なそれは、剣のよういも鈍器のようにも見える。圧倒的大質量の氷塊で、チルルは思い切り蚯蚓を殴り飛ばした!
「いっけーっ!」
吹っ飛ばされた蚯蚓に「なるほど」とアステリアは頷く。
「確かに、移動させれますね」
ある意味目からウロコな移動法だった。
●
「さァて…幕引きは速やかに、ねェ…♪」
惹きつけ役を交代し、黒百合は水を得た魚のように戦場を泳ぐ。留まらせる為に放った技で、すでに相当ボロボロな蚯蚓の尾を切り裂いた。
「一般人への対処さえ出来れば、たいした敵ではなかったな」
黒百合と背中合わせで立ち、万が一向かい側の敵がこちらに来た時用にと構えていた菫が身を翻す。無駄な動きの無い反転。電光のような一閃にて尾を穿つ。
その反対側。頭部を上空のソーニャが打ち抜きトドメを刺した。
「もう、前には行かせないんだよ。今、皆が助けてるからね」
距離を空けるための場所は十分に。一度危険を知れば二度を起こすことなく。
「来い! こっちだ」
静矢の挑発に引きずられるようにして、救出の始まった蚯蚓から距離を取らせる。長く伸びた相手の頭部に、海はその手を向けた。
「ここなら大丈夫だね。…暴れられると困るからね。大人しくしてもらうよ」
瞬時に現れた無数の鎖が相手に絡みついた。動きを束縛されたそこにライアーが走る。
「凍てついて、砕けろや!」
ライアーの身体中に蠍の刺青が浮かび上がった。
放たれたのは望むものの欲を誘い眠りにつかせるLust seduce。
「連れてかれちゃ困るンだよ。ついでにその首(?)も置いてきな! 」
凍てつかせ、砕かれる頭。
その残りに、静かな眼差しを向け、ヴィエナはスッと書を向ける。
「お眠りなさい…」
祝詞を以て強化された力が蚯蚓に襲いかかった。
「あと少し…とはいえ、最後まで気を抜くわけにはいきません」
合間に味方の負傷を癒していた明斗が十字槍を振るう。空気を割いて襲う槍先がヴィエナの一撃で破損した頭を切り落とした。
「ああ、やっとですね!」
ひたすら攻撃を受け止め続けていた伊都は、走ってきたキイに嬉しげに目を輝かせた。
「代わろう。『戦いたい』――そうなんだろう?」
「勿論!」
体内の気の流れを制御し、伊都は自らの傷を癒す。最後の自己回復。けれどもう技の残りを気にする必要は無い。
同時、その傷にそっと白い手が伸ばされた。
「御武運を」
微笑んだ玲獅の治癒が幾度と無く強打された体を内部から癒した。
皆が来るまでずっと耐え続けていた。これからは反撃の時。
「これで最後、ですね」
淡い緑光のアウルを纏い、緋月が閃滅を放つ。追撃を放つルビィの横で、黄金の屏風を現出させた笹緒が口元を笑ませる。
「結局、『誰が』『何を』しようとしているのか、謎のままだが」
だが今回の密告。冥魔と違い、上下関係に厳しい完全なる「組織」であるはずの天界としては、あり得ざる動き。
「……ふむ。実に興味深い」
指が指し示すのは前方。動作と共に凄まじい稲妻が放たれる。
その音無き雷光に鎧を僅かに反射させ、伊都は踏み込んだ。
敵を一体受け止め続けた鉄壁の防御。だがそれだけが取り柄というわけではない。
「さよならですね」
告げる声はごく自然に。何の気負いもなく。
されどその一閃は重く――早い。
ドンッ!
衝撃が大気を震わせた。さながら巨人の鉄槌の如き一撃。
「防御にはもちろん自信はありますが、攻撃が苦手ってわけでもないんですよ」
倒れ伏す地響きの音が、戦闘の終わりを告げていた。
○
岩藏の近くで陶器の割れる音が響いた。
肩を震わし、怒りに顔をひきつらせ、天使リゼラは怨嗟の声で吐き捨てる。
「あの害虫ども!!」
戦慄き、他を見る余裕も無い相手をエッカルトは静かな目で見る。
一度地面に視線を落とし、ややあって空を見上げ、眼差しを細めた。
空一面の雪雲。
空の青は未だ遠い。
けれど視線の先、
鈍色の雲の隙間から、光が差し込んでいるのが見えた。
●
剣山の西。
戦いの終わった谷では今も救助活動が続けられている。
「――さて。人々を助けないといけないな!すべからく!」
何故か大変な笑顔で宣言する白秋。人一倍蚯蚓の中から人々を引っ張り出すのに張り切っているのだが、彼の視線が体液で濡れ透けな美女や美少女に釘付けなのは仕方がない。ええこれは被害者の健康管理の為ですエエホントウニマジでマジで!
「前に戦ったデビルキャリアーに比べれば弱いかったな」
ライアーの声に、幼子を助け出したチルルが言う。
「最近、人攫いな連中も色々出てきたよね!」
種類の違いが作り手の違いだとすれば、それは畢竟、人界に手を伸ばす天満の数が増えたことを現す。
「『誰が作ったか』は不明ですが、完全な戦闘用、というより、運搬用のようでしたね」
「主だろう天使の姿も見えませんでした」
周囲の探索も終え、敵影が無いのを確認したアステリアとユウが地上に舞い降りる。
「ですが…防がれたことを…相手は必ず知るでしょう…」
静かな声と眼差しでヴィエナは告げる。深い叡智を湛えた瞳で見据える先は――剣山。
同じ山を見つめ、緋月は思慮深く呟く。
「こんな事をしそうなのは…あの女天使さんな気がしますけど…」
人に対して向けられた大き過ぎる程の嫉妬と嫌悪と悪意。それらを持って玩具の様に扱う者を他に知らない。
「剣山にゲートを開く下準備か? …まぁ何れにせよ。連中も一枚岩じゃ無いってこった」
緋月の声に、ルビィが軽く鼻を鳴らた。
「そうですね。…でも、下準備にしても、どうして人の少ない山奥に…?」
緋月の声は戸惑いに揺れている。だが、それに答えを返せれる者はいない。
「…ふむ。あの天使、いい加減、しっぺ返しという単語を覚えて欲しいものですね」
同じ相手に思い至り、神楽は笑みを浮かべた。
その傍ら、救い出した人々を搬送しながら静矢が呟く。
「少なくとも、蚯蚓が向かおうとしていた先に天使陣営の拠点がある、もしくは、出来る可能性が非常に大きい、ということだろうな」
「そして…誰かがそれを止めようとしてる…」
言葉を締めくくり、ヴィエナはそっと息を零した。
「忙しく…なりそうですね…」
風は谷から山へ。
遥か彼方、雪の舞う剣山の頂上を見上げ、千鶴は目を細めた。その後ろからフレイヤが歩み寄る。
「なんかねー…エッカルト君思い出しちゃったのよね」
会えたら伝えたいことがあった。今にも泣きそうな目をしていた天使に。
どんなお伽話でもハッピーエンドになるのだと。その為に魔女は在るのだと。
だから、信じてなさい、と。――皆笑顔にしてみせるから。
フレイヤの声に眼差しを一度落とし、千鶴はもう一度空を見上げた。
拒絶と諦念。渇望と狂おしいほどの直向きさ。
胸中をざわめかせる苛立ちは、そこに自らの思いの欠片を重ねてしまうからか。
呟きが溢れる。誰も知らないままに。
「ほんま…なんなんよ、な…」
静矢からの連絡を受け、救助用のヘリが到着するまでの間に、海と神削は助け出した一人一人の様子を可能な限り調べた。
意識を失ってはいるものの、怪我をした者はいない。
おそらく最初の逃亡中か何かの擦り傷だろうものが少し程度。
(守れた)
コトリと胸に落ちるのは、そんな一言。
何よりも大切な、その結果。
「脈も正常ですし…衰弱してらっしゃる方も、おられませんね」
擦り傷に治癒を施しながら、玲獅もまたホッとしたような表情になった。
今、何が起ころうとしているのか…憶測は立てれども、誰もそれを確証をもって言うことは出来ない。
サーバントを放ったのは誰で、それを阻もうとしたのが誰なのかも。
ただ、ここにある結果だけは確か。
人の世の裏側に隠れ、密かに進められようとしていた害悪を――彼等彼女等は阻止しきったのだ。