泣いているのは――『誰』?
●
(何で山に天魔が出んのよバカちん!)
剣山。登山リフト前で、フレイヤ(
ja0715)は涙目になっていた。
「筋肉痛になったら訴えてやるわ絶対…」
その前、リフトを使い山頂から降りて来る人の姿。対応に走ったのはチョコーレ・イトゥ(
jb2736)と東城 夜刀彦(
ja6047)だ。
「みなさん、落ち着いて。私達は久遠ヶ原学園から来た撃退士です。もう大丈夫です」
コートを着てフードを目深にかぶり、チョコーレは拡声器で人々に呼びかける。天魔遭遇に怯える人々への細やかな配慮だ。転がるようにして降りてきた人々が安堵の表情でその場に崩れた。
(学習した人間の敬語が役に立った…か?)
チョコーレの視界の先では夜刀彦が人々を誘導している。
(また四国…一体何が)
それらを確認しながら、無線機を手に宇田川 千鶴(
ja1613)は思案気に眉を顰めた。
(それにあの羽根…)
思案に沈む千鶴の隣、阻霊符を発動させながら櫟 諏訪(
ja1215)頂上を見据える。
「さて、登山中の人もいるようですし、素早く救助しないとですねー?」
「追う形だから、早めにいきたいね」
現在登山中の人達が辿るルートは聞き終えた。その情報を元に、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)も頂上を見据え、走る。
チョコーレと夜刀彦が一同を見送る。二人の役割は一般人の保護。山上へ向かう仲間が安心して動けるように。
ふとチョコーレが駆け走る少女に首を傾げた。
「フレイヤ殿?」
「私レベルの魔女になると文明の利器を利用せずにはいられないのだわ!」
ええ普通に登山してたら私の足の遅さ的に皆に置いてかれそうだからとか思っちゃったんです!
その背を見送りつつ、夜刀彦は拡声器で見ノ越に到着する人々を安心させるよう声を放つ。
視線の先、遥か彼方の頂を注意深く見つめながら。
●
リフト下の傾斜を一気に駆け走った一同は、驚くべき速さで西島駅に到着した。
「道はこっちだね」
素早く地形を確認したソフィアが先陣を切る。
「! いた!」
「あんまり進んでないね」
数秒とたたずして見えた人影に二人は頷き合う。諏訪が拡声器を取り出した。
「先ほど何か獣が出たとの情報が入りましたー!慌てず落ち着いて速やかに下山してくださいなー!」
先に天魔と告げないのはパニックを起こさせない為だ。果たしてすぐに降り始めた五つの人影に、三人は駆け寄る。
「リフトですぐに下山を。ここはあたし達が守りますから」
ソフィアの声に軽く首を傾げ、同行者の制服に気づいて五人は頷く。彼等がリフトへ走るのを護りながら、諏訪はあほ毛レーダーに意識を集中させた。
「見つかったのは大きな獣でしたよねー?」
「そのはずや。今、下からも連絡があった」
見ノ越で避難者を纏めている二人は、保護の傍ら情報収集をしている。彼らが得た情報は即座に西島側に伝えられていた。
「人が乗ってた気がする、って話もあるみたいだね」
「『人』」
ソフィアが受けた情報に千鶴は呟く。
「使徒か、天使、か」
「確率は高いね。男の子っぽい感じらしい。あと、金髪」
「そ、か」
その時、レーダーで索敵していた諏訪が呟いた。
「もしかすると、事態は自分達が考えるより複雑で大掛かりかも知れませんねー?」
「え?」
振り返り、振り仰ぎ、二人は諏訪の言わんとする事を察する。
五十を越す鼠の群れが、こちらを目指し走っていた。
●
「チョコーレ先輩。十分後に護送部隊が来てくれるそうです」
報告に頷き、チョコーレはリフトで転びかけた男を受け止める。
「大丈夫か」
「て、てっ、天魔がっ。上っ、うえにっ」
「ああ、今…」
「あっあんなデカイの!無理だ!天魔が出たらもう御終いだ…!」
「えぇい、落ち着け!もしココへ天魔が来ようとも、俺様がすべて蹴散らしてやる!」
パニックが周囲に伝播するより早く、チョコーレはコートを脱ぎ捨て力強く告げる。
「俺は悪魔だが人間の味方だ。安心しろ」
縋り付いた相手が悪魔と知り、男はポカンと口を開けた。その目の前に久遠ヶ原の学生証が掲示される。
「ほら、学生証だ」
「あ、あぁ」
頷き、力の抜けた男を夜刀彦が支え連れて行く。
「出現した天魔のことで、なにか聞いていないか? 獣と人、他になにか見た者は?」
声に避難者一同は顔を見合わせた。
「そういや、頭の中に声が聞こえた」
「せや!『去れ』って」
人々の言葉にチョコーレは頷く。そんな中、最後に到着した男が夜刀彦に支えられながら歩いてきた。
「先輩。この人が獣に直接接触したらしくて…」
「どういうことだ?」
聞けば、誤って崖から落ちたところ、現れた巨大な獣に救われたのだという。その際、天魔と思しき少年とも顔を合わせたと。
「人を脅かしながら、人を救う、だと?」
告げられた言葉はいずれも『退去』。
去れ。
この山にはもう入るな。
思案顔を向け合う二人が振り仰ぐ先――山は、早くも冬枯れの気配を濃くしていた。
●
「大群ですねー?」
駅よりも前、広場に凄まじい土煙が巻き起こった。諏訪が周囲一帯にバレットストームを放ったのだ。
「堕ちや!」
別の群れへ千鶴が影手裏剣・烈を放つ。穿たれ、地に伏す鼠達の向こう、反対側から別の鼠が走った。
「そっちには行かせないよ」
ソフィアの放ったライトニングが鼠を一撃で消し炭にする。だがその背後から別の集団が走った。
「駅に!」
突破されたか、と思われた瞬間、建物側から放たれた火球が一瞬にして鼠の一群を吹き飛ばした。
「真打は遅れて登場!」
ドヤァッと笑顔を閃かせて現れたのはフレイヤ。ええ到着までリフトの上で(あれこの状況よく考えたら私ぼっち…)とか震えてたのは秘密です!
私今皆の役に立ってるし!大丈夫落ち着くのよよしこ!
「登山の人達は?」
「大丈夫。わりかし皆しっかりしてたわ。ちゃんと声もかけてきたし!」
フレイヤの声にソフィアは頷く。
「数が酷いのを除けば、案外雑魚だね。一気に蹴散らそか」
次々に降りてくる鼠の群れ。西島駅を背に、四人は互いを補助し合う態勢で身構えた。
動く敵がいなくなったのを確認してから、ソフィアは小さく息をついた。
「報告のと違うね」
「イケメンもいないわね」
フレイヤの声に、見ノ越に連絡を入れていた千鶴が振り返る。
「上に居るかもな」
「調査して行きましょうかー」
諏訪の声に一同は頷いた。
撃退士の身体能力を持ってすれば神社まではものの数分。駆け出し、樹間を抜け、背丈の高い木が途切れてしばし、見えたものにソフィアは声をあげた。
「あれ!」
全員がそちらを向いた。
小山のような巨大な岩藏。手間の建物。その前に丸くなっている巨大な獣。そして――
「来たか」
大剣を手に、天使が一同を見下ろした。
●
(イケメン予備軍!)
カッとフレイヤの目が輝く。美少年枠つまりイケメン予備軍。これマジ重要、私のテンション的にな!
「ここで何しようとしてん」
「こんな山中にゲートを設置はしないだろうけど、何か重要なものでもあるのかな?」
千鶴の声とソフィアの探りに、天使はただ表情の無い顔を向ける。
「去れ」
「会ってすぐ去れって言われてほいほい去る訳にいかないのよ。イケメン予備軍さん、とりあえずお名前はー?」
「イ…、いいから去れ」
フレイヤの言葉に一瞬絶句し、天使は言葉を強くする。フレイヤが眉を跳ね上げた。
「ばーかばーか!お前のかーちゃんでーべそーっ」
「ば…、うるさいぞ馬鹿!生まれてすぐ死んだ母親の臍なぞ知るか!」
「馬鹿って言う人が馬鹿ちんよ!」
「お前が先に言ったろ!?」
なにか不思議な言い合いが発生。
切っ先をこちらに向けておらずとも、天使の手には大剣。素早く目配せし、千鶴は力を溜め軽く腰を落とす。
「人を追い出したい何かがあるの?」
ソフィアの声に、天使は渋い顔。
告げられる言葉は――「去れ」
天使が人を遠ざける。
ならば――
「前といい、今といい、山抑える理由がもしゲートなら、捨ておけん」
千鶴の声に、天使が獣の上に立つ。
「ルスさんが……とは、考え難い」
出てきた名前に天使がはっきりと表情を変えた。千鶴はそれを油断なく見つめる。
「誰が作るん。…レヴィさん?」
金の羽根を見た時から、ずっと気になっていた。
ゲートなら絶対に止めなければならない。
哀しい存在を増やさん為に。――彼らに、後悔させん為に。
千鶴の【白始】に力が込もる。
今、自身を危険に晒すことになっても。
この先の未来で、悲しい存在を生み出さない為に。
「答えてもらう…!」
鎮座する獣に、稲妻に似た力が放たれた。
「技の確認を」
「承知ですよー!」
戦端が開かれると同時、ソフィアと諏訪は対応を切り替える。万が一の回避射撃を念頭におき、諏訪は別方向から探りを入れた。
「わざわざ一般人を怪我させず追い払うまでして、あなたは悪い人には見えないのですよー?」
「奴らが、望まないからだ!」
「避けて!」
地上に降りた天使の剣に光が点る。ソフィアの警告と同時、千鶴とフレイヤはその場から退いた。巨大な剣で薙ぎ払ったかのように、周辺の木々が吹き飛ぶ。
「危なかったのですよー?」
フレイヤを回避射撃で支援し、諏訪は再度声をかける。
「この前、南の方で天使と交戦したのですけどこの辺りで何をしようとしているのでしょうかー…?」
「南?」
フレイヤの異界の呼び手を回避しつつ、天使が不可解そうな顔をする。
「最近、別の山で天使が出た。現場に金色の羽根があった。私はその羽根に覚えがある」
「!?」
はっきりと表情を変えた相手に、千鶴は言葉を重ねる。
「ルスさんが、関係してるん?」
「馬鹿な…!」
言ってから、天使は何かに気づいたように口を噤み、次いで身を翻した。
「避けるか。戦慣れしてるな」
「チョコーレさん!」
上空から急降下で不意打ちしたチョコーレは一同に告げる。
「避難者は全員確保した」
護送部隊に託し、夜刀彦と二人走った。先にたどり着いたのは空を飛べるからだ。
「俺の挨拶は気に入ってもらえたか?」
チョコーレに嫌そうな顔をした直後、天使はギョッとした顔で盾を具現化させる。
ゴウンッ!
凄まじい火球が弾けた。その威力はまさに小さな太陽。
「防御技も持ってるんだね」
天使が唖然とした顔でソフィアを見る。
「これが人間の力、だと?」
その次の瞬間、背後の獣の姿が消えた。
「きゃ!」
半円を描くようにして、一陣の風となった獣がソフィアと諏訪を突進で吹き飛ばす。間一髪でフレイヤを庇った千鶴のジャケットが衝撃で爆ぜた。
「待て。俺だって本気でアンタと殺り合う気はない。ちょっとききたい事がある」
地面に倒れた二人を背に庇い、チョコーレは立つ。
「こんな場所に観光ってわけじゃないだろ。なにしてる?ゲートか?」
「答えると思っているのか!」
「だって迷子みたいな顔してる気がするもの」
獣をスキルで束縛したフレイヤが声を放つ。
「何かあるなら、言ってくれないと分からないですよー?」
先の衝撃でうまく動かない体で諏訪が言葉を重ねた。一瞬、天使が痛みを堪えるような顔をしたのを千鶴は見た。
「あの二人に何かあったん?」
「聞いてどうする」
声のトーンが変わった。
「知ってどうする」
瞳にあるのは深い絶望。
「何かあるのなら…助けたいと思うのは、おかしな事ですか?」
後ろから声が聞こえた。振り返った天使の一撃を夜刀彦は避ける。
「助けるだと?」
天使は吐き捨てた。
「所詮他人事なお前達の言葉に、どんな重さがある。命を賭けるわけでもあるまいに!」
悲鳴のようだと、フレイヤと夜刀彦は思った。
剣に光が点る。
繰り出された剣の切っ先を夜刀彦は避けず、
受けた。
「な…」
世界が一瞬、止まった気がした。
●
「なん…で」
「言って」
剣に血が伝わるのを感じた。
命は目の前に。踏み込めば、殺せるほどに。
「貴方は、何をしたいの」
「お前」
「何を願うの。何を…助けて欲しいの」
「東城さん!」
千鶴の悲鳴が聞こえた。
夜刀彦は目の前の天使を必死に見つめる。届けたいものがあるから。
「貴方が…命懸けで、誰かを…助けたいの、なら、俺だって、命を賭ける」
「馬鹿な…」
「だって、貴方は…人の命を…助けてくれた」
崖から落ちた人。
貴方が助けてくれたから生きている人がいる。
「理由、なんて…それで、充分」
天使は動けない。こんなことは想定していなかった。誰かが命懸けで、本当に、命を捨てるほどの覚悟を見せるなど――!
「独りで…抱え、込まない、で」
頬に触れる掌。力の無い生気の乏しい手。
「そんな…迷子、みたいな…目、しないで…」
「ッ!」
手が落ちた。
体が傾いだ。
「ネメシス!アレス!」
咄嗟に叫んだ天使の声に応え白獣が吼える。
「あかん!」
呪縛が解けたように走った千鶴の前、夜刀彦の体を凄まじい勢いで走ってきた黒白の獣が咥えて走る。
「引け!今は!」
天使は叫ぶ。一瞬振り返った千鶴と目が合った。
(なんで)
負傷させた側が泣きそうな目をするのか。
「今は、ということは、まだこれからがあるということですかねー?」
壁走りで駆け下りる千鶴の後ろ、退路をとりながら諏訪は振り返る。
「あなたの事情は分かりませんが、何もせず、終わってしまったらそれは一番後悔する結果になると思うのですよー…? 」
声に天使は唇を噛む。先程まであった拒絶の色は、今は薄い。
「事情があるのなら、言葉にして告げることだ」
翼を広げ、チョコーレは告げる。地上を行かねばならない人の背後を守りながら。
「誰も他者の胸の内なぞ察せれん。その為に言葉はある。人の子に心を動かされたのなら尚更に、な」
例え悪魔であろうとも、人の側に立っているチョコーレ。
ならば、天使は。
天の属たる彼は。
去り際、フレイヤは振り返る。
「イケメン予備軍さん。知ってる? 星ってね、光る太陽の仲間なんだよ」
その言葉に天使は顔を歪める。
答えは無い。動きも無い。
ただ、仲間を追って走ったフレイヤの脳裏に、小さな声が聞こえた。
●
「全く。あんな無茶して!」
病室。千鶴に怒られた夜刀彦は小さくなる。
「ご、ごめんなさい。天使さん、思いつめて何かから目を必死に逸してる気がしたから」
目を逸らし耳を塞ぎ考えることを止めても何も変わらない。けれど、言葉だけでは届かない相手の悲嘆を止めるには、その全てを命懸けで受け止める覚悟が必要で。
「エッカルト、ですかー」
フレイヤから話を聞き、諏訪は唸る。
「事情があるのは間違いないわね」
「笑顔が遠そうな声だったのだわ」
ソフィアとフレイヤの声にチョコーレは嘆息をつく。
「だが、心は動いたようだな」
天使側にも何か複雑な事情が発生している。だが、突破口が無い訳では無さそうだ。
「四国…か」
チョコーレは呟く。
この時の彼らは知らない。
彼らが手にしたものが、誰にとっても想定外のものだったことを。
それは未来を切り開く、最初で最後の――運命の鍵だった。