「ひ…ひィ…!」
真横を掠め飛ぶ白い鳥に老婆は悲鳴をあげた。軋み音と共に杉の大木が倒れる。
「あははは! 逃げなさいよもっと早く! 無様に這いつくばってさぁ!」
追いかけてくる声は明るく残虐で、若い。命の価値は軽く、人の尊厳はさらに軽く、路傍の石程にも思っていない者特有の声。
「! あちらに!」
音を轟かせ倒れる木を遠目に、駐車場に転移したファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は身を翻した。無線機を手にリョウ(
ja0563)もまた駆ける。
「第三の滝から巡る!」
「オッケーよ!」
同班の御堂 龍太(
jb0849)も後に続いた。
ナンバリングした滝は全部で八つ。五人の一般人保護を考えると、手分けして探す以外に方法は無い。
「我々は頂上まで最短距離を最速だ、よいな!」
「是非もない」
呼び出されたヒリュウに飛び乗りながら、雪風 時雨(
jb1445)が声をあげる。応え、自らの能力低下も辞さず足に全ての力を託すインレ(
jb3056)の横、鈴森 なずな(
ja0367)は無言で帽子を深めに被り直した。
(おかしな動きの鳥がいるね)
木が倒壊する一瞬見えた白い鳥の群れ。
(サーバント。なら)
「あの鳥の視線の先、一般人がいる可能性あるね」
「確かに」
志堂 龍実(
ja9408)はなずなの予測に頷き、呟く。
「皆…無事だと良いんだが…」
「移動ルートは限られてる。車で来たんなら、駐車場に向かう可能性は高いぜ」
手早く無線機を借り受け、小田切ルビィ(
ja0841)は告げた。
「だね。僕らは、駐車場から遊歩道沿いに順に滝を目指そう。逃げるには車が必要だと考えるだろうし」
ジェンティアン・砂原(
jb7192)は響く轟音に思案気な顔になる。
「天使の仕業なら血の気多そうだねぇ。残ってる人達が心配だ、急ごうか」
「うん!!――無茶しないでね、みんなで帰ろうね!!」
力強く頷き、別行動の櫟 諏訪(
ja1215)と真野 縁(
ja3294)に向け、藤咲千尋(
ja8564)はエールを送る。頷く二人に手を振り、龍実達と共に駆けた。
「だりぃな…助けろってなら助けてやるよ…」
嘆息一つ。恒河沙 那由汰(
jb6459)は死んだ魚のような目で呟き、ふらりと走り出す。その背後、空に狼煙のような発炎筒の煙が上がった。
「これで救助が来たこと、連絡できたらええんやが」
「うに。心配しすぎはよくないんだよ!絶対、皆を連れて帰る、なんだよ!」
宇田川 千鶴(
ja1613)の隣、縁が駆けながら拳を握って勇気づけた。
「ずいぶん短慮な輩のようですの。探さなくても、あの物音と羽音が居場所を教えてくれそうですの」
紅 鬼姫(
ja0444)は呟く。その声に頷き、駆けながら緋月(
jb6091)は悲しげに目を細めた。
「ここは人の場所なのに」
何故、この地に生きる人々を蔑ろにするのだろう。同じ天使として生まれながら、彼らの考え方は分からない。
「考えても埒があかないぜ。人間にだって言葉の通じない奴はいる。種族によらず、ってやつだ」
ルビィに肩を叩かれ、緋月は一度だけ俯くようにして頷いた。
「そうですね」
「…喋ってる間は無さそうだぜ」
その前方を走っていた那由汰がぼそりと呟いた。
風を切る音が聞こえる。早く、鋭く、複数。
「来る」
那由汰の声と同時、前方の木々が吹き飛んだ。
「走り抜けて!」
木々の残骸が勢いよく吹き飛んでくる。その真っ只中へ神月 熾弦(
ja0358)は身を乗り出した。
声に押し出されるように鬼姫達は突っ切る。視界に飛び込んでくる鳥。サーバントと分かっていても振り向かない。
「いきます!」
一瞬で具現化された綺羅星が鳥に襲いかかる。
「四羽旋回! 後ろから来るぞ!」
「邪魔はさせませんっ」
警告と同時、ルナジョーカー(
jb2309)と鑑夜 翠月(
jb0681)が間一髪で避けた鳥にファイアワークスを放った。咲き乱れる炎の華が小柄な鳥の体を吹き飛ばす。
「鳥型とはねぇ」
皮肉げな笑を口元に湛え、ゆらりと景色に溶け込むようにして雨宮 歩(
ja3810)は立つ。ひどく自然な動きな中、触れた肩口に何かを思うように金色の瞳に剣呑な色を一瞬だけにじませ、
「あぁ…ずいぶんと囀りそうだ」
血色の刃を生み出した。
―罪深き血(ペインブラッド)―
具現化した血刃が周囲に展開する。禍々しい色は自身の心理か。空を切って突き進む刃が左方向から飛来した別の群れを引き裂いた。
「ありが…っ!?」
駆け抜けざま礼を告げようとした翠月の目に向かい、片翼をもがれた鳥が飛び込んできた。避けられるタイミングではない!
だがその寸前に翠月を黒い鱗粉に似た粒子が覆う。鳥の軌道が逸れた。それを確かめ、石田 神楽(
ja4485)はふっと小さく息をつく。
「間に合いましたね」
お辞儀する翠月に軽く手を振って答え、神楽は視線を斜めに上げる。
空気が変わった。
光が陰った。
世界が変化したわけではない。だがその場の全員に変化を感じ取らせる力――
「想定より随分と早いですが、御大の登場、というところですか」
その場の全員が身構えた。
「不必要で大仰な破壊行動…理不尽な暴力」
空に在る者に向かい、皇 夜空(
ja7624)は立つ。
―EXAM system standby―
纏う光は天上の青。生み出される力は断罪の刃―DiSword-Hidrangea。
命を理解しない者への、理不尽な暴力への、裁きを司る力。
「貴様のようなものを俺は天使とは認めない」
頭上に天使リゼラを見据えて。
○
命はその人だけのもの
誰か好きにして良い訳ない (白き撃退士より)
●
「ああ、お前達が撃退士とかいう輩」
傲然と。高みから見下ろす女の顔には軽侮の色。諏訪は素早く術を編む。
(嫌な予感がしますよー?)
「初めまして。僕は鑑夜翠月と言います。お名前を聞いてもいいですか?」
足止めも兼ね、礼節を守って翠月が声をかける。
答えは無い。
「どうしてここに居られるのです?」
何らかの手がかりを求めて告げた言葉に、リゼラは口の端を釣り上げるようにして嘲笑った。
「人間如きと話すことなんて、無いわ」
刹那、リゼラの周囲で白い羽が舞った。
羽撃きはまるで大気を叩くシンバルのよう。一斉に襲いかかってきた鳥は九十羽近い。しかも半数以上が向かうのは――救助側。
「愚図な老婆ももう邪魔ねぇ! 仲良く血反吐吐くといいわ!」
「貴女は…!」
「させないのですよー!」
アステリア・ヴェルトール(
jb3216)と諏訪が技を解き放った。
―魔剱練成『魔弾の射手』(デア・フライシュッツェ)―
展開するは三十二の魔法陣。形成した<魔剱>が弾丸となって鳥の上に降り注ぐ。
「ちっ!」
強撃された鳥が堕ちるのにリゼラが舌打ちする。さらに広範囲に暴風の如き弾丸が浴びせられた。
「少しは削れましたかねー?」
諏訪のバレットストームだ。穏やか声とは裏腹に、その一撃はよけ損なった鳥をごっそりと削り取っている。
「小虫風情が!」
リゼラの手に握られた宝錫が鈍い音をたてた。その耳に声が聞こえる。
「救いようの無い…否、救う義理も無い、か…」
振り返える視線の先にリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)の姿。紅蓮の魔具がその体内に取り込まれる。口腔に閃く白光に似た焔は発露の前触れか。
―驚天動地屠ル也(キョウテンドウチホフルナリ)―
凄まじい轟音が天地を叩いた。空を裂くのは一条の雷光。咄嗟に錫杖を構えリゼラは雷光を防ぐ。だが展開する護陣の結界越しに二の腕に傷が走った。ダメージを殺しきれない!
「この下郎!」
リゼラの周囲で魔法陣が展開した。
「爆ぜ散じよ!」
空が赤光に輝く。遅れて響く轟音の下、爆風とともに煙が地上にまで吹きつけた。
「一人相手に範囲攻撃かよ!?」
銃を構えたままアステリアが赤光に灼かれた目を細め、ジョーカーがなぎ倒された木々から身を躱し、倒壊する木を避けた神楽が眉を潜めた。
「なんて非常識な…」
眩しすぎて然とは見えなかったが、空の輝きはおよそ半径八メートル。明らかに対個人技では無い。
「あれを!」
「いけません! 追撃を防いでください!」
煙の層を突っ切り、意識を刈り取られたリンドが落下する。ファティナと熾弦が落下地点へと駆けた。
「死になさい!」
落ちるリンドを追ってリゼラが空を駆けて来る。
間に合わない。
だが、その左右に影が踊った。
「殺るぞ」
『OK…神父…仕事だね!』
片側から軽い声。ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)の身体から陽炎のように滲むのは赤黒い闘気。
『…可愛いけど、残念だね……ちょっと、やりすぎさ…☆』
―【SD】SweetDreams(スイートドリームス)―
先に発現させたそれが死を纏う力となってリゼラの体を薙ぎ払う。
「なめるな!」
空間が軋み音をたてた。防御された傍らでもう片方が冷徹に呟く。
「化物が」
声は低く、短く。
ジェラルドが飛び退るようにして距離をとった。夜空の右眼が紅光に染まる。氷結するかのように花緑青色の鉱石結晶が魔具と手を覆う。鎧に突き立てられた刃。耳を穿つような金属音。硬い。だが真の刃は魔具では無く――
「切り裂け!」
―『同化』ロンギヌスの聖槍(ユナイトライズ・ランス・オブ・ロンギヌス)―
砕ける結晶とともに魔具が波打つように輝いた。ドンッ! という音は衝撃がその体を強く叩いた音。
『amen☆あ、ボクも神父にむいてるかも♪』
「残念だが化物はやはり化物のようだ」
地上に降りた夜空は軽いステップで飛び退く。勢いのまま、けれど体制を崩さず地面に着地したリゼラが口から小さな血の塊を吐き捨てた。
『タフだね♪』
へらっと笑いつつジェラルドも距離をとる。その横顔が赤く照らされた。リンドを近くから離脱させたファティナのファイヤーブレイクだ。
「吹き飛びなさい!」
巨大な火球が爆散した。深手のリンドを狙い襲った十羽の鳥が巻き込まれる。
「ファティナさん!」
炎上しながらもなお飛ぶ鳥の群れに翠月が最後のファイアワークスを放つ。だが全てを打ち落とすには至らない。
「負傷者を狙いますか」
「嫌なやり方を!」
炎の華から逃れた二羽を神楽とアステリアの弾丸が打ち抜いた。
「何が目的です…年月を閲し形成された自然すらも壊し、暴虐を尽くす。その行為になんの意味があるというのです!」
白銀の悪魔に金髪の天使はフンと鼻を鳴らす。宝錫に金の炎のような光。四方に輝く魔法陣。
「意味!? 気晴らしに決まってんでしょーが!」
「な!?」
嘲りの言葉より何より、あまりにも考えの足りない言葉にアステリアは愕然となった。
気晴らし。
長い年月をかけてやっと大樹となった木々をなぎ倒し、奪えば二度と同じものは還らない世界を壊す理由が――
「気晴らしで――貴女は!」
怒りがわいた。その怒りは彼女一人だけでなく。
「天使としては今まで見てきた中では誇りも感じられない最低の部類」
リンドを癒す熾弦の傍ら、ファティナは怒りの眼差しでリゼラを射抜く。
「カッカするとかえって敵の思うツボだよぉ」
全てを薄い笑みに溶かし、歩は軽く身構えた。
「銃声と銃弾、語るにはそれで十分です」
怒りに指向性を与え、神楽もまたリゼラを狙いすます。
「さて、それじゃボクらと一緒に踊ってくれるかなぁ、天使さん?」
歩の姿が掻き消えた。神速の刃が向かうのは天使の喉元。
リゼラが編み上げた魔法を解き放つ。
「人間風情がほざくな!」
金炎の爆発が周囲を真昼の如く照らした。
○
失う怖さを知っている。
命とはかけがえのないただ一つのもの。
だから許さない。――不当に奪おうとする者を。 (黒白の撃退士より)
●
山中を一行はひたすら駆けた。
「うにー! 追いかけてくるんだよ!」
「羽音がうるさいですの」
救助に向かう人々を鳥の群れが追う。
「人がいるぞ!」
ルビィの声に千鶴と鬼姫が走った。道から外れた斜面に蹲る人の姿。即座に鳥の群れに向き直るルビィに緋月が風の烙印を施す。
「役に立つか分かりませんが…っ!」
「充分だ!」
与えられた風のアウルを纏い、ルビィは紅白の金属糸に自身のアウルを乗せる。
「テメェ等にはこいつをくれてやる!」
光の衝撃波が一直線に空間を薙ぎ払った。落ちた鳥の後ろから別の鳥がルビィに迫る。
「だめなんだよ!」
縁の声に応え、空が一変した。生み出された無数のお菓子が鳥に襲いかかる。肉薄した敵がグミキャンディーに押し潰されるのを思わず見守って、ルビィは視線を返した。落とした鳥は二人合わせて十。まだ足りない。風を切るように飛来する白い影。距離は同じぐらい。
撃ち漏らせば奪われる。だから。
「手を出させませんの」
駆けた。座った。抱きしめた。
その細い体の下に蹲った老婆の小柄な体を守り、鬼姫は身を伏せる。穿つ傷みは声を殺して耐えた。千鶴が即座に技を解き放つ。
「どきや!」
駆け抜けた雷の如き一蹴に、鬼姫の体に群がった鳥が吹き飛ばされた。片翼をもがれ、鳥達が血に染まった嘴を向ける。
けれど、その前に那由汰の姿。
脳裏を過ぎるのは頼むと頭を下げていた教師。自身の過去にある光景。後ろに庇った、今まさに命を狙われる見知らぬ人間。
わかっている。
託されているもの。願われているもの。時に重く、けれどその重みで自身を現に引き戻すもの。
わかっているから――
「助けろっつぅから助けんだ!それ以上でも以下でもねぇ!」
この身を盾にしてでも。
予測防御で鳥達の動きを読み切り、那由汰は敵の攻撃を敢えて全て受けきる。攻撃後の隙を見せた鳥にルビィの封砲がトドメを刺した。
「無事か!?」
「…軽傷だ」
「無問題ですの」
「あきらかに傷が深いな」
一撃一撃は大したことがないものの、複数羽に身を抉られた二人の傷は軽いものではない。
「うにー…痛そうなんだよ」
周囲に敵がいないのを確認して、縁がヒールをかける。
「こちらの方を先にお願いしますの」
起き上がり、庇っていた相手を指し示す鬼姫に縁は頷いた。
「うに! 順番にかけるんだよ! おばあさん、もう大丈夫だよ!」
よろよろと身を起こした老婆には、大きな傷が幾つもあった。足の傷は逃げ惑ううちに切ったのだろう。だが腕と背の裂傷はあきらかに違う。
ルビィの瞳に怒りが宿る。その傷は、まるで逃げる様を甚振るかのようで。
「酷い…人は天魔の玩具でも道具でもないのに…」
思わず唇を噛む緋月の前、突然助け手と巡りあった老婆は六人を困惑して見た。
「あんたら、いったい?」
「久遠ヶ原学園の者です。他にもどなたかこの山で見かけたりしませんでしたか?」
緋月の声に、数秒老婆はぼんやりとし、ややあって真っ青になった。
「い、井上さんとこの二人が、た、滝で」
「!」
その一言に全員が顔を素早く目配せしあった。
「その人を頼む!」
「あぁ…そっちも気をつけな」
那由汰に託し、ルビィと緋月が滝へと走った。
「足怪我しとったら歩くん難しいな。おばあさん、ちょっとごめんな」
機動力に優れる千鶴が老婆の体を抱えた。
「千鶴は前だけ気にしてくださいなの」
「…守ってやる。…くそ……ガラじゃねぇんだよ、こういうのは…」
鬼姫と那由汰が左右を固め、縁が老婆の手を小さな手で包んだ。。
「大丈夫なんだよー!お家に帰るまでもうちょっと頑張ろうなんだね!」
老婆の目に涙が溜まる。その体を運びながら千鶴はふと二人の向かった滝を思った。
別の班が向かった最初の滝だ。
(行方が分からない人はあと二人…か)
この時の彼女達は知らない。その滝の二人がいかなる末路を辿ったのか。
(何があっても、五人全員連れ帰る)
谷間を渡る風に、僅かに血臭が混じっていた。
●
風が頬を撫でるのを感じた。
ごぉごぉと響く滝の音。すぐ奥へ向かい水辺を進めば滝があるのだろう。
その手前。石の上。千尋、龍実、ジェンティアンの三人は立ち尽くす。
「…嘘」
千尋は足元が崩れるような感覚を覚えた。しっかりと大地を踏みしめているはずなのに、視界が揺れる。
血が視界を埋め尽くしていた。
「…惨いね」
静かに呟いたジェンティアンがタオルを取り出す。せめて、と胴から離れた頭部をタオルで隠した。
「こんな…」
龍実の声が震えた。何故。何故。こんなにも無造作に。
(こんな風に、命を奪えるのか…オマエ達は!)
目に焼き付いた老婆の悲しげな目が辛い。迷子のようなその表情は何をこちらに訴えているのだろうか。
「轟の滝付近、二名死亡確認」
激情を押しとどめる二人の前、ジェンティアンは他のメンバーに状況を伝えた。時間があるのなら葬ってあげたい。だが、今は出来ない。
(どうして!!)
千尋は押し寄せる感情を必死に押し殺した。溢れる思いが濁流となって全身を駆け巡る。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。今どこかで助けを待つ人がいるかもしれないのに、感情に翻弄されている場合じゃない!!
「〜〜っ!!」
無理やりスキルで表面のみ取り繕い、千尋は足に力を入れた。
体の震えは止めた。――心の震えは止まらなくとも。
足を前へと進めた。――激情は今も胸を荒らすけれども。
「次の滝に行こう。そこに誰かいるかもしれないし」
冷静に冷静に冷静に冷静に。全部終わるまでは…!
「ああ」
同じく無理やり感情を押し殺した龍実が頷いた。声の震えばかりはどうしようもなかったけれども。
「許さない…あの天使は、絶対に!」
そんな二人の頭をすれ違いざまに軽く撫で、ジェンティアンは告げる。
「別班が一人保護したらしいよ。…まだ救える人がいる」
「うん!!」
「ああ」
頷き、千尋と龍実は俯いていた顔を上げた。
まだ泣けない。泣いてはいけない。
今できる全てをやり遂げるまで――今は、まだ。
●
苔むした石の遊歩道を横目に、道なき道を全力で先行するインレ達の後ろにも鳥の影があった。
「我々を追って来ているのか!?」
ヒリュウに乗ったシュールな姿の時雨が叫ぶ。いや、と答えるのはインレだ。
「鳥共の顔を向ける先が違う」
本滝から最上部にある鍋割りの滝までは約千五百メートル。常人であれば一時間程の距離だ。だが、スキルや召喚獣の力を使い最短を駆ける彼らの足は尋常でなく早い。
「一般の人を狙ってるのかもね。もしあの鳥の察知能力が高くて、攻撃の優先順位が私達より高い者がいるんだとすれば、視線の先にいるのは一般人だよ」
「これ以上の犠牲を許すわけにはいかぬ!」
時雨の声にインレとなずなは頷いた。
すでに被害者の報は届いていた。その無残な死に様も伝えれている。
(何故だ)
インレは歯を食いしばった。
(何故、弱き者を虐げ奪う…!?)
「連中が向かうのは頂上付近のようだね」
冷静に呟き、なずなは上空をショートカットして進む鳥を睨む。迎撃を考えないわけではない。だが飛翔という利点を最大限使う鳥は、全力移動で動く自分達にさほど遅れずついてきている。
「見よ!」
時雨が声を上げた。その視線の向こう、木立越しに驚き立ち竦んでいる人の姿。
数秒がひどく遅く感じられた。足が踏みしめた土の音が後ろから追いかけてくる。背に感じる鳥の羽音。驚き、戸惑い、怯える人の顔。
(傷一つ負わせない)
なずなの足が土壁を蹴る。
(例え私が窮地に立っても)
手が伸びる。
自分は他人の為に戦わない。
他人の為に自分の命を投げ出すなんて不毛なことだ。
それでも目の前に助けられる命があるのなら手をさし伸ばす。何故かなど問うまでもない。
――それはとても簡単なこと。
一人を庇い立つなずなに数秒のラグで追いついた鳥が嘴をもって突撃する。痛みに耐えなずなは大きく両手を広げたまま背後の命を守る。
(誰かを助ける事で、私は私の存在価値を見つけられるから)
「何故かように無力な者を狙うか……!」
インレが憤怒の滲む声で唸る。天使との距離はかなり離れている。あえて手勢を向かわせ殺す意味など皆無だろう。
なのに。
「糧にするわけでもなく、障害にもなりえぬ存在を…どこの誰かは知らぬが、醜い、実に醜いぞ天使!」
時雨の魔法に撃たれた鳥が落ちる。別方向から来る鳥にインレが紅糸を放った。
鳥の動きが変わった。その視線が怯える一般人でなくこちらに向く。
「標的が変わったか…むしろ重畳というものだ」
少数で多方からの攻撃から人を守るのは難しい。だが自分達であれば耐えられる。血の霞を漂わせなずなの刀が閃くのに、合わせ、紅糸を振るいつつインレは通信した。
「こちら三班。頂上前遊歩道にて要救助者二名を確保。同時に鳥の群れと交戦中…ッ」
不意打ちを食らわせられ、傷みに言葉が一瞬途切れた。素早く時雨が魔法を放ちつつ通信を継ぐようにして声を放つ。
伝え聞く行方不明者は五名。死亡した二名と、本滝付近で保護された一人を除けば、この二名が該当者。
「数は十。人々を守る為、救援を請う!」
なんとしても、この命を守るために。
●
光に遅れ爆音が大気を叩く。押し寄せる爆風に耐える諏訪の耳に声が届いた。
「術の前は隙が大きくなるねぇ」
「貴様!」
黒煙が風に流れた場所には、飛び退る血まみれの歩と首筋に血を滲ませたリゼラ。さすがに着地時足をふらつかせた歩に、リゼラは憎しみの瞳を向ける。
「穢らわしい小虫風情がよくも!」
「相当、人間嫌いですねー?]
放たれた諏訪のバレットストームが周囲の鳥とともにリゼラに襲いかかる。瞬間、鳥が六角の形で虚空停止した。
「防がれた!?」
一瞬かかった虹の膜が銃弾の嵐を防いだ。だがそれは結界を張った鳥とその向こうのりゼラのみ。手前の鳥達が無残に傷つくのにジョーカーは眉をはね上げた。
「自分だけか、こいつ!」
その姿が掻き消える。ハイドアンドシークによる潜行だ。
「どうしてそんなに人間を嫌うんですか?」
夜空とジェラルドの連携に舌打ちし、リゼラは問いを放つ翠月を見て口の端を歪ませる。
「弱く、脆く、見窄らしく、穢らわしく、何の力もない小虫を誰が好ましく思うものか!」
罵声は前に立つ人間にというよりも、別の者に吐き捨てるかのよう。翠月は大きな目をさらに大きく瞠った。
「初対面でずいぶん言ってくれるねぇ☆」
「違います…彼女は、僕達を見ているんじゃありません」
ジェラルドがリゼラに薄い笑みを向け、翠月は首を緩く振る。
見ていない。この天使は、この世界で今そこにある光景を見ながら、同時に違う者を見ている。
それは――誰?
「過去に何かあり、というところですか」
未だリンドを狙うに鳥に、黒塵を放って神楽は独り言つ。
「そして自身を傷つけた者は許さない――と」
リンドを狙い続けることがその現れだろう。彼女の身を穿った力のうち、もっとも裂創が深いのは最初のリンドの一撃だ。
「他の所では、真っ先に一般の人が狙われたそうですよー。嫌な狙い方する敵ですよー?」
ファティナのブラストレイと翠月のクレセントサイスが連続してリゼラに放たれる。
「! また!」
連続する二方向からの魔刃の嵐を鳥の防護結界が阻んだ。
「いえ、押してます」
ファティナの声に神楽は冷静に指摘する。
ギシリ、と結果が軋むのが見えた。ファティナと翠月、二人の強大な魔力に結界の力が限界を超えかけたのだ。
「人間の分際で!」
「ずいぶん人間人間って嫌ってくれるねぇ? 人界を我が物顔で壊してるくせにさぁ」
熾弦に癒され、かろうじて血の止まった歩が皮肉げに言う。
リゼラが手を挙げる。編まれる強大な魔法が周囲に金粉のような光の魔法陣を敷いた。
「当然だわ。何の力もないくせに、何の努力もしていないくせに、天使の寵を得た、ただそれだけで不釣合いな能力を与えられる! 所詮玩具でしかない者の分際で!」
「嫉妬、か」
夜空が呟いた。
リゼラが『誰』を指して言っているのかは知らない。彼女の事情などどうでもいい。だが透けて見える感情がある。
「嫉妬が最もの大罪とされている。何故かわかるか?」
ピクリとりゼラの手が僅かに揺れた。瞳に浮かぶ嫌悪。
「嫉妬は他の罪も徳も全てを妬み、欲する強欲よりも欲深い最大の罪。更に嫉妬を起点として他の6つ、憤怒、強欲、暴食、傲慢、怠惰、色欲。全てに成り得る『根源の罪』なのだ。人如きと口にしながら、貴様はその『人』に嫉妬したわけだ!」
「黙れ! 貴様等など、搾取され滅ぶのがお似合いなのよ!」
陣が一層の光を放つ。
その背後、闇が踊った。
「だったら、お前は濁った目で世界を見たまま、朽ちるのが似合いだ!」
振り向きすらも間に合わず、ジョーカーの神速剣がその背に打ち込まれた。
●
「戦場が動いたな」
「これで少しは安心できますの」
広範囲を爆撃する戦場を避け、千鶴達は道なき道を駆け上がり、駆け降り、駐車場へと目指す。
「駐車場が見えたぜ」
木々の向こうに見える駐車場には、要請に応じて駆けつけてくれたらしい救急隊の姿があった。
「っ…しつこい!」
ほっとした途端、聞こえた羽音に那由汰は顔を顰めた。鬼姫と縁が同時に振り返える。
「皆様には手を出させませんの」
「ちぎ、しつこいんだね!」
先頭の一匹に闇の刃が突き立てられ、次いで甘いスィーツが上空から降り注いだ。
「美味しそうなケーキがもったいないねぇ」
そのメルヘンな光景と本物のような匂いに恐怖も忘れて老婆が呟く。縁はニコッと笑った。
「お家についたら、おいしいケーキ食べるといいんだよ!」
「…すぐに帰れるぜ」
無残な情景は見えぬよう、自身の体で視界を遮り那由汰は紺碧の鎖鞭を振るう。崩れた体のまま飛来した鳥がそれで砕け散った。
「大丈夫や…もう、大丈夫やよ」
救助隊が歓声をあげ迎えに来るのを見つめながら、千鶴は腕の中の老婆に語りかける。
その胸に、失われた命への悲憤を抱いて。
頂上付近。遊歩道側。
「スレイプニル! なんとしても守るぞ!」
蒼き瞬足の龍が顕現した。突如現れた巨体に驚く一般人を守るように立ち、攻撃の余波も当たらぬよう防ぐ。
「この鳥、増えてない?」
なずなが刀を振るうと同時、血が霞のように散った。インレは冷ややかに鳥を見下ろす。
「別機動で時間差攻撃、ということだろう」
人間を殺すことに対する執念にも似た異常な執着。そのくせ自分達を傷つけられると標的を変える。鳥の群れの動きは、そのまま製作者の心情か。
「このような者に尊きものを踏み躙られるなど…」
紅糸の閃きに血線が虚空に散った。一対一であれば問題なく葬れる。だが、もし万が一敵が範囲攻撃を使った時、背後の人間達を庇うことが出来るのかと問われれば、否。
「確かに、最初に聞いた羽音は尋常で無かったね…。そこから別れたにしても、集団のまま、か。少しずつ減らしていくしか無いみたいだね」
新たに向かい来る敵の攻撃に、背後を守る為なずなは避けずに受ける。
その前で鳥が半円を描くようにして一列に広がった。
「なに?」
傷ついたものも含め、六羽。それが明らかに同一の動きを見せる。
「いかん! 一斉にかかってこられたら」
敵の動きから逆算するに、明らかに一般人も攻撃範囲内。インレの声に時雨がスレイプニルを人々前につける。だが斜めからも攻撃をしてくる鳥相手では、これでもまだ穴がある。
打ち落とせばあるいは――
「――でも、私達の出番では無さそうだね」
ふとなずなの口元に笑が浮かぶ。
黒い槍が稲妻のように駆け抜けた。
「間に合ったか?」
「まぁ、ギリギリ?」
三羽を纏めて貫いた槍の向こう、全力で駆けてきたリョウになずなは苦笑する。それを追うようにして白い大鎌が軌跡を描く。両断された鳥をそのままに、龍太は艶やかな横髪をさらりと払った。
「ちょーっと遅くなっちゃったけど、途中までは調べながらだったんだもの、許してちょうだい?」
パチンッとウィンクするのはどう見ても立派な男なのだが、服装と言葉遣いはオネエだ。
「皆からの情報を元に駆けつけた。最短を突っ切ったから全部回ったわけでは無いが、な」
「あとは駐車場に護衛するだけ、ってことだね」
一匹を葬り、なずなが斜めに視線を向ける。その先、最期の一撃を放った鳥を返り討ちにした時雨は、一息つく間も無く自身の荷から縄を出した。
「その役目、引き受けよう。我と我がスレイプニルで彼らを運ぶ。相手が天使ならば、人手は多いほうがいい」
「あら? 護衛するわ。さっきみたいに別の鳥が襲ってくる可能性もあるし。第一、召喚獣はクライム使ったあなたしか乗れないじゃない。あなたが抱えてるなら他の人も乗れ・」
言って、龍太は時雨が持つ縄をじっと見た。
「……まさか引っ括って吊り下げていく…気…?」
「い、いや、命綱にして、こう、乗せてだな?」
時雨がジェスチャーで訴える。
「両腕で抱えるとしても護衛は必要ね」
比喩でなく厚い胸を張って、龍太は綺麗にウィンクしてみせた。
「最後まで守り抜くわ。そのかわり、リョウちゃん」
告げられ、リョウは龍太を見る。龍太は血管が浮くほど強く拳を握りしめたまま。
「人の命は何物をも代えがたいものよ。それを、まるで雑草を引っこ抜くみたいに刈るっていうなら…許さない。あたしの分もお願いね」
「……ああ」
託されたものに、リョウは頷いた。軽く上げた拳に思いを込めた拳を軽く打ち合わせ、龍太は先程とは異なる明るい笑顔で保護した人々に向き直る。
「さ! あたし達は安全地を迂回して行きましょ!」
「私も守るよ。かわりに私の分も、頼んだよ」
「我の分もな」
「引き受けよう」
なずなと時雨の声にインレも頷く。
詳しくは語れない。人の死はそう軽々しく口にして良いものではないから。
踵を返し、リョウは宣言する。
「悪行の報い。必ず、受けさせる」
誓うように、強く。
駆け出したリョウとインレを見送って、時雨はふっと息を吐いた。
「では頼んだぞ、二人とも」
頷くなずなの横、龍太は腰を抜かしたままの一般人二人へと両手を広げた。
「もう大丈夫よ。あたし達の仲間はとても強いんだもの」
「し、しかし、天使ちゅーのは、あれや、ひとりで町全滅させたりとか、しとるヤツらやろ!?」
「そういう天使もいるわね。でもね」
龍太はその声に満腔の自信を持って答える。
「あんな天使なんかに負けたりしないわ」
●
戦場は動く。あたかも生き物のように。
力在る者が力在る者とぶつかる時、そこにあるのは静ではなく動。ぶつかりあう力の流れのままに、それは周囲をなぎ倒しながら動き続ける。
「この小虫共が! ちょこまかとっ!」
鳥の防護結界の中、リゼラの放った金炎の檻が熾弦と夜空を捕らえた。
「消え去れ!」
「きゃあ!」
「が…ッ」
殺意と共に炎上する天の炎に一瞬で二人の体が焼け爛れる。一部炭化した表皮にファティナが怒りの一撃を放った。
「奢りきった者の末路を辿りなさい!」
同時、翠月が魔法を重ねた。
「これ以上は、許しません!」
放たれた炎が月のような無数の刃に変じる。
「!」
驚異を察してリゼラの前に鳥の防護結界が張られた。だが、
「貴様のような…奴が…天使を名乗るなど…烏滸がましい!」
黒く焼けた腕に結晶。砕け散ったそれとともに夜空の渾身のエネルギーが放たれる。
全くの同時攻撃。合わさった力が刃の濁流となって結界ごとリゼラの体に襲いかかった。
「キャアアアア!」
初めてリゼラの口から悲鳴があがった。砕かれた結界の端で引き裂かれた鳥が落ちる。
「貴様らァ!!」
腕一本犠牲に踏みとどまり、リゼラは宝錫を掲げ振り下ろす。
「させません!」
夜空に向け放たれる炎の濁流の前、神楽が黒塵を放つ。僅かに逸れた炎が夜空のすぐ真横を一直線に溶解させた。
「!?」
夜空はふいに襲った浮遊感に息を呑む。強烈な一撃を食らった地盤が崩れたのだ。
「いけない、神父……!」
すでに重症。これ以上は命に関わる。絶望的な距離でなお手を伸ばすその先で、夜空が光に包まれた。ライトヒールだ。だが、誰が。
「間に合ったね!」
声を弾ませ、駆けつけたのはジェンティアンだ。全員の行方が判明して後、要保護者を連れたなずな達と交信しながら道を引き返してきていたのだ。夜空の体を抱え、龍実が頑丈な場所に移動する。
「一般人を連れてる班が戦闘に巻き込まれたらいけないからね。万が一を防ぐ為に僕達がこっちに来たんだ。場所を移そう。『あの人達』を巻込みたくない」
言われた言葉に一同は気づいた。
自分達がいる場所がどこなのか。
一瞬途切れた音の中、聞こえるのは今まで届くことのなかった滝の音。
視界の端に見える水辺。
――轟の本滝。
●
「ふ。見るがいい! やはり我の考えも当たっていたぞ!」
「あらやだ。そのどや顔、可愛いわ」
明らかに道と違う方向から飛び出してきた時雨&スレイプニル・龍太・なずな・一般人二名の団子に、駐車場にいた一同は唖然とした顔になった。
「…よく落なかったな」
クライムした時雨にかきつく四人に、流石の那由汰も愕然と呟いた。確かにそうやればスレイプニルにも皆乗れるが、機動力があるかどうかは疑問である。
「段差がある所だけだよ。他は走ったから」
地上に降りながらなずなが答える。ちなみに一般人だけは常に撃退士が抱えていたが、これは圧倒的に基礎の機動力が違うためだ。
「追加移動も召喚回数も使い切ってようやく、だ」
「これで全員やね」
千鶴の声に、事情を知っている救護隊員が一瞬沈鬱な目になり、すぐに頷く。
「ありがとうございました」
「脱出するまでは護衛するわね。しつこいのが追ってきてもいけないし」
言って、龍太は千鶴の肩を軽く押す。
「行ってらっしゃい。あなた達、あの時の二人と同じ顔をしてるわ」
指差す方向は土煙のあがる戦場。
「でも、ここにも」
言いかけた瞬間、言い知れぬ気配が場を満たした。
「この感覚」
「うわっ!?」
上から声と同時に鎹 雅 (jz0140)が降ってきた。
「すすすすまん宇田川君大丈夫か!?」
「…先生、なにやってんだ」
何故か千鶴に肩車してもらってる格好(不可抗力)になった雅に、那由汰が死んだ魚のような目(元から)。
「青のストライプだったの」
「それは言わない方がいいですの」
真顔の縁に鬼姫が真顔で突っ込み、時雨がそっと視線を外す。慌てて降りながら、雅は即座に救済誓約を発動させた。
「忘れてくれ! あと、色々すまない! 各自打ち合わせ通り持ち場へ!」
到着したアストラルヴァンガード部隊が動く。制約を加えられた癒しの光がなずな達の傷を瞬く間に癒した。
「護衛は彼らの部隊が引き受ける」
「「「一緒に護衛しても?」」」
「無論。助かる」
龍太となずな、時雨の声に雅は首肯。何が起こるかわからない現状、最後まで警護してくれる者の存在はありがたい。
千鶴、縁、鬼姫、那由汰を見て雅は問うた。
「――行けるか?」
戦場へ。
問われ、千鶴は即座に頷いた。
「勿論」
「…助けろ、って言うんなら」
雅は頷く。真っ直ぐに那由汰を見つめて。
「助けてくれ」
○
誰にだって限界はある
だからさ、私はいつも思うんだ
諦めって大事だなって (緑銀の撃退士より)
●
飽くなき希望を抱くことは罪ではないだろう。そこに至れぬ自分を慰め、到れる他者を憎まぬ限りは。けれどその領域に堕ちてしまえば物事は悪い方へと突き進む。自らが気づき這い上がるしか術が無い故に。
そして、大様にしてその域に在る者は、自らの行いには目を瞑り、諫言には耳を塞ぎ、罪科を認めることはしないが故に。
「なんだ…これは」
無意識に零れた声に、アステリアは気付かなかった。自分は今何を見ているのだろうか。この光景は何だろうか。何故そこに倒れている人がいるのだろう。倒れている人の体が二つに分かれているのだろう。
あのタオルに隠されているのは、
いるのは――
気晴らし、と言った天使。
弄ぶように傷つけられた人。
奪われた命。
「――貴女は、戯れで人を殺しますか…!」
アステリアの悲痛な叫びが滝の音をかき消した。
「こんな形で、奪われちゃいけない命なのですよー…?こんな理不尽を、許してはいけないのですよー?」
諏訪の声にリゼラは嘲笑う。
「人間の命なんてその程度よ!」
「――なら貴女も、戯れで死ね」
アステリアの瞳が凄絶な色を湛えた。一瞬でリゼラの周囲が黒い爆焔に包まれる。
「彼らにも待っている人がいたのに!」
連鎖する爆発の後、リゼラ背後、走り込んだ龍実の銀刃が閃く。
「このっ」
連撃に一瞬足元を危うくしたリゼラが振り返る。その前、黒い影が走り込んだ。
「全てに終わりは必ず来る。だが――それがこんなものであっていい筈が無い…!」
戦場に駆けつけて直ぐに見た、悲しい遺体。この報いは必ず受けさせる。それで還ってくるモノなど無いが、それでも…!
黒い槍が空間を裂く。あたかも地上から放たれる雷撃のように。
「命を顧みないその外道、貴様は下種だ。壊された日常の、喪われた命の嘆きを思い知れ…!」
「が…はっ」
まともに入った一撃にリゼラは呼気を詰まらせた。
「!? 体が」
次いで麻痺した自身の体に気づいた。
「その体なら、逃げられませんね」
ゾッとするような声と同時、極限まで高められたアウルを感知してリゼラは飛び退こうとした。だが、体が上手く動かない!
「痛みを思い知りなさい!」
ファティナの禁呪が炸裂した。至近距離の爆発は文字通り命を賭したもの。リゼラが見下した人間の一撃は、けれど確実にその生命力を削っていた。
「危なかった」
「また無茶をして…!」
「ぎりぎり間に合った、なんだよ!」
ジェンティアンと、ジェンティアンに癒されて復帰した熾弦、縁が即座に治癒を放ちファティナを癒す。駆けつけたばかりの縁が必死に呼吸を整えていた。
「この女ッ!」
「させると思ってるのかねぇ?」
皮肉げな声が聞こえた。リゼラが攻撃に移るよりも早く、歩の隼突きが負傷度の高い左腕を切り裂く。
「人間にも意地があるのさぁ。覚えておきな、天使」
散る血には何の感慨も抱かず歩は身を翻した。
「貴様は尊きものを踏み躙った」
入れ替わるように深い声が告げる。容赦等欠片も無く。呼び覚ましたるはかつて有りし力。
―千の敵を鏖殺する王(エリル・フレア・ラー)―
「──鏖殺するぞ」
襲いかかる数多の巨大な刃を冷ややかに見下ろし、インレは横へと退く。
――射線が開いた。
「あなたはやりすぎたんですよ」
赤に染まった瞳で神楽は呟く。あるのはただ、明確な殺意。
「こんな終わりってないよ…こんなの、絶対、あっちゃいけないのに!!」
声にのみ悲痛な心を滲ませ、千尋が叫ぶ。ポーカーフェイスで押し殺されている今、表情は普段通りに見えるけれども。
「千尋ちゃんを泣かせましたねー?」
分かる。大切な恋人のことだから。
諏訪は柔らかな表情のまま、けれど構えた銃口に明らかな激怒を乗せて。
放たれた力が三方から襲いかかる。例え一つ避けても次々に襲いかかる波状攻撃。
「あんたみたいなんと戦うのに、なんの躊躇もいらんな?」
連撃を受けきることに意識を奪われたリゼラの横で力が弾けた。
「奪われた命の重み、味わいなさい」
同時に熾弦が天の星を召喚した。千鶴の放った雷遁・雷死蹴と、熾弦のコメットにタイミングを合わせ、視覚外から緋月が走り込む。
「あなたのようなひとに、この世界は好きにさせない。この世界には守るべき人も兄様も居るから!」
星々の雨の止んだ瞬間にサンダーブレードが放たれた。遠心力を利用し、円を描くようにして離れた緋月の背後から血色の戦斧が迫う。
「さっきの借りを返すぜ!」
「つ…ッ!」
度重なる傷を受けた左腕をジョーカーの戦斧が切りつけた。幾度目かの血が散るのにリゼラの瞳に真紅が混じる。
「ふざけんじゃないわよ!」
リゼラが宝錫を振り上げた。周囲に展開した魔法陣は周辺炎爆。
「熾弦さん! いけない、近くにいた人が!」
魔力を維持したまま翠月が走る。天使の一撃は強烈だ。癒しの手が追いつかないほどに。
「地面が!」
龍実が声をあげた。爆炎の影響で滝へと続く道の一角が大きく崩れている。その下には、二人の遺体があったはずなのに。
「ちっ…糞天使が!死者を冒涜しやがって!」
直撃をくらい倒れた人々をリゼラが嘲笑を浮かべ見下ろす。振るわれた那由汰の鞭を掴み、リゼラは吐き捨てた。
「虫が、次々増えて!」
「他者を虫呼ばわりせずにいられない小物が、いきがるな」
「おまえ…吹き飛ばしたはず!」
背後から放たれた声にリゼラは目を瞠った。怒りの全てを込め、リンドは放つ。リゼラに傷を負わせた一撃を、今一度。
「御主のような輩を見ると虫酸が奔る。去ね、早々に俺の視界から…この世から失せろ!!」
光が視界を灼いた。それに合わせて翠月と鬼姫が自身の一撃を重ねる。
「塵は塵になればよろしいの」
禍々しい刃と闇の刃をも加えられた一撃がリゼラの防御を砕いた。
「が、はっ」
内部に至った傷にリゼラの口から血が溢れる。
「こんな、小虫共に!」
「そうやって見下してまともに見ないから、痛い目見るんだよ☆」
声に振り返った。ジェラルドがいた。
「エィメン…かくあれかし…だ♪」
ちゅー。
「…あの馬鹿」
重体のはずの夜空が呟いた気がした。一瞬皆が目を丸くしたのは仕方がない。ジェラルドの【KD】は、Kiss Of Death。リゼラの精気を吸い上げたのは紛れもなく口づけで。
「…やば☆ 今までで一番怒らせたかも?」
「アウルの鎧、急げ!」
雅の指示で駆けつけたアストラル部隊が一斉に近辺の全員に防御を与える。
怒りのままにリゼラは身を縛る麻痺を吹き飛ばし、魔法を解き放った。最大火力の天炎が周囲一帯を薙ぎ払う。
「うにー! しっかりなんだよ!」
吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたジェラルドに縁がヒールを放つ。ジェンティアンと緋月が走った。真っ先に動いたのは鬼姫と那由汰だ。その腕に危険水準に達している仲間を抱えて危険域を離脱する。
爆心地であるリゼラに近かった全員が倒れ伏していた。範囲内の人々を軽く六メートルは吹き飛ばす一撃は、実際の爆炎範囲よりも広範囲に衝撃を与えている。
中央でリゼラは再度杖を掲げた。流れる血も動かない左腕も全く意に介していない。
「全員、殺……・は!? 退けって!?」
巨大な力が弾ける寸前、リゼラが驚愕の声で叫んだ。明らかな隙。そして、
「――テメェの罪。その身で償いな…」
―チェックメイト―
血塗れのルビィの一撃がリゼラの腹を貫いた。
●
「よくも…小虫共、が」
「ここまできて、小虫呼ばわりのままとは、な」
範囲攻撃でくらった傷を堪え、隙を狙ったルビィはすでに満身創痍。だがそれはこの天使とて変わらない。
「覚えたぞ、おまえ達の顔…殺す…絶対殺す!!」
リゼラが腕を振り上げる。攻撃に備え咄嗟に庇いに入った雅達の前、翼が広げられた。
「あっ」
翠月が声をあげる。天使が逃げる。だが追えない。否、追う必要はない。
「救助を急げ! 誰も死なせるな!」
今ここにある命を助けるほうが先。慌ただしく護衛部隊が駆ける中、千尋はふっと足から力が抜けるのを感じた。
「千尋ちゃん、大丈夫でしたかー?」
「諏訪くん、諏訪くん…もう、泣いても、いいかなぁ?」
千尋の声に諏訪はその頭を優しく抱き寄せた。
もう我慢しなくていい。もう抑えなくていい。
「ふ・ふぇ」
零れた嗚咽が泣き声に変わった。必死に重体者を癒しながら縁も涙を零す。
土砂に埋められたはずの遺体に向かい、インレは痛む体を引きずるようにして歩いた。せめて埋葬してやらなくては。
その足が止まる。
「どういうことだ」
呟きにその場の全員が視線を向けた。同じく駆けつけた龍実もまた息を飲む。
「誰が」
遺体があった場所に土砂は押し寄せた。だが激戦の最中、遺体が埋まる瞬間は誰も見ていない。
二人の視線の先、埋もれた土砂の向こうに遺体。両腕を綺麗に組み、互いに安心したような微笑みを湛えた表情で。
「どなたが、かは分かりませんが」
小さな奇跡を前に、緋月は膝をつく。守られた死者の尊厳を胸に。その死を悼んで。
「どうか、来世も2人が共に歩けます様に…」
「? 何か持っていますの」
運ばれる遺体にふと鬼姫は気づく。二人、組まれたそれぞれの両手の中。隠すように収められたもの。
「金色の…羽根?」
悪戯に奪われる命。天魔と共存など夢幻だと嘲笑うかのような存在。
争いの無い未来を願うことは無駄なことだろうか?
それを祈ることは間違っているのだろうか?
争いの果てには何も無い。誰かが、何かが、滅びるまで争い続ける未来など望みたくなどない。
(それでも……)
「千尋ちゃん」
諏訪のどこか驚いた声に、千尋は泣きながら顔を上げた。諏訪の視線を追って空を見る。
小さな光が見えた。
ふわりと舞うのは小さな金の羽根。思わず出した両手に降りたもの。
祈りはまだ届かない。
それでも光を指し示す者が居ないわけではない。
誰かを心から助けようと思い願う者がいる限り。
千尋は羽根を胸に抱く。
何故か、泣いているような気配がした。